27.02 シュメイの夢
炎竜の子シュメイは温もりの中を漂っていた。
場所は『小宮殿』の大浴場、広々とした湯船の中だ。今は夜の湯浴みの最中、側には姉と慕う岩竜オルムルを始め超越種の子の雌のみがいる。
ただしフェイニーの姿はない。光翔虎は水に入るのを嫌い、浄化の術で身を清めるからだ。
──気持ち良いですね!──
──フェイニーさんも来れば良いのに!──
思念を発したのは海竜ラームと嵐竜ルーシャ、生まれて半月少々の二頭だ。
ここは女性王族専用で、しかも今は超越種しかいない。そのためラームは自由気ままに泳ぎ、海に出るための訓練に励んでいる。
ルーシャは飛翔に似た感覚が気に入ったらしい。まだ彼女は飛べないから、遊泳を代用としたようだ。
ラームとルーシャは水面から頭だけを出していた。海竜は首長竜に似た体で嵐竜は龍体の持ち主だが、水の上に出ている部分のみなら似てはいる。
そのため姉妹が追いかけっこをしているようで微笑ましい。
──小島に上陸です!──
──どうぞ──
ラームに応じたのは玄王亀のケリスだ。
ケリスは本来の大きさに戻っていた。生後半年を迎えた彼女は甲羅の全長が3mほどもあり、確かに島のようだ。
ただし皆が浸かっている湯船は大浴場でも最大で、今のケリスでも十数頭は入れる。
『小宮殿』を含め『白陽宮』の風呂は温泉の掛け流しだ。シノブが掘り当てた湯脈は非常に豊かで、このように大きな湯船を幾つも設けても湯が余るほどだった。
──落ちないように気をつけて──
──大丈夫です!──
──すぐに戻りますから!──
念のためにとシュメイは注意するが、ラームとルーシャは陽気に返すのみだ。そしてラーム達は大きな水しぶきと共に湯船の中に突入した。
ラームとルーシャは乳児ほどの大きさだから、ケリスの背はちょうど良い滑り台代わりなのだ。
ちなみにシュメイとオルムルも腕輪の力でラーム達と同じくらいの大きさに変じているが、このような遊びに高じる時期は過ぎている。
超越種、特に竜は一歳を超えると独り立ちを認められる。そしてシュメイは一歳二ヶ月、オルムルは一歳七ヶ月だから静かに湯に浮かんでいる。
──そろそろシャルロットさん達も来ますよ──
シュメイは湯に浸かったまま、脱衣所の方に顔を向ける。
ここを使うのはシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌの女性王族三人とアミィ達だ。それぞれの居室にも浴室は付属しているが、今日は宮殿にいる全員が大浴場を選んだらしく脱衣所や近辺から多くの魔力波動が感じられる。
「気にしなくて良いですよ」
「ぶぶ~! ぶぶ~!」
浴室に入ってきたのはシャルロット、そして上機嫌なリヒトだ。もちろん母子のみではなく、アミィとタミィが左右を固めた上に後ろにはシャミィもいる。
最近リヒトは母と共に風呂に入るようになった。大浴場には温めの湯船もあるから、そちらを使うのだ。
まだリヒトは生後四ヶ月半、大人と同様の温度では高すぎるとアミィは語っていた。この辺りは炎竜のシュメイには分からない感覚である。
シュメイは火の力が多く含まれた場所が大好きで、今も湯温の高い場所を漂っているのだ。
もっとも種族が違っても分かることはある。
白く輝くシャルロットの姿は、この星を創った女神アムテリアを思わせる。囲む三人が天狐族、つまり眷属だから尚更そう感じるのだろうか。
それともリヒトに向けた慈しみの表情からか。シュメイは自身やオルムルの竜体も好きだが、シャルロットの笑顔や姿にも惹かれていた。
「お~!」
──ご機嫌ですね!──
リヒトが声を発すると、オルムルが湯船から浮かび上がる。そして彼女は緩やかな浮遊で、手を伸ばす乳児へと進んでいった。
──オルムルお姉さま、私も!──
シュメイは安堵と共に湯から離れた。
どうもオルムルは、眷属ヴァシュカの言葉を気にしているらしい。近い将来、シノブと同じものを味わって笑みを交わせるという予言を。
ただしヴァシュカは時期や方法を示さなかった。そのためか先ほどまでのオルムルは思考に沈んでいたが、リヒトの登場が良い気晴らしになってくれたようだ。
シュメイもヴァシュカの言葉を気にしてはいた。
シノブと同じものを楽しみたいという気持ちは、シュメイにもあった。これは仲間達も同じようで、もっと詳しくと詰め寄ったのだ。
しかしヴァシュカは詳しいことを語れぬと言うのみで、大きな希望と同時に少しばかりの不満も残る結末だった。
──リヒト、今日は私が洗ってあげましょう!──
「お~! あ~!」
オルムルは創水の術で出した湯を、シャワーのようにして降らせていく。
一方のリヒトだが、このようなことをオルムルがするのは初めてだから驚いたらしい。しかし気持ち良かったらしく、すぐに笑顔になると可愛らしい声を上げ始める。
「良かったですね。……アミィ、頼みますよ」
「はい、シャルロット様!」
シャルロットも微笑むと、我が子をアミィ達に預けた。
リヒトはアミィの膝の上、そして両脇からタミィとシャミィが乳児の柔肌に手を伸ばす。このように眷属達が付いているから、夜の湯浴みに侍女や乳母を伴うことはない。
それにシャルロットは、あまり多くがいるとオルムル達が気詰まりだと思ったようだ。
──シュメイ……オルムルは?──
シャルロットはシュメイを抱き上げ、密やかな思念を送ってきた。
先ほど脱衣所から察したように、シャルロットは思念の扱いに随分と慣れてきたようだ。今もシュメイだけに対象を限定しているし、魔力波動も抑えているから他には感じ取れないだろう。
──先ほどの件です……だから──
──そうでしたか──
見上げるシュメイに、シャルロットは優しく微笑み返す。
ヴァシュカが語ったことはシノブ達に伝えていない。シュメイを含め、先々驚かせたいと思ったからだ。
ただし将来良いことがあると明かしたから、シャルロットも重ねて問いはしない。
どうもシャルロットは、常と異なるオルムルの様子から何かあると察したらしい。その気遣いに感謝しつつ、シュメイは頭を擦り寄せる。
超越種も幼いうちは肌が柔らかいし、鱗も柔軟だ。魔力を篭めれば鋼鉄より硬くもなるが、普段はリヒトの柔肌と大差ないくらいである。
そのためシャルロットも笑みを深め、子竜の背を撫でさするのみだ。
「シャルお姉さま、お待たせしました!」
「私達が最後だったのですね!」
セレスティーヌとミュリエルの声が大浴場に響く。こちらも供を付けず、入ってきたのは二人のみだ。
シャルロットとミュリエルは伯爵令嬢、セレスティーヌは王女として生まれ育った。そのため三人とも側仕えに世話されての入浴が普通だった。
しかし最近はシノブに影響されたのか、あまり多くを置かない。朝の湯浴みは短時間で済ませたいから別だが、夜は家族のみでの語り合いを望んだのかもしれない。
シュメイも身内に加えてもらえたのが嬉しいし、他には伏せたい事柄もある。たとえば今日のイーディア地方訪問もそうだ。
祖霊や眷属に会ったなど、幾らシノブの側近達といえど軽々しく語ることではないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「明日はどちらに行くのですか?」
『スワンナム地方です。まずカカザン島に行って、それから『操命の里』に……』
ミュリエルの問いに答えたのは、玄王亀ケリスだ。
ケリスは今も元の巨体、その背に海竜ラームと嵐竜ルーシャが登っていく。そして先ほどと同様にラーム達は頂点に達すると滑り落ち、水面下へと消える。
幼子達にとって入浴とは遊びの一つでしかないようだ。
──潜水も楽しいです!──
──息が続きませんよ~!──
ラームは潜水を続けるが、ルーシャはすぐに浮いてきた。
この二頭は発声の術を習得しておらず、ミュリエル達との会話に加わることは少ない。どちらも『アマノ式伝達法』は使えるが、今のように遊びを優先することが殆どだ。
「あ~! あ~!」
こちらは少し温度の低い浴槽だ。リヒトはシャルロットの腕の中で、ラーカ達の滑り落ちる様子を羨ましげに見つめていたのだ。
『リヒト、まだ無理ですよ!』
『それに長湯は良くないのでは?』
オルムルと共に、シュメイはリヒトを窘める。
他の人間の子と違い、リヒトは思念を理解してくれる。それに彼の叔父達、アヴニールとエスポワールも大まかだがやり取り出来る。
しかし相当に珍しいらしく、シュメイが目にした人間の赤子では彼ら三人のみだ。成人を含めても思念を使える者はシノブやシャルロットなど極めて少数で、リヒト達は例外中の例外らしい。
超越種にとって思念は生まれる直前から備わる伝達手段だから、この違いを知ったときは驚いたものだ。
「シャルお姉さま?」
「リヒトも滑り台で遊びたいのですか?」
「そのようです」
思念の使えない二人の問いに、シャルロットが頷き返す。
シャルロットはリヒトを産んだ直後から思念を使えるようになった。おそらくミュリエルやセレスティーヌも、シノブとの子を成せば同じ力を得るだろう。
そのためか、二人の顔には強い興味が浮かんでいる。
やはりミュリエル達も、シノブと同じ世界を感じたいのだろう。オルムルや自分が同じものを味わい、共に微笑みたいと願うように。シュメイは頬を染める少女達に共感を抱く。
「メイリィとも会うのですか?」
「神操大仙……操命術士の祖師だった方ですね。私も一度、お会いしたいです」
アミィが挙げた名に、シャミィは何かを感じたらしい。
シャミィの前世はカン地方の聖人小无だ。今の彼女は当時の記憶を殆ど失ったが、それでも懐かしさに似た思いは残っているらしい。
シャオウーがカンを去ったのは創世暦440年ごろ、およそ五百六十年も前のことだ。しかし前世のメイリィがカンに渡ったのは創世暦540年辺りだから、まだ百年ほどしか経っていない。
このころならシャオウーが育てた弟子、本当の神角大仙も存命だ。それ故シャミィは当時の話でも聞けたらと思ったのだろう。
「アミィお姉さま……」
「ええ。……オルムルさん、ご迷惑でなかったらシャミィも一緒に行って良いですか?」
タミィの言葉がなくとも、アミィは新たな妹分の願いを叶えるつもりだったらしい。
カン地方の騒動も片付き、急ぐべきこともない。それにシャミィは生まれ変わったばかりだから、ゆっくりと慣れてくれたら良い。
優しく微笑むアミィの顔には、そう書いてあるようだった。
『もちろんです!』
『ええ、私達と行きましょう!』
オルムルは歓迎を表そうとしたようで、宙に舞い上がって羽を広げる。シュメイも続き、シャミィへと寄っていく。
「ではシャミィ、明日は『操命の里』の視察です」
「ありがとうございます!」
アミィは視察という名目を拵えた。もっとも具体的な指示はないから、シャミィの望みに応えただけだろう。
そう思ったシュメイだが、どうも早合点だったらしい。
「向こうはメリエンヌ学園の分校を開設したばかりです。誰か人を送って確かめたいと思っていました」
アミィの言葉通り、『操命の里』にはメリエンヌ学園の分校が存在した。
ただし出来たばかりで生徒は少なく、教師もエルフのファリオスなど数名がいるのみだ。これは操命術士の隠れ里ということもあり、まずは限定した交流からとなったからだ。
そういう意味で視察が必要なのは事実、そして視察できる者も限られていた。
「そうでしたね! それに転移の神像を使うしかないですから……」
「今のところシノブ様とアミィさん達、それに超越種の皆様だけですものね」
『ファリオスさんは転移できますが、独りでは山まで行けませんし』
ミュリエルとセレスティーヌの指摘に、シュメイも頷きつつ続く。
シノブとアミィは『操命の里』の南にある高山に転移の神像を造った。しかし権限を限定したから使える者は僅か、それに山から里までは極めて強力な魔獣が跋扈する地だ。
ファリオスは優れた魔術師で様々な植物に詳しく、しかも転移の神像も使える清い心の持ち主だ。そのため彼には転移の権限を付与したが、魔獣の領域を押し渡っていくのは危険すぎる。
そこで赴任は超越種達に乗ってという、他とは随分と異なる形になった。
「シャミィ、ルシールへの届け物を頼んで良いでしょうか?」
シャルロットはベルレアン伯爵領出身の治癒術士の名を上げた。
ルシールは近々ファリオスと結婚することもあり、同じ勤務地を選んだ。彼女は操命術士達が伝えてきた長命の術にも興味を示しており、ますます喜んだという。
とはいえ『操命の里』は北緯15度ほどで、およそ30度は北のベルレアン伯爵領やアマノ王国とは気候が全く異なる。
そこでシャルロットは故郷の品々を送りたいと考えたようだ。シャルロットはリヒト、母のカトリーヌはアヴニールの出産でルシールに世話になったから恩返しのつもりもあるのだろう。
それにルシールは人族、ファリオスはエルフと種族が異なる。エルフは長寿だから辛いこともあると、シャルロットも気に掛けているようだ。
「もちろんです!」
「魔法のカバンですね!」
「頼みますよ」
シャミィとタミィが顔を向けると、アミィが任せたと返す。
同じ天狐族ということもあり、三人は同室で暮らしている。そのためか以心伝心というべき早さだ。
とはいえ種族が異なっても兄弟姉妹のように仲良くできる。シュメイは周囲へと目を向けた。
オルムルは姉、ケリス達は妹でリヒトは弟。全て種族は違うが、シノブという絆で結ばれた家族である。
生まれや姿形の違いなど関係ないし、たとえ思念が使えなくとも分かり合える。先々は遠く離れて暮らすかもしれないが、それでも家族の絆は変わらない。
とはいえ同じ時を過ごしたいという思いはシュメイにもある。
自分は千年を生きる超越種だが、シャルロット達は違う。怖れが封じていた疑問を、シュメイは思い浮かべてしまう。
──明日、聞いてみよう──
シュメイは静かに決意する。
しかし溢れた思いは僅かだが思念として漏れたらしい。すぐ隣のオルムルのみは気付いたようで、妹分へ顔を向けていた。
◆ ◆ ◆ ◆
シュメイ達が子供のみで行動することは少ない。今日はオルムルの母ヨルムと炎竜フェルンの母ニトラが引率役となり、カカザン島に転移した。
そして再び転移の神像を使い、森猿の王スンウなど十数頭を『操命の里』に連れていく。
『操命の里』にも森猿がいるが、こちらは『アマノ式伝達法』を学んでいる最中だ。そこで既に習得したスンウ達は教える側に回っていた。
更に海猪と浄鰐の二種族にも『アマノ式伝達法』を教えている。そこでヨルムとニトラは、スンウを含む数頭を降ろすと海辺の里にも回っていく。
超越種の子供達の多くは二頭の成竜に付いていき、里に残ったのはシュメイとオルムルのみだ。それにシャミィもメイリィを訪ねに生命の大樹へと登っていった。
今シュメイはオルムルと一緒に、アウスト大陸から来た少女チュカリによる伝達法の講義を眺めている。
「グーグーギャグーグー、これが……」
「ギャギャ!」
講師のチュカリを補佐するのは森猿スンウ達だ。
ここは生命の大樹の木陰、そこに巨大な板を立てて黒板代わりにしている。生命の大樹は雲にも届くほど巨大だから、よほどの大雨でなければ濡れることもないらしい。
チュカリは先日から『操命の里』での留学を開始した。彼女は魔獣使いとして高い才能を秘めており、それを知ったメイリィが自身の側で育てたいと望んだからだ。
これをシノブ達も後押しし、チュカリはアマノ王国の奨学生となった。つまりチュカリはメリエンヌ学園の分校生の一人なのだ。
「これが『ア』か……」
「面白いね」
森猿達と共に受講しているのは、ナンカンの葛師迅と『華の里』の美操だ。
シーシュン少年は将来グオ家を継ぐ筈だが、家伝の技に磨きを掛けたいと留学を希望した。そしてエルフの少女メイツァオも、彼が行くならと総本山での修行に手を挙げた。
二人の他にも数多くの操命術士達が聴講生となっている。里にはエルフと人族と獣人族の三種族がいるが、その全てが揃っていた。
──チュカリさん、頑張っていますね──
──ええ、まだ七歳なのに立派です──
驚きと喜びが滲むオルムルの思念に、シュメイも声なき感嘆で応じる。
シノブの側で暮らすようになってから一年以上、シュメイも人間の年齢や寿命について随分と理解してきた。そのため僅か七歳で教える側に立つなど、滅多にないことだと知っている。
「次は『イ』だよ!」
「ギャ!」
チュカリはモアモア乗りとして街道で客を運んでいたくらいで、大人相手でも物怖じしない。それに自身の得意とする分野だからか、教える姿も堂々としている。
しかも奨学金と別に講師代が入るから、より多くを両親に仕送りできる。もっとも両親達も順風満帆、生活には充分な余裕がある。
実は父のラグンギに弟子した者がおり、チュカリが担当していた二羽の巨鳥を任せることにした。それに更なる弟子入り希望者もいるそうだ。
この調子なら商売繁盛は間違いなく、チュカリも負けじと励んでいるのだろう。
「お待たせしました!」
快活な声と共に現れたのはエルフのファリオス、つい先日から『操命の里』の分校長となった男だ。
まだファリオスは転任したばかりだが、服をスワンナム地方の前合わせのものにしており周囲と変わらない。色白なのを別にしたら、元からいるエルフと区別が付かないほど溶け込んでいた。
『ファリオスさん!』
『お元気そうですね!』
オルムルに続き、シュメイも振り向く。そして一人と二頭はチュカリ達から少々離れた草原に移った。
季節は三月の下旬、しかも赤道に近い熱帯で日も高い。そのため木陰から出ないが、生命の大樹は仄かな光を放っており充分に明るい。
「いつ見ても不思議ですね……」
『神聖な木ですから、許可なく調べちゃダメですよ』
『分かっているとは思いますが……』
腰を降ろして上を見上げるファリオスに、シュメイは思わず注意をしてしまった。もっともオルムルも同じ懸念を抱いたらしく、取り越し苦労ではないだろう。
ファリオスの常軌を逸した植物探求心は、広く知られる事実だ。彼は遠い異国の勤務にも関わらず立候補したそうだが、珍しい植物を収集するためだろうとシュメイは考えていた。
「そんなことはしませんよ。私は男ですが巫女の血を強く受け継ぐ一人、この木が……そして宿る御方が何者か重々承知していますから」
ファリオスは薄い色の髪を掻き上げつつ微笑んだ。
生命の大樹からの光を受け、プラチナブロンドと呼ぶべき髪は僅かに緑がかった輝きを放つ。そして神秘的な煌めきの中で、整った美貌は敬虔さを強く滲ませていた。
妹のメリーナは神降ろしを実現するほどの巫女だ。そして同じ血を受け継いだファリオスも、巨大木人への憑依や神像での転移を可能としている。
やはりファリオスなら教えてくれるだろう。彼の清らかな波動を受けつつ、シュメイは期待を膨らませていく。
◆ ◆ ◆ ◆
分校の様子を聞いた後に、シュメイは自身の懸念をぶつけてみた。それは寿命の違う者達が家族となることについてだ。
「異なる寿命ですか……。すみません、私とルシールは大して変わらない……と思います」
ファリオスの返答は、シュメイの予想に反するものだった。
エルフの平均寿命は二百五十年ほど、長生きなら三百歳もあり得る。それに対し他の三種族は平均で六十年から七十年ほど、百歳など稀だ。そしてファリオスはエルフ、ルシールは人族である。
したがって二人は寿命の違いを意識している筈で、自分達が人間と接する上で参考になる。そのようにシュメイは考えていたのだ。
『ルシールさんは長命の術を?』
「そのようです。ここの長、大操殿の見立てでも充分な素質があると……つまりルシールは操命術士になれるようです」
シュメイの言葉に、ファリオスは静かに頷いた。
操命術士は動物達の魂を感じ取って交感する。チュカリが森猿やモアモアと意思を交わせるのも、魂自体で触れ合っているからだ。
全ての操命術士が長命の技を習得するとは限らないが、他より高い確率なのは事実で今も里には会得した者が複数いる。そして彼らの見立てでも、ルシールは優れた素質を備えているそうだ。
「シーシュン君やチュカリ君も素質持ちだとか……お陰でルシールは大喜びです」
『それは……研究対象が増えたからでしょうか?』
どこか乾いた笑みを浮かべるファリオスに、オルムルは恐る恐るといった様子で訊ねた。すると当たっていたのかエルフの青年は僅かに頷いた。
対象こそ違うが、ファリオスも研究に夢中になると周囲を忘れてしまう。そのため彼も強くは言えず、婚約者の好きにさせているそうだ。
『するとルシールさんも二百歳くらいまで?』
『これからの成果を活かせば、もっと長生き出来るかもしれませんね』
シュメイの挙げた数字には根拠があるし、オルムルの指摘も当たりそうだ。
この里には人族で二百歳まで生きたという前例もある。それに治癒魔術や医療に人生を捧げたようなルシールなら、更なる高みに達しても不思議ではない。
「実は本人もそのつもりで……自身が新記録を打ち立てると息巻いています」
『ファリオスさん……あまり嬉しそうじゃありませんね』
何かを堪えるような青年の横顔を見たからだろう。余計なことかと思いつつ、シュメイは思いを言葉にしてしまう。
愛する人が自身と同じ時を生きてくれる。これほど嬉しいことは無いのでは。自身が望んでやまないだけに、シュメイの疑問は大きかった。
シノブは自分達と同じか、それ以上に生きるだろう。しかしシャルロット達はどうなのか。シュメイは家族を失いたくなかった。
自身の父母は炎竜ゴルンとイジェ、忘れたことはないし今でも頻繁に会いに行く。しかしシノブも兄や父のような存在で、シャルロット達も家族だと思っている。
もちろんオルムル達も同様だ。シノブを中心にした魂の繋がりは、種族の違いなど超えている。
しかし寿命という壁は厳然と立ちはだかる。
自分は、そしてシノブは家族の死を見つめながら生きるのか。この恐ろしい想像は常にシュメイの胸にあり、乗り越える方策を求め続けていた。
もし同じだけの寿命があれば、どんなに嬉しいだろう。そう夢見ていたシュメイだが、ファリオスの姿は思い浮かべた喜びとあまりに違っていた。
「私は嬉しいですよ。ですが、これから彼女は親族を看取って生きることになるのです。ご両親はともかく、兄上や甥や姪……もしかすると自分の子や孫も」
ファリオスの指摘に、シュメイは絶句した。それにオルムルも返す言葉がないらしく、項垂れる。
『生まれた子が人族で、長命の素質を持たなければ……』
「ええ……」
シュメイが搾り出した言葉に、ファリオスは重々しく頷く。
自身が見送る側になるのは承知の上。しかし愛する女性に同じ苦しみを背負わせるつもりはなかったと、ファリオスは結ぶ。
「それでも私は貴方と生きたいのです。最愛の人と同じ時を過ごし、同じものを見つめ続けたいのです」
「ルシール……」
背後から響く柔らかな声に、ファリオスは振り向いた。そこには彼の愛する女性、治癒術士のルシールが微笑んでいた。
ファリオスと良く似たプラチナブロンド。しかし女の瞳は琥珀色で、男の碧眼とは違う。それに容姿も男女共に細いエルフとは異なり、一目で他種族の女性と分かる豊かさだ。
「人は全てを手に出来ない……。私は多くの命を看取りました……もちろん助けた命もありますが、幼い子の亡くなる姿も数え切れないほど見ましたよ」
ルシールは独白を続けつつ、頭上の緑へと顔を向けた。
生命の大樹という神秘の存在、歴史が始まったときから聳えるという巨木。医療に己を捧げた女性にとって、特別な意味があるのだろう。
「この里に来るのを望んだのも、命の真実に近づきたかったからです。人のみならず、動物も集う場所……生き方も寿命も異なる者達が集う楽園にして苦界を」
ルシールの声は囁きと呼べるほど小さなものだった。しかしシュメイの耳には彼女の言葉が響き続ける。
長寿のエルフ、長命の術を会得した者達、そして素質がなかった人族や獣人族。この三つが生きる場には、当然ながら苦しみや葛藤が生じるだろう。
操命術士には別の悲しみもある。多くの生き物は人より短命だから、彼らは友とした命を見送ると知りながら接し続けている筈だ。
それはシュメイが抱える悩みと全く同じもの、そこに敢えてルシールは飛び込んだと宣言したのだ。
「だったら、どうして更なる苦しみを……」
「貴方と共にいたいから……先ほど申し上げた通りですわ。それに私、望みを捨てていません」
悲壮な声で問いかけるファリオスに、ルシールは曇りのない笑みで応えた。そして彼女は、より多くが長命の術を使えるように研究すると続けていく。
『私も頑張ります! 大切な人達と一緒にいられるように!』
『ええ、一緒に良い道を探しましょう!』
シュメイは叫びと共に羽を広げ、宙に飛び上がった。するとオルムルも和して、同じく人の頭ほどの高さに昇る。
寿命の違いによる悲しみを避けるなら、かつての超越種達のように人間と距離を置くべきだ。しかし自分はシノブ達と離れたくない。
ならば共に暮らす道を探るしかない。幸せを引き寄せ、少しでも楽園に近づくために。
「その意気ですよ。私達は生き続ける限り、変えていけるのです」
「私も頑張るよ。薬草なら私の方が詳しいし、エルフだからこそ分かる何かがあるかもしれない」
ルシールの微笑みに惹かれたのか、ファリオスは立ち上がる。そして彼は愛する女性の肩を抱き、共に命の秘密に迫ろうと誓う。
そのとき生命の大樹が輝きを強め、辺りは若草色の光に包まれた。それに厳かというべき清い力が、巨木を中心に広がっていく。
「まあ……」
「綺麗だ……」
寄り添う二人は頭上の緑を見上げ、感動の声を漏らす。
次の瞬間、爽やかな風が吹き込んでくる。それも薫風と表現すべき、心安らぎ癒される香りの良さだ。
遠くではチュカリ達も不思議そうに辺りを見回している。しかし声は抑え気味、やはり神秘の出来事と察したようだ。
『きっと励ましです。生命の大樹と、そこに宿るお方の……』
『ええ!』
世界が始まったときから存在する神木と、そこを住まいとする眷属の応援。シュメイの囁きに、オルムルは密やかだが力強い応えを返す。
そして子竜達の言葉を、ファリオスとルシールも輝く笑顔で肯定した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年9月12日(水)17時の更新となります。