27.01 オルムルの夢
岩竜の子オルムルは、夢の中を漂っていた。
眩しい陽光で焦げるような熱を持つ砂、乾いた大地に立つ壮麗なる場。神を祀る場に相応しい白亜の建築物と、囲む庭園に水路。オルムルは自身が夢見ている光景を知っていた。
それは以前訪れたイーディア地方北西部、アーディヴァ王国の大神殿。王都アグーヴァナから程近い、ディヴァプーラという場所だ。
──これは今の光景ですね──
二ヶ月半ほど前の夢と同様に、オルムルは浮遊しながら宙を見回した。
前回の夢で目にしたのは七年前の大神殿、アーディヴァ王国の現国王ジャルダが即位したときの光景だ。このとき大神殿に集ったのは極めて身分が高い者のみで、衣装は色鮮やかで上等なものばかりだった。
しかし今回は様々な人々がいるようで、簡素な服を着けた人々も多い。
つい先日までのアーディヴァ王国は厳格な身分制度で縛られ、しかも大神殿は庶民に開放されていなかった。これは同国を裏から支配した禁術使いヴィルーダが、魔力の少ない者を虐げたからだ。
それどころかヴィルーダは、代々の大神官に乗り移って国王すら操った。初代国王ヴァクダや彼を支えた光翔虎ドゥングも正体を見抜けず、邪術師の暗躍は百八十年以上も続いた。
これを正したのはシノブ達で、しかも今年に入ってからのことだ。したがって現在オルムルが見ているのは極めて最近の出来事だと思われる。
──皆、幸せそうですね……良かった──
地上を行き交う人々の笑顔は、オルムルの心を温かくしてくれた。
ここでシノブやオルムル達はドゥングを解放し、続く戦いでヴィルーダを打ち破った。そして国王ジャルダは邪術から解き放たれ、初代から先代までの八人の王の魂も本来の道へと戻った。
祖霊となった初代国王ヴァクダは自身が興した国を守護し、残る七人の王は冥神ニュテスの腕に抱かれたのだ。
現国王ジャルダも初代の導きで改革に励み、魔力偏重主義を改めた。その結果、大神殿も身分を問わず人が集う場となった。
参道を歩む人々の装いは様々、それに表情も明るく庭園に咲き誇る花々にも負けていない。この参詣者の快活な様子を見れば、幸せ満ちる国になったと誰もが理解するだろう。
──あ、あれはヴァシュカさん!?──
オルムルは聖なる波動が降りてきたと感じ、意識を空に向ける。
陽光に似た輝きを引きつつ舞い降りてくるのは、やはりヴァシュカだった。初代国王ヴァクダの幼なじみの生まれ変わり、今はニュテスに仕えてアーディヴァ王国を担当している眷属である。
先日オルムルが目にしたときと同様に、ヴァシュカは虎の獣人の姿であった。年齢は五歳か六歳程度、しかし単なる少女に飛翔できる筈もない。
しかしヴァシュカの降臨に気付いたのはオルムルだけらしい。参拝客どころか神官達も空を見上げることはない。
──ヴァクダさんに……やはり!──
オルムルの思念は華やぎを増す。
大神殿の上には、初代国王ヴァクダの姿があった。彼は白く輝く尖塔の上に浮かび、ヴァシュカを出迎えたのだ。
ヴァクダは平凡な村の子ダクダとして生まれ、幼なじみの娘ヴァシュカと共に育った。しかし運命は二人を引き離す。
あるとき無法者の一団が村を襲い、ヴァシュカを連れ去った。一方ダクダは幼なじみを取り返そうと村を離れるが、再会できぬまま時が流れて死に別れる。
しかし幼なじみを求めて長く放浪した男は、面に穏やかな笑みを浮かべている。
生ある間には巡り合えなかったものの、祖霊と眷属として長い時を共に出来る。それだけでヴァクダは充分に幸せなのだろう。
もちろんヴァシュカも喜びを顕わにし、愛する男の胸に飛び込んだ。そして長い抱擁を交わした二人は、幸せ溢れる表情で地上の人々を眺める。
建国王は自身が作った国で暮らす者達の笑顔を満足そうに。多くの子供達を守って聖女と呼ばれた女性は慈母の表情で。どちらも天空に座す日輪に比するほど輝いている。
──ヴァシュカさん、ヴァクダさん……良かったですね──
夢と知りつつも、オルムルは祝福の言葉を贈る。
すると宙で寄り添う二人は白き子竜へと振り向き、笑みを深める。どうやらオルムルの思念は二人に届いたらしい。
祖霊ヴァクダと眷属ヴァシュカはオルムルに何か呼びかけ、手招きをする。夢の中だからか声は聞こえぬものの、二人がオルムルを歓迎しているのは明らかだ。
そこでオルムルは二人の側へと念じる。普段の飛翔と違い、ここでは思うだけで前に進めるのだ。
──ドゥングさんはいないのですか?──
オルムルが訊ねると、ヴァクダとヴァシュカは揃って手を上げて宙の一点を示す。
二人が指し示した場所には二頭の光翔虎がいた。どちらも急激に近づいているらしく、光り輝く虎達の姿は見る見るうちに大きくなっていく。
──ドゥングさんとパルティーさんですね! お久しぶりです、オルムルです!──
オルムルも振り向き、寄ってくる二頭へと呼びかける。
パルティーとは二百二十歳くらいの雌で、ドゥングと同じくイーディア地方に棲む光翔虎だ。一方のドゥングは約四百歳と年齢的に釣り合いが良く、先ごろ番となったのだ。
このとき二頭は恩人であるシノブに報告しに来たから、オルムルも揃っての登場に驚くことはない。
ヴァクダはヴァシュカを探して放浪しているとき、修行中のドゥングと出会った。そして彼らは友誼を交わし、今でも親しく交流している。
祖霊と眷属、そして二頭の光翔虎。二組の男女は互いに抱きあい喜びを表す。
──私にも実体があれば……。そうです! 起きたらアーディヴァ王国に!──
夢の中だけでは寂しい。オルムルは起きた後も覚えていたら再訪しようと決心する。
するとヴァクダ達も嬉しげに頷いた。人の姿の二人は笑顔で、光翔虎の二頭は喜びの咆哮で白き子竜に続いたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
幸いオルムルは起床後も夢の大半を覚えており、共に暮らす仲間達にも伝える。ただし彼女は思念のみを用い、魔力波動も抑え目にした。
ここはシノブとシャルロットの愛息リヒトの育児室だ。そして今は日の出前、リヒトどころか共に暮らす半数以上は眠りに就いている。そこでオルムルは起こさないようにと配慮したわけだ。
オルムルを含め、起きた子は『神力の寝台』の上に浮かんでいる。
他には五頭、時計回りに炎竜シュメイ、海竜リタン、嵐竜ラーカ、岩竜ファーヴ、光翔虎のフェイニーだ。全て猫ほどの大きさに変じているから、可愛らしさが先に立つ。
──アーディヴァ王国、行ってみたいですね~! ドゥング兄さんにも会いたいですし~!──
真っ先に同意を示したのはフェイニーで、しかも天井に届きそうなくらい舞い上がる。彼女はドゥングの従姉妹なのだ。
イーディア地方には二組の光翔虎がおり、どちらも二頭ずつ子供がいる。ドゥングには妹のヴァティー、パルティーには双子の兄のヴェーグである。
子供といっても最年少のヴァティーですら百五十歳ほどだが、フェイニーからすれば数少ない同族かつ親族だ。ぜひ行こうと言い出すのも当然だろう。
「フェイニー様?」
「どうなさいました?」
『何でもありません』
脇のソファーに腰掛けていた二人、リヒトの乳母達が顔を動かした。二人は思念を理解できないが、フェイニーの発する光が激しく動いたから何事かと思ったのだろう。
ただしオルムルが平静な声で応じたから、乳母達は再び手元へと顔を向ける。彼女達は待機中を編み物に当てていたのだ。
──シャプラの神泉にも寄ってみたいですね。デューネ様に御礼をしたいですし──
続いて海竜のリタンが興味を示す。彼が海の女神の加護を授かったのは、アーディヴァ王国の東に位置するチャンガーラ王国なのだ。
──あの泉は良いところでしたね!──
──はい! 澄んだ魔力に満ちた場所でした!──
嵐竜ラーカや岩竜ファーヴも乗り気らしい。
シャプラというのはチャンガーラ王国北部の聖地で、見事な神像が並ぶ場所だ。そして神泉は創世期に眷属が開いたというだけあり、魔法薬と呼んでも良いほど濃い魔力を宿している。
超越種達は魔力を糧にしているから、このような場所を好むのだ。
──オルムルお姉さま、シノブさんが来たら誘いましょう!──
炎竜シュメイは育児室の扉へと向き直る。そろそろシノブやシャルロットが来ると思ったのだろう。
ちなみに寝台に横たわる者達、一歳未満の年少者は眠りが深いらしく身じろぎすらしない。
生後およそ九ヶ月の炎竜フェルンに朱潜鳳ディアス、それに半年の玄王亀ケリスは修行の疲れだろう。残る玄王亀タラーク、嵐竜ルーシャ、海竜ラームは今月生まれたばかりだから、まだ睡眠時間が長くて当然だ。
そのため年長者達も彼らを起こさない。
──でも今日は忙しいと言っていたような──
妹分の提案に、オルムルは首を傾げつつ応じた。
この日は創世暦1002年3月22日、ホクカンへの遠征から二日後だ。しかも前日シノブ達はイソミヤの神域に出かけていた。
加えてシノブ達は四日後からアスレア地方歴訪の旅で、片付けるべき仕事も多いのも頷ける。
──シャンジー兄さんが一緒だから大丈夫ですよ~!──
フェイニーは自身が慕う相手を挙げた。
シャンジーはアマノ王国の南に聳えるズード山脈を修行の場としているが、数日に一度は子供達と共に行動する。そして今日の引率係は彼なのだ。
「おはよう。今日はシャンジーとお出かけかな?」
「おはようございます」
育児室の扉を開けたのはシノブとシャルロットだ。
抑えた思念でも、シノブには届いていたようだ。それに彼は妻にも概要を伝えたらしく、シャルロットの顔にも理解の色が浮かんでいる。
──シノブさん、おはようございます!──
オルムルは弾む思念と共にシノブの胸に飛び込む。
毎日のことだが、それでも歓喜を抑えきれない。これは仲間達も同じらしく、フェイニー達もシノブに飛びつき体を寄せている。
それ故オルムルも心の赴くままにシノブの温もりを満喫する。
乳母の二人も日常のことだから驚きはしない。どちらも笑顔で立ち上がると、主達に会釈する。
「アネルダ、イモーネ、お疲れ様。下がって良いよ」
「それでは失礼します」
常と同じくシノブは乳母達を下がらせた。そして彼はオルムル達を抱えたまま、我が子の眠る揺り籠へと向かっていく。
ただしシノブ達が歩む間も思念でのやり取りは続いており、リヒトの側に着く前にオルムルは夢について話し終える。
「……危険はなさそうだから、シャンジーに任せるよ。でも何かあれば遠慮なく呼んでね」
最初シノブの表情は硬かった。しかし今年初めの夢と違って穏やかな内容と理解し、笑みが戻る。
シャンジーやオルムルは通信筒を持っているし、魔法の家の呼び寄せ権限も付与済みだ。連絡や駆けつけも可能、しかも訪ねる相手は祖霊と眷属に超越種である。
そのためシノブは、過保護にしすぎるのも良くないと考えたのだろう。
──はい! お土産はカレーで良いですか!?──
オルムルは嬉しさと同時に少しばかりの寂しさも感じていた。
嬉しさはシノブに信頼されていると思ったから。そして寂しさは今日を共に過ごせないから。相反する心の動きを、オルムルは思念を弾ませて押し隠す。
「ああ、頼むよ。お小遣いはあるよね?」
シノブはオルムルを目の高さへと持ち上げる。
どうやらシノブは、相手の複雑な内心に気付いたらしい。冗談めいた物言いは、そのためだろう。
オルムル達はシノブから小遣いを貰っている。アマノ王国の通貨に加え、金銀の粒などだ。
エウレア地方やアスレア地方などアマノ同盟の中なら両替も可能だが、イーディア地方とは密かな訪問のみで正式な交流がない。そのため今回は金銀を使うことになるだろう。
アーディヴァ王国でも国王ジャルダなど極めて一部はオルムル達を知っている。そのため彼らを通して買うか、人間そっくりの木人に憑依しての買い物だ。
──大丈夫です!──
オルムルはシノブの頬に自身の顔を擦り付ける。
シノブには自身の心が伝わっている。それはオルムルにとって何よりも嬉しく誇らしいことだった。
◆ ◆ ◆ ◆
イーディア地方の北に聳えるマハーリャ山脈には、転移の神像がある。ただし標高7000m以上だから、シノブやアミィ達の他には超越種しか知らない。
シノブとアミィは光翔虎達の棲家の近くにも転移の神像を作ったが、これらは南部でアーディヴァ王国から遠い。そこでオルムル達はマハーリャ山脈の神像を選んだ。
まずは麓のシャプラに赴いて参拝し、神泉の水もいただく。それからディヴァプーラ、アーディヴァ王国の大神殿へと天駆ける。
飛翔が苦手な海竜リタンと玄王亀ケリス、生後半月少々で浮遊すら出来ない玄王亀タラークに嵐竜ルーシャ、海竜ラームはシャンジーの背に乗っている。
ちなみに距離は900kmほど、急いで飛んでも四時間を超える。そのため帰りは魔法の家を使うようにとシノブは勧めていた。
同行しない辺りシノブも成長を認めてくれたのだろうが、まだ子供扱いではとオルムルは思ってしまう。
シャンジーやフェイニーは姿消しを使っているし、自分達も透明化の魔道具を借りているから危険はない筈だ。もっともシノブや神々なら容易に気付くだろうから、絶対に安全と言い切れないのは確かだが。
──よくぞ参られた!──
──ようこそ!──
──久しぶりだな!──
──本当に!──
大神殿の上空では二人と二頭が待っていた。
ヴァクダとヴァシュカ、ドゥングとパルティーはオルムル達が来ると知っていたらしい。思念での呼びかけに歓迎の華やぎはあるが、驚きは感じられない。
地上には多くの人がいるが、誰一人として気付いていないようだ。流石は祖霊と眷属だけあり、彼らは自身の存在を伝えたい相手だけに示しているらしい。
ドゥングとパルティーは姿消しを使えるから当然としても、ヴァクダ達の隠形にはオルムルも感嘆するのみである。
──私達が来るの、知っていたのですか~?──
──ああ。ヴァシュカが教えてくれたよ──
──私はニュテス様に教えていただいたの──
疑念を顕わにしたフェイニーに、ヴァクダとヴァシュカが種明かしをする。
ニュテスは闇の神で夢も管轄しているから、オルムルが何を見たか知っていても不思議ではない。そもそも彼が夢を通してオルムルに働きかけた可能性すらある。
──ニュテス様が……どうしてでしょう?──
オルムルは納得しつつも、神々が助力してくれるような重大事があるのだろうかと身構える。しかしヴァシュカ達は落ち着いた様子で、とても異変があったとは思えない。
──実はね……貴女がジャルダの即位を夢に見たのは、ニュテス様のお力によるものだったの。半覚醒のドゥングが思い浮かべた記憶を貴女の夢としたの──
ヴァシュカによると、オルムルが選ばれたのはアムテリアの加護があるからだそうだ。加護により得た感応力が、夢として渡すのに必要だったからだという。
そうやってニュテスはシノブを更なる試練に誘ったわけだ。
──理由が分からないままだと心配だろうからって仰っていたわ。それとカンの件が終わるまでは、シノブ様に伏せておきたかったそうよ──
──そうだったのですか……ありがとうございます!──
どこか済まなげな表情で締めくくるヴァシュカに、オルムルは心からの謝意を伝える。
確かに謎の夢は心に引っかかっていた。どうして自分だけ、また同じような夢を見るのかなど、疑問や不安は幾つもあったからだ。
しかし神々の計らいなら心配はいらない。むしろ自分を選んでくれて光栄、シノブの役に立てて良かったと思うくらいだ。
──あっ! ニュテス様にもお礼したいのですが……お伝えいただけますでしょうか!?──
オルムルは勇気を出してヴァシュカに頼み込む。
何しろ相手は神々に仕える存在である。しかも実体を持ったアミィ達と違い、ヴァシュカは眷属本来の力を保っている。
それらを神から授かった感応力が伝えてくれるから、気後れしてしまったのだ。
──もちろんよ!──
ヴァシュカは朗らかな声で応じ、顔も大きく綻ばせる。どうやら彼女はオルムル達の緊張を解そうとしたらしい。
幼い少女の外見だから、天真爛漫な笑みが良く似合う。相手の気遣いと知りつつも、オルムルは思わず見とれてしまった。
──あっ、あの! 私、いつ飛べるようになるでしょうか!?──
嵐竜ルーシャが唐突とも思える問いを発する。どうも彼女は、相手の気安い表情や声に釣られたらしい。
──えっと……貴女は嵐竜だから早いわよ。でも何日目かは答えられないわね──
どうもヴァシュカはニュテスに許可を求めたらしい。
一瞬の空白と間に発した魔力波動。それらがオルムルに真実を教えてくれた。
──私が海で泳げるのは!?──
──僕の地中潜行は、いつでしょう!?──
──おっ、落っこちるよ~!──
同じことを海竜ラームと玄王亀タラークも感じ取ったらしい。二頭は興奮も顕わに身を乗り出し、乗せているシャンジーが慌てて魔力で押さえる。
──慌てなくても答えるわよ。それに皆も遠慮なくどうぞ──
一方のヴァシュカだが笑いを堪えつつも、応じていく。
まるで小さな子を相手にするような様子は、幼い外見に不釣り合いだ。しかし百数十年を眷属として過ごしているからか、姉のような表情や態度は堂に入ってすらいる。
──僕の加護は何でしょう!?──
──僕も教えてください!──
ついには炎竜フェルンや朱潜鳳ディアス、更に他の子まで訊ね始める。
好奇心旺盛なフェイニーは早々と、落ち着き溢れるシュメイやケリスも我慢しきれなくなったようで思念を揺らしつつ。シャンジーは百歳を超えたからと遠慮しているらしいが、彼も尻尾を大きく揺らしていた。
──あの……私──
──なあに?──
仲間達の姿が、そして相手の微笑みがオルムルの気持ちを後押しする。そのためか普段は胸の内に仕舞っていた問いは、思いのほか容易に思念と化していた。
◆ ◆ ◆ ◆
眷属や祖霊と語らい、年長の光翔虎達に遊んでもらい。オルムル達は楽しい時を過ごした後、夕暮れ近い王都アグーヴァナへと向かう。
ヴァシュカやヴァクダとは別れ、案内役はドゥングとパルティーのみだ。訪ねる相手はアーディヴァ王国の現国王ジャルダ、金銀の粒をこちらの貨幣に換えてもらうためである。
ドゥングは建国王ヴァクダの親友、それを知っているジャルダは多大なる敬意を払っている。それにオルムル達も禁術使いヴィルーダ退治に加わっているから、両替所のような扱いでも大歓迎だ。
「沢山もらっちゃいましたね~」
「シノブさんからいただいた金や銀、受け取ってもらえませんでした」
ほろ苦い笑みを浮かべつつ歩むのは、フェイニーとシュメイが宿った木人だ。もちろん人間の少女そっくりで服もアーディヴァ王国のものだから、誰も超越種などと気付きはしない。
オルムル達も木人に憑依し、それを案内かつ護衛の武官達が囲んでいる。これらの武官は国王ジャルダの側近達だ。
アグーヴァナの城内で魔法のカバンを呼び寄せ、憑依術を習得した者は木人に乗り移った。そして憑依した者の体はドゥングとパルティーが預かっている。
まだ憑依できないケリス、タラーク、ルーシャ、ラームの四頭はシャンジーの背の上だ。
「ちょっと大げさではないでしょうか?」
「いえ、陛下から厳命されておりますので」
見上げたオルムルに、美麗な鎧を着けた男性が真顔で応じる。
十数名の武官に守られているから、通りを歩む者達も早々と道を譲っていく。オルムル達は十歳くらいの少年少女に扮しているから、周囲は貴人の子供達と受け取ったらしい。
「お、お嬢様! どうかウチを覗いていってくださいまし!」
「お坊ちゃま! お土産物を探していらっしゃるなら、我が商会でどうぞ!」
つい先日まで厳しい身分制度で縛られていただけあり、客引きも遠慮がちに呼びかけるのみだ。この辺りは城にも近い上級街なのだが、明らかに腰が引けている。
現国王ジャルダが新制度を打ち出してから二ヶ月程度、既に魔力での階級分けは過去のものとなった。しかしオルムル達を守っているのは王城の武官、それも高位に属する者達だから万一のことがあってはと思ってしまうのだろう。
とはいえ大臣や太守の子なら、大儲けは間違いない。そのため商人達は恐れつつも声をかけずにいられないようだ。
「その……」
「カレーでございましたね。……あちらが良さそうです」
ラーカに頷き返した武官は、料理店の一つを指差した。どうやら普通に飲食する店のようだが、土産物も扱っているらしい。
──大丈夫でしょうか?──
──お任せするしかありませんね……木人には味覚がありませんから。オルムルお姉さまは……お姉さま?──
問うたリタンに頷き返したものの、シュメイは少々不安になったらしい。彼女は姉と慕うオルムルに意見を求める。
──あっ……ええ、問題ないと思いますよ──
とあることが気になり、オルムルは空を見上げていた。ただし懸念は些細なことで、妹分に微笑み返すと共に店内に入っていった。
武官の好みはアーディヴァ王国だと一般的なものらしく、店は多くの客で賑わっていた。
シノブ達の舌に合うか分からないが、その辺りはアミィ達が上手く調整してくれるだろう。そう思ったオルムルは、勧められるままに土産用のカレーを購入した。
「他にも名物は沢山あります。ぜひお持ち帰りください」
「ええ、お願いします!」
カレーと共に食すナンや、イーディア地方特産の果物や酒など。武官達が味見し、彼らのお勧めをオルムル達が買っていく。
「あの店はどうでしょう!?」
「僕はあっちの方が良いと思うけど!」
「どちらも回ってみましょう」
フェルンは右、ディアスは左の店を指差す。彼らが憑依できるようになったのは最近だから、嬉しくて仕方ないのだ。
しかし武官達は嫌な顔一つせず案内を続ける。彼らは憑依の瞬間も目にしており、相手が超越種だと知っているのだ。
そのため城に戻ったのは日没後、オルムル達は抱えきれぬほどの土産と共に魔法の家に入っていった。
「……美味い! 皆、ありがとう!」
『良かったです!』
シノブの微笑みに、オルムルはホッとした。
アグーヴァナとアマノシュタットの時差は四時間近い。そのため戻ってから夕食まで数時間あり、カレーの辛さを抑える余裕もあったのだ。
味わうのはシノブを始めとするアマノ王家、更にアミィにタミィ、そして新たに加わったシャミィの七人だ。ちなみに王子リヒトも幼児椅子に座っているが、今日は彼の口に合う食べ物はなく見物のみだ。
「う~!」
『リヒト~、少し待ちましょうね~!』
不満げなリヒトに、オルムルは羽ばたき寄っていく。
既に仲間達も含め、全員が元の体に戻っている。そして現在リヒトと共に暮らす全ての子が、テーブルに着いていた。
超越種は調理したものを食べないから、食事の場に同席することは稀だ。しかし今日は自分達が買ってきた土産だから、見るだけでもと集ったのだ。
「オルムル、なんだか楽しそうだね。……良いことがあったの?」
『実はヴァシュカさんが……』
シノブの問いかけに、嵐竜ラーカが口を滑らせそうになった。内緒にしようと約束したのだが、ラーカは忘れてしまったらしい。
『ラーカ! ……今は秘密です。でも、とっても良いことです!』
オルムルは急いで割り込んだが、シノブを心配させたくないから一言だけ添えた。そのため怪訝そうだった彼の顔は、普段の穏やかな表情に戻る。
オルムルは自分もシノブ達と同じものを楽しめないかと、ヴァシュカに訊ねた。
木人は殆どの点で人間そっくりだが味覚は存在せず、オルムルは残念に思っていた。かといって竜の体で人間の食べ物を味わう気にならない。
やはり竜と人間では味覚が大きく異なるらしい。以前オルムルは少しだけ試したことがあるが、美味しいと思えなかったのだ。
しかしヴァシュカは、近いうちに何らかの解決法を得られると答えた。これもニュテスに問い合わせたようで、彼女は満面の笑みで保証したのだ。
だからオルムルは、その日を楽しみに待つことにした。いつの日かシノブと同じものを味わい、笑みを交わす時を。
「それじゃ楽しみに取っておくよ」
「ええ。とても素敵なことのようですから」
『ありがとうございます!』
シノブとシャルロットの微笑みは、オルムルの胸に僅かにあった不安を払ってくれた。我がままを言ったとは思っていたのだ。
これで心配事の一つは失せた。そこでオルムルは残る一つを訊ねることにした。
『あの、今日はミリィさんが……そんなに心配だったのでしょうか?』
アグーヴァナの街に出たころから、オルムルは上空にミリィの魔力を感じていた。
シノブが念のためにミリィを付けてくれたのだろうと、オルムルは考えた。しかし自分達は頼りないのだろうかと、残念に思いもしたのだ。
「俺は反対したんだけどね……。でもミリィが初めてのお使いを記録しておこうって……」
「そんなことがあったのですか!」
「私達が出かけた後ですの?」
シノブは頭を掻きつつ応じると、ミュリエルとセレスティーヌが驚きの表情となる。ミリィがアマノシュタットに戻ってきたのは、二人が自身の職場に向かった後だったのだ。
タミィとシャミィも知らなかったようで目を丸くしている。この二人の職場はアマノシュタットの大神殿だから、ミリィが戻ってきたことにも気付かなかったのだろう。
『それじゃ、僕が浮かれて走り回ったのも……』
『僕もですね……』
炎竜フェルンと朱潜鳳ディアスは、顔を見合わせていた。どちらも人間そっくりに化けての買い物に大はしゃぎだったが、その様子を映像の魔道装置で記録していたとは思いもしなかったのだろう。
「お望みでしたら編集して消しますよ?」
「それに、まだ見ていませんから!」
「ええと……恥ずかしくないと思います」
アミィが削除できると言い出すと、タミィは視聴前だと続ける。一方シャミィはフェルンとディアスが一歳にもならないと思い出したようで、慰めらしき言葉を添える。
『お願いします!』
『あの、やり方を教えてください! 自分で消します!』
「そこまでしなくても……」
どちらも羽を大きく広げ、アミィ達へと飛んでいく。その必死な様子が面白かったらしく、シノブは声を上げて笑い始めた。
──やっぱりシノブさんと一緒に笑いたいです──
──オルムルお姉さま……きっと叶いますよ──
オルムルはシュメイだけに思念を送った。
少しでもシノブと同じ世界を感じたい。彼に僅かでも近づきたい。そして可能な限り共に生きたい。溢れる想いを誰かに伝えずにはいられなかったのだ。
──ええ! そのときが早く来るよう、頑張ります!──
幸いヴァシュカは何らかの方法があると示してくれた。だからオルムルは明るく妹分に応じる。
夢に向かって歩み続けると胸の内で誓いながら。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年9月8日(土)17時の更新となります。




