26.26 一人と一羽と一頭と
金鵄族のホリィと光翔虎のシャンジーは、ホクカンの都ローヤンへと飛翔している。しかし前者は透明化の魔道具、後者は種族に備わる技能の姿消しを使っているから誰も気付きはしない。
シャンジーは普通の虎くらいの大きさに変じ、背にアルバーノのみを乗せていた。他は潜伏場所に選んだ北の森に残しての行動だ。
向かうはローヤンの治療院、禁術使いの巣窟らしき場所。それ故アルバーノ以外には荷が重いと判断したのだ。
アルバーノが率いてきた中には諜報員のセデジオとミリテオもいるが、やはり数段落ちるのは否めない。アルバーノは超越種も認めた隠密名人、アマノ王国どころか同盟各国にも名を轟かせる姿なき狩人だからである。
ましてや本格的に隠形を学んでいない女騎士三人や、まだ修行を始めたばかりのミケリーノだと足手まといは確実だ。これはナンカンの葛師迅、『華の里』の美操など若き術士達も同じだから置いていく。
セデジオとミリテオは街での聞き込みをすると主張したが、状況次第では一目散に撤退する可能性もある。そのとき彼らを回収する余裕があるとは限らないから、アルバーノは同行を認めなかった。
第一、助けた少女任陽明もいる。ヤンミンは魔術の才能があるし武術の手ほどきも受けているが、僅か十三歳だから充分な護衛がなければ森では危うい。
したがってアルバーノならずとも、多くの守りを付けるだろう。
『ホクカン皇帝家とは、どのような一族なのでしょう?』
今のホリィは鷹の姿だから、発声の術を使ってアルバーノに語りかけた。彼女はシャンジーの至近を飛んでいるから、充分に音が届くのだ。
まだホリィはカン地方に来たばかりだから、ホクカンに詳しくない。
一昨日までホリィはスワンナム地方のバマール王国にいた。かつてカンから追放され二百年以上前にイーディア地方に渡った大戮、行った先ではヴィルーダと名乗った男の足取りを追うためだ。
ただしダールーはバマール王国を通り抜けただけらしく足跡を残しておらず、ホリィは現状問題ないとしてカンを担当するミリィの補佐に回った。したがって彼女は概要を頭に入れているものの、詳しい者から更に聞きたかったのだろう。
潜伏場所として選んだ森はローヤンの遥か北で、到着まで一時間ほどもある。その間を無駄にしない真面目なところは、如何にもホリィらしい選択だ。
「現在の要注意人物は、皇帝の曹紫煌と皇太子の垣重でしょうか。シファンは四十歳、ユェンヂョンは十五歳です」
アルバーノは皇帝家の面々を並べていく。
シファンには妻が二人、更にユェンヂョンの下に娘が二人いる。また先帝は没したが彼の妻二人は存命だ。この合わせて八人が現皇帝家だが、女性達は後宮から殆ど出ないらしく情報が少ない。
「全員人族ですね。代々のホクカン皇帝は、ほぼ例外なく人族の妻を迎えたようです。もっとも完全に他種族を拒んだのではなく、二百年ほどの歴史には獣人族の妃もいます。それに皇帝となる前、カン帝国の重臣だったころは更に多かったとか」
アルバーノは猫の獣人だ。そのため人族のみというのが気に入らないのか、眉を顰めている。
現在は創世暦1002年。ホクカン、ナンカン、セイカンの成立が創世暦800年ごろだ。
それより前は荒禁の乱という禁術使いが横行した時代で、創世暦680年ごろにカン帝国が崩壊してから二百二十年ほども続いた。
ちなみにカン帝国の誕生は創世暦452年、およそ二百三十年も現在の三国に相当する地を統べた。しかもカン地方西部の国々も属領や朝貢国とし、地方全体を制覇したと表現できる規模だ。
ツァオ一族は、このカン帝国建国を助けた人物を祖としている。これはナンカン皇帝家の孫一族も同様だが、建国時の大功で高位に就きカン皇帝家とも血縁という名家中の名家である。
スン家は種族に拘らず、人族と獣人族の双方がいた。そしてカン帝国時代のツァオ家は彼らから妻を迎えることがあり、獣人族も加わったわけだ。
しかし三国に分裂してからのツァオ家は、ほぼ人族のみで固めるようになったらしい。
「皇帝シファンは頭脳明晰、魔術と武術の双方に優れるという噂です。これはウーロウ攻防戦で捕らえた武将達も証言しており、間違いないでしょう。
皇太子のユェンヂョンは正直なところ情報不足です。普段は宮城の奥にいるらしく、主な儀式の際に顔を出す程度とか……」
アルバーノは不審げな表情となり、言葉を区切る。
他と同じく、カン地方も十五歳で成人だ。つまりユェンヂョンは若いが一人前で、奥に篭もっているなど許されない歳である。
むしろ先日のナンカン侵攻、アルバーノが口にしたウーロウ攻防戦のように重要な戦いなら形だけでも総大将になるべきだ。別に危険なナンカン側まで渡らずとも、ジヤン川を挟んで対岸の自国内に総本陣を置いて留まれば良い。
勝てば何もせずに箔が付くし、負けても形ばかりの総司令で実際の指揮は配下だから不名誉ではない。臣下や国民も、十五歳で初陣の皇太子に敗戦の責を押し付けはしないだろう。
『臆病者なのかな~?』
不愉快そうな声を発したのはシャンジーだ。
光翔虎は強さを非常に重視し、同族間の序列も決闘の勝敗で決める。そのためシャンジーは、外に出ない上に戦いも避ける皇太子が気に食わないのだろう。
「どうでしょう? 皇帝の息子は彼だけですから大事を取っているのかもしれません。……残りの娘二人ですが、まだ十歳と五歳ですから対象外で良いと思います。またカン地方は男子優先の傾向が強く、三国とも女帝の例はないとか……これは私見ですが皇帝と先帝の妃達も後回しで充分かと」
妃達が裏から皇帝を操っている可能性はある。ただし後宮から出ないなら限度はある筈と、アルバーノは言い添える。
もちろん符術や魔術を使えば遠方からでも言いなりに出来るが、それならそれで先に皇帝や皇太子を調べて術の有無を確かめるべきだろう。
そしてアルバーノは、ホリィやシャンジーなら容易に確認できると信じているようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アルバーノの人物評が終わった後、ホリィは暫く無言のままだった。どうも何かを思案しているようで、青い鷹の飛翔速度は僅かに落ちてすらいる。
しかし心を決めたらしく、ホリィはシャンジーの背に舞い降りると猫の獣人に姿を変えた。
「ホリィ様?」
後ろを振り返ったアルバーノは、表情を改めていた。予定外の行動に、彼は並々ならぬことだと察したのだろう。
「ミリィから聞いたのですが、カン帝国誕生を支援した聖人……小无という人物は建国を見届けずに消えたそうですね?」
「はい。ナンカンに残る書物でも、そうなっています。……ナンカン皇帝家の祖は初代カン皇帝劉大濟の片腕、ホクカン皇帝家の祖も含め兄弟のように親しかったそうです。それだけ深い仲ですから、五百五十年以上前のことでも正しく把握しているでしょう」
ホリィの問いに、アルバーノは自信ありげな様子で応じた。
シャオウーという人物は、おそらく眷属だろう。したがって他より遥かに長寿な筈で、役目の途中で消えるなど理解しがたい。
ナンカン大神殿の蔵書はシャオウーが去った経緯を明確に記していないが、どうも建国の十年ほど前に当たる創世暦440年ごろに消えたようだ。このころダージー達は一定の領土を得ていたが、周辺には多くの敵対勢力が残っており無事に建国できるか分からない。
つまりシャオウーの使命がカン地方の安定化や統一の支援なら、まだ道半ばという状況である。
「……狂屍術士の祖師、神角大仙はシャオウーの弟子だったとか。つまりシェンジャオ大仙は眷属に学び、更に五百六十年ほども生きた存在です」
ホリィはシャオウーが眷属だと断言した。
もちろん状況からすれば、シャオウーが神々の使徒であるのは間違いない。しかしアミィを含めシノブを支える眷属達が自身や仲間の出自を明言するなど、非常に稀なことだ。
まだ地上の人々は神界について知るべき時を迎えていない。どうやらアムテリアを始めとする神々は、こう考えているらしい。
そのためシノブ達も触れるのを最低限にしている。シノブはアルバーノなど極めて一部の者には自身の真の来歴を伝えたしアミィ達も同じように眷属だと示したが、それらも言葉を選びつつ語れるところを語っただけだ。
「……祖霊と化している可能性が?」
「あくまで推測ですが。狂屍術士は、長命の術より新たな体への乗り換えを選びました……言い換えると、魂として存在し続ける術を会得しつつあるのです。
よほどの術士でも乗り換えのみで、祖霊のように肉体を脱して在り続けるまでに至っていない筈です。しかし別して長い歳月を経たシェンジャオ大仙なら……」
驚きを滲ませるアルバーノに、ホリィは真顔で頷き返す。
祖霊とは神への第一歩を踏み出した者だ。この惑星では神と明確に区別しているが、日本のような信仰形態なら神に加えられるだろう高位の存在である。
ただし祖霊には善悪双方の存在がおり、星を導くために働いているとは限らない。
善なる祖霊であればアムテリア達を祀る神殿に宿ることもあるし、配下として働きもする。一方で悪心を持つ祖霊は、己の欲望を満たすべく好き勝手に振舞うという。
多くの場合、悪の祖霊も神々の裁きを恐れて派手な行動を控えるらしい。それに神々は彼らの改心を望んでおり、目に余ることがなければ静観する。
しかしシェンジャオ大仙は少々違うようだ。荒禁の乱の後は人前に姿を現さないが、もし祖霊となってホクカン皇帝家を操っているなら大問題である。
『ボクやホリィ殿より強いかもってこと~?』
シャンジーは意外そうな様子だった。彼はシノブ以外の人間に負けたことがないから、それほどの相手だと思っていなかったのだろう。
「その可能性はあります。……アルバーノさん、これから語ることは内密にお願いしたいのですが」
「はっ! 絶対に秘匿します!」
ホリィは若き光翔虎に応えると、今度はアルバーノに秘密厳守を求める。一方のアルバーノだが最大級の秘事と察したらしく、司令官と同席した新兵のように畏まる。
「私達はアムテリア様の眷属ですが、今はシノブ様の眷属でもあります。しかしシノブ様は成長中、大神と讃えられるアムテリア様に及ぶ筈がありません。したがって私達の力も相応の域に制限されています……もし祖霊でも神に近い存在なら、後れを取るかもしれません」
仮に神に近いならとホリィは前置きした上で、魔力や武力では勝っても感知能力では劣るかもしれないと続けた。
特に今回は相手の本拠地を探るわけだから、思わぬ罠が仕掛けられている可能性がある。そして狂屍術士の得手の一つは、魔力を発しない符を伏せての警戒だ。
「もちろんシノブ様は別です。邪神達を倒した神力をお持ちですから、神に至っていない祖霊に負けはしません」
「お教えくださりありがとうございます。……つまり我らは、シノブ様が来るまでに周辺を調べれば良いのでしょうか?」
『治療院はどうするの~?』
ホリィがシノブの勝利を保証すると、アルバーノ達の雰囲気は和らいだ。そして彼らは自身のすべきことを訊ねる。
ローヤンの中央治療院は禁術使いの巣窟らしい。そこにも手出し出来ないなら、街を探るのみに留めるのか。
しかしシャンジーは、街だけでは不満らしい。おそらく彼としては、シノブが来るまでに一定の成果を上げておきたいのだろう。
「治療院は調べましょう。多くの人が出入りする場所ですから、罠も仕掛けづらい筈ですし……それにシェンジャオ大仙がホクカンを操っているなら、やはり宮城か大神殿にいると思います」
大神殿と口にしたとき、ホリィは不快感を顕わにしていた。神殿に悪の祖霊が宿っているなど、神々の眷属として許しがたく思ったのだろう。
しかしイーディア地方のアーディヴァ王国では、禁術使いが大神殿を己の場としていた。カンから渡ったダールー、向こうではヴィルーダと名乗った男はアーディヴァ王国の初代大神官となったのだ。
更にヴィルーダは大神殿の地下に光翔虎ドゥングの力を吸い取る魔法装置を構築し、自身は二代目以降の大神官の体を乗っ取って生き続けた。既にシノブ達が彼を倒したが、なんと百八十年もアーディヴァ王国を裏から支配し続けたのだ。
「なるほど……確かに国を乗っ取ろうとする邪霊の考えそうなことですな」
『そうだね~。ともかく治療院に急ぐか~』
アルバーノは納得の表情となり、シャンジーは飛翔速度を上げていく。とはいえ光り輝く若虎の口調は普段と同じで、頭上に輝く春の優しい日輪を思わせる穏やかさだった。
◆ ◆ ◆ ◆
アルバーノが長を務める情報局は、ヤンミンを追いかけたローヤンの治癒術士の尋問を一通り終えていた。これは眷属の二人、アミィとタミィが強力な催眠魔術を行使したからだ。
治癒術士は十人もいるから、聞き出せたことは多かった。彼らは狂屍術士でも若輩で祖師シェンジャオ大仙など中枢部には疎いが、これから潜入する治療院の仕組みは熟知していたのだ。
その中には吸い上げた魂の行き先もあった。
治癒術士達への尋問で、魂を封じた魔道具をどこに移すか大よそ分かった。そこでホリィ達は、彼らの証言に沿って確かめるつもりであった。
ただし用もなく治療院に入るわけにはいかない。これから行く場所は常に人がいるし、しかも広いとは言い難い。
そこでホリィ達は、ある演技をしていた。
「今朝から娘が高熱を出しまして……。それに酷い咳が……」
「ゴホッ! ゴホッ!」
アルバーノが父親役、ホリィが娘役。前者は元から猫の獣人、後者はアムテリアの神具による変身で同じ種族となった。
この神具は変装の魔道具と違って本当に種族や姿が変わるから、治癒術士が診察しても正体が露見する心配はない。それに外見年齢も親子らしく見える範囲に収まっている。
アルバーノの実年齢は四十一歳だが二十代後半としか思えないし、ホリィは十歳程度の容姿だ。成人年齢は十五歳だから早めの結婚ならあり得るし、アルバーノを少々若作りとしたから受付の確認でも怪しまれずに済んだ。
衣装はチャイナ服に似た長袖の上衣と長ズボンである。もちろん街の者が着る程度の一般的な品で、どちらも無地で刺繍もない。
しかも双方とも安手の麻製で、ところどころ布を継いで繕っている。
その上アルバーノ達は魔力も抑えていた。
アルバーノは隠形術の一種で抑制、ホリィは眷属として学んだ技で外に出る波動を常人並みに絞っている。そのため感知能力が高い筈の治癒術士も、完全に騙されているようだ。
「わざわざ中央まで来なくとも良かろうに。南区にも治療院はあるだろう?」
治癒術士の男は二十歳前後らしき若さにも関わらず、随分と横柄な態度だった。
確かに南にも小規模な治療院が幾つか存在する。そしてアルバーノ達が示した身分証には南の外れの街区と記されているから、そちらに行けば良いと思うのも当然だ。
しかし治癒術士の言動からは診察を拒む意思が明らかで、医療に携わる者とは思えない。
カンの都は北に宮城や官衙など国の施設や高級街があり、南に行くほど貧しい者の暮らす場となる。つまり、この治癒術士はアルバーノ達を貧民だからと差別しているわけだ。
「申し訳ありません。あまりに酷いので、なるべく腕の良い方にと……。これは些少ですが、どうぞお納めください」
アルバーノは肩に掛けていた革袋からズッシリと重い包みを取り出し、治癒術士に渡す。
これは正規の治療代とは別の付け届けだ。怪しまれないように銅貨などを中心にしているが、かなりの額というのは袋の大きさだけでも判断できるだろう。
「おお、良い心がけだ! 娘、そこに寝なさい!」
袋の中身を確かめた治癒術士は、態度を一変させる。そして彼はホリィに顔を向け、脇にある寝台を指し示した。
身分証は偽造だが本物そっくり、加えて充分な謝礼まである。そのため治癒術士は二人を全く疑っていないらしい。
ただし袋を覗いて目を輝かせた様子からすると、もし身分証が偽りだと見抜いても診察を続けるかもしれない。
「は、はい……」
ホリィは弱々しい声で答えると、指示通り寝台に横たわる。
この診察室は狭く、他には薬棚に治癒術士が使う机と彼が座っている椅子しかない。そのためアルバーノは立ったままである。
ここは若手の治癒術士が練習がてら治療をする部屋で、アルバーノ達を貧民と判断した受付係が見習いを終えたばかりの男に宛がったのだ。
もっとも、こうなるように仕向けたのはアルバーノ達だった。二人は敢えて貧しそうな身なりに扮し、治癒術士一人しかいない部屋に通されるようにした。
このような手間をかけたのは、ある任務をシャンジーにこなしてもらうためである。
「娘、よく見ると結構な美形だな」
どこか粘りのある笑いを浮かべた治癒術士は、ホリィの額に手を伸ばす。
ちなみにホリィだが、わざと体内魔力に異常な動きをさせて体温を上げている。そのため治癒術士は不審に思わなかったらしく、更にホリィの頬や唇などに手を当てていた。
「あ、ありがとうございます……。ゴホッ、ゴホッ……」
治癒術士の褒め言葉に、ホリィは僅かに眉を顰めた。どうも彼女は、相手の視線や動作に不快感を覚えたらしい。
誤魔化すためか、ホリィは咳を何度か繰り返す。そして音に紛れるようにして、シャンジーが動く。
──行ってきます~──
猫ほどに小さくなっていたシャンジーは、アルバーノの背から離れる。もちろん姿消しを使っているし思念の対象はホリィだけに限定しているから、治癒術士は気付かないままだ。
小さくなる腕輪を使うと、体外に放出される魔力も比例して少なくなる。特に今は普段より遥かに小さくなっているから、魔力に敏感な優れた術士でも察するのは不可能だろう。
浮遊と呼ぶべき緩やかな移動で、シャンジーは治癒術士の後ろ側、寝台と反対の壁に向かっていく。
シャンジーの行き先は机の置かれた脇、壁に二つの丸い穴がある場所だ。大きさは頭が入る程度、今の彼なら充分に潜れる。
穴といっても蓋があって向こう側は見えない。これは押せば開くらしく、上に蝶番があるだけだ。
捕らえた治癒術士によると、彼らは魂を入れた魔道具を診察室にある穴に投じるそうだ。穴の繋がっている先は彼らも知らないが、中央の治療院にしか存在しないのは確からしい。
出先や中央以外の治療院で得た魂も、ここに持ってきて同様に穴に入れる。落ちた音は聞こえないから、おそらくは斜面になっているのではないか。捕らえた者達は、そのように供述した。
そこで小さくなる腕輪を持つシャンジーが穴に入り、どのようになっているか探るのだ。
シャンジーは二つの穴の手前で暫く留まった。そして彼は鼻先を僅かに動かしながら、穴の匂いを嗅いでいく。
治癒術士達によれば、片方は廃棄する薬品やゴミを投じる場所だという。そこでシャンジーは嗅覚で確かめているのだ。
ただし留まっていたのは僅かな間で、若き光翔虎は右の穴に入る。
◆ ◆ ◆ ◆
シャンジーは斜めに降る穴の中を飛翔していく。もはや魔力を隠す必要はないから、彼は人間の疾走を超える速度で飛び抜けている。
それ故シャンジーは、僅かな間で地下室へと抜け出る。おそらく治療院の真下、地下一階か二階に相当する深さに一般家屋の二軒や三軒は入りそうな広間があったのだ。
広間の壁には数多くの穴が開いており、それぞれの下には籠が置かれている。これで魂の入った魔道具を受けるのだろう。
斜面は緩やかで大して長くもないし、籠の底には厚い毛布が敷かれている。ヤンミンの父の魂を封じていた魔道具は随分と丈夫だったから、これだけの備えがあれば壊れはしない。
──例の魔道具か……あれは仕舞っている?──
シャンジーは普段と異なる憂いの滲む思念を発した。といっても独り言に相当するもので、魔力波動も殆ど動かない。
部屋の中央には本棚のようなものが十列ほど並んでいる。そこと籠の間を何人かの若い男が行き来し、魂を入れた魔道具を運んでいた。
どうやら一旦は棚に集めるらしい。おそらく一定の期間か量ごとに運び出すのだろう。
「ここ暫く筒の量が多いな。かなり棚が埋まってきたぞ」
「ウーロウ攻めが失敗したからな。おそらく従軍者の分だろう」
運ぶ男達、おそらくは禁術使いなのだろうが退屈な仕事に飽きたのか噂話をしている。何しろ地下室で筒を拾って棚に持っていくだけだから、気が緩むのも無理はないだろう。
「ああ、武人の魂が多いようだな……今度も武人のものだ。しかし、この分だと棚から溢れてしまうぞ」
筒には何種類かあり、表面の模様で持っていく棚を決めているらしい。しかし頭を使うのはその程度、後は単なる往復である。
「心配するな。明日には運び出しの係が来る……。それに負傷者を戦傷死に見せかけるのも、そろそろ終わりだろう」
「そうだな。戦の直後なら自然だが、時間が経てばポックリ逝かせるのも怪しまれる」
「ああ。それに当分は行商人狩りや貧民狩りをしなくても良いんじゃないか?」
やはりホクカンの治癒術士が組織的に魂を集めているのは事実だった。しかも彼らは罪なき民を殺した上に、負傷者も怪我による死に見せかけて魂を抜き取っているようだ。
しかし最も恐ろしいのは、これらの所業に男達が平然としていることだ。彼らは慣れきってしまったらしく、日常の雑談といった気軽さで言葉を交わしている。
──明日までは大丈夫か。作戦は今夜決行だから、間に合うぞ──
シャンジーは怒りの滲む思念を発しながらも、静かに男達の観察を続けていた。そして暫しの後、彼は緩やかな浮遊で部屋を巡っていく。
──出口はここだけか……勝手に開いたら不自然だからなあ──
シャンジーは一つだけ存在する扉の前に留まる。
両開きの大扉は、数人が横に並んで入れるほどだ。おそらく魔道具を運び出す荷車でも通るのだろう。
生憎と扉に近づく人間はいない。
これだけ大きな扉を開けたら、それなりの音がするに違いない。つまりシャンジーは誰かが通るのを待つしかなかった。
しかしシャンジーに残された時間は少なかった。
──ダメだ! 診察ってヤツが終わってしまう!──
シャンジーは自身が通った穴へと向かっていく。
ホリィとアルバーノは、なるべく時間を引き延ばすと約束した。それに診察が終われば外でシャンジーの帰りを待つことになっている。
しかし治療院を抜けるには、幾つもの扉を通過する必要がある。もし運よく誰かが通れば良いが、思惑が外れたらホリィ達を待たせてしまう。
ともかく魂の保管場所は突き止めたし、明日まで運び出されないことも分かった。これ以上を望むより、まずは戻って相談すべき。おそらくシャンジーは、そう考えたのだろう。
──戻りました~──
シャンジーが診察室に入ったとき、治癒術士は薬を出すべく棚に向かっていた。そのため穴の蓋の開閉にも気付かれず、若き光翔虎はアルバーノの背に戻る。
「これを飲むんだな。とりあえず三日分だ」
「ありがとうございます!」
「感謝いたします……」
振り返った治癒術士は、アルバーノに袋と一枚の紙を渡した。一方のアルバーノは歓喜を顕わにし、ホリィは弱った演技を続けつつ頭を下げる。
そしてシャンジーを加えた一行は治療室を出て、受付の大広間へと向かう。実はこれから正規の料金を支払うのだ。
治癒術士が寄越した紙には治療費と薬代が記されており、それを払わないことには出られない。ただしアルバーノは充分以上の金を持ってきたから、彼らは正面玄関から堂々と去っていった。
「やはり負傷兵のみならず、行商人や貧しい人を襲っていたのか……」
『そうだよ。本当に酷い国だ!』
「それも今日で終わりです……。魂を封じた魔道具も運び出されるのは明日……これは朗報ですよ」
慨嘆しきりといった態のアルバーノ。一向に憤慨が収まらないシャンジー。慰めるような口調のホリィ。シャンジーはローヤンの空を巡りつつ、地下室で目にしたことを伝えていた。
治療院を出た直後、一行は路地に入って姿を消した。そして今は遥か上空、アルバーノとホリィは再びシャンジーの背の上だ。
「そうですとも! シャンジー殿が掴んだ情報で、安心して今夜を待てます!」
アルバーノの言葉は事実だ。
この星の人々は輪廻転生があると信じており、死を迎えても次の生への希望を持って旅立っていく。冥神ニュテスの腕に抱かれて疲れを癒した後に再び歩み始めるという、神々の教えを信じているのだ。
しかし式神に変えられた魂の殆どは輪廻の輪に戻せない。つまり魂の消滅、永遠の死だ。
その前にとシノブ達は急ぎ準備しているが、一刻も早くと焦る気持ちもある。しかし魂を収めた魔道具の運び出しが明日なら、案ずることは何もない。
「はい。シャンジーさんのお陰です……早速シノブ様に第一報を入れました」
『兄貴、褒めてくれるかな~。……ところでホリィ殿、なんだか様子が変だけど~』
ホリィが褒めると、シャンジーは大いに照れた。しかし彼は一方でホリィの魔力波動が普段と少々違うことに気付いたらしい。
確かにホリィの表情は、どこか優れない。それにアルバーノも、形容しがたい表情になった。
「実は、あの治癒術士が……」
「診察と称してホリィ様をベタベタと触ったのですよ。もう少しで殴り殺すところでした」
『そ、それは……』
ホリィとアルバーノの明かした事実に、シャンジーは絶句した。
もしかするとシャンジーは、もっと早く戻ってくればと思ったのかもしれない。ただし診察途中で辞去するわけにいかないから、どちらにしても結果は同じだっただろう。
「良いのです。これも禁術使いを倒すため、それに……私達の先輩、シャオウーさんの真実を解き明かすためでもあるのですから」
「ホリィ様……」
『流石はホリィ殿だね~。なら、もう少しだけ調べられるところを調べようか~』
どこか悲しげに聞こえるホリィの語り故だろうか、アルバーノは彼女の名を口にしただけで押し黙った。一方シャンジーは気分を変えようと思ったらしく、飛翔の速度を上げていく。
ホリィが何を思ったのか、それは空に輝く日輪だけが知っているのだろう。遍く照らす女神の象徴、全てを慈しむ大いなる光のみが。
しかし支える者達は地上にもいる。シャンジーやアルバーノ、そしてシノブやアミィ達。更に多くの仲間、ここに集おうとしている者達。そのためだろう、幾らもしないうちにホリィの面には眩しくも優しい笑みが戻っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年8月11日(土)17時の更新となります。
本作の設定集に、ヤマト王国の南西から北大陸にかけての地図(改訂版)を追加しました。これには該当地域の簡易な年表も載せています。また、合わせて北大陸東部の広域地図も掲載しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。