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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第26章 絆の盟友達
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26.22 獅子王の血 後編

 カンビーニ王国のセントロ大森林、王家の狩場。その入り口に近い牧場めいた一角に、シノブ達はいた。

 ここは狩りをしない者達が待つための場であり、子供に狩りを教える場でもある。端には瀟洒(しょうしゃ)な館、草原は獲物を放てるように柵で囲んでおり試射のための弓場もある。

 まるで避暑地のように長閑(のどか)な風景、陽光の満ちる中を三月半ばの爽やかな風が吹き抜ける。しかし今、緑深く命多き空間は針一本落ちた音でも聞こえそうなほど静まり返っている。


 原因は草原に立つ獅子王の闘気、カンビーニ国王レオン二十一世の放つ波動だ。シノブとの闘いを目前にして抑えきれぬ歓喜が辺りを圧し、獣から虫に至るまで息を潜めていた。

 レオン二十一世は現れたときの虎覆面を取り、獅子の獣人に特有の柔らかく広がる髪や髭を風に(なび)かせている。それにマントも外し、身に着けているのは細いズボンに膝までの長靴(ちょうか)のみだ。

 しかし武王の鍛え抜いた肉体は、どんな衣装よりも彼を輝かせている。2m近い長身を厚く(よろ)う筋肉は、それ自体が既に芸術の域に達しているのだ。


「お待たせしました」


 やはり『銀獅子レオン』の末裔と、シノブは感じ入りつつ歩み寄る。

 先ほどシノブも館で着替え、レオン二十一世と同じ上半身裸となっていた。これから行うのはカンビーニ王国流の徒手格闘、地球でのレスリングに似た闘いだからである。


「流石はシノブ陛下……」


「ええ、細いように見えましたが……」


 観客達から思わずといった様子の(ささや)きが漏れる。

 声を発したのはアマノ王国以外の女性陣だ。接待役のカンビーニ王国に客のメリエンヌ王国とガルゴン王国、これらの国の婦人達はシノブの鍛錬を目にしたことが無いか僅かであった。


 絶対的な筋肉量ならレオン二十一世の圧勝だ。しかしシノブの限界まで絞ったかのような肉体は、内に秘めた力では劣っていないと示していた。

 細腰は贅肉の一片も存在しないから。対照的に腕や肩、胸は厚い。もちろん獅子王の重厚さには遠いが、しなやかな無音の歩みは別の恐ろしさを宿している。


「当たり前じゃ。シノブ様の剣技は鍛え抜いた肉体あってのこと」


「うん。神授の武技は魔力のみで会得できない」


 どこか誇ったような呟きは、マリエッタとエマのものだ。この二人のように日々シノブと訓練している者は、今さら驚く筈もない。

 もちろん妻のシャルロット、婚約者のミュリエルやセレスティーヌも同様だ。導き手たるアミィも含め、四人は賞賛の声を礼儀正しい微笑みで受け止めている。

 しかしアマノ王国でも、嬉しげな声を張り上げた者がいる。


「と~!」


 リヒトは満面の笑みでシノブへと呼びかける。まだ生後四ヶ月少々だが、自然に触れるのも良いだろうと馬車に乗せて連れてきたのだ。

 もちろん乳母達も一緒、更にシャルロット付きの侍女アンナやリゼットも側に控えている。シャルロット達も含め、草原と仕切る柵の側に椅子を並べての観戦である。


「リヒト、大人しくしているんだよ」


「と~! と~!」


「流石はシノブ殿の子、賢いねえ」


「本当に……」


 シノブが手を振ると、リヒトは大はしゃぎで応じた。その様子に、エレビア王子リョマノフと彼の婚約者でキルーシ王女ヴァサーナが感嘆の声を上げる。

 二人はリヒトと会う機会が少なかったし、先日までカンビーニ王国への長い航海だったから驚きも大きいのだろう。


「あぁ~、う~」


 続いて声を発したのは獅子の獣人の乳児、王太子シルヴェリオの長女ミリアーナだ。ただし彼女は隣のリヒトに顔を向け、手を伸ばしている。


「ミリアーナはリヒト殿が気になるようですね」


「将来が楽しみです」


 シルヴェリオの第二妃オツヴァが(ささや)きかけると、第一妃アルビーナは笑みを深くした。

 本来なら乳児のリヒトやミリアーナを伴う必要はない。しかしミリアーナをリヒトに嫁がせたいと願うカンビーニ王家は、二人が一緒にいる時間を増やそうとしたようだ。


 ただし無邪気な声を上げるのはリヒトとミリアーナのみ、他の子は息を潜めている。

 マリエッタの弟テレンツィオ、シルヴェリオの第一子で長男のジュスティーノ。七歳と三歳の二人だが、食い入るようにしてシノブとレオン二十一世を見つめている。

 どちらも獅子王の孫だけあり、これから始まる戦いから少しでも学び取ろうとしているのだろう。


 ガルゴン王太子カルロスの子供達も同様だ。

 長女で第一子のエスファニアは既に十三歳、メリエンヌ学園でも武術特級。長男で第二子のロレンシオは八歳だが、やはり幼年部で武術特級。この二人は稀なる闘いへの期待で瞳を輝かせている。

 それに次女で第三子のイサベリアも血筋なのだろう。彼女は六歳にも関わらず、闘う二人から視線を外さない。

 ただしカルロスの子供達が闘いの場を注視するのは、別の理由もあった。


「それでは御両人、準備はよろしいか!?」


 草原で声を発したのは三人の父カルロス、彼が審判を務めるのだ。

 アマノ王国やカンビーニ王国からだと不公平。メリエンヌ王国の王太子テオドールは、さほど武術を得意としていない。エレビア王国の第二王子リョマノフは達人級だが、まだ若い。ナンカンの第二皇子忠望(ヂョンワン)と皇女玲玉(リンユー)は若い上にエウレア地方の武術に詳しくない。


 これらを考え合わせた結果、審判役はカルロスが適任とされた。

 ガルゴン王国は昔からカンビーニ王国と親しく交流し、カルロスもカンビーニ流の徒手格闘術を知っていた。それにカルロスは何度も戦場に出ている武人で、シノブ達とも肩を並べて戦ったことがある。

 とはいえカルロスの表情は硬い。何しろ双方が国王、万一のことがあれば国際問題だ。それに微妙な結果で判定を求められても困るだろう。


「ええ」


「おう!」


「カンビーニ王国の徒手格闘に準じ、相手が気絶するか降参するまで。急所攻撃は禁止……」


 シノブが静かに、レオン二十一世が気迫に満ちた叫びを返す。するとカルロスは大きく頷き、最後の注意を与えていく。

 ルールは総合格闘技風、拳打や蹴り、投げに関節技、締め落としなど多様多種な攻撃が許される。ただし今回は、一つだけ制約が存在した。


「シノブ殿は民と同様の魔力に制限……本当によろしいので?」


「もちろん」


 懸念を顔に浮かばせたカルロスに、シノブは短い言葉と共に頷き返す。

 今回シノブは神具で魔力を抑えたまま闘う。母なる女神から授かった神具を着けたまま、それも常人並みに制限して獅子王に挑むのだ。

 レオン二十一世も強化や硬化を使わないと宣言したが、体の大きさが違う。彼は身長で(こぶし)一つ分、体重だと五割以上もシノブを上回っていた。


「分かりました……では、離れて! ……始め!」


 カルロスは開始の宣言と共に大きく飛び下がり、場を空ける。そして闘いの場に残った二人、アマノ王国の王とカンビーニ王国の王は互いに向かっての疾走を始めた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「うおおっ!」


 大地を揺るがすような咆哮(ほうこう)と共に、レオン二十一世がシノブを(つか)もうとする。

 種族通りに獅子の迫力を備えた突進、伸ばす腕も斬り裂くような鋭さだ。(にら)み殺すような眼光、隙ない身ごなし、まさに百獣の王といった威容である。

 しかし獅子王の右腕は何も捉えることなく空を切り、更に彼の巨体は地響きを立てて地に落ちる。


「あれは!?」


「ベルレアン流の『流水』……相手の力を使って倒す技です」


 驚愕の叫びを上げたメリエンヌ王太子テオドールに、シャルロットが夫の使った技の名を明かす。

 シノブは相手の懐に入り込むと前に伸びた右腕を(つか)み、腰に乗せるようにして投げ捨てた。シャルロットが語ったように、流れる水の(ごと)き自在の体捌きで応じたのだ。


「あれで強化を使っていないとは……」


「確かに動きは速くないですが、あの読みは……」


 信じられぬといった面持(おもも)ちで言葉を交わしたのは、アルストーネ準公爵ティアーノとカンビーニ王太子シルヴェリオだ。つまりレオン二十一世の義理の息子と実の息子、マリエッタの父と叔父である。


「効かぬ!」


 跳び起きたレオン二十一世は、再びシノブへと迫る。今度は低い姿勢でのタックル、これなら先ほどのような投げも使えぬと思ったのだろう。

 両腕を垂らしたら地に触れそうな姿、それでいて野獣にも勝る疾駆。これで身体強化を使っていないとは信じられぬ速度だが、カンビーニ王家の血は容易に可能とする。


 優れた武人の家系、特に獣人族だと地力自体が並の人族の何倍もある。つまりシノブとレオン二十一世の闘いは、人が獅子と競うようなものだ。

 しかも『銀獅子レオン』は戦の神ポヴォールの加護を得ており、それは子孫にも脈々と受け継がれている。カルロスが懸念したのは、この獅子王の血に対抗できるかであった。


「大丈夫です!」


「ええ!」


 手を握り合ったのはミュリエルとセレスティーヌだ。そして二人の叫びが届いたかのように、シノブが瞬転する。


「おおっ!」


 レオン二十一世の巨体が宙高く打ち上げられる。

 シノブも身を低くし、迫り来る敵手の下に滑り込んだ。そして彼は、真上にレオン二十一世を蹴り上げたのだ。


「姉上!?」


「ええ……『南都(なんと)神殿(しんでん)(けん)』の天弓(てんきゅう)(たい)よ」


 驚きも顕わなヂョンワンの問いに、リンユーは闘いの場から目を離さずに応じた。

 右手を草原に着き、左足を真上に伸ばしたシノブの姿勢。ナンカンの武術を学んだ二人は何度となく目にしているが、まさか遥か西に使い手がいると思わなかったのだろう。どちらも信じられぬという顔だ。


 天弓(てんきゅう)(たい)は片手倒立と蹴りの組み合わせだから、ある程度の身体能力があれば習得できる。しかし出し所が難しく、実戦で使う者は殆どいない。

 少しでもタイミングを間違えたら、シノブはレオン二十一世に捉えられた筈だ。直前まで引き付け、見失うほどの至近で潜り込み、ここしかないという瞬間に蹴りを放つ。拳姫と呼ばれるリンユーでも、自身と同格以上の相手に使うのは困難であった。

 しかも今のシノブは魔力を封じられ、相手より速度が大きく劣る。その状態で使いこなすなど信じられないようで、リンユーの声は僅かに(かす)れていた。


「全ては読みじゃ。彼我の差を読み、間合いを読み、呼吸を読む……それらを成したとき、速さや力の不利すら(くつがえ)るのじゃ」


「もちろんシノブ様の修練あってだけど。限られた魔力を上手く使う……アルバーノさんやミケリーノ君と同じ」


 マリエッタとエマの(ささや)きに、ナンカンの皇女と皇子は雷に打たれたかのように表情を変える。

 確かにシノブは魔力を常人並みに制限したが、武術自体や魔力を扱う(すべ)まで忘れたわけではない。彼は今まで教わった技を最大限に活かし、獅子王の猛攻を(しの)いでいたのだ。


 アミィから教わった魔力操作。コルネーユやシャルロットに習ったベルレアン流。フライユ伯爵家と共に継いだ大剣術。そして神々の鍛えで得た技の数々。これらを駆使すれば獣人族が誇る武王にも対抗できると、シノブは示していた。


「と~! あ~!」


 立ち上がったシノブの耳に、リヒトの声が響く。

 魔力を大きく制限しているから、普段と違って我が子の思いは分からぬままだ。しかも今はリヒトに背を向けているから、表情も窺えない。

 そこで仕草で応えようと、シノブは右手を高く掲げる。ただし視線は敵手を見据えたまま、闘う姿勢は崩していない。


「少々侮りすぎたようだな……」


 高々と飛ばされたレオン二十一世だが、ダメージは少ないようだ。

 おそらくシノブの蹴りに合わせて腹筋に力を入れ、衝撃に耐えたのだろう。獅子王の腹には真っ赤な足型が残っているものの、(こた)えた様子はない。

 それに着地も自身の足で、流石は猫科の獣人と(うな)るしかない身ごなしで舞い降りた。獰猛な笑み、放つ闘気、それらも勝負が始まる前と同じである。


「まだ小手調べでしょう?」


 シノブも微笑みで応じる。この程度で倒れないのは百も承知、今からが本番と気合を入れつつの返答だ。

 もう跳び込んでの大技は出さないだろう。にじり寄っての突きや蹴り、(つか)んでの投げや関節技、それらカンビーニの徒手格闘術の本領か。あるいは裏を掻いての奇襲か。

 どちらにも対応できるよう、シノブは自然体で構える。


 シノブの構えは左半身(ひだりはんみ)、剣術や槍術と同じ腰を落とした姿勢だ。手は双方とも開いたまま、柔の武術を思わせる。

 対するレオン二十一世も(こぶし)を固めず、獲物を捉えんとばかりに指を(かぎ)状に曲げていた。そして彼は、シノブが予測したように徐々に距離を詰めてくる。


「まあな……」


「ならば獅子王の本気、楽しむとしましょう」


 ニヤリと笑ったレオン二十一世を、シノブは構えたまま待つ。

 プロレスやボクシングと違ってリングロープは存在しないし、草原を一杯に使って逃げ回っても構わない。しかしシノブは真正面から相手を打ち破りたかった。

 この闘いにレオン二十一世が何を懸けているにせよ、その想いを躱さず受け止めて勝利する。それが自身の心を示す唯一の道だとシノブは思っていた。

 事実、相手は今も嬉しげに顔を綻ばせている。武王と語り合うなら、幾千幾万の言葉を交わすより一撃なのだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「がああっ!」


 鋼鉄の塊のように重い腕が、千変万化の軌道でシノブに迫る。その一つ一つが、シノブには自身を確かめているように思えた。

 王という立場を超えた、魂のぶつかり合い。レオン二十一世を形作る全てが、自身を探っている。闘いを通して自分を見つめている。シノブも(つか)みかかる手を払い殴りかかる(こぶし)を避けながら、獅子王の心に触れていた。


 熱き魂は正々堂々たる勝利を望んでいるが、自身のためではないようだ。カンビーニの王は(みずか)らの闘いで、誰かのための何かを得ようとしているらしい。

 ただし、この勝負にシノブ達が賭けたものはない。それ(ゆえ)シノブは獅子王の真意を知ろうと、更なる攻防を重ねていく。


「流石は儂の見込んだ男!」


「光栄です!」


 歓喜の絶叫に応じつつ、シノブは丸太のように太い腕を掻い潜る。

 見込んだとは、やはり孫娘のことか。カンビーニ王家がマリエッタを留学させたのは、自分との縁を作るため。彼女が嫁ぐ相手として見込んだから。シノブは突きを放ちながらも、自身の弟子でもある少女を思い浮かべた。

 今やマリエッタはシャルロットの一番弟子、それにシノブも様々な技を伝えている。当初の経緯がどうあれ、シノブ達は彼女の純粋な心を認めて仲間として迎えたのだ。

 しかしカンビーニ王家が望むのは、もっと近しい仲なのだ。師弟を超えた間柄にと、祖父たる獅子王が動くのも無理はない。


「取った!」


「くっ!」


 どうやらシノブは、物理と心理の双方で踏み込み過ぎたらしい。喜色を浮かべた獅子王の下段蹴りがシノブの右足へと迫っていた。

 シノブは僅かに跳び上がって相手の蹴り足に乗り、逆に前蹴りを放つ。回避と攻撃を一挙動で行う軽業である。


「まだだ!」


 相手も百戦錬磨の武人、カンビーニの獅子王だ。彼は読んでいたのか、自身の顎を狙った足に手を伸ばす。そこでシノブは蹴りの軌道を変え、相手の腹を押すようにして飛び離れる。


「この男、是非とも!」


 レオン二十一世は叫びと共に突進し、宙に浮いたままのシノブを追う。足を取るのは無理と見て、タックルで押し潰そうとしたのだろう。

 普段のシノブなら強化や硬化を使って対抗できるが、今は一撃を受けたら命取りだ。そこで襲いくる腕の一方、右腕を蹴って自身の体を斜め下に飛ばす。


 相手の外へと逃れたが、体勢が悪い。上下逆、殆ど逆立ちの状態で落ちているのだ。そこでシノブは、とんぼ返りを切ろうと頭上に手を伸ばす。


「逃さん!」


 強い執念からか、レオン二十一世は驚異的な反応で手を動かした。彼は瞬時に身を(ひるがえ)すと、シノブの足を(つか)みにかかる。

 空気を震わせ迫るのは、先ほどシノブが蹴った右腕だ。飛び離れるのが目的だったとはいえ全く効いていないらしく、最前に勝る速さである。


「シノブさま!」


「駄目!」


 ミュリエルとセレスティーヌの悲鳴が響く中、シノブは地に達した右腕で跳ねた。

 逃げるのではなく、獅子王の右腕を(かす)めるように。体は僅かに外側を抜けつつ、内に潜り込ませた両足で蹴り付け、同時に手首を取る。

 シノブは腕挫(うでひしぎ)十字固(じゅうじがため)を放ったのだ。


「ぐおおおっ!」


 顔面と胸板を蹴られ、更に肘関節を伸ばされて。獅子王は捕らえられた猛獣のような叫びを放つ。

 魔力を使わない状態だと、シノブの筋力はレオン二十一世に劣る。しかし肘を曲げる力より背筋力の方が遥かに大きいから、今のシノブの力でも充分に技を維持できる。


「関節技!」


「だが!?」


 片や感嘆、片や懸念。ヴァサーナとリョマノフの声が、僅かにシノブの耳に入る。

 シノブの意識は後者寄り、密着したままでは危険だと感じていた。レオン二十一世なら、相手の手足を握り潰すくらい可能だと考えたのだ。

 しかし宙に浮いて腕に絡みついた体勢だから、シノブは先手を取られてしまう。


「がああああっ!!」


 レオン二十一世はシノブを頭から地面に叩きつけようとする。しかも彼は空いた左手でシノブの足を押さえており、脱出を許さない。


「父上!」


「腕が!」


「ああっ!」


 シルヴェリオとティアーノの絶叫が草原に響き渡る。更に幾らか遅れて女性達の悲鳴が続く。


 シノブは相手の手首を押さえたまま、体を反らした。その結果レオン二十一世の(こぶし)が大地に打ち下ろされたのみで終わったのだ。

 しかも双方が急激に動いたからか、獅子王の肘に過度の負荷が掛かったらしい。骨が折れたときのような鈍い音が、草原に響き渡る。


「そこ……」


「まだだ! たかが右腕一本、まだ闘える! それにシノブ殿も万全ではない筈……」


 そこまでと宣言しかけたカルロスを、レオン二十一世が雷鳴の(ごと)大音声(だいおんじょう)で封じた。

 獅子王の鋭い目は、シノブの右足に向けられていた。彼は投げを打つ間に、シノブの足を握り潰しにかかっていたのだ。


 再び草原に立ったシノブだが、右足に履いている長靴(ちょうか)は途中で千切れていた。

 (くるぶし)から少し上、関節ではないが筋を痛めたら今までのような体捌きは不可能だ。それに厚い革が破れるくらいだから、骨まで影響している可能性もある。

 もしそうなら右腕と右足で相打ち、それどころかシノブが不利かもしれない。


「ま、まさか……」


「シノブ様が……負ける?」


 マリエッタとエマは、蒼白な顔で草原の二人を見つめていた。

 どんな制限を受けようとも、シノブの勝利は揺らがない。おそらくマリエッタ達は、そう思っていたのだろう。


 ミュリエルやセレスティーヌは泣きそうな顔をしていた。しかし双方とも()めに入ろうとはせず、手を取り合ったまま口を(つぐ)んでいる。

 シャルロットやアミィは表情を動かさず見守るのみだ。命が取られるわけでもなしと心を静めたか、ここからでも勝機があるとシノブを信じているのか。険しい表情をしているものの、介入する様子はない。


「いざ!」


 レオン二十一世の叫びが草原を圧する。そして彼は閃光のような疾走でシノブへと迫る。

 シノブの攻撃を払うためか、痛めた右腕も振り上げて。勝負を決める左は(こぶし)に固めて。天地すら震える雄叫(おたけ)びを残して。獅子王は異名の通り、草原を駆ける獣王と化した。

 そして勝負は一瞬にして終わる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……儂は負けたのか?」


「はい」


 仰向けになったレオン二十一世に、シノブは短い(いら)えのみを返した。

 シノブは制限された中で動かせるだけの魔力を自身の右足に集めた。それもレオン二十一世が握り潰そうとした瞬間の、ごく僅かな時間のみに。

 そのため多少は足を痛めたものの動けぬほどではなく、シノブは最後の突進を捌いて獅子王の鳩尾(みぞおち)(こぶし)を打ち込んだのだ。


「そうだ……『猛虎(もうこ)光覇弾(こうはだん)』を胸に食らったぞ。途轍(とてつ)もなく強烈な……」


 破れたレオン二十一世だが、どういうわけだか楽しげな顔をしていた。

 負けはしたものの全力を尽くしたからか。もちろん反省点はあるだろうが、それはシノブも同じだ。


 やはり獅子王と組むのは悪手だった。カンビーニ王家に思いを馳せたのも失態だが、流れとはいえ腕挫(うでひしぎ)十字固(じゅうじがため)など用いたのは油断以外の何物でもない。

 そのためシノブも勝ったと誇るつもりは全くなかった。


「楽しかったぞ……シノブ殿は違うのか?」


「いえ、私も楽しく感じました」


 起き上がるレオン二十一世に、シノブは手を差し伸べる。

 既に双方の負傷は治している。勝負が終わったと同時にシノブは力を制限する神具を解除し、治癒魔術を用いたのだ。

 そのためカンビーニの王は右手を動かし、若き盟主の差し出す手を取った。


「……そしてレオン殿のお心を(まぶ)しく思いました。マリエッタを思う、優しくも強い心を」


 シノブは助け起こしつつ、獅子王の耳元で(ささや)いた。

 決して諦めず闘い続ける姿。傷つこうが立ち上がり、何度でも挑戦する強さ。それを孫娘に示そうと、目の前の男は動いた。

 闘いの中で、シノブはレオン二十一世の真意がどこにあったか察したのだ。


 強引な勝負の裏に、マリエッタの後押しをしたい気持ちがあったのは間違いない。

 しかし条件を付けないまま闘ったのは、自分と心からの語らいをしたかったからでは。そしてマリエッタに闘う姿で何かを感じさせたかったからでは。要するに武王ならではの交流であり教育なのだと、シノブは受け取っていた。


「ほう……」


「だから私も闘います。誠心誠意、貴方の孫娘と」


 ニヤリと笑う獅子王に、シノブは僅かに頬を染めつつ誓う。

 これからもマリエッタを武術の師として導く。しかし彼女の想いは彼女のもので、シノブがどうこう出来る筈もない。

 もちろんシノブの心も同じことだ。しかし、それでも挑むなら今のように闘おう。何故(なぜ)ならマリエッタは『銀獅子レオン』の末裔、獅子王の血を受け継ぐ者なのだから。


 その証拠に、駆け寄ってくるマリエッタは一心に祖父を見つめている。やはり彼女は武に生きる者、この闘いで賞すべきは誰か正しく理解していたのだ。


「お爺様! 凄かったのじゃ!」


「そうか……」


 両手を取って見上げるマリエッタに、レオン二十一世は慈愛の笑みを向ける。

 普段は威厳に満ちた王者も孫娘の真っ直ぐな賞賛には照れたのか、僅かに頬が赤い。しかし短い言葉には、これで一仕事を終えたと言いたげな満足感が宿っていた。


(わらわ)も負けませぬぞ! いつかはシノブ様と互角の闘いをして、そして……」


 興奮からか、それとも慕情からか。マリエッタも顔を赤くしていた。そして彼女は祖父からシノブへと視線を移す。

 降り注ぐ陽光に(きら)めく金の髪には虎の獣人だと示す黒い縞があり、祖父とは違う。彼女は父のティアーノに似たのだ。

 しかし魂は瓜二つ、彼女も獅子の強さを引き継ぐ一人だ。シノブは頭上の太陽にも似た輝き、二人が放つ波動から明らかな相似を感じていた。


「そう簡単にやられないよ。これでも師匠だからね」


「もちろんじゃ! 敵は手ごわいほど倒しがいがあるのじゃ!」


 シノブの返答にもマリエッタは動じない。それどころか言葉通りに、ますます顔を綻ばせるのみだ。


「そうだとも。それでこそ、儂の孫娘だ」


「カンビーニ王家の教え、しかと拝見しました」


 満足そうに頷くレオン二十一世に、ガルゴン王太子カルロスが歩み寄る。

 国王同士の闘いでの審判という大役を終えたからか、カルロスは満面の笑みを浮かべていた。怪我は双方とも完治したし、どちらも納得済みで肩を並べて歩んでいる。彼としては、これ以上ない結末だろう。


「と~! と~!」


「リヒト、心配させちゃったかな?」


 シノブはシャルロットが差し出す我が子を抱き上げ、頬ずりをした。するとリヒトは可愛らしい声を上げ、父親の首に手を回す。


「この子は楽しそうに観戦していましたよ」


「はい! ずっと元気に応援していました!」


「私達より、よっぽど落ち着いていました……」


「そうですわね……」


 シャルロットとアミィは誇らしげに、ミュリエルとセレスティーヌは恥ずかしげに。シノブを囲む四人の女性は、それぞれの表情でリヒトの様子を伝えていく。


「流石は次期アマノ国王なのじゃ」


「本当に」


 どうやらシャルロット達の思い込みではないらしく、マリエッタやエマも言葉を添える。

 リヒトは早朝訓練を眺めることもあるから、それで慣れたのだろうか。シノブは腕の中の我が子を、改めて見つめる。


「ミリアーナは泣いてしまいました。父上、嫌われても知りませんよ」


「そ、そうか……」


 息子の声に、レオン二十一世は冷や汗を掻きながら顔を向けた。

 シルヴェリオの腕の中で、ミリアーナは泣き続けている。母のアルビーナがあやしているが、どうも効果はないらしい。

 他の子は三歳以上だから平静なままだが、まだ生まれて三ヶ月半の乳児に獅子もかくやといった咆哮(ほうこう)は少々早かったらしい。


「シノブ……」


「ああ。……ミリアーナちゃん、こっちを見てごらん~」


 シャルロットに促され、シノブはミリアーナへと寄っていく。そして母なる女神の波動を意識しながら、幼子へと語りかける。


「森の奥にはフェイニー達も来ているよ~。皆、ミリアーナちゃんを待っているんだよ~」


 シノブはセントロ大森林の中央にいる筈の超越種の子供達を思い浮かべた。オルムルなども含め、昨日から光翔虎の子フェイニーが生まれた地を訪問しているのだ。

 オルムル達はシルヴェリオとオツヴァの結婚式に姿を現さなかったが、これは今月生まれたばかりの幼子の世話をしているからだ。そして代わりに今日、森の中で会うことになっている。


「あ~! あ~!」


「あぅ……」


 リヒトの励ますような声を受け、ミリアーナの顔が和らぐ。どうやら彼女は、楽しい何かが待っていると受け取ってくれたらしい。


「マリエッタよ……本当に大丈夫か?」


 レオン二十一世は密かに孫娘へと(ささや)いた。乳児とすら交流するシノブの姿に、彼は今更ながら畏れめいたものを感じたらしい。

 武力や男女の仲であれば克服できると示した獅子王だが、自身の理解が及ばない現象には意外と弱いのかもしれない。


「何を仰いますやら……。大丈夫に決まっておるのじゃ!」


 高らかなマリエッタの声が、陽光降り注ぐ草原に響き渡る。そして彼女の自信満々な様子に、皆が明るい笑い声を上げる。

 祖父の獅子王、彼を囲む一族。招待された各王家、もちろんシノブも。そして二人の幼子、リヒトとミリアーナも(とろ)けるような笑顔をカンビーニが誇る公女に向けていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年7月28日(土)17時の更新となります。


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