26.20 獅子王の血 前編
シノブ達が食事をしているころ、側仕えの大半は踊っていた。もちろん遊びではなく、カンビーニ王国の舞踏会に備えてである。
教え導くは侍従長のジェルヴェと彼の妻で侍女長のロジーヌ。場所はアマノ号内の大部屋だ。
踊り手は未成年や成人直後の者ばかりだ。
レナンやパトリック、ネルンヘルムを始めとするシノブの少年従者達、マリアローゼやマヌエラなどシャルロット付きの少女、もちろんミシェルやフレーデリータなどミュリエル付きの子も舞踏の輪に入っている。
ちなみにセレスティーヌ付きは年長者ばかりで、彼女より幾らか上だ。こちらはメリエンヌ王宮で長く働いたこともあり、復習は不要とされていた。
少年従者と同じ年齢の侍女達が対になって舞う様は愛らしくも華麗で、無骨な船倉すら輝きを増している。身体強化が得意な者も多数いるし、他も王宮勤めで舞踏会くらい何度も経験しているから魅せ方を充分に心得ているのだ。
スッと伸ばした手は先まで隙なく、ステップも再生の魔道具が奏でる曲を外さない。少年少女は自身も楽器の一つであるかのように、刻む靴音を高らかに響かせる。
小鳥のように軽やかに舞う少女達は、要所で相方たる少年の手を借りて宙にも浮かぶ。カンビーニ王国は獣人が多いだけあり、ダイナミックなダンスが好まれるのだ。
このような違いがあるから、ジェルヴェは三月に入ると随行する者達に改めての訓練を課した。そして今、彼は最終点検をすべく子供達の舞踏を見つめている。
側仕えでも最も幼い者達、五歳前後の子は壁際で見学だ。流石に彼らがダンスに誘われることはないが、将来のためにと先輩達を見つめている。
元エンナム王子ヴィジャンなどアマノシュタットに来て僅かな者は珍しげに、ミュリエル付きのロカレナなど長い者は自身も踊りたそうに。瞳に宿る思いは様々だが、真剣な表情は共通している。
「それでは休憩にしましょう。……素晴らしい上達ですよ。殆ど問題ないでしょう」
曲が終わると、ジェルヴェは休むように命じた。彼の満足気な表情に、少年少女も顔を綻ばせる。
しかしジェルヴェは気になることがあるらしく、とある方向へと顔を動かす。
「忠望、玲玉。こちらへ」
「はい!」
「ただ今!」
ジェルヴェが呼んだのは、新たな留学生達だった。
二人がナンカンから来たのは四日前、まだアマノ王国のダンスすら充分に習得していない。もっとも皇帝の子供達だけあってカン地方の舞踏には通じているから、どちらも僅かな間に見覚えた。
おそらくジェルヴェも、多少の助言をしようと思っただけに違いない。
「お水をどうぞ」
「ありがとう、ヴィジャン」
「……美味しい」
ヴィジャンが運んできたコップをレナンとネルンヘルムは手にし、一息に飲み干した。同じように各所で少年少女が後輩の差し出す水を受け取っている。
魔法の家と違ってアマノ号自体に水道は存在せず、代わりに純水を入れた樽が置かれている。この樽は冷蔵と浄化の魔道具を内蔵しており、少々味気ないが充分に満足がいくものだ。
ちなみに純水が入っているのは、抽出の魔道具で大気中から水を得ているからだ。したがって今日のような三時間程度の飛行ならアマノシュタットで飲用水を汲んでいけば良いのだが、それは贅沢とジェルヴェが禁じていた。
これは今月下旬に予定されているアスレア地方歴訪を視野に入れた措置だ。
シノブはアスレア地方の国々の半数以上を訪問済みだが、まだタジース王国とズヴァーク王国が残っている。それにアルバン王国も異神ヤムを探す最中、密かに訪れたのみである。
しかしアスレア地方の国は、これら三つを含め全てアマノ同盟に加入した。そこでシノブが未訪問の地を順に巡ることになったのだ。
これは7000kmを超える行程で、しかも途中には大砂漠もある。つまり水の入れ替えも難しいだろうと、ジェルヴェは今から慣らすことにしたらしい。
食事ではジュースなども出すし、塩分などの重要性も広まっており栄養バランスも申し分ない。ただしジェルヴェは軍の携行食を選んだから、乗船直後に子供達が食べたのは普段より遥かに質素なメニューだった。
もっとも側仕えは軍人としての教育も受けており、これらを食べる機会は多い。そのため多くの関心は食事や飲み物ではなく、先ほどまでの舞踏に向いていた。
「ミシェルさんはダンスも上手なのですね。ジェルヴェ殿やロジーヌ殿のお孫さんですから、当然かもしれませんが……」
「本当です。来月で八歳だなんて信じられません」
シャルロット付きの二人、マリアローゼとマヌエラはミシェルへと寄っていた。
マリアローゼは約一年前に滅んだベーリンゲン帝国の宰相の孫、マヌエラは彼女の古くからの友で同じく旧帝国貴族の娘だ。どちらも帝都決戦で両親や祖父母を失い、シノブ達の説得もあって新国家で生きる道を選んでいた。
そういった過去に加え、ミシェルはミュリエル付きだから二人と接点が少なかった。そのため今更ではあるが、幼さを感じさせない卓越した技術に瞠目したのだろう。
実際のところ、ミシェルのダンスは少女達の中でも一二を争う見事さだった。護衛騎士など女武人達が訓練中だからでもあるが、仮に彼女達が加わっても五指には入るだろう。
小柄で体重も軽いからか、ミシェルは重力すら無視したかのように自由自在に舞っていた。相手のコルドールが軍務卿マティアスの次男で武才を備えた少年というのも大きいが、それにしても驚くべき技量である。
「アミィさんに習いましたから……それに私は狐の獣人ですし」
ミシェルは少々遠慮がちに応じた。マリアローゼ達が十四歳だから、これは無理からぬことだろう。
それに今のミシェルはミュリエルの側近として商務省でも働いており、相応の言葉遣いを身に付けている。省の役人達に加え、多くの商人と会う日々が彼女を大きく成長させたのだ。
もっともミュリエルや彼女付きの同僚といるときは年齢相応で、『アミィお姉ちゃん』と口にすることも多い。
「確かに狐の獣人は身軽だと言いますわね……」
「私達も獣人族だったら、もっと上手に踊れるのでしょうか?」
かつてベーリンゲン帝国は獣人族を奴隷とした。しかしマリアローゼやマヌエラの言葉には、もはや偏見の欠片すら存在しない。
どちらも身体能力の高い獣人族だったらと本気で考えたらしく、顔には羨望が浮かぶのみである。
およそ一年前もマリアローゼ達はカンビーニ王国訪問団に加わった。まだアマノ王国が誕生する前、シノブがベーリンゲン帝国打倒協力の礼として巡ったときだ。
そこで二人はカンビーニ国王レオン二十一世を始め、優れた獣人達を数多く目にした。建国王『銀獅子レオン』の末裔、そして彼らを支える英傑達。異国での出会いが、彼女達を大きく変えたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「種族の差は確かですが、その中でもミシェルさんは特別だと思います」
「はい! 獣人族でもミシェルさんのような人は少ないです!」
近寄ってきたのはフレーデリータとロカレナ、どちらもミシェルと同じミュリエル付きだ。ただし出自は大きく異なる。
フレーデリータはマリアローゼ達と同じ元ベーリンゲン帝国貴族だ。ただし彼女の父エックヌートは帝都決戦より前にシノブの家臣となり、今も家族全員が揃っている。
エックヌートはアマノ王国誕生時にドラースマルク伯爵となり、妻二人と共に領政に励んでいる。そしてフレーデリータの弟ネルンヘルムはシノブの側付きだ。
ロカレナはガルゴン王国貴族だったが、同国出身のナタリオと婚約しており既に国籍をアマノ王国に移している。もっとも彼女は六歳と幼く、結婚は成人となる九年後以降である。
本来ならナタリオが治めるイーゼンデック伯爵領で暮らすべきだが、父のムルレンセ伯爵継嗣が駐アマノ王国大使となり妻を伴ってアマノシュタットに赴任した。そのためロカレナは今もミュリエルの側仕えを続けている。
「そんな、私より凄い人は沢山います。たとえばリンユーさんとか……。それに人族ですけどヂョンワンさんも……」
ミシェルは頬を染めつつ手を振ると、祖父母の指導を受ける二人へと顔を向けた。
ナンカン皇女リンユーと第二皇子ヂョンワンは、個別指導の最中だった。ミシェルの祖父ジェルヴェがリンユー、祖母ロジーヌがヂョンワンと組になっている。
どうやら先ほどの曲目の一部、特に複雑な部分の実地指導らしい。ただしジェルヴェ達の教えは非常に細やかな部分らしく、傍目には全く問題ないようにしか見えない。
リンユーは十六歳、ヂョンワンは十三歳。双方とも若いから吸収も早いだろうが、それにしても恐るべき対応力である。
「……もう私達より上手かもしれませんね」
「かもしれません、は不要かも……」
マリアローゼとマヌエラは、ほろ苦さの滲む顔を見合わせていた。
虎の獣人は大柄な割に身軽で、しかもリンユーは拳姫の異名を持つ武人だ。そのため彼女はエウレア地方の舞踏を少し見ただけで、ほぼ完全に真似していた。
リンユーが得意とする八佳掌は柔の拳法だから、元々が舞踊めいたところがある。そして緩急自在の円の動きは、異国のダンスにすら応用できるらしい。
そのためジェルヴェの指導も、そこまで出来るなら完璧にという意図のようだ。
今のリンユーはシャルロットの側付きだが、国に戻れば皇女である。したがって中途半端な習得で恥を掻くより、流石は皇女と感嘆させる方が望ましい筈だ。
そのため当人も文句を言わず、淡々と励んでいる。
「私はヂョンワンさんに驚きました。リンユーさんは武人と聞いていたから分かりますが、彼は魔術師だとばかり……」
「はい! 炎の魔……じゃなかった、炎の留学生とか言っていましたし」
フレーデリータが二歳上の少年へと顔を向けると、ロカレナも続く。
ヂョンワンの派手好きな性格は本物らしく、彼は自己紹介のとき『炎の魔皇子』と口を滑らせかけた。しかし従者が実家を誇示するのは不見識とされており、彼は即興で新たな異名を拵えたのだ。
ちなみに直後の早朝訓練で見事な炎の術を披露したこともあり、皆もヂョンワンを異名に足る腕と認めてはいる。
それはともかく、ヂョンワンも姉ほどではないが華麗なダンスを披露していた。
時折ロジーヌが指摘をするが、それらも次には直している。彼は武術が苦手と謙遜していたが、どうも素質は充分にあるらしい。
おそらく魔術への適性が飛び抜けていたから、武術の訓練を最低限に抑えたのだろう。
「やはり血筋じゃないかな? そういう意味でもミシェル君は有望だと思うよ。何しろジェルヴェ殿とロジーヌ殿の孫だからね」
今度はレナンだ。それにパトリックにネルンヘルム、ヴィジャンも続いている。
レナンは二ヶ月後には十五歳、つまり成人だ。そのためリンユーのような例を除けば最年長である。しかも彼はシノブの筆頭従者だから、少女達も少し様子が改まる。
「でも血筋なら君達も同じさ。元侯爵に元子爵、それに現伯爵やその継嗣……商家出身の私からすれば羨ましい限りだよ」
「フレーデリータさんは治癒魔術、それにネルンヘルムも魔術の適性がありますからね。マリアローゼさんとマヌエラさんは攻撃魔術でしたか?」
「そんな……攻撃魔術など使いどころがありませんわ」
「ええ。身体強化が苦手なので、行軍に付いていけませんから」
レナンとパトリックの賛辞に、マリアローゼとマヌエラは頬を染めつつ応じる。
パトリックは十一歳だから二人より年下、しかしレナンは年齢的な釣り合いが良い。しかもシノブの側近中の側近で、姉のリゼットもシャルロットの信頼が厚い。
もっともパトリックもベルレアン伯爵家時代からの忠臣の子で、祖父を始め父母に姉まで『白陽宮』勤めと重用されている。しかも叔父はゴドヴィング伯爵アルノー、姉アンナの夫ヘリベルトは将軍で子爵だ。つまり一族まで含めると将来有望なのは彼の方かもしれない。
現金なようだがマリアローゼ達は親族に頼れないし、アマノ王国でも古参というほどではない。
二人は未成年だが、レナンと同じく当主として男爵位を授かった。これを次代まで維持し、あわよくば子爵位でもと思えば優れた夫を得るのが早道だ。
おそらくレナンとパトリックは、幾らもしないうちに子爵になるだろう。レナンは早ければ成人直後、遅くとも数年内に。パトリックは父が健在だから継嗣のままだが、彼が継ぐころには子爵家になっても不思議ではない。
自身は出世確実な男性に嫁ぎ、弟に爵位を渡す。そして有力な婚家があれば、弟達も取り立ててもらえる。そのためには側仕えとして抜群の働きを示し、良縁を逃さぬこと。彼女達のような立場なら、このくらいの計算はする筈だ。
「とはいえ、あまり血筋が良すぎるのも大変だと思うけど……。特に王族ともなると、どこの国もね」
レナンは少女達から斜め上、つまり天井へと顔を向けた。その先はアマノ号の中央構造体、魔法の家が置かれている双胴船を繋ぐ場所だ。
おそらくレナンはシノブ達を思い浮かべたのだろう。それに後半の言葉からすると、マリエッタも含まれていそうだ。
◆ ◆ ◆ ◆
レナンの懸念がマリエッタに関してなら、当たっていたと言うべきだろう。何故ならカンビーニ王国の中枢では、彼女の将来が取り沙汰されていたからだ。
王都カンビーノの中央に聳える『獅子王城』の一室には、カンビーニ王家の成年者が全て顔を揃えていた。この日第二妃を迎えるシルヴェリオや、マリエッタの両親であるアルストーネ公爵フィオリーナと夫のティアーノもいる。
ちなみにティアーノのみが虎の獣人、残りは獅子の獣人である。初代国王『銀獅子レオン』以来、代々の王は獅子の獣人で配偶者も半数以上は同族から迎えたからだ。
「マリエッタの子を早く見たいのだ……。儂も歳を取ったから、いつ何が……」
「まだ五十半ばも超えておらぬと思ったがの。……シルヴェリオ?」
「姉上の仰る通りです。それに父上は健康そのもの、昨日も徒手格闘で私を倒して高笑いしたほどで……」
レオン二十一世の主張を、フィオリーナとシルヴェリオが一蹴する。
他の王族達も似たようなもので、わざとらしさが滲む国王の弱々しい声に騙された者はいないらしい。半数ほどが失笑、残りも多くは無表情だが笑いを堪えているだけのようだ。
「できれば早くとは思います。私に残された時間は長くないでしょうから」
先王の第二妃メルチェーデの発言を受け、一同の表情は改まる。
メルチェーデは既に七十を超えているし、昨年までは伏せりがちだった。幸いアミィの治療で回復したが、先々を保証できる歳ではない。
ちなみに先王と彼の第一妃は既に没しており、メルチェーデがカンビーニ王族で最年長だ。彼女は療養が長かったし政治に口を挟む性格でもないが、老い先短いと言われたら願いを叶えたくもなるだろう。
「義父上には、何かお考えがあるのでしょうか?」
アルストーネ準公爵ティアーノは静かな声で義父に問いかける。
まさか全くの考えなしで、この忙しいときに一族を集めはしないだろう。九時前にはシノブ達も着くし、昨日から今朝にかけて国内はもちろんメリエンヌ王国やガルゴン王国からも続々と祝いの客が到着している。
その合間、朝食を名目にして集合したのだ。レオン二十一世の両脇でも第一王妃と第二王妃が、早く終わりにしてくれと言わんばかりの冷たい視線を向けている。
「これだ!」
先ほどの仮病が嘘のような大声と共に、レオン二十一世は二つの首飾りを取り出した。すると一同の表情が激変する。
「聖人ストレガーノ・ボルペ様の!?」
「変装の魔道具を使うのですか!?」
ストレガーノ・ボルペとは建国王レオンを助けた偉人、神々の使徒として称えられる人物だ。
アミィによればストレガーノ・ボルペも眷属、それも先輩格だという。ただし名前や姿は地上に降りるときに変えたらしく、男性として伝わっていた。
ちなみにカンビーニ王国の建国は創世暦456年、レオンが聖人と出会ったのは創世暦440年だ。つまり変装の首飾りは五百五十年近くかそれ以上昔から伝わる秘宝である。
「しかし父上、シノブ殿は変装の魔道具を見抜きましたよ?」
「そうじゃったな。そなたとナザティスタ、それにロマニーノの三人が傭兵に化けたのじゃな?」
シルヴェリオはシノブとの出会いを思い出したらしい。それらはフィオリーナ達も聞いているから、誤魔化せる筈がなかろうといった表情になる。
シノブは既知の魔道具なら魔力波動で判別できる。これらの魔道具は一年前にも見抜かれたし、そもそもアマノ王国でもアミィが作ったものを諜報員達が使っている。
つまりシノブが騙される可能性は、極めて低いだろう。
「ふふ……だがな、これらは特別なのだ。何しろ『銀獅子レオン』と聖人ストレガーノ・ボルペ様のために作られた品だからな!」
「そのような違いが……」
レオン二十一世は、この二つの首飾りは他より高性能だと明かす。
これは秘中の秘だから、王族達でも知る者が少なく驚きの声が上がる。ただし先王妃メルチェーデは夫から聞いていたらしく、平静なままだ。
現在カンビーニ王家には変装の魔道具が五つ残っているが、最初は倍ほどもあったらしい。ただし多くは聖人が後から作り足したもので、最初の二つとは性能差があった。
おそらく最初の二つは神具で、後はストレガーノ・ボルペが眷属としての技能で作ったものだろう。あるいは前者は神界由来の素材を使うなど、構造自体が違うのかもしれない。
「シノブ殿は魔力波動を厳密に判別できるが、この二つは波動も完璧に偽るのだ!」
「しかしシノブ殿を騙すなど……第一ミュリエル殿は十一歳、まさか彼女より先に娶らないでしょう。ここは気長に見守っては?」
上機嫌な父に、シルヴェリオは渋い顔で反論する。
シノブの婚約者はミュリエルとセレスティーヌ、先に婚約したのはミュリエルだが十六歳のセレスティーヌが早く嫁ぐだろう。しかしミュリエルも更に先を行く者が出たら気を悪くするに違いない。
マリエッタは十三歳だが、年齢と関係なく四年以上を待つのは確実なのだ。もっともシノブが更なる婚約者を認めたらの話ではあるが。
「悠長なことを! お前も知っているだろうが、ナンカンの拳姫と呼ばれる皇女がシャルロット殿に弟子入りしたのだぞ! 婚約だけでも取り付けんことには安心できん!」
一転して焦りを顕わにしたレオン二十一世は、厳つい拳をテーブルに打ち下ろす。すると轟音と共に二つの首飾りが少しだが宙に浮く。
皇女リンユーは十六歳と年頃、しかもシャルロットが気に入りそうな女武人だ。対するマリエッタは成人まで二年弱、幾らシャルロットの側近として地位を固めても年齢はどうにもならない。
今までレオン二十一世は獅子王の名に相応しく悠然と見守っていたが、それは強力なライバルが不在だったからのようだ。
「すると義父上、明日でしょうか?」
「もちろんだ。今日はシルヴェリオとオツヴァ殿の結婚式、これを乱したらエレビア王国の方々に申し訳が立たん」
娘婿ティアーノの言葉に、レオン二十一世は鷹揚に頷き返した。どうも彼は焦燥を露呈して照れたらしく、王者に相応しい威厳を示しつつも頬は僅かに染まっている。
「明日は各国の王族方をセントロ大森林の狩場に案内するのじゃったな?」
「ええ、姉上。ですから私は加われませんよ」
フィオリーナの問いに、シルヴェリオは笑顔で応じた。彼は新たな妃オツヴァと共に、主要な客を狩りで接待するのだ。
そのためシルヴェリオがシノブを欺く役になるのは難しい。ホスト役には多くの視線が集中するだろうし、狩猟のときも自国の者のみで固まることはないからだ。
「それで父上、何に扮するのですか?」
「虎だ……虎になるのだ」
息子の問いに、どこか楽しげな声でレオン二十一世は答える。そして彼の続けての説明に、集った者達は驚きと呆れの双方が混じった複雑な顔となる。
しかし国王の決定に加え、マリエッタを支援したい気持ちも大きいのだろう。反対する者はおらず、密談は終わりを迎える。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふ、ふわっ……!」
「マリエッタ、どうしたの?」
口を押さえたマリエッタに、隣に腰掛けるエマが小首を傾げつつ問い掛ける。
魔法の家では既に朝食を終えており、二人を含め殆どはリビングのソファーに腰掛けている。例外はハイハイをするリヒトと彼の後を追うシノブのみだ。
「なんだか鼻がムズムズするのじゃ……」
「どなたかが噂しているのでは?」
「シャルロットお姉さまの言う通りかもしれませんね」
「ええ、きっと国中がマリエッタさんを待っていますわ」
怪訝そうな愛弟子にシャルロットは笑みを向ける。するとミュリエルやセレスティーヌが顔を綻ばせつつ後に続く。
残る者達も、それぞれの仕草で賛意を表す。
アリエルはマティアス、ミレーユはシメオンと二言三言を交わしつつ。夫の代理として加わったモカリーナとアリーチェは、故郷の様子を思ったのか懐かしげな笑みで。そして『獅子王城』勤めが長かったエンリオは孫のソニアにマリエッタの愛されようを語り始める。
「風邪などではないと思いますが……やっぱり大丈夫ですね」
残る一人、アミィは微笑と共に頷いたが念のためにと思ったようで立ち上がる。そしてマリエッタに寄ると額に手を当てるなどしたが、健康そのものと確信したらしく穏やかな表情のまま離れた。
「ありがとうなのじゃ。確かに誰かに呼ばれたような気がしたのじゃ……。それも凄く近しい……父上か母上かの?」
「ティアーノ殿やフィオリーナ殿も待っているだろうね。それにテレンツィオ君も、もうカンビーノ入りしているかな?」
「あ~! あう~!」
首を捻るマリエッタに、シノブはリヒトを抱き上げつつ応じた。
テレンツィオはマリエッタの弟だが、メリエンヌ学園に留学中だから今日のように特別なときのみ帰国する。先月生まれた二番目の弟ストレーオはフィオリーナ達の所領アルストーネで留守番だが、他は一時間もすればカンビーノで会える筈だ。
「……うん、風邪の元はいないよ。綺麗な魔力波動だ」
シノブはリヒトを抱いたままマリエッタに寄り、じっと見つめる。念のために魔力波動を探り、感染症の類ではないと確かめたのだ。
ただし万一を考えて調べただけで、マリエッタの魔力は常と同じく澄んでいた。まるで炎のように大きな熱量を秘めた力は、今も彼女の全身から強烈な波動として放たれている。
もし視覚的に表すなら、人の形をした太陽だろうか。ウィルスや細菌など近づいただけで焼かれ、何も出来ずに消えるしかないと思うほどだ。
「あ、ありがとうなのじゃ……」
シノブの視線にマリエッタは僅かに頬を染める。彼女も魔力波動での診察だと理解した筈だが、長々と見つめられたら照れもするだろう。
ただ先ほどのアミィへの返答と違う声の揺れは、単なる恥じらいのみではなかった。それは憧憬の滲むマリエッタの顔を見れば、誰でも察するに違いない。
「どういたしまして」
シノブは軽口めいた調子で応じると、シャルロット達が待つソファーへと向かっていく。
マリエッタが自身に惹かれている。それはシノブも重々承知しており、礼と共に注がれた視線にも気付いている。
しかし今は見守るのみと、シノブは心を定めた。
武術の師として、同じ場に集う年長の仲間として、マリエッタ達を導き大きく伸ばす。それが留学を受け入れた自分が第一にすべきことと、シノブは考えたのだ。
「父様や母様に弟……。マリエッタ、誰だと思う?」
エマは僅かに笑みを深めると、友人へと問い掛けた。
どうやらエマは、話を逸らそうと思ったらしい。殆どの者がマリエッタの想いを感じているだろうが、晒しものにする必要はないと考えたのではないか。
「むぅ……父上や母上のような気もするが、別の誰かのような……。でも妾にとても近しい、そして案じている人……かの?」
マリエッタの妙に具体的な分析に、皆は興味深げな顔で聞き入っていた。
優れた武人の直観は侮れない。伝説級の達人になると、家族の異変を察したなどの逸話が山ほど存在するのだ。これは物事の本質に近づいた人に備わる超感覚らしく、むしろ魔術と縁のない武人に多く見られた。
地球の剣豪や武術家にも似たような逸話を持つ名人はいる。そのためシノブも達人の境地として受け取っていた。
「レオン殿かもしれないね」
「お爺様! 確かにそんな気がするのじゃ!」
シノブがカンビーニ国王を挙げると、マリエッタは納得がいったような顔となり手を打ち合わせる。
レオン二十一世が孫達を可愛がっているのは広く知られており、ここにいる者の多くは実際に目にしてもいる。そのためシャルロット達も、大きく頷いていた。
「こうしてはいられないのじゃ!」
「どうしたのですか?」
跳ねるように素早く立ち上がったマリエッタに、シャルロットが柔らかな笑みと共に問い掛ける。
どうやらシャルロットはマリエッタの意図を察しているらしい。しかし彼女は敢えて愛弟子に問い掛けたのだろう。
「お爺様……陛下に上達を示したいのじゃ! エマ、済まぬが相手を務めてくれんかの!?」
「もちろん」
もう到着まで一時間ほどというのに、マリエッタは訓練をすると宣言した。するとエマは静かに頷き、同じく席を離れる。
幸いと言うべきか彼女やエマは軍服だから、組み手程度なら問題ない。甲板ではシノブの親衛隊員やマリエッタ達の同僚である女騎士が訓練しているが、二人が加わる場所くらい残っているだろう。
「それじゃ、俺が見ようか」
「私も行きましょう」
シノブはリヒトを抱いたまま、シャルロットと並んで歩む。
マリエッタの技量ならレオン二十一世も満足すると思うが、師匠であれば確認に付き合うべきだろう。そうシノブは考えたのだ。
もちろんアミィ達も二人の後を追い、全員がリビングから外への通路へと向かっていく。
「レオン殿とは先月も会ったけど、あれからマリエッタは更に……」
シノブは最近のマリエッタの活躍、ダイオ島やカンなどでの戦いを挙げようとした。しかし唐突に生じた妙な感覚に、思わず口を噤んでしまう。
「どうしたのですか?」
「何か奇妙な……ピーンと響くというか、閃きとは違うけど似た感じの……」
妻の疑問を解消しようと、シノブは表現が難しい感覚をどうにか伝えようと努力する。
敢えていえば、戦いで相手の次の動きを察知したときに似た感じ。それも一手や二手ではなく、未来を見ているような高度な状態。そこまで話したとき、シャルロットは顔を綻ばせる。
「どうしたの?」
「試練が待っているのは、貴方かもしれませんよ?」
妻の返答にシノブは絶句するが、正しいのかもと思い始める。
もっとも案ずる必要はない。相手は獅子王として有名な気高い魂の持ち主、ならば武を競うのも一興。シノブが楽しげに紡ぐ未来図に、囲む者達は笑みを深くしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年7月21日(土)17時の更新となります。