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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第26章 絆の盟友達
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26.19 空の料理、恋の料理

 創世暦1002年3月18日の早朝、シノブ達はカンビーニ王国に向かっていた。

 この日カンビーニ王太子シルヴェリオは、エレビア王女オツヴァを第二妃として迎える。そこでシノブ達も結婚式に参列すべく、日も昇らないうちに旅立ったのだ。

 何しろアマノシュタットからカンビーニ王国の王都カンビーノまでは1400kmを超える。そこで今回アマノ号を運ぶのは朱潜鳳のフォルスとラコス、超越種で最速を誇る種族がシノブ達を運んでいる。

 現在フォルス達の飛行速度は時速400kmを幾らか超えている。仮に今の速度で飛び続ければ移動時間は三時間少々、カンビーノ到着は九時前で式の開始には充分間に合う。


 そのようなわけで、シノブ達の朝食は空の上でとなった。

 シノブ達がいるのはアマノ号の上に据えた魔法の家で、中には立派なキッチンがある。これは本格的な厨房に匹敵する設備を備えており、大抵の料理は問題なく作れる。

 しかし一部の者は、少々困惑気味だった。何故(なぜ)ならキッチンで包丁を振るっているのは、国王シノブその人だからである。


「何もシノブ様が(みずか)ら料理なさらなくとも……」


「私達にお任せくだされば……」


 モカリーナとアリーチェが遠慮がちに声を上げた。二人がいるのはリビングだが、キッチンが対面式だから中の様子も充分に見えるのだ。

 随分と拡張された魔法の家だが、元々はコンパクトなマンションなどの間取りに倣ったものだった。そのため今もダイニングも含め仕切りがなく、二人が座っているソファーのみならずリビングの大半からシノブの姿を窺える。


「たまには作らないと腕が鈍るからね。大丈夫、アミィ直伝だから」


「シノブ様……」


 シノブが軽口めいた言葉で応じると、後ろで控えていたアミィが頬を染める。もっとも彼女の監督だから手伝い不要というのは説得力があったらしく、モカリーナ達も再度の申し出はしない。


 今日のモカリーナとアリーチェは里帰りのようなものだ。モカリーナの実家はカンビーニ王国の老舗交易商、アリーチェはカンビーニ王家の血も入った由緒ある子爵家の娘なのだ。

 二人が招かれたのは夫の代理としてで、名目上はアマノ王家に随伴する一員に過ぎない。モカリーナはホクカン潜入中のアルバーノ、アリーチェは東域探検船団の総司令としてアスレア地方に遠征中のナタリオに代わってである。

 しかし久しぶりの故国というのに、働かせることもなかろう。そこでシノブは二人を客人として遇することにした。


 他にもカンビーニ出身のソニアやエンリオをリビングに招いたが、こちらも同じくシャルロット達との歓談を楽しんでもらっている。

 従者や侍女を呼べば喜んで代わってくれるだろうが、せっかく昔馴染みが集まったのだ。たまにはこういうのも良かろうと、シノブは考えたわけだ。


「それに軽いものだから、手間でもないよ。幸い助手もいるしね」


「お任せあれ! といってもサラダを(こしら)えるくらいですが……」


「剣術は包丁にも応用できるのですね……」


 エプロン姿のシノブの両脇に陣取っているのは、同じ格好のマティアスとシメオンだ。そのためだろう、それぞれの妻アリエルとミレーユは少しばかり面映(おもは)ゆそうな顔をしている。

 およそ一年前の訪問で、ミレーユはカンビーニ国王レオン二十一世から『真紅の流星』の異名を授かった。それにアリエルも魔術師希望者を募る過程で、幾つかの鍛錬法を同国に伝授していた。

 その縁もあり二人は招かれたが、結婚式なら夫もとなるのは自然なことだ。つまりシメオンはミレーユの、マティアスはアリエルのついでとも表現できる。

 それもあってか、二人はシノブの手伝いを申し出たようだ。


 何しろリビングには結構な人数がいる。

 アマノ王家からシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ、リヒト。まだ生後四ヶ月半に満たないリヒトは離乳食すら口にしていないが、ここまでで既に三人前が必要だ。

 更にモカリーナ、アリーチェ、ソニアにエンリオ。アリエルとミレーユ、カンビーニ公女マリエッタに彼女の同僚エマもいる。エマは婚約者のガルゴン王太子カルロスと向こうで会うのだ。


 これにキッチンの四人分を足して十五人前、ハムエッグやウィンナーにサラダなど簡単なメニューでも結構な量だ。

 更にニンジンやタマネギなどを刻んで入れたコンソメスープ、主食には各種のパンを用意した。もちろんパンは魔法のカバンに仕舞っておいたものだが、スープは出汁を除けばシノブ達の手製である。


「陛下の手料理をいただけるとは……」


「お爺様、シノブ様は楽しんでいらっしゃるのですから」


「ソニアの言う通りだよ。こういうのは『白陽宮』じゃ難しいからさ」


 感涙に(むせ)ぶエンリオにソニアが微笑みかけ、シノブもキッチンから問題ないと応じる。

 実際シノブは充分に楽しんでいる。友であるシメオンやマティアスと厨房に立ち、それを家族や親しい人々に振る舞う。普段できない事柄は、シノブの心に新鮮な喜びを与えてくれたのだ。


「シノブが望んでのことですから、遠慮無用ですよ」


「そうです! それにシノブさまの腕はアミィさんの保証付きですから!」


「ええ。私も負けないように頑張らなくては……」


 皆の気持ちを(ほぐ)そうと思ったらしく微笑みかけるシャルロットに、ミュリエルが明るく和す。しかしセレスティーヌは同調しつつも、少しばかり声に憂いが滲んでいる。


 三人の料理の腕前だがミュリエルが他を大きく引き離し、続いてシャルロット、そして最後がセレスティーヌだ。

 ミュリエルは習い始めたのも早かったし、費やした時間も他の二人より桁違いに多い。シャルロットは取り組み始めてから一年少々だが、武術の応用で包丁(さば)きは確かで加えて勘も良いようだ。

 一方セレスティーヌは決して下手ではないが、練習時間の少なさが災いしていた。彼女は外務卿代行として忙しい日々を送っており仕方ないが、それでも他の二人やシノブとの差が気になってしまうらしい。


 もっともシノブが料理をすること自体に不満を示した者がいる。それはシノブとシャルロットの愛息リヒトだ。


「ぶ~!」


 リヒトは自身を(いだ)くシャルロットを見上げる。どうも彼は、シノブのところに連れて行けと言いたいらしい。

 シノブは料理をしているから、リヒトを近寄らせる筈もない。先ほどまでは衝立(ついたて)で囲んだ場所をハイハイ、その後はシャルロットの膝の上だ。

 しかしリヒトからすれば、父が側にいるにも関わらず遊んでくれない状態だ。そのため彼はハイハイしているときも囲いを抜けようとし、見かねたシャルロットが抱きかかえた。

 今もリヒトはシャルロットが降ろしてくれないと悟ったようで、再び脱出を試み始めた。


「仕方ないですね……。アミィ、後ろから見ているだけなら良いでしょうか?」


「はい。でも油が跳ねるといけないので、あまり近寄らないでくださいね」


 シャルロットとアミィのやり取りに、シノブは頬を緩めた。

 こうやって妻子や家族と共に、緩やかで落ち着いた日々を過ごす。それはシノブが望んでいた幸せに、最も近い情景だったからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 十五人前と大量だが、魔法の家のキッチンはコンロやシンクも複数あるから手早く進んでいく。そのためダイニングテーブルに料理が並んだのは、普段の朝食と変わらぬ七時ごろだった。

 三十人が囲める大テーブルには多種多様なパンを入れた籠が複数、それぞれの前にはシノブ達が作った料理だ。ハムエッグにコンソメスープなどだから、どこかホテルの朝食のような印象である。

 初参加のシメオンやマティアスはともかくシノブは幾度も練習したから、なかなか見た目も整っている。しかし食堂に出せるほどの綺麗な出来栄えは、思わぬ反響を生み出していた。


「う、美味(うま)いのじゃ……。(わらわ)も料理を覚えねば……」


「宮殿の食堂と同じ……ううん、それ以上? ……カルロス様も得意なのかな?」


 いつもは元気一杯のマリエッタとエマだが、今は沈んだ様子を隠そうともしない。

 どちらも野戦料理のようなもの、あるいは狩りの場で獲物を使った豪快な調理はする。しかし今シノブ達がしているような繊細な味付けや手順を踏んだ料理とは無縁で、切った順に投げ込んでいくような代物だ。

 そのため双方とも、自身との違いに大きな衝撃を受けたらしい。


「私も似たようなものですよ~。家では侍女の皆さんにお任せですね~」


「カルロス殿下は料理をなさりませんよ……それに妃殿下達も。だから安心して良いでしょう」


 ミレーユとアリエルは、落ち込む少女達を慰める。

 エウレア地方の王族や上級貴族で料理をする男性は極めて稀だ。例外は代々農務関連の家系くらいで、シノブが変わっていると言うべきだろう。


 女性は男爵家くらいなら料理をするが、ミレーユは早くからシャルロットの側付きとなったから経験が少なかった。幼少時に母を手伝ったのを別にすれば、後はマリエッタ達と同じで軍の料理番くらいだと明かしていく。

 しかもミレーユは貴族として最初から小隊長格の待遇だった。そのため料理当番も最低限、それも最初のうちだけである。

 それにアリエルも含め、結婚後はメリエンヌ学園の教師として一日の大半を遠方で過ごした。転移の神像があるから毎日帰宅できるが、料理する時間などありはしない。


「これは俺の趣味だから気にしないで。先々リヒトに手料理を……そう思っただけさ」


 シノブの言葉は照れ隠しというべきもので、真実の全てではなかった。

 シャルロットがリヒトを身篭っていたとき、少しでも(いたわ)りたかったから覚えた。これを口にするのは、親しい者達の前でも少しばかり気恥ずかしかったのだ。

 もっとも女性達は本当の経緯を知っていたのか揃って表情を和らげ、一部は羨望を顕わにしていた。


「ま~!」


「まだ早いですよ。それに食べるとしても離乳食からです」


 リヒトは催促らしき声を発し、母親へと顔を向けた。しかしシャルロットは優しい声で時期尚早と我が子に言い聞かせる。

 最近リヒトは、幼児用の椅子を使って食事の場に並ぶようになった。どうも彼は皆と同じように過ごしたいらしい。

 椅子には固定具もあるし、暴れても倒れることのない重厚な造りだ。それに両脇はシノブとシャルロット、卓越した身体強化を使いこなす二人だから、もしものことがあっても心配無用である。


 ただしリヒトからすれば、やはり不満が残るようだ。彼は皆が口に入れているものに興味があるらしく、今もテーブルに手を伸ばそうとしている。

 もっとも幼児椅子はテーブルから遠く、赤子の手が届くことはない。


「ぶ~!」


「シャルロット様、これを」


 思うようにいかないのが苛立(いらだ)ちを誘ったらしく、リヒトは大きな声を発した。そこで気を紛らわせるべく、アミィが魔法のカバンから()()()()()を取り出す。

 するとリヒトが急に大人しくなる。これはアムテリア達から授かった神具で、彼のお気に入りなのだ。


「ソニア、あれからカン地方は?」


 シノブは少々露骨かと思いつつも、話題を変えた。

 あまり神具に触れたくないし、料理を話題にするとマリエッタ達を刺激するらしい。そこで和やかな朝食の場に相応しくないと思いながらも、カンの最新情報を聞くことにしたのだ。


「ホクカンへの潜入部隊、そしてセイカンへの使者となった大神官願仁(ユンレン)様の双方とも順調です。潜入部隊は明日、ホクカンの都ローヤンに着くでしょう。ユンレン様達は明々後日(しあさって)、セイカンとの国境に到着する筈です」


 元々報告する予定だったから、ソニアは要領よく現状を語っていく。

 ナンカンからホクカンの都ローヤンは200kmくらい、ただし潜入部隊は徒歩を選択した。潜入部隊を率いるアルバーノは、ローヤンまでの旅でホクカンの国情を見極めるつもりなのだ。

 一方セイカンの国境までは550kmほどだが、こちらは馬車を使って街道を進むから倍ほども速い。そこから先はセイカンが入国を許可するか次第だが、少なくともナンカン国内は順調極まりない旅だろう。

 なお双方とも光翔虎達が見張っており、後方支援として残ったソニアも最新情報を(つか)んでいた。


(わらわ)達の活躍の場があれば良いのう。今ごろフランチェーラ達は……」


「ローヤンは禁術使いの巣窟らしいから、きっとある。アルバーノさんは凄いけど、魔術師じゃないから」


 先ほどまで料理に気が向いていた二人、マリエッタとエマも戦士の顔に戻っていた。もっとも二人が気にしているのは自分達の出番があるかどうかで、戦局などに興味はないらしい。


 マリエッタの学友である三人の女騎士は、潜入部隊の一員となった。

 フランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアの三人は最近アルバーノの配下としてナンカンを中心に活動しており、向こうの風習に馴染んでいた。それに女性がいれば潜入先で家族連れとして振る舞えるなど、様々に役立つこともある。

 更にアルバーノは子供役も必要と思ったのか、自身の甥で養子でもあるミケリーノを伴った。そのため今回はソニアのみが戻ってきたのだ。


「そうじゃの……シノブ様やシャルロット様のお供で良いから、また槍働きをしたいものじゃ」


「私も。木人や鋼人(こうじん)なら遠慮なく技を試せるし」


 マリエッタとエマの勝手な呟きに、側のアリエルとミレーユが顔を見合わせた。ただし二人とも同じ女騎士として気持ちは理解できるらしく、(あき)れと共感が半々といった顔である。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 マリエッタ達が(ささや)きを交わす間にも、ソニアの報告は続いている。そして話はホクカン潜入部隊やセイカンへの使者から、ナンカンのその後へと移っていた。


「ウーロウの防御は?」


「新太守の(グオ)師貢(シーゴン)殿が陣地の強化や防壁の追加を進めています」


 シノブが防衛体制を問うと、ソニアはグオ将軍の父の名を上げた。

 四日前のホクカン軍撃退以降、ナンカンは都市ウーロウを中心とした防衛網を急速に整備している。ホクカン軍はウーロウを目指して攻め込んだから、再侵攻に備えての措置だ。

 シーゴンは元大将軍で現在も宮護将軍を務める名高い武人、補佐は彼の次男でグオ将軍の弟だ。どちらも実力派の武将で、戦を意識した任命なのは誰の目にも明らかだ。

 危険が去れば統治に()けた者を送り込むだろうが、臨戦態勢の今は勇将が上に立った方が周囲も安心できる。実際ウーロウの民もシーゴン達を歓迎し、街は平穏を保っていた。


「皇帝の(スン)文大(ウェンダー)殿は、これを見届けて都のジェンイーへと戻りました。元太守()仲祥(ジョンシャン)の妻子も、裁きで告げた通りジェンイー行きです」


 更にソニアは、ジョンシャンが鋼仕(こうし)術士として働き始めたことにも触れる。

 ジョンシャンは間に合わせとして用意された巨大木像で、国境であるジヤン川沿いに防壁を築き始めた。この木像は大人の三倍くらいの大きさで、およそ三十人力というから現場では大活躍だ。

 これには作業者どころか軍人達も驚きの声を上げ、ジョンシャンも刑罰としての苦役であるにも関わらず満足気に働いているという。彼は大きな魔力を持っているが、適性のあった憑依を始めとする符術が禁じられたため活躍の場がなかったからだ。

 おそらくジョンシャンは、元から術士としての人生を望んでいたのだろう。


「ウェンダー殿も更なる鋼仕(こうし)術士をと思案されていますが、急には出てきません。優れた才を持っていたジョンシャンですら、十年近くも学んだのですから。幸い『(ファ)の里』の術士達が協力してくれたので、当面は(しの)げますが……」


「ホクカンには符術や憑依術を使う者が多いようですからね。ナンカンが全面対決の前に自国の術士をと考えるのは当然でしょう」


 ソニアの挙げた問題点に、シャルロットが眉を(ひそ)める。

 先日の戦いでも、ホクカンには恐るべき術士達がいた。三百体もの木人を操る術士、大人の十倍を超える巨大像を複数使役する術士。前者は数を揃えれば対抗できるだろうが、後者は通常の軍隊で勝てるとは思えぬ代物だ。

 おそらくホクカンは二人以外にも大勢の術士を抱えているに違いない。カン地方で狂屍(きょうし)術士と呼ぶ、他者の魂を道具にする非道の(やから)を。


 符術や憑依術だが、自身の魂を使うのであれば問題視されない。これらは神々の使徒たる眷属達が地上に伝えた技であり、神の意思に(かな)う術だからである。

 しかし千年を超える歴史の間に、誰かが他者の魂を用いたらと思いついた。憑依の適性は僅かな者しか持たないが、魂を式神として作りかえれば数を揃えられる。

 それに多数の魂を融合させれば、自身では操れない巨大像を動かせる。大魔力を持つエルフはともかく、他種族だとジョンシャンのように自身の三倍かそこらが関の山なのだ。

 これらの魅力に取り憑かれた者は多かったらしい。カン地方では眷属が授けた鋼仕(こうし)術は押しやられ、(またた)く間に狂屍(きょうし)術が席巻したという。


「それだけの術士がいて、何故(なぜ)ホクカンは今まで攻勢に出なかったのでしょう?」


「それはジョンシャンの調略に十年以上も掛けたから……。いや、シメオン殿が問題としているのは更に前か?」


 シメオンの指摘に、マティアスは一旦反論しかけた。しかし彼はカンの三国が二百年もの歴史を持つことを思い出したらしい。


 ホクカン、ナンカン、セイカンの三つとも、建国直後から自身こそがカン帝国の後継者だと主張した。

 国土が最も広く人口も最大のホクカン。南都と呼ばれる良地を押さえたナンカン。カン帝国直系を誇るセイカン。他をカン帝国正統と認めたら膝を屈するしかないという事情もあるが、三国の全てがカンの覇者となるべく長い抗争への道を選んだ。

 したがって優れた術士が揃っているなら、とっくの昔に符術や憑依術を駆使した戦を仕掛けている。シメオンは、こう言いたいのだろう。


「やはりホクカンは一枚岩じゃない……少なくとも皇帝と神角(シェンジャオ)大仙の二派があるんだろう。そして大仙が近年になって皇帝に協力するよう命じた……その理由までは分からないが」


 シノブは狂屍(きょうし)術士の祖師が絡んでいると(にら)んでいた。

 このシェンジャオ大仙と呼ばれる人物が全ての鍵を握っており、ホクカン皇帝は彼の操り人形では。それどころか既に体を乗っ取られ、本来の皇帝は亡き者となっているのでは。そんな予感すら(いだ)くシノブだが、めでたき日には似合わないと口を(つぐ)む。

 これからシルヴェリオとオツヴァの結婚式だというのに、わざわざ皆の心に暗い影を植えつけることもなかろう。帰路でも相談できるし、カンビーノ滞在中に主な者だけ集めても良い。そうシノブは考えたのだ。


「大まかには以上です」


「ありがとう。後は報告書を読ませてもらうよ」


 ソニアは主の内心を察したらしく、報告を終わりにした。そこでシノブも(ねぎら)いの言葉を贈り、カンについては以上だと暗に宣言する。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 食事を終えたら片付けだ。作ってもらったから今度は自分達がとシャルロット達が名乗りを上げたが、シノブは今日くらいはと断った。

 もっともシノブには魔術があるから、後片付けも楽なものだ。水流と浄化の術の併用で汚れを落とし、抽出の術で水気を払うだけである。

 そのため十五人分の皿も、あっという間に綺麗になっていく。あまりに早すぎて食器棚に収納するシメオンとマティアスの方が忙しいくらいだ。


「さて、終わった。リヒト、待たせたね~」


「と~!」


 シノブがキッチンを出ると、待っていましたとばかりにリヒトがハイハイで寄ってきた。もちろんシノブは屈んで待ち構え、リヒトが辿(たど)り着くと同時に抱き上げる。


「素晴らしいですね。ナタリオも……」


「きっとそうなりますよ。船乗りは甘すぎるほど子供に構うものですから……長く留守した埋め合わせなんでしょうけど」


 憧れめいた表情で呟くアリーチェに、モカリーナは何かを懐かしむような顔で応じる。

 モカリーナの実家、マネッリ商会は海運業だ。おそらく幼いころの彼女も、父の帰りを待ちわびたに違いない。


 一方アリーチェは、嬉しいような困ったような複雑な面持ちだ。

 ナタリオはイーゼンデック伯爵でもあり、彼が航海している間はアリーチェが領政を受け持つしかない。幸い双方の実家が優秀な家臣団を付けてくれたが、やはり彼女の気苦労は大きいようだ。

 モカリーナもアルバーノが留守の間はメグレンブルク伯爵領を切り回しているが、商会経営の経験が活かせるからか苦労している様子はない。それに海運商だと妻が留守を預かる例が多いから、一種の慣れがあるのだろう。


「ソニアも、もう少ししたらロマニーノと挙式だね。おめでとう」


「あ~! あう~!」


 シノブはリヒトをあやしつつ皆が待つソファーへと歩んでいったが、そのときソニアに伝え忘れていた件を思い出した。


 ロマニーノとはソニアの従兄弟、つまり彼女と同じエンリオの孫だ。

 現在ロマニーノはカンビーニ王国の駐アマノ王国大使を務めているが、シルヴェリオとオツヴァの成婚後にアマノ王国に移籍する。まだまだ人材不足のアマノ王国は優秀な人材が欲しいし、カンビーニ王国はアマノ王国に貸しを作れると双方の思惑が一致したのだ。

 カンビーニ王国はリヒトに自国の姫を嫁がせたいと申し込んできた。相手はシルヴェリオの長女ミリアーナ、ただし生後三ヶ月半の赤子だから内々の話だ。

 そのため家臣の移籍で恩を売れるならと、カンビーニ王国は一も二もなく賛成した。ロマニーノはシルヴェリオの親衛隊員だったから、故国にも充分な配慮をしてくれると(にら)んだのもあるらしい。


「ありがとうございます。これもシノブ様とシルヴェリオ殿下のお陰です」


 ソニアは嬉しげに頬を染めていた。彼女はロマニーノに、幼いころから憧れていたそうだ。

 ロマニーノはソニアの六つ上、それに若くして王太子の親衛隊員になるだけあって早くから優れた腕を示した。ちょうど良い年齢差で身近な男性、しかもアルバーノに似て整った容姿の爽やかな好青年。これで慕わない方が不思議だと、シノブも頷いたものだ。


 そのロマニーノだが、カンビーニ王国での最後の務めを果たすべく先乗りしている。シルヴェリオは結婚式の側付きに彼を指名したのだ。

 これを終えたらロマニーノはアマノ王国に移籍だ。後任の大使は一足先にアマノ王国入りしているし、引き継ぎも既に終えたという。

 アマノ王国での配属先はソニアと同じ情報局、暫くはアマノシュタットでの勤務だろう。しかしロマニーノ自身は潜入任務を望んでいるから、妻と共に異国で情報収集する日も遠くなさそうだ。


「ほんに似合いの二人じゃの。……しかし今気がついたのじゃが、この中で相手がいないのは(わらわ)だけなのじゃ……」


 最初は目を細めつつ頷いていたマリエッタだが、途中から意気消沈も顕わな声となる。

 アミィとリヒトも配偶者や婚約者はいないが、相手は神の眷属と一歳にも満たない乳児である。そのためマリエッタならずとも、二人を自身と同列に扱わないだろう。


「マリエッタ、諦める?」


「嫌じゃ」


 エマの吐息のように密やかな問いに、マリエッタも彼女にしか聞こえないだろう小声で応じた。そのため殆どの者が交わした言葉を聞き取れなかっただろう。

 しかしシノブの鋭敏な感覚は、二人の会話を捉えていた。それにシャルロットも気付いたらしい。


──もう少し様子を見ましょう。マリエッタの向上心は貴方に近づきたいという想いからですし、下手に拒絶すると目標を失って迷走しかねません。それに彼女は十三歳、成人まで二年もあります──


 悩めるシノブを見かねたのか、シャルロットが思念で語りかける。

 シノブは自身の気持ちをマリエッタに伝えようと考えたことがある。しかし今は多感な時期だからと、シャルロットが反対したのだ。


──分かった──


 マリエッタを預かったのはシャルロットだし、女性のことは女性に任せるべきだろう。そう思ったシノブだが、一方で諦めなかったらどうなるのかと案じもする。

 しかし代案もないし、時間があるのも事実だ。そのため今はマリエッタの成長を優先しようという妻の主張に同意した。

 それにシノブも、どこまでマリエッタが伸びるか見てみたくもあったのだ。


「相手といえば、アルバーノさんはどうするのでしょう?」


「そうですね~。あの女艦長ベティーチェさんに、潜入部隊に加わったロセレッタさん。私も色々聞いていますよ~」


「それは貴女が噂好きだからでしょう。……しかし伯爵家の婚姻となれば、国家的な問題でもありますね」


 どうやらアミィは話題を変えようとしたらしい。それを察したのかどうかミレーユが続き、更に(たしな)めつつもアリエルが興味ありげな様子を示す。


「アルバーノ殿か……上手く逃げたようじゃの」


「急いで潜入部隊を結成して旅立ったのは、それもあると思う。カンビーニ王国に行けば、それぞれの親から質問攻めに合うから」


 マリエッタは渋い顔となり、エマは逆に驚嘆めいた表情で言葉を紡ぐ。そして聞き手達の多くは、失笑めいた笑いを(こぼ)す。


 ベティーチェはエルネッロ子爵の娘、ロセレッタはカプテルボ伯爵の娘。どちらもカンビーニ王国の貴族だから、王太子の結婚式を祝いに来るだろう。

 しかしアルバーノはモカリーナと結婚して半年少々である。もし第二夫人を娶る場合でも、もう暫くは二人の時間を楽しみたい筈だ。

 そのためアルバーノが避けるのも仕方ないと、マリエッタ達は思ったのだろう。


「そ、その……(まこと)に申し訳なく……」


 例外の一人、アルバーノの実父エンリオが恥ずかしげに口を開く。

 長くカンビーニ王家に仕えたエンリオにとって、今もマリエッタは特別な存在らしい。彼女の母フィオリーナからも頼むと言われたようで、非公式だが後見人に似た心境なのだろう。

 そのマリエッタから非難めいたことを言われては、エンリオが赤面するのも無理はない。それにモカリーナも夫を(とが)められたと感じたらしく、こちらも義父と同様に頭上の猫耳を伏せていた。


「え、エンリオ!? (わらわ)はアルバーノ殿が見事だと言いたかったのじゃ! そう、今は時期ではない……まだアルバーノ殿は新婚同様、ここで顔を出しても(こじ)れるだけじゃろう!」


「私も行かない方が良いと思う。期待させても悪いし、先延ばしめいたことを言っても怒りそうだから」


 両手を振りつつ弁解めいた言葉を紡ぐマリエッタと、淡々と自身の考えを披露するエマ。対照的だが、二人は逃げるのも作戦のうちと捉えていたらしい。


「アルバーノは我が国が誇る隠密名人だが、決めるべき時は決める男だ。そのときが来れば、誰もが納得する答えを示すよ」


 シノブの穏やかな言葉に、集った者達は楽しげな笑みで賛意を示す。それにエンリオやモカリーナも愁眉を開く。


 決めるべき時は決める。自身も時が来たら、マリエッタに誠心誠意の答えを伝えよう。明るい笑声(しょうせい)が満ちる中、シノブは己の言葉を自身の胸に刻み込んでいた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年7月18日(水)17時の更新となります。


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