26.16 ナンカン皇帝の決断
ナンカン皇帝の孫文大は、ジヤン川の至近に葛将軍の父師貢と弟師明を残した。彼らと配下の隊を、念のための備えとして置いたのだ。
都市ウーロウに戻る前、シノブは土魔術を使って一応の陣地を用意した。ホクカン軍が築いたものは巨大像の材料とされ、全て消失したからだ。
グオ将軍の父と弟、彼らが指揮する近衛兵。およそ二千が臨時の国境守護隊となり、シノブが作った陣地でホクカン軍の再侵攻に備える。
このままホクカンが諦めるとは到底思えない。
ホクカン軍には分家とはいえ皇帝家の一族がいた。それに総司令も、五烈将と称えられる極めて高位の武官らしい。
およそ二百年前の建国時と違い、後の五烈将は血筋の良い者が継いできた。皇帝の分家一族に加えて別格の名家出身者を送り込んだのに、たった一度の敗北で諦めはしないだろう。
むしろ完敗というべき結果に激怒し、皇帝家の威信を保つために大軍を送り込むに違いない。ナンカン軍の中枢に、これで終わったと油断する者はいなかった。
皇帝ウェンダーはグオ将軍と共に都市ウーロウへと戻る。この二人と護衛の近衛が数隊、そしてシノブ達は一団となって南を目指した。
ホクカン軍を撃破したとはいえ、まだ敵の刺客が潜んでいるかもしれない。そのためシノブ達は油断せず、かといって急ぐ必要はないから転移は選ばなかった。
シノブは短距離転移や魔法の家をなるべく隠したかった。それにナンカンには完勝を強調する必要があったから、皇帝や将軍による堂々たる凱旋が選ばれたのだ。
そんなこともあってシノブ達がウーロウに着いたときには、既に捕虜から一定のことを聞き出していた。
「総司令は越文仟、やはり五烈将でした」
ウーロウ守護のため残っていた近衛の隊長が、ホクカン軍総司令から聞き取ったことを報告する。
シノブは総司令と副指令、それに巨大像を操った狂屍術士の老人を、一足先にウーロウへと転移させた。そしてナンカン軍近衛隊が武人達、アミィが術士を取り調べた。
カンにも催眠魔術を応用して尋問しやすくする技があった。悪用を恐れて習得できるのは極めて一部としているが、皇帝の側近ともなれば数人はいる。
ただし高位の術士は魔術への抵抗力も強い。そこでウーロウ太守の娯仲祥、多数の木人を使った中年男、巨大像を操った老人はアミィの担当となったのだ。
そのためアミィも報告側として、シノブやウェンダーを始めとする聞き手の前にいる。
「ユエ家はホクカン建国以来の名家、しかし当代については情報が少なく……」
「向こうは厳しく情報統制をしていますからね」
済まなげな顔をしたウェンダーに、シノブは微笑みで応じる。
シノブ達も密かに調べたが、ホクカン中枢に関しては謎に包まれたままだ。向こうを巡ったのはミリィや光翔虎達で、しかも大半が後者だからだ。
ミリィは全体の統括があるから、ナンカンの都ジェンイーを長く離れるのは難しい。そして光翔虎達は人間の暮らしを大まかにしか知らないし、まずは都市や軍事拠点の把握だと大半の時間をそちらに割いた。
ホクカンには狂屍術士の祖師、神角大仙が潜んでいるらしい。魂を操り結界術を駆使する彼や配下に無策で迫るなど、愚かに過ぎるというものだ。
それを思ったらしく、シノブの隣でシャルロットも大きく頷く。広間の上座には四つの豪華な椅子が据えられ、そこに大神官の願仁、ウェンダー、シノブ、シャルロットの順で座っているのだ。
他は背後や脇に並んでいる。
アマノ王国側はエンリオや彼の配下、アリエルとミレーユ、それにマリエッタやエマなどシャルロットの護衛騎士達もいる。ナンカン側も高位の者が揃っているが、グオ将軍はいない。
グオ将軍はホクカン武人の取り調べ、それにイヴァール達も少しでも情報を得ようと同席している。アルバーノは術士の尋問だ。
今はアミィに代わってミリィが術士達を見張り、周囲はソニアなど情報局員が固めている。ミケリーノや三人の女騎士、フライユ伯爵領から加わったファルージュも一緒だ。
こちらは他地方の符術や魔術を元にした質問もするから、ナンカン側の同席は断った。皇帝ウェンダーはシノブを救世主としたから、このような無理が通ったのだ。
「指揮官達も同様です。あの曹紫修のようにホクカン皇帝家の分家すらいますし……」
報告に来た近衛隊長は、シノブがナンカン陣地に転移させた武人達の素性を並べていく。
まだ戦闘の直後、捕虜とした者達から聞き取れたことは少ない。それでもホクカンが大侵攻を企んだことなど、概要は明らかになってきた。
ホクカン皇帝の曹紫煌は、およそ二年前からナンカン侵攻の準備を始めたようだ。ただし元は慎重派で、むやみに攻め込むような人物ではなかったという。
もちろんシファンもカン地方の統一を掲げており、かつて存在したカン帝国の正統後継者はホクカンだと主張していた。つまり彼は戦を否定してはいないが、無駄な被害を出す者は厳格に裁いたそうだ。
しかし分家のシシュウの証言では、皇帝シファンは創世暦1000年ごろから方針を転換したらしい。そのころから彼は、大きな成果を得るなら犠牲も仕方なしと考えを変えたようだ。
──誰かがシファンを入れ替えたんじゃないか?──
──ありえますね。シェンジャオ大仙は狂屍術士、スキュタール王国のように木人や鋼人で替え玉を作るのは容易でしょう──
──精神再構成の術かもしれません。式神を作るときに使う術で、生きたままだと精神崩壊するのですが……相手は祖師と呼ばれる大物ですから──
シノブの放った思念に、シャルロットとアミィが応じる。
アスレア地方のスキュタール王国ではシェンジャオ大仙の弟子が国王を始めとする要人を鋼人に封じたり成り代わったりした。彼らの師なら当然できるだろうし、アミィが指摘したように更なる上位の技を使うかもしれない。
なにしろシェンジャオ大仙は六百年近く生きているらしい相手だ。おそらく何度も新たな体に乗り換えており、彼がシファンの体を乗っ取って皇帝を演じていても不思議ではない。
それに高弟にすら秘した技があるかもしれない。生きたまま操り人形にする、内部に仕込んだ式神で精神を操作する。それらも充分にあると、シノブも改めて気を引き締めた。
ただし判明した事柄が少ないから、武人達に関しての報告は短かった。ユンレンは神官の常として政治に口を挟まないから、皇帝ウェンダーが問うて報告担当が答える形で終わる。
◆ ◆ ◆ ◆
次はアミィの番、ウーロウ太守の娯仲祥を含む術士達についてだ。
「巨大像を操った老人はシェンジャオ大仙の直弟子でした。ただし体の乗り換えは未経験ですから、直弟子の中では末席というべきでしょう。そして木人使いが老人の弟子、太守のジョンシャンが孫弟子です」
アミィは三人の関係から説明した。シノブとシャルロットは思念で概要を聞いていたが、他は呼吸すら忘れたかのように聞き入るのみだ。
老人の名は土角。名の通り、土や岩を使った式神を得意とする。
トゥジャオはシェンジャオ大仙から直接指示を受けてナンカン攻略に加わったようだが、捕らえたばかりで聞き出せたことは少ない。
しかし太守や木人使いの傀角を捕縛したのはホクカン軍と戦う前だから、多くの事が判明していた。
「ジョンシャンは十年前から狂屍術を学んだそうです。最初クイジャオが流れの術士を装ったこともあり、ホクカンの接触と気付かなかったとか……」
僅かだが、アミィは眉を顰めていた。
ジョンシャンは放出系の攻撃魔術も使えるが、制御が苦手で実戦に出せるほどではない。それに身体強化も不充分、治癒魔術のように日常で役立つ技も使えなかった。そのため彼は、長いこと強い劣等感を押し殺しながら生きてきた。
しかしジョンシャンは自身に向いた術を学ぶ機会を得た。
狂屍術は禁術とされており表向きは使えないが、一廉の術士としての自尊心は得られる。そこでジョンシャンは、隠し技として秘匿し続けるつもりで習い始めた。
実際に才能はあり、彼は十年で大量の符を自在に操るまでになった。それに木人や鋼人への憑依も習得している。
「ただしクイジャオは、式神を像に宿らせる方法まで教えなかったようです。目的はジョンシャンを狂屍術士と呼べる腕にすることですし、それらは不要と考えたのでしょう。それと牧草地に穴を開けたのはクイジャオでした」
「そうだったのか……」
「あの罠を仕掛けた相手……」
アミィの言葉に、ナンカンの武人達の多くが思わずといった様子で声を漏らす。
初戦での死者や負傷者は多く、軍馬も随分と失った。それに比べると今回はシノブ達の助勢もあり、割合としては遥かに損害が少ない。
そのため武人達は、改めて狂屍術の恐ろしさを痛感したようだ。
たった一人の単なる農民に見間違う男が大損害を与えたのだから、先祖達が禁術に定めたのも当然。そのような声が各所から上がる。
「静かに。アミィ殿、続けてくだされ」
「クイジャオは術士としての名が示す通り優秀な傀儡使いですが、師のトゥジャオのような並外れた巨大像を動かす域に達していません。それもあって潜入担当となりましたが、術士としての傾向がジョンシャンと似ていたのもあるようです」
皇帝ウェンダーが家臣を制すと、アミィはクイジャオが潜入担当となった経緯に触れる。
どうやらホクカン側は、十年以上前から都市ウーロウを狙っていたらしい。ウーロウから都のジェンイーまで僅か50km、ここを通るのが最短距離だから当然ではある。
ホクカンの間諜達は、様々な手段でウーロウの情報を集め続けたのだろう。そして彼らは太守のジョンシャンに符術士としての才能があると見抜き、それをホクカン中枢が利用できると判断した。
つまり十年どころではない入念な調査の結果で、どう誘えばジョンシャンが落ちるか研究済みだった。そして計画通りに彼を狂屍術士とし、退路を断ったたわけだ。
「ジョンシャンが更に大きな都市の太守になりたいと願ったのも、ホクカンが吹き込んだからか……」
「おそらくは。それに後戻り不可能となってからは、自分自身に言い聞かせていたのでしょう」
ウェンダーの呟きに、シノブは自身の推測を伝えた。すると相手は大きく頷き返し、再びアミィへと顔を向け直す。
「アミィ殿……ジョンシャンと言葉を交わしても良いでしょうか。彼と直接話がしたい……その上で相応しい罰を与えようと思います」
「問題ありません。『魔封じの枷』をしていますし、符も所持していませんから」
皇帝直々の願いだし、今のジョンシャンに何かが出来るとは思えない。そう考えたらしくアミィは間を置かずに承諾し、自分が連れてくると辞去する。
思念でミリィに連絡すれば済むが、あまり見せびらかすのもどうかとアミィは考えたのだろう。
シノブやアミィ達が何らかの手段で連携したのは明らかで、戦場では遥か彼方にいるにも関わらず伝えておくと請け負ってもいる。とはいえ自身に出来ないことを羨むのは人の常、それどころか禁術使い達のように恐怖の対象として遠ざけられるかもしれない。
せっかく友好的な関係を結べたのに、些細なことで亀裂が生じるなど愚かしい。そこでシノブも帰還は徒歩にしたくらいだ。
「陛下はジョンシャンに、どのような刑を与えるだろうか?」
「普通なら極刑だが……しかし完全に嵌められたわけだ。悩ましいな……」
つい先ほどまで裏切り者と憤っていた近衛兵達だが、あからさまに殺せという者はいなかった。このように手の込んだ策謀が自身に降りかかったら、果たして逃れられるかと想起したのだろう。
もちろん近衛兵達は符術士の適性を持っていないが、向いていたらホクカンが目を付けたかもしれない。ならばジョンシャンは運が悪かっただけと言えるのでは。そのような声すら聞こえてくる。
アマノ王国の者達も憂いを深める。こちらは善良な符術士が大勢いると知っているだけに、もしカンが符術を禁じていなければと考えたらしい。
木人などを操る憑依術も広義だと符術に含まれるし、それらはメリエンヌ学園でも飛行船の組み立てなどに用いている。危険な作業や並外れて大きなものの組み立てなど、平和的な利用法は幾らでもある。
そもそも木人への憑依をエルフ達に教えたのは神の使者たる眷属だから、他の魂を道具とせず自身で符や像を動かすのは神々の教えにも適う技である。
◆ ◆ ◆ ◆
アミィと共にジョンシャンを連れてきたのは、アルバーノとファルージュだった。
ジョンシャンは両手を縛られているし、武人の二人が両脇を固めている。服も街で買った白い単衣に着替えさせており、まさに罪人そのものといった姿である。
五十がらみの威厳のある容貌も、今は血の気が引いて紙のように蒼白だ。それに太守に相応しい貫禄の太い体は僅かだが震えている。
おそらくジョンシャンは、極刑を宣告するために引き出したと思っているのだろう。
「ジョンシャンよ。そなたが十年もホクカンの手先だったとは……。しかも禁術に手を染め、虫とはいえ多くの命を符に変えるなど言語道断」
ウェンダーは皇帝に相応しい低く太い声を、広間一杯に響かせる。
ジョンシャンは身を竦め、顔を伏せる。それに近衛達も浮かぬ顔で、皇帝の怒りは激しく罪を減じることはなさそうだと囁き合う。
──ここはウェンダー殿に任せよう。たぶん最善を選ぶと思うから──
──ええ。罪人の処罰まで介入するようでは、先々は政治すら貴方が背負うことになるでしょう。それに私も、ウェンダー殿が賢明な選択をすると信じています──
──アムテリア様達も、お二人と同じお気持ちで地上を見守っているのだと……あくまで私の想像にしか過ぎませんが──
シノブとシャルロットが静観すると告げると、アミィは僅かに安堵の滲む思念を返した。
基本的にアミィはシノブ達の思うようにさせているらしい。助けはするが、どのような道を選ぶか決めるのはシノブ達という考えなのだろう。
シノブを鍛え導き、先々は神々と並べるだけの器量に育てる。おそらくアミィが授かった使命は、そういった内容なのだ。
そのためだろう、アミィがシノブの決断に反対することは極めて稀だ。彼女は失敗も経験のうち、取り返しのつかないことでなければ、後で諭せば良いとしているらしい。
「……太守は優れた統治者であれば良いのだ! 大きな魔力があるから術士に未練を感じるなど愚かしいにも程がある……ましてや流れ者の言葉に乗るなど、心底呆れ果てたわ!」
シノブ達が密かな会話を続けている間にも、ウェンダーの弾劾は続いていた。
獅子吼というべきウェンダーの烈声に、集った者達は押し黙るのみだ。これは口を挟むどころではないと近衛達も様子見、エンリオ達アマノ王国の武人は元から割って入る立場にない。
そしてウェンダーの視線の先では、今更ながら自身の行いを悔いたのかジョンシャンが膝を突いていた。恭順の意を示すため跪いたのではないらしく、彼は滂沱の涙を流すのみだ。
少なくともジョンシャンが弱い男だったのは間違いないだろう。
魔術への屈折した思いを抱え続けたこと。流れ者として接近したクイジャオの甘言に乗ったこと。これらは過去を捨てきれぬ彼の一面を示している。
ウーロウは都市とされる規模の半分しかないが、そこで功績を上げれば栄転だってあるだろう。それに国境に近い都市を守るのを誇りとし、防人の長として名を残す道も選べた。
しかしジョンシャンは大魔力を持つのに有用な術が使えぬという思いを捨てきれず、売国奴となった。そこにクイジャオ達の誘導があったにせよ、転落への道を選んだのは彼自身である。
「……この大罪をそなた一人で済ますわけにいかぬ。何しろ太守の反逆だ……神々の教えに反するが、家族を含めて罪を背負わせるしかない」
「それだけは! 既に覚悟は決めております。私自身でしたら如何なる仕置きでも構いません! しかし妻子だけは何卒!」
ウェンダーが家族も罪に問うと宣言した瞬間、ジョンシャンは弾かれたように顔を上げた。そして彼は涙に濡れた顔のまま、家族には穏当な扱いをと嘆願する。
アムテリアは罪に関与していない者の連座を禁止した。もちろん当人が地位を失えば付いていった妻子も苦労するだろうが、罪人とされるのは罪を犯した者のみと定めたのだ。
近代以前の地球では一族郎党の処刑も珍しくないが、そういった習慣をアムテリアは嫌っていたようだ。
そのためカン地方でも苛烈な仕置きは目にしないし、罪人を晒したり妻子まで処刑したりすれば人々は君主にあるまじき暴挙と受け取るだろう。ここナンカンは神々が授けた教えを尊んでいるから、荒事を担当する武人達すら眉を顰めている。
大神官として諫めるべきと思ったのか、ユンレンは隣の甥を見つめた。しかし神々が神官の政治介入を固く禁じたからだろうが、彼はウェンダーに意見しないまま再び前を向く。
「ようやく目が覚めたか? しかし家族には旅立ってもらうぞ……ジェンイーにな。
ジョンシャン、そなたは鋼仕術士となれ! 木人や鋼人に憑依し、ジヤン川岸に防壁を築くのだ! 妻子は人質として預かるが、元太守の家族に相応しい暮らしを保証しよう……それに子供達は才覚や行い次第で取り立ててやる!」
ウェンダーが口にした鋼仕術士とは、符術が邪道とされる前の名称だ。
かつて鋼仕術士達は憑依術で巨大像に乗り移り、大神像の建造や都市の防壁造りなど様々な公共事業で活躍した。つまりウェンダーは、正しき術であれば禁忌としないと宣言したわけだ。
他の地方には、符術や木人術を人々のために役立てる魔術師がいる。それをシノブ達から聞き、ウェンダーは自国の方針を改めるべきと考えていたのだろう。
ホクカンの再侵攻に備えるなら、ナンカン側にも同様の術を使える者を置くべきだ。魂を操ったり作り変えたりする技は禁じるべきだが他を封じる必要はないし、狂屍術を知るジョンシャンは貴重な情報入手源にもなる。
おそらくウェンダーの決断は、温情に加えて今後の戦いを見据えた結果なのだろう。
「陛下……ありがとうございます。この命、陛下とナンカンに捧げます」
ウェンダーが裁き終えると、ジョンシャンは顔を床に着けて感謝の意を示す。
太守の地位は追われたが、捨てきれぬ魔術への思いは叶えられたとも言える。死罪を覚悟していた彼に職を解かれた不満はないだろうし、子供は努力次第で官人や武人となる道が開ける。
寛大極まりない皇帝の言葉に、ジョンシャンは無私の奉公で応えると誓っていた。それに集った者達も君主に相応しい仁慈に顔を綻ばせていた。
◆ ◆ ◆ ◆
改心を示したジョンシャンを、アミィはナンカン側に引き渡した。
念のために『魔封じの枷』を嵌めたままだが、もはや催眠など使わなくともジョンシャンは取り調べに応じるだろう。それにホクカン軍の再侵攻に備えるなら、早く防壁建造に取り掛かるべきだ。
ジョンシャンは大人の三倍程度の巨像を操れるという。自身が憑依してだから一体のみだが、防壁作りに大きく貢献できるだろう。しかも関節部が動くようになっていれば、丸太を組み合わせただけの像でも問題ないそうだ。
それを聞いたウェンダーは、木工職人に急いで像を作らせることにした。簡単な構造だから短期間で完成するだろうし、それまでに取り調べを済ませようという算段だ。
近衛から二人が歩み出ると、ジョンシャンの腕に手を掛けて室外へと連れていく。それを横目にシノブ達は今後の相談に移る。
シノブは今日一杯で自国に戻ると告げていた。
何かあれば再び来訪するが、それまではミリィを始めとする配下をカン地方に残すのみ。シノブはアマノ王国の君主だから、必要もないのに長く留守にするなど許されないからだ。
既にナンカンは夜も更けており、日が変わるまで二時間少々だ。ただしアマノシュタットとの時差は六時間で向こうは15時台だから、シノブ達に夜更かしをしているという感覚はない。
とはいえ翌朝までいたらアマノシュタットでは零時ごろ、そこでシノブは事前に期限を切ったのだ。
「シノブ殿、私はセイカンに使者を出そうと思います。今まで彼らは拒み続けましたが、ホクカンが大侵攻に出たと聞けば少しは考えを改めるでしょう。何しろナンカンが落ちたら、次は彼らの番ですから」
「ウェンダー、私が行きましょう。向こうとは神官の交流もありませんが、大神官が訪れて話もせずに追い返しはしない筈……もし入国できないなら、国境で神官の誰かと言葉を交わします」
皇帝の決断を支持したのは、叔父で大神官のユンレンだ。
地球の歴史でも、対立する二国を聖職者が取り持った例は多い。そのためシノブも良い案だと感じた。
しかし対ホクカン連合の成立までは、それなりの時間が掛かるだろう。そこでシノブは、自分達も動こうと心を決めた。
「ウェンダー殿。私の手の者をホクカン偵察に出しましょう。……アルバーノ、頼むぞ。潜入部隊の選抜は任せるから、好きに選んでくれ」
「ご指名、光栄の極み!」
アルバーノは優雅な動作でアマノ王国式の立礼を披露する。
おそらくアルバーノは、カンで率いている者達を選ぶだろう。つまりミリテオや三人の女騎士、それに隣にいるファルージュなどだ。
場合によってはソニア達も連れていくかもしれないが、そのときはジェンイーやウーロウに置く情報局員を呼び寄せれば良い。
「後はウーロウに連絡役を……できれば武人が……」
シノブはウーロウにも武官を置きたかった。それも情報局員ではなく、表の職で高位にある者だ。
情報局でもソニアなら格としては充分だが、彼女は軍を率いたことがない。もしも再びホクカンが攻めてきたとき客将として助言できたらとは思うが、まさかイヴァール達を置いてはいけないだろう。
イヴァールとアルノーは伯爵だから広い領地を治めている。アルバーノも同じだが、こちらは妻のモカリーナが完璧に代理を務めていた。
マティアスは軍務卿でシメオンは内務卿、長期の留守をしたらアマノ王国全体に影響が出る。そこまで考えたとき、とある者の声がシノブの耳に届いた。
「シノブ様、私が駐留武官を務めます」
「そうだな、ファルージュなら適任だ! 頼むぞ!」
ファルージュはフライユ伯爵領の参謀長で、常日頃から戦略や戦術を研究している。彼自身は放出系の魔術や治癒魔術を使えないが、それらを駆使した戦闘にも詳しいからナンカン軍への助言も可能だろう。
それに高位の武官であれば、今回の捕虜達を尋問する際にも立ち会える筈だ。
ファルージュはアルバーノに師事しており、彼の潜入部隊への参加を望むとシノブは思っていた。しかし広い視野で後方支援を選んでくれたのが嬉しい。
そのためシノブは顔を綻ばせ、声も明らかに弾んでいた。
「若いが優れた武人ですな……身ごなしだけでも分かりますぞ」
「ええ。彼はアルバーノの弟子の一人です。軍略にも長けており、我らの戦術や戦史も深く学んでいます」
ウェンダーの賞賛に、シノブはファルージュが動きやすいようにと少々大袈裟な表現で応じた。そのためだろう、若き参謀長は僅かに頬を染めている。
しかし効果はあったようで、近衛の武人を中心にファルージュを見る目が改まった。アルバーノは先刻の戦いでも目覚ましい活躍をしたし、初戦では正体を隠して彼らの窮地を救ったからだ。
今後の方針は、とりあえずだが定まった。それに誰を動かすかも大まかにだが決めた。もう少しでアマノシュタットに帰れると考えたシノブだが、そう簡単には戻れないようだ。
広間の大扉が、激しく叩かれたのだ。どうも危急を告げる使者らしい。
「陛下と救世主様がいらっしゃるのだ! 些細なことなら後にしろ!」
下座の端にいた若い近衛兵が駆け寄り、今は遠慮しろと叫び返す。
シノブはホクカン皇帝シファンの対抗馬として新世紀救世主と名乗ったし、出会ったときウェンダーは予言の救世主だと公言した。それに前線にいた者達は人との技と思えぬシノブの戦いを目にしているし、ウーロウの守護担当も彼らから聞いている。
そこで若い近衛兵達も、急ぎ以外なら後回しにすべきと判断したわけだ。
「そ、それが……玲玉殿下と忠望殿下がお見えで……」
「子供達が? ……通せ!」
扉の向こうからの応えに、ウェンダーは眉を顰めた。しかし彼は結局、皇女と皇子を入室させるようにと命じた。
「大胆な……」
「敵を撃退できたから良いが……」
戦いは完勝で終わったが、一つ間違えばウーロウも戦地になったかもしれない。そのため近衛の大半は渋い顔をしている。
──困ったなぁ。まさか戦場まで来るとは思っていなかったよ──
──またアマノ王国で学ぶ者が増えそうですね──
ぼやくシノブに、シャルロットは冷やかし気味の思念で応じる。彼女は夫を深く信頼しているようで、皇女の留学でも問題ないと考えているらしい。
皇女リンユーは十六歳で年頃、未婚で婚約者も定めていない。どうもウェンダーは、今少し婿候補を見極めてからと思っていたようだ。
皇子ヂョンワンは次男、留学しても問題ないと思われる。まだ彼は十三歳だから、他国で学ぶ意義も大きいだろう。
したがってウェンダーが二人の入室を許可したのも、シノブに会わせるためと考えた方が良さそうだ。勝手に危険な場所に来たことには怒ったらしいが、今は叱責より重要なことがあると考え直したのだろう。
──皇女ならシャルロット様預かり、皇子ならシノブ様ですね。確か皇女は拳法の名手、第二皇子は魔術を学んでいるとか──
アミィも平静なままで、シャルロットが知らないだろう事柄を語り出す。
これまでシノブとアミィは数度ナンカンに訪れており、皇帝家に関する噂話やミリィ達が調べたことも頭に入れている。しかしシャルロットは初の訪問だから、シノブ達ほど詳しくない。
──幸い俺は救世主とされたから、嫌なら断れる。受け入れるときは男だな。面倒なくて良いから──
──留学に値する人物ならば、ですね。優秀な姉を差し置いてでは、納得しない者も出るでしょう──
──大丈夫だと思いますよ。次男は皇族の中でも魔力量が多いとミリィが言っていました──
都合の良いことを語り出すシノブに、シャルロットは釘を刺す。彼女も政略結婚の申し出など望んでいないだろうが、それでも理由なき拒絶は禍根を残すと考えたようだ。
しかしアミィの指摘通りなら、問題はなさそうだ。そのためシノブとシャルロットは、密かに笑みを交わしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年7月7日(土)17時の更新となります。