05.15 舞え! ドワーフの愛馬 後編
領都セリュジエールの外にある領軍の馬場に、出走を告げるラッパの音が高らかに響いた。
騎士が吹くラッパの鋭い音に、イヴァールが騎乗するヒポは猛然と駆け出した。
「おお、素晴らしいスピードですな! ドワーフ馬があんなに速かったとは……」
シャルロットの脇に立つ領都守護隊司令マレシャルは、彼女とシノブを振り返り、驚きの表情を見せた。
イヴァールを乗せたヒポは、伝令騎士ボーニの軍馬と遜色ない速度で疾駆している。
ボーニはイヴァールに先立ち、約12kmの『戦場伝令馬術』のコースを12分15秒で走破していた。
整地されたコースを駆けるわけではない。自然同様の起伏があり不整地や障害もある『戦場伝令馬術』のコースを走破するのは、並の伝令騎士では15分近くもかかる。
丸っこい馬体の通り鈍重なドワーフ馬であるはずのヒポが、優秀な伝令騎士ボーニの操る軍馬に劣らぬスピードで駆けていくのは、軍歴が長いマレシャルには信じられない光景であった。
「ヒポはアハマス族のドワーフ馬の中でも一番だそうですから」
シノブは、特訓の成果が出たことに笑みを隠せなかった。
彼らは三日間、領都から10km離れた大演習場を借り切って『戦場伝令馬術』の特訓をしたのだ。終日イヴァールとヒポは大演習場で訓練し、シノブもなるべく時間を割いて大演習場へと通っていた。
伯爵家の魔術指南役となったシノブは、今や正式に俸給を貰う身だ。領軍参謀長などと同じく大隊長格の俸給を貰う彼は、その職務を放棄するわけにはいかない。
シノブはこの三日間、領軍での魔術に関する講義などを終えてから、特訓へと参加する忙しい日々を送っていた。
だがその甲斐あって、特訓の成果が今ここに示されていた。イヴァールが操るヒポは、ミレーユが騎乗したリーズを思わせるような軽快さで馬場を舞うように駆け抜けている。
「おお、跳躍も見事だ!」
領都守護隊の本部隊長アジェも感嘆の声を上げる。ヒポは、ずんぐりした体に似合わない軽やかな跳躍を見せ、人の背ほどもある生垣を飛び越えていた。
シノブは、これなら先日ミレーユが出した13分か、自分やアミィの記録である13分半くらいはいけるのではないかと思った。
──アミィ、タイムはどうかな?──
シノブは、こっそりアミィに心の声で語りかける。
──いい調子です。これなら13分台前半は間違いないと思います──
アミィは、シノブを見上げると薄紫の瞳を輝かせて微笑んだ。
彼女がスマホから得た計測能力でも、ヒポは良いペースで駆けているらしい。
シノブは、アミィの答えに安心し、微笑み返した。ボーニほどではないが、並の伝令騎士の記録である15分は大幅に上回っている。これならヒポの能力を証明するのに相応しいだろう。
「池や水濠も問題ないようですな……」
参謀のジャレットは、僅かに顔を歪め悔しそうな表情を見せていた。
「重心の低いドワーフ馬のほうが、むしろ安定するのでは? まあ、何事もどっしり構えているべきだと思いますよ」
シメオンが、ジャレットに平板な声で自説を展開していた。
彼と一緒に旅してきたシノブには、これがシメオン流の皮肉であることが理解できた。
たぶん、余計なちょっかいをかけてきたジャレットに嫌味を言っているのだろう。そう思ったシノブは内心の笑いを押し殺すのに苦労した。
「あっ、ゴールしました! だいたい13分20秒ですね!」
目の良いミレーユが、ゴール脇の計測用の時計を見て歓声を上げた。
「ジャレット参謀、ジョフレ。ドワーフ馬も中々のものだろう。不利な競技でこれだけ戦えるのだ。決して侮るでないぞ」
シャルロットが、穏やかな口調ではあるが、鋭い眼差しでジャレットとジョフレを諭す。
彼女が言外に含めた意味を悟ったのか、二人は蒼白な顔をして頭を下げた。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、魔法の家でヒポの活躍を祝っていた。
ヒポにご褒美の餌を与えた後、彼らは久しぶりに竜の棲家へと旅した仲間だけで集まっていた。見事な活躍を見せたヒポを祝して、夕食はアミィが用意したご馳走を皆で食べることにしたのだ。
「シノブ、結局どういう特訓を行ったのですか?」
シャルロットは、不思議そうな顔でシノブに問いかける。
軍の本部でもないし、一緒に旅した仲間達だけであるためか、彼女も柔らかい口調となっていた。
「そうです、私達にも教えてください!
あんなに短期間で3分近くも記録を更新できるなんて異常ですよ!」
乗馬の達人であるミレーユは、ヒポが見違えるような速さを身に付けた理由が知りたいらしい。
その身を乗り出すようにして、シノブへと特訓の詳細を尋ねていた。
「ヒポに素早く魔力を動かす方法を教えたんだよ」
シノブは、そんなミレーユの様子に微笑みながら、彼女に答えを返す。
「シノブ様は、ヒポと話すことができるのですか!?」
アリエルはシノブの言葉を聞いて、彼がヒポと会話したと思ったようだ。
シノブは岩竜達と心の声で会話できる。ドワーフ馬と会話してもおかしくないと思ったようだ。
「まさか。竜に使った魔術の逆さ。竜の魔力の波動を逆位相の波動で打ち消したように、ヒポの魔力を部分的に増幅したんだ。つまり、このタイミングでここに魔力を込めれば速く走れると体感させたんだよ」
シノブは、アリエルに種明かしをする。
彼は、岩竜の魔力の波動に逆位相の波動で干渉し動きを鈍らせた。そして、そのことからヒポの特訓方法を思いついたのだ。
正位相の波動でヒポの魔力の波動を増幅してやることで、ヒポに効率的な魔力操作方法を覚えさせた、とシノブは一同に説明する。
「それって馬が脚を動かすのに合わせてやるんですよね。一体、どれだけ早く魔力を操作するんですか?」
シノブの説明に、ミレーユは呆れたような声を上げた。
彼女の脳裏には、馬の駆ける速さに合わせて魔力を移動させる様子が浮かんでいるようだ。常識外の光景を思い浮かべている彼女は、ぽかんと口を開けている。
「普段、身体強化の時には皆さん自分の体内でやっているんですよ。でも、シノブ様のように意識的に他の生き物の魔力まで操作するのは聞いたことはありませんね」
アミィは、そんなミレーユに微笑みかけると、シノブの説明を補足する。
「身体強化をすれば、反射神経も鋭くなるだろ? そうじゃなきゃ、あの速度に自分自身がついていけなくなるし。
まず自分の身体強化をして、自分自身の魔力操作の速度を上げる。そして得た速度で、ヒポの魔力に干渉したんだ」
シノブが言うとおり、身体強化は筋力や瞬発力のみを上げる術ではない。
脳や神経も肉体の一部だから、身体強化で思考速度や反射神経も向上する。それらの処理速度が上がらないのに何倍もの速度を制御することはできないから、当然ではある。
つまりシノブは自身に身体強化を使い、ヒポの動きを制御可能な速度を得たわけだ。
「シノブ様、リーズ達もその方法で鍛えることはできるんですか?」
呆気に取られていたミレーユだが、シノブに聞きたかったことを思い出したようだ。彼女は愛馬リーズを特訓できないかと口にした。
「実はリュミの魔力操作を参考にして、ヒポに効果的な動作を教えたんだ。
たぶんリュミやリーズは、本能的に最適な方法で速度を出しているんだね。ドワーフ馬はどちらかといえば力強さに重点を置いているみたいだから、改善の余地があったんだよ。もちろんヒポが、とても優秀なドワーフ馬だから習得できたんだけどね」
シノブが説明するとおり、彼自身が馬の最適な走り方を知っているわけではなかった。
自分を乗せて走る軍馬リュミエールの動きから、シノブは彼らの魔力の動かし方を読み取った。そして軍馬が体を操る術を、ヒポに乗りながら教え込んだのだ。
つまりヒポは、軍馬達の魔力活用法を習得したわけだ。元から体得しているリュミエールやリーズ達を更に速くするのは、極めて難しいだろう。
「それじゃ、リーズはこれ以上速くならないんですか? 残念だな~」
ミレーユはシノブの説明を聞いてがっかりしたようだ。彼女は天井を見上げ、残念そうな顔をしている。
「まあ、少しくらいは速くなるかもしれないけどね。試してみる?」
シノブは不満げなミレーユに、一応試してみるか聞いてみた。しかしミレーユはあまり効果がなさそうだと理解したようで、特訓を依頼することはなかった。
「アミィにも随分助けてもらったよ。リュミやヒポの走る姿を幻影魔術で再現してもらったり。あれがなければもっと手間取っていただろうな」
シノブは、幻影魔術で協力してくれたアミィを褒めた。
彼の感謝が篭められた言葉に、アミィは嬉しそうに微笑んでいる。
シノブはアミィが見せる高速度撮影並みの幻影で、リュミエールやヒポの疾走する姿を研究したのだ。
彼女の協力がなければ、体格の違うリュミエールの走法をヒポに合うように最適化することはできなかっただろう。
「どちらにしても我々常人にはできませんね。疾駆する馬が脚を動かすより速く魔力を操作することも不可能なら、他人の魔力を自在に操ることもできません。もちろん幻影で再現することもです」
シメオンは自身が活用することは早々に放棄したようだ。
呆れを含んだ笑い顔で、常人では不可能であると言う。
「シノブの領域に達するのは無理だろう。だが、魔力操作次第でヒポがあれだけ速く走れるのだ。俺ももっと修行しないといかんな」
イヴァールは、生来の能力を上手く活用すれば、ドワーフ馬でも軍馬達と互角に『戦場伝令馬術』で競えたことに改めて感心しているようだ。自身の修行をシノブ達に誓っていた。
「そうですね。アミィさんが教えてくれた魔力操作の訓練を一ヶ月行っただけで、私達も随分変わりました。イヴァール殿ももっと強くなれます。岩竜の骨まで届いた一撃だって、まだまだ威力が上がりますよ」
アリエルは、自身の魔術やシャルロット達の武術が大きく上達したことを例に挙げた。
そして、イヴァールも上達できるだろうと優しく保証する。
彼女の言うとおり、魔力を封じられて防御力が落ちていたとはいえ、あのとき竜の骨まで攻撃が届いたのはイヴァールだけだ。その彼が魔力操作の技術を向上させれば、更なる威力が望めるだろう。
「ともかくシノブよ。お主の協力には感謝しておる。お主には助けられてばかりだが、この恩は必ず返す」
「何を言ってるんだ。お互いに助けあっていけばいいじゃないか」
杯を置いたイヴァールは表情を改め、深々と頭を下げた。しかしシノブは彼の肩に手を置き、顔を上げるように促す。
「そうですよ、シノブ様に魔術で勝つのは無理ですから! それぞれ自分の特技を活かせばいいんです!」
「アミィの言うとおりですね。私達は自分のできることをすれば良いのです。それにシノブがいくら強くても、一度に二箇所で戦うわけにもいかないでしょう」
アミィは従者仲間のイヴァールに微笑みかけ、シャルロットも続いて元気づける。
シャルロットの言うとおり、シノブだって体が二つあるわけではない。これから領軍を率いたり領政に携わったりする以上、いつも前線に立つわけにはいかないだろう。
「確かにな。シノブよ。お主の片腕として恥ずかしくないよう、俺も精進するぞ!」
イヴァールも彼女達の言葉に納得したようだ。再び、一層の精進を誓っていた。
「ありがとう。でも、今日はとりあえず祝杯を挙げようよ。ほら、イヴァールの好きなブランデーも沢山あるよ」
シノブの言うとおり、今日は彼の好きな酒が並んでいる。ヴォーリ連合国から持ってきたウィスキーに加え、ベルレアン伯爵領で生産しているブランデーも多数用意されていた。
「おお! 確かにヒポの活躍を祝ってやらんとな!」
晴れやかに笑ったイヴァールは、いつものように勢い良く杯を空にした。
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