26.11 神と仙
ナンジュマの少女チュカリとカカザン島から来た森猿の王スンウは『操命の里』を巡りに行った。
里は北半球でカカザン島は南半球だが、緯度は15度ほどと極めて似通った条件だ。もし里の周囲が海だったら、そっくりと表現しても良いだろう。
そのためスンウは馴染みのある環境に強い興味を示し、チュカリも里の操命術士と魔獣達の暮らしを知りたがった。そこで神操大仙の生まれ変わりにして神々の眷属であるメイリィは、里の長夫婦に巨猿と少女の案内を頼んだ。
既にチュカリ達は生命の大樹から降り、島から来た森猿達と共に『操命の里』の各所へと足を運んでいる。もちろんスンウ達の遠縁である里の森猿も一緒だから、随分と賑やかな大集団である。
一方シノブだが、シャルロットやアミィと共に生命の大樹に留まった。三人はメイリィの住まいである樹上の小屋に招かれ、お茶を味わいながら語らっている。
この小屋は大樹の枝の一部が瘤状に盛り上がって出来たものだが、雲まで届く大樹だから幹近くの枝は二頭立ての馬車が通れるほども幅広い。流石に人間の大人の倍はあるスンウは小屋に入れなかったが、シノブ達にとっては充分に寛げる広さだ。
「ホクカン皇帝家は曹という一族だ。これは二百年ほど前のホクカン成立から変わっていない……でもメイリィ達がカンを離れたのは、更に百年以上も前だったね」
シノブは現在のホクカンについて知っていることを口にしていく。メイリィは生命の大樹から離れないから、どこまで現状のカン地方を把握しているか疑問に思ったからだ。
メイリィの前世はスワンナム地方の森で暮らすエルフだったが、彼女は外に興味を感じて旅に出た。そして彼女はカンに渡って操命術を極め、シェンツァオ大仙と称されるほどの伝説的術士となる。
しかしメイリィがカンにいたのはシノブが触れた通り、三百年以上も前のことだ。彼女は荒禁の乱と呼ばれた大災厄を避け、自身の一派と共に故郷の森へ移住したからだ。
一派にはエルフ以外も大勢いたからメイリィは生地に戻らず、魔獣の森の奥深くに隠れ里を築いた。それが『操命の里』を始めとする魔獣使い達の楽園である。
しかしホクカンを含む現在のカン地方の国々は荒禁の乱が終わってからの建国だ。つまりメイリィがホクカンやナンカンを訪れたことはない。
「皇帝家の姓や代々の皇帝の名は知っています~。『華の里』はナンカンの魔獣の森にありますから~」
メイリィは奥から茶道具を運びつつ、籐作りの長椅子に腰掛けたシノブへと応じる。
樹上の小屋だが、流石は眷属が使う場所だけあって簡単な流しが付属していた。ただし水はメイリィが創水の術で出すから水道などは付属しておらず、シンク代わりの窪みと外に水を流す穴があるのみという単純な構造だ。
壁や床も磨きぬかれた木材のような光沢があり、単なる樹の洞とは思えない。当然これらもメイリィが術で整えたからで、卓も含めて大樹の一部だなどと触れたシノブですら信じられぬほどである。
「向こうの術士も幻影の魔道具を使っているのでしたね?」
「はい~。一部の高位術士に限定していますが~、こちらと同じで自衛のための情報収集はさせていますから~」
アミィはメイリィを手伝おうと席を離れる。一方のメイリィも素直に受け入れて湯飲みなどを預け、自身は魔術で急須に水を注いで温め始めた。
アムテリアの血族であるシノブは神々に準ずる待遇、シャルロットは彼の妻だから相応の敬意が必要。しかしアミィは先輩だが同じ眷属だ。
二人が眷属として過ごした時間は倍以上も違うが、それでも先輩と後輩だから遠慮も少ないのだろう。
「でもホクカンは情報規制をしているようで~、細かいことは分かりません~。おそらくミリィさん達も調査済みだと思いますが~、現皇帝も名前の他は元々三男で第二夫人の子という程度ですね~」
メイリィは皇帝の名が曹紫煌、諱が劈だと承知していた。それにシファンが本来は跡継ぎとされていなかったことも。
カンに限ったことではないが、安定期は長男や第一夫人の子など順当な者が継いでいく。よほど才能の差があれば別だが、わざわざ乱れる元を作らなくてもと誰しも考えるのだろう。
シファンの兄達は双方とも成人前後で亡くなったから彼の継承は妥当だが、どちらも急逝しており死因にも不審な点があるらしい。それ故シファンが即位したときは敵対しているナンカンでも噂となり、『華の里』の術士達の耳にも入ったという。
「確かにね……彼は幼いときから聡明で長じては武術と魔術に高い才能を示したというが、兄達が生きていたら帝位には就けなかっただろう」
「十数年も昔ですから、今となっては調べるのも困難ですが……」
シノブの呟きに、シャルロットが憂いを浮かべつつ苦々しい声で応じる。潔癖な彼女としては、簒奪など論外に違いない。
シファンは現在四十歳を迎えたところ、つまり即位したときは二十代半ばだった。そして彼は先代皇帝の子としては比較的遅く兄達と十歳ほどの年齢差があったから、もし片方でも存命なら皇帝になれなかった。
多くの国では若すぎる君主を嫌う。他に跡継ぎがなければ別だが、大抵は補佐などで実務経験を積んだ者が選ばれるのだ。
それらの例に倣えば、三十半ばの兄がいれば新皇帝に選ばれただろう。もちろん死んでしまっては継承できないが、これはシファンか彼を推す勢力の暗殺ではと疑う者が多いらしい。
「ああ……」
シノブは同意を言葉と頷きで示しつつも、三つの皇帝家の謎に思いを馳せていた。
ナンカン皇帝家が孫でホクカン皇帝家が曹、しかもセイカンの皇帝は劉だという。シノブとしては地球の歴史との関連を思わずにいられなかった。
もちろん地球の歴史が直接この星に影響したのではなく、神々か眷属が似たように整えたのだろう。エウレア地方の国々もシノブが知る西ヨーロッパと大まかには対応しているし、それらの建国に神々の使徒たる聖人が関わっていたのは誰もが知るところだ。
そもそも各地方の地理自体が基本的には地球と類似しているから、同じような場所が国境となるのは自然なことだ。つまりカンが三つに分かれたら三国志で描かれた状態と重なるのは一種の必然である。
しかし皇帝家の名前まで同じなのは、やはり何らかの関与があったからだ。そのようにシノブは結論付けていた。
◆ ◆ ◆ ◆
仮に神々や眷属の関与があったとしたら、いつの時代までか。最も密に関わったとしても三国の建国だろうとシノブは思っていたが、もしかしたら違うのではという可能性も捨てきれずにいた。
それはホクカン皇帝シファンの来歴が気にかかるからだ。
地球の歴史にも、二人の兄が早世し帝位に就いた男がいた。彼も三国で最も強大な国の君主で、曹という家名を持っている。初代という点は違うが、単なる類似で済ませて良いのかとシノブは考えてしまうのだ。
もちろん地球の影響を疑っているのではなく、十数年前やシファンが生まれた時期に眷属の関与があったのかという推測からである。ただし暗殺などが真実なら、眷属が彼を助けたとは思えない。
しかし三国の建国、正確には三皇帝家の成立は別だ。
建国した二百年前か、あるいは遥か昔に有望な一族として加護を与えたのか。どちらにしてもヤマト大王家や支える三つの王家のように何らかを象徴する命名であろう。
そう思ったシノブだがメイリィに直接訊ねはしなかった。眷属達はシノブが知りえぬ神界の事情は教えないし、シノブも未熟な自分には世界の秘密など背負いかねると避けていたからだ。
それに眷属としては若年なメイリィが、どこまで教わっているかも定かではない。そこでシノブは彼女自身にも関わる件へと話を転ずる。
「カンの術士が『神』や『仙』の字を尊名に入れるのは、どういう経緯からなのかな? 良ければ教えてくれないか?」
シノブが『操命の里』に来たのは、これを訊ねるためでもあった。
現在のカンで術士と呼べる者のうち、シノブが知っているのは葛将軍達くらいだ。彼らの先祖はシェンツァオ大仙の一派でグオ家が伝える虎や狼を使役獣する技も操命術として体系化された術の一つだから、過去を伏せてはいるが正統派と呼ぶべき存在だ。
ただしグオ家の秘伝書は自家の技を記すのみで、祖師たるシェンツァオ大仙の誕生秘話など書いていなかった。これは『操命の里』や『華の里』も同様で、メイリィを大仙と呼ぶようになった遥か後に里が造られたからか言及した書物はないらしい。
しかし本人は別だろう。仮にメイリィが初代の神操大仙でなかったとしても、前世の彼女が生まれたのは今から五百年以上も前だから何がしかを知っている可能性はある。
今までシノブは自身やミリィ達の調査で解き明かしたいと考えていたが、少々急ぎたい事情も生まれた。ナンカン皇帝を狙うようなホクカン軍の進攻に、現皇帝シファンの影を見たように思ったのだ。
ホクカンの背後には狂屍術士がいるらしいし、もしかすると彼らの祖師である神角大仙が生きているかもしれない。優れた狂屍術士なら、他者の体に乗り移ったり生身を捨てて木人や鋼人に宿ったりして何百年もの長命を保つから強ち妄想とも言えない。
「ええとですね~。済みません~、実は前世の私も詳しく教わらなかったのですよ~」
眷属としてのメイリィは更に深い背景を学んだのだろう。しかし今の彼女に明かせることではないらしく、彼女は言葉通り申し訳なさそうにシノブを見つめる。
メイリィは向かい側の長椅子で、アミィと並んで座っている。そして彼女は答える前に一瞬だけ先輩へと視線を動かした。
どうやらメイリィは許しがあればと思ったようだが、アミィは微かに首を横に振ったのだ。つまり口にして良いのは、シェンツァオ大仙としての生で知ったことのみなのだろう。
「いや、無理なことを言ったのはこちらだ……」
「前世なら良いですよ。既に貴女が何者か、皆が知っていますから」
「そうですか~!」
シノブが謝ろうとすると、アミィが表情を緩ませつつ口を挟む。するとメイリィは一転して満面の笑みとなった。
本来なら眷属が前世に触れるのも御法度だがメイリィの場合は既に明かしているし、周囲が彼女をシェンツァオ大仙と崇めており隠すことも不可能だった。したがってアミィは前世までなら良しとしたのだろう。
一方のメイリィだが、隠すべきは神界で知ったことのみと分かり随分と気が楽になったらしい。彼女は眷属として里に戻るまでの時間も短かったようだから、どこまでが前世という区別も少ないのだろう。
実際、今までメイリィが語った事柄にも前世での体験が多く含まれている。森猿スンウ達の先祖との交流など、その最たるものだ。
「まず操命術士で神操や大仙と呼ばれたのは私が初めてです~。少なくとも私が知る限りですが~」
メイリィによれば彼女がカンに渡ったのは四百五十年以上も昔だそうだ。
エルフは三十歳で成人とされるし、もし五十歳なら他種族の二十五歳といった程度である。つまりメイリィは術士として一人前になってから間を置かずに他の地方への旅に出たわけだ。
昔からスワンナム地方の魔獣使いには帝王オウムを騎乗に使う者が多く、メイリィも得意としていた。そして帝王オウムは魔獣の森から離れるのを嫌うが、スワンナム半島の魔獣の森はカンの南端まで続いており渡るのも大した手間ではなかったという。
「それと『神』や『仙』の字ですが~、どうやらカンの伝統らしいです~」
これらは若き日のメイリィも疑問に感じたという。明言はしないが、スワンナム地方から渡った彼女にとって『神』の字を人に用いるのは悪しき習慣と映ったようだ。
「ヴィルーダ……大戮も『神王』の名をアーディヴァ国王に与えたけど、やはりイーディア地方の他国は不快に感じたらしい。それどころかアーディヴァ王国の孤立を深めた原因でもあるようだ」
シノブはカンの狂屍術士にしてエンナム王国の建国に関わり、更に遥か西でも禁術を用いた男に触れた。インドに相当するイーディア地方もカン以外と同じ感覚で、神王という尊称は受け入れられなかったのだ。
やはりカンには何かある。そう思いつつシノブは更なる話に耳を傾けていった。
◆ ◆ ◆ ◆
生命の大樹でシノブ達が語らった少し後、2000km以上も北で大きな動きがあった。
場所はナンカンのウーロウ、昨日ホクカン軍が攻め寄せた都市だ。ただし夕方の街道を進んでくるのは北からの敵ではなく南からの援軍、しかも近衛軍に加えて大神殿の神官兵だから街の者達は歓呼で迎える。
「願仁様だ! 大神官様が来てくださったぞ!」
「ああ、これで安心だ!」
人々の声が示すように、彼らが笑顔を向ける先は近衛軍よりも神官兵達であった。
大神官ユンレンが跨った馬を中央に、同じく騎馬の神官兵達が隊列を組んでいる。彼らは治癒術士でもあるが神殿に伝わる『南都神殿拳』も修めており、双節棍や三節棍を携帯する者も多い。
服も普段の袈裟状の外衣は取り、作務衣のような前合わせの上と細い筒裾の下の組み合わせ、それに胸部や手足に革の防具を着けた勇ましい姿である。これはユンレンや側仕えも同様で、彼らが戦の支援を目的としているのが明らかだ。
もちろん神官兵が先陣を切ることはないが、敵が治癒術士だからと遠慮してくれる保証はない。そのため彼らが戦場用の装備を選ぶのは当然であった。
「落ち着き次第、街にも治療に赴きます!」
「安心してください! 続く牛車に神殿からの物資を載せています!」
朝早くからの行軍だが、神官達は疲れも見せずに街の者達に呼びかける。それにユンレンも馬上から手を振って安堵するようにと示している。
ユンレンは現皇帝の孫文大の叔父、加えて神に仕える高位の神官だから人々も畏敬の念を寄せている。
そこでウェンダーは人心を安堵させようと神殿から人を出してもらえるなら叔父自身が率いてくれるようにと願った。たとえ皇帝でも大神官に命令できないが、願うのは自由だから要請として付け加えたのだ。
これにユンレンは最大限の配慮で応えた。人々を救うためならと自身の他にも優れた治癒術士達を可能な限り率い、更に大神殿の蔵も開いて食料や薬を送るように命じた。
ウーロウの北の田畑は戦場と化したから、当分は働けぬし収穫も覚束ない。そのため街には難民というべき多くの人がいる。
そこでユンレンは出入りの商人達にも声を掛け、有徳の士を募った。市価よりは安いが神殿が買い入れるからと、困窮の人々への支援を求めたのだ。
そのため神官団の後ろには、同じく棒などで武装した商人達が騎馬や馬車で続いている。カンでは刃の付いた武器を携帯できるのは正規の軍人のみだから、こちらも表に出せるのは棍なのだ。
中には峨嵋刺や手裏剣などの暗器を隠し持つ護衛者もいるが、まさか大道で取り出す筈もない。もっとも御用商人達の中には、暗器どころではない秘密を抱えた者達もいた。
「捜娘、これなら安心だな」
「ええ、阿麓義父様。大神官たるユンレン様の出馬ですから神の加護ありと戦意高揚間違いなし、謎の陽光仮面が出なくても大丈夫ですね」
商人隊の馬車の一つで笑みを交わしたのは、昨日は大活躍のアルバーノと彼の姪で養女のソニアである。ソニアどころか弟のミケリーノも含め、神官団に同行してウーロウ入りしたのだ。
ちなみにアルバーノ達は少し南でソニア達に合流し、今は他と同じく商人として振る舞っている。御者台で言葉を交わす二人はアルバーノが若作りすぎるから親娘には見えないが、兄妹の商人としてなら充分に通用するだろう。
「小妙君、ジェンイーの様子は?」
「落ち着いていますよ。向こうは宰相の周高錦様が留守を預かっていますから」
続く馬車の御者台では、女騎士の一人シエラニアがミケリーノに語りかけている。どうも彼女は、イナーリオ一族として出世確実なミケリーノに狙いを定めたらしい。
シエラニアが十五歳でミケリーノが十三歳と年齢的には少々異例だが、相手はアルバーノの甥だから同じ素質を半分は持っている筈で更に将来は子爵位の授与が確定している。しかもミケリーノはシノブの側仕えで覚えも良いから、実家も総合的に判断して問題なしとしたようである。
「そう……もっと色々教えてほしいな」
「え、ええとですね……そう! ジヤン川の敵船を一掃すべく、川上から軍船を回すそうですよ! それに海からも!」
シエラニアが僅かに体を寄せると、ミケリーノは頬を染めながらも都の様子を語り続ける。するとシエラニアは微かだが頬を緩ませた。
大河ジヤン川は全てホクカンとの国境だから、回航させるといっても限度はある。そこで宰相は海からも小型の軍船を遡行させ、水上決戦への準備を進めているそうだ。
なお都市ウーロウの北にも軍船の拠点はあるが、現状では相手の数が多すぎて手を出しかねている。
夜陰に乗じての渡航を事前に防げたら別だが、既にナンカン側への集結を許してしまった。それにホクカンの軍船が集まった場所は弩や投石機の射程外、陸上にも軍が展開し斥侯も出しているから大物を見逃してくれる筈もない。
そもそもカンはエウレア地方ほど弩砲や投石機が発達していない。そのため船同士の戦いでも矢戦が中心である。
これらをミケリーノは語るばかりで聞いていても面白みがない筈だ。しかし真面目な少年の言葉や表情すら愛でる対象なのか、シエラニアの顔から笑みが絶えることはなかった。
「こうなるとシノブ様とウェンダーさんの会見はウーロウですね~。今日にもユンレンさんが伝えてくれるでしょうし、明日や明後日でも良いかも~」
アルバーノが御す馬車の中で、ミリィが筆を走らせつつ楽しげな声を響かせる。どうやら彼女は最新情報をシノブに送るつもりらしい。
「あまり急ぐと軽く見られるから数日は……普通なら、こうなるでしょうが陛下ですからね」
『兄貴を軽く見るようなら、あの川に叩き落としてやるよ。でも、そこまで馬鹿な相手じゃなさそうだけどね~』
フライユ伯爵領の新顔、若き参謀長のファルージュ・ルビウスは語り終えた直後に顔を引き攣らせた。シャンジーの言葉は冗談らしいが、その前半に常の穏やかさなど欠片も存在しなかったのだ。
「……ホクカンの皇帝以上の愚か者は存在しないでしょう。まさか『神聖皇帝』などと名乗るとは……冗談にしても出来が悪すぎですぞ」
こちらはソニア達と同じくジェンイーから来た一人、初老の諜報員セデジオだ。
ミリィが口にした通り、シノブとナンカン皇帝の対面はウーロウになると思われる。そこでジェンイーには連絡役を幾らか残したのみで、主要な者達は神官団と同行することにした。
向こうには光翔虎のフェイジーとメイニーがいるから、何かあれば思念でシャンジーやミリィへと連絡できるのだ。
もっとも今のセデジオ達の頭にあるのは、ナンカン軍が捕虜としたホクカン兵の言葉であった。
昨夜の戦いでナンカンの近衛軍は、ホクカン皇帝シファンを神聖皇帝と称える者を捕らえた。これが今日になりアルバーノ達の耳にも入ったのだ。
幾らなんでも聞き捨てならぬとアルバーノ達も確かめたが、複数の兵士が語ったと判明する。したがってホクカン皇帝が新たな称号を定めたのは間違いないようだ。
「大丈夫です~。『聖なる帝』なんて巨大な石山でシノブ様に敗れるのがオチですよ~」
多くはミリィの言葉に怪訝な顔となるか、また彼女特有の冗談だと納得顔となった。
しかし一人だけ口を開いた者がいる。それは新顔のファルージュである。
「ミリィ様……私はアミィ様から『意味不明な言葉を聞いたら必ず伝えるように』と言いつかっておりまして……」
「そ、それは~! 今のは無し、無しですよ~!」
ファルージュの重々しい声に、ミリィは思わずといった様子で振り向いた。
どうもファルージュは、昨日の陽光仮面を太陽の象徴でもあるアムテリアを称えるものとして受け止めたらしい。しかし今の予言めいた一言は、彼に解釈可能な内容ではなかったのだ。
「なんだ?」
「きっとミリィ様かシャンジー様が皆の気持ちを解してくださったのでしょう。ありがたいことです」
唐突に生まれた大爆笑にアルバーノが僅かに視線を動かす。しかし彼は姪の言葉で納得したらしく、再び前へと向き直った。
◆ ◆ ◆ ◆
アミィがミリィからの文を受け取ったのは、『海獣の里』に移った直後だった。彼女は砂浜へと駆け出すチュカリや森猿達から、自身の胸元で震える通信筒へと顔を向ける。
「シノブ様、恐れていた事態かもしれません」
「……神聖皇帝か。やっぱりカンには神仙崇拝の影響があるのだろうね」
アミィが渡した紙をシノブは読み進める。
何故か大きく歪んだ文字がある上に、最後は『真面目に働いているので心配無用です』と結んでいる怪しげな手紙だ。もっともシノブはミリィのことだからと流し、特に気に掛けはしない。
メイリィは神々の事情まで明かさなかったが、シノブはカンにもヤマト王国に似た背景があると察していた。つまり土地に相応しい文化をと神々が考えた結果、神仙の概念に近いものを持ち込んだというものだ。
アムテリア達は日本由来の神だから、故郷を模したヤマト王国には随分干渉したようだ。もちろん強制や支配ではなくヤマトの名に相応しい場所として導いただけだが、それでも強すぎる愛着が産んだ歪みは大王家と三王家の対立として表面化した。
カンに当たる東アジアも日本に最も影響を及ぼした地域だけに、神々が細かく整えたのではないだろうか。日本ほどではないが詳細に把握していたのは間違いないだろうから、『カンと名付けるなら、かくあるべき』と考えても不思議ではない。
そして神仙という概念も、広くは知られなかったが術士達に影響するほどには根付いたのだろう。
「修行を積んだ者が祖霊となり、いつかは更なる成長をする……貴方の故郷では、そう信じる人々がいるのでしたね」
大きな畏れを抱いたのだろう、シャルロットの囁きは隣のシノブやアミィにしか届かないほど密やかであった。それに彼女は相当に言葉を選んだと、シノブは察してもいる。
偉人が没したら神として祀る。そういった事例は東アジアに限らず地球上に広く存在する。
天地自然を神として崇め、先祖を祖霊として敬う。太陽神たるアムテリアは前者のようでもあるが、もしかしたら太陽を祀る女性達に起源があるのかもしれない。他の神々も同様で、彼らも祖霊から神に至る道を認めてはいる。
しかし神々は、この惑星に住む人達に明かすには未だ早いと思っているらしい。その証拠に神殿でも祖霊から神への道は黙したままである。
「ああ。でも母上達が案じたのも分かる……この星の武人や魔術師達は、まるで仙人だよ。強化は人と思えぬ力を与えてくれるし、硬化は鋼鉄の刃すら通さない。地水火風を操る術も同じだね。これに不老不死が加わる……つまり祖霊になれば……」
シノブも途中まで言いかけたが、やはり口を閉ざした。
遠方だが『海獣の里』の術士達の姿もある。そして操命術には長命の術があり、シノブが想像する仙術と重なったからだ。
狂屍術士が自身の体を捨てて生き続ける技を編み出したのも、仙術や仙人といった概念が紛れ込んだからではないだろうか。
この世界では輪廻の輪という生まれ変わりが明示され、新たな生で己を磨くことを良しとしている。
しかし長い修行の結果、輪廻転生から抜け出して祖霊となる者が現れる。したがって少しずつでも祖霊への道を示す必要があるのかもしれない。
そして神々は、文化的に馴染みそうなカンを試験の場として選んだ。そのようにシノブは思ったのだ。
「まあ、その辺りは自身の目で確かめるよ」
「そうしてください」
達観したようなシノブの言葉に、アミィは微笑みと優しい言葉で応じる。
シノブが先々自身に訪れるだろう運命を重ねたと、アミィは理解したに違いない。そして道を踏み外さぬようにと気を引き締めたことにも。
安堵からだろう、シャルロットも頬を緩めた。先ほどまでの気遣うような気配は彼女から失せ、夕焼けに赤く染まりつつある海へと優しい眼差しを向けている。
「さあ、俺が助けた子供達を紹介しよう!」
「プキュ!」
「キュ~!」
「キュキュ~!」
シノブはシャルロットとアミィの手を取って水際へと駆け出す。するとチュカリや森猿達と遊んでいた海猪の子が、一斉にシノブへと顔を向けた。
海猪の子供達は、『海獣の里』で飼っている子持ちの雌から乳を貰い、すくすくと育っている。シノブと出会ったとき既に人間の大人よりも重たかったが、半月ほどで一回りは大きくなったらしい。
その中の一頭はチュカリを乗せて駆けてくるが、少女の重さなどものともしていない。
「シノブさん! みんなシノブさんを神様みたいに良い人だって!」
「グーギャギャギャ! ギャグー!」
チュカリの純真で真っ直ぐな言葉に、森猿の王スンウが『アマノ式伝達法』に基づく肯定の意思表示で続く。そしてシノブ達は、あっという間に多くの命に囲まれた。
遥か南のアウスト大陸の少女。倍ほども大きいが、人間と理解しあえる心を持つ森猿達。そして森猿達と同様に人と共存する海猪達。虚礼など知らぬ純粋な魂達の波動は、シノブを強く勇気づけてくれる。
「ありがとう……」
こういった賞賛なら、喜んで受け取ろう。そして思慕に恥じぬように歩み、守り続けよう。シノブは神だの仙人だの、とても小さなことだと思えてきた。
姿形は様々だが、仲間であり友である。チュカリの森猿や海猪達と意思を交わす姿は、それを自然に伝えてくれる。
おそらく母なる存在が人々に望んだのも、こういった交流に違いない。シノブはカンの術士達が目指すべきものを、チュカリが体現しているとすら感じた。
「……さあ、皆で楽しもう! あまり時間が残っていないからね!」
「うん!」
シノブは先頭を切って海へと走っていく。そして暫しの間だが、シノブ達は沈みつつある日が照らす南国の楽園を満喫した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年6月20日(水)17時の更新となります。




