表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第26章 絆の盟友達
665/745

26.10 操命の里のチュカリ

 アルバーノ達がナンカンのウーロウ防衛戦を密かに助けた翌日。シノブは朝議の席で、後の経緯も含めて閣僚達に語っていた。


 ただし朝議の出席者達は事の発端や途中経過を前日中に教わっており、どの顔にも動揺はない。

 アミィの通信筒にミリィからの第一報が届いたのは、オスター大山脈の東でクルーラ地下道の開通式典を終えた直後だった。このときアマノ王家の女性陣や宰相ベランジェも一緒だったから、シノブは帰路の蒸気自動車の中で伝えていた。

 残る内務卿シメオンに軍務卿マティアス、更に財務卿代行シャルルと農務卿代行ベルナルドにも同様に通信筒を介して知らせたから、ホクカン軍の第一撃をナンカン側が(しの)いだところまでは日が変わる前に全員が知っている。


 その後ミリィはアミィに続報を寄せたが、結局アマノシュタットが朝を迎えるまで両軍に大きな動きは無かったという。

 アマノシュタットとナンカンの都市ウーロウや都のジェンイーの間には六時間近い時差がある。つまり朝議が始まる朝八時は向こうだと十四時で、その間を両軍は(にら)み合いで終えたわけだ。

 これは最初の攻防でホクカン側が罠を仕掛けていると判ったのが大きい。どうやったのかは不明なままだが、ホクカン軍はウーロウ北の牧草地に無数の穴を掘っていたのだ。


 穴は大人の腕が入る程度の細いものだが、高速で駆け抜ける軍馬にとっては骨折しかねない恐るべき計略である。特に初戦は深夜だったから、野戦に出たナンカンの騎馬隊は百五十頭ほどもの損害を出した。

 優れた治癒術士なら骨折を元に戻すことも可能だが、数が多いから手が回らない。そのため特に重傷を負った馬は、闇魔術で苦痛を消して安楽死させる羽目になった。

 残りも治療待ちに加え、治っても(おび)えが顕著で暫くは戦いに出せない馬達も多い。それに武人達は今後の戦場に罠がないか偵察するなど、やはり即座の再戦は難しかった。


 逆にホクカン軍は必勝の策を謎の介入者に邪魔されたから、こちらも相手に策があるのではと引き気味になった。いつでも撤退できるようにと考えたのか、彼らは渡ってきた軍船のあるジヤン川近くに布陣し、様子を窺っている。

 ホクカン軍の一部は船に戻り、数隻が北へと向かっていた。その辺りからすると、増援を願う使者を出したのかもしれない。


「罠を仕掛けた者だが、まだ分からないのだろうね?」


「ええ。皇帝の(スン)文大(ウェンダー)は穏当な調査を命じましたから」


 答えを予想しているらしく皮肉げな笑みを浮かべたベランジェに、シノブは静かに頷き返す。

 これから篭城戦になるかもしれないのに、わざわざ反感を買う行動に出るのは愚か者というべきだ。幸いウェンダーは賢明らしく、情報の提供を求める告知を出したが尋問して回るような愚行は犯さなかった。

 しかし民意に配慮した代償として、事態の解決は先送りとなったのだ。


「急ぐ必要はありませんからね。都のジェンイーから都市ウーロウまでは歩兵込みの軍でも一日程度とか……私なら都からの大軍勢と共に反攻しますよ」


「さようですな。ウェンダー殿が率いる近衛軍は、助けがあったとはいえ敵の策を回避したのです。それもナンカン側に都合よく表現するなら、思わぬ奇策を打ち破った上に大神アムテリア様の使徒に守られもした……つまり神々に祝福された正義の勝利と喧伝できる内容です」


 慎重な見方を示したシメオンに、それでも問題ないとマティアスは応じた。すると多くの者が頷きなどで同意を表す。


 実際のところ、ナンカン皇帝ウェンダーに焦るべき要素は殆ど存在しない。

 初戦の勝利は他者の助けを借りてだったが、相手は神の使徒と称しているから誇っても良いくらいだ。マティアスが指摘した通り、彼らは神々という後ろ盾を得たも同然なのだから。

 (おご)ったり悪用したりなどがあれば神の加護は離れるとされており、無闇に振りかざすことは出来ない。しかし通例からすると士気の鼓舞や住民の慰撫に用いるくらいは問題ないから、篭城に際しては大きく役立つに違いない。


 ならば都からの増援、最も信頼できる近衛軍の追加を待つのが最善だろう。極端な話、人員さえ揃えば仕掛けられた罠も(しらみ)潰しに探し出せば良いだけだ。


「ホクカン軍も当てが外れて残念ですな。もしミリィ様が介入を決断しなければ、ウーロウを奪えたかもしれませんから」


 農務卿代行ベルナルドは、愉快痛快とでも言いたげな顔をしていた。農業担当だけに、畑を荒らすどころか罠を仕掛けるなど許し難い行為と感じたのだろうか。

 既に六十を超えたベルナルドだが、満面の笑みは少年のように朗らかだ。おそらく彼は、よほどホクカン軍の罠が気に食わなかったのだろう。


「それなのですが、お叱りを受けるようなことは無いのでしょうか? いえ、ミリィ様なら大丈夫とは思いますが……」


 更なる年長者、五歳ほど上のシャルルは強い畏れを(おもて)に浮かべている。

 シャルルもシノブが神の血族だと承知しているし、ミリィ達の正体も理解している。しかし神託も無しに神々の使徒を名乗ったわけで、何らかの罰があっても不思議ではない。おそらく彼は、そう考えたのだろう。


 シャルルの心配は杞憂(きゆう)ではなく、アミィの妹分タミィも懸念を示した。そこで昨夜シノブは自身の居室に戻ってから、神々の御紋でアムテリアに確認をしていた。


()()()()()()()()


「な、なるほど……」


 シノブの(いら)えに、シャルルを含む一部は大神殿の神像を前にしたかのような敬虔な表情へと変じた。彼らはシノブが誰に何を問い合わせたのか、言われずとも察したのだ。

 ちなみに表情を変えなかったのは、シャルロットのように既に知っていた人々だ。したがってシャルル達以外の信仰心が薄いわけではない。


 シノブはといえば、少しばかり意外に感じていた。

 どうもアムテリアは、よほどホクカンの裏に潜む者を憂えているらしい。あるいは従属神の(いず)れかがホクカンの危険性を訴え、彼女も充分な理由があると認めたのだろうか。

 命を(もてあそ)ぶ禁術使いなどシノブも見逃すつもりはないが、今までの例なら神々がミリィに何らかの注意をするのではと思ってもいたのだ。


 それだけ特別な何かがホクカンにあるのは間違いなさそうだが、母なる女神は理由まで明かさない。

 もっともアムテリアが立ち塞がる危険に前もって触れたのは、異神ヤムと彼が潜む海域くらいである。つまり神と呼ばれる相手でもない限り、彼女はシノブ達が自力で乗り越えるのを望んでいるのだろう。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「ところでシノブ君、あの若者達はどうするのだね? こうなるとアルバーノも手が足りないだろうし、訓練は後回しにして送り込んでも良いと思うがね!」


 話題を変えようと思ったのか、ベランジェはジャル族のヒュザとメジェネ族のハジャルの扱いを問うた。

 昨日二人は決闘したが時間切れで引き分けとなった。そこでシノブが預かり、ここアマノシュタットへと連れ帰った。

 今朝はエンリオに預けて早朝訓練にも参加させたが、まだ東方どころかアマノ王国についても知らない二人だ。いきなり潜入部隊に組み込むのは時期尚早ではないだろうか。

 シャルロットなども少々早いと思ったのか、僅かに眉を(ひそ)めている。


「こういう者達がいるとアルバーノには伝えましたが、今日のところはエンリオが確かめるとも付記しました。それに即戦力が必要ならアルノーを呼んでも良いと」


 シノブは昨夜遅く、つまり向こうの早朝に通信筒でミリィとアルバーノに(ふみ)を送っている。それに今朝の起き抜けに僅かな間だがシャンジーも戻ってきたから、彼を通して更なる指示をしておいた。

 ミリィは魔法の幌馬車を持っているし、中には転移の絵画もあるから行き来は容易だ。ただしアルバーノ達は転移の絵画や神像を自力で使えないから、大抵の場合はシャンジーかミリィが戻ってくるのだ。


「アルノー殿はアルバーノ殿と肝胆(かんたん)相照らす仲、指揮系統が乱れることもありますまい。それに最終的にはミリィ様が統括されますし」


 マティアスは良い配置と言いたげな顔で言葉を紡ぐ。

 実際にアルノーが出馬するかは別にして、かつて戦闘奴隷として同じ境遇にあり現在では隣接する伯爵領を治める二人なら最良の組み合わせには違いない。実際、昨秋アスレア地方に潜入したときも彼らは息の合った連携で任務を成し遂げている。


「剣聖アルノーなら心配はいらないね。まあ、出番が来ればだが……」


 ベランジェは昨秋アルノーに加わった異名を持ち出す。

 アルノーは単独で敵対国の王宮に踏み入り、立ち塞がる者などいないかのように悠然と歩を進め、しかも無血で謁見の間へと到達した。想像を絶する剣風で全てを制し、光の速さで相手の武器を斬り割った彼を称えるには、もはや『聖』の字を贈るしかないと誰もが認めたのだ。

 なお神々が実在するだけに『剣神』のような異名は耳にしない。全ての戦技を授けた存在、戦の神ポヴォールを差し置いて名乗れる厚顔無恥な者など、過去に存在しなかったらしい。


 その意味では神角(シェンジャオ)大仙や神操(シェンツァオ)大仙など、『神』の字を称号に用いたカンの術士達は異端なのだろうか。シノブの脳裏に、ふとそのような疑問が浮かぶ。

 幾つかの予想はあるし、決して捨て置いて良い話でもない。しかしベランジェ達と語らうべきことでもないから、シノブは別の事柄に触れる。


「義伯父上、昨日の騒動や決闘では今のような一言がなかったと思いますが?」


 シノブが指摘したのは、ヒュザとハジャルの争いでベランジェが妙に静かだったことだ。

 まさか当事者達の前で触れるわけにもいかないし、二人を連れ帰ったこともあり昨日は確かめる機会がなかった。そこでシノブは朝議の場で訊ねようと思っていたのだ。


「そりゃあシノブ君が国王として成長したと見入っていたからだよ! ねえ、ミュリエル君、セレスティーヌ!?」


「はい、シノブさまの威厳に満ちたお姿、とても素晴らしかったです!」


「ええ! これぞ多くの国を束ねる王の中の王と見惚れてしまいましたわ!」


 ベランジェが顔を向けると、待っていたと言わんばかりの喜色と共に二人の少女が応じる。

 商務卿代行のミュリエルに、外務卿代行のセレスティーヌ。双方とも担当が戦と関係ないだけにカンの騒乱については遠慮していたらしい。

 しかし二人は、これなら幾らでも語れると言わんばかりの雄弁さで、昨日シノブがジャル族とメジェネ族の騒動を収めた様子を描写していく。


 一方のシノブだが、そういえばミュリエルとセレスティーヌも言葉が少なかったと思い出す。

 ここにいる者達は身内か同様の者ばかりだから、暫くは二人の好きにさせても良い。そう思ったシノブだが、残り時間も少なくなったから割って入ることにした。


「義伯父上。今日は少々思うところがあって、スワンナム地方の『操命(そうめい)の里』に出かけてきます。時差の関係で朝議が終わり次第……向こうでは十五時ですし、もう一つの訪問先アウスト大陸のナンジュマは十九時で更に遅くするのは難しいですから」


 曖昧な言葉を連ねたシノブだが、これは母なる女神の言葉に基づくものだから(つまび)らかに語るわけにもいかない。

 ただし二つの場所から、ナンジュマのモアモア使いチュカリを操命(そうめい)術士達に会わせるのだろうと皆は気付いたらしい。そのため口を挟む者はおらず、全員がシノブを注視したまま続きを待つ。


「同行者はシャルロットとアミィのみ、親衛隊も置いていきます」


「午前中には戻ります」


 シノブが余計なことに触れないためか、シャルロットも言葉少なに補うのみだ。

 一方ベランジェ達だが、政務を午後に回すだけで実務面での影響はないと受け取ったらしい。不在中は任せてくれと、彼らは応じる。


「五日後にはカンビーニ王国でシルヴェリオ殿とオツヴァ殿の結婚式、その次はアスレア地方への訪問だ。しかし、そこまでは余裕があるから好きにしたまえ」


 最後にベランジェが鷹揚な語り口で(まと)め、シノブの外出は承認された。

 こうしてシノブとシャルロット、そしてアミィの三人は午前中をアウスト大陸やスワンナム地方で過ごすことになった。そこでシノブは予定時間通りに朝議を終わらせようと、次の議題へと移る。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 シノブ達が初めてナンジュマを訪れたのは今年の一月上旬、およそ二ヶ月少々前のことだ。

 当時シノブ達は岩竜の子オルムルの夢に出た灼熱の大地を探しており、幾つかの理由からナンジュマのあるアウスト大陸の東部が候補の一つとして上がった。実際には残る一つイーディア地方北西部が夢の地だったが、シノブにとってナンジュマ訪問はチュカリとの出会いを始め非常に大きな意味を持っている。


 アウスト大陸の生態系は人類以外の哺乳類が全て有袋類という特殊なもので、しかも他の大陸と遠く離れているから人々の暮らしも一種独特であった。

 しかし新たな命を慈しみ育てる姿や親子や近所で支えあって生きる暮らしは、他の地と何ら変わることがない。モアモアと呼ばれる巨鳥やゴアラという巨大な有袋類を騎獣としていても、馬や牛に置き換えればエウレア地方と同じ営みの積み重ねである。

 僅か七歳の少女チュカリが両親を支えて働くのも、シノブ達の側仕えに幼い子供達が混じっているのと同じ。生きていく上で必要な事柄を学んで次の世代へと命を繋ぐことに変わりはない。

 厳しい地で健気に生き抜くチュカリの姿から、シノブは多くを学び取ったのだ。


 そしてアウスト大陸への訪れは、スワンナム地方の操命(そうめい)術士とも繋がる旅であった。

 シノブ達はチュカリと共に、アウスト大陸中部の北に浮かぶ島に訪れた。魔獣の海域の真っ只中に浮かぶ孤島には北大陸から渡った森猿の末裔が暮らしており、しかも彼らは遥かな昔に使役する魔術師達と共に島に移ったという。

 この魔術師達は三百十数年前にカンからスワンナム地方へと移住した操命(そうめい)術士の一部で、大操(ダーツァオ)と名乗る者が率いていた。ダーツァオはシェンツァオ大仙の高弟の一人で、仲間達が世の中から隠れつつ安心して暮らせる地を見つけようと南への大冒険を志したのだ。

 しかし南に渡る旅は厳しく、アウスト大陸の生態系は北大陸と大きく異なるから北の魔獣達を持ち込むのも躊躇(ためら)われた。そこでダーツァオは撤退を決めたが、渡海に用いた海猪(うみいの)浄鰐(きよわに)が大きく減じており、森猿達の一部を島に残すしかなかったという。

 幸い後にシノブ達がカカザン島と名付けた無人島は森猿の生活に適しており、彼らは元の十数倍に増えて千頭に届くほどにもなった。つまりダーツァオは島が彼らの楽園になると感じ、残していったのだろう。

 ただしダーツァオは師のシェンツァオ大仙に言い訳をしなかった。したがって大仙は自身が慈しんだ森猿達が置き去りになったと嘆き、ダーツァオを厳しく罰した。


 しかし三百年以上の時を経て、シェンツァオ大仙はシノブから真実を聞く。一旦は輪廻の輪に還った大仙は自身が築いた『操命(そうめい)の里』に神々の眷属メイリィとして戻ったのだ。

 そしてメイリィは自身が愛した者達の子孫との再会を望み、彼らと自在に意思を交わしたチュカリに興味を示した。シノブがチュカリを『操命(そうめい)の里』へと(いざな)った理由は、これである。


「うわ~、大きな樹だね! それに生き物が凄く多い……あっ、スンスン! 仲間がいるよ、きっとスンスンの親戚だよ!」


 キョロキョロと周囲を見回したチュカリは、草原に集う森猿達へと顔を向けた。ただし彼女の視線の先にいるのは、共に来たスンウ達ではない。

 それは元から『操命(そうめい)の里』で暮らしている森猿の群れ、つまりチュカリが口にしたようにスンウ達の遠い親戚である。


「グーギャギャギャ! ギャグー!」


 カカザン島の森猿の王スンウは、オルムル達から教わった『アマノ式伝達法』に基づく咆哮(ほうこう)を返した。これは肯定に相当する言葉だが、スンウの声は普段に増して嬉しげに声が弾んでいる。

 周囲の森猿達も同様に大きな喜びを宿した叫びで和す。目の前の一団が遥かな昔に自身の先祖と別れた者達だと、彼らも感じ取ったのだろう。


 喜びに沸くチュカリや森猿達の様子を、シノブ達は微笑みと共に見守っている。

 ベランジェに伝えた通り、シノブの他はシャルロットとアミィのみである。これはメイリィの指定で、やはり聖地たる生命の大樹に招かれる条件は極めて厳しいようだ。


若貴子(わかみこ)様、ありがとうございます。……お前達、三百年の時を越えて仲間が戻ってきたのですよ。喜びと共に迎え、旧交を温めるのです』


 里の中央に(そび)える雲にすら届く大樹から、荘厳な声が響く。それは眷属となって生命の大樹に宿るシェンツァオ大仙の声、里の人々が祖霊と崇める神秘の存在が発した歓迎の言葉だ。

 地上の者に眷属と明かすのは禁じられているようで、メイリィは里の人々の前では祖霊を演じ続けてきた。今の声も長くを生きた者のようであり、聖者の魂に相応しいが性別を超越した不思議な響きである。

 実はメイリィは元から女性だが、男性が(たっと)ばれるカンでは性別を偽って暮らしてきた。そのため彼女は祖霊としての声も中性的なものにしたらしい。


 もっとも森猿達にとってシェンツァオ大仙は親達にも勝る大きな愛を注いでくれる存在であり、男女の別など二の次のようだ。怪訝そうにスンウ達を見つめていた彼らだが、柔らかな声に押されたかのように遠来の同族へと寄っていく。

 それはスンウ達も同様で、二つの群れは歓喜の叫びを交わしつつ一つになろうとしていた。


『スンウ、貴方はチュカリと共に来なさい』


「ギャギャ? ……グーギャギャギャ! ギャグー!」


 大仙に指名され、スンウは一瞬戸惑ったらしい。しかし彼は一拍ほどの後、先ほどと同じ諾意を示す叫びを上げると、チュカリの側へと戻っていく。


「良かったねぇ、スンスン! さあ、大仙様に会いに行こう!」


「ギャ!」


 チュカリが見上げると、スンウは彼女を自身の肩の上に乗せた。そして人間の大人の倍ほどもある巨猿は、シノブ達と共に生命の大樹へと歩んでいった。

 スンウの足取りは巨体にも関わらず、弾むように軽やかであった。やはり彼も母に比する存在との邂逅だと、何らかの感覚で察したようである。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 チュカリはシェンツァオ大仙の正体をシノブ達から教わっていた。そのため彼女は大仙ことメイリィが自身と大して変わらぬ年頃に見えると知っており、会ったときも相手の姿に驚きはしなかった。

 今もチュカリは満面の笑みを浮かべ、同じく顔を綻ばせたメイリィと共にスンウの肩に乗っている。大樹の上の小屋は立派なものだが、森猿が入るには少々狭かったのだ。

 チュカリが七歳でメイリィは同じか一つ上くらいだから、虎の獣人にエルフと見た目は大きく違っても姉妹のようである。


「やっぱりチュカリは~、凄い素質の持ち主ですね~。手元に置いて~、修行させたいくらいですよ~」


 メイリィは同族のミリィを更に緩やかにしたような口調だ。そのため初見では彼女が驚いていると読み取れないかもしれない。

 しかしシノブはメイリィが心底驚愕していると察していた。やはりチュカリの才能は、極めて別格だったのだ。


 以前ミリィ達がアウスト大陸を調べたとき、やはりチュカリの素質が話題に上がった。彼女達はアウスト大陸には優れた魔獣使いが多いのかと調べて回ったのだ。

 しかし使役に()けた者は他の地方より多いが、チュカリほどとなると目にしなかったという。


「嬉しいね……。実はお父さんも早く良い師匠に付けと勧めてくれて……」


 言葉と違い、チュカリの顔には憂いも滲んでいる。眷属にして魔獣使いとして大先輩のメイリィに才能を認められるのは光栄だが、とはいえ家族から離れるのは避けたいのだろう。

 弟のジブングは生後二ヶ月を超えたばかりで、まだ母のパチャリは働けない。そのため父のラグンギもチュカリの将来を考えつつも、今すぐに娘が家を離れたら大いに困ると悩んだのではなかろうか。


 しかしラグンギは、そしておそらくはパチャリも、娘の将来を考えるなら優れた師から学ぶのが最善と結論付けたようだ。

 もっともナンジュマにラグンギを上回るモアモア乗りなどいないから、二人の頭にあるのはシノブ達のところへの留学だろう。アマノ王国を含むエウレア地方だと魔獣使いは稀だが、ここ『操命(そうめい)の里』のようにシノブ達は優れた術士を多数知っているからだ。

 シノブはチュカリに通信筒を渡したし、アミィやシャルロットも含め幾度となく(ふみ)を交わしている。それに時折はオルムル達がカカザン島に連れて行くから、ラグンギ達も娘の話から良い教師がいると察したらしい。


「なら『操命(そうめい)の里』に来ませんか~?」


「……アタシがいないと稼ぎが減るからね。ジブングに沢山食べさせなきゃ……今はお乳しか飲まないから、食べるのはお母さんだけどさ」


 メイリィが勧めても、チュカリは首を横に振る。

 やはりチュカリは家計を考えて断ったのだ。パチャリがモアモア乗りに復帰するのは、少なくともジブングの首が据わってからだ。実際には一緒に乗るとはいえ激しく揺れるモアモアへの騎乗だから、一歳を超えないと話にならないだろう。

 それに幼児を連れて街道を行き来するのは(つら)かろう。諸々を考えるとジブングが二歳か三歳になるまではチュカリの稼ぎが必要な筈だ。


「チュカリ、俺が奨学金を出そう。月々充分な仕送りが出来る金額を出すが、チュカリが沢山稼げるようになったら返してもらう。周囲には治癒術士ジブングの専属になったとすれば良いさ」


 シノブが口にした治癒術士ジブングとは、ナンジュマを訪れるときに使う偽名である。

 赤子のジブングは難産で、危うく母子共に命を落とすところだった。これを無事に取り上げたのがシノブの扮した治癒術士ジブングで、ラグンギは感謝を表すべく息子に命の恩人の名を授けたのだ。

 ちなみに今のラグンギは治癒術士ジブングが仮の姿だと知っているが、アウスト大陸の命名規則にシノブという名は反するから、ジブングをアウスト大陸風のシノブの名と解釈して変わらぬ感謝を捧げていた。


「チュカリ、アマノ王国には同じように奨学金で学ぶ子が大勢います。これは施しではなく未来への投資、遠慮は無用です」


「そうですよ! チュカリさんが立派な魔獣使いになったらアマノ王国に仕えてください!」


 シャルロットとアミィもチュカリの後押しをする。

 アマノ王国が奨学金制度を導入したのは事実で、それに当てはめればチュカリの両親は今の生活水準を保ちながら手伝いを雇うことも可能な筈だ。アマノ王国でも同様に子守や家計を支えるために学びに行けないという例はあったから、対応可能な制度にしたのだ。


「それが良いですよ~。カンには私達の手の者を送りますが~、チュカリさんも実地研修として派遣しても良いかもしれませんね~。あっ、研修手当は里で出しますよ~」


 メイリィは、これで万事解決と言わんばかりの笑みを浮かべた。

 実はホクカン軍の奇策だが、メイリィは特殊な魔獣使いの仕業ではないかと指摘した。カンの操命(そうめい)術士が使う生き物は多岐に渡るし、実際に穴を掘る魔獣の使い手もいると彼女は明かしたのだ。


 実際シノブが目にしただけでも、陸生哺乳類の魔獣に加え海生魔獣、更には鳥類や爬虫類に昆虫と操る対象は幅広い。

 もちろん通常だと一人の術士が使えるのは一種類か数種類で、しかも大抵は同系列だ。そのため誰もが穴掘りを得意とする魔獣を使えはしないが、この里にも僅かだがいるという。

 現在の『操命(そうめい)の里』にはモグラを使う者がいるが、過去には昆虫などを操って地下に罠を仕掛けた例があるそうだ。


「どうかな? 定期的にナンジュマに戻れるように手配するから、ジブング君とも会える。それに率直に言えばチュカリの稼ぎより奨学金の方が多い……だからジブング君の食費にも余裕が出るよ」


 シノブは変な気を使わずに、収入増に繋がる道だと保証した。チュカリにとって収入とは見栄を張るための飾りではなく、生き抜くために必要な現実だと知っているからだ。

 それ(ゆえ)シノブは、より家族の生活を安定させる道だと端的に示す。それが今のチュカリに最も必要なものだと感じたからである。


「そ、それならお願いします! シノブさん、ありがとう!」


「あらあら~。シノブ様はモテモテですね~」


 チュカリはスンウの肩から飛び降り、シノブの腕の中に納まる。するとメイリィは冷やかすような言葉を発した。


 もしかすると、メイリィがミリィに似ているのは口調だけではないのかもしれない。

 金鵄(きんし)族にもホリィのように真面目な者やマリィのように大人びた態度を好む者と色々いるから、単なる偶然かもしれない。しかしメイリィがミリィと同じ先輩に学ぶなどすれば、両者が似ても不思議ではないだろう。


「ともかく今は里を巡ろう! それに『海獣の里』で海猪(うみいの)の子と会うのも良いな! この前チュカリには(ふみ)で教えたよね?」


 シノブはミリィとの付き合いで、こういうときは無視するに限ると知っている。

 そもそも妻が横にいるのに迂闊(うかつ)な発言は禁物だ。シノブは下手な冗談で最愛の妻の顔を曇らせるほど、愚かではないつもりである。

 そこでシノブはチュカリに次の予定を提示した。シノブ達は三時間を捻出したから他の里に行く余裕もあるし、この辺りだと時間一杯いても日没程度である。

 これなら先月助けた海猪(うみいの)の子達にも会えると、実はシノブも楽しみにしていたのだ。


「うん、泳ぎが得意な魔獣だね! 丸っこくて可愛い声で鳴くんだよね!?」


「そ、それは~!? チュカリさん、美味(おい)しいお菓子がありますよ~。それに出かけるならスンウを預かりましょう~」


 もちろんチュカリは新たな訪問先に大きな興味を示す。しかしメイリィは強い焦りを示し、一行の引き止めに掛かる。

 やはりメイリィは、かつて慈しんだスンウ達に強い愛着があるようだ。彼女は里にいる森猿達も可愛がっているが、遠く離れた地で長く過ごしたスンウの一族を思いきり(ねぎら)いたい気持ちも強いのだろう。


「チュカリ、どうする?」


「もう少しお世話になろうかな? スンスンもそう思っているから」


「グーギャギャギャ! ギャグー!」


 シノブの問いに、チュカリは一瞬だけ巨猿に顔を向けただけで応じた。しかもスンウの(いら)えからすると、チュカリの推察は合っているのだろう。


「じゃあ、そうしよう。ここも良い風が吹きぬけるからね」


 やはりチュカリの素質は別して素晴らしいようだ。シノブの顔は自然と綻んでいく。

 もちろんシャルロットやアミィも同様、それに引き伸ばしに成功したこともあってかメイリィも笑み(こぼ)れる。

 ホクカンの謎は深まったが、代わりに新たな希望と仲間が支えてくれる。シノブは若草色に変じた光の下で、育っていく若木の存在を確かなものと感じていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年6月16日(土)17時の更新となります。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ