26.08 新たな地下道と仲間達 後編
ジャル族の若者ヒュザとメジェネ族の若者ハジャルは不仲らしいが、双方とも族長の長男だから単なる仲違いと軽んずるわけにいかない。
この式典はクルーラ地下道の開通を祝う他に、アマノ王国の自治領になったと部族内に知らしめる意味がある。そのため双方とも多くの仲間を連れてきており、合わせて二百名ほどもいる。
山地で暮らすジャル族は個々の遊牧集団を率いる長達、砂漠のオアシスに定住するメジェネ族は村長達。これらの有力者の前で失態を犯せば、内容次第で将来が閉ざされてしまう。
そう思って気を配ったシノブだが、流石に晴れやかな場を無視しての激突はなかった。
ただし開通式が終わったからといって、安心できるとは限らない。続いての宴で酒が入って気が大きくなったのか、双方の若者達が口論を始めたのだ。
ジャル族とメジェネ族は式典を実施した場に数多くの敷物を広げ、そこに心尽くしの料理を並べた。これが両部族に一般的な宴会の姿で、悪天候なら上に天幕をかけるが敷物に直接座ってというのは変わらない。
しかし今、両部族の若者達は立ち上がり、掴み合いを始めそうな勢いで互いを睨んでいる。
「僅か三十分の平穏じゃったか……」
「ちょっと早いと思う」
呆れも顕わに顔を見合わせたのは、カンビーニ王国の公女マリエッタとウピンデ国の大族長の娘エマである。
シノブは側付き達に、ヒュザとハジャルが反目しあっている可能性を伝えていた。懇親会になれば側付きも挨拶しに巡るだろうし、こちらの不用意な発言で諍いが起きないように先手を打ったのだ。
しかし両部族内の衝突では、シノブの配慮も意味を成さない。
「ハジャル殿、今の言葉は聞き逃せぬぞ。我らが地下道の利益を独占するなど、とんだ言いがかりだ」
「む……。しかしクルーラ地下道があるのはジャル族の土地、お前達が利を多く得るのは事実だろう」
ヒュザが非難すると、左右に並ぶジャル族の若者達も大きく頷いた。すると彼らの視線の先で、ハジャルが苦い顔をしつつ抗弁する。
言い争いの発端はメジェネ族の側だった。ハジャルの友人の一人が、ジャル族に地下道の管理を任せたら利益を貪るに違いないと零したのだ。
地下道からはエウレア地方の商人が大勢来るだろう。そしてアスレア地方の入り口があるのは、ここジャル族が住む山地のみだ。
したがってジャル族が利益に預かるのは事実だが、めでたい場で口にすることでもなかろう。
「あの方々が出かけた途端、見苦しいことを言い出しおって……」
「ああ、本当に浅ましいヤツらだ」
若者達が騒ぎ始めたのは、超越種の留守も影響しているらしい。
宴が始まる前に、超越種達は狩りをすべく飛び去った。通常彼らは調理したものを食べないから、シノブが別行動を勧めたのだ。
そのため式典とは違い、聳え立つように巨大な成体も含めて超越種達は全てが大砂漠へと向かった。これが若者達の気の緩みに繋がった可能性は確かにある。
もっとも若者達のうち、自己分析をするほど冷静な者は一部のようだ。既に大半の若者は酔いを顕わにしているし、他も多少は顔を赤くしている。
飲酒を控えたのは若者でも代表格の者達のみ、ヒュザやハジャルを含めて十名もいなかった。
「お前達、金に汚いからなぁ~」
「酔っ払いの戯れ言では済まさんぞ!」
中でも酔いが激しいのは騒動の原因たるハジャルの友人で、遠目にも顔が真っ赤だと明らかだ。しかしジャル族の若者達は酒を理由に見逃すつもりはないらしく、真顔で詰め寄っていく。
「な、なにを~! お、俺は……うっぷ、ま、間違ってないぞぉ~!」
とはいえ照らす夕日に勝るほど顔を染めている男に、まともな説明が出来る筈もない。そもそも呂律すら不確かで、自身が正しいと繰り返すのみである。
「近づくな!」
「手を上げるつもりだろう!」
メジェネ族も折れる気はなさそうだ。彼らは形だけでも謝罪するなど穏便に済ませる道を選ばなかったし、酔った男を介抱する者達もジャル族の接近を妨げようとしていた。
族長の長男ハジャルも、他の若者達と共に人壁を作る。そのため傍から眺めていると、一触即発としか思えない。
「仲間はともかく、ハジャルは一角の男だと思ったがの」
「私も……でも見込み違いだった? 後輩達に紹介するのは止めておく」
どうやらマリエッタ達は、新たな地の男性を品定めしていたようだ。ただし自分自身ではなく、同僚の女騎士を念頭に置いたものである。
マリエッタは王族だから、身分が下の相手では国の者達が納得しない。しかも彼女の理想は自身より段違いに強い男性、つまりヒュザやハジャルの遥か上である。
ヒュザ達も弱くはないが、もしシノブの親衛隊に混ぜたら若手にしては見所があるという程度なのだ。
一方エマは先月ガルゴン王国の王太子カルロスと婚約しており、相手探しは既に終わっている。そのためか彼女は、早くも仲間達の世話に意識が向いていた。
この二人と仲の良い三人の女騎士、フランチェーラ達は相手を見つけたらしくもある。そこで続く者達に、ということなのだろう。
ちなみにフランチェーラ達だが、今もアルバーノの配下として大陸の東で働いている。そのため二人の会話に混ざったのは、別の者だった。
「……彼らの責とばかりも言えぬがな。ここは高地だから酒が回るのが早い……しかし低地のオアシスで暮らすメジェネ族に、標高と酔いの関連を知る者などいないだろう」
寄ってきたのは猫の獣人の老人、親衛隊長のエンリオだった。彼は少し離れた場所にいたが、騒動の気配を察して探りに来たらしい。
高地で酸素が薄いから無意識のうちに呼吸や心拍が早くなり、アルコールが回る速度も増していく。加えて標高が高いと空気が乾いている影響で脱水しやすく、体は抜けた水分を補おうとする。
原理はともかく、この世界でも高山のある地方では経験的に知られていることだ。
「なるほどのう……そなたから教わったが、酒を飲めんから忘れておったわ」
「それにカンビーニと同じで、ウピンデムガも高いところはなかった」
マリエッタは十三歳、エマは婚約こそしたが十四歳だ。そして神々は未成年の飲酒を禁じたから、この二人は酒の効能や悪影響について疎かった。
エンリオも高山のないカンビーニ王国出身だが、こちらはアマノ王国に移ってから高地訓練や雪中訓練を重ねている。
アマノ王国は平地でも他より標高があるし、国境は殆どが踏破不可能な高峰だ。そこでエンリオは経験者から高山での過ごし方を教わり、実地で自身の体への影響を確かめてもいた。
◆ ◆ ◆ ◆
酔いと標高の関係に加え、エンリオはメジェネ族やジャル族についても多少の知識を示す。
親衛隊長という要職に加え、息子のアルバーノが情報局長で孫娘のソニアが局長代行だ。エンリオ自身も意外に情報収集に長けているらしいが、更に二人から配下の一部を借りてもいる。
そのためエンリオは武辺者といった印象とは裏腹に、他が知らぬことまで把握していた。
「メジェネ族が高地に来るのは初めてに近いそうだ。それにジャル族の若者達も、こうなっては冷静な指摘など無理……あるいは教える義理もない、といったところか」
エンリオは先ほどと同様に、カンビーニ王国出身者としてではなくアマノ王国の国王親衛隊長としての口調で語っていく。
仮にマリエッタのみであれば、エンリオは強い敬意と孫娘に接するような親しみを顕わにする。彼は二十年近く前にマリエッタの母フィオリーナの護衛を務めたことがあり、故郷の王族という以上に敬慕しているからだ。
しかし今は他の者もいるから、臨時とはいえ指揮下に入った相手に敬語を用いるわけにいかない。
こうやって言葉を交わすのも、人によっては贔屓と受け取るだろう。そのような野暮を言う者はシノブの側近にいないが、かといって限度を越えては組織に亀裂が入ってしまう。
「仲裁すべきかの?」
「エンリオ様なら、どちらも一瞬で黙ると思う」
「いや、陛下が動かれた……だから我らは静かに見守れば良い」
期待を示す二人に、エンリオは少しばかり悪戯っぽい笑みで応じた。
どうやらエンリオは、これを言いに来たらしい。マリエッタ達が軽挙妄動に出るとは思えないが、念のためにと考えたのだろう。
「随分と盛り上がっているようだが……」
シノブがヒュザとハジャルに近寄っていく。
続くのはアマノ王家の女性達とアミィ、それに先ほどまで歓談していた両部族の族長達だ。彼らを見た若者達は、一斉に動きを止めて口を噤む。
これから統治者として仰ぐシノブに、一族の長の登場だ。そのため若者達の表情は、まるで叱責を覚悟した子供のようでもあった。
しかもヒュザとハジャルにとっては族長に加えて自身の父親だから、ますます相手が悪い。豹の獣人に猫の獣人と種族が違う二人だが、今の後悔に支配された表情は兄弟のように似通っている。
「……理由は?」
「申し訳ありません!」
シノブの一言で若者達は蒼白な顔となり、先を争うようにして跪く。
先ほどまで赤い顔だった男、ハジャルの友人も紙より白い顔でガタガタと震えている。これはシノブが言葉と同時に、自身の魔力波動を少しばかり解放したからだ。
もっともシノブは無意味に力を誇示したのではない。
どちらの若者達も面子からか譲歩する様子は皆無、衝突は避けられぬとシノブは感じた。仮にそうなった場合、式典で醸し出した融和の空気は霧散し、二つの部族に大きなしこりが残ってしまう。
ならば更に強烈な印象で上書きし、同時に自身の管理下に置く。それがシノブの狙いであった。
「……何があったか不問とする。代わりに両者の技を披露せよ。口論ではなく武技で競うのだ……それで良いな?」
理由は酒の上での過ち、それも慣れない高地での悪酔いだ。したがってシノブに細かく問い詰めるつもりはない。
しかし自分が収めるから和解せよと言うだけでは、若者達も納得しないだろう。そこで宴の余興として彼らの代表を競わせ、不満を発散させる。
もちろん代表同士が勝負したからといって鎮まるとは限らないが、それくらいは自分が上手く言いくるめれば良い。シノブも国王となって九ヶ月以上、その間には騒動の仲裁くらい何度も経験しているのだ。
「はっ!」
「仰せの通りに!」
ヒュザとハジャルの双方とも、どこか安堵が滲む声で応えを返した。
もしかすると二人は内心では困りきっていたのでは。シノブの想像に根拠はないが、当たらずとも遠からずではないか。
この二人は反目というか、競争心めいたものがあるらしい。とはいえ今日のように特別な日に競うほど目が曇ってはいないのだろう。
しかし友人達の中には自制が効かない者もいれば、場の空気に鈍感な者もいる。そういった愚か者達の暴走を、二人は抑えきれなかったようだ。
「せっかくの祝宴を血で汚すこともあるまい。無手の勝負としたいが、それで良いか?」
自身の予想通りか、それは競えば分かるに違いない。そう思ったシノブは、勝負の内容を決めにかかる。
「お心のままに」
「私も異存ありません」
当事者達は殊勝な言葉を返す。それに二人の父、つまりジャル族とメジェネ族の長も表情を緩ませ頭を下げる。
場を収めるための勝負だから、なるべく穏当なものが望ましい。かといって力や技を競わぬことには、血の気の多い若者達が納得しないだろう。
それらを考え合わせれば、素手の格闘が最も妥当である。
「では、無手とする。細かいことはラギョルとリュグが相談して決めるように」
シノブは族長達へと顔を向ける。ジャル族の長がラギョル、メジェネ族の長がリュグである。
先ほどからの歓談で知ったが、二人も素手から武器を用いてまで様々な技を修めている。しかし険しい斜面で遊牧するジャル族と、砂漠やオアシスを生活の場とするメジェネ族では、戦い方も大きく異なった。
ジャル族が暮らす高地に巨大魔獣を養えるほどの動物は棲んでいない。そのため彼らの戦いの相手は小物が多く、武器は棒や投石で事足りる。
一方メジェネ族が渡る砂漠には蛇やサソリの魔獣がおり、しかも人間の何倍もの巨体を誇っている。こうなると長大な武器が望ましく、彼らはウピンデ族のように常識外れの長さの槍を用いていた。
したがって武器を使っての戦いだと、公平な条件にするのは難しい。
◆ ◆ ◆ ◆
族長達は一部の急所攻撃の禁止を決めたのみで、闘法自体は殆ど制限しなかった。これならエウレア地方の者でも審判が務まると、シノブは親衛隊長のエンリオを指名する。
ジャル族やメジェネ族を審判にすると、恣意的な判定があったのではと疑う者が出かねない。つまり彼ら以外を判定役とするのが望ましい。
それは両部族とも理解しているようで、エンリオの登場に難癖を付ける者はいない。
このように準備は短時間で終わったから、高地の民ヒュザと砂漠のオアシスの住人ハジャルの闘いは日暮れ前に開始される。
闘いの場はクルーラ地下道に近い側の隅、先ほどまで広げていた敷物を剥いで元の岩肌を露出させた一角だ。そして観客達は身分の高い者から近くに腰を降ろしている。
もちろんシノブ達は中央の最前列、双方の族長を解説役として側に置いての観戦だ。
「それではジャル族のヒュザとメジェネ族のハジャルの三十分一本勝負を執り行う……始め!」
エンリオが宣した通り、闘いは時間制限付きである。これは日没が迫っているからだ。
ちなみに計時はアミィの担当で、彼女が持つスマホに由来する百分の一秒単位の非常に正確なものだ。ただし彼女は不審に思われないように、手には懐中時計も持っている。
「行くぞ!」
「おう!」
掛け声一閃、ヒュザとハジャルは宙へと跳んだ。
ジャル族やメジェネ族は身が軽く、素手で戦うときは長所を活かした空中戦が多いという。二人も例に漏れず、まるで創作物で描かれる忍者のように空高くで交差する。
およそ三十歩近くも離れた場所から若者達は踏み切っただけで間合いに入り、そのまま高みで攻撃へと移ったのだ。
「うりゃあ!」
「なんの!」
豹の獣人ヒュザが蹴りを繰り出すと、猫の獣人ハジャルは相手の蹴り足に手を添えて更に一跳びする。そして今度はハジャルが拳を突き入れると、ヒュザは宙で器用に身を捻って避ける。
「我らに猫の獣人が多いのは、他の種族と違って過酷な地でも生きていけるからだと聞いております」
メジェネの族長リュグは、幾度も飛び交う二人を見つめつつ部族成立の伝説を披露する。
アスレア地方には、北方から南方まで多種多様な獣人族が存在した。
北は狼、狐、熊。南は獅子、虎、猫、豹。もちろん獣自体ではなく、それらの形質の一部を長所として備える人々である。
メジェネ族には人族もいるし、数は少ないが猫の獣人以外もいる。しかし大多数はハジャルやリュグのような猫の獣人だ。
猫科の獣人は暑さに強いが、獅子の獣人や虎の獣人は大柄だから酷暑の砂漠だと不利である。これは体が大きいと、体内に熱が篭もりやすいからだ。
しかし猫の獣人は、他に比べて細身の者が多い。彼らの身長は他と変わらないが、細い分だけ熱を逃がしやすいようである。
おそらく砂漠のオアシスに居を定めたのは、過去の戦乱を嫌っての移住だろう。しかし適地であったから今まで住み続けたのだと、リュグは結ぶ。
「ジャル族が高地を選んだのも戦が原因ですか?」
「はい。我らは猫の獣人や他の豹の獣人と違い、寒さへの耐性がありました。そこで先祖は更に西へと進み、この山肌に住み着いたと聞いております」
シャルロットの問いに、ジャル族の長ラギョルは自分達が特殊な血統だと答えた。
ラギョルの様子からすると、決して誇張ではないらしい。彼には充分な根拠があるようで、落ち着いた表情を崩さない。
──ラギョルやヒュザはユキヒョウの獣人なのかな? 髪も色が薄いから白っぽく見えるときがあるし──
──そうするとリュグさん達はスナネコの獣人でしょうか? 普通の猫の獣人は、ここまで砂漠に適していませんから──
シノブとアミィは密かに思念を交わす。もちろんシャルロットにも届いており、彼女も僅かに隣へと視線を動かす。
──今は二人の勝負に集中するか。闘うように言ったのは俺だし──
──そうですね。まさか耳や尻尾を見せてくれと頼めませんから──
シノブが前を見つめなおすと、シャルロットも夫に倣った。
何々の獣人といっても、容貌や肌の色は地域に応じたもので一様ではない。つまり厳密には地方ごとに別の人種だと表現しても良いだろう。
これは土地に合わせた適応だが、ならば特性の象徴である獣の形質にも場所に応じた変化があっても不思議ではない。
メジェネ族やジャル族は頭に布を巻いており獣耳は下に隠れているし、普段は長衣を上から纏っており尻尾も外からだと窺いにくい。したがってユキヒョウやスナネコの特徴があるか不明だが、まさか被り物や衣を取れとは言えない。
何しろ闘っている二人ですら、頭の布や長衣を外さない。その辺りからすると、これらを取ってくれと要求するのは相当な失礼に当たる可能性もある。
そこでシノブは種族への疑問を後々に回すことにしたのだ。
「なかなかやるな!」
「お前もな!」
二人は数十回も飛び交って同じだけ技を繰り出したが、互角というべき状態を保っている。どうも身ごなしが見事すぎて、決定的な一打に繋がらないようだ。
どことなく認め合ったような様子は、ある意味でシノブの期待通りだが、このままでは時間切れで引き分けとなる可能性が高い。
「そこじゃ! またか……惜しいのぉ」
「見ごたえはあるけど、均衡しすぎかも」
マリエッタやエマなども少々退屈してきたようだ。最初は曲芸めいた体術に歓声を上げていた二人だが、今は焦れた様子を隠さない。
この二人も身軽でヒュザ達と同じような空中戦も得意だから、高度な技でも評価は辛くなるのだろう。他の親衛隊員や女騎士達も、自分ならこうするなどと密かに言葉を交わしている。
「凄いです!」
「僕達には無理ですね……」
一方で元エンナム王子のヴィジャンや彼の指導役のネルンヘルムなど、少年従者達は瞳を輝かせたままだ。彼らはマリエッタ達と違い、自身では届かぬ妙技と素直に憧れを示している。
武術に限ったことでもないが、目が肥えすぎていても楽しめないらしい。もちろん理解が及ばないのも論外だが、かといって観戦するなら驚きがなくては詰まらないだろう。
つまり今ここで最も得をしているのは、武への興味もあり程々に理解できる少年従者達のようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「時間です!」
「そこまで! 時間切れにより、引き分けとする!」
アミィが三十分経ったと伝えると、エンリオは闘う二人の間に割って入った。
やはりというべきか均衡は崩れず、ついに決定打のないまま試合が終わってしまった。
多くの者は健闘を称えているが、騒動の元であるジャル族とメジェネ族の若者達は顔に不満を滲ませている。勝負自体に文句はないらしいが、自分達が上だと示せなかったのが残念なのだろう。
──シノブ、貴方の出番のようです──
族長達の耳に入るのを嫌ったようで、シャルロットは思念で呼び掛ける。彼女の表情は楽しげで、シノブが綺麗に収拾すると疑っていないようだ。
ミュリエルやセレスティーヌも同じらしく、やはり期待らしき笑みを浮かべている。二人は思念を使えないから無言だが、顔にはシャルロットと同様に強い信頼が溢れている。
──ああ、けしかけた責任を取ってくるよ──
シノブは立ち上がりつつ、シャルロット達へと微笑みを向ける。そして一瞬の後、真顔を作って闘い終えた二人へと歩み始めた。
「見事であった! ジャル族とメジェネ族の技の数々、堪能したぞ!」
シノブは拍手をしながらヒュザとハジャルに寄っていく。
まずは両者を称えるべきだ。彼らの闘いは少々大袈裟に表現するなら、自身が所属する部族の威信を懸けたものだからである。
もちろん二人の主観としてはという但し書きは付くし、族長達に問えば若者の暴走と答えるだろう。
しかし嘘も方便、褒めて収められるなら一番だとシノブは考えた。実は次の手も用意しているが、とある理由で使わずに済ませたかったのだ。
「ありがとうございます……しかし引き分けでは収まりがつきません」
「私もです。どうか延長戦をお許しください」
やはりヒュザとハジャルは決着をと望んだ。どちらも相手を認めてはいるようだが、一族の代表という意識が強いのだろうか。
そこでシノブは、第二の手段に移ることにした。
「愚か者! そのように己の都合のみに捉われるところが未熟なのだ! ……今日はクルーマとパーラが贈ってくれた地下道に感謝を捧げ、新たな縁で結ばれた我らの絆を深めるべき日。それらを忘れて私情に走るなど、言語道断である!」
シノブは一転して険しい表情となり、更に叱責と呼ぶべき語調で声を張り上げる。
それとなく諭すのが無理なら、少々お灸を据えるしかない。矢面に立たされた二人を可哀想に思うが、若者達の代表である以上は仕方ないと諦めてもらう。
このように高圧的な態度は好まない上に、シノブとしては気恥ずかしいから避けたかった。しかし叱られる代償も用意したから、眼前の若者達には衆人環視での辱めに耐えてもらうことにする。
「そなた達に短慮を治す機会を与えよう。二人とも私の側に上がり、広い世の中を巡るのだ。……再戦は充分に成長してから、それで良いな?」
シノブは勝負に加えて二人の身柄も預かると宣言した。
最後の問い掛けは、父である族長達に向けたものである。両部族はアマノ王国の自治領となったから彼らもシノブの家臣に準ずる位置付けだが、自治だから勝手に決めるのも如何なものかと考えたのだ。
「望外の幸せ! ご配慮、感謝いたします!」
「右に同じく! 不肖の息子で恐縮ですが、どのようにでもお使いください!」
族長達は跪礼の姿勢を取り、同意と感謝を示す。双方ともシノブの真意を察したらしく、再び上げた顔には今日一番の輝きが宿っている。
「必ずやお役に立ちます!」
「この命、そしてメジェネの誇りにかけて!」
一拍ほど遅れ、若者達も父に倣う。
どうやら二人も、シノブが事態の収拾に加えて修行の場を用意したと理解したらしい。彼らは強い感激と合わせて、心酔めいた色を面に浮かべていた。
これで問題ない。そう思ったシノブだが、意外なところから新たな知らせが寄せられる。
──シノブ様、ミリィから連絡が入りました! ナンカン皇帝の一行が滞在している都市に、ホクカンの軍が夜襲を仕掛けたそうです! 幸いナンカン側は凌ぎましたが、都への帰還が遅れるのは確実です!──
思念を発するアミィの手には通信筒が握られていた。つまりミリィからの知らせは、まさしく送られてきたばかりなのだ。
ナンカンの都ジェンイーは、ここクルーラ地下道の入り口から5600kmほども東だ。時差は五時間程度だから、そろそろ二十三時になろうかという辺りである。
皇帝の一行がジェンイーに戻ったら会見できるよう、シノブはナンカンの大神官に頼んでいる。そのため現在ミリィは皇帝の行幸を密かに見張っており、ホクカンが攻め寄せてから幾らも経っていない筈だ。
つまり夜襲といっても日暮れ過ぎではなく、深夜の深い闇を抜けての本格的なものである。したがってホクカンが二重三重の備えをした可能性は高く、皇帝達も簡単に脱出できないかもしれない。
──ミリィは最悪の場合ナンカンに手を貸したいと言っています。それに諜報員も動かして良いかと……どうしましょう?──
──思い通りに動いて良いと返答してくれ。ちょうど活きの良い若者も加わったところだしね──
──アルバーノに鍛えさせるのですか?──
アミィに応じたシノブは、跪いたままのヒュザとハジャルに顔を向ける。するとシャルロットが、面白そうな様子が滲む思念で会話に加わった。
すぐにカンに派遣できるか、それとも暫くアマノシュタットで磨くか。どちらにしても、シノブは今日出会った二人を遥か東の地に派遣するつもりだった。
先ほど口にしたように広い世界を見せるなら絶好の機会だし、経験豊富なアルバーノに預けたら大きく成長するに違いない。シノブは、そう考えたのだ。
それらをシノブは思念で手短に明かし、再び口を開くことにする。族長達も畏まったままだし、放置し続けるわけにいかないからだ。
「さあ、宴の再開だ! 新たに世界へと羽ばたく仲間を祝福するのだ!」
シノブは観戦者達へと振り向き、ヒュザとハジャルの門出を祝おうと伝える。すると所属や山脈の東西に関係なく、集った者達は揃って喜びの声を上げていく。
部族の代表たる族長達に、彼らを支える長達。勝負がお預けとなった二人の友人達。そして西から来た老若男女の全て。誰もが新たな道を得た若者達を励まし、更なる成長が出来るようにと願っている。
新たな地との懇親は、思わぬ形で大きく前進した。そこでシノブも笑みを深めたまま、預かった二人と共に自席へと戻っていく。
そしてシノブと二人の若者は迎えた人々と共に、長年の仲間にも勝る親密さで記念すべき日への喜びを表していった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年6月9日(土)17時の更新となります。