26.04 炎の友情
創世暦1002年3月6日、アマノ王国は戦没者慰霊祭と銘打って国を挙げての式典を実施した。
ベーリンゲン帝国打倒の戦いは、一般に創世暦1001年2月15日から同年4月9日までとされている。これは最西端の国境砦を攻略した日から全ての都市を掌握した日までだが、その中で最も多くの命が散ったのが3月6日の帝都決戦だ。
そこでシノブは、この日を帝国打倒の過程で失われた命を思う日とした。どちらの陣営に属していたか関係なく、戦いの犠牲となった全ての魂を慰めようと考えたのだ。
アマノ王国には国中を網羅する放送網があるから、慰霊祭は全国で同時に行われた。
建国時に放送の魔道装置が設置されたのは、王都を含む三十一の都市のみだった。しかし九ヶ月後の今では全ての町に置かれ、更に村々へと広がりつつある。
ちなみにアマノ王国の町は三百以上、村は一万を超える。しかし町村は都市と違って送信機を省いたから、既に全集落の三割程度で放送を受信できた。
増産体制も整い、来年の今ごろには配備が完了する筈だ。そのため今日のところは隣村などに出かけた人々も、自分達のところに届く日を楽しみにしている。
『……意思を奪われ散った人々を忘れてはならない。彼らの尊い犠牲を無駄にしないためにも、より良い国を皆で築いていこう』
「そうだよな……せっかく自由になれたんだ」
「ああ」
メグレンブルク伯爵領の小集落、かつてシノブ達が救出作戦を実施したヴォルヒ村にも受信機が置かれていた。そのため帝国打倒後に戻ってきた村人達は、集会所に集まり王都アマノシュタットからの放送に聞き入っている。
大神殿での慰霊の儀式は既に終わり、シノブの演説へと移っていた。
帝都決戦や各地での戦いがどのようなものであったか、アマノ王国は充分に知らしめていた。旧帝国の非道を糾弾し、新王国の意義を強調するためだ。
したがって王都から500km以上離れたヴォルヒ村にも、竜人化など帝都決戦の惨劇は伝わっているのだ。
それに帝国時代、村人達は奴隷として酷使された側だ。
一部は戦闘奴隷として軍に連行され、残る者達も苦役の日々を送った。戻ってこなかった親兄弟や解放の日までに倒れた先祖達へと、集まった人々は手を合わせ祈りを捧げている。
『そのためには独裁を廃し、多くの意見を取り入れるべきだ。一人だけの都合で国を動かした結果、あのような悲劇が生じたのだから……』
「それで陛下は憲法ってヤツに力を入れているのかな?」
「そうだと思います」
ゼルスザッハの町では、多くの人々が中央広場から響く放送に耳を傾けていた。
町だと拡声の魔道装置も合わせて設置され、かなりの範囲に音が届く。そのため今日のような式典の中継だと、放送の魔道装置が未設置の村からも人が集まって祭りのような賑わいだ。
言葉を交わした男達の一方、ディトガーの雑貨屋も大繁盛だ。そこで工場勤務のリュリヒは、休日だというのに友人を手伝うべく臨時の店員として働いている。
もっともリュリヒには、それだけの恩がある。帝国時代にリュリヒが徴兵されたとき、病気の母を預かってくれたのがディトガーと妻のテレーナだ。
それに手伝う理由は、もう一つあった。
「う~、あぁ~! あ~!」
「あらあら、オシメかしら?」
「いえ、お腹が空いたのでは?」
奥から響いてきたのはディトガーの子供、つい先日生まれたばかりの赤子の泣き声だ。続いたのはテレーナ、最後はリュリヒの母フィルマである。
「フィルマさんがいてくれて助かるよ。俺達は初めてだからな。……いらっしゃいませ!」
「気にしないでください。母さんも楽しんでいるようです」
ディトガーは礼を言いながらも客の相手をし、リュリヒも商品の補充をしながらと忙しい。
新体制になって医療面も向上し、フィルマは健康を取り戻した。現在の彼女は仕立屋で働いているが、手の空いているときはテレーナを助けたり赤子を預かったりしている。
フィルマとリュリヒは母子のみの二人暮らし、そのため彼女は恩返しを兼ねてディトガー夫妻の支援をしているのだ。
「リュリヒさんも、そろそろ嫁を貰わなきゃ」
「そうそう、班長だから稼ぎも充分だろ?」
新たな客はリュリヒが勤めている魔道具工場の工員だった。
ゼルスザッハの魔道具工場には近隣の村から働きに来る者も多く、彼らもその一員だ。多くは徒歩で一時間以内、少し離れた場所だと乗り合い馬車などを用意しているという。
「そんな、まだまだですよ……」
「いや、母親孝行できるぞ?」
照れるリュリヒにディトガーが追い討ちめいた言葉を掛ける。そして工員達は、真っ赤になった班長を微笑ましげに見つめていた。
『神々と違い、どのように優れた統治者だろうと間違うことはある。それを忘れて神と並ぶとしたところに帝国の過ちはあり、多くの犠牲者が生まれた。彼らの苦しみを無駄にしないためにも、私は皆と共に国造りをしたい』
「陛下なら何でも出来ると思うけど……」
「……皆で作った方が良いってことだろう。俺達の牧場……俺達の村……自分で作るから愛着がある。きっと国も同じなのさ」
口を尖らせたのはビーレア村の少女ヘルガ、優しく諭すように応じたのは父のオイゲンだ。
牛飼い達の集落ビーレア村にも受信機は設置済みで、彼らは他の村人と共に集会場で式典の様子に聞き入っていた。
アマノ王国でも最南端に近いだけあり、ビーレア村の周辺からは雪など消えている。そして今年は牧草の成長も良く、比例するように牛達の育ちも順調だ。
したがってビーレア村の人々も忙しい毎日を送っているが、シノブの声が聞きたいと彼らは時間を割いていた。かつてシノブはビーレア村に訪れたことがあり、オイゲンやヘルガとも言葉を交わしているからだ。
シノブは暇が出来れば国内を巡る時間に当てているが、訪れた場所など全体からすると僅かなものだ。しかもビーレア村への訪問は建国直後だったから、尚更オイゲン達は光栄に感じているらしい。
加えてビーレア村は王室御用達のアマノ牛の生産地でもある。そのため王家への好意は他より遥かに大きいようで、今も熱心に耳を傾けている。
もっとも仕事で手が離せない者を別にしたら、他の村も同様だ。彼らが奴隷から解放されたのは僅か一年ほど前のこと、まだ当時の苦しみを忘れる筈もない。
町の者達も圧政から脱した日を思っているのだろう。祭り気分を味わう人々も、戦いで散った者達への祈りは忘れていなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
このように戦没者慰霊祭は大規模かつ重要な式典だから、シノブ達は準備に多くの時間を割いた。しかも慰霊祭はミュリエルの誕生日から三日後ということもあり、ますます忙しい。
そのためイヴァールやアルノーのところに誕生祝いに出かけるのは、翌3月7日に回された。
イヴァールとティニヤの子は3月4日、アルノーとアデージュの子は3月5日に生まれた。しかし式典の前に訪問しても、祝いの言葉を贈るのみで引き返すしかないだろう。
そこで翌日にでも、ゆっくり両家を訪問しようとなったわけだ。
「どちらも男の子だよ~。リヒト、楽しみだね~」
「あう~! あ~!」
シノブが抱き上げるとリヒトは上機嫌に応じ、更に窓へと顔を動かした。
今はアマノ号での飛行中、イヴァール達が住むバーレンベルク伯爵領へと向かっている最中だ。つまりシノブ達がいるのは魔法の家のリビングである。
リビングのソファーには七人が座っていた。一つにシャルロットやミュリエル、セレスティーヌのアマノ王家、そして向かい合う一つにマティアスとアリエル、シメオンとミレーユの二組の夫婦だ。
「双方とも跡取りが生まれて祝着至極、これで両伯爵家も安泰ですな」
「本当ですね。後はメグレンブルク伯爵家とイーゼンデック伯爵家ですか」
満足気なマティアスに、シメオンが静かに応じる。もっとも後者の顔にも柔らかな笑みが浮かんでおり、窓外の晴れやかな空を見つめる眼差しも穏やかだ。
「どちらもお子は宿っていますから」
「モカリーナさんとアリーチェさん、二人とも九月ごろでしたね~」
こちらは夫人達、アリエルとミレーユだ。
メグレンブルク伯爵アルバーノの妻がモカリーナ、イーゼンデック伯爵ナタリオの妻がアリーチェだ。どちらも昨年結婚したばかりで、当然ながら初の子である。
「リヒトの友人達ですね」
「はい!」
「あらっ、またハイハイさせるのですか?」
感慨深げなシャルロットに、ミュリエルが嬉しげな様子で言葉を返す。一方のセレスティーヌはシノブ達に目を向けていた。
シノブは抱いていたリヒトを絨毯の上に降ろしたのだ。
「ああ、自分で移動したいって」
「あ~!」
シノブが手を離すと、リヒトは窓に向かって真っ直ぐに這っていく。
四日前に覚えたばかりということもあり、リヒトはハイハイが楽しくてたまらないようだ。今もシノブには、我が子の強い歓喜が魔力波動として伝わってくる。
「お~!」
「あれがノード山脈だよ。たぶん正面はサドホルン鉱山の辺り……すると、あそこがバーレンベルクの領都シュタルゼンかな?」
喜びの声を上げるリヒトの側にシノブは膝を突き、白銀に輝く山々や手前を指し示していく。
バーレンベルク伯爵領は王都アマノシュタットから北西、領都シュタルゼンまでなら直線距離で250kmほどだ。シノブ達は昼過ぎまでシュタルゼンに滞在し、それからアルノーのゴドヴィング伯爵領へと向かう。
シュタルゼンからゴドヴィング伯爵領の領都ギレシュタットまで南西に200kmほど、更にアマノシュタットまで東に350km程度、合計800kmもの旅である。
馬車なら一週間近くかけて巡るのだろうが、超越種達なら一日もいらない。今日アマノ号を運ぶのは炎竜の長老夫妻アジドとハーシャ、彼らなら四時間ほどで一周できる。
「リヒト様は本当に賢いですな!」
「ええ。王家の、そしてアマノ王国の将来を任せるに相応しいお方です」
感嘆するマティアスに、シメオンが深々と頷き同意を示す。
現状のアマノ王国は国王の権限が非常に強いし、憲法が制定されて立憲君主制に移行しても大して変わらない。今が問題ないだけに、あまり急激な変化を人々は望まなかったのだ。
一応は王立顧問会という形で議会の前段階を作ったが、まだシノブの諮問に応えるだけという段階だ。
シノブとしては王の権限を厳密に定めたいし、先々は選挙で選ばれる首相を立てたい。しかし王立顧問会の面々は王の裁量範囲をなるべく残しておきたいらしい。
神々が祝福した王に力を発揮してもらうのが最善。王が強権を振るう恐れはあるが、それは自分達が選んだ者も同様。ならば人より神が選んだ者を信ずるべきでは。そのような声が後を絶たない。
どうも人々の心には建国式典でのアムテリアの祝福が強く焼きついており、シノブを無謬の存在だと感じるようだ。それにマティアスやシメオンですら、立憲君主制の意義を認めつつも緩やかな改革で良いと考えている節がある。
「確かに優れた才能を持っていると思いますが、それだけに責任重大だと感じてもいます」
シャルロットは自身を戒めるような言葉を口にした。どうやら彼女も、周囲の盲信めいた雰囲気を憂えたらしい。
賢い者が善人とは限らないし、むしろ様々なものが見えるだけに誘惑も多いだろう。それに周囲が自身より劣っていると感じたら独断や独善に走るかもしれない。
「そうですね。才能は剣や槍のようなもの……使い方次第で生かしも殺しもします」
「リヒト様なら、心も強く清らかに育つと思いますが……」
キッチンから現れたのはアミィと侍女のアンナだ。二人は茶道具を載せたお盆を運んでくる。
国内の旅、しかも訪問先は気心知れたイヴァールやアルノーのところだから供は最小限に抑えた。もちろん別室には乳母達も控えているし親衛隊も同乗しているが、シノブとしては旧知の仲での気ままな旅にしたかったのだ。
アンナはアルノーの姪だから身内枠、彼女の弟のパトリックも同様に連れてきた。彼はお茶菓子を持って続いているが、王子への評は畏れ多いと思ったのか無言のままだ。
「あ~!」
「リヒト、ダメだよ!」
アミィ達に向かって這い始めたリヒトを、シノブは急いで抱き上げる。
茶道具の中にはお湯を入れたポットもあるから、もし体当たりでもしたら大変なことになる。もちろんアミィが赤子の突撃を許すとは思えないし、アンナやパトリックだって今のリヒトくらい容易に躱すだろう。
しかし万一ということもあるから、シノブは未然に防ぐことにしたのだ。
「ぶ~!」
「お湯は熱いよ!」
不満げな我が子に、シノブはお湯のイメージを送り込んだ。
シノブが魔力波動に乗せたイメージを、リヒトは理解できるらしい。しかし、このときは少々誤解を招いたようだ。
「ぶぶ~! ぶぶ~!」
「お風呂と違うって! もっと熱いの!」
どうやらリヒトはお湯から風呂を連想したらしい。シノブに似たのかリヒトは入浴好きで、海の女神デューネが授けてくれた『温泉の子供湯船』をとても気に入っているのだ。
「ご覧の通り、まだリヒトは赤ちゃんですから」
「私達も導きますが、皆さんの御指導も必要ですわ」
ミュリエルとセレスティーヌの言葉に、集った者達は顔を綻ばせる。確かにリヒトは稀なる才能を秘めているだろうが、上手く伸ばせるかは別のことだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アマノ号は予定通り十時前にバーレンベルク伯爵領の領都シュタルゼンに着いた。都市の人々の歓呼の中、双胴船型の磐船は領軍本部の前庭へと降りる。
もちろん軍本部にはイヴァール達が待ち構えており、一行は彼が用意したドワーフ馬の馬車に乗って伯爵家の館へと移動する。
これから四時間ほど、つまり十四時ごろまでシュタルゼンに滞在し、それからゴドヴィング伯爵領の領都ギレシュタットへと向かう。シュタルゼンからギレシュタットへの移動は一時間、滞在時間は同じだからギレシュタットを十九時に発ってアマノシュタットに二十一時前といった予定である。
時間が短いからか、パレードめいたことは館に入る前に周囲を巡ったのみだった。これはイヴァールが、早く我が子とリヒトの対面をと思ったのもあるだろう。
「さあ、シノブ!」
イヴァールは館に入ると脇目も振らずに自身の居室へと向かっていった。そして彼は部屋の中央に置かれている揺り籠を指し示す。
揺り籠の脇にはイヴァールの妻ティニヤが控えている。優れた治癒術士がいれば産後数日で元通りになるから、彼女も普通に立っての出迎えだ。
「ああ。リヒト、アルマス君だよ~」
勢い込むイヴァールを微笑ましく思いつつ、シノブは我が子を揺り籠へと近づける。
イヴァールとティニヤは双方ともドワーフだから背が低いが、赤子は手足が短いから他種族との違いを読み取るのは難しい。今は浅黒い肌や黒らしい髪から、イヴァール達との類似を感じる程度だ。
産着の胸元にはポケットがあり、そこには守り札が入っているらしい。もしや自分が記した紙を収めているのではと、シノブはサドホルン訪問のときを思い浮かべる。
「あぅ~?」
リヒトは一瞬シノブを見上げた後、戦の神ポヴォールから授かった『勇者の握り遊具』を新生児へと動かしていく。
『勇者の握り遊具』はガラガラのような神具で、動かすと軽やかな音がする。今は緩やかな動きだから音も小さいが、周囲が全て口を噤んで見守っているため意外なまでに大きく響き渡る。
だが、部屋にいる者達が固唾を呑むのも無理はない。
友として紹介された相手にリヒトが『勇者の握り遊具』を握らせると赤い炎のような輝きを発するが、これは戦の神ポヴォールの祝福だ。これから神の奇跡が起きるとなれば、邪魔せぬようにと黙りこくるのが自然だろう。
既に何度か見ている者達、シャルロットを始めとするアマノ王家の女性陣やアミィですら敬虔な表情で沈黙している。自身の子で一度は見たマティアスとアリエル、シメオンとミレーユも同様だ。
ましてや初めて体験するイヴァールやティニヤは、呼吸すら忘れたかのように微動だにしない。
「う……」
そんな中、たった一人だけリヒトに応じた者がいた。もちろん、それはアルマス・イヴァール・アハマス、三日前に生まれたばかりの新生児だ。
アルマスは目を開けると、濃い茶色の瞳を『勇者の握り遊具』へと向けた。そして彼は両手を宙へと掲げ、リヒトが差し出す神具の先を握る。
すると神具から真っ赤な光が生じ、特に太い一条がアルマスの胸元へと伸びる。
「おお、守り札が……」
イヴァールは呆けたような声で呟く。
札は入れている袋ごと真紅に輝いた。しかも光は産着を突き抜け、赤子の体全体へと広がっていく。
「友誼はなった……イヴァール、俺達の子も親友になるよ」
赤い煌めきの中、シノブは友へと囁きかける。
将来リヒトは重責を担うだろうが、支えてくれる友がいれば大丈夫だ。シノブは兄神の力を感じながら、彼に感謝を捧げる。
競い合い、助け合い、願わくば命の尽きるときまで熱い友情で結ばれるように。シノブの寿ぎの中、神秘の光は励ますように煌めき続けた。
「なるほど……あの守り札はシノブ様が作ったものだったのですか」
シメオンはソファーから揺り籠へと顔を向ける。彼の視線の先には新生児のアルマス、そして女性達が囲んで語らっている。
リヒトはシャルロットの腕の中、アルマスが気になるようで覗き込みながら声を上げている。しかし生後三日のアルマスは夢の中、残念ながら呼びかけに応じはしない。
友誼の儀は終わり、今はイヴァールとティニヤの持て成しを受けているところだ。昼食はバーレンベルクの家臣団も加えた午餐会だから、それまで私的な語らいを楽しむことにしたわけだ。
「ああ、ケリス地下道が開通したときにね」
シノブが口にしたケリス地下道とは、ノード山脈を貫いてイヴァール達の故国ヴォーリ連合国へと繋がる大トンネルだ。
こちら側の入り口はバーレンベルク伯爵領のサドホルン、出口は約70kmも北という長大さで当然ながら人間の造ったものではない。玄王亀ケリスの名を冠しているように、製作者は彼女の両親たるクルーマとパーラである。
「我らも札を作っていただけば良かったですかな?」
「どうでしょう? ドワーフは大地の神テッラと戦の神ポヴォールを特に深く信仰していますから……」
残念そうなマティアスに、シメオンは揺り籠へと向いたまま言葉を返す。どうやらシメオンは、アルマスがドワーフだから更なる加護が加わったと思っているらしい。
それはありそうなことだと、シノブも内心頷く。
テッラとポヴォールの二柱は仲が良さそうだし、片方を通して残る一方が加護を授けるのもありそうだと感じたのだ。
母なる女神アムテリアの従属神は六柱、そのうち男神が四柱で女神が二柱だ。そして前者のうち闇の神ニュテスと知恵の神サジェールには似た雰囲気がある。また海の女神デューネと森の女神アルフールも口論はするものの姉妹としての親密さを感じる。
つまり二柱ずつで対か組なら、テッラとポヴォールになる筈だ。
「シノブ……俺はアルマスを強く育てるぞ。この『鉄腕』イヴァールを上回る戦士にな」
イヴァールは自身の髭に手を当てつつ宣言した。もちろん、これはドワーフ達に伝わる神に誓っての意思表明である。
イヴァールが意気込むのも当然だろう。
戦の神の加護に加え、ドワーフ達の氏神である大地の神まで力を授けてくれた。このような話は聞いたことがないし、ならば最強の戦士を目指すべき。いや、目指さねば神々に申し訳が立たぬ。
そして次代の国王を守る、最強の斧と盾に鍛え上げる。全てを砕き、全てを凌ぐ、鋼鉄の戦士に。イヴァールは息子の未来図を滔々と語っていく。
湧き上がる熱意からだろう、イヴァールの顔は炉の前にいるように赤く染まっていた。それに低い声はシノブの胸の奥深くまで染み渡ってくる。
◆ ◆ ◆ ◆
「ありがとう。だけど無理強いはダメだよ。もしかするとアルマスは鍛冶師になるかもしれない……炎と金属を象徴とする方々の加護だからね」
シノブはイヴァールに感謝しつつも、赤子の未来を限定したくはなかった。
二柱の神々は、アルマスに戦いではなく物作りの加護を与えたのかもしれない。あるいは元々彼に備わっている素質が鍛冶で、それを愛でた可能性もある。
真偽はともかく、シノブは別の可能性もあると示しておきたかったのだ。
「なるほどな……ならばリヒトの最高の右腕に育てるとしておこう。斧や盾、鍛冶の槌……どれでも良いが、ともかく最高の友にな!」
最初は不満げだったイヴァールだが、シノブの真意を理解してくれたようだ。あるいは自身の思い込みで息子の可能性を狭めてはならぬと考えたのか。
「ああ、それなら大歓迎だ」
大きく頷き返しつつ、シノブは顔を綻ばせる。
イヴァールは未来の我が子に複数の選択肢を与えた。それなら後は彼とティニヤに任せるべきだろうと、シノブは思ったのだ。
「リヒトには友達が必要だ……もちろん誰でも友達は必要だけど、国王だから尚更ね」
シノブはミュリエルの腕に移った我が子を見つめる。
国王として敬われるのは良い。信頼があっての敬意、それも自身が勝ち得たものなら素直に受け取るべきだろう。
しかし尊敬は距離を生み出すし、距離は孤独へと繋がる。出来れば距離の近い、こうやって本音で語り合える仲間がリヒトにもいてほしい。
まだ生まれて四ヶ月の赤子に心配しすぎだとも思うが、稀なる才能を示しているだけに案じもする。これがシノブの偽らざる気持ちであった。
「オルムル達がいるから増長しすぎることはないと思うけど……」
「そういえば、今日は一緒じゃないのか?」
シノブが触れたことで、イヴァールはオルムル達がいないと今更ながら気付いたようだ。やはり彼は我が子とリヒトの友誼で頭が一杯だったらしい。
「ああ、オルムル達は弟妹の様子を見にね……」
シノブは顔を綻ばせつつ、超越種の子供達の行き先を明かす。
三日前に玄王亀アノームとターサの子、二日の午前中に嵐竜ヴァキとサーラの子、同日午後に海竜マートとティアの子が孵化した。そのためオルムル達は新たな仲間のところに毎日通っているのだ。
アノーム達はアスレア地方、ヴァキ達はアウスト大陸の近く、マート達はヤマト王国の更に東と棲家は全く別々の場所だ。しかしシノブは超越種の棲家の近くに転移の神像を設置していったから、行き来は一瞬である。
そのためオルムル達は、この三つを巡りながら狩りや訓練をしているらしい。
種族や生まれた場所は全く異なるが、オルムル達からすれば一週間もしたらアマノシュタットに来る仲間だ。それに彼らの別して早い成長を知っているから、親達も託児に大賛成である。
「ほう……これで十二か。ところで名前は何というのだ?」
「玄王亀が雄でタラーク、嵐竜が雌でルーシャ、海竜も雌でラーム。ちょうど良い具合に、今いる子と性別が違うんだよ」
興味深げな顔となったイヴァールに、シノブはそれぞれの性別と名を教える。
現在シノブのところにいるのは玄王亀が雌でケリス、嵐竜が雄でラーカ、海竜が雄でリタンだ。そのため親達は早くも将来の番だと大喜びである。
超越種の寿命は千年だから慌てる必要はないし、成体となるのも二百歳だから結ばれるにしても随分と先の話だ。しかし元から繁殖力が低い上に増えすぎないように自制していたから、種族ごとだと十以下から二十数くらいで新たな仲間自体が非常に喜ばしい。
もっとも今後は自制しなくて良い。アマノ同盟の中なら上手く人と住み分け出来るし、魔獣が増えすぎたところのみ狩ってもらうように融通できるからだ。
転移の神像で各地を行き来できるから、一箇所だけに依存しなくても子育て可能。これは超越種にとって非常に大きな福音で、それがあるから子供を増やしたわけだ。
「アルマス殿とタラーク殿は同じ日ですか」
「ドワーフと玄王亀……どちらも大地に縁がありますね」
マティアスとシメオンは、生まれた日の一致に縁を感じたようだ。なるほどと思ったのか、イヴァールも髭を捻り出す。
「クルーマやパーラには鍛冶に役立つ事柄も教わっているし、無いとも言えんな……。そうだ、アルマスを玄王亀に弟子入りさせようか」
宝石や金属精製の能力を持つ玄王亀と、鍛冶を得意とするドワーフ。もし早くから玄王亀に付いて学んだ鍛冶師がいたら、どうなるか楽しみだとイヴァールは笑う。
「あまり先走るのは良くないよ。せめて五歳かそこらになってから考えれば?」
「そうだな。……ところでシノブ、フライユ伯爵領からもカンに潜入させると聞いたぞ?」
少々心配になったシノブだが、どうやらイヴァールは冗談のつもりだったようだ。しかし彼は急に真顔になり、更に体まで僅かに乗り出す。
四日前、シノブはフライユ伯爵領軍の騎士ファルージュ・ルビウスにカンへの派遣を約束した。もちろん単独で送り込むのではなく、既に向こうにいるアルバーノの配下とするつもりである。
それなら自分もとイヴァールは考えたらしい。
無事に子供も生まれたし、暫くは父親が付きっ切りでなくとも良いだろう。普通の家ならともかく伯爵だから乳母や治癒術士も揃っているし、領内も安定しており一ヶ月やそこら不在でも揺らぎはしない。そのようにイヴァールは並べ立て、自分を連れて行けと主張する。
「カンにドワーフはいないそうだから、潜入は無理だろう。しかし、お主が王として赴くとき右腕として働きたいのだ」
「そういう機会があれば、ぜひ私も!」
「妻やアリエル殿も期待しているようですよ。私も少々興味はありますが……」
イヴァールどころかマティアスやシメオンまで名乗りを上げる。
ミレーユ達を先に推す辺り、シメオンは行けるならという程度かもしれない。ただし声には意外なまでの熱が篭もっているようにシノブは感じていた。
「分かったよ、機会が訪れたら必ず声を掛ける……しかし皆、どうして行きたがるの? シェロノワでもオディロン殿やシーラス殿がね……」
「それはシノブだけ、あちらこちらへと飛び回って楽しそうにしているからだ。主に似た、友に染まった、どう言っても良いが、これも俺達の絆だろう」
思わずぼやいたシノブに、イヴァールが手を伸ばす。どうやら誓いの握手をということのようだ。
「……ありがとう」
最初シノブは意表を突かれたと思った。しかし笑顔のシメオンやマティアスを見ているうちに、イヴァールの言う通りなのだろうと握手に応じる。
手を握った瞬間、シノブの心に深い喜びが湧いてくる。
親友たる彼らが共に行きたいと言ってくれる。王に命じられたからではなく、自分自身の意志で。自分に王の孤独は存在しないと、シノブは心から感じたのだ。
きっとリヒトも絆の盟友に囲まれるだろう。彼らの子なら特別視などせずに接してくれる。そう思ったからだろう、カンについて語りつつもシノブは顔を綻ばせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年5月26日(土)17時の更新となります。




