26.03 銀の英姫と祝いの日 後編
予想外の出場者も現れた大武会だが、他は概ね想定通りの結果となる。
優勝は参謀長のファルージュ・ルビウス、昨年以来アルバーノに師事して腕を磨いたフライユ伯爵領軍の俊英である。去年は長槍で出場した彼だが、今年は自領が誇る技をと思ったらしくフライユ流大剣術で頂点に立った。
次点は同じく領都守護隊の本部隊長バンヌ・バストル、やはり大剣を選んでの出場だ。そのため決勝はフライユ流の技が余すことなく披露され、ここ領都シェロノワの住民達も大いに沸き立った。
そして今、決勝の興奮は街の中へと移っていた。シノブ達は夕闇迫るシェロノワを本戦出場者と共にパレードしているのだ。
「ミュリエル様~、お誕生日おめでとうございます~!」
「『魔竜伯』様! オルムル様!」
街の者の多くは赤く染まった空を見上げている。シノブとミュリエルは飛翔するオルムルの上なのだ。
「ありがとうございます!」
「皆も健やかに!」
白い子竜は夕日を受けて朱色へと変じ、めでたき日を象徴しているようだ。
オルムルは高度を建物の屋根ほどに留め、しかも進む速度は馬の並足程度と緩やかだ。そのため手を振るミュリエルやシノブの姿は地上からでも充分に見える。
「ガンド様、ヨルム様~!」
住民の中には更に上へと声を送る者も多い。岩竜ガンドとヨルム、オルムルの両親も祝いに訪れたのだ。
ただし今日のガンド達は腕輪の力を使わずに全長20m近い巨体のままで、都市の上空を悠然と舞うのみだ。どうやら二頭は晴れ舞台を娘に譲ることにしたらしい。
──オルムルも立派になったな──
──ええ──
──そんな……まだまだですよ──
ガンドとヨルムの賞賛に、オルムルは照れが滲む思念を返す。
一歳半を超えたオルムルは既に最大級の軍馬よりも遥かに大きく、親達の四分の一に迫ろうとしている。そのためガンド達も安心して見守るのみのようだ。
──シュメイも見事な飛翔だ──
──本当ですね──
──ありがとうございます!──
それは炎竜の番ゴルンとイジェも同じらしく、こちらもアルメルを乗せるシュメイを嬉しげに見つめている。
ガンド達とゴルン達の二組は、フライユ伯爵領の境となる山脈に棲家を構えている。ガンド達がメリエンヌ学園もあるアマテール地方の北、ゴルン達が東南のヴォリコ山脈だ。
そのため双方ともフライユ伯爵領の祝い事には、こうやって姿を現すことが多い。
「ファーヴ様に乗せていただけるなど、光栄の極みです」
『優勝、アルバーノさんも喜ぶと思いますよ!』
大会を制したファルージュに、岩竜ファーヴが楽しげな声で応じる。
フライユ伯爵家はシノブとミュリエル、そして彼女の祖母アルメルのみだ。そこでファーヴ達は大武会の上位者を乗せて続いているのだ。
光翔虎のフェイニーが準優勝のバンヌ・バストル、炎竜フェルンと朱潜鳳ディアスが準決勝進出者だ。ちなみに初戦を戦ったアリエルの弟ユベールだが見事準決勝まで進み、今はディアスの背に納まっている。
更に嵐竜ラーカが一つ下、二回戦進出者を纏めて乗せている。ラーカは子供達の中でも最年長、しかも嵐竜は龍のように長い体だから四人を乗せるくらい造作もない。
ちなみに海竜リタンと玄王亀ケリスだが、引き続きアヴニールとエスポワールの世話をしている。オルムル達が去ろうとしたら今回も乳児達は涙を浮かべ、やはり誰かが残らねばとなったわけだ。
「ドリアーヌさんも惜しかったね!」
「ユベール君が強かっただけだ、しょげるんじゃないよ!」
「ええ、頑張りますわ!」
こちらは地上の一隊への声援だ。ドリアーヌを含む一回戦敗退者は騎馬での参加となったのだ。
相変わらずドリアーヌは公爵令嬢だと明かしていないから、街の者達は気軽に声を掛けている。もっとも彼女は単なる騎士としての扱いが嬉しいようで、輝くような笑みで手を振り返す。
「これならシャルロットのところでも大丈夫かな?」
「はい! それにシーラス様は駐アマノ王国大使ですし!」
シノブとミュリエルは地上の様子を眺めながら言葉を交わす。
ドリアーヌはエチエンヌ侯爵の嫡男シーラスと婚約しており、先々第二夫人になると確定している。しかしシノブ達は彼女の武術に対する気持ちが本物だと感じ、シャルロットさえ認めれば修行者の一人に迎えても良いと考えた。
幸いシーラスはメリエンヌ王国からの大使としてアマノシュタットに詰めているし、このまま数年は交代もないだろう。したがってドリアーヌとシーラスが親交を深める上でも支障はない。
後はシャルロットの判断次第だが、武術に一途な彼女のことだから同胞として快く迎えるのではないか。シノブはシェロノワに向かいつつある妻を想起する。
シャルロットとセレスティーヌ、そしてリヒトとアミィは今ごろ朱潜鳳フォルスの運ぶ磐船に乗っている筈だ。シャルロット達はシノブやミュリエルと違ってフライユ伯爵家に所属していないから、晩餐からの参加を選んだのだ。
実際こうやってパレードをしていると伯爵家を称える声は大きいし、シノブをアマノ王国の王と呼ぶ者もいない。やはりフライユ伯爵領でミュリエルとシャルロット達が並ぶのは、まだ少し早いようだ。
「来年にはシャルロットお姉さまやセレスティーヌお姉さまも招待したいですね……それにリヒトも」
「そうだね……」
どうやらミュリエルは、婚約者が何を考えたか察したようだ。
本当に自分のことを良く見ていると感心しつつ、シノブは応じる。そして同時に、この洞察力は自分を慕う心から生じたもので、疎かにしてはならないとも。
ミュリエルは実姉のシャルロットのみならず、セレスティーヌも姉と呼んで仲睦まじくしている。しかも彼女は年長の二人から学びつつ、二人とは違う長所を伸ばそうとしているようだ。
武勇の戦王妃シャルロット、交渉事の華姫セレスティーヌ。二人の後を追うのみだと肩を並べるのは難しいという考えもあるだろう。
しかしシノブには、ミュリエルが純粋に家族のためを思って行動していると感じていた。彼女は英姫の称号通り極めて賢い少女で、その稀なる智で自分の役割を定めたのだと。
「ありがとう、ミュリエル。君がいてくれて、俺はとても嬉しいよ」
ミュリエルの深い愛情に、自分は充分に応えているのか。どうにも自信の持てないシノブだが、ならば今日は感謝を示す良い機会だと思い直す。
シノブはミュリエルを抱く手に力を篭め、空いた手を今まで以上に強く打ち振った。彼女が愛するフライユ伯爵領の人々に、明るい未来を届けるべく。
「シノブさま……はい、これからも一緒です!」
吐息のような囁きの後、ミュリエルは天を飾る日輪にも増して輝く笑みを浮かべた。そして彼女もシノブと同様に地上へと応えていく。
「伯爵様~! ミュリエル様~!」
「フライユ伯爵領、万歳!」
街に広がる笑顔、沸き起こる歓声。どちらも今日一番の盛り上がりだ。そして天の光輝と地の祝福の中、シノブ達はシェロノワの隅々まで巡っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
パレードの後は伯爵家の館で家臣達との交流だ。迎賓の間に入ったシノブは改めて賞賛の言葉を贈ろうと、大武会の優勝者ファルージュ・ルビウスを探す。
「見事な戦いだったよ。『燕切り』を見せ技にして相手を誘い、『神雷』で決めたのは良い選択だと思う」
「あ、ありがとうございます!」
シノブの言葉にファルージュは、少年のように頬を染めて声を上擦らせた。その初々しい様子は決勝戦での鬼気迫る武者振りとは大違いで、あまりの落差に周囲も思わずといった様子で頬を緩ませている。
「確かに素晴らしい腕前だね。それに独自の工夫も加えたと聞いたよ」
「アルバーノ殿からも学んだそうだね! 探求熱心で素晴らしいことだ!」
王太子テオドールが褒め称えると、オベール公爵の跡取りオディロンも和す。その横では妹のドリアーヌも興味津々といった様子で瞳を輝かせていた。
ドリアーヌのアマノ王国行きだが、シャルロットさえ良ければとオディロンは諸手を挙げて賛成した。
オディロンも妹がシャルロットに憧れているのは重々承知だが、かといって捻じ込むような真似もと遠慮したそうだ。アマノ王家の女性達は全てメリエンヌ王国出身だから、ゴリ押しめいた手段は他国の反感を買うだろうと控えたわけだ。
しかしシノブ達から言い出したなら別で、オディロンは肩の荷が下りたのか常になく上機嫌であった。
「はい、メグレンブルク伯爵閣下からは今でも教えを受けております。ガルック平原での合同演習もありますし、個人の戦技のみならず多くを学んでおります」
「これは頼もしい! ……しかしガルック平原の戦いから一年と二ヶ月少々、当時とは大違いですね!」
「全くだよ。私など後方に控えていたのみだが……」
シーラスが一昨年十二月の戦いに触れると、テオドールは感慨深げな顔となる。
テオドールは王太子だから都市グラージュの総本陣に留まった。しかし当時のフライユ伯爵クレメンの内応でベーリンゲン帝国は領内に侵入、グラージュへと押し寄せた。
幸いシャルロット達がテオドールを守り切り、更に魔法の家でシノブ達を呼び寄せたから無事に済んだ。とはいえ一つ間違えば今ごろ彼は生きていないだろう。
シノブはテオドール達に頷きつつもミュリエルへと視線を移す。
帝都決戦から約一年、ベーリンゲン帝国が完全に消え去ってからでも十一ヶ月近い。とはいえクレメンはミュリエルの伯父で、しかも彼はアルメル以外の一族を全て道連れにした。
それ故シノブは、少女の心に影を落としていないかと案じたわけだ。
「大丈夫です」
ミュリエルは隣のシノブだけにしか届かないだろう囁きで応じた。やはりミュリエルはシノブを良く見ているようで、僅かな動きも逃さなかったのだ。
シノブもミュリエルだけに分かる程度に頷き返す。彼女の様子は普段と変わりないし、既に過去を乗り越えていると感じたからだ。
そこでシノブは話の輪に戻るべく、王太子やファルージュ達へと注意を向ける。
「閣下……お願いがあるのですが」
「何かな? 優勝者の望みだ、可能な限り配慮するよ」
ファルージュの言葉を、シノブは褒賞に関するものだと受け取った。
とはいえファルージュが金品を望むような性格ではないのは、シノブも知っている。おそらく軍としての要望でもあるのだろうと思いつつ、続きを待つ。
「メグレンブルク伯爵閣下……アルバーノ殿ですが、近ごろは遥か東に潜入されていると伺いました。もし私の腕をお認めくださるのであれば、どうか末席に加えていただきたく」
予想外と言うべきファルージュの申し出に、シノブは何と答えるべきか迷った。
カンの調査を進めるには、ファルージュのような潜入経験のある武人は最適だ。とはいえアマノ王国であれば自分の一存で動かせるが、フライユ伯爵領はメリエンヌ王国の一部だから勝手に他国に派遣するのは如何なものか。
それ故シノブは自領といえど、フライユ伯爵領軍から出すつもりはなかった。しかしファルージュからすると、逆に不満だったらしい。
「閣下、私からもお願いします。領内は平穏そのもの、磨いた腕を振るう場があるのでしたら是非とも彼らにも」
「私からも。出来れば私自身が行きたいところですが……」
後押しをしたのはフライユ伯爵付きの二人、エドガール子爵ロベールとラシュレー子爵ジェレミーだ。
しかもジェレミーは冗談めかしたが、本当に参加を望んでいるらしい。途中で言葉を濁したのはロベールから目で制されたからで、それを周囲も察したらしく笑みを浮かべた者が多い。
「シノブ殿、王国への遠慮は不要ですよ。何ならオディロンやシーラスも付けましょう」
「流石は殿下! どうです、槍働きなら自信ありますよ!」
「ガルック平原で一緒に戦った私をお忘れなく!」
テオドールの言葉に、名前が挙がった二人は欣喜雀躍といった様子で自薦を始める。どちらも夫人を連れての来訪だが、呆れる女性達の顔など目に入っていないらしい。
もっとも女性は女性でも大武会に出たドリアーヌなどは羨ましそうな顔である。
メリエンヌ学園からの出場者でもイヴァールの妹アウネやシーラスの妹イポリートなど、自分も加われないかと思っているのが明らかだ。それに落ち着いた性格のユベールですら、聞き耳を立てているらしい。
「シノブ様、我が領の若者にも……」
アルメルも賛成のようだ。領主代行にして行政長官の彼女が言うならと、シノブも心を決める。
「ええ。それではファルージュ、アルバーノに伝えておくよ。……オディロン殿とシーラス殿は潜入に向かないでしょう。もし戦でもあれば、そのときは一番に声を掛けますから」
「ありがたき幸せ!」
「仕方ありませんね」
「お呼びが掛かるのを待つとしますか」
喜びの声が一つ、続いて無念そうな響きが二つ。もちろん前者がファルージュで、後者はオディロンとシーラスだ。
しかし当然の判断と受け取ったようで、オディロン達も爽やかな笑みを浮かべている。そのため交流の場は先刻と変わらぬ和やかさで続いていった。
◆ ◆ ◆ ◆
交流の宴の後は晩餐会だ。
こちらは伯爵家以上に絞られるが、それでも出席者は四十名近い。何しろ王太子一家や公爵家もいるし、フライユ以外の六伯爵家の当主か名代も妻子を連れているからだ。
先ほどまでと違い、迎賓の間には丸テーブルが幾つも並んでいる。
館には組み立て式の大テーブルがあり、それだと全員が着席できる。しかし王太子がいるのに誕生日だからと上座に着くのも問題だし、逆に王太子だと祭り上げてもテオドールは喜ぶまい。
そのため上下のない形式をシノブ達は選んだのだ。
シノブと同じテーブルに着いたのは、ミュリエルとアルメルのフライユ伯爵家、シャルロットとセレスティーヌのアマノ王家、テオドールと彼の二人の妻、そしてアミィだ。
リヒトもシャルロット達と共に来たが、まだ生後四ヶ月弱の赤子がパーティーに出ても詰まらないだろうからサロンに残した。実際のところ彼はアヴニールやエスポワール、そしてオルムル達と過ごしたかったようで、今も楽しげな魔力波動が伝わってくる。
「エクトルも大きくなったよ。もう少ししたらリヒト殿とも会わせたいね」
「建国記念式典が良いのではと話していますの」
テオドールと第一妃のソレンヌが触れたのは二人の長男、リヒト達より少し先に生まれた子だ。アマノ王国の建国記念式典は六月、そのころは八ヶ月弱だから飛行船や磐船での旅も可能だろう。
シノブ達が訪問しても良いのだが、それは呼びつけたように見えるからとメリエンヌ王家は避けていた。二国が密接な関係なのは誰もが知るところだが、それだけに同盟に綻びが生じてはと彼らは一歩退いているのだ。
「お待ちしていますよ」
「ええ。リヒトも又従兄弟と会いたいでしょうから」
シノブに続き、シャルロットが微笑む。
シャルロットは現メリエンヌ国王アルフォンス七世の姪だから、リヒトとエクトルは正真正銘の親戚だ。更にセレスティーヌはテオドールの妹だから、彼女がシノブと結婚したらリヒト達は義理の従兄弟である。
これほど近しいと、付き合い方に配慮が必要なのも仕方ないだろう。
「ありがとう。それとシャルロット殿、ドリアーヌをよろしく頼むよ」
「そちらは保証しかねます。あくまで本人の努力次第ですから」
テオドールからするとドリアーヌは従姉妹だから、自分も一言添えておくべきと思ったらしい。
しかし予想に反しシャルロットの返答は素っ気ないものだった。もっとも彼女は微笑みながら応じており、面倒を見るつもりは充分にあるようだ。
シノブは妻が配下を手塩に掛けて育てていると知っている。それはミュリエルやセレスティーヌも同じなのだろう、二人も柔らかな表情を崩さない。
そのため王太子一家やアルメルも冗談と悟ったらしく、場の雰囲気も和やかなままだ。
「……ところでシノブ殿。カンとは、どのような国なのかな?」
めでたい席でと思ったのだろう、テオドールは声を潜めていた。
この場に招かれた者達は最近シノブが大陸の東に足を運んでいることは承知しているし、他のテーブルまで届いても問題ない。しかし誕生祝いの席で持ち出す話でもあるまいと、テオドールは考えたのだろう。
「現在は三つに分かれているのですが……」
「ホクカンが人口百六十万人近く、ナンカンが九十万人ほど、セイカンが七十万人だそうです。三つ合わせるとメリエンヌ王国より多いので、調べるのも大変なようです」
どこまで話そうかとシノブが考えながら口を開くと、ミュリエルが後を補っていく。どうやら彼女は遠慮せずに語らってほしいと態度で示したようだ。
メリエンヌ王国は人口三百万人、アマノ王国が二百五十万人だ。それにカン全体だと双方より幾らか広いらしい。
禁術使いはホクカンにいるようだが、人口と国土の双方とも三国で最大だから調べ上げるのは容易ではない。今まで倒した狂屍術士は何れも結界術を使いこなしたから、眷属や超越種でも空から巡るだけだと見逃す可能性が高いのだ。
「まずナンカンの皇帝と会ってみるつもりです。ナンカンの葛将軍や大神官の願仁殿とは会いましたが、信頼できる者達だと感じました。どうもホクカンは人の出入りにも厳しいようですし、ナンカンの助力が得られたら大きいと思います」
「ミリィもナンカン皇帝に悪い噂はないと言いますので」
シノブに続いたのはアミィだ。彼女は悪戯好きの同僚に呆れつつも、能力は高く評価しているらしい。
ナンカン皇帝は大神官ユンレンの甥で、グオ将軍や先代にも慕われているようだ。
ユンレンが徳の高い神官であるのは間違いないし、グオ将軍や家族も好感の持てる人達だった。それ故シノブは、ナンカン皇帝の孫文大という男に強い興味を抱いていた。
「そうか……やはり一国ずつ確かめていくのが良いのだろうね。上手く行けば友好国に出来るし、もし好ましくない者達でもシノブ殿が会えば分かるだろうから」
「お兄様の言う通りですわ! シノブ様なら正邪を見抜くなど造作もありませんもの!」
テオドールの言葉に彼の妻達も頷き、更にセレスティーヌまで高らかに同意する。
どうやら『光の盟主』として買い被られているようだと思いつつも、シノブは否定しなかった。会えば分かるという言葉は真実だと感じたからだ。
会わずに量ろうなど無理というもの。対面してこそ知れる事柄も多い筈。ただし、少々間が悪いのも事実だった。
「とりあえず戦没者慰霊祭を終えてからですが……」
シノブが三日後に迫る国家行事を挙げると、テオドール達も納得顔になる。
昨年の3月6日は帝都決戦、ベーリンゲン帝国打倒の過程で最も多くの命が失われた日だ。シノブ達メリエンヌ王国側の損害は少なかったが、帝国は宮殿にいた殆どが竜人化して散った悲しき一日である。
そこでシノブは帝国打倒で失われた全ての命を思う日と定め、後世に語り継いでいくことにした。新たな国の誕生は建国記念日に祝い、帝都決戦の日に過去を振り返ろうとしたのだ。
しかも私事に近いが、明日はイヴァールとティニヤの子、明後日はアルノーとアデージュの子と誕生が続く筈だ。加えて超越種達でも新たな命が生まれる予定で、オルムル達も遠出を控えている。
「それが良いよ。前から思っていたのだが、シノブ殿の唯一の欠点は先へ先へと急ぎすぎることだね。もちろん稀なる力を持つ者としての責任感からだと思うが……」
テオドールの忠告めいた言葉に、一人を除いて笑い声を上げた。
もちろん例外の一人はシノブである。思い当たることが多すぎるだけに、シノブは頭を掻いて誤魔化すしかなかったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
晩餐会を終えたシノブ達は、サロンへと急ぐ。アマノ王家の面々にアミィにアルメル、ベルレアン伯爵コルネーユと夫人達に先代アンリの十人は楽しげに語らいながら乳児達の待つ場へと向かっていく。
「大丈夫、アヴ君やエス君、まだ起きているよ。それにリヒトも」
「そうですか……」
シノブの言葉に、ミュリエルは頬を染めて歩みを緩めた。
桁外れの魔力感知能力を持つシノブは別として、この距離で多少なりとも判別できるのはアミィくらいだろう。そのため決まり悪げな笑みを浮かべたのはコルネーユ達も同様だ。
「良かったですね。私達は来たときに三人揃ったところを見たのですが」
「可愛らしかったですわ! アヴニールが歩く後をリヒトとエスポワールがハイハイで追おうとして!」
シャルロットとセレスティーヌ、そしてアミィは晩餐が始まるまで僅かだがリヒト達と遊んだ。しかし他は大武会から晩餐まで切れ目なく続く催し事に出続けていたから、会いに行くどころではない。
「まだエスポワールはハイハイできなかったと思ったが……」
「ええ、真似事です。リヒトもそうですが、アヴニールを追いかけようとしているだけです」
怪訝そうなコルネーユに、シャルロットは赤子達の様子を語り出す。その様子からするとシノブも目にした状態、つまり『ずりばい』の初期に近い状態らしい。
『ずりばい』とは本格的なハイハイのように腰を上げての膝立ちではなく、床に腹を付けての匍匐前進めいた動きだ。しかも覚えたばかりだから、移動というほど動けもしない。
とはいえリヒトが僅かながらでも前に進めるのは事実で、エスポワールも触発されて挑戦したのだろう。
「それじゃ、一旦寝たのはそのせいかな?」
「う~む。そこまで分かるのか……」
シノブが魔力で知ったことを披露すると、アンリが感心したような唸り声を上げた。
もっともアンリがシノブに顔を向けたのは僅かな間だった。何故なら既にサロンの入り口に辿り着いていたからだ。
「さあ、我が孫達と曾孫よ!」
「父上、大声を出すと嫌われますよ」
「あなた……」
「旦那様……」
まずはアンリ、続いてコルネーユとカトリーヌにブリジット。そして四人の後をシノブ達が追う。
コルネーユがアンリをからかうのは常日頃から、したがってシノブはシャルロット達と笑みを交わすのみだ。しかし次の瞬間に起きたことは、全くの予想外だった。
「しの~!」
「と~、ま~!」
「あ~!」
まずアヴニールがヨチヨチと歩んでくる。ここまでは良いのだが、リヒトとエスポワールもハイハイで続いていたのだ。
後ろの二人だが確かに腰が浮いており、ずりばいを通り越してハイハイだと呼べる動きだ。かなり危なっかしく、速度も遅いがシノブの欲目ではないらしい。
「リヒト! いつの間に!?」
「エスポワールも!?」
シャルロットが駆け寄り、コルネーユも我が子へと向かう。もちろん他の者も同様で、三人の乳児は一瞬にして大人達に囲まれた。
「その……殿下達はアヴニール様の動きを真似て上達したのです」
「アヴニール様がハイハイをなさって……おそらく年少のお二人に教えていらしたのだと思いますが……」
乳母達は半信半疑といった様子で何があったかを説明し始める。
最初アヴニールが歩き回るのを、リヒトやエスポワールが追いかけようとした。しかし生後八ヶ月近くと四ヶ月弱の差は大きく、更に相手は立って移動できるのだから話にならない。
それが不満だったのだろう、リヒト達は大泣きしたという。するとアヴニールは側に寄り、ハイハイを始めたのだ。
『アヴニールは賢い子ですから!』
『流石はシャルロットさんとミュリエルさんの弟です!』
宙に飛び上がったのは猫ほどの大きさに変じたオルムルとシュメイだ。更に他の子もリヒト達がハイハイを覚える様を語り出す。
オルムルは感応力に優れているし、他も思念が使えるから乳児達のやり取りを把握していた。その彼らが明言するのだから、アヴニールがハイハイのコツを教えたのは間違いないだろう。
もっとも教えるアヴニールも凄いが、活かして成功へと結びつけたリヒトとエスポワールも規格外と言うべきだ。シノブも強い喜びと共に同じくらい大きな驚きを覚える。
「し~! しの~!」
「ああ、ありがとう」
シノブは自身の名を呼ぶ義弟を抱き上げる。同じようにエスポワールはコルネーユの、リヒトはシャルロットの腕の中だ。
「い~! え~!」
「あう~!」
「う~!」
アヴニールが呼びかけると、リヒトとエスポワールが可愛らしい声で応じる。どうも彼らは、互いの成果を称え合っているようだ。
それらをシノブが伝えると、集った人々の顔が更に綻ぶ。
「今日は何という日だ! ミュリエルの晴れ姿に孫や曾孫の成長! 儂の人生で最良の日だ!」
「父上、弟子達の活躍も加えなくては」
アンリが叫ぶと、コルネーユは再び冷やかしめいた言葉を口にする。ただし彼らが楽しげにしていられたのは、そこまでだった。
「う……うえぇ……」
「あ……あぅ……」
「うぇ……うぅ……」
先ほどまで上機嫌だった乳児達だが、今は揃って大粒の涙を浮かべている。そして先を争うように三人は泣き始めた。
「お義父様……」
「旦那様もお止めすべきだったのでは……」
カトリーヌとブリジットが窘め、アンリとコルネーユは揃って済まなげな表情になる。そして肩身が狭そうな男性二人は、助けを求めるようにシノブへと顔を向けた。
「アヴ君、エス君、リヒト……お日様のポカポカだよ~」
『シノブさんの魔力、とても温かいです~!』
シノブが母なる女神を思い浮かべて魔力を放つと、オルムルが喜び宙に舞う。もちろんシュメイ達も続き、室内は九つの稀なる子供の遊技場と化していく。
これには乳児達も見惚れたらしく、たちまち三人は笑顔を取り戻す。
「これで元通りだ……ミュリエル、随分と色々あったけど楽しい誕生日だったね。十一歳、おめでとう」
シノブは隣の少女に改めて祝いの言葉を贈る。今日は彼女の日だから、やはり皆が揃ったときにも祝福すべきだと思ったのだ。
「ミュリエル、おめでとう」
「ね~、ね~!」
シャルロットが続き、更にアヴニールがシノブの腕の中で和す。上は老齢のアンリから下は一歳にもならない赤子まで、超越種のオルムル達も加わっての合唱だ。
「ありがとうございます……これからもっともっと頑張って、フライユ伯爵領やアマノ王国のために尽くします!」
ミュリエルは鈴の音のように耳に心地よい声で感謝と決意を顕わにする。
銀の髪を震わせ、緑の瞳に煌めく雫を溜めながら。細い体のどこに隠れているのだろうという強い意志で輝きながら。英姫の称号を持つ少女は、その名に相応しい聡明さと同じくらい大きな愛情を示した。
シノブは大きく頷き、彼女の誓いを受け取った。自分達の間に言葉など不要だと思ったのだ。
集った者達の誰もが同じことを感じていたのだろう、一瞬の後にサロンを満たしたのは人々の温かな拍手と超越種達の高らかな咆哮だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年5月23日(水)17時の更新となります。




