26.02 銀の英姫と祝いの日 中編
窓から差し込む陽光も眩しい、フライユ伯爵家の館の貴賓室。細かな刺繍が施された絨毯の上を、可愛らしい乳児が零れんばかりの笑みを浮かべながら歩んでいる。
「しの~!」
声を上げたのはアヴニール、ベルレアン伯爵コルネーユの第三子にして長男だ。彼は入室したシノブを見つけるなり、歓声と共に意外なまでの速さで一直線に寄っていく。
まだアヴニールは生後十ヶ月だが、随分と足腰が強くなったらしい。
もちろん乳児のアヴニールが一人でシェロノワに来たわけではない。
ソファーには当主のコルネーユと共に、第一夫人のカトリーヌと第二夫人のブリジットも腰を降ろしている。そしてブリジットの腕の中にはエスポワール、アヴニールの異母弟が収まっている。
これで先代のアンリがいたら一家勢揃いだが、生憎と彼は不在であった。
「アヴ君!」
「し~! しの~!」
シノブも駆け寄り義弟を抱き上げる。するとアヴニールはシャルロットに似た青い瞳を輝かせ、大きな声でシノブへの呼び掛けを繰り返す。
母なる女神の祝福を強く受けているからだろう、アヴニールは身体能力のみならず高い知能にも恵まれているようだ。これは義兄たるシノブの欲目ではなく、乳母なども声を揃えて指摘するところである。
「アヴニール、ミュリエル姉さまですよ」
「ね~ね~!」
ミュリエルが覗き込むと、アヴニールは異母姉にも挨拶めいた言葉を返す。
アヴニールを産んだのはカトリーヌで同腹の姉はシャルロット、ミュリエルとエスポワールはブリジットの子である。外見もアヴニールはシャルロットと同じ金髪碧眼、エスポワールはミュリエルに似たアッシュブロンドと緑の瞳だ。
しかしアヴニールはシャルロットとミュリエルを同じように呼ぶし、今も上機嫌な声と共に手を伸ばしている。
「シノブ、こちらで会うのは久しぶりだね。ミュリエル、誕生日おめでとう」
「お元気そうで何よりです。ミュリエルさん、また一段と立派になりましたね」
「あぅ~」
「ええ、私達も行きましょう」
ソファーにいた四人もシノブ達へと歩んでいる。
コルネーユはシノブに笑顔を向けた後、十一歳となった娘に祝福の言葉を贈る。それにカトリーヌも夫と同じく再会の喜びに続いて祝意を示した。
エスポワールは母を急かせるように声を上げた。彼はシノブとシャルロットの子リヒトと同じで生後四ヶ月弱だから、ハイハイらしきことを始めたばかりで歩けはしないのだ。
一方のブリジットだが、元気よく手足を動かす我が子をあやしつつだから少々遅れていた。とはいえ順調な成長が嬉しいのだろう、彼女は慈しみ溢れる笑みで応じていた。
「い~、ね~?」
「ゴメンね。リヒトとシャルロットは夜からなんだ」
怪訝そうなアヴニールに、シノブは妻子の予定を伝える。
リヒトほどではないが、アヴニールとエスポワールは魔力波動で感情を示す。それ故シノブは義弟の呼びかけが何に対するものか察したわけだ。
ここフライユ伯爵領ではシノブが当主でミュリエルが将来の伯爵夫人だが、シャルロットとセレスティーヌは直接の関係がない。そのため今回のような式典だと、二人は遠慮して晩餐など一部に顔を出すのみだ。
特に今の二人はアマノ王国の妃と姫だから、軽く扱うわけにもいかない。したがって当面は仕方ないと、シノブも彼女達の主張を受け入れたのだ。
ちなみにアミィもリヒトの世話をしたいと、後続を望んだ。シノブ達と同じく朱潜鳳フォルスが運ぶ万全の体勢だが、彼女は万一のことを考えたらしい。
『代わりに私達が来ました!』
『アヴニール、エスポワール、久しぶりです!』
オルムルとシュメイを先頭に、超越種の子供達が現れる。しかも華麗に舞いながらの登場だ。
普段からリヒトと接しているだけあり、オルムル達は赤子を楽しませる術に長けていた。宙で旋回するくらいは序の口、朱潜鳳のディアスや玄王亀のケリスは空間歪曲の応用で周囲を煌めかせるし、光翔虎のフェイニーも姿消しで出たり消えたりと興を添えている。
「お、お~!」
「あ~!」
これにはアヴニールとエスポワールも大喜びだ。合わせて九つの稀なる姿を、乳児達は愛らしい歓声で称え始める。
「エスポワールも重たくなりましたね」
「ああ、二人とも大きくなった。……義父上、先代様は遅れていらっしゃるのでしょうか?」
弟を抱くミュリエルに微笑みを向けたシノブだが、気になっていた事柄を確かめようとコルネーユに顔を向ける。
アンリはミュリエルを大層可愛がっており、この日も必ず出席すると返事を寄越していた。
孫達がセリュジエールで暮らしていたころ、アンリは催し事があれば一番に駆けつけたそうだ。その彼の姿が見えないのだから、シノブが不審に思うのも当然だろう。
「父上は大武会だよ。今年はメリエンヌ学園からも参加するだろう?」
「学園の方が引率してくださるのですが、お義父様も付き添うと……」
コルネーユは呆れたといった様子で肩を竦め、カトリーヌも遠慮がちだが笑みと共に事情を明かす。
残るブリジットは言葉には出さぬものの、同じく張り切りすぎと思っているらしい。彼女は助けを求めるように母のアルメルへと顔を向ける。
「アンリ様は学園の副校長にして武術の責任者ですから。それにメリエンヌ学園からの参加は今年が初めて、学生達も名だたる『雷槍伯』様が付き添ってくだされば普段通りの力を発揮できるでしょう」
アルメルは先々代フライユ伯爵アンスガルの夫人で、今は領主代行と行政長官としてシノブの留守を預かっている。したがって彼女は当然ながら、シノブやミュリエルと共に入ってきた側だ。
まだアルメルは五十歳を過ぎたばかりということもあり、フライユ伯爵家を切り回すべく日夜忙しく働いていた。伯爵家付きの子爵達を始め家臣の支えがあってだが、領民達も含めフライユの繁栄は彼女によるところが大きいと深い敬意を捧げている。
もっとも今のアルメルは祖母としての幸せを堪能しているようで、再びミュリエルとエスポワールへと向けた顔は優しげで職場での辣腕振りなど欠片もない。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達も大武会に顔を出す。というよりミュリエルの誕生日に合わせての開催だから、行かなければ大騒ぎになるだろう。
前回の開催は一月末だったが、これはフライユ伯爵になったばかりのシノブが家臣達との交流を望んだからでもある。それに当時はベーリンゲン帝国を打倒する前で、早期に家臣団の実力を把握したいという事情もあった。
しかし帝国は滅び、アマノ王国として生まれ変わった。そこで寒さの厳しい一月より暖かな三月、ならばミュリエルの祝いと兼ねてとなるのは当然であった。
ただし前回と違いシノブ達は午後からの観戦で、シノブの演武も予選と本戦の間へと回されていた。そこでシノブは到着直後の僅かな時間をベルレアン伯爵家の訪問に当てたわけだ。
「学園からはユベールも出ますね」
ソファーに腰を降ろすなり、シノブはアリエルの弟の名を挙げた。
アリエルはシャルロットの腹心として長くベルレアン伯爵領で暮らしたし、アンリの弟子でもある。そのためコルネーユ達もユベールに注目していると思ったのだ。
生憎ベルレアン伯爵家にはユベールと歳の釣り合う男子がおらず、呼び寄せはしなかった。しかし代わりに縁戚のポワズール伯爵家を紹介したほどである。
したがって予選の結果を聞けるとシノブは思ったのだ。
「ああ無事に勝ち残った……アウネ殿やイポリート殿もね。それに学園ではないが、ドリアーヌ殿も本戦出場だ」
コルネーユは頷くと、イヴァールの妹アウネとセレスティーヌの学友でもある侯爵令嬢も本戦出場者だと明かす。そして彼は最後に、意味ありげな笑みと共に一人の女性の名を付け加えた。
「えっ、ドリアーヌ様が!?」
「うぅ~」
父が最後に挙げた名に、ミュリエルは驚きの声を上げる。そのためだろう、膝の上で微睡んでいたエスポワールが身じろぎをする。
一方のシノブだが、やはり意外さを隠せなかった。
ドリアーヌとはオベール公爵クロヴィスの娘、しかも既に十七歳だからメリエンヌ学園の学生でもない。あくまで原則だが、メリエンヌ学園の学生は成人までとされているのだ。
とはいえ短期の公開授業だと外部から加わることもあるし、逆に各家が学園の教師を招くこともある。
たとえばセレスティーヌも十六歳だが、ミュリエルと共に学園の教師から学んでもいる。これはアリエルやミレーユを始めアマノシュタットに学園関係者が多いからだが、他も自家が送り込んだ知識人など王族や上級貴族だと伝手を持つ者が多かった。
何しろメリエンヌ学園の校長はドリアーヌの親戚でもある先代シュラール公爵リュクペールだから、彼女も通学こそしていないが充分に関係者だといえる。
「あの方は昔からシャルロットに憧れていたそうだからね。嫁ぎ先も決まったから熱が冷めたかと思っていたが……」
「何でもリュクペール様に『最後の記念だから学園枠で』と願ったそうです。ですが学園内部の選抜に勝ち抜き、こうやって本戦にも残ったのですから……」
コルネーユとカトリーヌは、言葉を選びつつといった調子で事情を明かしていく。
どうもドリアーヌが出場した背景はカトリーヌが詳しいらしい。彼女は現メリエンヌ国王アルフォンス七世の異母妹だから、その筋から聞き及んだのだろう。
「よくシーラス殿が許しましたね……」
「その辺りも承知で第二夫人に迎えるのではないかね? まだ若いし、暫く好きにさせて良いと思ったのだろう」
シノブが呟くと、コルネーユは笑みを増しつつ自身の推測を語っていく。どうやらコルネーユは、嫁入り前の記念というドリアーヌの言葉を額面通り受け取ったらしい。
大武会は既婚者でも出場可能だが、侯爵夫人になったら周囲が諫めるに違いない。それはシノブも納得がいくところではある。
シーラスのエチエンヌ侯爵家は軍務卿の家柄だが、それとこれは別だろう。逆に軍務卿の名を汚してくれるなと、より厳しく制されるかもしれない。
なかなかに面倒なものと感じたからか、シノブは知らず知らずのうちに溜め息を吐いていた。
「シノブはドリアーヌ殿の味方らしいね?」
「気持ちは理解できます。それに他に場があったなら、こうならなかったかもしれません」
興味深げなコルネーユに、シノブは素直に内心を明かしていく。
シノブは義父を深く尊敬しているし、慕ってもいる。どこの者ともしれぬ自分を受け入れてくれた度量、後に真実を知っても変わらぬ言動、どれも容易ではないと感じ入っているからだ。
それはともかく、メリエンヌ王国に女流武人の出場できる大会が少ないのは事実であった。
軍人であれば別だが、ドリアーヌのように貴族令嬢として家に留め置かれた場合は非常に限られる。少なくともシノブが知るのは、フライユ伯爵領の大武会のみである。
去年の大武会は新人発掘が目的だから出身も不問、正規の軍人も大隊長以下とした。そしてアマノ王国の建国に伴う移籍や昇進も多いから、今年も条件は同じだ。
加えて今年はメリエンヌ学園にも声を掛けたこともあり、どちらかというと若手の登竜門といった様相を呈している。ドリアーヌのような立場であれば、これを見逃す筈もなかろうとシノブは思ったわけだ。
「流石はシャルロットに惹かれるだけはある……父としては非常に幸運だったと思うがね!」
「あなた……」
コルネーユは予想通りと言いたげに高笑いをし、カトリーヌも形の上では制しつつも顔を綻ばせる。
二人はシャルロットの才能を愛でつつも、女性としての将来を案じていたのだろう。見合うだけの相手が現れなければ、いつかは意に沿わぬ結婚を勧めることになるからだ。
しかしシノブの登場で不安は解消され、今は笑い話として懐かしむのみだ。それはブリジットも同じらしく、彼女も頬を緩めていた。
ブリジットは第二夫人として控えめにする一方で、ミュリエルに良い縁談をと願っていた。跡継ぎ争いに自身の娘を持ち出されるのを恐れ、早めに他家との縁組が成立するよう望んでいたのだ。
ミュリエルがフライユ伯爵家に移って余計な心配をしなくて済むからだろう、彼女は以前よりも表情が豊かになったようだ。
「私もシャルロットやミュリエルと会えて幸運だったと思います。もちろん義父上達とも……」
ここでは素のままの自分を出せる。とても貴重な場だと感じつつ、シノブは喜びをそのまま紡いでいく。
もしかするとドリアーヌは、こういった交流を求めていたのだろうか。オベール公爵家も充分に愛情豊かだったが、家臣達は公爵令嬢として遇すのみだったのかもしれない。
それに嫁ぎ先も軍務卿で侯爵家と格式が高い。せめて大武会での一時くらい楽しんでほしいと、シノブは思わざるを得なかった。
「それは嬉しいね! さあ、会場に行こうか!」
「はい!」
ともかく今は大武会だ。そう言いたげなコルネーユにシノブは明るく言葉を返す。
当主としての演武もあるし、のんびりしてもいられない。そこでシノブはカトリーヌとブリジットに辞去の言葉を残し、手を差し伸べるアヴニールとエスポワールに笑顔で応じて去っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「お前、伯爵様の技……見えたか?」
「いや……ビュッて剣を振ったら、ズバーって何かが走って、反対の端に置かれた棒の群れがスパスパーンって飛んだことしか分からん」
「それだけ分かってりゃ大したモンだよ。俺なんか全然見えなかった……お前、明日にでも軍に行ってきたらどうだ?」
どよめく観客達の中、シノブは手を振りつつ観戦席へと戻っていく。目指す先は中央上段の貴賓席、コルネーユ達がいる一角だ。
「『魔竜伯』シノブ様! 我らがフライユ伯爵閣下!」
「僕も頑張って空を走れるようになります!」
「空気を斬るには毎日何百回素振りしたら良いですか!?」
両脇からの声に、シノブは何と応えるべきか迷った。
この星の生き物は魔力を活用できるが、どこまで使えるかは差が激しい。そしてシノブが示した技は、どれほど少年達が修行しようが到達不可能な領域だ。
しかし昨年も鉄棒を斬った上に飛ばした鉄塊を踏み台にして宙を渡ったから、地味な技ばかりでも差し障る。そこでシノブは戦の神ポヴォールから教わった大剣術を余すところなく披露した。
これはフライユ流大剣術の源流と呼ぶべき技の数々だから、軍人や出場者の参考になると思ったのだ。
実際に一部の達人達は何かを読み取ったようだし、メリエンヌ学園から来た少年少女も感ずるところが大きかったようだ。とはいえ彼らの多くは王族や貴族として大きな魔力を継いだ者達で、誰もが見て取れるわけではない。
そのため狐に化かされたようにキョトンとする者や、とにかく凄いと称える者が大半だったのだ。そこでシノブは、良い師匠に見てもらって頑張るようにと曖昧な返答のみを残して貴賓席へと戻る。
「流石は邪神をも倒す『光の盟主』の技と、感服しましたよ」
「テオドール殿……」
席を立って迎えたのはメリエンヌ王国の王太子テオドールだ。対するシノブは頬を染めたまま応じ、誘われるままに席へと向かう。
すると同じく起立していたベルレアン伯爵達も、拍手でシノブを迎える。
テオドールは王太子だし、コルネーユ達は同格の伯爵だ。とはいえシノブはアマノ王国の主でもあるから、少々大袈裟な歓待となるのも仕方ないようだ。
もっとも王太子が謙ったように映るのも問題だから、これでも露骨な賞賛は避けているらしい。
「シノブさま、素晴らしかったです」
ミュリエルは密やかな声のみで賞賛を表す。
同じテーブルにはテオドールの第一妃ソレンヌと第二妃シャンタルがいるし、父のコルネーユも同席している。そのためミュリエルは周囲の耳目を気にしたのだろう。
「ありがとう」
シノブも短く応じ、自席へと腰掛ける。
席は半円形で左端からコルネーユ、ミュリエル、シノブで半分。そして右側がテオドール、ソレンヌ、シャンタルの六人だ。
もちろん椅子は演習場に設えた闘技場に向けてあり、語らいながら観戦できる配置である。
他はメリエンヌ王国の各伯爵領から当主か名代、王領からも先ほど話題に上がった軍務卿の跡取りシーラスなどが来ている。それにフライユ伯爵領に領事館を設けた国々、メリエンヌ学園の代表者達も貴賓席に招かれている。
なおオルムル達だが、アヴニールとエスポワールの相手をするため館に残った。乳児達はシノブが去ると知って大泣きし、それを静めようとオルムル達が守役に名乗りを上げたのだ。
「……先代様は学生達の側か」
「はい、全員の試合が終わるまではと……」
シノブが演武に入る直前、先代ベルレアン伯爵アンリは挨拶に来たそうだ。そのためミュリエルはシノブが知らぬ内幕を教えてくれる。
前回は本戦出場者の大半がフライユ伯爵領の軍人か傭兵となったこともあり、今年は予選を軍人枠と一般枠に分けた。元々の目的が新人を見出すことだから、見慣れた顔だけが占めるのも問題とされたのだ。
本選に残るのが十六人というのは昨年同様だが、このうち八人が軍人枠で残る八人が一般枠だ。そのためメリエンヌ学園からの出場者も含め、今年は若々しい顔が多い。
「これなら学園の子も二回戦まで進めるかもね……ヴィル、どうかな?」
シノブは背後に控えるフライユ伯爵家での家令へと声を掛ける。手元には本戦出場者を記した紙があるが、直接の評も聞きたかったのだ。
「仰せの通りです。一回戦も軍人枠と一般枠を分けていますし、未成年とはいえ相当な達者もおりますので……」
ヴィル・ルジェールが家令となってから既に九ヶ月以上だ。そのため彼は王太子を前にしても動じることなく、すらすらと答えていく。
ヴィルによれば、一番人気は参謀長のファルージュ・ルビウスだという。
ファルージュはアルバーノと共にアルマン島に潜入して以来、暇を見つけて技を教わっているそうだ。アルバーノのメグレンブルク伯爵領は隣だから、交流も変わらず続いているのだ。
続いてがバンヌ・バストル、ファルージュと同じく前回の出場者だ。ちなみに双方とも前回は一回戦負けだが、これは組み合わせが悪すぎたからだ。
「何しろ決勝は『真紅の流星』ミレーユ様にゴドヴィング伯爵アルノー殿です。他も今や将軍や司令官が大半、もはや大武会にお呼びできません」
「未熟者で恥ずかしい限りですが……」
こちらはエドガール子爵ロベールとラシュレー子爵ジェレミー、つまりフライユ伯爵付きの子爵達だ。
元はベルレアン伯爵領の子爵だったロベールはともかく、貴族となったのが昨年のジェレミーは言葉通り恐縮しきりといった様子である。
「昨年ルビウス参謀長を倒したのがラシュレー子爵だったとか。ならば前回の結果は参考にならなくて当然だね」
「恐れ入ります。あの時以来、彼はアルバーノ殿に付いて学びました……私も稽古相手を務めていますが最近では先輩面をするのも難しくなっております」
テオドールの問いに、ジェレミーは気後れを滲ませながらも平素のファルージュを紹介していく。
ジェレミーも『雷槍伯』の懐刀と呼ばれた男で、知る人ぞ知る達人だ。その彼が褒めるのだから、相当な腕に違いないと王太子や妃達も面に納得の色を浮かべている。
それらの会話を、シノブは懐かしく思いながら聞いていた。
『真紅の流星』とは去年の三月にカンビーニ王国に出かけたとき、向こうの武術大会でミレーユが授かった名だ。本人は恐縮してあまり口にしないが、カンビーニ国王が与えた異名だけあって武人の間では知らぬ者がないほどである。
若き俊英ファルージュ・ルビウスは昨年の大会で見出した逸材だ。まだ二十歳前で当時は無官だったが、今は大隊長として押しも押されもせぬ存在へと成長した。
出場者の顔の多くは入れ替わったが、それも彼らが成長した証。果たして今年はどんな新顔が現れるのかと、シノブは笑みを深くした。
◆ ◆ ◆ ◆
一回戦は一般枠からとなっていた。
これは先に回した方が長く休憩できるからだという。確かに一回戦も終わり近くだと二回戦との間が僅かだから、年少者への配慮としては適切なのだろう。
とはいえ冒頭からオベール公爵令嬢ドリアーヌの登場となったのは、単なる籤引きの結果で偶然らしい。
「都市オベール出身のドリアーヌです! いざ、尋常に勝負!」
「……メリエンヌ学園所属、ルオール男爵の嫡男ユベール。未熟の身ながら、お相手仕る!」
公女ドリアーヌの対戦相手はアリエルの弟ユベールだった。得物は双方とも長槍、シノブも良く知るベルレアン流槍術の構えである。
ドリアーヌはシャルロットに憧れていたし、ユベールは父や姉も先代ベルレアン伯爵アンリに師事したくらいで選んだ武器や取った構えは至極納得のいくところだ。どちらも長い修行を積んだのは明らか、着けた白銀の鎧に負けぬ風格を宿している。
しかしシノブには、他に気になるところがあった。
「オベール公爵の娘だと明かしていないのですか?」
「ええ。それでは本気を出せないだろうと……もっともユベールくらいになると無駄ですが……」
シノブの疑問に応じたのはテオドールだ。
確かに予選だと領内の若者も多く、公爵令嬢など初めて見る者も珍しくない。そのため身分を隠しての参加となったのは、シノブにも充分に理解できた。
しかしテオドールが指摘したようにメリエンヌ学園には貴族の子供も多い。実際ユベールは、ポワズール伯爵の嫡男セドリックの側仕えとして何度も王宮に上がっている。
それどころか次の組の片方として控えているイポリートなど、数え切れないほど会った者すらいる。イポリートはセレスティーヌの学友だけあって、毎日のように王宮に通っていたからだ。
「そうですか……」
「ですが、彼女は本気で武の道を目指しているのです。あのように髪すら短くして……」
シノブの低い呟きに、テオドールも同じくらい抑えた声音を返す。
確かにドリアーヌは髪を切っていた。それも少年と見間違えるほど、槍を交えるユベールと大して変わらない。
以前シノブが会ったとき、ドリアーヌは他の貴族少女と変わらぬ長い髪だった。しかし今の彼女は侍女達でも稀なほどに短くしている。
元が見事な金髪だけに、シノブも決意の程を感じずにはいられなかった。
「でもユベールさん……」
「ああ、困っているようだ」
ミュリエルの指摘に、シノブは頷かざるを得なかった。
シノブはメリエンヌ学園に何度も足を運んでおり、学生達の練習試合も度々目にしている。そのときのユベールは、もっと動きに切れがあったのだ。
学生達にはガルゴン王国の王太孫エスファニアのように高い位の少女もいるから、身分に臆したわけではないだろう。おそらくは身分の秘匿や切った髪から並々ならぬ決意を感じ、それが戸惑いに繋がったのだと思われる。
「遠慮無用!」
ドリアーヌは捨て身の鋭さで中段突きを繰り出す。それはベルレアン流の基本にして奥義の『稲妻』だ。
左半身の構えは堂々たるもの、重心の置き方もシャルロット達と良く似ている。しかし焦りが強いのだろう、突きは明らかに奥まで入りすぎ大きな隙が生まれていた。
しかしユベールは明確な勝機を見逃した。
返し技の『稲妻落とし』を出しても良かっただろう。あるいは大きな隙を使って『大跳槍』などで応じることも出来た筈だ。
それなのにユベールは、僅かに体を捌いて躱したのみで終わりにしたのだ。
「どうして!」
悔しげなドリアーヌの声が、観客席へと届く。多くの者が彼女の思いを感じ取り、口を噤んだらしい。
おそらく、この女騎士の最後の戦いなのだろう。事情を知らぬ者達も、それだけは理解したようだ。
女流武人だと結婚後に武術を捨てる者は多い。夫や嫁ぎ先が何も言わなくとも、出産や育児で自然と縁遠くなっていく。
そのため観客達も話に聞く例と重ね、背景を察したわけだ。
ドリアーヌを知るシノブ達は尚更だ。
ミュリエルのみならず、ソレンヌやシャンタルも気遣わしげな視線で見つめている。コルネーユなど男性陣も思わしげだ。
試合場の端でも『雷槍伯』アンリが険しい顔で仁王立ちしている。その形相、溢れる闘気にも似た波動からは、私情を紛れさせたユベールを良く思っていないのが明らかだ。
「ユベールさんや! 本気で相手してやれや!」
「そうだ! ここは彼女の晴れ舞台なんだぞ!」
誰かが声を上げると、一気に同調する者が現れた。
ユベールは優しい少年で、行儀見習い先のポワズール伯爵家でも自身が仕えるセドリックを立てている。それは何度か会っているうちにシノブも察したが、優しすぎるのも罪なのだ。
「失礼しました」
遅まきながら気付いたのだろう、ユベールは静かな声と共に構えを僅かに変ずる。それは先ほどドリアーヌが出した『稲妻』の型だ。
すると先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まった。構えを見るまでもなく、ユベールの気配が変わったと観客達は察したらしい。
シノブは少年から、姉のアリエルを思わせる静けさと師匠のアンリにも似た強さを感じていた。
もちろん両者には遠く及ばないが、確かに少年は達人達の弟子であり、後を追いつつあるのだ。彼が先日より更に進歩していると、シノブは喜ばしさにも似た感動を覚える。
ただし感動は一拍ほどの後に新たな感情へと移り変わる。静かな対峙は長く続かず、勝負は決したのだ。
「やっぱりアリエル様の弟だぜ!」
「娘さんも良くやったよ!」
万雷の拍手の中、審判役がユベールの勝利を宣言する。そして倒れ伏した少女に少年が手を貸して立ち上がらせる。
ユベールの『稲妻』は、シノブから見ても完成に近いものだった。
立身中正の構えは先手を許さぬ磐石。沈めた腰は下半身の力を余すことなく上体に伝達。そして返し技の『稲妻落とし』にも揺らがぬ豪槍。どれも十五歳の少年にしては稀なる高みである。
秘伝の技を思う存分味わったからだろう、ドリアーヌも晴れ晴れとした笑みを浮かべている。
「良かったですね。あの、シノブさま……」
「ああ。……テオドール殿、結婚までですが彼女をシャルロットの側に置いても構いません。もちろんシャルロットが受け入れるなら、ですが」
ミュリエルに頷き返したシノブは、隣の王太子に顔を向ける。
短い時間かもしれないが、ドリアーヌの願いを叶えてやりたい。彼女はシャルロットに憧れていたのだから。
ミュリエルの意図は充分に理解できたし、シノブもそれが良いと感じたのだ。
「お言葉、感謝します。ただ何年もだと……」
「ええ、シーラス殿に怒られないように気をつけます」
テオドールの懸念は当然だろう。そう思ったシノブは充分に配慮すると約束した。
二人の様子が面白かったのか、妃達やコルネーユが声を立てて笑い出す。
シノブは笑顔のまま、少年少女に拍手を贈り始める。それぞれの道が明るく幸せに満ちたものであるようにと願いながら。
おそらく周囲も同じ気持ちなのだろう、続く音は青空高く広がっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年5月19日(土)17時の更新となります。