26.01 銀の英姫と祝いの日 前編
シノブ達が住むアマノシュタットは北緯45度を超える高緯度帯で、標高も結構ある。もし地球で似た場所を挙げるなら、ドイツ南部やスイスに相当する寒冷な土地柄だ。
しかし流石に三月ともなれば、日増しに暖かくなり日も伸びてくる。既に日の出は6時40分ごろだからシノブ達の朝食の場『陽だまりの間』も窓の外は明るく、庭のチューリップや水仙などが嬉しげに輝く様子も充分に見て取れる。
ただし今日に限っては、より可憐な煌めきが室内に生まれていた。
他が席に着く中、一人だけ立つ若き乙女。大きな窓から入る陽光と灯りの魔道具によるシャンデリアの光よりも輝く白銀。彼女はミュリエル、シャルロットの異母妹にして将来はシノブに嫁ぐ筈の少女だ。
もちろん囲む者はシノブ達、それに超越種の子供達まで脇のソファーの上に並んでいる。
「ミュリエル、誕生日おめでとう!」
「ありがとうございます!」
シノブが祝福するとミュリエルは満面の笑みと共に応じ、礼法の手本のようなお辞儀を披露する。
ミュリエルの溌剌とした挙措に伴い、彼女の銀に近いアッシュブロンドが光を放ちつつ揺れた。すると少女の無垢を示すような眩さが、弾む声音に更なる彩りを添える。
同時に喜びの波動は、一層の祝声へと繋がっていく。
「ミュリエル、また大人に近づきましたね」
「もう立派な貴婦人ですわ! 私も負けずに頑張ります!」
シャルロットとセレスティーヌも浮き立つ声で祝いの言葉を贈る。
この日、創世暦1002年3月3日でミュリエルは十一歳になった。成長の緩やかなエルフを除くと成人年齢を十五歳としているから、セレスティーヌの言葉も決して大袈裟ではない。
実際ミュリエルは商務卿代行として日々働いているし、周囲からも英姫の異名で敬われている。同じく外務卿代行で華姫と称されるセレスティーヌも、年少と軽く見ずに対等な同志と認めていた。
戦王妃たるシャルロットも、成長著しい妹を随分と頼もしく思っているようだ。言葉こそ控えめだが、彼女の顔は他に劣らぬ綻びようである。
「本当におめでとうございます!」
「新しいドレスもお似合いですよ!」
「あ~! あう~!」
アミィやタミィは言葉に加えて拍手でも祝った。すると真似したくなったのか、リヒトが手に持つ遊具を振り回す。
リヒトは母親の膝の上、つまりシャルロットに抱かれている。まだ成人や誕生日など分からないだろうが、それでも家族なのだからと祝いの輪に加わらせたのだ。
しかしリヒトは何かを感じたらしく、戦の神ポヴォールが贈った神具『勇者の握り遊具』を嬉しげに打ち鳴らしている。これは彼が稀なる感知能力を持っているからだ。
まだ生後四ヶ月弱のリヒトだが、魔力波動から相手の喜怒哀楽を感じているらしい。どうも彼は、寝室を同じくするオルムル達の思念を真似たようだ。
そのオルムル達だが、ミュリエルは思念を使えないから人間達の方法に倣う。
『おめでとうございます!』
『今日はシェロノワですね!』
『僕も楽しみです!』
まず岩竜オルムルが宙に浮かび上がり可愛らしい声で少女を祝う。そして炎竜シュメイと岩竜ファーヴも倣い、共に外出できると喜びを示す。
もちろん他の子供達も、祝福したり今日の予定を並べたりと楽しげだ。
普段は早くから狩りに赴くオルムル達だが、この日は特別だからと『小宮殿』に残った。
シノブとミュリエルは午前中をアマノシュタット、午後をメリエンヌ王国フライユ伯爵領の領都シェロノワで過ごす。これはシノブがフライユ伯爵でもあり、将来ミュリエルが伯爵夫人となるからだ。
シャルロットとセレスティーヌはフライユ伯爵家に含まれないが、晩餐までには駆けつける。そのためオルムル達も、思い出深いシェロノワに行こうと休みにしたわけだ。
オルムル、シュメイ、ファーヴは、昨年二月からアマノ王国建国前の五月までシェロノワで過ごした。それに三月の終わりから光翔虎フェイニー、四月から海竜リタン、五月には嵐竜ラーカも加わった。
今ここにいる子供達でシェロノワに住んだことがないのは、炎竜フェルン、朱潜鳳ディアス、玄王亀ケリスの三頭のみだ。ただしフェルン達もシノブの第二の領地に行く機会を逃すまいと同行を申し出た。
そのため普段と違い、今日の『陽だまりの間』は随分と賑やかだ。
「楽しい一日になりそうだね」
「はい!」
『当然ですよ~! 私達がいるんですから~!』
シノブがミュリエルを隣に座らせると、何故かフェイニーまでやってきた。
ただしフェイニーが向かったのは椅子ではない。彼女はアムテリアから授かった腕輪の力で猫くらいの大きさに変じ、シノブの背中に貼り付いたのだ。
『私はこちらに』
ケリスも腕輪を使って小さくなり、シノブの膝の上に乗った。まだ生後五ヶ月半のケリスは元々甲羅の大きさが3m程度だから、十分の一まで小さくなれば膝とテーブルの間に充分納まる。
『僕も行こうかな……でも……』
『僕達が加わったら食事できませんよね……』
一方フェルンとディアスは未練ありげな言葉を交わすのみだ。
フェルン達は八ヶ月半ほどだし、超越種にも雄は雄らしく毅然とすべきという教えがある。そのためだろう、二頭は羨ましそうしているが元の場所から動きはしない。
『今日は一日一緒だから』
『ええ、いっぱい遊べますよ』
残る二頭、ラーカとリタンは雄で一歳を超えており甘えることはない。これはファーヴも同じで、彼は兄貴分達のところに向かう。
それにオルムルやシュメイも遠慮したらしい。超越種は一歳を超えると幼体扱いを脱するから、彼女達は年少の子に譲る度量を見せるようになってきた。
『シノブさんの魔力、美味しいです~』
「……それは良かった」
とはいえ何事にも例外はある。フェイニーはリタンと同じ時期の生まれ、つまり年長組だが全く変わらないのだ。彼女が変わり者なのか、光翔虎の特質なのか、少々疑問に思うシノブであった。
「さて、俺達も食べるか。せっかくアミィ達が作ってくれた特製メニューだからね」
「はい! 今日はミュリエル様の好きなもので揃えました!」
シノブが顔を向けると、アミィが嬉しげに頷く。
朝食だから量は控えめだが色取り取り、それにオレンジなど果物も多かった。しかも後でデザートとして種々様々なミニケーキが出るという。
もちろん昨日から用意し、時間経過のない魔法のカバンに入れておいたのだ。
「それでは食事にしよう。『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
記念の日ということもあり、シノブは正式な会食と同様に母なる女神への祈りを捧げた。
もっともシノブが特に信心深いのではなく、多くの人は同じようにするらしい。王族や貴族であれば更に午餐会や晩餐会と、三度の全てで祈りを捧げる筈だ。
「『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
シャルロット達に加え、オルムル達も和す。超越種は調理されたものを食べないが、特別な日だから合わせたのだろう。
そして春に相応しい暖かく光溢れる場で、シノブ達は負けず劣らず温もりに満ちた朝を過ごした。
◆ ◆ ◆ ◆
この日も『大宮殿』に閣僚達が集まり、普段と同じく朝議が行われた。しかし冒頭から暫くはミュリエルへの祝福や将来の語らいで占められ、残りも祝賀気分のまま短時間で終了する。
建国から九ヶ月、国内は平穏極まりない。アマノ同盟も同じでエウレア地方からアスレア地方は何れも穏やか、南のウピンデ国や遠く離れたヤマト王国も順調に発展している。
そのためシノブ達は予定通りヴルムの間に移り、伯爵以上と各国の大使を招いた祝宴を始めていた。
ちなみに祝宴が午餐でも晩餐でもないのは、ミュリエルが昼からシェロノワへと移動するからだ。
シノブの誕生日と同様に磐船を使い、これも前回と同じく超越種で最速を誇る朱潜鳳からフォルスが運び手に名乗りを上げた。
しかしアマノシュタットとシェロノワの間は800kmほどもあり、朱潜鳳が急いでも二時間弱は必要である。そこでアマノシュタットでの祝い事は、全て午前中に寄せられたわけだ。
アマノ王国でのミュリエルは先々国王シノブの妃の一人になる者として姫の称号を持つが、同時に次代のフライユ伯爵の母となる女性でもある。それにシノブの誕生日は今回と逆にアマノ王国での式典を午後にして多くの時間を割いたから、釣り合いを取る意味でもこうなったのだ。
ただしミュリエルはアマノシュタットでの祝宴が先になって嬉しかったらしい。それは彼女が昔から知る二人も来るからだ。
「アリエルさん、ミレーユさん、もう普段通りですね!」
「はい、明日からは早朝訓練にも参加するつもりです」
「やっと元通りですよ~」
お目当ての二人を見つけ、ミュリエルは大きく顔を綻ばせた。そして答えた側、つまりアリエルとミレーユも安堵と解放感が顕わな笑みで応じる。
アリエルとミレーユは、どちらも一昨日の3月1日に出産を終えた。しかもアミィとタミィが念入りに治癒魔術を施したから、双方とも既に出産前と変わらぬ体力を取り戻している。
多くの王族や貴族は専属の治癒術士を抱えているし、上級貴族以上となれば家族に一人ずつ魔術師を付ける例も珍しくない。ましてやアリエルの夫は軍務卿マティアス、ミレーユの夫は内務卿シメオン、二人とも侯爵夫人だ。
なお両家の治癒術士達の腕はアミィのお墨付き、その彼らが許可を出したなら訓練も問題ないだろう。
「それは良かった。……アルベルトやフリーダは元気かな?」
シノブは女性達には軽く言葉を掛けたのみに留め、シメオンとマティアスに顔を向けた。
アリエル達との語らいには、シャルロットやセレスティーヌも加わった。それにアミィも治癒術士として気になったようで、母子双方の経過を訊ねている。
シャルロットにとってアリエル達は少女時代からの友人、セレスティーヌも尊敬する従姉妹の腹心達と常々親しく接している。そしてアミィにとっても、ベルレアン伯爵家に逗留したときからの交流だ。
そこに男が口を挟むのもと、シノブが遠慮したのは当然だろう。
「ええ。妻に似たのでしょう、元気すぎて少々うるさいくらいですよ」
「シメオン殿……。私の娘も健康そのもの、きっと『白陽保育園』に上がるのも早いと思います」
澄まし顔のシメオンに、マティアスは何と答えるべきか迷ったらしい。しかし結局は実直な彼らしく、自身の第四子にして次女のフリーダに触れたのみに留めた。
シノブは笑いを堪えるのに苦労しつつ、二日前のことを思い出す。どちらの公邸も『白陽宮』の至近だから、王家総出で祝いに行ったのだ。
そのときシノブは、少年のように頬を紅潮させて少女のように瞳に輝くものを浮かべたシメオンを目にした。あの純粋で優しげな面から、普段の冷徹な姿を想像するのは誰であっても難しいだろう。
もっともアルベルトはシメオンとミレーユにとって初の子で、感激が溢れるのも当然だ。しかも男子だから跡取りを得たと周囲も大喜び、メリエンヌ王国から駆けつけたミレーユの母は娘が大役を果たしたと誰はばかることなく涙を流していた。
一方マティアスには数年前に亡くした先妻がおり、フリーダの上には二男一女がいる。そのため彼は落ち着いていたし、助けに来た母親も貴族婦人としての挙措を保っていた。
とはいえ、こちらでも三人の子供が大喜び、そしてアリエルの母も娘の無事を喜んだ。なお最も歓喜を顕わにしたのは今まで末っ子だったフロティーヌで、彼女は妹と一緒に『白陽保育園』に行けるのは何日後かと問うたくらいだ。
「そうか。リヒトも楽しみにしていると思うよ」
シノブは今リヒトやフロティーヌがいる場所を思い浮かべる。
『白陽保育園』とは宮殿に通う者達の子供達を預かる場で、その名の通り『白陽宮』に置かれている。ちなみに乳児と幼児の保育場所は分けており、リヒトは前者で四歳のフロティーヌは後者だ。
「それにエルリアスやコルドールも四人揃ったら嬉しいだろう?」
「は、はい……」
「その方が安心ですし……」
シノブは側に控える少年達へと顔を向ける。するとマティアスの長男エルリアスと次男コルドールが、頬を染めつつも静かに同意する。
マティアスは軍務卿でアリエルは文化庁長官だから、双方とも『白陽宮』勤めではない。しかし上の二人はシノブの側仕えとして出仕しているから、フロティーヌが寂しがったようだ。
そこでシノブはフロティーヌを『白陽保育園』へと招いたが、そうなればフリーダも何ヶ月か後には入園するだろう。
もちろんシノブはシメオン達にも声をかけた。そのためフリーダとアルベルトはリヒトと同い年の友人として育っていくし、カンビーニ王家に倣って友誼の儀も執り行った。
しかも更に続く子供達も近日中に現れる。それはイヴァールとティニヤ、アルノーとアデージュの二組の子だ。
そう思ったからだろう、シノブは自然とイヴァール達を探す。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達から少し離れた場所で、イヴァールは同じドワーフ達と語らっていた。話し相手は各国の大使、イヴァールの故国であるヴォーリ連合国にアスレア地方の東西メーリャの代表達だ。
といってもヴォーリ連合国の大使はイヴァールの母方の祖父母、西メーリャ王国と東メーリャ王国も向こうに行ったときに肝胆相照らした仲だから和気藹々としたものだ。
そこまでは先日シノブの誕生日でも目にした光景だが、今日は新たな顔が加わっている。それは超越種の子供達だ。
『待ち遠しいですね』
『お家にいなくて大丈夫なんですか~?』
「ああ、楽しみだ。……フェイニー、俺がいても邪魔者扱いだ。お袋達に働いてこいと追い出されたぞ」
浮遊で寄りながら問い掛けたのは玄王亀のケリスと光翔虎のフェイニーだ。そして応じたのはドワーフの超戦士『鉄腕』イヴァールである。
イヴァールは妻のティニヤを双方の母親に預け、炎竜ザーフが運ぶ磐船で駆けつけた。明日あたり生まれるだろうが今日は大丈夫と、治癒術士が保証したという。
祝宴は午前中のみ、それにイヴァールが治めるバーレンベルク伯爵領は王領の隣だ。彼の住む領都シュタルゼンからアマノシュタットは片道250kmほどだから、よほど早くなければ今日でも間に合うだろう。
「フェイニー様、ドワーフの男は出産を大人しく待つものなのですよ」
「そうです。我らに治癒魔術を使える者は僅か、湯を沸かす程度しかできません」
「実際に『お湯でも用意しな!』と追い払われましたな」
国王相手でも素朴で豪快な口調を保つドワーフ達も、超越種が相手だと随分と様子が違う。東西メーリャの大使はもちろん、最後に一言足したイヴァールの祖父ヤンネも敬語で応じていた。
『そうなのですか~、そういえばシノブさんも同じでしたね~』
『皆でリヒトが生まれるのを待ちましたね』
フェイニーとケリスは納得したようで、首を縦に振る。そして言葉にしたからだろう、二頭は揃ってシノブ達の方に顔を向けた。
シノブは微笑み、手を振り返す。フェイニー達は接待役を引き受けると同時に、人々に自分達を知ってもらおうと頑張っているのだ。
アマノ王国やフライユ伯爵領の中心人物はともかく、各国で超越種と親しく接した者は少ない。現に豪放磊落なドワーフ達ですら、この通りだ。
しかし何度も語らい多くの言葉を重ねていけば、きっと分かってくれるだろう。超越種が人間を超える知能を備え千年の時を生きようが、友として分かりあえる存在だと。
とはいえ見つめられるのも気恥ずかしい。何故ならイヴァールや大使達までシノブに注目したからだ。
そこでシノブは再び手を掲げて応えると、別の一角へと顔を向けていく。そちらは狼の獣人アルノーと猫の獣人アルバーノを中心にした人の輪がある。
「領地に残した奥方が心配では?」
大使の一人がアルノーに訊ねると、並ぶ数名が頷いた。大使だけあって耳が早い者が揃っており、アルノーの妻アデージュが分娩間近だと全員が承知しているらしい。
「まだ大丈夫ですよ。それに生まれたら通信筒で連絡が入りますので」
アルノーのゴドヴィング伯爵領も王領の隣だが、領都ギレシュタットまでは約350kmと少々遠い。しかし王家の祝い事に伯爵が出席するのは当然と、彼もイヴァール同様に磐船を使って馳せ参じた。
ただしアデージュはティニヤより少し遅く、明後日になりそうだという。彼とアデージュは狼の獣人だが種族の形質に『お産が軽い』というものは存在せず、期間なども他と同じらしい。
獣人族といっても外見的に際立った特徴は獣耳と尻尾のみ、他は体型の差くらいだ。しかも後者が明確に違うのはドワーフだけで、現にアルノーはシノブと同じような細く締まった長身である。
『人間の出産は色々と違いますからね』
『私達は卵の中にいるときからお話できるので、最初は驚きました』
オルムルとシュメイの言葉に、アルノーは少しだが頬を緩めた。もしかすると、生まれてくる赤子が最初から話したら、とでも思ったのだろうか。
超越種の幼体は、孵化や分娩の数日前から思念を使えるようになる。これは両親の会話に伴う魔力波動に触れているうちに、自然と会得するそうだ。
したがって超越種の親達は我が子の性別を対面の前に知るし、その後の育て方も随分と異なる。
「そうなのですか!」
「やはり超越種の皆様は特別なのですな……」
一方の大使達だが、感嘆しきりといった表情だ。知識としては得ていても、実際に聞かされると別なのだろう。
「私も最初は驚きましたが、すぐに慣れましたよ。オルムル殿やシュメイ殿も、人間の子と変わらないと分かりましたからね。陛下を慕うオルムル殿達の姿、実に微笑ましいものですよ」
こちらはメグレンブルク伯爵、つまり隠密名人のアルバーノだ。どうやら彼は、オルムル達の試みを後押しするつもりらしい。
「我らが王太子健琉殿下も、シャンジー様と過ごすときは兄弟のようです……もちろん殿下が弟ですが。……ところで、シャンジー様はいらっしゃらないのでしょうか?」
今度はヤマト王国の大使、タケルの側近でもある文手という青年だ。
現在アルバーノはスワンナム地方に潜入中だが、やはり特別な日だからとアマノシュタットに戻った。ただしソニアやミケリーノなどは未だ現地におり、彼も祝宴の終了と同時に引き返すという。
そのためフミテは、アルバーノがいる間に最新情報を得ようと考えたのだろう。
「まだ少々ごたついておりますので。
エンナム王国がヴェラム共和国となるのは決まりですが、誰を代表とするか議論中です。そこでシャンジー殿も含め超越種の皆様には、各地の太守を運んでいただくなど色々とありまして……」
アルバーノの語る遥か東の情勢を、大使達は耳を澄まして聞いている。
ヴェラムというのはエンナム地方の古名だが、新たな国の名に相応しいと候補に挙げられたそうだ。そして新体制は有力者による合議で、中央の大臣や司令官級の軍人、それに各地の太守も代表者を送り込む。
そこまでは比較的順調に決まったが、他にも話し合うことは幾らでもある。
誰を指導者にするか、指導者の権限や任期はどうするのか。
エンナム王家のような恐怖政治を防ぐには、議会の権限を大きくすべき。国として機能させるには、代表者に一定の裁量権を持たせるべき。
このような駆け引きが日夜続いており、必要に応じて各地から人を呼ぶ。
それにエンナム王家が残した秘文書を元に、禁術使い達の辿った道を確かめてもいた。まだ傍流や一時的に弟子入りした系統が残っているのでは、とシノブが調査を頼んだのだ。
そこまでアルバーノは触れなかったが、大使達も後始末の面倒は充分に想像できたようで納得顔となった。何しろエンナム王ヴィルマンの打倒から、まだ僅か五日が過ぎたのみである。
◆ ◆ ◆ ◆
残る四人の伯爵達も同様に賓客達と歓談している。そして彼らのところにも超越種の子供達がおり、話に加わっていた。
イーゼンデック伯爵ナタリオは海洋国家の大使達とアスレア地方から先の航路の展望について語り合い、海竜リタンが自身の知る海を紹介していく。
リタンは生まれて一年四ヶ月ほどだが、どんな船よりも速く泳げるし深海までも自身の庭としている。それに彼には両親や長老から教わった知識もあり、ナタリオ含め真顔で聞き入っていた。
更に嵐竜ラーカが、空から巡った大洋を詳細に描写する。蒸気船や機帆船が登場したといっても未だ帆船が中心、それに何を動力にしようが天候を無視して航海できない。
そのためラーカの話もリタンに負けず、人々の関心を集めていた。
ドラースマルク伯爵エックヌート、ブジェミスル伯爵マンフレート、ヴェルフスバッハ伯爵ルコリッツは、主に農業国との意見交換だ。
この三領はアマノ王国では南側だから、他より多様な作物を育てている。そこでエックヌート達は他国の現状を知ろうとし、逆に大使達はアマノ王国で始まった新農法に注目していた。
アマノ王国は建国以前からメリエンヌ学園から多くの農業研究者を招いており、エルフ達の進んだ知識も各地で実践している。そのため各国も学ぶところが大きいようだ。
ここは岩竜ファーヴ、炎竜フェルン、朱潜鳳ディアスの三頭だ。ファーヴは大地の更なる活用法を、フェルンは温泉など地熱を活かす術を、ディアスは地中潜行で知った事柄を。どれも農業の助けになると囲む人々は大喜びだ。
なおアマノ王国は他に三つの伯爵領を持つが、これらはシノブが爵位を保持しており代官達は出席を遠慮した。代官達も子爵だが、貴族となったのは建国後だから外交は荷が重いようだ。
「凄いですね……私も頑張らないと」
いつの間にか、ミュリエルはシノブの側へと戻っていた。
どうやら旧交を温めるのは一段落したらしい。出産を終えた二人、体調は万全と太鼓判を押したアミィ、もちろんシャルロットとセレスティーヌもミュリエルの側だ。
「充分に努力しているさ。それに、これはミュリエルの成果でもあるんだ」
「どういうことでしょう?」
どうもシノブの言葉は曖昧すぎたらしい。ミュリエルは小首を傾げ、彼女の白銀のようなアッシュブロンドがサラリと揺れる。
「オルムル達は、貴女のためにも人々と語らっているのです。貴女は商務卿代行ですから、交易が活発になれば喜ぶ筈と……」
「それにメリエンヌ学園の発展は、フライユ伯爵領内の活性化に尽力したミュリエル様の功績ですよ!」
シャルロットとアミィは、早朝オルムル達から聞いたことを明かしていく。
オルムル達はリヒトの育児室で就寝するから、シノブを含めた三人は起床から早朝訓練までの間も色々と話をする。それに対しミュリエルとセレスティーヌは同じ『小宮殿』でも別区画で寝起きしているから、この一幕は耳にしていない。
「その通りです。学園の者は全てミュリエル様に感謝して日々を送っています」
「夢のような設備に広い土地、ガンドさん達も助けてくれますし、夏には蒸気機関車でシェロノワまで行けますし~」
アリエルとミレーユはメリエンヌ学園の理事でもあり、教師として直接指導もしている。もちろん出産まで産休を取ったが、明日からは学園にも出勤するそうだ。
ちなみに学園関係者には神殿の転移が認められており、アリエル達はアマノシュタットで暮らしつつ800km以上は離れたアマテール地方で働く。それ故どちらも朝晩は我が子と会えるし、乳母任せにしなくて済む。
「今やアマテール地方は、アマノ同盟で最も注目される地の一つですわ!」
セレスティーヌが主張したように、この星でメリエンヌ学園があるアマテール地方ほど恵まれた場所は少ないだろう。
中心の一つの学園は魔法の学校で、星を預かる最高神アムテリアの神具。魔力が濃く本来は魔獣の多い土地だが、近くに棲家を構える岩竜ガンドとヨルムが結界を張ったから心配無用。蒸気機関車による学園への鉄道は、近々領都シェロノワまで開通予定。どれも羨望の代物だ。
したがって各地に分校が誕生した今も、可能なら本校にと多くの研究者や学生が憧れている。
「それもミュリエル君がフライユ伯爵領に産業をと頑張ったからだよ! 将来君はフライユ中興の母、いやエウレア地方の産業の母と称えられるだろうね!」
「そ、そんな……」
歩み寄ってきた宰相ベランジェは、少々大袈裟とも思える表現でミュリエルを褒め上げる。そのためだろう、今や銀の少女には紅の彩りが加わっていた。
「ミュリエル、もっと自信を持って良いんだよ。義伯父上の言葉は正しい……君の思いから大きな流れが生まれたんだ。そう、既に君は多くの者を動かしているんだよ」
シノブも心からの賞賛を贈る。
もちろん順調な発展を重ねた先だが、ミュリエルが歴史に名を残すのは間違いないとシノブも思っていた。それはシャルロット達も同じらしく、皆は大きく頷いた。
「シノブさまの方が、もっと多くを幸せにしています!」
「ミュリエル君、私は君も同じだと感じているよ。決して驕らず、周りが認めて尊敬し、支えようと動く……実にソックリじゃないかね!?」
謙遜するミュリエルの肩に、ベランジェは自身の手を添えた。そして彼は更にシノブを誘い、二人を並べる。
しかも派手好きのベランジェらしく、彼は声を張り上げてシノブ達を目立つようにと押し出した。
「ミュリエル様、万歳!」
「本当に立派になったな」
「シェロノワでお待ちのコルネーユ様やブリジット様もお喜びでしょう」
アルバーノが先陣を切って歓声を上げ、更に早くから知っているイヴァールやアルノーも感慨深げな呟きと共に拍手で祝いの音を添える。もちろん他も続き、華やかな響きがヴルムの間を満たしていく。
この日ベルレアン伯爵家の面々は赤子のアヴニールやエスポワールも含め、フライユ伯爵領に招かれていた。そしてシノブとミュリエルは昼から、シャルロットも夕方以降に合流して一家勢揃いとなる。
その瞬間を思ったのか、あるいは人々の賞賛が嬉しかったのか。ミュリエルは緑の瞳をうっすらと濡らしていた。
「きっと義父上達も喜んでくださるよ。それにアヴ君やエス君も立派なお姉さんに会うときを待ち遠しく思っているんじゃないかな?」
「はい!」
煌めく雫を拭いつつ、シノブは昼からも楽しみだと囁きかける。するとミュリエルは歳相応の可愛らしい笑みを浮かべ、鈴の音のような美声を響かせた。
稀なる才を開花させても、まだ少女なのだ。
成したことは大人以上かもしれないが、一方で庇護すべき対象であるのも事実。ならば自分は守りつつも共に伸びていこう。シャルロットやセレスティーヌ、そしてアミィを始めとする多くの人と歩みながら。
喜びも顕わな銀の少女を見つめつつ、そんな思いがシノブの胸を過る。
シノブは自身の思いを口にしなかったが、ミュリエルには伝わったのだろう。何故なら彼女はシノブを見つめ、とても嬉しげに大きく頷いたのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年5月16日(水)17時の更新となります。