25.35 輪廻を創る者達
王都アマノシュタットの中央に位置する『白陽宮』、その中でも特に警備が厳重な『小宮殿』。そこに少々見慣れぬ衣装の中年男性が現れた。
しかし守護する護衛騎士達は動じず敬礼し、行き交う従者や侍女も笑顔で会釈する。何故なら訪れた人物は宰相ベランジェ、侯爵家筆頭にして戦王妃シャルロットの伯父で華姫セレスティーヌの叔父という貴人中の貴人だからである。
「シノブ君! どうかね!?」
部屋に入るなり、ベランジェは両手を広げてシノブに感想を求めた。
ベランジェが着ているのはヤマト王国の衣装、平安時代の公家を思わせる直衣のような装束だ。しかも大王家や三王家の親族しか就けない従三位以上、限られた貴人だと示す煌びやかな姿である。
もっとも今日のベランジェは意味なくヤマト服を選んだわけではない。
「流石は義伯父上、これなら結婚式に列席しても問題ありません」
上から下まで眺めたシノブは、自然な着こなしだと認める。
今日は創世暦1002年2月28日、ヤマト王国王太子の健琉が長年の思い人の立花を妻に迎える日だ。そしてシノブ達は結婚式と披露宴に招かれており、そこにはベランジェも含まれていた。
「それは嬉しいね! シノブ君のお墨付きなら一安心だ!」
ベランジェは顔を綻ばせ、続いてシノブの服に目を向けた。
シノブを含め、『永日の間』にいる多くの者はヤマト服に着替えていた。シノブはヤマトの男性王族の装い、シャルロット達も同様に地位に相応しい衣装である。
シノブは大王や三王のみに許された紫衣で、和装というより中国の古代皇帝のような服だ。シノブはヤマト服だと武家風が好みだが、先方から正式な場では王衣にしてもらえないかと言われては仕方ない。
シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌは十二単だ。妃と姫だから額冠も着けており、動くだけでも大変そうではある。
これらの衣装だが、先々訪れるときに使ってほしいとタケルが贈った本物のヤマト服だ。そのため西洋風のサロンにも関わらず、遥か東の国と見紛うばかりである。
「あ~! う~!」
シノブの腕の中で、リヒトが楽しげな声を上げる。
ただしリヒトが声を発したのは、シノブがソファーから立ち上がったからのようだ。赤子の無垢な笑みは父親へと向けられており、ベランジェの姿に何かを感じたのではないらしい。
「伯父上。姿は問題ありませんが、相応しい言動をお願いします」
夫と違い、シャルロットは釘を刺すのを忘れない。
何しろベランジェは、奇人の貴人とも呼ばれる変わり者だ。彼は極めて有能で知識も豊富だが、人を驚かすのを趣味としている節がある。
そのためサロンに集った者達は、シャルロットへの同意を示すかのように笑みを零す。
ちなみにシャルロットだが、シノブやリヒトと少し離れた場所にいる。彼女はミュリエルやセレスティーヌと共に、絨毯に重ねて敷いた緋毛氈の上に座っていた。
これは十二単でソファーに腰掛けたら皺になってしまうからだ。
下には円座代わりの薄いクッションを置いたが、長い裾を周囲や後ろに広げているから見えはしない。そのためシノブの目には、まるで平安絵巻の再現のように映っていた。
ただしシノブを含め変装していないから、容姿そのものはヤマト王国の者と明らかに異なる。金髪や銀に近いアッシュブロンド、それに青や緑の瞳なのだ。
そのためシノブはシャルロット達の姿を目にしたとき幻想的にすら感じ、暫し言葉を忘れて見惚れてしまったほどである。
「大丈夫ですわ。今日はタケル様とタチハナさんにとって特別な日、それにアマノ王国にとっても」
「はい! 私達の正式訪問ですから!」
セレスティーヌとミュリエルは心配していないらしい。それとも晴れの場への出席に心が向いているのだろうか。
それはともかくシャルロット達も立ち上がり、ベランジェを迎える。
三人とも着慣れぬ衣装を崩してはと思ったのか、普段より動きが緩やかだ。衣装が自然にヤマト王国風の挙措に導くのか、あるいは予行演習のつもりか、見事な手弱女振りである。
「大丈夫、アマノ王国の名を汚すようなことはしないよ。……しかし君達も中々のものだね! ヤマト文化の学習会をした甲斐があったというものだ!」
ベランジェもシャルロット達の動作をヤマト風だと感じたらしく、大袈裟に手を叩きつつ賞賛する。
ここのところベランジェは、ヤマト式の茶会を開くなど向こうの文化習得に熱心だった。これは今日を見据えてのことで、彼は今度こそヤマトの都にと入念に準備を進めていたのだ。
昨年七月ベランジェは伊予の島の都ユノモリを訪問したが、そのとき随分と興味を惹かれたらしい。今や彼はヤマト王国の大使達にも太鼓判を押される習熟度で、普通にしていれば恥を掻くようなことはないだろう。
「それじゃリヒト、お出かけしてくるからね~。良い子で待っているんだよ~」
「うぅ~、ぶ~」
シノブが揺り籠に移したからだろう、リヒトは不機嫌そうな声を上げる。
まだリヒトは生後四ヶ月弱で、結婚式に伴っても迷惑を掛けるだけだ。乳母達を連れていっても別室で待機するのみ、ならばアマノシュタットで待つのが良いとシノブは考えた。
ただし父の配慮は赤子に伝わらなかったらしい。シノブは握り遊具を渡そうとするが、リヒトは受け取らず自分も行くと言いたげに手を伸ばす。
「リヒト様、お見送りをしましょうね」
「あ~!」
せめて見送りだけでもと乳母が抱きかかえると、リヒトは機嫌を直す。おそらく彼は、これで同行できると受け取ったのだろう。
「あんなに小さいのに……」
多くの者は微笑むが、一人だけ目を丸くした者がいる。それは一昨日アマノシュタットに来たばかりの少年、元エンナム王子ヴィジャンだ。
ヴィジャンはシノブから魔術を教わりたいと望んだが、まだ僅か六歳の子供でしかない。そこでシノブは見習い従者の一人に加え、他の子と同様に成長を見守ることにしたのだ。
「ヴィジャン、今日は一日お休みだ。ネルンヘルムやコルドールと遊ぶと良い」
「はい、ありがとうございます」
シノブが声を掛けると、ヴィジャンは笑顔で応じる。
ネルンヘルムは九歳でコルドールは八歳と、ヴィジャンより少し年長なだけだ。そのため二人は先輩として新たな仲間の世話をし、今も三人仲良く並んでいる。
「それじゃ行こうか。アミィ達も待っているだろうし」
シノブはシャルロット達を伴い、庭に置いた魔法の家へと歩き出した。こちらから行く者はベランジェで最後だったのだ。
アミィは既に魔法の家だ。彼女はヤマト王国に行く従者や侍女、それに護衛の武人達と受け入れの準備をしている。
魔法の家には洋室しか存在しない。そこでサロンと同じように緋毛氈を敷いたり『小宮殿』と魔法の家の間に渡り板を置いたりと、少々整える必要があったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アマノシュタットからヤマト王国の都の間は9000kmほどもあり、普通の手段だと行き来できない。
そのためアマノ王家やベランジェを別にすると、ヤマト王国への訪問経験があるのは伊予の島に潜入したソニア達くらいだ。そこで随伴者の候補には、同じ東洋文化に属するアコナ列島やナンカンなどに行った面々も加えられた。
そして王太子の結婚祝いだから名の通った者が望ましく、自然と高位の者達が連なった。
シノブの側付きは宰相ベランジェに親衛隊長エンリオと情報局長のアルバーノの三人だ。そして従者としてエンリオの孫ミケリーノを連れてきた。
侯爵筆頭のベランジェは文句なしの貴人である。アルバーノはメグレンブルク伯爵、エンリオは彼の父、ミケリーノは養子でもあるから伯爵一家だ。ちなみにメグレンブルク伯爵領は人口二十二万人、クマソ王家の筑紫の島より少ないが女王ヒミコの伊予の島よりは多い。
シャルロットは警護の騎士にマリエッタとエマを選んだ。マリエッタはカンビーニ王国公女、エマはウピンデ国の大族長の娘にしてガルゴン王国王太子の婚約者だから公式の場では王族に準じた扱いだ。
ミュリエルとセレスティーヌは守護役をソニアとフランチェーラ達三人の女騎士にした。ソニアも弟と同じくアルバーノの養子に入ったからメグレンブルク伯爵令嬢、フランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアの三人もカンビーニ王国の伯爵令嬢だから同格である。
シャルロット達の侍女役は、アミィ、マリィ、ミリィの三人だ。
アミィはアマノ王国の大神官でマリィ達は補佐だから、国王に匹敵する貴人である。それにマリィとミリィはヤマト王国の都に数週間滞在したことがあり、先方からも是非にと望まれたのだ。
最後に超越種から光翔虎のシャンジーだ。彼はタケルを弟分としており今も頻繁に行き来しており、招待されるのは当然だろう。
ヤマト王国はアマノ同盟の一員だから、招いた者が何者か重々承知している。そのため訪れた全員が結婚式場である神殿に通された。
タケルとタチハナが結ばれる場は、都の北にある大神宮の奥殿であった。そして司式をするのはタケルの叔母である斎姫、当代のヤマト姫その人だ。
「掛けまくも畏き大日女神様の大前にヤマト姫たる斎、恐み恐みも白さく……」
斎姫の祝詞奏上は、やはりというべきか日本伝統の儀式を思わせるものだった。
衣装は白衣と緋袴の上から千早、頭上には巫女の長が正装時に着ける黄金に輝く額冠。聖壇で祝詞を記した紙を手に持ち読み上げる姿は、まさに神託の巫女に相応しい美しくも清浄な空気を纏っている。
イツキ姫の前には、他の国々と同様に七柱の神々を表した神像が安置されている。しかも鍍金した青銅像だから、神社というより寺院のようでもある。
これは神々や眷属が創世期に指導した結果だろう。神々は各地域に相応しい文化をと計らったが、争いを避けるべく信仰の在り方や言語は統一したのだ。
そのためヤマト王国の大神宮の拝殿も、他と同様に七つの神像が奥にあり手前が聖壇なのだろう。シノブは祝詞を聞きつつ、神々の意思や在り方へと思いを巡らせていく。
「……今日を生日の足日と選定めて大日若貴子様と大日若姫貴子様の媒妁に依り……」
シノブは思わず表情を動かしそうになった。
タケル達の強い希望で、シノブとシャルロットは媒酌人を務めていた。シノブは新郎タケルの後ろ、同じくシャルロットも新婦タチハナの後ろに控えている。
そこまでは日本の神前結婚式でも目にした光景だが、媒酌人の自分達まで神々と同様に名を伏せると聞いていなかったのだ。
しかしイツキ姫からすれば、これは当然のことであった。
ヤマト大王家はシノブのことを神々に連なる者と知っているし、名を呼ぶのは畏れ多いと大日若貴子の尊称を提案したのはタケルである。したがってヤマト大王家の者が、このような晴れの場で普段のように呼ぶわけはない。
それらは列席者達も承知しているのだろう、皆は神妙に頭を下げたままである。
列席者は神像に向かって右手が新郎側でヤマト大王家、左手が新婦の側だ。ただし一夫多妻だから新婦の側には先々嫁ぐ婚約者達や親達もいる。
つまり左手は上座からタチハナの穂積家、刃矢女と親族、桃花の親達や女王ヒミコこと豊花にアコナ女王の有喜耶子、夜刀美の親族と並んでいる。そのため王達より上座に据えられたホヅミ家は、随分と居心地が悪そうだ。
なおシノブとシャルロット以外はというと、右手のヤマト大王家に続いて並んでいる。左右を合わせると四十名を超えるが、大神宮というだけあり充分な余裕があるから問題ない。
そしてシャンジーだが、普通の虎くらいの大きさに変じてアミィ達の脇で腰を降ろしていた。常より眩しい輝きは、彼の溢れんばかりの祝意からだろう。
「……高砂の尾上の松の相生に立並びつつ緑変わらず、玉椿八千代を掛けて家門広く家名高く弥立栄えしめ給えと、恐み恐みも白す」
祝詞は終わり、イツキ姫は三々九度の盃へと進めていく。
巫女達が御神酒の入った銚子や盃を運び、タケルとタチハナが交互に神饌の酒を口にする。
そして盃を交わしたら、新郎新婦の誓詞奏上だ。
「私、大和健琉は立花を妻に迎え、将来の大王に相応しくあるよう今後も精進を重ね……」
「私、大和立花は背の君たる健琉を支え、この国の次代となる輪廻の輪からの授かり子を……」
タケルとタチハナは広げたヤマト紙を二人で手にし、正面の神像へと誓いを述べていく。
二人の若々しい声が拝殿に響いたからか、シノブは荘厳な空気に春のような爽やかさが宿ったように感じた。そして門出のときに相応しい喜び溢れる空間に、更なる彩りを添える者達が現れた。
それは舞を奉納する巫女、先日までのタチハナの同僚や後輩達だ。白の千早に緋袴、額にイツキ姫のものより少々小ぶりな額冠を着けた少女達が、榊の枝を手に静々と進んでくる。
聖壇のイツキ姫は神楽鈴を手に持ち、そこに少女達が加わった。そして巫女達は、雅楽に似た曲に合わせて舞い始める。
「天地を~、遍く照らす大神の~、御心適う平安の地に~」
清楚で涼やかな舞はシノブの心を和ませる。
エウレア地方にも随分と馴染んだが、やはり自分は和の国の生まれだ。自然の中に神々を感じ、息づく命の尊さを知る者の末裔だ。シノブの心は誇らしさにも似た感情で満たされる。
我が子はアマノ王国で育まれるが、物心付いたら共にヤマト王国を巡ってみたい。心弾む未来図に、シノブは知らず知らずのうちに顔を綻ばせていた。
◆ ◆ ◆ ◆
結婚式の次は牛車に乗って大内裏まで移動、大極殿での披露だ。
美しい夕焼けの中を進む牛車の列を、都の者達は歓呼の声を挙げて迎えた。この日は晴天だから車には天蓋がなく、タケルとタチハナは手を振って応えているから尚更だ。
「タケル様、万歳!」
「狐の獣人のお妃様とは、良い時代になったねぇ」
「ああ……。タケル様、タチハナ様、お幸せに!」
祝福の響きには、人族以外の妃に関しても多かった。これまで大王家の直系は人族のみを妻に迎えていたからだ。
おそらくはタケルへの期待からだろう、反発は皆無だ。何しろタケル達の牛車には熊の獣人のハヤメ、エルフのモモハナ、ドワーフのヤトミもいるから、街の者達は四種族が手を結んでの繁栄が訪れると素直に受け取ったのだろう。
「三つの王家にアコナの女王か……凄いなあ」
「アコナって、ずっと南の島なんだろ?」
「ああ。その遥か向こうにあるのがアマノ王国らしいぞ」
大王の威利彦も三王家との協調を演出したし、アコナ列島の女王ウキヤコも新時代を予感させる。更にアマノ王国から来た一団が、ますます未来への思いを膨らませていた。
「タケル殿下、万歳!」
「ヤマト王国よ、永久に!」
大極殿に入ってからも同様だ。大王家の直臣達はヤマト王国の躍進も間違いなしと沸き立ち、万歳の声は建物どころか大内裏の外にすら響いたほどである。
最後にタケル達は、内裏の中央南にある至真殿に移った。
内裏は大王家の私的領域だが、この至真殿は特別な儀式や賓客の持て成しにも使われる公的な性格の強い場所だった。そのためシノブ達や三王家を招いての祝宴に選ばれるのは至極当然なことである。
あまり大勢が詰め掛けるとシノブ達が大変だろうと、ヤマト大王家は出席者を結婚式に列席した者に限った。しかも宴にも新たな試みを取り入れている。
「タケル、俺達に合わせてくれたの?」
「この方が互いに行き来しやすいと思いまして……」
シノブの問いに、タケルは微かに頷いた。二人が触れたのは、室内の様子である。
至真殿の中には五つの丸テーブルが置かれ、それぞれを八つ程度の椅子が囲んでいる。つまり祝宴はエウレア地方などと同じ、椅子に座っての晩餐会であった。
タケルとタチハナのみは上座に別の席を作り、そこに祝う者達が訪れる形だ。そしてシノブを含むアマノ王家が一番手、次がアミィ達、その後ろには三王家やアコナ女王ウキヤコなどが身分の順に並んでいる。
要するに日本で一般的な披露宴の形式に近い。
「これから広めていくのですか?」
「はい。今までの形式では隣としか話せませんし……」
こちらはシャルロットとタチハナだ。
既に祝辞などは済ませ、多くは食事も終えている。そのため挨拶の順番が遅い者達は、一部だがテーブル巡りをしていた。
こうなると十二単では大変だから、シャルロット達はエウレア地方のドレスに着替えている。これはヤマト王国の女性も同じで、多くは小袖に近い服である。
食事をするなら着慣れた服が良いから、シノブを含むアマノ王国の男性陣も本来の服に戻した。それにヤマト王国の男達も、ヤマト服には違いないが先ほどより随分と軽装だ。
「……長居しちゃいけないね。これからも互いの良いところを取り入れていこう」
「またアマノシュタットにいらしてください!」
「お待ちしておりますわ」
シノブは次に場所を譲ることにし、女性陣も続いていく。ミュリエルとセレスティーヌに続き、シャルロットも新婚旅行など如何かと冗談めいた誘い言葉をかける。
シノブ達のテーブルはタケルとトヨハナの正面だ。ここはアマノ王家とアミィ達三人、そしてベランジェに割り当てられている。
もっともアミィ達は新郎新婦に挨拶を始めたばかり、ベランジェは更に後である。そのため現在テーブルを囲んでいるのはシノブを含む四人のみだった。
そしてタケル達に近いから、シノブの耳には自然と列を成す人々の会話が入ってくる。
「呂尊もエンナムに渡るのか?」
「ああ。これを機に手を広げたいそうだ」
「まずは視察ですが……」
クマソ王の威佐雄に応じたのは、息子の刃矢人と娘のハヤメだ。
ヤマト王国の交易商ルゾンは、今までアコナ列島からダイオ島やルゾン島に渡るのみだった。しかし先日の件でエンナム王国と直接交易できる可能性が高くなったから、彼は自身で交渉すると決めたそうだ。
「ルゾンも思い切ったのう……」
「でも北の航路も魅力なのじゃ!」
「それにソニアさんが、ナンカンは落ち着いた国だと……」
こちらは褐色エルフの三人、巫女王のトヨハナとウキヤコに姫巫女のモモハナだ。
ルソンの商船団は主の船のみをダイオ島に残し、他は本来予定していた航路に向かった。つまり南のルゾン島で商売し、アコナ経由でヤマト王国に戻る旅である。
配下達はヤマト王国で荷を降ろしたら、再び南へと旅立つ。順調でも往復一ヶ月だから、そのころにはエンナムと交易できるだろうと期待してのことだ。
それどころかルゾンはナンカンへの進出も狙っているらしい。今回の騒動で彼はナンカンについても色々耳に挟んだから、これなら商売できると睨んだようだ。
「ヤト、我らへの影響はあるか?」
「鋼の需要がありそうです。少しですが魔獣の海域を抜けるので、鋼板を張る船が増えるかと」
陸奥の国の王長彦に、娘のヤトミが南方航海の様子を語っている。
まだ公にしていないが、ヤマト王国は南方交易に本格的に乗り出す。そして南方交易商が秘匿し続けた航路を大王の名で公表し、行き来の障害を一つ減らす。
かつてルゾンは秘密の航路を探り出したが、同業者達に脅されて口を噤むしかなかった。しかし国が公開するというのだから、交易商達も黙るしかない。
これでルゾンの願いが一つ叶い、外を目指す船が続出するだろう。そうなればヤトミが指摘したように、危険な海域に備えた強固な船も増していく筈だ。
◆ ◆ ◆ ◆
挨拶が終わり、人々は自由な歓談に移る。自身の席に留まる者、他所へと挨拶に赴く者など様々だ。
ベランジェは早速ヤマト大王家や三王家の席へと向かい、シノブの側は家族とアミィ達だけになった。シノブは国王でアミィ達は大神官と補佐と極めて高位だから、動かずに相手を待つ方が良いらしい。
ちなみにシャンジーだが、シノブ達の脇で静かに控えている。どうやら彼は、神獣としての威厳を意識したようだ。
「やはりロセレッタさんは……彼女の純粋な思いに応えてほしいものですわ」
「はい……」
待ち時間を持て余したのか、セレスティーヌとミュリエルが密やかに言葉を交わす。二人が顔を向けたのは、メグレンブルク伯爵家の面々と警護の女騎士達がいる席だ。
女騎士の一人ロセレッタは、アルバーノを一心に見つめていた。
対するアルバーノだが、無視するのも可哀想だと思ったのか時々は話を振る。するとロセレッタは頬をますます染めつつ応えるが、どうも当たり障りのないことだけのようだ。
そのためセレスティーヌは男性側が導いてやらねばと憤慨しているらしい。
「シエラニアさんはミケリーノ君ですね~。ショ……」
「何か言ったかしら?」
「将来が楽しみだ、ですよね?」
ミリィが何かを言いかけたが、マリィとアミィの厳しい視線に青ざめ口を噤む。
ちなみにシエラニアは十五歳、ミケリーノは二つ下と少々一般的ではない組み合わせだ。しかし同じテーブルにいる祖父のエンリオや姉のソニアも歳を問題にする気はないらしく、穏やかに談笑するのみだ。
「……フランチェーラはハヤト殿に?」
「そうかもね。ダイオ島でも戦い振りに感心していたようだし」
『似合いかも~』
シャルロットに答えつつ、シノブはクマソ王家の集うテーブルを注視した。するとシャンジーも少々位置を変え、同じ方向を見つめる。
もちろんシノブ達の視線の先にいるのは、女騎士の最後の一人フランチェーラとクマソ王子ハヤトだ。
フランチェーラはヤマト大王家や三王家を巡っていた。とはいえ他は挨拶したのみで、今のように長居はしなかった。
ハヤトは勇猛果敢な戦士で、しかも将来は妹のハヤメがタケルに嫁入りする。更にクマソ王家が治める筑紫の島は南方航路の起点だから、先々を考えての縁繋ぎだろう。
一方のクマソ王家だが、満更でもなさそうだ。アマノ王家の側近、それもシャルロットの直弟子となれば充分な価値があると睨んだのかもしれない。
フランチェーラの故郷カンビーニ王国も航海を得意としているし、クマソ王家としては願ったり叶ったりかもしれない。
「アマノ王国で学んだ者が各地で活躍する……素晴らしいことだと思うよ。シノブ君の理想に共感した者達が、各国で輪廻の子を育むのだから。それにヤマトの人達も、もっと留学させようと言っていたよ」
ベランジェは自席に着くと、普段の飄々とした様子が嘘のような真顔で語り出す。どうやら彼がヤマト王国側を巡ったのは、人材交流の促進を意識しての行動らしい。
「そうですね。アマノ王国から世界へ……そして世界からアマノ王国へ……」
「フランチェーラの子や彼女が見出した者達が、アマノシュタットに来るかもしれませんね」
シノブの思い浮かべる未来は、シャルロットの心に強く響いたようだ。
ヴィジャンがエンナム王国から来たように、これからも多くの者が来る。ならば同じだけ国外に羽ばたく者もいるだろう。
それでこそ真の交流が成ったというべきだ。いつしか聞き入っていたミュリエルやアミィ達も含め、テーブルを囲む者は一様に賛意を示す。
「でも、今はタケル殿とタチハナ殿だ。ほら、イリヒコ殿が餞の言葉を贈るよ」
ベランジェはヤマト大王家の席を示した。そこには正面脇へと歩んでいく大王イリヒコの姿がある。
もちろん他の者達も何が起きるか察し、早くも場が静まり返る。そして針一つ落としても聞こえそうな中、イリヒコは歩みを終えてタケル達へと向き直る。
「タケル……そしてタチハナよ。今日という日を迎えられたこと、心から嬉しく思う。
しかし全てはこれからだ。互いを高め、輪廻の子を得て親となり、神々を手本に王として人々を導き、天地山水を尊び鳥獣草木の全てを慈しむように。
我らは多くの子を預かる者……新たな命を導き育てる輪廻の賢者を目指す者達だ。慢心せず、全力を尽くし、あらゆる命を愛でつつも、己の責を果たすときは躊躇うな」
イリヒコの厳しくも愛情溢れる言葉に、シノブは静かに耳を傾けていた。
いつかは自分もリヒトを、そして続く子らを祝う。我が子として巡ってきた命を預かり、愛しつつ鍛えつつ、成長を見つめていく。そして一人前となった子供達に未来を託すのだ。
おそらく同じ思いなのだろう、シャルロットも感動を顕わにヤマトの大王を見つめていた。
ミュリエルやセレスティーヌは薄く瞳を濡らしているし、ベランジェも共感するところが大きいようで微かに頷きつつ聞き入っている。
新郎新婦の二人も大きな感動に包まれているようだ。
タケルは落涙を堪えているのか目元が赤い。そしてタチハナは既に輝く雫を拭っていた。
「……お前達が誠心誠意励むなら、そして支えてくれる者がいれば、必ずや成し遂げて次なる王に良き国を渡すだろう。だから今は喜びの言葉を贈ろう……おめでとう」
人の道、王の道、そして輪廻の賢者を目指す道。それらを語り終えたイリヒコは、素朴な祝福で締めくくった。
伝えるべきことを伝えたら、残るは親としての言葉のみ。立派になった息子と側に立つに相応しい娘を、万感と共に祝福しよう。そんな思いがシノブの胸に響いてくる。
巡る姿や先にあるものが正しいかではなく、イリヒコの揺らがぬ信念に胸を打たれたのだ。
──輪廻の賢者とは、強い心で生き抜いて次代を育てる者かもね──
──はい……おそらく人それぞれに別の姿があるのでしょう──
シノブは万雷の拍手とすべく手を打ち鳴らしつつ、静かに思念を発する。するとシャルロットが賛同し、シャンジーが高らかな咆哮で和す。
そして密やかな語らいを、アミィ達三人の眷属が優しくも奥深い笑みで見守っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回から第26章になります。
次回ですが一週間後、2018年5月12日(土)17時の更新となります。その後は再び週二回に戻す予定です。
本作の設定集に25章の登場人物の紹介文を追加しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。




