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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第25章 輪廻の賢者
654/745

25.34 過去と未来

「術士様! 俺を弟子にしてください!」


 黒髪に濃い瞳を持つ虎の獣人の少年が、人族の青年を一心に見つめている。

 二人の姿は不鮮明で、まるで夢の中のように現実感が薄い。それに周囲も霧のようなものが(ただよ)い、潮の匂いがするから海の近くと想像できるのみだ。

 逆に明瞭なのは、少年が十歳で青年が二十代後半ということだ。これは視覚からではなく、直接シノブの心に飛び込んでくる。


 この光景、実はシノブが幻夢の術で造り出したものだ。

 シノブはエンナム王ヴィルマンの魂を木人に封印し、更に闇の神ニュテスから教わった幻術をかけた。つまり少年や青年はヴィルマンの記憶から生じたもので、厳密に言えば実際にあったことと異なる。

 何しろ幻の元となった出来事は今から二百四十年ほど昔、虎の獣人の少年は初代国王ハイヴァンの子供時代、そして人族の青年は狂屍(きょうし)術士の大戮(ダールー)だ。したがって、この一幕をヴィルマンが目にしている筈もない。

 今シノブが見ているのはヴィルマンが想像した情景、彼が父から教わったり王家の秘文書を読んだりして心の中に築き上げたものだ。そのため先祖のハイヴァンはともかく、ダールーの容貌は時々揺らぐことすらあった。


「弟子だと?」


 ダールーは低い声音(こわね)で不機嫌そうに応じた。

 この声もヴィルマンが思い描くもので、シノブの読み取った通りなら秘文書の記述が大きく影響しているようだ。どうも初代国王ハイヴァンが残した文書には、師の声は太く力強いと書かれていたらしい。


 ダールーは何人もの体を乗り継いで長い時を生き、この時点でも百歳を超えているのは間違いない。何しろカンで(グオ)一族の跡取り息子を殺したのは更に八十年ほど前、その時点で奪命符を含む各種の術を使いこなしたというから、実際には百歳どころではないだろう。

 そのためハイヴァンは成人してからもダールーに頭が上がらず、師の言葉に苛立(いらだ)っても我慢したと秘文書に記されているらしい。


「はい! 何でもしますから、俺に符術を教えてください!」


 将来は初代エンナム王になる少年だが、この時点では単なる漁師の子でしかない。そのためだろう、彼は恥も外聞もなく土下座して頼み込む。

 ハイヴァンは三男で、更に兄達と年齢が離れていたから逆らえなかった。そして彼らの支配から逃れたいと、ダールーへの弟子入りを希望したようだ。


 このまま国に残っても、独り立ちの資金を溜めることすら難しい。

 兄達は二十歳(はたち)を超えており、最近では父よりも幅を利かせている。そこでハイヴァンは何年続くかも分からぬ横暴に耐えるよりはと、一か八かの脱出を思い立ったのだろう。


「……お前には操命(そうめい)術士の才能がありそうだ。よかろう、望み通り弟子にしてやる」


 かなりの間、ダールーは少年を見つめていた。どうやら彼は、魔力波動か何かでハイヴァンの素質を探っていたらしい。


「ありがとうございます!」


「……『(ハイ)』の一字を授ける。今日からお前は海戮(ハイルー)、このダールーの弟子だ」


 こうしてハイヴァンは、ダールーの弟子ハイルーとなった。

 なおハイヴァンの元々の名だが、エンナム王家には伝わっていない。おそらくハイヴァンは、カンでの自分を捨て去ったのだろう。


 シノブは更にヴィルマンの記憶を追っていく。ハイヴァンとダールーに関する逸話を探しに、心の世界を過去から現在へと辿(たど)るのだ。

 ダールーが本当にイーディア地方に渡ったか、今を逃したら永遠に謎のまま終わるかもしれない。この件を代々のエンナム王が口伝のみで継いでいたら、真実を知るのは当代のヴィルマンだけの可能性もある。

 それにヴィルマンは死して魂のみとなったから、いつまでも地上に(とど)めるわけにもいかない。そのようなことは輪廻の輪を尊しとする神々の教えに反しているからだ。

 シノブはハイヴァンが成人した後、彼が成り上がっていく時期まで一気に飛ばした。するとエンナム風の衣装を着た人々が、(もや)の中から姿を現す。


「また敵が倒れたぞ! ハイヴァン様は神々に愛された勇者なのだ!」


 響いたのは戦勝を喜ぶ声らしい。それに武将らしき人々が、ぼやけているものの浮かび上がる。

 功臣となり絵画でも残されたのか、中には顔立ちを区別できる将もいる。しかし大半は特徴の薄い同じ顔という、夢を思わせる奇妙で異様な人々だ。


「倒れたといっても病ではないか。しかも急に……」


 疑問を呈したのは虎の獣人、三十歳くらいの武人だ。

 この武人は、現在のエンナム海軍司令コンバオと良く似ていた。コンバオは豹の獣人だが、他は瓜二つといっても良いほどだ。

 それもその筈、この武人はコンバオの先祖であった。ヴィルマンの記憶によれば名はコンホウ、王を目指すハイヴァンを支えた勇将の一人として後々まで名を残している。


「コンホウ様……」


「忘れてくれ。あの方を支え、この地を統一する。今はそれだけを考えると誓ったのにな……」


 側近らしい一人が何かを言いかけると、それをコンホウは(さえぎ)って笑顔を作る。

 エンナム王国誕生までに、敵対勢力の要人の多くが不審な死を遂げた。ただしハイヴァン自身が暗殺したのではないらしい。

 代々のエンナム王は、建国王ハイヴァンが師のダールーに密かな始末を頼んだと伝えていたのだ。


 ダールーは弟子に詳細を明かさず、どうやって実行したか残っていない。おそらく奪命符だろうが、魔獣に襲わせた可能性もある。

 判明しているのは回数くらいで、これまでに十数度は裏から手を下したという。そしてコンホウ達が知るのは三割以下、仮に配下が全てを承知していたら離反者が続出したかもしれない。

 しかしダールーは多くを密かに済ませ、更に建国までの十年で四十回ほどは動いたらしい。


 表の歴史に残らぬ陰の助けもあり、ハイヴァンは連戦連勝。彼は(またた)く間に勢力圏を広げていった。

 そしてハイヴァンは三十歳の若さでエンナム王国を興す。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「この地を離れる……本気ですか?」


 不満と安堵、それに幾らかの不安。ハイヴァンの顔には幾つもの感情が入り混じっていた。

 先ごろ一国の王となった男とは思えぬ、弱さすら滲む表情。今や師匠のダールーしか知らぬ、ハイヴァンの素顔である。


 ハイヴァンとダールーが向かい合っているのは、王城の奥まった一室だ。

 とはいえ出来て間もない上に、建国に合わせた仮住まいだ。それを示すように二人がいる部屋も質素極まりなく、家具らしきものは長椅子と間の小卓のみである。

 およそ二百二十年後にシノブが目にする豪壮な建築物とは全く異なる、小さく無骨な城砦。それが建国直後のエンナム王城である。


「お前は派手に動きすぎた……このままではスワンナム地方の操命(そうめい)術士が動くやもしれぬ」


 ダールーの声は、二十年の歳月を示すように更に低さと重さを増していた。

 新たな体に乗り移る技を持つからだろう、狂屍(きょうし)術士は老化を防ぐ術を磨かなかった。中には人としての生に飽きたのか、木人や鋼人(こうじん)を選ぶ者すらいるくらいだ。

 そのためダールーの顔も、五十代を目前とした男に相応しい変化を遂げている。彼の髪や髭には白いものが交じり、(おもて)からも若いときの(つや)は失せていた。


「私が魔獣を戦に使ったからですか? あれは建国を懸けた一戦ですよ」


 ハイヴァンの声には隠し切れぬ不快が宿っていた。おそらく怒りからだろう、先ほどまで様々な感情に揺れていたのが嘘のように強気である。

 今のハイヴァンは子供時代と違ってダールーより背が高く、武人として鍛えた体は虎の獣人に相応しい厚さだ。そのため王者の覇気を取り戻すと、傲然と表現すべき風格すら生まれる。

 やはりハイヴァンも二十年で鍛えられ、師に抗うくらいには成長したようだ。


「揉み消すには随分と苦労した……何しろ目撃者を全て始末したのだ。ともかく(われ)はスワンナム地方から去る……ここには神操(シェンツァオ)大仙の一派がいるからな」


 どうもダールーが姿を消したのは、『操命(そうめい)の里』の術士達を警戒したからのようだ。

 ダールーも相当な術者だが、シェンツァオ大仙には勝てないのだろう。それに格下でも多くの術者に囲まれたら苦戦は必死だ。

 スワンナム半島の森にはシェンツァオ大仙の一派が隠れ住んでおり、エンナム王国の今後次第では対決もあり得る。ならば別の地方に渡り、今度こそ表に出ず裏から操る。

 それらを落ち着いた様子で語り終えると、ダールーは卓上の杯を手にして口元へと運ぶ。


「シェンツァオ大仙……」


「お前も魔獣の使役を控えるのだ。どうしても使うときは人目に付かぬようにしろ」


 ハイヴァンが絶句すると、ダールーは助言を与えていく。

 どうもダールーは、暴走気味の弟子に(あき)れつつも気に掛けているらしい。長く生きた彼からすれば、三十歳のハイヴァンも反抗期の子供と大差ないのだろう。


(われ)の記した秘伝書を残す。お前は狂屍(きょうし)術士に向いていないが、ウェルマンには素質があるようだ。独学で奥義を極めるのは無理だが、ある程度は覚えるだろう」


 ダールーはハイヴァンの長男、後に第二代国王となるウェルマンの名を挙げた。

 このときウェルマンは五歳だから、魔術の伝授は早すぎる。術を教えるのは通例だと十歳ごろから、才能のある子でも三年かそこら前倒しにする程度だ。

 しかし後々奥義書で学べば並程度の狂屍(きょうし)術なら使えるかもしれないと、ダールーは結ぶ。


「……どうしてそこまで?」


「世話になったからだ……お前の父も含めてだが。もしお前達の助力がなければ、(われ)はカンを脱出できずに終わったかもしれぬ」


 怪訝そうな顔となったハイヴァンに、ダールーはカンからスワンナム地方に渡ったとき一件が理由だと応じた。


 それはカンの南東部海岸地方で『海猪(うみいの)に助けられた男』として伝わる伝説だ。

 元々は南に渡ろうとした船が流され魔獣の海域に入ったが、船に乗っていた魔獣使いに助けられたという内容である。つまり話に出てくる海猪(うみいの)は使役獣だが、術士が伏せてくれと頼んだから魔獣が直接船を救った話になったらしい。

 しかし真実は少々異なり海猪(うみいの)はダールーの使役獣ではなく、たまたま近くにいただけだ。そしてダールーは海生魔獣の使役を苦手としていたが、このときは幸運にも成功した。


 術士ごとに使役できる種族が異なるのは、魔力で対象の魂に働きかけるからだという。思念ほど明確ではないし多くは声や道具での補助あってだが、術士と使役獣は魔力で交感しているようだ。

 しかしダールーは海の魔獣と上手く交流できず、渡航の際も使役獣を伴っていなかった。ただし遭難しかけたときは必死だったから、近くにいた海猪(うみいの)を一時的な手下に出来たわけだ。


「お前の父は船を操り、お前は海を読んで先へと導いた。その結果スワンナム地方に入れたのだから、お前の夢を(かな)えてやるくらいは当然のこと」


 淡々と語る様子からすると、ダールーとしてはハイヴァンに借りを返したいだけらしい。親しみや師弟の繋がりではなく、世話になったままでいるのを高いプライドが許さないのだろう。


「ありがとうございます。その……どちらに赴かれるか、お聞きしても良いでしょうか?」


 それまでとは違い、ハイヴァンの声音(こわね)は何かを懐かしむように穏やかだった。

 側にいたときは口うるさい師匠でも、別れるとなれば名残惜しく思うのか。あるいは(たもと)を分かつなら、せめて最後くらい綺麗にと考えたのか。


「イーディア地方に渡る。向こうではヴィルーダと名乗るつもりだ」


「確かにイーディア風ですし、師の異名『威戮(ウェルー)(ダー)』とも重なりますね」


 ダールーとハイヴァンの語らいは続くが、シノブは半分聞き流していた。

 ついにダールーがヴィルーダ、イーディア地方で騒動を起こした人物だと判った。やはりカンのダールーが名を変えてイーディア地方に入り、アーディヴァ王国を百八十年以上も裏から操ったのだ。

 それらをようやく明らかにしたという喜びが、シノブの胸中を満たす。


 既にシノブ達はヴィルーダを倒したが、途中で災いの種をばら撒いていないかと案じていた。しかしダールーがヴィルーダと分かり、問題の大半は解決した。

 現在までの調査でイーディア地方に入ってからは明らかだし、続く会話からすると魔獣の森の一番狭いところを抜けて西のバマール王国に向かうらしい。それにエンナム王国建国からヴィルーダがイーディア地方で確認されるまでは十年少々、あまり多くのことは出来なかったに違いない。


 念のためにバマール王国をマリィ達に調べてもらい、並行してミリィ達によるカンの調査も進めよう。そう思いながらシノブは幻夢の術を後の時代に進めていく。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 初代エンナム王ハイヴァンは師のダールーから独り立ちし、自力で国を切り回していった。

 ダールーは表に出るのを控えていたから、彼が消えても周囲は不審に思わない。そのため暫しの間、エンナム王国に穏やかな日々が訪れる。

 ハイヴァンは将として優れており、戦では徹底的に敵の戦力を削いだ。そのため既に歯向かえるほどの勢力はなく、しかもダールーの暗殺で対立する英傑や知者は随分と減った。

 そのため国内は恭順一色、民は平和な世が来ると大歓迎した。


 エンナム王国と周囲の国々の間には海や魔獣の森があり、どことも国境を接していない。少なくとも陸から攻め込む者はおらず、警戒するのは海だけで国防も容易だった。

 スワンナム地方は、大森林と大海原が一種の緩衝帯として機能しているのだ。


 この平和に変化が生じたのは更に二十年以上先、第二代国王ウェルマンが即位した後だった。

 ハイヴァンを恐れて従った者達は、若いウェルマンなら勝てると(にら)んだらしい。それにダールーの暗殺で失った人材も、成長した若者達で回復しつつあった。

 そして各地の反国王派が団結し、王都アナムに攻め込む気配すら生じた。


「……このとき劣勢を悟ったウェルマンは、奪命符を使った。これが符術による支配の始まりだ」


 シノブはヴィルマンを封印した木人へと視線を向ける。

 ここは光の額冠が作った異空間、シノブは先ほど幻夢の術を解いた。そして今、知りえたことを語り終えたところだ。


 聞き手は数も多いし、種族も多種多様である。

 まずアマノ王国の人間がシノブの他にシャルロット、眷属がアミィ、ホリィ、マリィだ。そしてエンナム王国からは海軍司令官のコンバオが見届け人として加わっている。

 木人の操縦者であるエルフは豊花(とよはな)有喜耶子(うきやこ)の巫女王達、アスレア地方の長老ルヴィニア、エウレア地方の兄妹ファリオスとメリーナに他七名と数が多い。

 光翔虎は親世代のヴァーグとリャンフの(つがい)から一歳数ヶ月のフェイニーまで合わせて八頭もいる。他の超越種は子供ばかりで岩竜オルムルとファーヴ、炎竜シュメイ、嵐竜ラーカの四頭だ。


 つまり人間が十八人、超越種が十二頭だ。そのため超越種達は成体が人間の大人ほど、他も猫ほどに小さくなっている。


『二百年も邪術で縛っていた……』


 シャンジーは普段と違う重みのある声に変えていた。常の緩やかな口調は、この深刻な場に相応しくないと控えたらしい。


『酷いです~』


 一方フェイニーは素のままだ。しかも彼女は猫ほどの大きさでシャンジーの頭に張り付き、超越種らしい威厳は欠片もない。

 同じ子供でも百歳ほどと一歳少々だから、色々違いがあるのは当然かもしれない。


「……あの時代に、そのようなことがあったとは」


 驚きから醒めたらしく、コンバオが口を開く。

 表向きだと、ウェルマンの治世は即位直後の僅かな騒動を除けば大よそ平穏だったそうだ。彼はダールーが残した術を駆使し、反国王派を完全に抑え込んだらしい。


「符術による脅しで真実を消し去ったのですか」


「まったく(ろく)なことをせん一族じゃのう」


「それに術で縛らねば何も出来ぬ臆病者じゃ!」


 シャルロットは青い瞳に憂いを滲ませ、トヨハナとウキヤコも(あき)れや憤慨を示す。

 三人以外も似たり寄ったり、特にエルフ達の嘆きは激しい。木人使いは符術士でもあり、彼らは幼いころから他者の魂の支配を別格の禁忌だと教え込まれているのだ。


「シノブ様、この男に一刻も早い処罰を」


「既に死霊と化していますし、必要以上に(とど)めるのは如何(いかが)なものかと……」


 ファリオスとメリーナは、ヴィルマンの魂を早く輪廻の輪に戻すべきと主張する。

 ちなみにヴィルマンだが、周囲が自身の処分を論じているのに無視し続けている。彼を封じた木人には会話機能もあるし五感も備わっているから、話す気になれば話せるのだ。

 要するにヴィルマンは黙秘を続けているわけで、エルフ達の(おもて)は更に憤怒の色が濃くなる。


「……コンバオ殿?」


「構いません。ヴィルマンは死霊となって初代国王像に宿ったときに名を明かし、家臣や民の生殺与奪は思うがままと放言しました。街の者達も、この男は既に亡き者と受け取ったでしょう」


 シノブが顔を向けると、コンバオは即座に応じた。

 ヴィルマンは既に自身の体を捨てているし、死者を刑場に引き出して仮初(かりそ)めの体を斬首するなど悪い見世物でしかない。そのようにコンバオは言い添えた。

 アムテリアの教えでは、死者を鞭打つような真似を戒めている。ここエンナム王国でも同様で、(さら)し首などの風習は存在しない。

 輪廻の輪に戻った魂は、冥神ニュテスと彼を支える眷属達が仕置きする。これも人が手を出してはならぬ領域とされているのだ。


「分かりました。……ヴィルマン、言い残すことはないか? 妃や子供達に伝えるぞ」


『不用だ』


 シノブの申し出を、死霊となった王は短い言葉で拒否した。どうやらヴィルマンは妻子のことなど全く気にならぬようで、僅かな揺らぎすら示さない。


「……そうか」


『お前は何者だ? その剣、放つ魔力、このような場所に移す技、それに神獣達を従えるなど……輪廻の輪に戻れば忘れるだろうが、最期に聞いておきたい』


 シノブが光の大剣を掲げると、ヴィルマンは興味も顕わな様子で問いを発した。

 相手が神に関係する者だと、ヴィルマンも薄々気付いているのだろう。それに冥神ニュテスの腕に(いだ)かれたら今生の記憶は消えるというのが通説で、彼も意味のない質問だと理解しているようだ。

 とはいえ疑問を残したまま旅立つのは、やはり心残りらしい。


「私はシノブ・ド・アマノ……アマノ王国の王だ」


『ただの王のわけがあるまい。やはり『輪廻の賢者』なのだろう?』


 あくまでも人として応じるシノブに、ヴィルマンは重ねての問いを発する。

 『輪廻の賢者』とはスワンナム地方に伝わる言葉で、一般には創世期に人を教え導いた眷属を示すらしい。それ(ゆえ)ヴィルマンは、世を正すためシノブが現れたと受け取ったのだろう。


「違う。それに『輪廻の賢者』とは、正しく輪廻の輪を巡る者のことだ。あらゆる命を尊重して己を磨く者……今生を終えたら冥神に魂を預け、新たな生へと向かう者。つまり、お前とは正反対の存在だ」


 シノブは最後に多少の皮肉を交えた。

 私心で動かぬように己を戒めつつも、やり切れぬ思いがシノブの心を占めていた。代々禁術を用いて感情を失ったような冷然たるヴィルマンに、一矢報いたいと思ってはいたのだ。


『私には無理だ。エンナムの王として符で縛るしかなかった私には……』


「言い訳は見苦しいぞ! 符を捨てて心を開けば、きっと道があった筈だ!」


 ヴィルマンの慨嘆めいた言葉を、シノブは即座に否定した。

 たとえば即位したときに全てを明かして誠心誠意の謝罪をすれば、エンナム王国の人々も命まで取ろうと言わないだろう。流石に何年も恐怖で縛ってからでは遅いが、シノブには避けえぬ未来と思えなかったのだ。

 この指摘は(こた)えたのか、ヴィルマンは再び黙り込む。


「死霊となったお前には、来世で償う道しかない。……その前に冥神の裁きと長く(つら)い仕置きが待っているが」


 シノブは改めて光の大剣を振りかざし、闇の神ニュテスに代わって断罪する。続いてシノブは木人から死霊王を解き放ち、罪多き魂を輪廻の輪に戻した。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 マリィとホリィは、暫くの間エンナム王国を指導することになった。要するに、以前イーディア地方でアーディヴァ王国の再建に協力したときと同様の体制だ。

 現在のエンナム王家は廃するが、新たに王を立てるか合議にするかなど決めるべきことは多い。そのためマリィ達だけではなく、ソニアを始めとする諜報員も一定数を残す。

 アルバーノも数日は残ってソニア達を助ける。彼はメグレンブルク伯爵、つまりアマノ王国の大領主だから肩書きが必要なときにと自薦したのだ。


 他は国に帰る者、暫く(とど)まる者など様々だ。

 前者の代表格はヤマト王国の王太子健琉(たける)で、婚約者の一人立花(たちはな)との結婚式を明後日に控えているから早々に帰った。もちろん他の三人の婚約者も同様で、魔法の家の転移でヤマト王国の都へと引き上げる。

 逆にクマソ王の跡継ぎ刃矢人(はやと)やダイオ島の島王パジャウなどは暫く滞在し、今後の相談に加わる。ハヤトはヤマト王国やアコナ列島の大使として、パジャウはダイオ島とエンナム王国の今後を語らうためだ。


 ミリィは担当地域であるカンに戻る。彼女はナンカンの少年(グオ)師迅(シーシュン)を連れ、自身の魔法の幌馬車でナンカンの都ジェンイーに引き上げた。

 シーシュンは何度も礼の言葉を口にしつつ去った。彼にとってダールーは先祖の(かたき)だから、弟子の末裔ヴィルマンの最期を見届けたのは大きな意味があったのだ。


 ウキヤコとトヨハナはアコナ列島だ。トヨハナは伊予(いよ)の島への帰還を延期し、もう少しだけウキヤコの指導を続けるそうだ。もっともヤマト王国との行き来はシノブ達や超越種が助けるから、二人はタケルの結婚式にも出席する。


 シノブはシャルロットやアミィと共にアマノシュタットへと帰った。もちろんマリエッタやエマ、フランチェーラ達三人の女騎士も一緒だ。

 更にシノブ達に同行し、アマノ王国に訪れた者がいる。それは黒髪と濃い瞳の人族の子供、遥か東方で生まれた少年だ。


「あ、あの……。え、エンナム・ヴィジャン……です」


「可愛い子だねぇ! 私がアマノ王国宰相のベランジェだ! ベランジェ伯父さんと気軽に呼びたまえ!」


 おどおどと言葉を紡いだ少年に、ベランジェは対照的に朗らかな声と表情で応じる。しかも彼は直後に屈み込み、(おび)えを滲ませる子供と目線を合わせた。

 このヴィジャンという少年はヴィルマンの長男、つまり先ほどまでのエンナム王国の王子である。シノブはヴィジャンを暫くアマノ王国に滞在させることにしたのだ。


 まだ六歳のヴィジャンに罪はないが、あれだけの罪を父が犯したから今後は風当たりが強かろう。他は妃と娘達で禁術を学ばないが、王太子のヴィジャンは別である。

 現在のところヴィジャンは符術を学んでいないが、将来に備えて魔力操作の訓練を始めていた。これは魔術師なら一般的なものだが、それでも禁術への一歩には違いない。

 更にヴィジャンは父から厳しい教育を受けており、加えて相性が悪かったのか心を閉ざし気味だった。そこでシノブは、このままエンナムに残すより過去を知る者がいないアマノ王国に移そうと考えたわけだ。


「あの……」


「どうしたのだね! さあ、まずは温泉、そして着替えたら『白陽宮』を案内しよう! おっと、その前にアイスクリームも良いねぇ」


「コーヒー牛乳もあるよ。風呂上りに飲むと美味(うま)いんだ」


 口篭もるヴィジャンを、ベランジェは抱き上げて歩き始める。そしてシノブも隣に続きながら、おどけてみせる。


 どのような生まれであろうと、ヴィジャンに責任はない。

 ここアマノシュタットで心を癒し、いつかは故国に戻るのも良いだろう。もちろんアマノ王国に籍を移しても良いし、ヴィジャンが歩むべき道を一緒に考えたい。

 それらをシノブが通信筒で伝えたところ、ぜひ連れてくるようにとベランジェは(ふみ)を返した。そこでシノブは、一度来てみないかとヴィジャンを誘ったのだ。


「お風呂は同行できませんが、王宮は一緒に巡りましょう」


「それから街に行きましょうね!」


「飛行船や磐船に乗るのも面白いのじゃ!」


「ちょっと寒いけどアマノ王国は良いところ。ヴィジャン君も気に入ると思う」


 シャルロットが笑顔で冗談めいた言葉を贈り、アミィがアマノシュタットを楽しもうと宣言する。マリエッタは空の旅を、エマは同じ南方出身者として北国での過ごし方に触れていく。

 続く三人の女騎士、そして迎えたタミィや側仕え達も異国の少年に笑顔を向ける。


「あ、ありがとう……ございます……」


「礼などいらないよ。私は君の伯父さんなんだから。ねえ、シノブ君?」


 ヴィジャンが浮かべた涙を、ベランジェは優しい言葉と共に拭う。そしてアマノ王国が誇る仁慈と奇才に恵まれた宰相は、柔らかな笑顔でシノブに同意を求める。


「ええ、その通りです。……ヴィジャン君、君には無限の未来があるんだ。過去なんて関係ない……楽しく豊かな未来を俺達と目指そうよ」


「は、はい!」


 シノブの言葉は幼子の琴線に強く響いたようだ。大きく頷いたヴィジャンの頬に、再び浮かんだ涙が伝い始める。


 少年の父は、代々の妄執を継いで道を誤った。王として過ごした歳月で彼は多くの罪を背負い、たとえ死霊王にならなくとも極刑を免れなかったかもしれない。

 しかし眼前の少年に罪はないし、まだ禁術そのものに触れていない。父の苛烈な指導で心に傷を負っているが、ここで他の少年達と交流して日々を楽しく過ごせば幾らもしないうちに癒えるだろう。


「ともかく温泉だ! これから入る温泉、実は俺が掘ったんだよ!」


「温泉を!? その……魔術でしょうか?」


 シノブが打ち明けた事柄に、ヴィジャンは目を丸くする。

 どうやら驚きが、ヴィジャンの心から憂いと壁を取り去ったようだ。全てではないにしても、幾らかは心を開いてくれたとシノブは感じる。


「ああ、まず岩壁の術で地面の下に管を伸ばして……」


 シノブは魔術での温泉掘りを語り始める。

 全ての技術と同様に、魔術も使い方次第で善にも悪にもなる。ヴィジャンは大きな魔力を持っているから、自身の血を(うと)まず明るい面に目を向けるべきとシノブは思ったのだ。


「シノブ様! 僕を弟子にしてください!」


「……ああ。皆を幸せにする技を一緒に追い求めよう」


 ヴィジャンの言葉から、シノブは少年時代のハイヴァンを連想した。少し前に幻夢の術で目にした、ダールーに弟子入りしたいと願った情景である。


 この子には先祖と同じ道を歩ませない。人々に喜ばれる魔術師に導いて、彼自身にも幸せを(つか)んでもらうのだ。

 シノブの思いは届いたようで、ヴィジャンは瞳を輝かせ顔も綻ばせた。そしてシノブは浴場に入ってからも、未来の明るくする技を遠い国から来た少年に語り続けた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年5月5日(土)17時の更新となります。


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