25.32 エンナム王との対決
創世暦1002年2月26日の夕方、エンナム王国の王都アナムでは多くの人々が意外な事態に顔を見合わせていた。
「コンバオ様の艦隊、もう戻ってきたって? 今朝出港したばかりだろ?」
「それがな、ダイオの島王が更に向こうの使者を連れてきたそうだ」
「確かヤマトやアコナっていう……」
港近くでは曖昧ながらも情報を得た者達が多い。
少し沖にはヤマトの軍船が浮かんでおり、陸からでも充分に見える。これらがエンナム王国の船と異なるのは目の良い者なら判別できるし、漁船や商船の船乗りは更に近くから眺めている。
それに軍港で働く男達にはコンバオの艦隊の係留を担当した者もいるし、異国の使節らしき一団を目にした程度なら珍しくもない。
「島王って……監督官が見張っているんだろ?」
「それが監督官も来たそうだ」
「使者達にも王や王子がいるらしいぞ。女王とか殿下とか、そんな言葉が聞こえた」
少々早いが酒場などでも大勢が噂話を始めていた。
突然の来客は大使節団で、陸に上がっただけでも十人や二十人どころではない。そのため労働者達も注目したし、食べ物や飲み物を運んだ女性達もいる。
歓迎の準備もあるからと、僅かな間だが使節団は軍港に留まったのだ。
ちなみに港近辺だと、アコナやヤマトも名前くらいは知られていた。
商船乗りなどはダイオ島まで訪れるし、そのときは稀にヤマト王国の船を目にすることもある。もちろん大半は話を聞いた程度だが、ダイオ島の更に東に別の国々があるというのは周知の事実だった。
ただしダイオ島より東には幅100km近い魔獣の海域があり、先日のコンバオ達の遠征を別にすると越えた例はない。エンナム王国の商人達は危険な海に挑まず、安全に往復できる北のカンや南のルゾン王国などを選んだからだ。
「使節団が来るってことは交易を求めてか?」
「ダイオ島までだったからな……しかし俺達の海を明け渡しはしないだろ」
「それなら良いが。ダイオ島から先を俺達が運ぶなら、仕事は減らないからな」
街の者達の関心は、商売への影響があるか否かだった。
今までエンナム王国は、自国の領海を独占してきた。北のカンから来る船は最北端の港湾都市ハフォンまで、同様に南の国々も南端の港までが原則である。
それ以上進む船にエンナム王国は莫大な通行税を課してきたし、アコナやヤマトの商船も同じだろう。したがって来るにしても従来通りダイオ島までに違いない。こういった意見が多くを占める。
「大丈夫ですよ。我らがエンナム王は、初代から優秀ですし」
「ええ。初代ハイヴァン様以来、小規模な反乱すら聞いたこともありません」
港から離れた高級酒楼にいる商人達は、窓の外へと顔を向けた。この部屋は二階で、中央広場に置かれた初代国王の巨像が望めるのだ。
このように街中は興味が先に立つ状態で、のんびりとした空気すら漂っていた。しかし王城の中は少々風向きが異なる。
「何故ダイオの島主まで……」
「監督官のイールヴァ殿が伴ったのです、何か意味があるのでしょう」
「アコナやヤマトの意向では?」
謁見の間に並ぶ者達、文官や武官の集団は怪訝そうな顔で囁き合う。
エンナムの官人はダイオ島の島王家を見下しているらしく、パジャウのことを『島主』と呼んでいた。それに使節を伴うにしても監督官のイールヴァだけで充分という声も多い。
名称こそ監督官だが実質的にダイオ島を牛耳っているのは、エンナム王家の傍系でもあるイールヴァ達。これがエンナム上層部の認識のようだ。
そのためヤマトやアコナの使節を招いて交渉するにしても、パジャウ達には結果だけ伝えれば良いという考えらしい。
「陛下?」
「……来た者を追い返すわけにはいかぬ。それに久々に会ってみたくもある」
問うた側近に、エンナム王ヴィルマンは重々しい口調で応じた。
ヴィルマンは何かを思案したのか、少しの間を空けた。それに表情も不機嫌そうで、島王パジャウの来訪を歓迎していないのは明らかだ。
その一方でヴィルマンはパジャウと会う必要も感じているらしい。
「では、参内を許しますか?」
「うむ。せっかく夫人まで連れてきたのだ。歓迎の宴くらい開いてやろう」
重ねての問いに、ヴィルマンは戦士のような太い声音で応じる。
ヴィルマンは中年の域に入ったが、現役の武人に勝る隆々たる肉体を誇っている。そのためだろう、国王たる男の決断に家臣達は異を唱えず頭を下げるのみだ。
「……そうだ、イールヴァは夫人を連れてきたか? それに息子や親族はどうした?」
「いえ、監督官の一族はイールヴァ殿のみです。ダイオ島を任せたのかと……」
国王の言葉に意表を突かれたのか、伝令を務めた軍人は言わずもがなのことまで触れた。それに謁見の間に集った大半が疑問交じりの表情となる。
これまで監督官自身が来るときは息子をダイオ島に残していた。イールヴァだけではなく、歴代の監督官も同様である。
伝令のみならず、多くはヴィルマンの表情を窺っている。
そもそもコンバオ達の急な出港自体が謎とされていた。何しろ国王が命じたのは昨日の午後に入ってからなのだ。
先日のように東の調査をさせるならともかく、どうしてダイオ島なのかと官人達は噂しあった。エンナム王国において国王の力は絶大で問い返す者など皆無だったが、裏では誰もが首を傾げたものである。
「そうか……ともかく仕度を急ぐのだ」
やはりヴィルマンは、奪命符が除去されたことに気付いているのだろう。僅かではあるが、彼の顔は苦々しげに歪められる。
監督官の夫人や息子、それに親族の一部にも奪命符は仕掛けられていた。全てイールヴァに同行するか名代としてアナムに来たことがあるから、ヴィルマンが直々に手を下したのだろう。
イールヴァを含め符はシノブが取り除き、今はアマノシュタットで拘束している。これらの処置を行ったのは昨日の午後、つまりヴィルマンがダイオ島の偵察を命じる直前だ。
つまりヴィルマンは符の変化を察知できる筈で、素直に使節団を歓迎するとも思えない。
官人達も王が喜んでいないことだけは理解したようだ。彼らは余計なことを口にせず、それぞれの仕事に戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
それから暫くして日暮れも近いころ、ヤマト王国およびアコナ列島からの使節団が謁見の間に通された。そして彼らは玉座に腰掛けるヴィルマンの前へと進んでいく。
「こちらがヤマト王国の王太子、健琉殿下でございます。そしてアコナ列島の女王である有喜耶子殿、ヤマト王国クマソ領の跡継ぎ刃矢人殿……」
先導をした黒衣の人物、エンナム王国風の衣装を着けた中年男性が主要人物の名を挙げていく。
おそらくエンナム王国の官人は、滔々と紹介を続ける男をイールヴァだと思っているだろう。しかし真実は異なり、黒衣の人物は変装の魔道具で姿を変えたアルバーノだった。
同様にシノブ達も様々に変装して紛れている。一例を挙げるとウキヤコの代わりにアミィ、背後の侍女はシャルロットだ。シノブもクマソ王子ハヤトの随員に紛れているし、後ろはアマノ王国から来た者達が多い。
逆に本物はというと名前が挙がった中ではタケルとハヤト、それに紹介は飛ばされたが島王パジャウと妃のミカヤなどだ。
どうもエンナム王国は、ダイオ島を相当に下に見ているらしい。人口三万少々のアコナも同様で、女王にも関わらず陛下の敬称を用いないようだ。
ハヤトをクマソ王子と呼ばなかったのも含め、アルバーノはパジャウ達から聞いた監督官らしい物言いを貫いている。それにアミィ特製の変声の魔道具でイールヴァそっくりの声音となっているから、旧知の者も疑いを挟んでいないようだ。
「こちらはタケル殿下の婚約者達……右から立花殿、刃矢女殿、桃花殿、夜刀美殿です」
アルバーノは紹介を終えると、ヴィルマンに向かって一礼する。
今のアルバーノは監督官イールヴァを演じているから、エンナム王に頭を下げるのは当然だ。もっとも相当に不本意だったらしく、彼の魔力が揺れたのをシノブは確かに感じていた。
「ふむ……ところでお前は誰だ?」
「……と言うと?」
睨み付けるヴィルマンに、アルバーノは肩を竦めつつ応じた。
相手が察しているならば茶番は終わりにしよう。既に充分に時間は稼いだし、こんな男に敬語を使うのは芝居とはいえ飽き飽きした。そんな声が聞こえてきそうな不遜な態度である。
「私にはイールヴァかどうか確かめる術があるのだ! 衛兵、こいつらを捕らえよ!」
ヴィルマンは立ち上がると声を張り上げた。すると控えていた衛兵のみならず、謁見の間に大勢の兵士が現れる。
「どうせ符でしょう? まあ、本当の姿くらい明かしましょうか……」
アルバーノは黒衣を脱ぎ捨て、普段の軍服姿となる。彼もそうだが、多くは下に本来の衣装を着こんでいたのだ。
「皆さん、武器を!」
アミィもウキヤコの変装を解き、更に呼び寄せた魔法のカバンから剣や槍などを出して配っていく。
シャルロットは神槍、そして彼女の両脇には同じく槍を握ったマリエッタとエマが並ぶ。アルバーノも槍、フランチェーラ達三人の女騎士も同様だ。
タケルやハヤトなどヤマト王国の者達は変装していないから姿は同じだが、彼らも太刀や剣などを受け取って構える。ちなみにタチハナとモモハナは札と懐剣、ハヤメが大剣でヤトミは小太刀だ。
「武器を捨てなさい。無駄な血を流すつもりはありません」
冷ややかに響いたのはシャルロットの声、そして重なる金属音と共に十数もの槍が床に転がる。もちろん落ちたのはエンナム兵が握っていたもの、シャルロットが目にも留まらぬ連突きを放ったのだ。
「くっ、手強いぞ!」
「か、勝てぬ……」
どんな技が繰り出されたのか、それすら兵士達は理解できなかったのだろう。そして彼らは気圧されたのか、数歩も退く。
「こいつ!」
「女みたいな顔のくせに!」
「顔と技は関係ありません!」
驚愕する兵士達に、タケルが叫び返す。
どうもタケルに詰め寄った一団は、小柄な相手や少女達が相手なら勝てると踏んだらしい。しかしタケルが太刀を素早く振るうと彼らの槍は細切れになり、兵士達は唖然とした様子で立ち竦むのみだ。
更にタケルを囲む少女達が追撃を放つ。
「月黄泉貴子よ! この一団に夜の安らぎを与え給え!」
「木之花姫貴子よ! 彼らの生気を奪い給え!」
札を掲げて叫んだのは巫女達、狐の獣人タチハナと褐色エルフのモモハナだ。
タチハナは闇の神ニュテスに祈りを捧げて催眠の術を使い、モモハナは種族を守護する森の女神アルフールに願うと体力減衰の魔術を発動させた。すると右手の数名が昏倒、残る左手が意識こそあるものの同じく崩れ落ちる。
「タケル様の背は私達が守ります!」
「私の打った剣や刀は、どんなものでも斬りますよ」
熊の獣人で大柄なハヤメは兄のハヤト譲りの豪快な剣術、ドワーフのヤトミは小太刀の精妙な技の数々だ。ただし相手の武器を豆腐でも斬るように呆気なく分かつのは、どちらも共通している。
実はタケルの得物も含めヤトミの作品である。ますます腕を上げた彼女は、ごく普通の玉鋼でも父の長彦にも迫る業物を作るまでになったのだ。
「俺は手加減が苦手だぞ!」
「いえ、充分にお上手だと思いますが」
大音声で脅しにかかるハヤトの隣で、島王パジャウも槍を振るっていた。今日は息子のトゥラスがいないからだろう、パジャウも攻撃に加わっているのだ。
パジャウも戦士としては一流で、ハヤトの目配りがあるものの血を流すことなく兵士達を退けている。
もちろんアルバーノ達も負けてはいない。
マリエッタやエマはシャルロットに次ぐ勢いだ。フランチェーラ達もアルバーノを充分に補佐している。
そしてアルバーノといえば、脇目も振らずヴィルマンへと迫っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
「不甲斐ない。ならば符魔獣を……どうしたのだ?」
「無駄だよ。既に始末した」
怪訝そうなヴィルマンに、シノブは手にした符を掲げつつ応じた。シノブが手にしているのは王城の各所から取り出した符の最後の一つ、ただし既に破れて単なる紙切れと化した代物だ。
アルバーノがイールヴァを演じている間に、シノブは学んだばかりの魂を広げる方法で城全体を調べた。その結果シノブは、なんと千枚近い符を発見した。
これをシノブは手にした一枚を除き、全て短距離転移で上空に飛ばしつつ粉々にした。破るのは転移先を分けるだけだから、大した手間でもないのだ。
おそらく今ごろ、エンナム王都の上空では雪片のように細かい紙吹雪が舞っているだろう。
「……お前はあのときの?」
「覚えていたか。しかし『死にたくなかったら心に刻んでおけ』と警告したのに、禁術を捨てなかったな」
ヴィルマンとシノブは一度会っている。
シノブは禁術使いのハールヴァを倒した後、就寝中のヴィルマンを訪れて釘を刺した。暗闇の中だったからだろう、ヴィルマンは顔を覚えていなかったようだが声で思い出したらしい。
あのときの訪問は、ヴィルマンの心に強く残ったに違いない。それはシノブを憎々しげに見つめる表情からも明らかだ。
しかし改心するには遅すぎた。何しろエンナム王家は代々符術で国を縛ってきたのだから。
シノブは発見した符に幾つかの癖があると感じていた。千枚近い符は一度に作られたのではなく、長い時を重ねて溜めたものらしいのだ。
一般に式神は術者の死で使えなくなるが、生前に引き継ぐことは可能だという。少なくともヤマト王国には事例があるようで、タケルは大王家に伝わる書物で読んだそうだ。
そもそも引き継ぎ出来なければ、施術者が死んだら奪命符を仕掛けなおす筈だ。それどころか符が崩壊したときに毒が漏れたら、国王の代替わりごとに道連れが発生する。
そしてエンナム王達はシノブの予想以上に多くの符を使っていたようだ。
「符魔獣とやらはイールヴァも使ったよ。だから対策を用意した……この立派な王城を壊すのは忍びないからね」
シノブは会話を続けつつも、密かに奪命符の除去を続けていた。実は謁見の間にいる者達にも、符を仕掛けられた者が多かったのだ。
流石に全員ではないが、側近や重臣は例外なく心臓に符が寄生している。それらをシノブは一つずつ取り出し、アミィを始めとする眷属達が傷を治療している。
治癒魔術を遠方から行使するのは難しいから、ホリィやマリィ、ミリィは姿を消して各所に散っている。そしてアミィも武器を渡したとき以外は、近場を担当していた。
それに除去を察知されないように手も打った。
シノブは上空に光翔虎達を配し、彼らが下げている特殊な溶液を入れた器に符を移している。この溶液の中なら奪命符は心臓に取り付いた状態を保つから、ヴィルマンには分からない筈だ。
「しかも、お前は別の禁術も知っている。お前……いや、お前達エンナム王家は奪命符を使って成り上がったのだろう? 今も多くの者を縛っているようだが」
シノブの言葉に、広間は静まり返る。
どうやらエンナム王国の中枢にいる者達は王家が何らかの術で命を握っていると感付いていたらしい。兵士達すら剣や槍を引き、戦いを中断していた。
ダイオ島の島王家、パジャウ達も察していたくらいだ。エンナム王国の人々も何かあると疑いもするし、中には真実に迫った者もいるに違いない。
不審な死の裏には何かあるが、口にすれば自分達も危うい。王城に勤める人々は、正体不明の恐怖で縛られていたのだ。
「その通り……家臣の命は私が握っている。それと良いことを教えてやろう。私を殺したら、こいつらも死ぬ……先ほど私の魂を発動の鍵としたからな」
憎々しげな笑みと共に、ヴィルマンは恐るべきことを宣言する。そのため間近まで寄ったアルバーノも槍を一旦は収める。
幸いヴィルマンは、符の除去を感知していないらしい。おそらく彼の能力では、位置までは掴めないのだろう。
そこでシノブは沈黙したまま悔しげな表情を作りつつ、更に符を取り除いていく。
「へ、陛下……」
「やはり……」
代わりに声を上げたのは、エンナム王国の者達だ。
意外なことに怒りを顕わにする者は少ない。どうやら彼らは長く続く支配で諦めの境地に至ったようだ。
海軍司令官のコンバオなど歴戦の武人だろう者達すら、絶望を顔に浮かべつつ剣を降ろす。
自分自身だけならともかく、家族まで命を握られているかもしれない。こうなると反逆したくても出来ないのだろう。
シノブとしては早く真実を伝えたいが、ヴィルマンが油断しているうちに一人でも多くから取り除かねばと黙し続ける。
「さあ、お前達……私の盾となって戦うのだ」
「はっ……」
ヴィルマンは家臣達を促すが、応じたコンバオを含め動きが鈍い。
自身や家族の命を握られていると明言されて、戦意が湧く者などいないだろう。とはいえ逆らったら死が待つのみ、エンナムの武人達は硬い表情で得物を握りなおす。
──この馬鹿者をアマノ空間に放り込みたいですね~。でも、死んだと符が認識しそうですし~──
──除去を完了するまでの辛抱よ──
怒りが滲むミリィの思念に、マリィが同調しつつも今少しの我慢だと応じる。
シノブが光の額冠を使わないのは、このためであった。ヴィルマンを異空間に移したら符が暴走しかねないと、安全策を選んだのだ。
──これほど多いとは思いませんでした──
──ええ。まさか、ごく普通の従者や侍女までとは──
アミィとホリィも嘆きを顕わにする。
エンナム王国の建国から、およそ二百二十年。長い年月で倫理観など失せたのか、あるいは最初から存在しなかったのか。
シノブも暗澹たる思いを否定できなかった。
「殺意のない者など恐れる必要はない。武器を捨てよ……お前達も符で縛り、私の手駒にしてやろう」
家臣を人質に取ったからか、ヴィルマンの表情には余裕が感じられる。
しかしシノブは、まだ何か奥の手があると感じていた。確かにシャルロット達は殺傷を避けているが殺さずとも勝てるからで、自身を犠牲にするつもりは毛頭ない。
ヴィルマンも分かっているだろうに、どうして降伏勧告をするのか。そこをシノブは不審に思ったのだ。
「素直に捨てるとでも? わざわざ奴隷になる馬鹿などいませんよ」
──こうやって対峙している間にも、何かを仕掛けているのでは?──
アルバーノが引き伸ばしを図る中、シャルロットはアミィ達に思念を飛ばす。
シャルロットは思念も使えるようになったし、魔力も相当に増したようだ。とはいえ符の知識など持ち合わせていないから、専門家達に問うたのだろう。
もっともシャルロットが返答を得ることはなかった。その前に彼女の、いや皆が望む瞬間がやってきたからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「全ての奪命符を取り除いた! ……ヴィルマン! お前の握る命など、もう存在しない!」
今、シノブは感知できる範囲に寄生中の奪命符は存在しない。
アミィ達が調べた結果、奪命符を発動させる鍵は声か魔力のどちらかと分かった。そして人間の魔術師なら、魔力が届くのも今いる謁見の間くらいのようだ。
ヴィルマンの魔力は人族にしては大きいが、エルフの大魔術師には劣る。そしてシノブは広間の何倍もの範囲を調べ、人々の体から禁忌の符を除き終えた。
「ヴィルマンに従う必要はありません! この方は私達からも奪命符を取り除いてくださいました!」
「パジャウの言う通りです! ここに監督官イールヴァがいないことが何よりの証拠、私達は解放されたのです!」
ダイオ島の二人、島王パジャウと妃のミカヤは声を張り上げる。エンナム王国の人々と面識があるのは自分達だけだからと、説得役を買って出たのだ。
やはり正体不明の相手より、一応は知った相手の方が共感を得やすいのだろうか。あるいは自分達も符を埋め込まれたという言葉からか。
エンナムの兵士達は武器を降ろし、司令官のコンバオも剣を引く。
「これが奪命符だ!」
シノブが取り除いた符を転移させ、謁見の間の床に撒き散らす。もちろん使えないように破壊してからで、米粒より小さな赤黒い塊は全て真っ二つに割られている。
「あの種のようなものが……」
「気持ち悪い……」
エンナム王国の多くは自身の足元を見つめている。
血に塗れた符は、たとえ全く知らぬ者であっても不気味に感じただろう。ましてや自身の心臓に寄生していたと思えば尚更で、老若男女を問わず忌々しげに顔を歪めていた。
「陛下……かくなる上は、潔い最期を」
海軍司令官のコンバオが、自国の王に剣を突きつけた。そして今まで呆然としていた兵士達も我に返ったらしく、ヴィルマンに武器を向ける。
禁術使いのハールヴァが操る海猪の式神に守られ、コンバオの艦隊は魔獣の海域を越えた。ただし今の様子からすると、コンバオにとって不本意な航海だったようだ。
やはり家族などの命を盾に取られたと思ったから、禁忌と知りつつも従ったのだろう。シノブは無骨そうな豹の獣人の顔から、そう読み取った。
「……我がエンナム王家もこれまでか」
暫しの間の後、ヴィルマンが悔しげに呟く。
少なくとも王家としては終わりに違いない。ヴィルマンには息子がいるが、僅か六歳だから神殿預かりなどだろう。
つまり血統は残るが日の当たる場に出ることは難しいし、何代かは同じく神官として過ごすしかなさそうだ。あるいは家名を捨て全くの他人として生きるなどか。
娘は複数いるが他家に嫁ぐ者に王家の秘技を授けるとも思えないし、妃達も同様だ。何しろ下手に広めたら自身の命が危うくなるから、奪命符の製法を知るのは代々の王家直系のみだろう。
したがって符術で復讐をするなど不可能、ましてや正攻法で戦える者などいない。
人を信じず禁忌の符に頼って孤独な道を歩み、更に符への依存を深める悪循環。その結果エンナム王家は、符がなくては存在できないほど弱体化したようだ。
「処刑は待ってほしい。聞きたいことがある」
「縄目の恥は受けん!」
シノブがコンバオに声を掛けたとき、ヴィルマンが懐剣を己の胸に突き立てた。しかも直後に、ヴィルマンは床一杯に広がるほどの血を吐く。
「まさか『トラカブト』を塗っていたのか!?」
「おそらくは!」
シノブとアミィは慌てて駆け寄りつつも言葉を交わす。
これと同じ光景を、つい最近二人は目にしている。それはハールヴァが奪命符で斃れたとき、突然の大喀血で命を落とした瞬間だ。
シノブ達はヴィルマンを調べるが、彼が死亡しているのは間違いない。
奪命符にも使われている『トラカブト』は即効性で、しかも極めて僅かな量で死に至る。実際シノブは、ヴィルマンの魂が早くも体を離れたと感じていた。
「ともかく終わりですね……」
「ああ……いや!」
多くの謎が残っているからだろう、シャルロットは浮かない顔であった。シノブも沈んだ気持ちのまま応じかけたが、あることに気付き窓際へと駆け寄る。
風通しを良くするためか、謁見の間には大きな窓が幾つもある。その一つから外を覗いたシノブは、巨大な像を発見する。
それは王城前の広場に置かれた初代国王ハイヴァンの像だが、入城したときと違って動いている。なんとヴィルマンは、自死して巨像に魂を移したのだ。
この初代国王像だが、高さが大人の背の十倍近い。石造りだから重量も相当にあり、足を踏み出すごとに微かな揺れすら感じるほどだ。
「もしや?」
シャルロットは夫へと顔を向ける。
高位の神官や巫女を除き、普通は魂を感じ取れない。例外は魂が自身の存在を主張したときのみ、つまり霊となって現れた場合だ。
それに多くの魂は短期間で輪廻の輪に戻るから、この世界では地縛霊のような存在は珍しい。したがって神殿などで働く者を除いては、霊を感じる機会自体が少ないのだ。
「ああ、ヴィルマンだ。おそらく狂屍術士としての才能に恵まれていたんだ……先代までは奪命符を使うのみだったかもしれないが、少なくとも彼は憑依の術を会得していた」
「普通は離れた場所に憑依できませんが、自身の体に戻る気がなければ別です。死で肉体との繋がりが断たれますから……」
一方シノブやアミィは例外に属する者達だ。
シノブはヴィルマンの魂が王城を離れるのを感じていたが、輪廻の輪に戻るのだろうと静観していた。おそらくアミィも同様で、先ほど彼女は黙祷していた。
「なるほど……では、あの方々の出番ですね」
「そういうことになるね」
「済まぬが、どういうことか教えていただけないだろうか?」
笑みを交わすシャルロットとシノブに、エンナム海軍司令官のコンバオが寄っていく。
既にコンバオの顔に敵意はなく、剣も部下に預けて丸腰であった。おそらく彼は、そうでもしないと話が出来ないと思ったのだろう。
「あちらをご覧になってください」
『こんなこともあろうかと残った甲斐があったのう! 伊予の島の女王ヒミコ、豊花が『衛留狗威院』で推参じゃ!』
『妾はアコナの女王ウキヤコ! ヒミコ殿から『衛留狗威院』をお借りしたのじゃ!』
遥か向こうの海上に出現したのは、二体の巨大木人だ。しかも双方とも光り輝く虎に乗っており、空高く舞い上がる。
『衛留狗威院』も人間の大人の十倍ほど、二体を運ぶシャンジーとヴェーグは胴体長20mくらいだから騎乗には充分だ。光翔虎は馬のように背が高くないから木人達の足は余っているが、空を飛ぶ分には構わないだろう。
ちなみに二体の木人だが、沖の軍船にいるタミィが出した。この距離なら思念でやり取り可能だから、先ほど彼女はアミィの許可を得て魔法のカバンを呼び寄せたのだ。
「済みませんが、城内や街に触れを出してもらえませんか? 禁術使いが建国王像を乗っ取ったが光の巨人達が退治する……だから落ち着いて行動するようにと」
「……分かりました」
シノブの言葉に何かを感じたのだろう、コンバオは口調を改めた。
コンバオは部下達に指示し、周囲の官人達も動き出す。しかし布告をする必要はなかったかもしれない。
何故なら街は意外なほどに静まり返っているからだ。どうやら殆どの者は、遥か頭上を進む白銀の虎と騎手に目を奪われているらしい。
もっとも人々が我を忘れるのも無理はない。
夕焼けの天空を駆ける光り輝く神獣と、跨る白い巨人達。双方を見慣れたシノブですら、思わず見惚れてしまう美しく厳かな姿だったのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年4月28日(土)17時の更新となります。