25.30 ダイオ島の主 後編
ダイオ島の首都ユイは人口三千数百人だという。都と呼ぶには小さいが、島全体で三万人少々というから妥当な規模だろう。
ユイの都は北緯23度ほど、海際だから中央山脈の高峰ツォウ山のように冬でも雪に覆われることはない。今は二月下旬だが真昼ということもあって気温は二十℃を幾らか超えており、街で見かけた者も軽装が殆どだった。
暖かな土地と示すように、島王の宮殿も木造建築に茅葺きの屋根だ。
御殿は高床式で、まず地面から太い柱が伸びている。そして二階ほどの位置に住居部が設けられ、その上が背の高い茅の三角屋根である。
そのため平屋にも関わらず最高部は四階建てを超え、物見櫓などを除けば街で最も高い。
ただし木造に茅葺きだけあり、御殿は定期的に建て替える。宮殿の庭は建物の脇に設けられているが、実は新たな御殿を建てるための場所でもあった。そして建て替え時期が近いのか、それとも保守用なのか庭の片隅には多数の材木が積まれている。
しかし現在ここに住むのは島王パジャウの他に妻子のみ、傍系は周囲に館を拝領して暮らしている。
パジャウは二十代前半と若く、しかも兄弟はおらず妹達は既に嫁いでいた。先王は数年前に亡くなっており、現在の島王家は少々寂しい状況なのだ。
もっとも今は傍系王族も宮殿に集まり、謁見の間の左右を埋めている。
──お子は一人のみですか──
──まだ若いからね──
シャルロットの思念に、シノブは同じく声なき声で応じた。
今シノブ達は、アコナ列島からの使節に紛れている。シャルロットがアコナ女王たる有喜耶子の侍女、シノブは案内役を務める交易商呂尊の側付きだ。
そのため二人はウキヤコやルゾンの後ろに並ぶだけで、正面のパジャウ達を眺める余裕があった。
──左が妃のミカヤ殿だ。右が跡取りのトゥラス殿……といっても三歳だけど──
──ミカヤさんとトゥラス君は豹の獣人です──
シノブに続き、アミィがパジャウ一家について語っていく。もっとも聞き入るのは思念が使える面々、つまりシャルロットの他はホリィ達だけだ。
アミィはシャルロットの更に後ろ、横にはホリィ、マリィ、ミリィと並んでいる。
シャルロットも含め、エルフの姿を選んでいた。ウキヤコ達アコナに住むのは褐色エルフだから、侍女が他種族だと不自然だからだ。
今のシャルロットは並ぶ豊花、伊予の島の女王ヒミコと良く似た容姿で和風美人といった趣だ。それにアミィ達も東洋系の容貌で、なんとなくシノブは故郷に戻ったような感覚を抱いていた。
もちろんシノブもヤマト王国風に変えているが、種族は元のままにしている。ルゾンは人族だし、彼が店を構えるヤマト大王領にエルフは住んでいないからだ。
これにクマソ王家の跡取り刃矢人、熊の獣人の王子が率いる一団もいる。使節団の中央はウキヤコと従者達の列、その右にハヤトを名代としたヤマト王国の武人に文官、そして左が引き合わせる役を担ったルゾンの商会という配置だ。
この多種多様な面々に、ダイオ島の者達も意表を突かれたのか各所で囁き声が生まれていた。
「……アコナがヤマトと手を組んだ?」
「おそらくは……」
「クマソの王子……本物でしょうか?」
「……嘘は言わぬでしょう」
派手な赤やオレンジの服を着た人々が、遠慮がちに言葉を交わす。
ダイオ島の衣装だが、シノブの目には台湾の民族衣装のように映った。機織りの技術は高度で生産力も高いらしく侍女や従者に至るまで目に鮮やかな服を着けているが、色といい細かな模様といい襷のように掛けた布といい、どこか既視感があったのだ。
高い地位の者ほど濃い色を使えるらしく、入り口の方は黄色っぽいが玉座に近いほど赤さを増す。もちろん島王や家族は真紅の衣装で、据えられた灯りの魔道具に照らされ少々目に痛いほどである。
しかし緋色の連なりに墨を落とすかのように、影が生じていた。それも玉座の至近、幼い王子トゥラスの脇である。
──あれがイールヴァですか~。陰気な男ですね~──
──僅かにエンナム王ヴィルマンに似ているような……人族だから似て見えるだけ?──
──分家は百二十年近く前……四代以上ですか。偶然では?──
いつもと変わらず暢気なミリィ、疑問と共に強い関心が滲むマリィ、冷静に応じるホリィと三者三様だ。しかし全員が黒衣の中年男性を注視していると、シノブは見ずとも察していた。
イールヴァはエンナム王国の監督官だけあり、自国の服を着ていた。前合わせの東洋風というのは同じだが周囲とは違って細かな模様はないし、カンの影響も強い大陸風の装束である。
暑さを紛らわすためか、イールヴァは羽扇を持っている。そのためシノブは諸葛亮、三国志で有名な孔明を連想した。
ただしシノブが思い描く大英傑と違い、イールヴァは陰鬱な気配を漂わせ人を惹きつける魅力に乏しい。
それにも関わらず使節団でイールヴァに注目している者は多い。それは彼が奪命符で島王パジャウを抑えている筈だからである。
魔獣使いの葛師迅や同じく操命術士のエルフ美操など、まるで今にも挑みかからんと言わんばかりの鋭さを宿している。もちろん彼らは気付かれぬように表情を消しているが、シノブには高まる闘気がありありと感じられる。
正道を歩む術士達からすれば命を盾にする奪命符は唾棄すべき所業、しかもシーシュンからすれば先祖の仇ともいうべき一派、メイツァオからしても祖師が根絶を命じた相手である。
アルバーノやソニア、ミケリーノなども普段と異なる気配を滲ませている。
かつてベーリンゲン帝国に戦闘奴隷とされたアルバーノ、彼を探し続けた姪のソニア、そして叔父や姉に続かんと技を磨くミケリーノ。三人の気迫が乗り移ったのか、マリエッタやエマ、フランチェーラを始めとする女騎士達も臨戦態勢だ。
アルバーノは従者、他は侍女として後列に控えている。そのためシノブからは表情まで窺えないが、彼らの意気込みが背に伝わってくるのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達が様子を窺う中、玉座と最前列の間では儀礼的な会話が終わろうとしていた。ダイオの島王パジャウとアコナ列島の女王ウキヤコは互いに挨拶を済ませ、これから対談に移ろうかという段階である。
「……確かにアコナの女王印。それに御持参いただいた文は先年私が先代女王に送った親書。この二つをお持ちである以上、貴女がアコナの統治者であるのは間違いないでしょう」
パジャウが語る中、家臣達がウキヤコやハヤトのための椅子を運んでくる。どうやら周囲も含め、使節団を本物と認めたらしい。
玉座の右側、王子トゥラスの座る場の更に脇が大きく空けられ巨大な籐製の椅子が二つ据えられる。玉座を含め同じような作りだから、差を付けたわけではなさそうだ。
もちろん招かれるのはウキヤコとハヤトだけではない。
監督官イールヴァは王子トゥラスの斜め後ろに移り、そちら側は槍持ちの近侍なども壇を降りて場を作る。そのため数人はウキヤコ達の後ろに並べるだろう。
「うむ! 妾こそアコナの女王……まだ修行中じゃがの!」
ウキヤコは七歳と幼く、少々型破りな返答にも周囲は顔を綻ばせるのみだ。
どうも家臣の大半はアコナの使節を歓迎しているらしい。中には宗主国エンナム王国との関係を気にした者もいるようだが、あどけない少女を目にしたからか表立っては動かない。
居並ぶ者達は、玉座の脇へと歩む一行を黙って見守るのみだ。
前に進むのは八名だ。まずウキヤコにハヤト、そして仲立ちをしたルゾン。そしてトヨハナにシャルロットにアミィ、シノブとシーシュン少年である。
シノブがルゾンの側近、シーシュンはハヤトの従者、他はウキヤコの側仕えとしての登壇だ。この辺りは事前に決めているから、言葉を交わすこともなく静々と歩を進めていく。
一方のパジャウ達も立ち上がって歓迎の意を示す。ダイオ島とアコナ列島の人口は同程度だから、対等の相手として迎えねばと思ったのだろう。
「パジャウ殿、まずは乾杯を……」
事前に用意していたのか、監督官イールヴァの声と共に従者らしき数名が現れる。
イールヴァと同じエンナム風の衣装の一団は朱塗りの盆を捧げ持ち、その上には酒杯らしきものが乗っている。杯は陶器製で上からしか覗けないが、どうも酒か何かが入っているようだ。
白く濁った液体を湛える数個と、少々違う色合いの二つ。おそらく後者が子供用、つまりウキヤコとトゥラスに用意されたものだろう。
「乾杯は不要。……皆の者、我らはエンナムの軛から脱する! 私が倒れたらトゥラスを支えてくれ!」
パジャウはイールヴァを押し退けると、下座へと振り向いた。そして彼は広間の隅々まで響き渡る大音声で、エンナム王国に反旗を翻すと宣言する。
「へ、陛下!」
「いや、今こそが好機!」
どうやらダイオ島の者達も、朧げながら奪命符に気付いていたようだ。一部は動揺するが、よくぞといった表情で半数ほどが応じる。
パジャウの父が突然の大喀血で没したように、ここ百年ほどの島王には怪しげな死を遂げる者が多い。そのため原因が何か分からなくても、エンナム側が仕掛けたと多くは疑っていたのだろう。
もちろんパジャウも、自身に何らかの術が施されたと察しているに違いない。息子を支えていけという言葉が、死を覚悟しての決起だと示している。
「……パジャウ殿、良いのですかな?」
「白々しい、それも単なる飲み物ではあるまいに! 皆様、受け取ってはなりませぬぞ!」
嘲るようなイールヴァに、パジャウは鋭い一瞥を向けた。更に島王は黒衣の監督官を見据えたまま、ウキヤコ達に注意を促す。
パジャウが決起した背景には、ウキヤコ達が支配下に置かれてはと憂えたのもあるようだ。
確かに飲み物に何かが入っている可能性は高い。そしてウキヤコ達が飲んでしまえば、会談もエンナム王国の思うままになりかねない。
パジャウは近侍が持っていた剣を抜き放ち、監督官イールヴァへと向けた。そして妃のミカヤが王子トゥラスの手を引いて後ろに庇う。
落ち着いた妃の動きからすると、パジャウが妻に諮っていたのは間違いないらしい。流石に息子には教えていないようでトゥラスは声を上げるのみだが、まだ三歳だから無理もない。
「ふふ……ならば望み通りにしてやろう! シンガオ山に登れ……むっ、どうしたのだ!? シンガオ山に登れ! シンガオ山に登れ!」
憎々しげな笑みと共に、イールヴァは羽扇を振る。しかし期待した効果が得られなかったようで、一変して彼は慌てふためき同じ言葉を繰り返す。
ちなみにダイオ島やエンナム王国に『シンガオ山』という山は存在しない。そのため多くは怪訝そうな顔をしている。
「パジャウ殿の奪命符は除去したよ。それに他もこの通り」
進み出たシノブの足元に、血塗られた種のようなものが幾つも落ちる。落下したのは傍系王族達から取り除いた符、今まで御殿の屋根の上に飛ばしておいたものだ。
シノブはパジャウとウキヤコが語る間に広間にいる者を調べ、奪命符を除去していた。しかもパジャウを始めとする島王家は、昨晩のうちに密かに侵入して対応済みである。
そのためイールヴァが合図の言葉を叫んでも、パジャウが倒れることはない。
ちなみに除去した人々はアミィ達が治癒魔術を施している。少し離れているから大変だったようだが、彼女達の治療は確かで対象者は痛みすら感じていないらしい。
「パジャウ殿だけとも限らないから、こうやって皆を集めたのじゃ!」
「観念するのだな」
歓声を挙げるウキヤコに、大剣を抜き放ったハヤトが続く。
昨夜シノブはアミィと共に潜入したが、宮殿にいるパジャウ達はともかく他の王族までは手が回らなかった。僅かな滞在では、誰が傍系王族で住まいがどこか確かめる時間がなかったのだ。
パジャウはエンナム王国の王都アナムに行ったとき奪命符を仕掛けられたようだ。それに妃のミカヤも同じらしい。
しかし同行した重臣達は多いし、その中にはパジャウの親族も含まれている。したがって符で縛られているのが直系のみとは限らない。
「飲み物にもありました!」
「……確かに符じゃ。魔力を通すと反応しおる」
シーシュン少年が摘んだ種状のものを、トヨハナが眉を顰めつつ鑑定する。
まだ取り付く前だから、こちらは先ほどシノブが転移させた符と違って根を出していない。しかし濁った血のような不気味な色合いで、二人は気持ち悪そうに見つめている。
◆ ◆ ◆ ◆
パジャウの決断は、シノブにとって予想した事態の一つであった。しかし奪命符を除去したときは起こさぬままだったから、示し合わせてではない。
そもそもパジャウが符に感付いているか分からなかったし、いきなり禁術に対処したと説明しても受け入れてもらえる保証はない。そこで全ての符を始末してから話そうとシノブは思っていた。
ただし想定範囲内だから、シノブ達は動きが速かった。既にアルバーノ達はイールヴァを囲むように展開し、アミィ達は奪命符についてダイオ島の人々に語っている。
そのためパジャウの家臣達も使節団を留めることなく、むしろ連携すらしていた。文官達は場所を空け、武人達は使節団と共に包囲網を形成していく。
謁見の間だけあり、武器を携帯できるのは一部の貴人のみ。そのため武人も衛兵を除いては儀礼用の短剣のみという軽装だ。
しかし相手は監督官のイールヴァと手下の数人で、加えてイールヴァは武人肌ではないらしい。彼は小剣を佩いているものの、抜こうとはしなかった。
「大人しく縛に就きなさい。そうすれば貴方の符も……」
「まだだ!」
シャルロットの声を掻き消すように、黒衣の禁術使いは絶叫した。そして直後、彼は両手を組み合わせて複雑な印を結んでいく。
「急々如律令! 出でよ、符術獣!」
イールヴァが呪文を唱えると、御殿が振動を始める。それも大地震のような、立っていられないほどの大揺れだ。
しかも屋根を構成する建材が崩れたのか、天井に張っていた板が落ちてくる。
「御殿が崩壊する!?」
「陛下、皆様、こちらへ!」
パジャウの家臣達は倒壊する前にと屋外に誘導する。
一方シノブ達も別の理由で脱出すべきと判断し、庭に降りる。この揺れは宮殿中に埋め込まれた符によるものと察したのだ。
休眠中の符は魔力を放たないから、感知は非常に難しい。そのためシノブ達も今まで気付かぬままだったが、こうなれば建物の大半が符で操られていると明らかであった。
流石に宮殿が丸ごと巨大木人に変じたりはしないが、柱などの単位で生き物めいた形を取っている。更に庭に置かれた材木も動き始めた。
「まさか宮殿の建材を符人形にするとは……」
「これなら遠慮なく技を振るえます!」
呆れ気味のシノブに、シャルロットが意気込みも顕わに応じる。
既にシャルロットは神槍を手にしていた。アミィが魔法のカバンから取り出し、マリエッタ達も含めて配り終えたのだ。
「マリエッタ、エマ、続きなさい! アルバーノはフランチェーラ達と!」
「お任せあれ!」
シャルロットが矢のように跳び込むと、同じく長槍を手にしたアルバーノが後を追う。もちろん弟子達も同様で、槍の一隊は敵陣を真っ二つに割っていく。
相手は人間型ではなく、虎に猪、蛇などを模している。これらはダイオ島に住んでいるから、おそらくは島内の生物を式神に変えたのだろう。
それなら倒して歪められた魂を新たな生に送るのみ。そう思ったのだろう、シャルロット達は遠慮なく得物を繰り出していく。
「おおっ! がああっ!」
クマソ王子ハヤトは、水車のように大剣を振り回しての突進だ。熊の獣人だけあって膂力は別格、彼の通った両脇には大木の山が積まれていく。
「ヤマト王国にも凄い武人がいるのね……」
「ええ、オットー将軍に匹敵するかも」
「無駄口を叩かない!」
感心したらしきシエラニアとロセレッタを、最年長のフランチェーラが叱責した。もっとも女騎士三人の槍先は確かで、言葉を交わす合間にも十体近い式神が崩れ落ちていく。
「ふふふ……見える、見えるのじゃ! そこ! こっちはここじゃ!」
「私にも隠された符が見える。それにフランチェーラさん達も大丈夫みたい」
動のマリエッタに静のエマというべきか。楽しげに槍を振り回す前者に、淡々と繰り出す後者と正反対な印象を受ける。
しかし根底に宿るのはシャルロットの教え、中央を進む師匠には及ばぬが姿や技には薫陶の成果が現れている。そのため剛柔自在に使いこなすシャルロットを中心に、まるで一幅の絵画のような釣り合いが生まれていた。
「援護します!」
「必要ないと思うけど……」
水弾を撃ち出すミケリーノの脇で、ソニアは微笑んでいた。もっとも彼女も遊んでいるのではなく、アミィ達と共にウキヤコや島王一家を守っている。
「馬鹿な! ……いや、まだだ!」
イールヴァは焦りを滲ませつつ、続いて黒衣の袖から操りの鈴を取り出した。どうやら彼は、魔獣使いとしても自信があるらしい。
おそらく魔獣は自身の館か何か、鈴の音が届く範囲に飼っているのだろう。
「させるか!」
「ええ。貴方に生き物を扱う資格はない」
同じく鈴を天に向けたのは、シーシュンとメイツァオだ。そして二人はイールヴァに対抗するように鈴を振り始めた。
もちろん二人が大量の式神を押し分けて進んだのではない。虎の獣人の少年とエルフの少女を守るのはシノブである。
光の大剣を抜いたシノブは、ゆっくりと歩いているだけのようにも映る。しかし実際には神速の剣で周囲の式神を屠りつつ、シーシュン達の道を切り開いているのだ。
「そろそろ諦めたらどうだ?」
降伏勧告のような言葉を口にしつつも、シノブはイールヴァに全てを出させるつもりであった。
宮殿に仕掛けた符のように、まだ奥の手があるかもしれない。符術士が死ぬと符は自壊するか暴走するかだが、後者は直後とも限らない。魔獣も同様で、術者の支配が解けてから暴れ出す例は多いという。
そこでシノブは後の手間を省くべく、イールヴァに手札を出し尽くすように仕向けたのだ。
「あの無魔大蛇の群れを見ても……な、何!? 何故だ、どうして私に従わんのだ!?」
自慢げな声音と共に後ろを振り向いたイールヴァだが、どうやら彼が目にしたのは予想していた光景ではなかったようだ。禁術使いの驕慢は驚愕へと変じ、更に怯懦の叫喚へと転ずる。
確かに巨大な蛇は出現した。しかし蛇達は現れた場所に留まり体を揺らすのみだ。
これはシーシュンとメイツァオが、イールヴァに勝ったからである。
「あの子達は無駄な戦いを嫌っている……それに貴方も大嫌いって」
「俺にも分かるぞ。森に帰りたい……こんな場所に閉じ込められたくない……そう言っている!」
「ば、馬鹿な! こんな、こんな馬鹿なことが~!!」
メイツァオとシーシュンの宣告は、黒衣の禁術使いイールヴァの胸に深く突き刺さったようだ。
もっともイールヴァは己を恥じたのではないらしい。崩れ落ちる邪術士は、どうして子供達に負けたのだという恨み節が聞こえそうな、とても醜い顔をしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「これなら海戦用『素航狗』を運んでこなくても良かったかの?」
「でも後始末には役立ったのじゃ!」
トヨハナとウキヤコは十体近い巨人達を眺めつつ語らっている。
二人が語る通り、既に戦いは終わっていた。今は巨大木人に憑依したエルフ達が、崩壊した宮殿を片付けている最中だ。
イールヴァは眠らせた上で奪命符を取り除き、アマノシュタットへと移送した。今ごろはアミィとアルバーノが尋問を始めているだろう。
ホリィ達三人は魔術師達と共にイールヴァの屋敷を中心に調べている。まだ符があるかもしれないと、念には念を入れることにしたのだ。
魔獣ならシノブも魔力感知で判断できるが、休眠状態の符は単なる紙切れと殆ど変わらない。魔力のみだと至近で念入りに確かめないと区別できないから、専門家が一番と三人やメイツァオ達に任せた。
「……最初はともかく、何度も続けば私達も察します。監督官も何かあると仄めかすようになりましたし」
「なるほど。奪命符を知らなくても、不審な死が続けば……」
パジャウに相槌を打ったのはクマソ王子のハヤトだ。
本来ならウキヤコも加わるべきだろうが、女王とはいえ僅か七歳である。そこでハヤトがシノブと共に聞き取り役に回ったわけだ。
「エンナムに渡ったときに仕掛けられたのは?」
「いえ……向こうに行かなくても不審死をする者はいましたので。ただ王家直系や夫人は、全て渡航後でした……」
シノブの問いに、パジャウは首を振った。どうやら詳しいことはイールヴァの尋問で確かめるしかないようだ。
とはいえシノブは、大よその推測を終えていた。
おそらく代々のエンナム王は、分家の監督官に多少の奪命符を持たせていた。そして島王の直系以外なら、必要に応じて使っても良いとしたのだろう。
直系への施術を自らの担当としたのは、分家の増長を防ぐため。それにエンナムに渡ったことのない傍系王族の命を握れば、真実を覆い隠す役にも立つ。
実際パジャウ達は監督官の仕業と思っていたし、もっと大勢に符が埋め込まれたと誤解していた。
「今回のことは、ウキヤコ殿やハヤト殿を守るためですか?」
「はい。イールヴァは絶好の機会を逃さないでしょうし、手段が分からないので早く動くべきかと……」
やはりシノブの想像は当たっていた。パジャウは他にも魔の手が及ぶのを恐れ、自身の命を懸けても防ごうとしたのだ。
反乱が成功するという確信はなかったし、むしろ失敗すると思っていたとパジャウは続ける。
しかし新たな犠牲者が増えるのを、パジャウ達は座視できなかった。それも自分達の眼前、住まいである宮殿だけに絶対に阻止せねばと彼らは立ち上がった。
事前に妃のミカヤに諮ったときも、生きて汚名を背負うよりはと背を押されたという。
「良い奥方殿ですね。それにお子も健やかに育っているようです」
「お褒めの言葉、嬉しゅうございます」
シノブの言葉が本心からと分かったのだろう、パジャウは微笑みを返す。そしてハヤトを合わせた三人は、揃って顔を動かした。
そこには槍を構えるシャルロットと、彼女の真似をする幼き王子トゥラスがいた。
もちろんトゥラスが握るのは単なる棒で、総鉄造りの豪槍ではない。しかし母のミカヤが構えを直したからか、三歳にしては立派な武者ぶりである。
どうもトゥラスは、シャルロット達の槍術に魅せられたようだ。ハヤトの大剣術も素晴らしかったが今の自分には無理と思ったらしく、彼は槍の一団へと近づいていったのだ。
ちなみにシノブだが、剣を振るうのが速すぎて幼児の目には留まらなかったようだ。そのためだろう、王子が神授の剣技に触れることはなかった。
「こうですか?」
「ええ。そのまま思いきり突けば大丈夫ですよ」
豹の獣人だけあってトゥラスには武術の素質があるのかもしれない。シャルロットの目にも適ったのか、彼女は笑顔で頷き返す。
「えい! やあ!」
「その調子です。まずは無理せずに……そうですね、百本くらいでしょうか?」
トゥラスが突きの練習を始めると、シャルロットは満足そうに頷いた。しかし三歳の幼児にどれだけ練習させて良いか迷ったらしく、彼女は脇に控えていたミケリーノに顔を向ける。
「少し多いと思いますが……私の場合、遊びで振る程度だったかと」
「そうですね。十回か二十回、それも飽きたらすぐに終わりにしました」
ミケリーノが口を濁すと、ソニアが幼児期の彼について語り始めた。するとシエラニアを始め、三人の女騎士達が耳を澄ませる。
「やはりミケリーノ殿は魔術師寄り……」
「シエラニアが睨んだ通りね」
「アルバーノ様はどのくらいだったのか……」
キラリと目を光らせたシエラニアにフランチェーラが応じ、ロセレッタが更に続く。しかし興味は武術と少々異なる方向らしく、三人とも声を抑えている。
それはともかく王家など特別な家系を除けば、幼いうちからの訓練にも限度はあるらしい。三人も当然といった様子だから、シャルロットの方が特殊なのだろう。
ただしマリエッタやエマは物足りなそうな顔をしており、こちらは特別な教育で間違いないようだ。
「昔を思い出します」
「ハヤト殿なら、百や二百も当然だったのでは?」
顔を綻ばせたクマソ王子に、パジャウは興味深げな視線を向ける。
ハヤトは十八歳、パジャウも二十代前半だから歳も近い。それにハヤトは大柄だから、パジャウは自分と同じくらいと思ったのかもしれない。
「ええ。父の指導は倒れるまで振れというものでした」
「流石ですね」
ハヤトの言葉に、そうもあらんとパジャウが頷く。どうやら二人は友人としての相性も良さそうだ。
ちなみにシノブも二十歳だが、どうもパジャウには遠慮があるようだ。パジャウからすれば命の恩人にして数々の奇跡を示した相手だから、歳以前に畏れ多くてという感じらしい。
そこでシノブはシャルロットを見つめ続けるが、鋭い彼女だけに視線に気付いたのだろう。彼女はトゥラスの指導を弟子達に任せ、シノブへと歩み寄ってくる。
「邪魔しちゃったかな?」
「いえ。リヒトの将来と重なったのでしょう、ついつい熱を入れてしまいました」
問うたシノブだが、予想通りの答えに頬を緩ませる。シャルロットと同様に、シノブもトゥラスに我が子を見ていたのだ。
きっとリヒトも、何年かすれば剣や槍に興味を示すだろう。
そのとき我が子に周りを守る力として伝えよう。争うためではなく争いを避けるための技として、愛する者達を守る手段として。
シノブも綺麗事では済まないと理解しているし、アミィ達からは事あるごとに弱肉強食の世界と教わった。しかし己を貫く強さがあれば、理想を現実に変えられるとも思うのだ。
「リヒトも強くなるさ。そしてトゥラス君と競う日が来るよ」
「ええ……だから本当に嬉しく思います。子供達の未来を守れたことを」
シノブの囁きに、シャルロットは同じくらい小さな声で応じた。しかし彼女の言葉はシノブの胸の奥深くまで染み込んでいく。
幼子は両親を失うことなく、親達は枷から解き放たれた。そして島の人々や動物達は自身の意思で歩む。
シノブは笑顔で棒を操る幼子に、ダイオ島の明るい未来を感じていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年4月21日(土)17時の更新となります。