25.28 エンナムの術士と奪命符
創世暦1002年2月23日のシノブは、普段に増して忙しかった。
まず日が変わって間もない零時過ぎ、シノブはアミィと共にスワンナム地方に向かい『操命の里』を訪れた。ここでアミィはオーマの木の予防薬入手や奪命符の情報収集をし、シノブは神操大仙の生まれ変わりである眷属メイリィから数々の逸話を聞いた。
もっとも二人が『操命の里』に滞在したのは一時間少々で、その後はアマノシュタットに戻って休んだ。
しかし起床直後、再びスワンナム地方から連絡が入る。
今度はエンナム王国を調査中のマリィからで、海猪の式神を使う術士を捕らえたというものだ。そこでアミィは術士を含む一団を受け取ってアマノシュタットに戻り、シノブは生き残った海猪の子を預けるべく『操命の里』を再訪した。
シェンツァオ大仙の一派が暮らす場には『海獣の里』という集落もあり、そこには海生魔獣も多数いる。それを聞いていたシノブは、海猪の子が暮らす新たな地として選んだのだ。
その後シノブは午前中を朝議や政務、アミィは情報局で捕らえた者達を調査と、二手に分かれる。
シノブは国王で、よほどのことがなければ事前に定められたスケジュールを守らねばならない。エンナム王国に潜む禁術使い達も気に掛かるが、アマノ王国の人々からすれば遥か遠方の出来事で多くは存在すら知らないのだ。
それにシノブは魔道具や尋問の専門家ではない。捕らえた者のうち式神を操った老術士や弟子らしき青年は眠らせ、奪命符が仕掛けられていないかアミィや魔術師達が調べている。残る者達も情報局の代表格が取り調べており、国王の責務を放り出す必要はない。
そこでシノブが情報局に赴いたのは昼食を終えた後、午後も外せぬ務めは済ませて残りはシャルロットに任せてだった。
「シノブ様……ご足労、申し訳ありません」
出迎えはアルバーノ、情報局長その人であった。
情報局のある軍本部は『白陽宮』から中央広場を挟んで斜向かいという近さで、移動に苦労はない。おそらくアルバーノの言葉は、国王自身が尋問の場に赴くことに対してだろう。
「そちらこそ時差が大変だろう? 特に彼は……」
シノブはアルバーノに応え、続いて隣に立つ葛家の跡取り師迅へと顔を向けた。シーシュン少年は見習い用の軍服を着け、アルバーノの従者に扮していたのだ。
アルバーノは猫の獣人、シーシュンは虎の獣人だ。そして二十代後半としか思えぬ若々しさの前者と十二歳にしては大柄な後者は、どことなく歳の離れた兄弟のようで並ぶ姿も自然である。
それにシーシュンは変装の魔道具でエウレア地方風に容貌を変えており、知らぬ者が目にしたらアルバーノの遠縁だと思うだろう。
「シーシュン君、眠くないかな?」
わざわざシノブが触れるのは、アマノシュタットとシーシュンが住むジェンイーには六時間近い時差があるからだ。
ここは夕方にもなっていないが、ナンカンの都ジェンイーは既に二十時を超えている。灯りの魔道具はあるが多くは太陽に合わせて生活しているから、普段ならシーシュンも就寝するころだろう。
「大丈夫です! あっ、その……失礼しました……」
最初シーシュンは勢い良く応じかけたが、途中から声が小さくなる。
今のシノブは国王の衣装で、後ろに控えるエンリオなど親衛隊も美々しく飾った制服である。しかもアマノ王国はエウレア地方でも一二を争う大国だから、どちらも金糸銀糸をふんだんに用いた光り輝く姿なのだ。
そのためシーシュンはシノブが王だと再認識し、自身の発言が無礼ではと振り返ったようだ。
「そんなことはないさ。シーシュン君は父上を助けて働く身、大人ではないが単なる子供でもない……夜更かしを心配する歳じゃなかったね」
シノブは情報局の建物に足を踏み入れつつ、シーシュンとの会話を続ける。術士達を監禁しているのは地下で、まだ暫くあるからだ。
「あ、ありが……」
「そうでもありませんよ。別宅で待てば良いと言ったのに、付いてくると駄々を捏ねましたからな」
礼を言いかけたらしきシーシュンを、澄まし顔のアルバーノが遮る。そしてアルバーノは、赤面した少年を他所に経緯を語り始めた。
朝方アマノシュタットに戻って早々、アルバーノは自身の王都別邸でシーシュンや部下のミリテオと食事をした。
そのときアルバーノには既に知らせが入っており、術士を捕らえたことも知っていた。しかし彼は、いきなり自分が出ることもないとシーシュンの世話を優先した。
術士達は奪命符の有無を確認するまで眠らせておくしかないし、他の尋問なら手塩にかけて育てた部下達で充分だ。アルバーノは、そう判断したという。
そして食事を済ませたアルバーノは、最初ミリテオと二人で情報局に向かおうとした。シーシュンにはグオ家が代々伝えた魔獣使いの知識があるが、必要に応じて呼べば良いと考えたそうだ。
しかしシーシュンは、先祖の仇たる大戮の手掛かりを一刻も早く掴みたいと頼み込んだ。術士達はダールーの弟子筋だろうから、同行して自身も確かめると言い張ったのだ。
「シーシュン君からすれば当然だろう」
「そうですな。……アルバーノ、からかうのはそのくらいにしておけ。随分と気に入ったらしいが……」
シノブに賛意を示したのは親衛隊長のエンリオだ。
エンリオは父として息子の行きすぎを窘めようと思ったらしい。もっとも老武人は笑みを浮かべており、こちらもシーシュンを良き若者と感じたのは確からしい。
シーシュンのグオ家はナンカンでも名家の一つで、代々将軍を輩出している。そのため養子に迎えはしないだろうが、もし普通の出自なら二人は手ずから少年を鍛えたかったのかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
エンナム王国の海岸で捕らえた術士達は、配下の船乗りなども含めると三十名を超えていた。しかし情報局の地下牢は数倍でも収容できるし取り調べを得意とする局員も数多いから、尋問は滞ることなく進められていた。
シノブは秘密警察じみた組織や施設に思うところもあるが、現時点では仕方ないと受け入れていた。
地球と比べたらエウレア地方の文明度は近世以前か、ようやく届いたといった辺りだ。それに科学捜査を可能とする技術も未発達だから、自白中心となるのも無理からぬことである。
そもそもベーリンゲン帝国を打倒した直後は、多くの密偵や特殊部隊が潜伏していた。異神バアルに洗脳された彼らを捕らえて正道に戻すには、強権的な措置も必要だったのだ。
それはともかく旧帝国の暗部との戦いは、アマノ王国に優れた諜報網や洗練された尋問技術を齎した。
まず情報局員は、捕らえた者達を少数の重要人物と残り大勢に分けた。そして前者である術士達やエンナム王の使者をアミィ達に預け、後者の船乗り達を自身の担当とした。
更に情報局員は船乗り達を半々にすると、片方のみを催眠から解き放って尋問を始めたのだ。
「こうしておけば、仮に奪命符を仕掛けていても全滅は防げますからな」
「うむ。符を恐れていては先に進めん。それに素直に白状した方が幸せというもの」
淡々と語るアルバーノに、同じく当然といった様子でエンリオが応じる。
尋問といっても最初から手荒な真似はしない。まずは遠い異国に連れ去ったと脅し、調べに協力すれば解放しても良いと仄めかす。
どうせ国に帰ってもエンナム王に捕まるだけ。ならば家族も呼び寄せてやるし、海で働きたかったら職もある。脅されていたなら考慮もしよう。
情報局員達は拷問などに訴えず、まずは言葉を駆使しての懐柔を選んだのだ。
その結果、船乗り達は先を争って語りだした。相手の柔らかな言葉もあるが、彼らは国に戻れぬと理解したのだ。
実力行使こそないが、どことも知れぬ地下牢で相手は剣を帯びている。しかも通路を挟んだ向こうには拷問具と思しき品々が、これ見よがしに並んでいるのだ。
遥か遠方であるのは確からしく、相手はエンナム王国や近隣で目にしない金髪や赤毛だ。それに服も見たことのない意匠である。
エウレア地方の軍服は地球の近代西洋風に酷似しているが、エンナム王国は東洋風の前合わせだ。ここが別の文化圏だと、船乗り達も悟るしかない。
「監視付きの強制労働もどきだけどね……」
「年季明けで給金が貰えるなら、充分だと思います」
ほろ苦い笑みを浮かべたシノブに、シーシュンが真顔で異を唱えた。
命の在り方を歪めて縛るなど、シノブが訪れた各地でも共犯ですら長期の強制労働とされていた。仮に強制されての幇助でも一年は拘束され、釈放の際に渡されるのも僅かな支度金程度らしい。
それらに比べたら満額を受け取れるのは、確かに随分と恵まれている。
「ともかく術士の名が判って助かった。老術士がカイオール、青年術士がシャイールだったね」
「はい。それとエンナム王の使者……ニネーヴァという男を眠らせたままにしています。魔術師ではないとのことですが、王の側近かもしれませんし」
シノブが要注意人物の名を確認すると、アルバーノは王都アナムからの使者を加えた。
老術士のカイオールは都市ホミンの太守も知っているくらいだから、それなりに通った名だろう。青年の名は船乗り達から聞き出したものだが、彼らの多くは青年が老術士と共に式神を操るところを目にしたという。つまり名前はともかく、こちらも狂屍術士で間違いない。
残る使者だが、こちらは携帯していた身分証にも記されているから本名に違いない。
残念ながらニネーヴァは単なる武人らしく、アミィ達も常人と断じた。しかし術士と接触するくらいだから、奪命符を仕込まれた可能性はある。
それらを聞き終えたとき、シノブ達は地下でも特に厳重な区画に着いた。鉄扉の前には四名も立ち番をしており、しかも全員が槍まで携えている。
「ご苦労」
「はっ!」
シノブが労うと、警備担当の局員達が一斉に敬礼する。そして一人が鍵束を取り出し、鉄扉を大きく開いた。
そして二度ほど同じように鉄の扉を潜り抜け、ついにシノブ達はアミィのいる部屋に入る。
室内にはアミィの他に眷属が二人もいた。一緒に奪命符を調べたタミィと、エンナム王国から戻ってきたマリィである。
ホリィもスワンナム地方担当となったから、マリィは自身の集めた情報を役立てようと馳せ参じたのだ。
「シノブ様、術士達は奪命符を仕掛けられています……おそらくは、ですが」
「使者は大丈夫のようです」
アミィとタミィは、今まで得た知識を駆使して符の有り無しを探っていた。ただし二人も確信には至っていないようで、声には幾らかの迷いがある。
続いてアミィ達はシノブに奥を示す。そこには術士の二人と使者が寝かされている。
エンナム王国から来た三人は催眠の術で昏睡しているから、交わされた言葉にも反応しない。その代わりではないが、囲む人々が表情を動かす。
三つのベッドの周りにはメリエンヌ学園の研究所から持ち込んだ機器があり、それらを担当する研究者達がいた。奪命符に使う毒や大まかな原理は分かっているから、魔力波動の調査や医学的な診断など起こさずに出来る範囲で調べていたのだ。
符や魔法植物に詳しいエルフが半数ほど、残りは機器の開発者らしき人族や獣人族だ。第一級の重大事と捉えたのだろう、所長のミュレ子爵マルタンや魔道具開発の第一人者ハレール男爵ピッカールもいる。
「二人が……それに研究者の皆さんが調べた結果ですから大丈夫ですわ。それにシノブ様も念のために診てくださいますし」
マリィが顔を向けると、アミィ達は笑みを浮かべる。自身の開発した道具でと思っていたらしきマルタンやピッカールも、憂い顔から普段の表情へと戻っていた。
「ああ、今から確かめるよ……皆の成果を使ってね」
シノブは寝かされた者達に寄っていく。
研究者達や彼らが作った機器は、シノブの感知能力に大きく劣る。しかし感知精度が高くても、対象を知らなければ無意味だ。
今まで集めた情報、それらを使って割り出した事柄。アミィ達はもちろん、研究所が積み重ねた叡智と組織力があるから、今このように挑める。
シノブの言葉は集った者達の胸に響いたのだろう、何れも誇らしさを顕わにしていた。
◆ ◆ ◆ ◆
魔力感知は周囲の波動を受けて探るのみで、術者から魔力が漏れることはない。そのため魔術に詳しくない者がシノブを見ても、何をしているか分からないだろう。
ただし目端の効く者、たとえばアルバーノやエンリオなどは違和感の元を察していた。
「シノブ様の気配が消えた……」
「うむ。いらっしゃることすら忘れそうな……」
感動を顕わにした息子に、父は静かに応じる。
今この部屋に入った者は、シノブに気付くだろうか。まるで周囲の機器や人々に溶け込み、背景と化したような彼を即座に見抜けるか。
もちろんシノブは煌びやかな王衣を着けたままだが、それすらも輝きを失ったようである。正確には人として認識できなくなっただけだが、なればこそ達人達も畏れを感じたのだろう。
この状態で歩めたなら、透明化の魔道具すら不要。それほどの域でシノブは自身の存在を消した。奪命符の波動を感じ取ろうと、力の放出を限りなく無に近づけたのだ。
この世界の万物は、生物だろうが無機物だろうが例外なく魔力を内包している。そして極小の波動を感じるには、己自身すら邪魔になる。
しかし力を極限まで抑えた甲斐あって、シノブは二つの異物を感知した。寝かされた三人のうち二人の胸部から、米粒よりも小さな塊とそこから伸びる無数の根のようなものを感じ取ったのだ。
粒や根は毒として用いられた『トラカブト』と似た波動を発していた。もちろん極めて少量だがシェンツァオ大仙の一派が分けてくれた品と酷似した力に、シノブは異物が奪命符だと確信する。
今回も符は心臓に寄生しているようで、波動は脈拍と共に定期的に揺れている。しかし魔道具の根は髪よりも細いのに伸縮に強いらしく、切れることはないようだ。
奪命符に生き物としての要素はない筈だが、定期的に蠢く魔力にシノブは強い嫌悪感を抱く。小さくとも式神だけあり命を愚弄する存在だと、思わずにはいられなかったのだ。
もっとも不快感を表す前にすべきことがある。そこでシノブは感知を終わりにし、結果を待つ人々へと向き直る。
「術士達は奪命符を仕掛けられているが、使者にはない。彼は起こして大丈夫だよ」
「では別室に移して尋問しましょう。単なる武人のようですし、局員でも充分に対処できます」
「アルバーノさん、解除は私が」
シノブが顔を向けると、すかさずアルバーノが意見を述べる。更にタミィが、催眠の解除役に名乗りを上げた。
この三人はアミィ達が眠らせているから、解除も並大抵の魔術師では不可能だ。したがって眷属の誰かが行く必要がある。
「それでは頼む」
「はっ。ミリテオ、こいつを運べ」
シノブが頷き返すと、アルバーノは部屋の隅に控えていた部下へと指示をする。どうもアルバーノは、本命たる術士達の行く末を確かめることにしたらしい。
眠り続ける使者をミリテオが担いで歩き出し、それをタミィが追っていく。一方シノブは奪命符の除去に移るべく、最後の確認を進めていた。
「アミィ、マリィ。この状態なら短距離転移で取り出せる……ただ、多少は周囲の組織を巻き込むだろう」
「はい。私達が治癒魔術を掛けますから、転移に専念してください」
「何も案ずることはありませんわ」
シノブを後押ししようと思ったのだろう、二人の声音は普段以上に深い思慮と落ち着きに満ちていた。
この日に備え、シノブは粘土の塊から綿を取り出す訓練を重ねた。そして五日間も暇さえあれば練習しただけあり、多少の付着物を無視したら綿を一本残らず取り出せる域に達している。
とはいえ汚れがある以上、心臓の組織も幾分か転移させてしまうだろう。いきなり心臓が止まらないにしても、出血次第では死に至るかもしれない。
しかし眷属達の治癒魔術があれば、心配無用である。シノブは二人に笑顔で頷き返し、残った術士達に正対した。
「いくぞ……短距離転移!」
シノブが術の行使に用いた時間は短かった。
奪命符が周囲の魔力波動に反応し、毒を放出する可能性はある。そのためシノブは空間把握を可能な限り短時間で終え、転移へと移ったのだ。
室内に響いた声の直後、血に塗れた何かが二つ宙に現れる。まるで小さな種から無数の根だけが生えたような異様な物体は、もちろん奪命符だ。
シノブは符を魔力で包んでいなかったから、直後に二つの赤い粒は血の糸を引きながら落下する。しかし出現場所の下は小卓で、受け皿も置いているから問題ない。
「成功ですね!」
「これなら軽い治癒で済みますわ!」
アミィとマリィは昏睡状態の術士達に寄り、胸に手を翳していた。
二人は治癒魔術を使ったが、それも僅かな間だけだ。特訓を重ねた甲斐あって、短距離転移で持っていかれた組織は微量で済んだらしい。
おそらく棘を抜いて血が滲んだ程度だと、シノブも安堵する。
「す、凄い! あんな精密な魔力操作、初めて見た! それに凄く綺麗な魔力!」
思わずだろう、シーシュンは歓声を上げていた。
シーシュンは魔獣使い、それも今は封じたとはいえ先祖はシェンツァオ大仙にも目を掛けられた操命術士だ。そのため魔術師として磨いた感知能力で、シノブの技が稀有のものと理解したのだ。
「我らの主君シノブ様が『光の盟主』と慕われるのは、誇張でもなんでもないのさ。邪術を滅し、人々を解き放つ……この私が経験したようにね」
「私も光を目にしましたよ。最初は光の魔術として、そして次は光り輝く伝説として……」
「そうでしたな。かつての苦労が嘘のようです」
自慢げなアルバーノに続いたのは、マルタンとピッカールだった。
マルタンはベルレアン伯爵領でレーザーの術を知り、自身も習得しようとシノブの家臣になった。初めは研究者としての好奇心だったが、彼は帝国打倒の中で自身の人生を捧げる場を見出したようだ。
そしてピッカールは身寄りのない子供達を抱え難儀していたが、シノブやマルタン達との出会いで苦難は解消された。今の彼は養子に迎えた子供達と、楽しくも充実した日々を送っている。
一方シノブだが、嬉しく感じつつも僅かに照れくささを覚えていた。確かに事実なのだろうが、こうも真正面から賞賛されると気恥ずかしく思ってしまうのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブを含む一部は、術士達を連れて隣室へと場を移した。これは研究者達が奪命符の調査を始めたからである。
持ち込んだ大量の機材を移すより、自分達が動いた方が合理的である。シノブの言葉に反対する者はおらず、アミィとマリィ、術士達を担いだアルバーノとエンリオ、そしてシーシュン少年が後に続く。
アルバーノによると、隣室は尋問をする者達の休憩部屋だそうだ。そのため応接用として恥ずかしくないソファーが二脚、簡素なテーブルを挟んで置かれている。
そこで老術士カイオールと青年術士シャイールを片方に座らせ、向かいにシノブとシーシュン少年が腰掛ける。残るアミィとマリィはシノブ達の後ろ、アルバーノ達は術士達が暴れたら抑えるべく彼らの背後だ。
「……術を解きました」
「ありがとう。さて、どうなるか……」
アミィに応じつつ、シノブは何から問うべきか思いを巡らせる。
まずは術士達の所属、特にエンナム王ヴィルマンとの関係だろう。そしてダールーとの繋がりも重要だ。
先祖をダールーに殺されたから、シーシュンは弟子も仇の一派と捉えている。シノブも彼の気持ちは理解できるし、敵討ちさせるか別にしても真実を明らかにしたい。
ダールーがイーディア地方に現れたヴィルーダなら、既に倒してはいる。しかし彼のように悪辣な術士が、同じ思想の一団を残したら。それはエンナム王国のみならず、スワンナム地方に大きな影を落とした筈だ。
もっともシノブが考えに耽ったのは僅かな間であった。何故ならエンナム王国の術士達は、数呼吸のうちに目を開いたからだ。
「ここは……」
「……我らをどうするつもりだ!?」
先に目を覚ましたのは青年のシャイール、少々遅れてカイオールが老いた声を響かせる。
この二人を眠らせたのは光翔虎のフォーグで、しかもエンナム王国の海上だ。そのため彼らは目の前にいる者を一人として知らない。
しかし術士達は、とんでもない場に来てしまったと思い知ることになる。
「控えろ。お前達は素直に答えれば良いのだ」
「貴様ら如きが知ろうなど、片腹痛い」
やはり親子と言うべきか、アルバーノとエンリオの声音は感情を消し去っても血の繋がりを感じさせた。それに抜きはなった小剣を一瞬にして相手の頬に当てる技前も、同じ流れを修めたと如実に物語っている。
「ひっ……」
「カイオールにシャイールだったな……お前達とヴィルマンの関係は? ……ああ、奪命符は取り除いたよ。だから安心して話すが良い……それに黙秘し続けるなら、この二人の剣に倒れるだけだ」
老人の悲鳴に、もう一押しとシノブは踏んだ。そこで敢えて恐ろしげな声を作り、面も感情を消したままに保つ。
傲然とした姿に映るようソファーに深くもたれかかり、相手を見下した雰囲気を醸し出すべく足も組んでいる。それにアミィとマリィも含め、威圧的な魔力を放つ。
隣のシーシュン少年には魔力が及ばぬようにしているが、逆に精密な操作に衝撃を受けたのか彼は固まったように動かない。
「お、お前……」
「せめて貴方様と呼べ」
口を開きかけたカイオールを、アルバーノが再び脅す。
まだ名前を教えるつもりはないし、かといって陛下などと身分を示す尊称も避けたい。その結果、貴方様という呼び方になったのだろう。
「分かりました……」
「私達は陛下と同門なのです。ただし我らは傍系ですが……」
観念したのだろう、カイオールとシャイールは淡々とした口調で語り始めた。
やはりカイオール達はダールーの弟子筋だった。ただし弟子にも直系と傍系があり、この二人は後者だという。
ならば直系はというと、二人はエンナム国王ヴィルマンの名を口にした。そして直系と傍系は、単に総領弟子と他一同の差ではないと続ける。
「直系は狂屍術士としての技を深く修めています。それに対し我らは操命術……つまり魔獣使いに寄っていまして……」
「嘘だ! 魔獣使いは式神なんかにしない! 皆、俺達の家族で友達なんだ!」
老術士の声を、シーシュンが憤慨も顕わに掻き消した。
魔獣使いとして日々修行を重ね、父祖の技を誇りに思う少年にとって、これは聞き逃せぬ言葉であろう。シノブも適当なことを言うなと視線に力を篭める。
「我らが海猪を式神に出来るのは、魔獣使いの素質があってのこと。もしかすると先祖から、海に親しむ何かを受け継いだのかもしれません」
首を竦めた老人に代わったのは、青年術士シャイールだ。
二人は血縁関係にあり、カイオールがシャイールの大伯父だという。そういえば同じ人族というだけではなく、容貌にも類似が認められる。
これは偶然ではなく、基本的に術は血族間で受け継いだそうだ。一例を挙げるとエンナム王国の王都アナムで式神工場を造った人物、シノブ達が倒したハールヴァはカイオールの孫だという。
「術士としての名は?」
シノブは期待を抱きつつ、問いを重ねていく。
実は情報局に来る直前、ナンカンの都市シーガンに潜入したソニアから連絡があった。遥か昔のシーガンでダールーらしき人物が『大』と名乗り、弟子とした漁師の息子に『海』の名を授けたというものだ。
『大戮』の弟子なら、おそらく『海戮』であろう。そして由緒ある名だけに『戮』の字は後々まで受け継がれた筈と、シノブは考えていた。
「私が凱戮、こちらが殺戮です」
「私の又従兄弟……ハールヴァは海戮の名を継ぎました。初代と同じで、海の魔獣を操る術が飛び抜けていましたので」
術士達の明かした名に、シノブは表情を変えそうになった。
シノブは国王ヴィルマンこそハイルーではないかと考えていた。エンナム王国の歴史を紐解くと、どうやら漁師の少年こそが初代エンナム王ハイヴァンらしいからだ。
ハイヴァンは、どこからともなく現れたという。それに過去も語らなかったようで、王国史も遥か昔の豪族の末裔などと怪しげな出自を掲げるのみだ。
エンナム王国の建国は創世暦780年頃、ダールーがカンを離れたのが創世暦700年代後半、おそらくは760年頃らしい。つまり初代ハイルーは十数年の修行で一人前となり、ハイヴァンとして世に出たのでは。これは現地で調査したマリィも同意してくれた仮説である。
「答えなさい。王家が継いだ名は?」
「威戮といいます」
高圧的なマリィの様子にも、老術士カイオールは僅かに表情を動かしたのみでであった。やはり彼は、もはやこれまでと観念したらしい。
先ほども老術士が触れたように、ダールーの技に近いのは王家のようだ。そのため王家はダールーの異名『威戮大』の一部を継いだのだろう。
「二代目以降の王が名の先頭に『ウ』や『ヴ』を持ってくるのは、それ故です」
隣のシャイールも諦め顔で、大伯父の言葉を補足する。
ここまで語ったからには国に戻れないし、そもそも今いる場所がどこかすら分からない。意地を張っても命を縮めるのみだと二人は理解したのだろう。
どうやら後はエンナム王ヴィルマンを廃すれば問題なさそうだ。術士ではない傍系を立てるか続く有力氏族でも推すか悩ましいが、それらは別途考えれば良いとシノブは結論付ける。
しかしシノブの考えは、早計に過ぎたようだ。
「威戮の名は、奪命符を自在に駆使したから与えられたそうです。これは確かなことか分かりませんが、陛下はダイオ島の統治者にも仕掛けたとか……」
「大規模な朝貢であれば、主自身が来ますので」
老術士と青年術士の言葉は、室内に大きな衝撃を齎した。
明日2月24日の夜には、ヤマトとアコナの一団がダイオ島に到着する筈だ。そして彼らは交易商としてダイオ島の主に謁見を願う。
もし謁見できるならシノブが一団に紛れ込み、奪命符を除去すれば良い。あるいは密かに取り除いた上で、両者の会談を仲立ちするか。
これは予想外の吉報、そして大きな転機になるに違いない。そう確信したシノブの心は、早くも遥か東の島へと旅立っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年4月14日(土)17時の更新となります。
本作の設定集に、ヤマト王国の南西から北大陸にかけての地図(改訂版)を追加しました。これには該当地域の簡易な年表も載せています。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。