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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第25章 輪廻の賢者
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25.27 イナーリオ忍法帖

 シノブが海猪(うみいの)の子供達を『海獣の里』に送り届けたのは、現地やエンナム王国だと十三時の少し前だった。これはアマノシュタットだと朝の七時前に相当するから、シノブは饗応(きょうおう)の申し出を丁重に断って引き上げた。

 おそらく食事だけで済まないだろうし、朝議があるから八時までには『白陽宮』に戻りたい。事件自体が終わった以上、日々の務めを優先させるべき。そうシノブは考えたのだ。

 それに『海獣の里』にはフォーグとヴェーグの父子を残したから、無責任に去ったわけではない。もっとも光翔虎を含め超越種の成体は魔力のみで生きるから、飲食では歓待できないが。


 一方で先に戻ったアミィは、そのままエンリオ率いる親衛隊と共に軍本部の情報局へと赴いた。式神を操った老術士や弟子らしき青年など合計三十名以上を監禁するためだ。

 術士達は催眠の魔術で眠っているが、万一効果が切れたら厄介である。もし彼らに奪命符が仕掛けられていたら、符に設定した条件次第で命を失いかねないからだ。

 それに符の存在を感知できるか試す好機だから、アミィは妹分のタミィも呼び寄せた。とりあえず二人は情報局所属の魔術師などと調査を開始したが、メリエンヌ学園にも研究者を寄越してほしいと伝える。

 このとき研究者をすぐに呼ばなかったのは、メリエンヌ学園がアマノシュタットより西で五十分ほどの時差があるからだ。幾らなんでも叩き起こさなくてもと、アミィは考えたらしい。


「……まあ、ともかく向こうは一段落だよ。符の対策も進むだろうし、三頭の海猪(うみいの)も仲間と元気にしている」


「ぶ~、ぶ~、う~!」


 シノブは朝食を済ませ、スワンナム地方の件を語り終えた。すると膝の上で、リヒトが楽しげな声を響かせる。

 シノブは海猪(うみいの)の子について語ったとき、とある話を思い浮かべた。そしてリヒトは、シノブの魔力波動から何らかのイメージを感じ取ったらしい。

 リヒトは生後三ヶ月半を超えたところだが、シノブは知育教育の一環として出来るだけ語りかけているし、シャルロット達と歌などを聴かせてもいる。加えてシノブやシャルロットは、魔力波動でも我が子に呼びかけていた。

 これはリヒトが思念めいたものに目覚めているからだ。


 オルムルを始めとする超越種の子は、夜になるとリヒトの育児室に戻って休む。そこにシノブの魔力を吸収できる『神力の寝台』があるからだ。

 そしてオルムル達は育児室でも思念を使うから、リヒトは同じように魔力波動で感情を表現したり逆に読み取ったりするようになった。もちろん思念と呼ぶには不充分でシノブに伝わってくるのも嬉しいとか楽しいとか曖昧なものだが、それでも稀なる能力には違いない。


「それは良かったです!」


「ええ! ……それにしてもリヒトは本当に賢いですわね」


 ミュリエルに続き、セレスティーヌが顔を綻ばせる。

 シノブとシャルロットは、家族にはリヒトのことも詳細に伝えている。そのため二人も驚きはしないが、いずれ自身や産んだ子もと夢想してもいるようだ。


 魔力波動で意思を伝達できる人間は非常に少ない。神官や巫女には神託を受け取る、つまり思念を受信できる者は幾らかいるが発信は無理である。

 シノブが知る範囲だと、完全な思念を使える人間はヤマト大王家か自分の影響で会得したシャルロットくらいだ。これに将来は、リヒトや同じくアムテリアの祝福を授かったアヴニールとエスポワールが加わるのだろう。


 しかしミュリエルやセレスティーヌは、シャルロットのように新たな力に目覚める可能性がある。そのため最近の二人は、こんなとき先々に思いを馳せるようになった。


「順調に育ってくれて嬉しいよ。同じころのアヴ君みたいにハイハイにも挑戦しているし……」


「エスポワールもです! うつ伏せにしたら前に進もうとしたと、お母さまの手紙にありました!」


 シノブがベルレアン伯爵コルネーユの長男に触れると、ミュリエルは次男で自身と同腹の弟の近況を紹介する。

 アヴニールは生後九ヶ月を超え、エスポワールは四ヶ月を目前としている。どちらも普通より相当に早い成長で、コルネーユ達は嬉しい悲鳴を上げているそうだ。

 こちらはアヴニールとエスポワールで感情のやり取りをしているらしく、コルネーユの手紙には度々不思議な同調について記されていた。何しろコルネーユ達は思念を使えないから、この件に関してはシノブ達に相談するしかない。


「次に会うときが楽しみだね。……シャルロット、どうしたんだ?」


 シノブは妻が話に乗ってこないのを不思議に思った。常のシャルロットなら、我が子や弟達の成長への喜びを示す筈だからである。


「エンナム遠征にマリエッタとエマを伴って良いでしょうか? もちろん私が行くときのみですが」


 シャルロットはシノブが帰還する直前の一件、マリエッタとの模擬試合について語り出す。それにミュリエルやセレスティーヌも既に知っていたようで、今までと違う改まった表情となる。


「君が認める腕なら構わないし、あの二人なら大抵のところは大丈夫だろう。別に彼女達だけで行動させるわけでもないだろう?」


「ええ。私の手元に置きますし、私自身も貴方と共に動くつもりです」


 シノブが同意を示すと、シャルロットの表情は幾らか綻んだ。

 しかし妻には他に伝えたいことがあるようだと、シノブは感じた。それに内容自体も、大よそは見当が付いていた。


──結婚絡みの話?──


──想いが溢れたのでしょう。口に出していませんし、マリエッタの成長に良い影響を与えているので静観していますが──


 シノブの思念に、シャルロットは複雑な感情を示しつつ応じる。

 アマノ王家の現状に、シャルロットは深い満足を(いだ)いているようだ。普通なら王族が少ないと憂いもするだろうが、シノブはアムテリアの血族でリヒトも別して強い加護を授かった。そのため二人や続く子供達の将来に対し、彼女は何の不安も感じていないらしい。

 つまり新たな者を王家に迎えなくとも良いが、マリエッタの想いは彼女の上達に大きく寄与しており頭から否定したくない。おそらくシャルロットの胸中は、こんなところだろう。


 そう察したシノブだが、何と答えるべきか迷ってしまう。

 今のシャルロットは稀なる才能に加えて積み重ねた修練、そして母なる女神の加護まである。その彼女に手加減されたとはいえ立ち向かえるのだから、マリエッタも伝説の域へと駆け上っているのは明らかだ。

 この稀なる進歩の原動力を奪っても良いものか。とはいえ受け入れる意思がないのに曖昧にして鍛えるなど、あんまりではないだろうか。どちらが良いか、シノブも容易に判断できなかった。


──済みません……今は様子見としましょう。もう少し手元に置きたいですし、成人まで二年少々ありますから──


──そうだね──


 シャルロットも自分ほどではないが情に(ほだ)されやすいと、シノブは感じていた。

 この星を創ったのは慈愛の化身たる女神で、神殿では彼女を称えると同時に理念も伝えている。そのためか大抵の場合、信心深い人は清い心と豊かな愛情の持ち主になるようだ。

 しかし逆に言えば、少々甘いところがあるのも確かではあった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 同じころメグレンブルク伯爵家の王都別邸でも、遥か東方に関する話が交わされていた。ただし、こちらは男だけで華がない。

 場所は食堂、といっても伯爵が使う場だけあって立派な広間だ。そこで主のアルバーノに部下の諜報員ミリテオ、ナンカンから来た(グオ)師迅(シーシュン)の三人が食事をしている。

 彼らはエンナム王国で朝食を済ませているが、向こうでは十三時ごろだから腹も減ってくる。そこでアルバーノが別邸に詰めている家臣に食事の用意をさせた。


「こちらにも米があるんですね! パンというのも美味(おい)しいけど、こっちの方が好きです!」


 シーシュンが箸で運んでいるのは、ご飯であった。それに茶碗もヤマト王国から取り寄せた品である。

 ナンカンは温暖で水も多く、稲作が盛んである。そのためご飯も存在するし、シーシュンのグオ家は代々将軍を輩出するくらいだから白米が食卓に上がることも珍しくない。

 武人の家系だから敢えて()(いい)を使った料理にすることもあるが、グオ家の主食で最も登場回数が多いのは米であった。


「元々は南方の一部だけで、ここでは栽培していなかったんだ。でも俺達は、その南方のカンビーニ王国出身だから」


「これはヤマト王国の茶碗で、俺達の故国とは違うけどね」


 アルバーノとミリテオは、これがアマノ王国の一般的な食事ではないと明かす。

 二人が口にしたように、エウレア地方でも南部とされるカンビーニ王国やガルゴン王国では稲作をしている。しかしリゾットのようにして使うことが多く、白米だけで食べる者は少数派だった。

 とはいえカンビーニ王国でも主要な都市ならご飯を出す料理店はある。そのため別邸の使用人もご飯向けの炊き方を知っており、シーシュンの好む料理を用意できたわけだ。


「ヤマトとも交易しているんですか!?」


「ああ。以前シノブ様が赴かれたし、ミリテオも潜入したことがある」


 驚く少年に、アルバーノは随分と突っ込んだところまで伝えていく。

 どうやらアルバーノはシーシュンを相当に気に入り、ここにはいない父のグオ将軍にも好感を(いだ)いたらしい。おそらくシーシュン達なら将来ナンカンとの窓口になってくれると(にら)み、他言無用としつつも関係作り自体は進めていく心積もりだろう。


「これも父上のみに(とど)めてほしいけど、ここアマノシュタットにはヤマト王国の大使館もあるんだ。まあ、さっきの転移と同じで普通の手段じゃ行き来できないけどね」


「ヤマト王国の人々は、ナンカンの人達と良く似ているよ。姿もだけど、米が大好きで水田も多い。そうそう、木や草も近いな……」


 アルバーノはヤマト王国との交流に触れ、ミリテオは自身が行ったときの印象を挙げていく。

 特にミリテオの説明は詳しかった。彼は同僚達や局長代行のソニアと共に一週間以上もヤマト王国に滞在したし、季節は夏前で稲作などの様子も見て取れたからだ。


「そうなんですか……ナンカンはヤマトに近いけど、あまり詳しいことが伝わっていないんです。こっちが荒禁(こうきん)の乱で大変だったのもあるけど、エンナム王国が出来てからは邪魔しているみたいだって……昔の本で『カン志ヤマト人伝』っていうのがあるけど、父は眉唾だって言っていました」


「ああ、俺も見せてもらったけど距離や方角すら適当だし、多少信用できるところもアコナか伊予(いよ)の島を元にしているんじゃないかな?」


「ええ。漁が得意で女王が治めるという記述からすると、アコナ列島でしょう」


 シーシュンの挙げた書物はジェンイーの大神殿の蔵書だが、アルバーノ達も滞在中に読んでいた。彼らは大神殿の賓客用別棟に泊まったから、読む機会があったのだ。


 ヤマト王国は大王(おおきみ)が治める国で、しかもヤマト大王家は男系で当代を含め殆どの大王(おおきみ)は男子だという。しかし国内には三つの王領があり、そのうちの一つ伊予(いよ)の島の主は初代から全て女王だ。

 そしてアコナ列島も伊予(いよ)の島と同じで、巫女でもある女王が統治する場所だった。それ(ゆえ)ミリテオが口にしたように、ナンカンを含むカンに伝わったのはアコナの風物という意見には強い説得力がある。


 ともかく現在のカンでヤマト王国やアコナ列島を知る者は、非常に少ないらしい。

 カンは約三百数十年前から約二百年前にかけ、荒禁(こうきん)の乱という禁術使い達が起こした騒動で長く国を割った。乱が収まってからは主だった国は三つとなったが、互いに争っており遠方に船を送る余裕はないらしい。

 一方で南のスワンナム地方では、エンナム王国が交代するように勃興した。そしてエンナム王国は自国の領海や周辺を完全に掌握したから、カンから南方に向かう船は高い関税を払うしかない。

 これはアコナ経由で大陸に渡ったヤマト王国の交易船も同様で、その結果カンとヤマト王国は完全に交流が断たれたようだ。


「なるほど……ところでヤマトに『忍者』という一族がいるって本当ですか? カンでは間諜って呼ばれる諜報の専門家です。字は『忍ぶ者』って書くんですけど……」


「いや……ミリテオ、知っているか?」


 瞳を輝かせるシーシュン少年に、アルバーノは首を傾げつつ応じた。しかし彼に思い当たるものはなかったらしく、隣のミリテオに顔を向ける。


 エウレア地方にも『お忍び』や『世を忍ぶ』などという表現はある。この星の言語や文字は日本語に統一されているから、意味自体は理解できるのだ。

 しかし流石に『忍者』という言葉はエウレア地方に存在しないらしい。


「何でも伝説の存在らしいですよ。『(しのび)』とも言うらしいですね。パッと消えたり、作り話としか思えない凄い技を使ったり……アルバーノ様なら出来るでしょうから、(あなが)ち間違いとも言えませんが。

……実はソニア様と潜入したときも、誤解されたんですよ。それだけソニア様の潜入術が見事だったのでしょう」


 ミリテオは伊予(いよ)の島での出来事を口にした。向こうの狸の獣人達やエルフは、ソニア達の変装や魔法の幌馬車なども、最初は忍者だからと思ったようだ。

 ただし実在するかも不明で、眉唾と笑い飛ばされることも多い。そこでソニアやミリテオ達は、局長のアルバーノに伝える必要はないとしたそうだ。


「あっ、やっぱりいるんですね! 実は俺、最初シノブ様が『(しのび)』の一族じゃないかって思ったんです。良く似た響きで凄い方だから、きっと忍者の王様じゃないかって……」


「さあ……どうだろうね? ……でも何か関係あるかもしれないよ」


 シーシュンの説に、アルバーノは僅かだが考え込むような素振りをした。

 アルバーノなど極めて限られた者は、シノブの真実を知っている。しかし、この件を明かすわけにいかないから、どう誤魔化すか少しばかり思案したらしい。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 それから数時間後、しかし場所はナンカンでも東だから既に日没の直後。ジェンイーから南東に300kmほどの街、港湾都市シーガンにソニアと弟のミケリーノが姿を現した。


 ここのところ二人は、禁術使い大戮(ダールー)の足取りを追っていた。

 ダールーは狂屍(きょうし)術士だが、グオ家の先祖から操命(そうめい)術も学んだ。そしてダールーは正体を怪しんだ当時の跡取りと妹に追及されたとき、仕掛けていた奪命符で跡取りの命を奪って逃げ去った。これは今から三百二十年ほど前の出来事だという。

 その後ダールーは何十年かカンの狂屍(きょうし)術士として悪名を残した。高位の狂屍(きょうし)術士は憑依の術で他者の体を乗っ取れるから、他より遥かに長い期間を活動できるのだ。

 しかしダールーは祖師の神角(シェンジャオ)大仙に他流を学んだと知られ、破門されてカンから追放される。


 この後ダールーは南下してエンナム王国に入り、更に西のイーディア地方に渡ってアーディヴァ王国の初代大神官ヴィルーダとなったらしい。

 大神官ヴィルーダは二百年ほども国を裏から操ったが、幸いシノブ達により倒された。しかし彼の通った道筋には、弟子と思われる者が残っている。


 そこでソニア達はエンナムに近い一帯を調べ、ダールーらしき話が残っていないか訊いて回っていた。

 通常ナンカンとエンナムの行き来は船を使い、間に広がる巨大な魔獣の森を避ける。そしてシーガンはナンカンで最も南の港湾都市だ。

 ダールーは操命(そうめい)術士でもあり、魔獣の森を突っ切ったかもしれない。しかしシーガンからの海路も有力候補だから、二人は光翔虎のシャンジーと共に訪れた。

 ただしシャンジーは移動と万一のときの支援担当だ。そのため彼は姿を消して上空に陣取り、通りを歩むのはソニアとミケリーノだけである。


捜娘(ソーニャン)姉さん、どうして……」


「あら小妙(シャオミィ)、こういうときは酒場に行くものよ? 阿麓(アールー)兄さんから教わったでしょ?」


 不満げな顔のミケリーノに、ソニアは悪戯っぽい笑みを浮かべながら顔を向けた。

 二人が歩いているのはシーガンの繁華街、両脇は酒場に賭場など他の通りとは違った店ばかりである。そしてソニアは、この繁華街を港に近いからと聞き込みの場に選んだ。

 もしアルバーノが聞いたら、流石は俺の姪と頷いただろうか。それとも海洋国家カンビーニ王国の生まれなら当然と流しただろうか。

 どちらにしても、随分と似た思考の持ち主なのは確かなようだ。


「で、でもどうしてこんな格好を……」


 ミケリーノが頬を染めるのも当然で、彼は女装していた。しかもホクカン風のスリットがある服、つまり地球のチャイナドレスに酷似した衣装だ。

 もちろん髪も女性風で、化粧もしている。髪は地毛のみらしく短めだが、それも個性的で人目を惹くし化粧のお陰で本当は少年などと思えない。


 イナーリオ一族は全て猫の獣人だ。そしてミケリーノも例に漏れず細身、更に整った容貌だから『白陽宮』でも美少年として有名である。したがって女装も自然、誰もが振り返る美少女振りであった。

 十三歳だから背も多少伸び、小柄なソニアとも大差なくなった。とはいえ成人女性としては標準未満だから怪しむ者などいない。


「あら、これなら今日の稼ぎは間違いなしよ? ……男達が山ほど寄ってくるから」


 ソニアは弟の恥じらう様子を楽しんでいるらしい。今も吹き出すのを(こら)えているのか、笑みは時々微妙に揺れる。

 ちなみにソニアもチャイナドレス風の衣装で、同じ(がら)の色違いだ。そのため双子か年子の姉妹が並んでいるとしか思えない。


「さあシャオミィ、あの店にしましょう」


「はい……」


 ソニアは再びミケリーノの偽名を口にすると、腕を取って一際華やかな酒楼(しゅろう)へと入っていった。

 ちなみにミケリーノはシャオミィの名を男の姿でも使っているが、ここはジェンイーから遠いし女でも通用する名だから変えなかったらしい。もっとも彼の悄然たる様子からすると、もはや名前などどうでも良さそうではある。


「シャオミィちゃん、俺にも酌をしてくれよ!」


「あら、もう飲んじゃったの? ちょっと待ってね……はい、どうぞ!」


「シャオミィちゃん、俺にも頼むぜ!」


「あらあら、随分と人気ねぇ」


 船乗り達は我先にと酒杯を差し出し、それをミケリーノが卒なく捌いていく。そして(あで)やかな笑みを浮かべたソニアも、弟と同様に荒くれ男達の間を巡っていた。


 店に入る前は落ち込みを顕わにしたミケリーノだが、流石は情報局長の甥で代行の弟と言うべきか。まだ見習いとは思えぬ化けっぷりで酒場の女を演じていた。

 ちなみに今回は変装の魔道具を使っているが、肌の濃さや髪と瞳の色を変えたのみだ。本来と異なる体型を幻影で構成した場合、触ると気付かれるからである。


「俺はソーニャンの方が好きだぜ? やっぱり女は色っぽいのが一番だ!」


「お世辞でも嬉しいわ。さあ、海の話を聞かせてよ」


「私も海の冒険を聞きたいな。『海猪(うみいの)に助けられた男』って御伽話だけど、本当にあったことなの?」


「俺が何でも教えちゃうぜぇ~。さあ、シャオミィちゃんも飲みなよ!」


 ソニアは自身を選んだ男に寄り添い、話を促す。そして姉に倣ったのか、ミケリーノも可愛らしい声で海の伝説の真実をと水を向けた。

 ちなみにミケリーノだが、未成年だから飲酒できない。そのため彼は酔い潰そうとする男を上手くあしらいつつ、逆に濃い酒を飲ませていく。


「ああ、『海猪(うみいの)に助けられた男』か。あれは昔の魔獣使いが元らしいぜ」


「そうそう、南に渡ろうとした船が沖に流されて魔獣の海域に入ったが、たまたま船に魔獣使いが乗っていて沈没を免れたとか……」


「何でも謙虚なヤツだったらしく、礼をするってのに姿を消したって……」


「ば~か、どうせ禁術使いに決まっている! もう荒禁(こうきん)の乱も終わりかけだから、捕まらないように逃げたんだよ!」


 美人姉妹の独占を嫌ったようで、他の男達が口々に御伽話の筋を明かしていく。

 大半は既にソニア達も仕入れた情報だが、中には題材らしき逸話や場所などに触れる者もいた。そのためソニアとミケリーノは、酌をしながらも素早く目配(めくば)せを交わす。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 暫くしてソニアとミケリーノは酒楼(しゅろう)を離れた。もっと詳しい話をしてやると男達の一部が言い出したのだ。

 そこで姉弟は十数人の船乗りと共に、人寂しい港の倉庫街へと歩いていく。正確には上空からシャンジーが追っているが、彼は姿消しを使っているから目に入るのは漆黒の闇だけだ。


 寂しいといっても、昼なら港湾作業者の威勢の良い声が響く場だ。しかし日暮れから二三時間で人影は消え、様相は一変していた。

 船乗りと同じく、労働者達も一日の稼ぎを握って酒場に繰り出す。もちろん中には蓄財に励む者もいるが、仲間に変人扱いされる少数派のみだ。


「こんなところに詳しい人がいるの?」


「ああ。ノコノコ付いてくる馬鹿なお前達に、人生の厳しさを詳しく教えてくれる親切な人だ」


「つまり、俺達のことだがな!」


 ソニアの問いに男達は下品な嘲弄(ちょうろう)で応じ、逃げられないように来た道を塞ぐ。

 ここは路地の行き止まり、片方は積み上げた荷物で埋まっている。元は馬車が擦れ違えるくらいの幅広い通りだが、途中に木箱の山が立ちはだかっているのだ。


 もしかすると、こういうときのためにわざと一方を(さえぎ)ったのかもしれない。

 誘いこんだ者に、大人しくしていれば命までは取らないと脅す。そして狼藉の後に被害者を解放し、朝までに荷物を撤去する。

 慣れを感じさせる男達の落ち着きぶりは、度重なる経験を匂わせる。それに万一訴えられても握り潰す後ろ盾くらいありそうだ。


「諦めるんだな。俺達にはシーガンの偉いさんも……」


「余計なことを言うな! お前達は大人しく従っていれば良いんだ!」


 積み上げた木箱の陰から、覆面をした男が現れた。頭巾を被り目元から下を黒い布で覆っており、容貌を知るのは難しい。


「あら、本物のお馬鹿さんの登場かしら? それとも不細工すぎて恥ずかしいの?」


「姉さん……。確かに鼻の下を伸ばした間抜け面が隠れていると思いますが……」


 挑発を顕わにするソニアに、慨嘆しつつも乗るミケリーノ。酌をし続けたからだろう、どちらも随分と鬱憤(うっぷん)が溜まっているようだ。


「ええい! やってしまえ! 少しくらい痛めつけた方が言うことを聞くだろう!」


「は、はい!」


 覆面男が叫ぶと、見張りらしき数人を除いて男達が動き出す。

 随分と用意が良いらしく、通りの脇には目立たぬように棒が置かれていた。それを男達は(つか)み、まずは一打ちくれてやろうと言わんばかりの嗜虐的な形相でソニア達に向かっていく。


「それはこっちの言葉よ!」


「き、消えた!」


「武術の使い手だったのか!?」


 ソニアは透明化の魔道具を使っただけだが、そんな高等な品を荒くれ男達が知る筈もない。足を()めた男達は、狐につままれたような顔で辺りを見回すのみだ。

 達人が強力な身体強化を使えば、瞬時の移動で消え失せたように思わせるなど簡単だ。そのため男達は、どこから襲ってくるのかと(おび)えを滲ませつつ手にした棒を構える。


「ふふふ……稲荷忍法、闇隱れの術」


「ま、まさか、あの伝説の!?」


「ヤマトの『忍者』か!?」


 シーガンはナンカンでも最南端の都市だから、ダイオ島伝いの航路ならヤマト王国に最も近い。そのため無法者達は、シーシュン少年と同じくヤマトの『(しのび)』伝説を知っていたらしい。


「に、忍者!?」


「な、何で!?」


 キョロキョロと見回す男達の顔には、明らかな恐怖が浮かんでいた。中には早くも逃げ出そうとする者もいる。


「まったく……稲荷忍法、水弾乱舞!」


 今度はミケリーノだ。彼は透明化の魔道具の圏内から自身の魔術で水弾を放ったのだ。

 まるで一度に石礫(いしつぶて)を十以上も投げたように、青い塊が闇の中を同時に突き進む。


「あ、あいてっ!?」


「ご、ごぼっ!」


 ミケリーノの魔力では、シノブやアミィのように巨大な塊で一気に倒すのは不可能だ。そのため彼は(こぶし)ほどの小さな塊を幾つも生み出し、目や口などを集中的に狙っていく。

 速度や硬度も劣るから水弾に命を奪うほどの威力はないが、視界や呼吸を奪われて走れるわけもない。暴漢の殆どは、振り向くことすら出来ないまま地に倒れていく。


「も、もう駄目だ~!」


「目と口を覆え!」


 しかし中には運よく屈んで躱した者、多少は知恵が回るらしく顔の前に手を(かざ)した者がいた。彼らは何とか体勢を立て直し、再び逃げ出し始める。


『稲荷忍法、大蝦蟇(おおがま)変化~!』


 通りの出口を塞いだのは、巨大なガマガエルだった。これはシャンジーが変装の魔道具を使って化けた姿である。


 光翔虎にしろ他の超越種にしろ、並ぶ者がない存在だけに正体が露見しやすい。そこで以前シャンジーは、巨大な超越種でも使える変装道具をアミィに頼んだ。

 単に大出力にするだけで、しかも魔力は超越種自身が提供するから難しくもない。実際アミィは僅かな時間でシャンジーが望むものを作成し、彼が選んだ幾つかの幻影を設定して渡した。

 おそらくシャンジーは、ヤマト王国に滞在中に知った忍者伝説を元にしたのだろう。彼の化けたガマガエルは、大きさこそ全く違うが姿はニホンヒキガエルに酷似していた。


「う、うわっ!」


「天誅!」


 腰が抜けたらしき男の頭に、素早く駆け寄ったミケリーノが落ちていた棒で一撃する。

 気絶したのは、酒場でミケリーノに酒を勧め続けた男だった。やはりミケリーノは、しつこく付き(まと)った男をかなり迷惑に思っていたらしい。


「……この馬鹿者達の話を(まと)めると、ダールーの可能性が高いわね」


「時期もピッタリですね」


『コイツらを始末したら行ってみようよ~』


 男達を締め上げた後、二人と一頭は顔を見合わせた。暴漢達は全員気絶させたから、シャンジーも元の姿を現しての集合だ。

 『海猪(うみいの)に助けられた男』には、異伝とも言うべき後日談があった。それによると魔獣使いは、ある漁師の助力でシーガンからエンナム沿岸で最北端の都市ハフォンに渡ったという。

 しかも漁師の子が魔獣使いの弟子になりたいと懇願し、魔獣使いも船代として受け入れたそうだ。そして魔獣使いは『(ダー)』とのみ名乗り、弟子となった少年には『(ハイ)』の名を授けたらしい。

 ならば次は、都市ハフォンに行くべきだろう。幸いオーマの木の予防薬は手に入ったし、アルバーノが帰ったら出発と(まと)まる。


 翌日、シーガンの人々は奇妙なものを目にした。

 なんと太守の次男と十数人の船乗りが、全裸に剥かれて倉庫の屋根から逆さ吊りとなっていた。しかも壁には『この者達、連続暴行魔』と大書(たいしょ)されている。

 あまりのことに太守は次男との縁を切り、過去の罪も含めて厳正に裁いた。つまり元次男を含む十数人の無法者は、輪廻の輪へと戻っていったのだ。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年4月11日(水)17時の更新となります。


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