25.24 かつて大仙と呼ばれし者 後編
操命術士の祖師、神操大仙との対話。シノブは強い興味を覚えたが、他にやるべきこともある。
オーマの木の予防薬を試し、更に奪命符の情報を得る。シノブ達が『操命の里』に訪れた目的は、この二つなのだ。
オーマの木の花粉は激しい狂乱を引き起こす。これに対抗できるのはシノブやアミィ達眷属、それに超越種の成体のみだ。
そのためエンナム王国に滞在中の者は少なく、眷属のマリィとホリィに加えて親世代の光翔虎達だけであった。
光翔虎達も人間そっくりの木人に憑依して探ってくれているが、やはり人間の機微を察するのは難しい。少し人間と共に暮らした程度では気付けないことなど幾らでもあるからだ。
しかし予防薬さえあれば常人でも平気でいられるし、そうなればアルバーノ達を現地に送り込める。
そしてエンナム王国の首脳陣と語らうなら、最低でも奪命符の判別が必須である。
奪命符を仕掛けた者に都合の悪い発言をすると、埋め込まれた者は死に至る。そのため触れて良い範囲が分からないと、迂闊な質問は出来ない。
特定の状況でしか作動しない可能性もあり、特殊な言葉以外は大丈夫と決め付けるのも早計だ。アミィは心拍数や体内分泌物の量、あるいは魔術的な手段による心理状態も含めた条件付けもあり得るという。
作動条件が不明でも催眠の術で眠らせてから除去するなど対処方法はあるが、命に関わるだけに少しでも情報が欲しい。せっかくアルバーノ達をエンナムに派遣しても、おっかなびっくりでは調査も進まない。
そこでシノブ達は、二手に分かれることにした。
まずシノブは、ホリィと光翔虎のヴェーグを連れてシェンツァオ大仙に会いに行く。残るアミィは『華の里』から来たエルフの父娘と共に、予防薬の試験や奪命符に関する聞き取りに回る。
時差が大きいからアマノシュタットは深夜で、シノブとアミィは仮眠しただけだ。明日も政務はあるから、出来れば効率よく済ませて休みたい。
試験や聞き取りには、アミィがいれば充分だ。元々彼女は魔道具や魔法薬に関する高度な知識を持ち、今回もメリエンヌ学園の研究者と共に解析や対策を練っている。そして実地試験をしてくれるのは『華の里』の少女美操だから、彼女と父の高操がいればよい。
シノブはアミィ達に見送られ、『操命の里』の中央にある生命の大樹に向かっていった。案内役は長である当代の大操のみ、つまり三人と一頭で天へと聳える神秘の巨木を目指す。
「良い里ですね……皆が笑顔で共存している。動物達……いや、草木すらも……」
シノブは隣を歩く老エルフ、『操命の里』の長へと顔を向けた。
緑豊かな集落の人々はドワーフ以外の種族が揃っており、ほっそりとしたエルフに逞しい獣人族、そして中間的な人族と様々だ。これでドワーフもいたらとシノブは思うが、彼らは高温多湿な熱帯を嫌がるから難しいだろう。
とはいえ三種族が揃うだけでも素晴らしいことだ。加えて多種多様な動植物が、歩む間も目を楽しませてくれる。
魔獣使いの住む地だけあって虎を始めとする猛獣や帝王オウムなど乗り物として使う巨鳥もいるし、『華の里』のように奇想天外な魔法植物も見かける。
しかし奇抜な動物や植物を含めても、意外な調和を醸し出していた。動物達は性穏やか、植物も風景に溶け込んでいる。
そのためシノブは、地上の楽園のようだと感じていたのだ。
「ありがとうございます。これも大仙の慈愛から……我らは偉大なる先達の築いた宝を保ったのみです」
長が目元を緩ませると、白い髭が微かに揺れた。吹き抜けた風のせいでもあるが、彼は嬉しそうに微笑んだのだ。
今の長は最高位の術士としてダーツァオの名を継いだが、この里が出来たころは生まれてもいない。ここにシェンツァオ大仙が辿り着いたのは三百年と少々昔、長の誕生の何十年も前である。
そのため長は父祖の残した地を守っただけと、謙虚に受け止めているのだろう。
実際には、当代のダーツァオも大きな功績を上げたに違いない。何しろ彼は、スワンナム地方からカンの南端近くに住む操命術士の頂点に立っているのだから。
魔獣を操る術士は希少で、しかも殆どがシェンツァオ大仙の流派に属している。狭義の魔獣使いに限れば、他は禁術使いなど隠れ潜む者のみだろう。
それに興すのと同じくらい、保ち続けるのは難しい。国や商家でも、二代目や三代目の失策で潰れる例は山ほどある。
平穏に倦む人々に、乱世と異なる治世での役目を割り振る。長年の仕来りに疑問を示す若者達に、意義を説いて理解させる。
目立たぬかもしれぬが力ずくでは済まぬ問題を、今のダーツァオは捌いてきた。老人の深みのある笑みに、シノブは二十歳の自分が及ばぬものを感じていた。
「シノブ様、森猿です!」
『スンウ達の親戚か……お~い!』
ホリィが指差した方向には、カカザン島で見たのと同じ茶色い毛の大猿達が十数頭ほどいた。一方ヴェーグは興味を抱いたらしく、群れに寄っていく。
「グギャ?」
──あ~、なんつうか……とても遠い場所でだな、お前達の親戚は楽しく暮らしているぜ! そのうち会わせるからな!──
カカザン島の森猿達と同様に、こちらの巨猿も思念は使えないらしい。しかし彼らは人に倍する巨体を並べ、ヴェーグの話に聞き入るように腰を降ろす。
ちなみに今のヴェーグは普通の虎と同じくらいの大きさだから、彼の姿は囲んだ猿達に隠れてしまう。
「ヴェーグ様は思念を使っているのですね?」
「はい、カカザン島のことを話しています。森猿達は思念を使えない筈ですが、ヴェーグの雰囲気で喜ばしいものと受け取ったようです。……エンナム王国の件が落ち着いたら、スンウ達を連れてきましょう。彼らも再会を喜ぶでしょうし」
長は魔力波動で思念と察したようだが、内容は理解できなかったらしい。彼はシノブの説明を興味深げに聞くのみだ。
スンウの先祖が南へと渡ったのは、里に適した場所を探している最中だ。したがって少なくとも十代以上は昔で、ここの森猿を親戚と呼ぶには遠すぎるかもしれない。
ただしシェンツァオ大仙はスンウの先祖達も育て、戻ってこなかったことを大いに嘆いた。それに森猿達を打ち捨てた初代ダーツァオは責を問われ、栄誉ある名を奪われて高弟からも外れたという。
それほど命を慈しんだ大仙に、今のスンウ達のことを伝えたい。シノブは眼前の老人の願いも当然だと感じていた。
◆ ◆ ◆ ◆
三百年以上昔、ここにシェンツァオ大仙と弟子達が辿り着いたとき、生命の大樹は既に存在した。推定樹齢は千年を優に超えるというから、創世のときに出現した命の一つで最初から並外れた大きさを誇っていたのだろう。
生命の大樹は誇張でなく雲に届く巨木だから、枝の届く範囲も小さな村を覆い隠すほどもある。そのため梢の下に入ると薄暗いが、歩くに困るほどではない。
周囲は緑溢れる牧草地で、里の周囲も色鮮やかな葉や花を誇る大森林だ。それらの反射光が奥まで差し込むのもあるが、生命の大樹自体が仄かな光を発しているようでもある。
植物が光るなど普通なら信じ難いが、神秘の樹木だけにシノブは素直に受け入れる。確かに里の聖地だと、感じ入ったのだ。
里の者達も、めったなことでは大樹に近づかない。
特に幹の至近だと選ばれた巫女達のみ、それも祈りを捧げて清掃をする程度だ。柵を設けていないから自由に入れるが、獣達すら少し離れて寛ぐという。
生命の大樹にも鳥やリスなど木々を利用する生き物はいるが、それは聖なる樹木が招いたからと長は語った。しかも彼は、小動物が枝葉の手入れをしているらしいと付け加える。
畏れからか、長も最後まで同行しなかった。彼は優れた操命術士だが、神官の素質まで備えていないからだろう。
「……お祈りすれば良いのかな?」
『兄貴なら、お~い、って呼びかければ大丈夫ですよ』
「そうかもしれませんね」
呟いたシノブに、両脇のヴェーグとホリィが応じる。とはいえ初対面の相手に馴れ馴れしく接するなど、礼儀に反するしシノブの主義ではない。
そこで敬意を示しつつ呼びかけようと口を開きかけたとき、先んじて歓迎の言葉が響く。
『ようこそ若貴子様……。我らの聖地へのお越し、真に嬉しゅうございます』
生命の大樹から響いたのは、相当な年齢を思わせる声だ。しかし普通の発声とは違うからか、男女の判断は難しい。
既にシェンツァオ大仙は人としての生を終えたというから、性別など超越したのか。生前を含めたら五百年ほども過ごしただけに、肉体的な枷から解放されるのも当然か。そんなことをシノブは考える。
『お忙しいことは存じ上げておりますが、少々おもてなしいたしとうございます』
更に大仙は、樹上に来てほしいと続けた。梢の上に饗応に適した場所があるそうだ。
「それでは、お邪魔させていただきます」
『兄貴、ホリィ殿。俺の背に乗ってください』
シノブは誘いを受けることにし、ヴェーグの勧め通り彼の背中に跨った。
ホリィは金鵄族の姿に戻れば飛べるが、里の者には眷属だと明かしていない。そこで彼女は虎の獣人の少女のまま、シノブの後ろへと収まる。
大樹の枝葉は、名前に相応しく生命力を誇るように生い茂っている。そのため遠くからだと中を見通せないが、寄ってみれば充分な隙間がありヴェーグは軽やかに飛びぬけ昇っていく。
『おっ、家か!?』
中ほどまでも達したころ、白く輝く聖獣は枝の上に小屋を発見した。
枝といっても二頭立ての馬車が悠々と通れるほどの幅で、小屋の内部も六畳やそこらはありそうだ。少なくとも、寝泊まりするだけなら充分な広さである。
どうも小屋は大樹と一体化しているらしい。遠目だと普通の建築物らしく映ったが、正確には枝の一部が瘤のように盛り上がり小屋を形作っている。
「生命の大樹に宿っていると思ったけど、違ったんだね」
「普通の意味での生活が必要とも思えませんし、こういったときのために整えた場だと思います」
シノブが首を傾げると、どこか確信の滲む声でホリィが応じた。どうやら彼女は、現在の大仙の姿や暮らし振りをある程度は予想しているらしい。
いったいシェンツァオ大仙とは、どのような存在なのだろうか。しかし会えば分かると、シノブは思い直した。
何しろ対面のときは迫っている。シノブ達が言葉を交わす間にヴェーグは枝の上に着き、後は小屋に入るだけなのだ。
そこでシノブは小屋へと進み、扉らしき少々窪んだ場所に手を伸ばす。すると板のように思えた平たい部分は勝手に奥へと退いた。
「まるで自動ドアだね」
シノブは驚嘆のあまり、最近は使わなくなった英語由来の言葉を口にした。
この星の言語は日本語、それも古くから日本に伝わる言葉を中心に構成されている。話し方や文法は現代風だが、外来語が少ないのだ。
これはアムテリア達が日本に由来する神で、しかも母国の言葉を尊重したからだ。
全ての外来語を排してはおらず、欧州に相当するエウレア地方にはワインやソファーといったものもある。しかし創世期の神々は言葉の違いによる偏見や仲違いを防ごうと、なるべく同じ単語を使って教え導いた。アミィを始めとする眷属達は、そう語ったのだ。
もっとも今は、聞きなれぬ言葉が不審に思われることもない。
『これは凄いや……』
「シノブ様、どうぞお進みください」
ヴェーグは我を忘れており、シノブの言葉など耳に入っていないらしい。残るホリィは眷属で、日本のこともシノブやアミィから聞いている。
ちなみにホリィは、この術を知っているようで平静なままだった。金鵄族は森の女神アルフールに仕えることが多いそうで、こういった樹木に関する術に詳しいのだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
外と同じく、小屋の中も一風変わったものだった。
床は平らで滑らか、奥には低いテーブルと長椅子が置かれている。単なる洞穴ではなく人の手によるとしか思えないが、どうも椅子以外は一体のようだ。つまり壁や天井も含め、あくまでも枝の瘤の変化で生じたものらしい。
もっとも今のシノブは迎えた人物を注視するのみで、周囲など目に入っていない。
「……あなたがシェンツァオ大仙でしょうか?」
予想外のことに、シノブは無礼と思われかねない言葉を口にしてしまった。中で待っていた者は、少女としか思えない姿だったのだ。
もしかするとシェンツァオ大仙の側付きだろうか。外にいる里のエルフ達と同じ黒髪と東洋系の容貌からだろう、シノブの脳裏に浮かんだのは夭折した命が大仙に仕える存在に変じたというものだった。
何しろ相手はホリィよりも年少に見える。仮に普通の人間だとしたら、せいぜい七歳か八歳だろう。
「はい~、私がシェンツァオです~。さあ~、こちらにどうぞ~」
童女の姿をした者は、大仙その人であった。柔らかな笑みと共に自身がシェンツァオだと認め、シノブ達を奥の卓へと誘う。
「失礼します。ところで大仙殿、てっきり男性だと思っていたのですが……」
シノブは大仙の向かい側に、ホリィと並んで腰掛ける。そしてヴェーグは籐作りらしき長椅子の脇に、寝そべった。
主が小柄なためか、卓といっても低く上面の高さは膝と同程度だ。そのためヴェーグも、伏せたままで充分に見渡せる。
「私は女です~。でも~、カンでは男として過ごしたので~」
シェンツァオ大仙は笑みを増すと、自身の過去について語り出す。
大仙は元々スワンナム地方の生まれで、今シノブ達に見せている姿は彼女の子供時代のものだという。つまり彼女がエルフだったのは正しかった。
しかし成人後にカンで見聞を広めようとしたとき、女性では不都合だと気付いた。カンは男性が優位な社会で、女性の一人旅など珍しかったからだ。
そこで大仙は幻惑の術で男性に化けた。エルフは目立つからと、彼女は旅立つ前から幻惑の術を熱心に学んでいたのだ。
「もちろん~、話し方も変えました~。若いときは~『やあ、シノブ殿! よく来たね!』といった感じで~、話したこともあります~」
三百年以上を生きただけあり、シェンツァオ大仙は相当な芸達者だった。
普段の口調はミリィよりも更に緩やかで、あどけなさすら感じるほどだ。表情も春の長閑な日を思わせる、まさに春風駘蕩といった様子を崩さない。
しかし途中に挟んだ言葉は、確かに凛々しい男性を思わせる口調だった。それに魔術を使ったのか、声音自体も青年そのものだ。
これなら最初の呼びかけのような老人めいた響きも可能だろう。シノブも頷くしかない変貌振りである。
「なるほど……。質問ばかりで恐縮ですが、貴女は祖霊になられたのでしょうか?」
シノブは森猿スンウのことを伝えねばと思いつつも、疑問の解消を先にした。ただし、無意味に優先したのではない。
もし祖霊なら神界なども知っているだろうし、そうであれば説明も簡単に済む。例えばスンウ達を連れてくるときに転移を使うが、祖霊なら転移がどのようなものか語らなくて良いだろう。
「いえ~、私は金鵄族です~。そうでした~、今の名はメイリィです~」
「シノブ様、申し訳ありません。この地方を担当している眷属に知り合いがいる……それは前々から知っていたのです」
名乗り忘れたと気付いたのだろう、シェンツァオ大仙ことメイリィが気まずそうな顔となる。そしてホリィも別の意味で済まなく思ったようで、シノブに向き直って頭を下げた。
眷属は相当な数がいるらしく、全てが顔見知りでもないだろう。しかし同じ金鵄族なら交流する機会も多かったに違いない。
そして近しい関係なら、担当する地方くらいは触れるそうだ。メイリィは『操命の里』を含む地方を長く担当しているというから、地上に来る前のホリィが知る機会は幾らでもあった筈だ。
ただしメイリィは里の場所を教えなかったから、マリィも含め発見できなかった。そして見つけられない以上、秘すべき理由がある。
「眷属の掟があるからね。それにホリィ、ありがとう」
シノブも事情を知っているから怒りはしない。
アミィを始めとする眷属達は、地上の者が知りえぬ知識までは明かさない。生きとし生ける全てが自分自身で道を切り開くよう願うだけに、シノブにも不必要な開示を避けるのだ。
シノブも自身を磨きたいし、人として生きたい。異神のような超常の相手でも、出来るところまでは自分達で対処したい。
神から全てを与えられるなど、よほど強靭な精神でなければ扱いかねる。既に多くの支援を受けているだけに、その恐ろしさをシノブは誰よりも知っているつもりだ。
それ故シノブは、ホリィが伏せたことに感謝の念すら抱いていた。
『ちょいと質問があるんですが……。メイリィ殿、貴女は随分と年長なんですか? この里を隠す結界、アミィ殿やホリィ殿も気付かなかったんで、そうするとお二人より上なのかと……』
強さや上下関係に拘る光翔虎だけに、眷属の序列も気になったのか。ヴェーグは遠慮を表しつつも、興味を隠しきれぬ声でメイリィに問う。
「私が下ですよ~。でも~、今のホリィさん達は制限されていますし~」
「ヴェーグさん、これは超越種の間だけに留めてくださいね? 私達は地上に降りたときにシノブ様の専属となり、力もシノブ様の器に応じたものとなっています。シノブ様は成長を続けており私達の使える力も比例して増していますが、かつてほどではありません」
メイリィに続き、ホリィは自分達の秘密の一端を明かす。既にシノブは聞いていたから驚かないが、初耳のヴェーグは口を噤んで聞き入るのみだ。
「厳密に言えば、私達はシノブ様の眷属へと変わりました。もちろんシノブ様を見守っていらっしゃるのはアムテリア様ですから、今もアムテリア様の眷属なのは間違いありませんが……その……」
「まあ、俺が未熟ってことだよ」
口を濁したホリィに代わり、シノブは冗談めかした言葉を添える。そのためだろう、地上と天空を結ぶ大樹の神秘の小屋に、暫し笑声が響き渡った。
◆ ◆ ◆ ◆
まずはカカザン島自体について。それから経路となる地域や海域。初代ダーツァオも報告しただろうが、シノブは念のために触れていく。
その過程でエンナム王国についても話した。式神とはいえ海猪の件もあるからだ。
南へ渡った魔獣はスンウの先祖達である森猿と、海猪と浄鰐の三種類だ。しかも全て今も使役獣として働いている。
もしかするとエンナム王国が盗み出したか、あるいは術士の誰かが離反したか。幸いにもシノブの懸念は外れていた。
メイリィが知る限りだと行方不明者や離脱者はおらず、育てている海猪も同様だという。つまり禁術使いは自然の魔獣を捕らえて式神にしたらしい。
それを聞いたシノブは、カカザン島やアウスト大陸で知ったことへと話を戻す。モアモア飼いの少女チュカリも含め、語るべきことは幾らでもあるからだ。
「……スンウ達は元気に暮らしているよ。それにオルムル達の助けで、人との交流も始まっている」
シノブはカカザン島の森猿達の話を終えた。
他の眷属と同じにしてくれとメイリィが望んだから、シノブは口調を普段のものに戻した。メイリィ達からするとアムテリアの一族に敬語を使われるのは、非常に居心地が悪いらしい。
時々神々が伴う側仕え達も、やはり同じように願うのだ。
「あの子達は自らの楽園を築いたのですね……」
メイリィは涙を浮かべつつ微笑んだ。
先ほどまでとは違う、これぞ眷属と言うべき慈しみに満ちた声音で、幼い容貌にシノブなどは到底及ばぬ深みを宿して。かつて大仙と呼ばれた存在に相応しい叡智と偉業を滲ませつつ、メイリィは静かに涙を流した。
アミィ達によれば、親しい眷属同士でも務めの内容までは語らないという。これは与えられた仕事への影響を避けるためだ。
仲間から聞いた話が自身の担当区域に影響し、更に親しく見守っている者の将来に関わる。そのような場合、手出しや助言をしたくなることもある。そして自制できず、介入してしまうことも。
メイリィも里のことを仲間に伝えないし、カカザン島を含む地域の担当者も森猿達が渡ってきたなどと話さない。もちろん神々には報告するが、そこから先は眷属の踏み込める領分ではない。
カカザン島で森猿達が幸せにしている。これを神々は当時の担当から聞いたが、配下を動かす必要はないと判断したのだろう。
「失礼しました~。当時は里を造っている最中で~、再度の遠征団を送る余力はなかったのです~。終えたころには~、私も輪廻の輪に戻りましたし~」
涙を拭ったメイリィは、過去の一端に触れる。
シノブも長から聞いたが、このように巨大な集落になるには百年近く掛かったそうだ。周囲の自然と調和して多くの命と共に歩もうと、多くの時間を費やして慎重に進めたのだ。
それに、この里だけではない。魔獣の海域に隣接する森には、海の生き物と暮らす操命術士達の里を造った。
この海辺の里には海猪と浄鰐もいる。ナンカンの『華の里』も含め様々な里があり、その土地の生き物と暮らしているのだ。
それだけの体制を基礎だけでも確立したのだから、メイリィが大仙としての余生の全てを費やしたのも当然だ。
「チュカリという子にも会いたいですね~。森猿と自在に意思を交わせる子です~、良い操命術士になりますよ~」
「あれから二度ほど会いに行ったけど、モアモアの扱いが更に上手くなっていた。やはりスンウ達との出会いから学んだのが大きいんだろうね……。通信筒は渡しているし、目処が付いたら連絡するよ」
メイリィの熱の篭もった言葉に、シノブはスンウ達と共にチュカリも招くと約束した。
なかなかチュカリに会いに行く機会はないし、会えても短時間だ。口にした通り、彼女が住むナンジュマに再訪したのは今月上旬と数日前の二回だけである。
おそらくスンウ達を呼ぶのは、エンナム王国の一件を片付けるか一段落してからだ。ならばチュカリを誘う余裕もあるし、後は彼女の都合次第である。
「お願いします~。奪命符の対処が終われば、後は一気にエンナム王ですよ~」
ここはエンナム王国の南端から更に400km以上南だが、メイリィも存在自体は知っていた。
メイリィはシェンツァオ大仙としての生で森の外への関与を避けたし、後の者達も大仙の教えを守った。しかし時折は外に人を送り、情報収集させている。
里には人族や獣人族もおり、彼らなら外の人々と見た目も変わらない。そこで年に一度ほど、この二種族が調べに行く。
一方のシノブだが、心に引っかかっていた言葉を聞いて表情を動かしてしまう。
エンナム王ヴィルマンとの会見に、どういう態度で望むか。シノブは未だ決めかねていたのだ。
「シノブ様~、やっぱり噂通りのお優しい方ですね~」
「あ、ありがとう……」
メイリィの子供のような微笑みと意外な言葉に、シノブは反射的にだが礼の言葉を返した。それは彼女の意図を掴めなかったからだ。
自分は優しいと褒められるようなことをしたか。先ほどチュカリを連れてくると言ったときならともかく、今は思い当たるものがないとシノブは振り返る。
「ですが、優しいだけでは欠けています。強く優しく、それが多くの命を預かる者の在り方……ご理解されていると思いますが」
どうやらメイリィは、シノブの悩みを見抜いたようだ。彼女は眷属としての口調に変え、諭すように語り始める。
ヤマト王国はシノブにとって特別な場所だから、公平な態度をと必要以上に身構えた。
仮にシノブが深く考えず、無意識のうちにも好みの選択を重ねていったら。そのとき周囲は大きな失望を抱くだろうし、心の内に不和の種として残ってしまうだろう。
そこでシノブは自身の感情を排そうとした。しかし理想を貫こうとするあまり動けぬようでは、上に立つ者として失格だとメイリィは断ずる。
まるで側で見ていたかのように、メイリィはシノブの心を察していた。
噂通りと口にしたくらいだから、新たなアムテリアの一族について幾らかは仲間達から聞いたのだろう。眷属の掟に触れるから具体的なことは避けたとしても、性格など人物像は承知しているらしい。
もっとも詳しく知らぬ自分がと思ったのか、メイリィは軽く触れるのみに留めた。既に彼女は、同族たるホリィへと向いている。
「ホリィさんも厳しいですね~」
「シノブ様は動くべきときになれば決断します。それまで悩まれるのも、試練のうちですから」
『やっぱり厳しいんじゃないですか? まあ、俺も兄貴なら大丈夫だと思っていますがね』
眷属達と光翔虎の語らいに、シノブは無言のまま耳を傾けた。
少女の姿であっても『放浪の虎』などとおどけていても、やはり何百年も生きた者達だ。神々を助け、世界を守り続け、天地の全てと共存する偉大なる存在だ。
理想に拘りすぎず、なるべく多くが幸せになる道を選ぶ。そこに正解はないし、定跡もない。万物を愛そうとする優しさと自身と仲間を信じて動く強さで、手を携えつつ切り開くしかない。シノブは、改めて胸に刻む。
「余計なことを言いましたね~」
「そんなことはないよ。ありがとう、流石は『輪廻の賢者』だね」
照れたらしきメイリィに、シノブは感謝の意を示す。
『輪廻の賢者』とは、創世期にスワンナム地方の人々を教え導いた眷属らしい。それなら今の『輪廻の賢者』はメイリィだと、シノブは思ったのだ。
「そ、そんな~! ……でもシノブ様~、私が『輪廻の賢者』だとしたら~、シノブ様は『輪廻の王』になるかもしれませんよ~」
ますます顔を赤くしたメイリィは、お返しらしきことを言い出す。
もし眷属が『輪廻の賢者』なら、『輪廻の王』とは冥神でもあるニュテスだろう。つまり彼女は、神々の長兄の代わりを務めるかもとシノブを持ち上げたのだ。
「とても想像できないけど、一歩ずつ進むよ。……まずはエンナム王国からだけどね!」
シノブは覚悟を決めたと示すため、両手を打ち合わせる。
囲む者達、関係する人々。それらの言葉を聞き終えたら、決断するしかない。真に私心を捨てるなら、自身にとって都合が良すぎると悩むのも間違っている。
そう宣したシノブに眷属達は祝福を贈り、光翔虎は高らかな咆哮で激励した。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年3月31日(土)17時の更新となります。




