25.23 かつて大仙と呼ばれし者 前編
ナンカンの南、スワンナム地方との境に聳える幡溪山の北麓に程近い場所。そこに住むエルフ達は、自身の集落を『華の里』と呼んでいた。
これは初代の長の姓が華だったからだ。
現在の長もファ家の一人、術士にも同家の者は多い。オオドクバチを操った少女美操も本名は華緑美、しかも長の曾孫である。
メイツァオは二十歳だがエルフだから未成年、他種族なら十二歳半でしかない。しかし彼女は術士として一人前に近く、侵入者の撃退も任されるほどだ。おそらく将来は里の中核人物になるだろうと、誰もが噂している。
その技量や才能から、メイツァオは父の高操と共にシノブ達を助けることになった。この二人が神操大仙の作った『操命の里』に案内してくれるのだ。
とはいえ既に日暮れが迫り、二人にも準備が必要だ。そこで翌朝再訪することにし、シノブとアミィは里を辞去する。
里を離れたシノブは、アミィと共に幡溪山の頂近くへと向かった。『華の里』の長と相談した結果、そこに転移の神像を造ることにしたのだ。
幡溪山は魔獣の領域の最奥部、術士のエルフですら無理という極め付きの難所だ。しかしシノブや眷属、超越種達なら問題ないし、頂は里まで150kmほどだ。
光翔虎達で一時間ほど、ミリィなど金鵄族なら二十分ほどで里に行ける。ましてやシノブが連続転移を使えば更に十分の一、およそ二分でしかない。
そのためシノブとアミィは、さほど時間も掛けずにアマノシュタットへと帰還した。
「エンナムも何とかなりそうだね!」
「命を縛る邪術も終わりですな!」
ベランジェとマティアスは、満面の笑みでグラスを掲げる。ちょうど昼時だから、食事しながらの説明としたのだ。
場所は『大宮殿』の閣議の間、語るのはシノブとアミィ。聞き手はシャルロットに宰相ベランジェ、軍務卿マティアスの三人である。
「奪命符を封じれば聞き込みも容易、判別できるだけでも大違いだよ!」
「ええ、一気に内情を掴めるでしょう!」
よほど上機嫌なのか、ベランジェとマティアスはグラスを合わせて妙音を響かせる。もっとも彼らが浮かれるのも無理からぬことだ。
不用意な質問でエンナム国王ヴィルマンが死亡したら。そしてヴィルマンが邪術に関わっていないか操られているだけなら。エンナムの人々はシノブ達を許さないだろう。
家臣や民でも同様だ。責めるべきは奪命符を仕掛けた者だが、余計なことをしたとヴィルマンが恨むかもしれない。
弔い合戦とばかりにエンナム王国がアコナに挑んだら目も当てられないし、後々アマノ同盟との航路が確立しても寄港を拒むかもしれない。つまり拙速はエンナム王国との将来に大きな影を落とす。
しかし奪命符の有無が分かるなら、該当者以外から訊けば良い。もちろん無効化して外すのが一番だが、現状と比べたら天と地の差だ。
「伯父上、それほど簡単でしょうか?」
「オーマの木の花粉による錯乱は予防薬で防げますし、奪命符の対抗手段も早晩完成すると思います。しかしエンナムとアコナの衝突を止められるか……」
「ヴィルマンが意地を張るかもしれないからね」
シャルロットに続き、アミィまで反対意見を述べた。そしてシノブも自身の懸念を口にする。
ヴィルマンが自身の意志で領土拡大を望んでいたら、話は拗れる。奪命符に人の心を操る力はないし、そもそも仕掛けられていない可能性もある。
こうなると戦いは避けられないし、それをシャルロット達も恐れているのだろう。
国を富ませるため航路を伸ばし、有利な条件での交易を成立させる。ヴィルマンが自国を思って動いているなら、家臣や民も支持する筈だ。
武力を示して従わせるくらい外交術の範疇。多数の国が犇めくスワンナム地方では、そう考える者が多い。
ヴィルマンが禁術を使っていれば民心も離れるだろうが、希望的観測で動くわけにはいかない。
「しかしヤマトはアマノ同盟の一員、アコナはその友邦だよ? 戦なら加勢するのは当然、その前に収める方法があれば実行すべきだ」
「その通りです。ヤマト王国は我が国に大使を置いていますし、メリエンヌ学園への留学者もいます。そして伊予の島とアコナ列島は同じエルフとして親密になった……デルフィナ共和国やアゼルフ共和国も肩入れしています」
ベランジェは呆れたように肩を竦め、マティアスも力強い口調でエルフ達の絆に触れていく。
実は『華の里』に行った者、アルバーノ達も同意見であった。
大きな被害が出る前にエンナム王国に介入すべき。もしヴィルマンが自身の意志で侵略するなら、排除しかない。
一日も早くエンナム王国に入ると、アルバーノは熱弁した。
しかしオーマの木への対抗手段を得たが、まだ試してはいない。それに葛家の嫡男師迅を伴うなら、父のグオ将軍に許可を取る必要がある。
そのためアルバーノ達はナンカンの都ジェンイーに戻ったが、何れも強硬手段を覚悟しているのは明らかだった。
「……これ以上、論じても仕方ありません」
シノブは仮定に仮定を重ねたような議論を打ち切ることにした。
まずはオーマの木の予防薬を確かめ、奪命符の対策を完成させる。ヴィルマンと対談するときは誠意をもって侵攻の撤回を促そう。
そう思ったのは事実だが、問題を棚上げしたというべきかもしれない。
「ああ、ともかく午後はゆっくりしたまえ。……アヴニールやエスポワールに会いに行くのだね?」
「ええ。戻る時間が不明でしたから、公務は全て取り消しました。リヒトも連れて里帰りします」
顔を綻ばせたベランジェに、シャルロットが微笑みで応じる。
午前中、シャルロットはシノブの代理として今日の仕事を片付けた。そのため午後はベルレアン伯爵領に行く余裕が生まれたのだ。
「シノブ様、映像の魔道具を持っていきましょう!」
「アヴ君やエス君の動画か……」
アミィの言葉に、シノブも頬を緩ませる。既に写真は多数残しているが、動きのある映像も撮りたいと思ってはいたのだ。
「……そうだね、案じすぎも良くない」
全ては『操命の里』に行ってからと、シノブは切り替えた。
『操命の里』にはオーマの木があるし、過去に採集した花粉も保管されている。そうガオツァオやメイツァオは語ったのだ。
つまり『操命の里』に行けば、入手した予防薬の効果が確認できる。そして確かめたら、エンナム王国にアルバーノ達を潜入させる。
一歩ずつ着実に進むという、シノブの言葉に反対する者はいなかった。しかしベランジェやマティアスの思慮深げな面持ちは、シノブに考える時間を与えたいようでもあった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブがエンナム王国への強攻策を躊躇うのは、ヤマト王国に強い親しみを抱いているからだ。
エンナム王国の侵攻を防ぎたいのは、日本を思わせるヤマトを愛しているが故。自身の判断に望郷の思いが影響しているという疑念を拭えない。これがシノブに二の足を踏ませる理由だ。
他国に手を出すなら、国王やアマノ同盟の盟主として最善の判断をせねばなるまい。好きな方に肩入れしたなど、統治者として失格である。
そう思うだけに、シノブは私心ない判断をと構えてしまう。ヤマト王国やアコナ列島に助力すべきという声が大きいだけに、尚更だ。
そもそもエンナム王ヴィルマンを脅す必要があったのか。あれはヤマト王国への愛情が暴走した結果では。身贔屓を嫌うあまり、シノブは自縄自縛というべき状態に陥ったのかもしれない。
もっともシノブの苦悩と関係なく時間は流れ、再び遥か東へと赴く時がやってくる。
それは日が変わって一時間少々という深夜だ。ナンカンやエンナム王国とは六時間近い時差があるから、向こうは朝の七時なのだ。
今回アマノシュタットから出かけるのは、シノブとアミィのみだ。
まだオーマの木に対抗できるか不確かだから、アルバーノ達は伴えない。同じ理由でオルムル達も置いていくことにした。
『操命の里』ではメイツァオが試してくれる。更に花粉を持ち帰って研究所で確かめる二段構えだ。
「シノブ様、遅くに済みません。……アミィ、ありがとう」
魔法の馬車を呼び寄せたのは、ホリィだった。
つい先日まで、ホリィはエンナム王国とアコナ列島の間に広がる魔獣の海域にいた。彼女は超越種達と、地中に隠された式神を始末したのだ。
しかし既に対処は終わり、地中担当の玄王亀達は棲家に戻った。今は海竜と嵐竜の二頭ずつが、念のため巡回するのみだ。
それ故ホリィは、エンナム王国の王都アナムでマリィを手伝っていた。そこで昨日『操命の里』の大まかな位置を伝え、呼び寄せ役になってもらったのだ。
「ここが『操命の里』の近く……そうなんだね?」
シノブは魔法の馬車を仕舞うアミィを横目に、ホリィへと訊ねる。
見回しても周囲は深い森林で、位置を掴めるようなものは目に入らない。ただしナンカンより明らかに暑く、かなり南に来たのは間違いない。
シノブ達が着ているのはアムテリアから授かった衣服で、暑さ寒さを防いでくれる。しかし露出している顔や手だけでも充分に蒸し暑さを感じ取れた。
何しろ植生からして熱帯雨林といった様相、有り体にいえばジャングルである。似たような気候を挙げるならアウスト大陸北部、およそ南緯15度のカカザン島くらいだ。
「はい。お聞きした通り『華の里』から2000km近く南、北緯15度ほどです」
「気温は25℃を超えていますね。三月も近いとはいえ、まだ朝なのに……」
ホリィの言葉を、アミィが補足する。アミィはシノブのスマホから得た能力で、温度を測定したらしい。
北緯と南緯の違いはあるが、森猿スンウ達の楽園カカザン島と似た条件。それなら暑いのも当然だと、シノブも納得した。
「それではシノブ様、『華の里』の方々をお呼びします」
ホリィはメイツァオ達の呼び寄せに移る。既に向こうにはミリィがおり、魔法の幌馬車にエルフの父娘を乗せている筈である。
普段『華の里』と『操命の里』は、帝王オウムで行き来しているそうだ。しかし幾ら巨大オウムの飛翔能力が高いといっても片道だけで二日である。
そこで今回は呼び寄せにした。ちなみにメイツァオ達と共に光翔虎のヴェーグが来てくれるから、ここから先は彼に乗っての移動である。
「ああ、頼むよ」
シノブは頷きつつ、周囲を感知能力で探っていく。しかし魔獣の領域に特有の濃密な魔力を除くと、自分達の波動を感じただけだ。
メイツァオ達は、『操命の里』を強力な隠蔽の結界が守っているという。
ホリィに伝えたのは大まかな距離や方角だから、ここが里から遠いのかもしれない。それに結界の至近に迫ったとしても気付かない高度な術だそうだ。
一度でも中に入ると、そこにあると記憶するから正常に認識できる。しかし入ったことのない者は、術の働きかけで気付かないうちに里を避けてしまうという。
「シノブ様、お待たせしました」
「いえ、私達も来たばかりです」
恐縮が滲むガオツァオに、シノブは柔らかな表情で首を振る。
シノブは『華の里』の者達に遥か西の国の王だと明かしたが、最高神アムテリアに連なる者とまでは言わなかった。しかしエルフ達は、シノブが何者か大よそ察したようである。
超越種達に慕われ、透明化や転移など地上のものとは思えぬ魔道具を使う。そしてエルフどころか超越種にすら勝る力。シノブが到着する前に、シャンジーやオルムル達が得々として語ったそうだ。
これだけ知られたら、魔術師として高い能力を持つガオツァオ達を誤魔化すのは難しい。彼らはシェンツァオ大仙から『輪廻の賢者』という逸話、創世期の眷属らしき人物を教わっているから尚更だ。
『シノブの兄貴、早く行きましょう!』
「ヴェーグ様、失礼します」
急かすヴェーグの背に、メイツァオが乗っていく。
どうやらメイツァオとガオツァオは、シノブ達が住む場所では深夜だと聞いたらしい。ならば急ごうとするのも頷ける。
実際シノブとアミィは早く寝て備えたが、短時間で戻れたら寝直すつもりだ。そのためシノブも遠慮せず、アミィ達と共に騎乗する。
ちなみに今回、ミリィはナンカンに残った。そのため彼女の魔法の幌馬車は来たが、再び呼び戻されて消え去った。
ナンカンの調査は進んだが、残るホクカンやセイカンについては不明点が多い。そこでミリィは『華の里』で、エルフ達から荒禁の乱などの話を聞き取っているのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
空に昇っても、うっすらと霧が掛かっているようで遠くまで見通せない。
単なる朝霧かもしれないが、もしかすると隠蔽の結界が関係しているのか。そんなことを思いつつ、シノブは周囲を見回す。
この辺りはスワンナム半島の中央山地の至近で、前方には緑の斜面がある。そこを無数の清流が通っているようで、先ほどシノブ達がいた場所も小川のせせらぎらしき音が微かに聞こえた。
霧を生み出しているのは山からの水か、あるいは低く垂れ込めた雲か。大森林の息吹が感じられる空と大地の狭間で、シノブは再び感覚を研ぎ澄ました。
「……少し右に何かある。あの辺りだ」
「恐れ入りました……そちらに『操命の里』があります」
「一度も入らずに感じ取れるなんて……」
シノブが指差すと、エルフの父娘が驚嘆の表情となる。一方アミィやホリィは感知能力を高めているのか、目を閉じた。
「……駄目です」
「私もです。これではマリィ達が見つけられないのも当然です。随分あれこれ試したようですが……」
アミィとホリィは目を開き、ほろ苦い笑みを浮かべた。
特にホリィは大きな溜め息を吐き、肩を落としている。マリィ達の探索を手伝おうと、彼女は今まで試したことや掛けた手間を聞き取ったのだろう。
『俺も分かりません。流石はシノブの兄貴、アム……おっとっと。ああ無情、彼我の差を知り、肩落とす……なんつってね!』
ヴェーグはシノブがアムテリアの血族だと言いかけたらしい。しかし彼はメイツァオ達がいると思い出したようで、川柳めいた言葉で取り繕う。
もっともエルフ達は、伏せた先を思い浮かべたらしく、何とも言い難い笑みを交わしている。
それはともかくヴェーグはシノブが指差す先へと向きを変え、森の木々を掠めるように進んでいく。光翔虎は駆けるように四つ足を動かして飛ぶから、まるで大草原を往く白虎を思わせる幻想的な姿だ。
しかしシノブがヴェーグの姿に注意を向けたのは僅かな間、何故なら彼らの眼前に山のような大木が現れたからだ。
「あれが……」
シノブの脳裏に浮かんだのは、世界樹という言葉であった。結界に隠されていたから気付かなかったが、誇張でなく天に届くような偉容なのだ。
桁外れの巨木は樫などに似ているが、大きさが違いすぎる。
周囲の森の木々ですら、最低でも大人の背の二十倍はある筈だ。しかし目の前の巨木は、霞む空をどこまでも伸び、雲の中に消えている。
この辺りは雲が低いとはいえ、それでも木々が届くのだろうか。それに緑の巨大な傘は、小さな村なら全て覆い隠すだろう。
幹も大邸宅が入りそうな太さだ。茶色の円柱はビルのように真っ直ぐ伸び、おそらく三階程度の高さから上は青々とした葉で完全に覆われて中が全く分からない。
やはり何らかの神秘が生んだ存在なのか。そんな畏れめいた感情が、シノブの脳裏に過る。
「はい。昨日お話しした、生命の大樹です」
「ここ『操命の里』の中心にして、もっとも神聖な場所……命が還る場所。そう教わりました……」
ガオツァオやメイツァオの声には、崇拝にも似た感情が滲んでいる。二人は先ほどより随分と声を潜めたから、シノブの耳に届いたのは何かを憚るような囁きであった。
『お二人さん、このまま近づいて良いのかな?』
「失礼しました。あの広場に降りてください」
ヴェーグも神々しさを覚えたようで、速度を落として案内役のエルフ達へと問いかけた。そしてガオツァオが指差すと、彼は歩むようにゆるゆると開けた場に向かい始める。
広場には既に何人かが集まっていた。
ヴェーグは姿消しを使っていないし、気配も隠していない。そのため仮に常人でも、空を見上げれば簡単に発見できる。
「エルフ以外も多いのですね」
「向こうの里で聞いたけど、大仙の一派は人族、獣人族、エルフが同じくらいだったとか」
ホリィの疑問に、アミィが答えている。
メイツァオ達の話では、『操命の里』にはエルフだけではなく人族や獣人族も住んでいるそうだ。そのため見上げる人々には、耳の長くない者や獣耳に尻尾を持つ者もいる。
シェンツァオ大仙の一派にはグオ家のようにエルフ以外もいたから、これは当然だ。何しろ大仙は、グオ家以外の弟子を全て南に連れていったのだから。
里の大きさは『華の里』と一桁以上違うようで、巨大な樹に相応しい集落や農園が広がっている。それに魔獣達の飼育場なのか、牧草地や厩舎のような場所もあった。
これだけ広大な土地が切り開かれているのに気付かないのだから、里を隠す結界の凄さが分かるというものだ。認識阻害がなくなったから、シノブは大規模な術の広がりと極めて大量の魔力の流れを感じている。
どうも隠蔽の術にも、生命の大樹が関わっているらしい。里を覆う魔力は天へと伸びる巨木から生じ、四方八方へと広がっている。
もしかすると、この里は生命の大樹の上にあるのだろうか。これだけ大きな木を支えているのだから、根も想像を絶する範囲に広がっているだろう。つまり里は巨木の根の上にあり、それだからこそ外界から隔離できるのでは。シノブは、そんなことを考える。
「これがシェンツァオ大仙の目指したもの……天と地と命の調和……」
「はい。ここにも糧となる命はありますし、弱肉強食は外と変わりません。しかし大仙は無用な争いを出来るだけ排そうとし、その尊い理想に近づけようと我らの先祖は努力しました」
シノブの呟きに、ガオツァオが静かに応じる。
ガオツァオは百歳の少し手前、他種族なら三十歳前半に相当する若さだ。そのためシェンツァオ大仙がカンを離れた三百年近く昔を、彼が知る筈もない。
しかし祖師たる大仙の教えを弟子達が守り抜いたのだろう、自然との協調を尊ぶ精神はメイツァオや更に年少の者達も確実に受け継いでいる。
生き物としての業から逃れられぬし、自身や近しい者を優先するのは無理もないこと。しかし譲れるところは譲り、出来る限りだが共存していく。血で血を洗う修羅の世界から、異なる者達でも手を携えて進む世界へと。
シェンツァオ大仙が目指した理想郷は、ここに息づいている。シノブは神域にも似た清浄な空気から、そう感じ取る。
「シノブ様、あの方が大操様。お伝えしたように初代ではなく、今のですが……」
「ありがとう」
メイツァオの指差す先に、シノブは目を向ける。そこには白髪白髯のエルフが立っていた。
初代ダーツァオとはカンを旅立ったときの人物で、シェンツァオ大仙の高弟の一人だという。しかし今の長であるダーツァオは二百数十歳、つまり旅立ちから何十年かして生まれた男だ。
操命術士や狂屍術士の名は一種の号、つまり師匠などから授かった名である。そして一部の名は相応しい地位や実力の者が継いできた。
ガオツァオやメイツァオも将来新たな号を授かり、精進次第ではダーツァオと名乗るかもしれない。少なくとも未成年のメイツァオが、一生同じ名を使うことはないだろう。
ただし『神操』の名は特別で、これを継いだ者は現在まで存在しないという。
◆ ◆ ◆ ◆
『操命の里』の者達はシノブが来ることなど知らない。しかし案内役として『華の里』の二人がいるし、ヴェーグは早々に超越種だと明かしたから歓迎された。
そのためシノブ達は地上に降りてすぐ、長である当代のダーツァオの家に通された。
まずシノブは、初代ダーツァオの話を聞いた。前々からの疑問、森猿スンウ達の先祖について明らかにしたかったのだ。
「確かに初代は、多数の魔獣を率いて南に渡りました。彼は大仙の夢を叶えようと、更なる南に理想の地がないか探しにいったのです」
「初代様や彼の弟子達が探したのは、多くの生き物が協調して暮らす場……あるいは今は違っても可能性のある場所でした」
長の言葉を、妻が補う。
ここ『操命の里』は多数の種族がいるからか、エルフだけの『華の里』と違い、長は男女どちらでも良い。そして髭が生えているように、当代は男性なのだ。
「そうですか……。そういえば初代ダーツァオ殿は二種類の海の魔獣に船を守らせたと聞いていますが、帝王オウムを使わなかったのですか?」
「帝王オウムは魔獣の森から離れないのです。彼らは大食いな上に魔力の消費も激しいので……ここと『華の里』の間は魔獣の森が続いているので飛んでくれますが」
「それに鳥では大荷物を運べません。そこで森猿の他に海猪と浄鰐を使ったそうです」
老エルフ達が語ったうち、帝王オウムの習性に関しては若い二人も頷いた。
帝王オウムの飛翔力なら数日でアウスト大陸まで到達できるが、森から離れたくないのに渡海は可哀想だ。単なる使役獣なら無理にでも渡らせるが、他の生き物との共存を望む一派だから強制を避けた。
そこで初代ダーツァオは、水を好む二種と森林での活動を得意とする森猿を連れていった。とはいえ、これはシェンツァオ大仙の指示ではなかったという。
「当時の初代は、まだ壮年というべき若さを保っていました。そのため理想の地をと思うあまり、色々と無理したのでしょう。……帰還した初代から森猿を打ち捨てたと聞いた大仙は、彼からダーツァオの名を取り上げて降格しました」
「スンウ達……森猿はカカザン島で平和に暮らしていますよ。それに今は千頭ほどにもなりました」
おそらく初代は言い訳をしなかったのだろう。そう思ったシノブは、彼の選択にも理解できる点があると伝えた。
初代ダーツァオが率いた魔獣は、渡海などで数を減じたという。したがって詳しく語ろうが、シェンツァオ大仙は同じように罰したかもしれない。
しかしカカザン島への残留を森猿達が温情と受け取ったことは、やはり伝えておくべきだろう。
「ええ。スンウ達は、超越種の子供達から普通の人と意思を交わす術も習いました」
「シノブ様が考案なさった『アマノ式伝達法』を使うのです」
アミィやホリィも同じように考えたのか、今のスンウ達が人との共存を目指して学んでおり、既にメーリャでの一件のように試験的な試みもしていると続ける。
「そうでしたか……きっと初代も喜びます」
「ええ……」
長と妻は、感慨深げな面持ちとなる。どうやら二人は初代の行動に一定の共感を抱いていたようだ。
ちなみに初代ダーツァオを名乗った男だが、二百年ほど前に没した。彼は修めた術で並外れた長寿を得たが、人族だから二百歳を前にして世を去ったそうだ。
「人族で二百歳近く……」
シノブは思わず絶句する。
人族でも魔力に富んだ者は長く生きるし、そういった者が恵まれた環境で一生を送ったら百歳に達することも多い。とはいえ全てではないが北大陸の西端から東端まで訪れたシノブでも、二百歳近くまで生きた人族など、聞いたことはない。
やはり操命術士の伝える長命の技は、他より遥かに優れた健康法なのだろう。
『三倍ほどもねぇ……。するってぇと、まだ大仙さんは生きているのかい?』
シノブの呟きで、ヴェーグは人族の平均寿命が六十歳から七十歳程度だと思い出したらしい。それならエルフが長命の術を使えば、五百年以上でも生きられると考えたようだ。
『華の里』で、シェンツァオ大仙は創世暦500年ごろの生まれだと教わった。ちなみに大仙が自身の一派を率いてカンを離れたのは創世暦700年より少し前だから、そのころは百九十歳と少々だ。
しかし眼前の長のようにエルフは二百を超えようが充分に働けるし、平均寿命は二百五十歳ほどで中には三百歳に達する者もいる。
もしエルフが三倍生きられるなら、五百歳は充分可能な領域だ。
「いえ、大仙は長命の術を使いませんでした。もっとも充分に長寿で三百を超えましたが」
「私達エルフは、長く生きすぎても多くの死を見るだけです」
長夫妻によれば、長命の術を学ぶのはエルフ以外だという。
人族や獣人族の術士は、エルフ達のように長い時間を掛けて操命術を極めようと志す。それに同期のエルフ達を悲しませまいと、同じ時を歩もうとする者もいる。
しかしエルフ達からすれば、天寿を超えても周りを見送るだけだ。操命術士以外は長命の術を習得できないから、家族や友人の死を見つめて過ごすことになる。
『そりゃそうだ。俺だって自分の子より長く生きるなんて願い下げだ……まだ俺は独り身だが、それくらいは分かるぜ?』
おどけたらしいヴェーグの言葉に、エルフ達は笑いを零す。しかしシノブは笑みを作りつつも、自身の将来を考えずにはいられなかった。
どれだけの時を自分は生きるのだろうか。魔力が多ければ長生きするというが、自分は桁違いだ。
周囲の者達が去るのを、見送りつつ過ごすのか。それが妻子や子孫達であっても、天寿を全うして輪廻の輪に戻ったと思えるのか。
しかし思考の淵に沈んだシノブに、予想外の言葉が響く。
「ええ。おそらく大仙もそう思ったのでしょう、人としての生を終えました。しかし大仙は、今も私達を見守っています。
……シノブ様。真に恐縮ですが、初代が置いていった森猿達のことを大仙にお話いただけないでしょうか?」
「お教えいただいた森猿達は、大仙様が育てた子の末裔なのです。今も元気に暮らしていると分かれば、きっとお喜びになるでしょう……それに聞きたいこともおありでしょうから」
長と妻の口振りからすると、シェンツァオ大仙と語る術があるらしい。少なくとも墓前で報告するような、一方的な語りかけではなさそうだ。
シノブの予感は当たっていた。ある意味でだが、今もシェンツァオ大仙は生き続けていたのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年3月28日(水)17時の更新となります。




