25.22 操命術士の伝説 後編
フードを被った人物は、巨大な蜂に乗って森の上を南へと向かっていく。そして姿を消したシャンジー達が、少し離れて追いかけている。
人を乗せて飛ぶのはオオドクバチという魔獣の一種、大きさは人間の大人を優に超えている。周囲を飛んでいる蜂の三倍近くあるから、おそらく女王蜂なのだろう。
フードの人物は虎縞の胴に跨り、少し前の黒い部分に手を置いている。オオドクバチは頭が黄色、胸部が黒、腹部が虎縞とスズメバチに似た外見なのだ。
──速いね~──
──本当です~──
光翔虎のシャンジーが驚きの滲む思念を発すると、従姉妹のフェイニーが同意の言葉を返す。今のシャンジー達は全速の半分弱、時速100km近い速さで飛翔しているのだ。
普通のスズメバチなら全力でも四割程度、昆虫界最速は時速140kmだという。オオドクバチの巨体を考えると、驚くべき飛翔能力である。
ちなみに乗っている人物はゴーグルのようなもので目を保護しているらしい。後ろからだと分かりづらいが、首に下げていた何かを目の高さに装着している。
──僕達の本気に比べたら遅いけど──
──でも人を乗せていますから──
炎竜フェルンの強がりめいた感想に、同族のシュメイが静かに応じる。
フェルンは生後八ヶ月、それに対しシュメイは一歳を超えている。おそらく将来は番となる二頭だが、今は姉と弟のような関係らしい。
実際シュメイの思念には、どこか微笑んでいるような雰囲気が漂っていた。
──あまり戦いたくないですね──
──数も多いし毒もあるから……遠くからブレスかな──
こちらは残る二頭、岩竜のオルムルとファーヴだ。
オオドクバチは一撃で人間を即死させる毒を持つし、しかも千を優に超えている。超越種の肌に毒針が刺さるとは思えないが、油断は禁物だろう。
もっとも今は姿を消しての尾行だから、襲われる危険はない。光翔虎は生来の能力である姿消し、竜達はアミィが作った透明化の魔道具を使っているのだ。
──アルバーノさんに伝えましょうか?──
──う~ん……止めておこうか~。あまり細かく知らせなくて良いって言われているし~──
シュメイの提案に、シャンジーは少々悩んだらしい。
アルバーノは今回の『トラカブト』探索を若者達の修行の場とするようだ。これをシノブは、エンナム王国に目立った動きがない間という条件付きで許可した。
そのためアルバーノは、情報提供は最低限で頼むと超越種達に伝えていた。人間で対処できない非常事態や情勢の急変、そういったことが無ければ自力で『トラカブト』を発見すると宣言したのだ。
シャンジー達は願いを聞き入れ、昨夜も僅かなことしか伝えなかった。奪命符に使う『トラカブト』らしき植物が森の奥にあること、そこには番人らしき存在がいること、その程度だ。
──ヴェーグさんやヴァティーさんもいるから大丈夫です~。それにミリィさんも見張っていますし~──
フェイニーは心配ないと主張した。
アルバーノ達には姿消しをしたヴェーグとヴァティーが付いているし、撮影に夢中だが神の眷属たるミリィもいる。それに先ほどのオオドクバチの襲撃も、アルバーノ達は人間だけで凌いだ。
アルバーノ達も南進を再開したと、ヴェーグは思念で伝えてきた。
このまま進めばアルバーノ達は、『トラカブト』のある一帯に着くだろう。したがって現時点で介入が不要なのは事実であった。
──もうすぐシノブさんも来る筈ですし、そのとき相談しましょう!──
──そうだね~。兄貴に聞くのが一番だね~──
強い信頼を滲ませたオルムルに、シャンジーもシノブが来れば解決すると言わんばかりの気楽さで応えた。
太陽の位置からすると今は十三時半ごろ、シノブがいるアマノシュタットなら朝七時半といった辺りだ。
昨日シノブは、朝議を終えたら来ると言った。常なら朝議は九時ごろに終わるから、シノブの到着まで一時間半ほどだ。
そのため事態が急変しなければ判断保留という意見にも、それなりに説得力があった。
──では、このままエルフの里まで空の旅です~──
フェイニーが触れたように、『トラカブト』の番人はエルフ達だった。昨日シャンジー達が発見したのは、魔法植物の農園とエルフの村落だったのだ。
おそらく蜂に乗った人物もエルフで、長い耳を隠すためにフードを被っているのだろう。ナンカンを含めカンの国々にエルフはいないから、好奇の視線に晒されるのを避けたに違いない。
南に隣接するスワンナム地方にはエルフが住んでいるが、こちらも他種族との接触を避けて森の奥に潜んでいる。半島の大半を覆う広大な森には隠れる場所など幾らでもあるのだ。
ナンカンの南の大森林も奥まで100kmはあるし、多くは魔獣の領域だ。そのため今まで存在を知られずに済んだのだろう。
もっとも『トラカブト』の番人達が身を隠したのは、種族の問題だけではなさそうだ。オオドクバチの使役からも明らかなように彼らは魔獣使い、カンでいう操命術士なのだ。
カンでは狂屍術士や操命術士を禁術使いとし、加えて普通の魔術師も国の管理下に置いている。そのためエルフで操命術士の番人達が、表に出るなど不可能であった。
──ずっと森から出ないままなのでしょうか?──
──何かで誤魔化さないと難しいと思います──
オルムルとシュメイは、女王蜂に乗る人物に視線を向けていた。
フードで顔は見えないし、体も肌を晒していないから性別は分からない。しかし小柄で華奢だから、おそらくは未成年の女性だろう。
草木染めらしい緑の衣装に包まれた肩は細く、手足も肉が薄い。オルムル達が知る人間に例えるなら、もうすぐ十一歳のミュリエルと変わらぬ程度だ。
ただしエルフの成年は三十歳だから、数年から十年程度の修行を積んでいる可能性はある。エルフの成長速度は十歳まで他種族と同様、そこからは四年が他の一歳分に相当するのだ。
──大丈夫、今回のことで外と交流できるようになるよ~──
──そうです~! 友達になってくれると思います~!──
シャンジーの楽天的な予想に、フェイニーが続く。
『トラカブト』の番人として外界との接触を断ったエルフ達にも、新たな時代が訪れる。いや、訪れるように自分達が手を貸す。朗らかな二頭の思念には、そんな決意が篭められているようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
フードの人物とオオドクバチの群れは、追跡に気付かなかったらしく真っ直ぐ里に向かった。そして女王蜂のみが村に入り、残りは農園やその近くにある巣へと戻っていく。
『トラカブト』の番人達は、オオドクバチを植物の世話に使っているのだ。
害獣や害虫からの保護、受粉、それに収穫や荷運びなどにも使うらしい。里に戻った群れの他にも、広大な農園を無数の蜂が飛び交っている。
農園にいるエルフ達は長袖に長い裾の服だが、顔は晒している。しかし彼らは蜂を恐れることなく作業を続け、帰還した群れに指示を出していく。
エルフ達は小さな鈴を腰に下げており、これを振って蜂達に命じている。ただし簡単な伝達は鈴なしでも可能なようで、口笛のみという者も多い。
口笛といっても音は殆どせず、息だけに近いものだ。使役に使っている波長は、人の可聴域と随分違うようである。
それに蜂自身の伝達能力も併用しているらしい。一匹に伝達すると、それが周囲に何かを伝えているようで周りが同じように動くのだ。
空を飛べ、更に社会性もある。『トラカブト』の番人達が蜂に目を付けたのは、その辺りだと思われる。
「美操、どうじゃった?」
村の中央、広場では幾人かのエルフが待ち構えていた。その中でも最も年長らしき女性が、フードの人物に呼びかける。
「長……撃退は失敗。向こうにも魔獣使いがいるの」
女王蜂に乗っていた人物、メイツァオという者は地に降りるとフードを降ろした。
やはり女性、そして年若いエルフだ。容貌はエルフ以外なら十歳を幾つか超えた程度、おそらく実年齢は二十歳か少々下だろう。
メイツァオを含め、エルフ達の肌の色は多少濃いがヤマト王国やアコナ列島の同族ほどではない。カンの人々に混じっても、良く日焼けしていると思われる程度だ。
髪は黒、瞳も濃い茶色、それに容貌も東洋系だ。しかし笹の葉のように細く長い耳が他種族と明らかに異なる。
「なんと……」
「向こうも操りの鈴を持っていたの」
長が目を見張ると、メイツァオは静かに頷き返す。そして少女は乗ってきた女王蜂の頭をそっと撫でた。
「……あまり上手くないけど、この子達の心を乱すには充分だった」
メイツァオは眉を顰めている。表情が薄いから分かり難いが、もしかすると憤慨しているのかもしれない。
アルバーノの調査隊は、葛家の嫡男である師迅が案内役を務めている。そして彼は家伝の技を使い、オオドクバチの行動を乱した。
現在のグオ家は虎や狼の使役しかしないが、元は操命術士で大魔獣も使っていた。ただし今は人々に恐れられる技を封じたから、シーシュンも今まで蜂を操ったことはない。
しかもシーシュンは十二歳で、まだ父から学んでいる最中だ。そのためメイツァオは、ますます彼の術を未熟と感じたらしい。
「どうしましょう?」
「ここまで来られたら……」
長を囲む人々、中年から初老に当たるエルフ達は動揺を顕わにしていた。
おそらくエルフ達は、侵入者をオオドクバチで脅して追い払っていたのだろう。針が掠っただけでも即死だから大概の者は引き返すし、空を飛べる蜂なら広範囲の守護も容易だ。
しかし今回は魔獣使いもいるから、蜂だけで追い払うのは難しい。
「武人達も相当な腕。この子の仲間も……」
多くのオオドクバチが倒されたことを、メイツァオは悔やんでいるらしい。
普通なら慌てふためいて逃げ出すだけ、したがって蜂も人も傷つかずに済む。しかしアルバーノ達は槍のみで巨大蜂を撃退する腕の持ち主だった。
おそらく百を超える蜂が命を落としたが、メイツァオは遠方で気付くのが遅れた。侵入者に姿を見せないようにと離れていたのが仇になったのだ。
「そなたのせいではない。普通の相手と思い行かせた儂の過ちじゃ」
「オオドクバチは将蜂に指示を出せば他が従う……しかし咄嗟の事態には弱い。貴女以外が行っても、同じ結果になったでしょう」
悲しむ少女を長や続く年長者が慰める。確かにエルフ達の語る通りなら、メイツァオが後手に回ったのも無理はない。
将蜂が司令塔となり、現場で一定の判断をする。よほど大きな被害を受けない限り、新たな指示を請うこともないのだろう。
アルバーノ達が倒したのは、全体からすれば極めて一部だ。そして殆ど見通しが利かぬ密林だから、遠くだと上空に群れている蜂達しか目に入らない。
したがって後方のメイツァオからすれば、群れが減ったようにも見えなかったのではないか。彼女はシーシュンが鳴らす鈴の音で相手側にも魔獣使いがいると察し、術を妨害するために前に出たのだろう。
「メイツァオ、相手は魔獣を連れていたか? あるいは騎乗できる何かを?」
「人間のみ。魔獣使いの少年に、若い男が五人……だと思う。何人かは男装かもしれないけど、人間だけなのは確か」
長の問いにメイツァオは一旦頷いたが、直後に小首を傾げる。
フランチェーラ達三人の女騎士は、変装の魔道具で男に姿を変えていた。したがって三人にアルバーノとミリテオを加え、五人の若い男だと思うのは自然である。
しかしメイツァオが現れたとき、フランチェーラ達は思わずだろうが女口調を使った。そのため彼女は、一部の性別に疑問を抱いたようだ。
「……ならば」
暫しの間、長は瞑目していた。しかし彼女は目を開け、踵を返して歩み始める。
長が進む先には、巨大な建物が幾つもある。ただし今まで立っていた広場を囲んでいる住居とは、明らかに違う。
近くの建物は普通の平屋で、扉も人間が通るに相応しい大きさで取っ手も付いている。しかし長が向かう先の建物に戸はなく、何人も並んで通れる穴があるのみだ。
双方とも木造という点は共通しているが、後者は丸太を組み合わせただけの簡素な造りで何かを飼う場所らしい。
──困りましたね──
──幾らアルバーノさんでも、勝ち目はないと思います──
オルムルとシュメイは、緊迫が滲む思念を交わす。そして二頭は、揃ってシャンジーへと顔を向けた。
シャンジーは百歳を超えており、成体に近い実力を備えている。それに長い時間を過ごしただけあり、人間の暮らしにも詳しいのだ。
──まずは連絡だね~。それにボク達も戻ろうか~。もうすぐシノブの兄貴も来るだろうし~──
シャンジーは、手出しを控えてほしいというアルバーノの意思を尊重したようだ。
ともかくシャンジー達は、エルフの村から離れ北に戻っていく。魔力感知能力の高いエルフの側で思念を使うのは望ましくないし、急げば先に戻れると思ったようで通信筒も使わずに飛び去っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
──ち~が~う~で~しょ~! せっかく虫を操る相手が出たのに……、こ~れ~は~な~い~で~しょ~!──
青空に響き渡るのは、どこか怒りが滲むミリィの思念だ。彼女は相変わらず映画監督風の姿で、右手のメガホンを振り回している。
随分と憤慨しているミリィだが、それでも撮影は続けていた。彼女が撮っているのは、地上を襲う極彩色の巨大な鳥達だ。
赤に緑に青、それに中間の様々な色。眩しいばかりの巨鳥達は、地上のアルバーノ達を目掛けて大岩を投下していく。
もちろん自然の出来事ではなく『トラカブト』の番人達の指揮による行動だ。鳥達の背にはエルフが一人ずつ乗り、右手の鈴を振っている。
アルバーノ達は岩を避けて走っているが、高空からの攻撃とあっては対処のしようがない。シーシュン少年は操りの鈴を振るものの、鳥の群れは遥か上空だから効果がないようだ。
──ミリィさん、オウムじゃ何か問題があるの?──
今のところ問題ないからか、ヴァティーの思念は暢気なものだ。今の彼女は撮影台代わりだから、それしか出来ないのもあるだろう。
既にシャンジーは戻り、ヴェーグと共に姿を消して低空からアルバーノ達を追っている。彼らは万一のとき、大岩を跳ね返すつもりなのだ。
オルムル達も同様に木々の間を飛んでいるが、こちらもギリギリまで動かないつもりらしい。シノブが来る時間も近いから、それまで待つことにしたようだ。
──ヴァティーさんには分からないですよね~。ここでオウムなら……そんな名の虫は、この星にいませんが~──
──ヴェーグさんから聞いたけど、あの鳥は帝王オウムっていうらしいわ。スワンナム地方の島々に棲んでいるとか──
ミリィの返答から、ヴァティーは何か察したらしい。彼女は深く追及せずに済ませ、慕う相手から教わったことのみを口にする。
地球のオウムはフィリピンからオーストラリアに棲んでいるが、この星でも分布自体は似たようなものだ。つまりスワンナム地方の東の島々からアウスト大陸にかけ、オウムと呼ばれる鳥は生息している。
ただし地球と違い、オウムにも魔獣と呼ぶべき大物がいた。この帝王オウムと呼ばれる種族が代表格で、彼らは翼開長10mを超えるのだ。
「アルバーノさん、どうすれば!?」
「このくらい、充分に躱せますよ! ほら!」
操りの鈴が効かないからだろう、シーシュンの声には焦りが滲んでいる。しかしアルバーノは普段と変わらず、軽快な動きで大岩を避けつつ駆けていた。
巨大オウムは遥か空の上、弓矢や投槍の射程外だ。そのためアルバーノ達に出来るのは回避のみ、ただし距離があるから落下地点を読むのは楽で全員が無事であった。
オウム達は一つ落とすと遠方に去り、新たな岩を掴んでくる。そのため十数羽もいるが攻撃の間隔は広く、個々の投石を見切る余裕があったのだ。
どうもエルフ達の目的は、追い払うことのみらしい。
アルバーノ達なら充分に躱せるが、対策は不可能。そう睨んで遠距離からの投石攻撃を選んだに違いない。
「まだ奥を目指すか!」
「もう少し、低空から投じては!?」
帝王オウムの上でエルフ達が苛立たしげな叫びを交わす。
エルフ達は男性が殆どだが、メイツァオという少女は加わっている。これは彼女が志願したからだ。
おそらくメイツァオは、オオドクバチを数多く死なせたことを悔いたのだろう。それにアルバーノ達を見たのは彼女だけだから、加わる理由もあるにはあった。
「間隔も詰めましょう! あの男達なら躱せる筈です!」
「よし、メイツァオ、俺達と来い!」
メイツァオの進言を、指揮官のエルフは受け入れた。そして彼は直後の者と合わせ、三羽で新たな岩を取りに向かう。
「敵の動きが……シーシュン君、こっちに来て!」
「はい!」
アルバーノが呼び寄せると、シーシュンは彼の側へと寄っていく。
今までもアルバーノはシーシュンを庇うように離れなかったが、どうやら今度は別の意図があってのことらしい。それを少年も察したらしく、攻撃が疎らになったというのに顔には緊張が増している。
シーシュンの背後では虎の獣人に特有の縞模様の尻尾がピンと立ち、しかも毛も立ったらしく普段より太さを増していた。
「低いな……。シーシュン君、しっかり掴まるんだ」
「は、はい!」
アルバーノは縦一列に並んだ三羽を見ると、何故か笑みを増した。そして彼はシーシュンを背負う。
確かに三羽の巨鳥は他より遥かに低く、およそ高度60mほどを飛んでいる。これなら弓矢などでも届くだろうが、今までの動きからすれば地上から攻撃しても避けると思われる。
しかしアルバーノには何らかの勝算があるらしい。
「ミリテオ、そちらは任せたぞ! とにかく逃げるんだ!」
「はい!」
「う、うわあっ!」
アルバーノの耳に、ミリテオの返答は届いただろうか。
おそらく聞こえてはいない。空高く跳躍したアルバーノの猫耳に響くのは、まず風切る音。そして自身の足が岩を蹴る音と、背負ったシーシュン少年の悲鳴。この三つのみだろう。
「い、岩を踏み台にした!?」
「メイツァオ、上昇だ! お前を狙っている!」
「え……」
三羽の帝王オウムの背では、エルフ達の声が響き渡る。
身長の十数倍にも飛び上がったアルバーノは、更に投石を踏み台に跳躍を繰り返した。アルバーノが身体強化を駆使すれば、高さ20m以上もの跳躍が可能だ。もちろん一回だけでは届かないが、彼は岩を足場に巨鳥へと迫っていく。
「大武会のシノブ様! 真似てみたかったのですよ!」
「アルバーノさ~ん! 落ちたらどうするの~!?」
アルバーノの声は岩を蹴る度で、途切れ途切れだ。一方のシーシュンだが、あまりの高度に驚いたのか目を瞑っている。
「大丈夫、ほら! ……エルフのお嬢さん、攻撃を止めてもらえないでしょうか? 私は女性に手荒なことをしたくないのです」
「お、俺達は『トラカブト』が欲しいだけだ! あっ、悪いことに使うんじゃない、奪命符の仕組みを調べるためだよ!」
「そ……そうだったの」
帝王オウムの背に降り立ったアルバーノは、気取った声でメイツァオへと語りかける。
最初メイツァオはキョトンとした顔だったが、続くシーシュンの言葉で事情を理解したようだ。身構えていた彼女だが、呆けたような声と共に腕を下ろした。
◆ ◆ ◆ ◆
メイツァオの呼びかけで、エルフ達は投石攻撃を中止した。そして彼らは半信半疑ながらもアルバーノ達の話を聞き始める。
幸いなことに、すぐに誤解は解けた。最後の一押しくらい良かろうと、シャンジー達も姿を現して説得に加わったからだ。
メイツァオ達は超越種を見たことがなかったが、先祖代々の逸話で存在自体は承知していた。そのため伝説の聖獣の言葉ならと、心を許したのだ。
そしてメイツァオ達は帝王オウム、アルバーノ達はシャンジー達の背に乗り、エルフの里に飛んでいく。
長も竜や光翔虎の姿を見たから素直に話を聞くのみだ。更にシノブとアミィも到着し、ミリィも姿を現した。
こうなれば疑う者は誰一人としていない。何しろアミィの手にはエンナム王国で得た奪命符の残骸があり、更にナンカンでグオ将軍から託された秘文書もあるからだ。
「来なくても良かったかな?」
「いえいえ、シノブ様がいらっしゃったから簡単に話が付いたのです」
シノブとアルバーノが笑みを交わしたのは農園の只中だ。二人の前ではメイツァオの案内で、『トラカブト』の採集が始まっている。
「ガオッ!!」
『何度見ても面白いよね~。花が叫ぶなんて~』
『ですね~』
シャンジーとフェイニーは、『トラカブト』の上を飛び回っている。そして前足を出しては引っ込めと、ちょっかいを出す度に虎に似た花が揺れ動いて猛獣の咆哮を思わせる音を発する。
実は『トラカブト』とは、食虫植物の一種なのだ。
敢えて例えるなら、人の何倍もあるタンポポのような形の植物。そして上に咲いているのは虎そっくりの花。もちろん花は黄と黒という、芸の細かさだ。
叫び声は花が閉じるときに出ているようだ。伸縮で空気を震わしてか、あるいは花弁が擦れるかで音が生じるのだろう。
「これも『トラカブト』でしょうか?」
「そちらは『オラカブト』……叫び声が違うの。それに薬効も」
「オラッ!!」
フランチェーラの問いに、メイツァオは首を振る。ちなみに続く音は、シュメイが突いたときに生じたものだ。
「凄い……『オラカブト』まで、こんなに沢山……」
「私達が一生懸命育てたの。でもシノブ様やシーシュン君なら、喜んで提供する」
目を丸くするシーシュンに、メイツァオは笑みを向けた。同じ神操大仙の一派ということもあり、彼女はシーシュンを弟分としたようだ。
農園には『トラカブト』の近縁種だけでも複数あった。
奪命符に使われる猛毒の『トラカブト』に、体力を増す『オラカブト』。それ以外にも良く似た食虫植物や、擬態で瓜二つの植物など数多い。
他にも『トラカブト』やオオドクバチの毒の予防薬が作れる植物もある。そこでアミィは植物自体と薬の双方を、種類ごとに受け取っていた。
『加護の目覚め、いつでしょうか?』
『アルバーノさん、手助けの必要なかったですね。でも次の機会がありますよ』
「コラッ!!」
残念そうなファーヴを、オルムルが慰めている。もっとも二頭も収穫の手伝いはしており、食虫植物に寄っては叫び声を上げさせている。
『トラカブト』の近縁種は、このように多くが轟音を発する。普通の虫くらいだと、衝撃で気絶して葉に落ちるそうだ。
ただしオオドクバチのような大物には効かない。そこでエルフ達は音を聞いてから、花の付いた茎を蜂達に噛み切らせていた。
今のように明らかに違うものだけではなく、『トラカブト』そっくりの音を発する種類もある。そのため収穫は熟練者のみが携わるそうだ。
「ファーヴ殿……シノブ様を真似る良い機会だと思ったのですが」
「大武会か……もう一年以上前だね」
頭を掻くアルバーノに頷きつつ、シノブは昨年一月の武術大会を振り返った。
大武会とは、フライユ伯爵領で開催した新規登用のための催し。そこでシノブは領主として演武をした。
あのときシノブは光の大剣で鉄棒を断ち斬り、空に飛ばした後に足場とした。そして更に宙で鉄の塊を斬り飛ばした。
当時アルバーノは故国からシェロノワへの旅の途中で、シノブの演武を見ていない。しかしアルノーから聞き、共に会得しようと訓練を重ねたそうだ。
「シノブ様、収穫は済みました。それに皆さんから色々教わったので、奪命符の魔力波動も再現できると思います」
「私達も手伝います」
「『操命の里』への案内もお任せください」
アミィと共に来たのは、メイツァオと彼女の父の高操だ。
この里の術士は全て『操』の字を付けている。これは彼らがシェンツァオ大仙の一派だからで、しかも総本山たる『操命の里』とも交流があった。
里に住むのはシェンツァオ大仙からナンカンの森の管理を任された者達で、『トラカブト』も含めて種の保存のため育てているのだ。
もちろんシェンツァオ大仙が託したのは三百年以上昔のことで、ガオツァオやメイツァオも話に聞くのみだ。しかし大仙が向かった先で築いた隠れ里は知っており、今も定期的に人の行き来はあるという。
しかもシェンツァオ大仙は、グオ家から技を盗んだ者が現れたら必ず捕まえるようにと厳命した。それ故エンナム王国の出来事を知った長は、シノブ達への全面的な協力を決断したのだ。
「わ、私も連れて行ってください! 大戮の弟子は、グオ家の仇です!」
「だが、スワンナム地方には……」
シーシュンは頭を下げるが、シノブは顔を曇らせた。それにアルバーノも難しい顔をしている。
エンナム王国の術士ハールヴァは、おそらく狂屍術士のダールーと何らかの関係があるだろう。ハールヴァはダールーの名前を言いかけたからだ。
しかしハールヴァは奪命符で死んだ。つまりエンナム王国には、まだダールーの弟子筋か同門の末裔が潜んでいる筈だ。
出来ればシノブもグオ家の宿願を叶えたいが、エンナム王国を含むスワンナム地方にはオーマの木があり、その花粉を吸えば極度の錯乱状態に陥る。これに対抗できるのはシノブや眷属、それに超越種でも成体以上のみらしい。
オーマの木はスワンナム地方でも魔獣の森にしか生えていないし、花が咲くのは何百年に一度だという。しかし術士なら花粉を保存しているかもしれないし、葉などから近い薬を作り出している可能性もある。
そのためシノブは、オルムル達も含めスワンナム地方への立ち入りを禁じていた。
「シノブ様~、オーマの木ですけど、予防薬となる草がありました~」
「はい、ですからシーシュン君が潜入しても大丈夫です」
ミリィとアミィは、満面に笑みを湛えている。ちなみにミリィだが、もちろん映画監督風の扮装ではなくアミィと同じエウレア地方の衣装だ。
「そうか! なら皆で行けるな!」
「シノブ様、私達もお忘れなく!」
シノブとアルバーノは破顔した。それにミリテオやフランチェーラ達も顔を綻ばせているし、メイツァオ達も同様だ。
『シノブさん、私も行きます!』
『僕も!』
オルムルとファーヴは小さくなってシノブの肩に乗り、頭を擦り寄せ始めた。それにシャンジーを含め、宙に浮いて囲んでいる。
もちろんオルムル達の懇願をシノブが断る筈もなく、エルフの農園に歓声と超越種達の咆哮が広がっていった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年3月24日(土)17時の更新となります。