25.21 操命術士の伝説 前編
『トラカブト』探索に際し、アルバーノは特別な準備をしなかった。彼は魔道具を殆ど携行せず荷物も背嚢に収めたものだけ、食料もナンカンで入手した保存食のみとした。
一行は全て獣人族、したがって大魔力を必要とする特殊な魔道具など宝の持ち腐れ。若手を鍛える場に便利な道具は不要。幾つかの理由はあるが、アルバーノ自身の好みのようでもある。
焚き火を使って調理するアルバーノの姿は、そう思ってしまうほど楽しげであった。火には鍋が二つ掛かっており、その一つを彼が担当しているのだ。
「アルバーノさん、父より上手いかも……」
「それは嬉しいですな! 設営から料理番、何でもお任せあれ!」
脇から覗きこむ師迅少年に、アルバーノは鍋を掻き混ぜながら笑顔で応じる。
シーシュンは早くから父の葛将軍に連れられ、山野での行動を学んだという。その中には屋外食の準備も含まれており、実際この鍋に入っている野草は彼が中心になって集めた。
しかしアルバーノも多くを採ってきた。彼はシーシュンからナンカンの植物を教わったが、多少聞いたのみという呑み込みの早さだ。
「アルバーノさんって、太守なんですよね?」
シーシュンは不思議そうに首を傾げた。すると彼とアルバーノ以外、つまりミリテオや三人の女騎士は少々微妙な表情となる。
アルバーノ達は本名とアマノ王国での地位を明かしたが、詳しい経歴までは伝えていない。しかしアルバーノの過去、長くベーリンゲン帝国に囚われ戦闘奴隷として酷使された日々に触れるのはミリテオ達も躊躇ったのだろう。
「伯爵は去年からの新米だよ! それに二十年以上も傭兵や軍人として働いたから、こっちが本職さ!」
上機嫌に応じるアルバーノの姿には、確かに説得力があった。
アルバーノは量りもしないまま、鍋に調味料や材料を投じていった。しかし干し飯を戻した雑炊は、実に美味しそうな匂いを立てている。
隣で三人の女騎士、フランチェーラ達は苦戦中らしい。ロセレッタやシエラニアを含め武術の修行はしたが、野営まで学ばなかったのだ。
これは三人が伯爵令嬢だからである。彼女達が学んだ武芸は騎士としてのもの、戦場で食の準備をするのは家臣達であった。
とはいえ差が気になるのか、娘達は大して暑くもないのに汗を掻いているし顔も赤く染まっていた。
「二十年も……えっ、アルバーノさんって幾つなんですか!? だって父よりも……」
納得しかけたらしきシーシュンだが、驚きの声と共にアルバーノの顔を凝視する。
アルバーノは四十歳を超えているが若々しい外見で、せいぜい二十代後半といった辺りだ。そのためシーシュンは、彼を自身の父より年下だと思っていたようだ。
「実は四十一歳なんだ……さあ、出来た! それじゃ、食べようか!」
アルバーノはニヤリと言うべき笑みを浮かべる。どうやら彼はシーシュンを驚かせようと敢えて黙っていたらしい。
この日は昼間狩った森林大猪の肉もあり、野営にしては充分に豪勢であった。しかも魔獣の森だから野草も大きく、食べられる部分も多かった。
野草を気軽に食べるなど普通なら厳禁だが、シーシュン少年にはグオ家代々の知識があるから問題ない。彼が示した植物は洗って刻むだけで良く、鍋の具材として最適だった。
「カンの猪肉も絶品だな!」
「それに干し飯も、なかなか美味いですね!」
アルバーノとミリテオは、満足気な顔で料理を口に運んでいる。それにシーシュン少年も十二歳という育ち盛りな年頃に相応しく、勢い良く食べていた。
一方フランチェーラ達は対照的に静かであった。三人は女性だが、騎士で十代後半だから健啖家揃いだ。しかし今は悲しげな表情で、自らの作った雑炊を食べている。
「どうして……」
「同じように作ったのに……」
「アルバーノ様の……足元にも及ばない」
初挑戦ということもあり、三人の作った雑炊は失敗していた。
具は火が通りすぎて硬くなり、塩を入れすぎたらしく味も褒められたものではない。それに合わせて作った猪肉の串焼きも、焦げが多かった。
それに対しアルバーノは家庭料理としても出せるくらい見事だから、彼を慕う娘達が意気消沈するのも無理からぬことではあった。
「とてもこれでは……」
特にロセレッタの落ち込みようは酷かった。獅子の獣人だけあって大柄な彼女だが、今は一回り小さく見えるほど肩を落としている。
「仕方ないわよ」
「これから精進すれば……」
虎の獣人の二人、フランチェーラとシエラニアは同僚を慰めている。
アルバーノを狙う三人だが、僅かながら温度差があるらしい。あるいは最も入れ込んでいるロセレッタを可哀想に思ったのだろうか。
「三人とも、まだまだですな。まあ、護衛騎士に料理や野草の見分け方など不要ですが……」
「伯爵閣下にも不要だと思いますよ」
アルバーノの評に、ミリテオが呆れ交じりらしき呟きを漏らす。
ミリテオは諜報員だけあって食料の調達や調理なども学んでいたし、森で生き残る術も身に付けている。それに彼はフランチェーラ達と違って平凡な生まれで、子供のころから炊事の手伝いをしていた。
そのため名家に生まれたフランチェーラ達が従卒のように扱われているのを、ミリテオは不憫に思ってすらいるようだ。
「ウチは魔獣使いだから習ったけど、他の家ではしないみたいだし……」
「ほう、やはりシーシュン君の家は特別なのですか」
シーシュンの呟きに、アルバーノが興味を示した。
どうやらアルバーノは、シーシュンを通してカンの操命術士を知ろうと思ったらしい。
現在のグオ家は操命術士としての技の多くを封印し、虎や狼を使うのみだ。しかし彼らの源流が操命術にあり、祖師と崇められた神操大仙の流れを汲む一派であるのも間違いない事実であった。
◆ ◆ ◆ ◆
「まだ成人前だから詳しく教わっていませんが……。それに、ソニアさんやミケリーノ君が調べていると思います」
どうやらシーシュンは照れたらしい。アルバーノどころか全員の視線が彼に向いたのだ。
ただしシーシュンの言葉は事実で、今日はグオ将軍からソニア達が過去の経緯を教わった筈である。そのため彼は、自身の中途半端な知識を披露しなくてもと思ったのだろう。
「そんなこと言わずに。眠るまでの暇つぶしに聞かせてもらえませんか?」
「それも良いですね……私は早番ですから聞けませんが」
アルバーノが頼み込む中、ミリテオは自身の背嚢から毛布を取り出した。地面に敷く一枚と、上に掛ける一枚の計二枚だ。
同じように女騎士達の側でも、シエラニアが就寝の準備を始めている。これから朝までの間、見張りを残して三交代で休むのだ。
まだ二月下旬に入ったばかりだが、この辺りは暖かい。北緯34度弱と比較的北にも関わらず雪が降ることもないし、周囲の樹木も全て常緑樹だった。
そのため就寝時は毛布のみ、嵩張るからテントなどは持ってきていない。今は雨が少ない時期ということもあり、降雨の際は毛布を広げて防ぐか洞窟にでも逃れる心積もりである。
幸い今日は晴れており、今も樹木の間から星々が覗いている。こうなると火の番の他にすることもなく、雑談でもして時間を潰したくなるだろう。
「それでは……シェンツァオ大仙は御存知ですよね?」
「ええ、多少ですが」
シーシュンは操命術士でも最大の偉人とされる人物を持ち出した。それ以前にも魔獣を使う術は存在したが、今の形に纏め上げたのはシェンツァオ大仙なのだ。
このシェンツァオ大仙という人物は相当に長命だったらしく、逸話を信ずるなら創世暦500年ごろから創世暦700年近くまで活躍したという。しかも最後はカンを捨てて南に旅立ったというから、話通りなら二百歳を超えて大旅行できる体力を保持していたことになる。
そのため人族や獣人族ではなく、エルフではないかという説もあるそうだ。
「カンにエルフはいませんよね?」
アルバーノが疑問を感じるのも当然で、少なくとも今のナンカンにエルフやドワーフは存在しない。それにホクカンやセイカンも、今まで調べた通りなら人族と獣人族の国である。
ナンカン以外は超越種達が空から眺めた程度だが、流石に種族が異なれば気付くだろう。
「はい。父から聞いた話だと、操命術の奥義を極めれば長生きできるそうです。でもエルフ以外で二百歳以上は、ちょっと信じ難いですね」
シーシュンによれば、グオ家は長命の秘術を伝えていないという。
三百年以上も前に魔獣使いとして世に尽くすと決めたとき、グオ家は周囲に誤解されかねない術を捨てていた。今のグオ家では治癒魔術や薬草による治療などを教えるが、それも神殿で学べる術と大差ない。
「ふむ……スワンナム地方の森にはエルフがいるとか」
「シェンツァオ大仙は元々南方の出身で、荒禁の乱を避けて南に戻ったのでは?」
考え込むアルバーノに、ロセレッタが自説を披露する。
確かにシェンツァオ大仙がエルフなら、大きく乱れたカンを避けて故郷に帰りもするだろう。三百数十年前から始まった荒禁の乱では、狂屍術士と共に操命術士も危険視されたからだ。
禁術使いとされた過激派はともかく、穏健派のシェンツァオ大仙からすれば身に覚えのない罪で迫害されるだけ。カンに留まりたいとは、とても思えない筈だ。
「残念ながら、出身までは分かりません。ただ先祖には『輪廻の賢者』を目指す、と言い残したそうです。元々シェンツァオ大仙は動物達と共存した平和な暮らしを掲げたのですが、荒禁の乱で一層その思いが強くなったと聞いています」
「なるほど……『輪廻の賢者』ですか」
シーシュンの一言で、アルバーノは昨日の出来事を思い出したようだ。
シノブを慕うシャンジーやヴェーグを目にしたとき、グオ将軍は『輪廻の賢者』と口にした。これはシェンツァオ大仙が弟子達に語った、創世の秘伝説に出る言葉だという。
どうも創世の時代には、超越種や動物と言葉を交わす者がいたようだ。
おそらく神々の眷属なのだろうが、人間を含む全ての生き物を在るべき姿に導いた聖なる者が存在した。それをシェンツァオ大仙は師匠などから聞いており、自身の理想としたらしい。
「大乱を避け、弟子達と理想を追い求めた、か……」
「グオ家の先祖も誘われたのでしたね?」
黙り込んだアルバーノに代わってと思ったのか、フランチェーラが話の先を促す。
グオ将軍が語った通りなら、彼らの先祖は操命術士から抜けるときにシェンツァオ大仙の許しを得たそうだ。このとき周囲はグオ家の者にも一緒に行こうと声を掛けたが、祖師たる大仙の一言で離脱と残留が決まったという。
「その……シェンツァオ大仙は『人と人の共存に尽くすのも良し』と言い残したそうです。人も生き物の一つ、というのが大仙の教えだったと聞いていますし……」
「少し聞けただけでも大助かりですよ。ところで明日ですが……」
この辺りは詳しく教わっていないのか、シーシュンが済まなそうな顔となる。そのためだろう、アルバーノは話題を明日の行程へと変えた。
──シェンツァオ大仙か……会ってみたいけど、無理だろうな~──
──そうだなぁ……今が創世暦1002年だろ? つまり少なくとも五百歳以上だもんな……エルフでも長生きして三百歳ほどだぜ?──
上空で思念を交わしたのは、光翔虎のシャンジーとヴェーグである。彼らは相変わらず姿を消したまま、アルバーノ達を見守っているのだ。
今日のところは平穏無事で、シャンジー達が姿を現すことはなかった。そのためか、どちらも退屈そうに地上を眺めるのみである。
加えてオルムル達も先ほど引き上げたから、ますますシャンジー達は暇を持て余しているらしい。
──シノブの兄貴なら、そのくらい余裕で生きると思うけどな~──
──ああ、兄貴ならな──
シャンジーの期待交じりの思念に、ヴェーグも強い同意で応じた。やはり二頭は、シノブに自分と同じだけ生きてほしいのだろう。
光翔虎を含む超越種の寿命は、およそ千年。しかしシャンジーは百歳を超えたばかり、ヴェーグにしても二百二十歳ほどだ。そのため二頭がシノブの長寿を願うのも、無理からぬことではある。
◆ ◆ ◆ ◆
ナンカンの森の語らいから暫く後、アマノシュタットにも夜が訪れた。といっても日が落ちて間もない時間帯、シノブ達は夕食の最中だ。
『今日は面白かったです!』
『シノブさんも一緒に行けば良かったのに!』
岩竜ファーヴとオルムルの元気溢れる声が広間に響く。
この日は大きな催しもなく、シノブ達は『小宮殿』の『入り日の間』で食事をしているところだ。ただし超越種の子は人と同じものを食べないから、こちらは集っているだけである。
席に着いているのはシノブを始めとするアマノ王家の四人、それにアミィとタミィだ。ちなみに王子リヒトだが、遊び疲れたのか『天空の揺り籠』で眠っている。
「映像だけでも充分に楽しかったよ。それにアルバーノ達に悪いから」
シノブは先ほどまで鑑賞した映画を思い浮かべる。ミリィが撮った映像をアミィとタミィが整理し、出来が良いものを映してくれたのだ。
そのためアルバーノ達が森に潜入する様子、森林大猪を倒すところ、休憩時の一時など様々な映像をシノブ達は鑑賞できた。どれも短時間だったし秒間8コマと粗さが目立つ画像だが、それでも大いに楽しめたのは間違いない。
『でも、明日はアルバーノさん達だけでは危険かも……』
『僕達が加勢して良いなら、別ですけどね』
心配げなシュメイ、何やら期待しているらしきフェルンと、こちらは同じ炎竜でも正反対だ。これはシュメイが雌、フェルンが雄という性別の違いだけでもないらしい。
シュメイは幼いころアルバーノに助けられたから、彼を特に気に掛けている。それに対しフェルンは接点が少なく、あまり思い入れがないのだろう。
「う~ん。『トラカブト』の番人か……シェンツァオ大仙が残したのかな?」
「シノブ、アルバーノに教えた方が良いのでは?」
考え込むシノブに、シャルロットが自身の意見を述べる。
今日のオルムル達はアルバーノの隊に先行し、森の奥を偵察した。その結果『トラカブト』らしき植物を発見したが、同時に守り手らしき者も見つけたのだ。
グオ家から得た知識によれば、奪命符に『トラカブト』から得た毒が使われているのは間違いないようだ。したがって『トラカブト』の番人が奪命符について何か知っている可能性はある。
それ故シノブも大きな期待を抱いているが、オルムル達の話を聞く限りだと相当に手強いらしい。何と『トラカブト』の番人は、魔獣を従えていたのだ。
「とりあえず、通信筒で伝えておこう。向こうにはシャンジー達もいるし」
『そうです~、シャンジー兄さんなら大丈夫です~』
シノブがシャンジーの名を出したからだろう、フェイニーが浮き上がって振り向く。彼女は今まで、揺り籠の上でリヒトの顔を覗きこんでいたのだ。
側には玄王亀のケリス、朱潜鳳のディアス、それに嵐竜のラーカもいる。そのためシノブは我が子を四神が囲んでいるようだと微笑んだ。
『シノブさん?』
「ああ、リヒトには良いお兄さんとお姉さんがいるなって……そういえば、そろそろ新たな仲間も加わるのかな?」
残る一頭、海竜リタンの頭をシノブは撫でる。
来月の初めには海竜、嵐竜、玄王亀に子が生まれる。それぞれ現在はリタン、ラーカ、ケリスがいるのみだから、将来の番として親達は大きな期待を抱いている。
シノブが確かめに行ったところ、どの種族も上手い具合に性別が違ったのだ。
まだ幼い子供達は仲間が増えると喜ぶだけだが、長老や親達には早くも次の組をと語る者すら現れた。
かつてと違い人との共存が成ったし、超越種同士での狩場の融通も進んでいる。そのため反対する者もおらず、『白陽宮』は更に多くの子を迎えることになりそうだ。
「これでケリスさんもお姉さんですわね!」
『はい、嬉しいです!』
セレスティーヌが華やかな声を上げると、ケリスは宙に舞いあがり彼女の側へと寄っていく。
既にケリスも生後五ヶ月、本来なら全長3m近い巨体だ。しかし今はクッションほどの大きさに変じているから、ぬいぐるみの亀が浮かんでいるようで微笑ましい。
「今までだと誕生して一週間か十日ほど……来月の十日か半ばには会えますね!」
「そうですね……シノブ様、アルバーノさんとシャンジーさんの通信筒に送りました!」
ミュリエルやアミィも新たな子が加わるのが嬉しいようだ。
ここにいる子供達は手間の掛かる時期を過ぎたし、それどころか魔獣とも戦えるだけの力を得た。今のように腕輪の力で小さくなれば別だが、元のままだと可愛がるわけにもいかない。
察しの良いオルムル達は抱きかかえるのに程よい大きさになってくれるが、世話を焼くためだけに小さくなってもらうなど望ましくないだろう。
「ありがとう……どうしたの、ファーヴ、オルムル?」
シノブの肩に岩竜のファーヴとオルムルが降り立った。それも猫ほどに小さくなり、頭を寄せてである。
これは、お願いのときの姿勢なのだ。そのためシノブは何だろうと思いつつ言葉を待つ。
『シノブさんも来てください! シノブさんと一緒なら、僕も加護の力に目覚めると思うんです!』
『今までもそうでしたし……ダメですか?』
頭を擦り寄せての懇願は、シノブの同行を願うものだった。
ファーヴは一歳を過ぎて以来、新たな力を発動させようと毎日のように特訓に励んだという。それを良く知るオルムルは、彼の後押しをと思ったのだろう。
『あ、あの、シノブさん! 私も一緒の方が良いと思います、何となくですけど!』
『シュメイの賢竜の力ですか~? ちょっと怪しい気もしますけど~』
『それは言わない方が……。し、シノブさん、皆でお出かけしましょう!』
『ナンカンの森も暖かくて気持ちいいですよ!』
シュメイにフェイニー、リタンにラーカ、それに他の子供達も一緒に行こうと言い始める。
今日もオルムル達は探索の合間、ファーヴの特訓に付き合った。種族こそ違うが兄弟姉妹としての結束は非常に強く、皆が一日も早い開花を望んでいるのだ。
「分かった、とりあえず朝議が終わってからだけど……向こうは午後三時くらいか」
「そのころなら、まだアルバーノ達が『トラカブト』の番人と会う前でしょう。しかしシノブ、相変わらずオルムル達には甘いですね」
降参と両手を挙げたシノブに、シャルロットが冗談めかした言葉を掛ける。それにミュリエルやセレスティーヌも、堪えきれぬと言いたげに笑みを漏らす。
もっともシノブ達のやり取りは超越種の子の歓声に掻き消され、給仕の者達にも聞こえなかったかもしれない。
◆ ◆ ◆ ◆
「ちょっと様子が変わってきましたね!」
「こ、これを『ちょっと』で済ますんですか~!」
密林の中にアルバーノとミリテオの声が響く。ただし彼らの声は唸るような無数の羽音で消え、遠くには届かない。
森の奥、午後の陽が差し込む広場。そこでアルバーノ達は、巨大な蜂の群れに囲まれていた。彼らは円陣を組み、空からの敵と戦っている。
「気を付けて、オオドクバチに刺されたら即死だから!」
シーシュンは槍を突き出しながら、注意を促す。
スズメバチに似た虎縞の蜂は、大きさが人間の子供くらいもある。それに数も多く最低で数百、もしかすると数千もいるらしい。しかも全て尻の先から鋭い針を覗かせている。
この針は猛毒を持ち、人間は掠っただけでも命を落とすという。もちろんシーシュンは森に入る前にアルバーノ達に伝えており、一行に油断する者はいない。
「この程度、戦王妃様の突きに比べたら!」
「そうよ、止まっているようなもの!」
「ああ! 落ちろ、落ちろ!」
女騎士達も日々磨いた槍の腕を遺憾なく発揮していた。確かに彼女達の師匠シャルロットの猛撃に比べたら、巨大蜂など可愛いものだろう。
フランチェーラ達も既に『千手』を名乗れるだけの腕、つまり秒間百回の域を優に超えている。
「ほら、部下達に負けているぞ!」
「って……武力じゃ勝てませんよ!」
楽しげなアルバーノと違い、ミリテオは真剣そのものであった。
ミリテオは情報局の所属だから、諜報と武術の双方に時間を割いている。そのため純粋な武人として比べたとき、彼がフランチェーラ達に劣るのは仕方ない。
もっともミリテオの隣にいるのは双方の達人たるアルバーノで、こちらはシーシュンの支援をしつつ更に他にも気を配る余裕まである。ミリテオはアルバーノを強く尊敬しているから、ますます堪えるだろう。
──殺人蜂の襲来ですね~! これは良い映像になりそうです~!──
この日もミリィは撮影に夢中だった。開けた場所、昼過ぎで光も充分、そして珍しい敵。絶好の条件に彼女は大喜びで撮り続けている。
──ミリィさんってば……。数え切れないほど来るけど、大丈夫なの?──
──万一のときは、ボク達が吹き飛ばしますよ~──
──そうだなぁ。所詮は虫、俺達の本気からすれば動いていないも同然だ──
呆れ気味なヴァティーに、少し離れた場所からシャンジーとヴェーグが応じる。
今日もヴァティーは撮影台を載せており、彼女は戦いに加われない。しかし他に光翔虎は二頭もおり、確かに恐れる必要はないだろう。
もっとも、これが単なる自然現象であるなら、だが。
──まだ集まってくる!──
──アルバーノさん達、何もしていないのに──
更に上空に陣取っているのは、ファーヴとオルムルだ。ただし二頭の見つめる先はアルバーノ達ではなく、蜂の群れが来る方向であった。
それは森の奥、これからアルバーノ達が向かう場所だ。つまり一行が何かして蜂が怒ったのではない。
──今も巣から一直線に向かってきますし……やはり『トラカブト』の番人の仕業では?──
──でも、どこから?──
──人なんて見当たりませんね~──
シュメイ、フェルン、フェイニーの三頭も高空から周囲を見回す。
森の中は午前中と全く変わらないように思える。奥に進んだ分だけ魔力が増えて木々や動物達も大型化したものの、生態系が激変したというほどではない。
このオオドクバチもアルバーノ達が出会っていないだけで、オルムル達は森の外周部でも見つけていた。ただし外周部で発見したのは、せいぜい拳二つ分ほどの大きさだったが。
「アルバーノさん、このままじゃ埒が明かない! 操りの鈴を使ってみます!」
「頼みます! まだ余裕はありますが、あるうちに何とかしたいですし!」
膠着状態に焦れたらしく、シーシュンがアルバーノに声を掛ける。もっともアルバーノも何か対策をと考えていたようで、二つ返事で許可を出した。
シーシュンが抜けてもアルバーノなら充分に守り通せるが、長く続けば他が脱落するだろう。それなら今のうちにと考えるのは、極めて自然なことだ。
「上手くいってくれ!」
シーシュンは手にした鈴を高々と掲げ、揺らし始めた。すると鐘のような独特な響きが、森の空へと広がっていく。
──あれ~、ヤマト王国で見たような~?──
──筑紫の島の霧の山でしたね~。あの宜使という男が使った術と、同じ系統です~──
シャンジーの問い掛けるような思念に、ミリィは撮影を続けながら応じる。
かつてクマソ王家の分家が反乱を起こしたとき、配下のヨロシという男は大陸から伝わったという術で無魔大蛇の群れを操った。
あのときヨロシは極小の銅鐸に似た鈴を振るっていた。後のクマソ王家の調べでは、この音の大小やリズム、それに振り方が制御に関わっているそうだ。
ちなみにヨロシ自身が大陸で学んだのではなく、父がダイオ島で習ったらしい。つまりカンの操命術がダイオ島まで伝わったのは確かなようだ。
──なるほどなぁ。しかし今回の蜂、音で操られているんですか?──
──そうねぇ。鈴の音なんて、今まで聞こえなかったわ──
一旦は納得したらしいヴェーグだが、不審な音がなかったことに思い当たったらしい。ヴァティーも同調しているが、もし音だとすれば超越種にも聞こえない波長なのだろうか。
果たしてどうなるのか。光翔虎達が見下ろす中、広場では変化が現れ始めた。
オオドクバチの群れは、今までのように闇雲な襲撃を止めていた。まだ興奮状態の個体もいるが、大半は夢から覚めたように遠ざかっていく。
「効いているぞ!」
「シーシュン君、続けてくれ! お前達、向かってくる奴だけ相手しろ!」
「はい!」
ミリテオに笑顔が戻り、アルバーノも顔を綻ばせつつ指示を飛ばす。応じる三人の女騎士も余裕が出てきたようで声が明るい。
シーシュンも自身の技が効果を示して安堵したのか、こちらも笑みを零した。しかし次の瞬間、一同の顔は再び引き締まる。
「俺のと似た音!?」
「それも近づいてくる!」
森の奥から響いてくるのは、確かにシーシュンの鈴と良く似た音色だった。そのためアルバーノ達は、蜂達の動きを注視する。
しかし意外というべきか、オオドクバチは攻撃してこない。それどころか宙に舞いあがり、音がする南へと去っていく。
しかしアルバーノ達は警戒を解かなかった。何故なら彼らの前に、現れた者がいたからだ。
「は、蜂に人が乗っている!?」
「女の子!?」
「ええ、男じゃないわ!」
ミリテオや女騎士達が叫んだように、新たな登場人物は巨大な蜂に乗っていた。
おそらく女王蜂なのだろうが、人間より確実に大きい。上に人を乗せているが全く苦にすることなく飛翔し、しかも宙で静止する。
乗っている人物は深くフードを被り、目元しか肌を晒していない。しかし華奢な体格からすると、女性で間違いなさそうだ。
「あなた達、森を荒らさないで……未熟な技を使わないで……」
「ま、まさか父さんの言っていた……」
蜂に乗った人物に、シーシュンの呟きは聞こえたのか。微かに頷くと、そのまま消えていく。
もちろん消失したのではなく、蜂が飛び去ったのだ。巨大な女王蜂は他と同様に、南を目指して一直線に飛翔していく。
──これはボーイ・ミーツ・ガールかも~! ともかく貴重な映像が撮れました~!──
──ミリィさんは気楽ねぇ……まあ、謎は解けるでしょうけど──
飛び跳ねて喜ぶミリィとは対照的に、ヴァティーは呆れ気味の思念を漏らすのみだった。
もっともヴァティーの言うように、すぐに正体は明らかになるだろう。なぜならシャンジーやオルムル達が追跡を始めていたからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年3月21日(水)17時の更新となります。