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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第25章 輪廻の賢者
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25.20 森と海の冒険

 アマノ王国の宰相ベランジェは、ここのところ二つの仕事に多くの時間を当てていた。それは憲法制定と国史編纂(へんさん)である。


 国王シノブは法治主義を望み、建国前から憲法を定めようと動いた。しかし今までエウレア地方の王国は絶対君主制で、立憲主義への理解は進まなかった。

 エウレア地方では統治者の力が強く、しかも五百年以上もの昔から変わっていない。これは建国期に地上に降りた眷属達が、神々に祝福された英雄達を中心に国造りを進めたからだ。


 当時はベーリンゲン帝国がバアル神から得た知識で急速に版図を広げ、加えて周囲に対抗できる勢力は存在しなかった。そこで神々は眷属達に聖人として地上を導くよう命じたのだ。

 既にベーリンゲン帝国は倒され、アマノ王国として生まれ変わった。しかし伝説の時代への憧憬は強く、今も多くは聖人や英雄の教えを旨としている。


 王制以外の国も先祖の遺訓や逸話を指針とし、先例主義というべき状態だ。それ(ゆえ)シノブの期待に反し、憲法制定への歩みは遅い。

 とはいえ国王が押し付けたら、絶対君主制と変わらない。そこでシノブは議会の代わりに王立顧問会を設けた程度で、多くを周囲に任せていた。


 ベランジェ達は新たな制度を広めるなら正しい理解からと、国史編纂にも乗り出した。彼らはベーリンゲン帝国が倒されアマノ王国が生まれた経緯を記し、両国の対比で専制の危険を示そうと考えたらしい。

 もちろん自分達の正当性を(うた)う意味もあるが、帝国時代の皇帝専横や奴隷への迫害を後々の教訓にという思いも強かったのだろう。ベランジェなど他国出身者のみならず、元々この地にいた人々も熱心に取り組んだ。

 ただしシノブは、こちらも静かに見守るのみだ。国史の多くにはシノブ自身の行いが記されており、下手に感想を述べたら関わっている者が萎縮するからだ。


「ふ~む。『暴虐の限りを尽くした帝国に怒り、ついに超越種達も立ち上がった。岩竜と炎竜は兵士達をメグレンブルク伯爵領に運び』……もう少し結束を強調したいところだねぇ」


「続く部分は良いと思います。『不世出の英雄シノブ・ド・アマノを助けんと、竜達は漆黒の夜空を東に突き進む。中でも炎竜ゴルンは我が子シュメイ救出の恩を返すべく、真紅の体を太陽の(ごと)く輝かせていた』……ここには挿絵も欲しいですね」


 宰相ベランジェと補佐官リンハルトの声が、入室したシノブの耳に届く。

 どうやら国史か(るい)する書籍の原稿を眺めているようだ。しかし英雄という表現が歴史書に相応しいか、シノブは疑問に感じてしまう。

 もっとも隣のシャルロットを含め、違和感を覚えた者は他にいないらしい。こういった表現もエウレア地方では珍しくないからだろう。

 何しろ王が国を統べ、騎士が戦場を駆ける時代である。シノブが知る現代日本の歴史書と違い、むしろ修飾を重ねるのが一般的なのだ。


「……メグレンブルクの人々の描写を増やすように。特に奴隷から解放された者達をね!」


「無闇に強調する必要はありません。事実を記せば、それだけで充分に解放作戦の意義が伝わりますから」


 ベランジェとリンハルトはシノブ達に気付き目礼したが、編纂者達への注文を続けていく。

 シノブは無駄を嫌ったし、『白陽宮』で働く者達にも仕事の手を()めてまで敬意を示す必要はないと通達した。そのため国王の願い通り、ベランジェ達は目の前の仕事を優先させたのだ。

 脇の机で働く補佐官達も主に倣って軽く頭を下げるのみ、そのため背を向けていた編纂者達は国王と王妃の入室に気付かぬまま宰相に向いていた。


「そんなところかな。それじゃ作業に戻ってくれたまえ!」


 ベランジェは含み笑いをしつつ、編纂者達を解放する。彼は部下達が驚く姿を楽しむことにしたらしい。

 隣のリンハルトも黙ったままだ。怜悧な美青年の顔には僅かな笑みが浮かんでいるが、編纂者達は(ねぎら)いと受け取っただけらしい。

 そのため執務机の前にいた者達は、一礼して下がろうとするのみであった。


「はい! ……陛下! それに戦王妃(せんおうひ)様も!」


「し、失礼しました!」


 振り向いた者達は、シノブ達に気付いて驚愕を顕わにする。彼らが働くのは宰相府文化庁の史書編纂部、『白陽宮』ではなく省庁街だから無理もない。


「問題ないよ。頑張って良い史書を作ってくれ」


「貴方達の(つづ)った書は、未来への箴言となるのです。誇りと共に取り組みなさい」


 こうなるだろうと思っていたから、シノブは鷹揚な言葉で応じる。シャルロットも同じだったらしく、王妃然とした笑みと言葉で激励するのみである。


「義伯父上、随分と進んでいるようですね」


「当然だとも! 国史編纂と憲法制定、どちらも建国記念日までには一段落させたいからね!」


 シノブは自身への修辞に思うところもあったが口出しせず、そのためベランジェも順調な進展を誇るのみであった。

 ベランジェは補佐官のリンハルトへと顔を向ける。どうやら進捗を語るのは、自身の右腕に任せることにしたらしい。


「国史の第一巻……アルマン島の戦いが終わって建国式典までですが、こちらは予定通り四月頭に発行できます。憲法の意義を浸透させるには、帝国時代の専制に問題があったと示さねばなりませんので……」


 リンハルトは六月の建国記念式典に向けた諸々を語り出す。

 建国から一年という特別な日は、新たな何かを打ち出すのに最適である。それに戦いや苦難の記憶が薄れる前にという意味もあった。


 そのため憲法もシノブが目指す最終形ではなく、今の人々に理解を得られる範囲で(まと)めることにした。要するに法治主義と専制主義の混在である。

 憲法に則って各種の法律を定めるが、国王であるシノブは憲法自体を容易に改訂できる。人々は神に認められた君主の統治を望み、家臣を信任しての権限付与はともかく全面的な譲渡には反対したのだ。


「来月末まで忙しいけど、頑張るよ! 早くしないと記録できないものもあるしね!」


 ベランジェが言うように、当時のものを写真や録音として残すのは難しくなった。

 アマノ王国は人々の生活向上に注力したから、かつては奴隷の住む場だった村々も既に帝国時代の面影はない。それに都市や町も大きく改善され、『白陽宮』を含め大半が新たな姿に生まれ変わった。

 そのため帝国時代の風景を記録しようと思ったら、完全に消える前に急いで回るしかない。


「写真や録音の魔道具が出来た昨秋以降なら別ですが……」


「まあねぇ……しかし建国式典を記録できなかったのは残念だよ。だから今度こそはと皆が頑張っているんだ……幸いミリィ君も新型の試験に乗り気だしね」


「例の件ですか……」


 シノブが理解を示すとベランジェは頷き返し、更に何やら意味ありげな表情へと変じた。一方シャルロットは伯父の言葉が意味するものを察したらしく、楽しげな笑みを浮かべる。

 もちろんシノブも暗示されたものが何か承知しており、自然と視線は窓の外へと向いていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 宰相執務室でシノブ達が語らった半日ほど後、ナンカンではアルバーノ率いる一隊が密林に挑んでいた。

 シノブが(グオ)将軍家を訪れた翌日、アルバーノ達は早速ジェンイーを出発した。彼らはグオ家の跡取り師迅(シーシュン)少年の案内で、南のエンナム王国と隔てる大密林へと向かう。

 もっとも森までの移動は光翔虎達の背に乗ってだから、アルバーノ達は一時間もしないうちに入り口まで到達した。今は密集する枝葉を山刀で打ち払いつつ、奥へと進んでいる最中だ。


 アルバーノ達が探す『トラカブト』は、ここから何十kmか南に進んだ辺りに生えているという。それもエンナム王国との境に(そび)える幡溪(ばんけい)(ざん)(ふもと)近く、魔獣の領域でも最奥部と呼ばれる秘境に多いらしい。


「アルバーノさん?」


「なんですかな?」


 振り返ったシーシュンに、アルバーノは柔らかな声で応じた。

 今は真っ直ぐ南を目指すのみで案内も不要だ。そこで隊列は先頭から三人の女騎士、監督役の諜報員ミリテオ、シーシュンの後ろが殿(しんがり)を守るアルバーノとなっていた。

 そのためシーシュンは少々暇を持て余したらしい。彼は虎の獣人だから大人に近い体格だが、まだ十二歳と若年で退屈するのも仕方なかろう。


「光翔虎様なら幡溪(ばんけい)(ざん)でも一飛びですよね。それに岩竜様や炎竜様もいらっしゃいますし……」


 シーシュンは虎耳を振るわせつつ、頭上を見回す。

 二頭の光翔虎、ヴェーグとシャンジーは今も近くにいる筈だ。しかし彼らは姿消しを使っており、地上からは本当にいるかすら(つか)めない。

 それは今朝方合流したオルムル達も同様である。岩竜のオルムルとファーヴ、炎竜のシュメイとフェルン、光翔虎のフェイニーの五頭は、やはり森に入る直前に姿を消した。


 ちなみに超越種の子供のうち、残りはカカザン島で森猿スンウ達の指導をしている。海竜リタンは森に不向きと残留を希望し、それでは自分もと嵐竜ラーカ、玄王亀ケリス、朱潜鳳ディアスも別行動を選んだ。

 そのためシーシュンが目にしたのは、彼が触れた三種族のみである。


「それでは私達の立場がないでしょう? シーシュン君も父上に聞かれたときに困るでしょうし、あの者達の修行にもなりません」


 少年に応じたアルバーノは、続いて列の先頭へと顔を向ける。

 視線の先では三人の()が山刀を振るっている。この日もフランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアの三人は男装しており、しかも変装の魔道具を使っているから体型も他と変わらないのだ。


「フランチェーラさん達ですか。もう一人前だと思いますが……父の配下の若手でも、あれほどの男は滅多にいませんよ」


 シーシュンは三人を女性と思っていないようだ。

 自己紹介のときフランチェーラ達は、カンでの偽名と合わせて本名も名乗った。しかし西の国々など知らぬシーシュンには、それらが女性の名だと理解できなかったようだ。

 もっとも少年が誤解するのも無理はない。フランチェーラとシエラニアが虎の獣人でロセレッタは獅子の獣人だ。そのため後ろのミリテオ、猫の獣人で細身の彼より力強く感じるほどだ。


「まだまだ経験不足ですよ。その証拠に気配の察知は……」


 アルバーノは声を落とし、斜め前へと顔を向ける。すると直後、森の木々が大きく揺れた。


「魔獣だ!」


「気をつけろ!」


 変装の魔道具には変声機能も備わっており、フランチェーラ達の叫びは男と変わらぬ太さである。もっとも今のシーシュンは手に持つ槍を握り直したところで、声質に気を回す余裕はなさそうだ。


「シーシュン殿、白と黒の魔獣だ!」


超熊猫(ちょうくまねこ)です! 笹を食べる大人しい獣です!」


 振り向いたフランチェーラの顔は険しかったが、シーシュンの返答に大きく和らいだ。隣の二人も構えていた槍を杖代わりに戻し、再び山刀を鞘から抜く。


 密林の奥から姿を現したのは、馬車よりも大きな巨獣だった。名前通りパンダの近縁種らしく、白と黒の熊に似た生き物である。

 のっそりと歩く姿は穏和そうだが、どうやら気配を消す能力を持っているらしい。ここまでの接近を許したくらいだから、可愛らしいなどと暢気(のんき)に構えてはいられないだろう。


「あのような大物が、笹を食べるだけとは……」


「一日で家ほどの量を食べるそうです。おそらく今は、別の竹林に移動中なのでしょう」


 呆然(ぼうぜん)とするミリテオ達に、シーシュンは超熊猫(ちょうくまねこ)の習性を語っていく。実際に少年の語る通りらしく、白黒の魔獣は人間達を気にすることなく前方を横断していくのみだ。

 それ(ゆえ)アルバーノ達も静かに大魔獣をやり過ごす。しかし上空では、期待外れの遭遇に不満を漏らした者がいた。


──むぅ~。パンダちゃんを撮れたのは幸運でしたが~──


──少々面白みに欠けるわねぇ──


 背の上のミリィに、光翔虎のヴァティーが残念そうに応じる。

 ヴァティーは騎乗用の装具の上に台を固定し、その上にミリィが立っている。そして虎の獣人に変じた少女は、三脚の上の大きな箱に顔を当てていた。

 ミリィは密かにアルバーノ達の様子を撮影していたのだ。しかも彼女が使っているのは動画を記録できる最新式である。

 台の上には音声記録用の魔道装置も置かれている。動画撮影の魔道具と合わせ、これがベランジェの言っていた新型だ。


 まだ試作版で秒間8コマだから、地球の映画やテレビに比べると相当劣る。もちろん身体強化を使っての高速戦闘を残せる域には遠いが、それでも大きな進歩には違いない。

 今は誕生したばかりで、メリエンヌ学園の研究所でも同型の数台で試験を重ねている段階だ。それに装置自体も巨大で、元の大きさに戻ったヴァティーの背は大半が埋まっている。

 何しろカメラに相当する部分には望遠レンズを備え、録音装置も集音能力の優れた大型機だ。しかも替えのフィルムや録音テープ、レンズも長短の各種を予備も含めて積んでいた。


──凶暴な魔獣でドッキリといきたいですね~。アシさん何か良いネタ転がっていませんか、です~──


 ミリィは随分と乗り気らしく、サングラスにハンチング帽、手にはメガホンと映画監督のような装いだ。アムテリアが金鵄(きんし)族に与えた変身の足環は服も思った通りに出来るから、こういった芸当も可能なのだ。


──この『放浪の虎』さんがサクラをしましょうか?──


──それは……でもトラさんがサクラを演じちゃダメですよ~。先に行ったシャンジーさん達の報告を待ちましょ~──


 ヴェーグの申し出を、ミリィは未練ありげに断った。

 シャンジーはオルムル達と共に森の奥へと飛んでいった。偵察と子供達の食事を兼ねての先行だが、面白いものがあったら教えてほしいとミリィは頼んでいたのだ。


 しかしミリィの期待に反し、初日は何も起こらなかった。せいぜい森林(しんりん)大猪(おおいのしし)が森の奥から飛び出してきた程度である。

 この日に限っては、遥か東のアコナ列島の方が良い映像が取れただろう。もっともアコナはミリィの管轄ではないから、彼女が出向くわけにもいかない。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アルバーノ達が超熊猫(ちょうくまねこ)と遭遇した数時間後、真昼を迎えたアコナの海上。森とは違い、少々危険な遭遇が起ころうとしていた。

 もっとも今は海も穏やか、(まぶ)しい陽光と心地よい風に恵まれ船上も笑顔に満ちている。


「順調ですね」


「ああ。今日は予定通りヨナ島、この天気が続けば三日後か四日後にはダイオ島か」


 大海原を進む帆船で笑みを交わしたのは、交易商の呂尊(るぞん)とクマソ王家の跡取り刃矢人(はやと)だ。


 二人が乗っているのはルゾンの船、和船に似たヤマト王国の商船だ。続く船舶も似た造り、ルゾンの持ち船やヤマト王国の軍船である。

 ただし船上の顔は様々だ。武人だけでもクマソに大王領、それにアコナの褐色エルフもいる。しかもエルフは比較的近い伊予(いよ)の島どころか、遥か西のエウレア地方やアスレア地方まで乗っている。

 アコナに集った者達は、総力を挙げて大陸の調査に乗り出したのだ。


 もっとも当面の目的地はダイオ島、大陸ではなく一つ手前である。航路の都合もあるが、まずはエンナム王国に朝貢しているダイオ島で情報収集をという考えだ。


「綺麗な海ですね」


「穏やかで助かります」


 寄ってきたのはエウレア地方出身のエルフの兄妹、ファリオスとメリーナだ。

 この二人は他に比べると早くから国を離れ、乗船経験も積んでいた。実際に双方とも平静な様子を保っており、歩みにも余裕が感じられる。


「おそらく数日は持つと思いますよ」


「そうだと良いのですが……」


 ルゾンの予想に浮かない顔で応じたのは、アスレア地方から来たエルフの女性だ。それも大物中の大物、アゼルフ共和国のメテニア族の長老ルヴィニアである。


 アゼルフ共和国には鋼の守護者(メタル・ガーディアン)移送鳥符(トランス・バード)など高性能の符人形があり、その中でもルヴィニアは当代随一と呼ばれるほど憑依術に()けている。そのため彼女や弟子達は、偵察要員として加わっていた。


「その……嵐は(つら)いですよ」


 遥か年長の相手だけに、ハヤトも遠慮したようだ。熊の獣人の巨漢、それも武勇で名高い王子とは思えぬ丁寧な口調で老女を(いたわ)る。


「ご心配、ありがとうございます。ですが最悪の場合は、憑依して空に逃げますので」


「私もそうしましょう。移送鳥符(トランス・バード)は予備も多いですし、船上で醜態を晒したら後始末が大変ですから」


「兄上……」


 憑依術を使えば魂は対象に移り、嵐の揺れから逃れられる。そう語ったルヴィニアに、ファリオスも大きく頷いて同調した。

 メリーナは兄の調子よい発言に(あき)れたようだが、続きは語られぬままとなった。何故(なぜ)ならルゾンの船を襲う者が海の奥底から現れたのだ。


「……移送鳥符(トランス・バード)?」


「ええ……敵襲!?」


「海中……帝王ザメです!」


 船の進む先から現れたのは青緑の小鳥、しかも短く区切るように鳴いている。もちろんルヴィニア達が気づいたように移送鳥符(トランス・バード)で、鳴き声は『アマノ式伝達法』による呼びかけだ。


「これは海戦用『素航狗(すこうく)』の出番ですね!」


「ああ、ちょうど良い試験だ! 頼んだぞ!」


「ファリオス殿、ご武運を!」


 喜び勇むファリオスに、ハヤトとルゾンが声援を送る。そして船員達は慌ただしく動き、甲板の一角に駆けていく。


 船員達が向かう先には、帆布で覆われた水陸両用の木人が固定されている。これを使ってファリオスはサメと戦うのだ。

 普通のサメならやり過ごすが、この帝王ザメという種類は名前の通り極めて大きい。嘘か真か外洋向けの商船、つまりルゾンの船より巨大な個体を目にしたという逸話すらあるのだ。

 移送鳥符(トランス・バード)が伝える通りなら迫っているのは『素航狗(すこうく)』の倍くらい、人間の身長の五倍や六倍といった辺りだ。しかし帝王ザメは好戦的で、船上に飛び込んで人を食らったという話もある。

 そこでファリオスは仕留めるか遠ざけるか、先手を打つことにしたわけだ。


「係留索、解きました! 衝角(しょうかく)の鞘も外しています!」


『了解しました』


 船員達が準備する間に、ファリオスは既に憑依を終えていた。彼の体はメリーナの腕の中、まるで眠っているように目を閉じている。


 一方の海戦用『素航狗(すこうく)』だが、朱漆しゅうるしで塗られた体を起こし、頭上の刀剣にも似た角を陽光に輝かせる。

 元の『素航狗(すこうく)』が大人の背の三倍程度、その上に大太刀に匹敵する角を付けた巨体だ。そのためファリオスは帆や綱を傷付けるのを恐れたようで、巨像の腰を屈め頭を低くしている。


『……アコナのサメがどれほどのものか、見せてもらいましょう』


 もっとも海戦用『素航狗(すこうく)』が船上にいたのは僅かな間、滑るように動いて海中へと没した。そして船員達が見守る中、赤い影は一気に加速し船の前へと躍り出る。


『三倍速いというのも事実のようですね……あれが帝王ザメですか!』


 全力で突き進んだのだろう、僅かな間に巨大木人は大ザメと相対した。一方の帝王ザメだが、脅しなのか小船なら一呑みしそうな口を広げる。


 帝王ザメは海戦用『素航狗(すこうく)』を難敵だと思ったようだ。船への突撃を一旦は放棄し、目の前の相手との戦いに切り替えたらしい。

 僅かに向きを変えた大ザメは、猛然と木人に襲い掛かる。対するファリオスは逆らわず、こちらも速度を上げていた。


『呑みこむつもり……好都合です!』


 ファリオスは衝角(しょうかく)で大ザメを口の中から貫いた。

 まず角を上顎の内側から突き上げ、直後に両腕の爪で下顎を押し(とど)める。しかも角は手前から奥へと斬り裂くように進めている。

 どうやらファリオスは帝王ザメの脳髄を狙っているらしい。そして彼の狙いは当たったようで、暫しの後に巨大なサメは動きを()めた。


『どうしましょうか……船に積むには大きすぎますし。研究所に持って帰れば喜ぶ者もいるでしょうが……たぶん持たないでしょうね』


 持ち帰るのは諦めたらしく、海戦用『素航狗(すこうく)』は手ぶらで船へと戻っていく。そのためアコナの帝王ザメは、海流に乗って消えていくのみであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



──ガ~ン! 『巨大ザメ、アコナに散る!』……撮影したかったです~!──


 日暮れ間近の森の上空で、ミリィが強い衝撃の滲む思念を発した。彼女の手にはファリオスからの報告書、つまり通信筒で送られた紙片が握られている。

 そこには予定通りヨナ島に着いたことや、明日はダイオ島を目指して出港することも記されていた。しかしミリィの目に入ったのは、帝王ザメとの格闘のみらしい。


──ミリィさん、この魔道具って水に()けても大丈夫なの?──


 応じたのは相変わらず撮影台となっているヴァティーである。彼女がシノブ達と会ってから一ヶ月少々だが、若い分だけ吸収が早いのか耐水性の高い魔道具は希少だと知っているらしい。


──それは……無理です~。まだ夜間撮影も出来ませんし~──


 ミリィは残念そうな顔で撮影の魔道装置を見つめる。

 仮に研究所の者達が聞いたら、もう少し待ってくれと答えただろう。何しろ写真と録音の魔道具が完成して半年弱、曲がりなりにも動画を記録できるだけで驚異的な進歩である。

 今はコマ数が少なく少々ギクシャクした映像しか残せないが、これでもアマノ王国で公開したら大喝采で迎えられることは間違いない。地球の映像技術を知っているミリィだから不満を感じるだけで、この星の人々からすれば夢の技術なのだ。


──でも憑依したのはファリオスさん、しかもメリーナさんもいたんですよ~。『あの優しかった妹が……まさかな』とか出来たんですよ~──


──その……ゴメンなさい、よく分からないわ──


 しゃがみこんで『の』の字を書くミリィの姿は、ヴァティーに見えていない筈だ。しかし思念に漂う(よど)んだ気配から何かを感じたのか、それとも眷属への敬意からか、彼女は謝罪らしき言葉で応じる。


──ミリィさん、こちらでも面白いことはあるみたいよ?──


 ヴァティーが向いた先には、グオ将軍の長男シーシュンがいる。

 どうやらシーシュンは年齢の近いフランチェーラ達が気になったらしく、女騎士達へと向かっていた。もっとも彼は三人を男性だと思っている筈で、今も武術談義や修行話でもと考えただけらしい。

 少なくとも少年の顔には、妙齢の女性に語りかける気負いなど存在しない。


──こ、これは~! まだ撮れますね~!──


 ミリィの言うように、多少暗いが撮影不可能というほどではない。そこでヴァティーは場所を変え、少年と三人の女騎士が入る位置に移った。


「フランチェーラさん達、水浴びにでも行かないか? 俺は虎の獣人だけど少しは火の魔術が使えるんだ。湯沸かしくらいなら任せてよ」


 やはりシーシュンは相手が男だと思ったままのようだ。

 相手は成人年齢を超えているが十代、ならば若い男同士として仲間に入れてくれるのでは。この三人はアルバーノやミリテオと違って修行中らしいから、あまり気を使わずとも良いだろう。

 そんな内心の思いが聞こえてくるような気楽な呼びかけだ。


「えっ……」


「アルバーノ様ならともかく……」


「その……シーシュン君……」


 フランチェーラ達は性別を伝えていないことに思い至らないらしい。もしくはアルバーノ達から聞いていると思い込んでしまったのか。

 三人は動揺も顕わに、焚き火を囲むアルバーノへと顔を向ける。


 そのアルバーノだが、地図を広げてミリテオと相談中であった。ただし頭上の猫耳の一方は若者達へと向いている。

 どうやらアルバーノは背後の動きを察しつつも、彼ら自身で対処できると放置したようだ。


「なんだよ! アルバーノさん、アルバーノさんって!」


「あの、シーシュン君?」


 気を悪くしたらしいシーシュンに、フランチェーラが戸惑い顔で問い掛ける。

 アルバーノの名を口にしたのはロセレッタだが、今は後ろを向いている。どうも彼女は、真っ赤になった顔を仲間や少年に見られたくないらしい。

 そこで最年長のフランチェーラは、これ以上(こじ)れる前にと間に入ったのだろう。


「確かにアルバーノさんは凄いよ、昼間も森林(しんりん)大猪(おおいのしし)を一撃だからね! でもフランチェーラさん達、ちょっと気にしすぎじゃない!?」


「あれほどのお方、気にするのは当然だと思うが」


 シーシュンの物言いが(かん)に障ったのか、ロセレッタが低い声で応じる。彼女の顔は先ほどと別の意味で赤く染まり、しかも焚き火の灯りも相まって随分と迫力がある。


「あっ、やっぱりそうなんだ! 軍には色子も多いって聞いていたけど……」


「……色子とは?」


 顔を引き()らせ数歩も退()いたシーシュンに、シエラニアが小首を傾げて問い掛ける。

 三人は女騎士だが伯爵令嬢でもある。そのため下々の言葉に(うと)くても仕方ないだろう。


「シーシュン君、フランチェーラ達は女だ! シエラニア、色子は年上の男性を愛する少年のことだが、俺にそんな趣味はない!」


 流石に我慢し切れなかったようで、アルバーノが口を挟む。

 振り向き立ち上がったアルバーノは、吹き出すのを(こら)えているらしく顔を(ゆが)めていた。隣のミリテオは将軍の跡取りや伯爵令嬢への失礼を避けたのか、元の姿勢のまま肩を震わせている。


「えっ、女だったの!?」


「変装の魔道具を使っているの……解除するわね」


 目を丸くしたシーシュンに、フランチェーラ達は真の姿を見せる。

 三人の顔立ちは女性らしく柔らかさを増し、服は変わらぬものの体型も明らかに男性とは異なるものとなった。一方のシーシュンは今までの無礼が頭を過ったらしく、茫然自失の(てい)で立ち尽くすのみだ。


「……ご、ゴメンなさい」


「知らなかったのだから、仕方ないわ」


「そうね、明日は頼むわよ」


「ええ。『トラカブト』探し、期待しているわ」


 深々と頭を下げるシーシュンを、女騎士達は笑顔で許す。そして若い四人を見つめるアルバーノは、ついに高らかな笑いを響かせ始めた。


──むぅ~。『お風呂でドッキリ!』とか期待したのに~。面白映像は『トラカブト』発見まで、お預けですか~──


──ともかく今日は終わりね。一旦ジェンイーに戻りましょう──


 上空では再びミリィが不満げな顔になる。しかし暗さも増してきたから、ヴァティーの言うように今日は撮影終了だ。


──ミリィ殿、後はお任せください! そろそろシャンジー達も戻るでしょうし!──


 ヴェーグが見送る中、ヴァティーは北へと飛び去っていく。これからミリィは撮った映像を確認し、出来の良いものはアマノシュタットに送り届けるのだ。

 しかしアミィとタミィの検閲を通過する映像がどれだけあるのか。今の時点では神々のみが知ることであった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年3月17日(土)17時の更新となります。


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