25.19 ナンカンの虎将軍
魔獣使いの将軍、葛師諭の先祖はナンカン建国に大きく貢献した。そのためグオ家は別格の名門とされ、代々の当主の多くは筆頭将軍として名を馳せている。
当代のシーユーは三十半ばの若さ、代替わりも最近だから筆頭職とされていない。しかし人格と能力の双方とも評判高く、順当に行けば彼が大将軍として軍の頂点に立つと噂されていた。
「あの師貢大将軍の息子ですからね」
「それに血筋だけじゃない。我らが虎将軍は百戦百勝だ」
低くなった陽が照らす大通りを、家路に就く近衛兵達が歩んでいく。
ここはナンカンの都ジェンイー、それも宮城近くで近衛軍本部もある一等地だ。この二人も近衛の精兵、他なら隊長となる逸材だから大股に歩む姿も風格めいたものが備わっている。
二人は虎将軍ことグオ・シーユーに相当心酔しているらしい。
先代のシーゴンは少し前に大将軍を退き、今は宮護将軍として皇帝の側に控えている。したがってシーゴンを呼ぶなら、新たな位か前大将軍とすべきである。
しかし今も大将軍と敬愛され周囲も聞き流すのは、数々の功績を誇るグオ家というのも大いに関係しているのだろう。
「ホクカンの奴らが大人しいのも、グオ将軍やシーゴン大将軍が抑えてくれるからですね!」
「ああ……だが油断は出来ん。向こうも兵を増やしているようだ」
一方は楽観的に顔を綻ばせたが、応じた年長の方は少々表情を厳しくする。
現在ナンカンは、ホクカンに対抗すべく各地の町村から徴兵した男達を前線に置いている。ホクカンとナンカンの国境線、ジヤン川は長大だから防衛線も広範囲なのだ。
ホクカン軍が押し寄せたら前線部隊で押し留め、その間に都市の精鋭が駆けつける。実際グオ将軍や配下も幾度となく戦地に赴き、百戦は誇張にしても両手で足りないほどの遠征をしていた。
代々のグオ家当主も、人生の多くを戦いの中で過ごした。
先代のシーゴンは五十半ばだが刀槍の傷も数多い。もちろん敵には数倍の返礼をしたし多くは治癒魔術で治したが、長い激務は鍛えた体でも堪えたようで今は後方でシーユー達を支えている。
そして当代のシーユーは弟などと力を合わせ、父から受け継いだ虎や狼の軍団を率いている。また兄弟共々、将来に備えて子供達に使役獣の世話などをさせていた。
もっとも次世代はシーユーの長男ですら十二歳、他は十歳にも満たない。そのため暫くは当代や先代が東奔西走の日々を送る筈であった。
とはいえ今月に入ってからは平穏で、グオ家の面々は全てジェンイーにいた。もちろん演習などで郊外に出ることはあるが、この日のグオ将軍は都から出ないままだった。
そのため大神官の願仁は今日なら会えるとシノブに語り、紹介状を持たせたわけだ。
「いつまで続くんですかね……」
年下の近衛兵は苦々しげな顔を北に向ける。しかしホクカンとの国境までは50km近くあり、都の中から見えるわけもない。
「そんなこと神々しか分からんだろう。ちょうど神殿だ、たまには参拝して帰るか?」
年長の近衛兵が応じたように、向いた先には大神殿があった。
ナンカンの神殿を統べる総本山だけあって、聖堂の高さは宮殿に匹敵するほどだ。そのため二人からは、シノブ達がいる賓客用の別棟など目に入らない。
ましてや光翔虎が姿を消して行き来しているなど、近衛兵達は知る由もなかった。
『シノブの兄貴~、ボクもお供して良いですか~!?』
「構わないよ。驚かさないように姿を消してくれたらだけど」
じゃれつくシャンジーに、シノブは頭を撫でつつ言葉を返す。
別棟の周囲には高い塀があり、外から覗かれる心配はない。それに奥まった場所で一般の者の立ち入りを禁じている。
実際シノブの魔力感知によれば、表の道も含め近場は無人である。そしてシャンジーを始めとする五頭の光翔虎も周囲の状況を察しているようで、普通の虎ほどに大きさを変えてはいるが気ままに寛いでいる。
『シャンジー、行ってくれば? ……貴方はどうします?』
『俺は遠慮する。大勢で押しかけたら気付くかもしれんからな』
メイニーが顔を向けると、番のフェイジーは首を振りつつ残留を宣言する。
フェイジーは三百歳前後、メイニーも二百歳を超えた立派な成体である。そのため二頭はシノブが来たからといって、シャンジーのように我を忘れることはない。
「ヴェーグ、ヴァティー、君達はどうする?」
シノブは残る二頭へと訊ねる。
ヴェーグはメイニーより二十歳ほど上だが好奇心旺盛な性質、ヴァティーは百五十歳ほどと超越種の基準では未成年だ。そのため同行したいと思っても不思議ではないし、とある理由でシノブはヴェーグを連れていきたかった。
どうもヴェーグはグオ将軍達を嫌っているらしい。
ヴェーグは十数年前にジェンイーを通ったとき、ナンカンに虎や狼を使役する者がいると知った。このとき彼は、魔法薬などで動物の意思を捻じ曲げていると憤慨したそうだ。
しかし先日の調査で、グオ家が代々伝える秘薬の効果は滋養強壮や能力向上のみと判明した。これは魔法薬に詳しいエルフ達、メリエンヌ学園の研究者達も保証した事実である。
しかしヴェーグは憤りが治まらないらしい。彼は二日前にミリィを通して教わったが、グオ将軍や一族に対する反感は消えないままだ。
普通の虎は寿命も二十年ほど、もちろん思念や飛翔、姿消しなどは使えぬ全くの別種族だ。しかし自身と同じ姿の生き物を使役するなど、ヴェーグならずとも不快に思って当然である。
ただしシノブ自身は、グオ将軍と使役獣の間に強い絆があると感じていた。それ故シノブは、今回の訪問でヴェーグにも理解してもらえないかと考えたのだ。
『……俺も行きます。真実を知りたいですから……ヴァティー、お前は残って調査を続けてくれ』
『分かったわ』
ヴェーグは自身の目でグオ将軍達を見極めたいのだろう。低く響きつつも熱さを伴う応えには、彼の意気込みが滲んでいるようである。
一方ヴァティーは短く応じたのみだ。どうやら彼女は、慕う相手の胸中を察したらしい。
「シノブ様にミリィ様、シャンジー殿とヴェーグ殿、そして私……相手を警戒させぬには、このくらいが妥当でしょう」
「ですね~。そうそう、魔法の幌馬車は置いていくので~」
アルバーノは微笑み、ミリィも頬を緩める。
そしてミリィは控えていた一人、ミリテオに指示を出していく。まだソニアとミケリーノの姉弟が聞き込みに出ているから、ミリィは彼に伝言を頼もうと思ったらしい。
ちなみに残る面々達だが、セデジオが三人の女騎士の特訓を続けている。内容は先ほどと同様にカンビーニ海軍流の扱き、軍隊調の手加減のないものだ。
四人の掛け声は東洋風の庭に不似合いだが、シノブ達の密談を掻き消してくれる。もっとも聞こえる範囲にはシノブ達しかおらず、ジェンイーの人々が聞きなれぬ罵声に驚くことはなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
大神殿とグオ将軍の屋敷は宮城を挟んだのみ、それぞれの敷地は広大だが徒歩でも十数分と遠くはない。しかし将軍は帰宅しておらず、シノブ達は少々待つことになる。
もっとも大神官の紹介は効力絶大で、グオ家の使用人は丁重この上ない態度でシノブ達を応接室に通す。これはユンレンが皇帝の叔父だからである。
ユンレンの父や兄は既に没しており、皇帝である文大を除くと中年以上の男性皇族は他にいない。その彼の口利きだから、シノブ達をグオ家が厚く持て成したのも自然なことであった。
そして使用人から主へと知らせが走ったのか、シノブ達が茶を飲み終えるころにはグオ将軍が現れた。
「ユンレン様からとは……」
「はい、こちらに紹介状がございます」
驚きを滲ませるグオ将軍に、シノブは書状を渡す。すると将軍は押し頂いてから封を切り、緊張も顕わな表情で読み始めた。
書状の主は皇帝ウェンダーの叔父だから、グオ将軍にとっても敬うべき存在だ。加えてユンレンが自身から政治や軍事に口出しした例はなく、官位のある者に何かを頼むことなど極めて珍しい。
しかも読み進めていくうちに、グオ将軍は更に険しい顔となる。
一方のシノブは、卓を挟んだ向かい側で様子を窺うのみだ。もちろん主が黙っているのだから、アルバーノやミリィも口を噤んだままである。
「……麗を奥庭に。子供達もだ」
脇に控えていた使用人に、グオ将軍は短く命じた。
将軍が挙げたのは、在宅中の一族全てであった。父のシーゴンは皇帝の側、母も後宮の女官を務めており泊まり込みも多い。他は弟家族だが、こちらは別の敷地に居を構えている。
「その……史武殿、ご同道いただけぬだろうか?」
「もちろんです」
今までとは違うグオ将軍の様子にも、シノブは平然と立ち上がる。ユンレンはシノブ達の前で書き記したから、内容を承知しているのだ。
遥か遠方から来た貴人で、神々も認める清らかな者。ユンレンは具体的な表現を避けたものの、自分と同等以上に敬うべしと厳命した。
グオ家の秘文書を見せてもらう以上、仮の姿である商人では通らない。そのためシノブも反対はしなかったが、これでは驚愕も避けられぬと思ってはいたのだ。
それはともかくシノブ達は、グオ将軍に案内されるまま屋敷の中に進んでいく。
ちなみにシャンジーとヴェーグだが、実は子猫ほどになってシノブの背中に張り付いていた。腕輪による縮小は小さくなるほど大量の魔力を消費するから、彼らはシノブから補充しているのだ。
──ヴェーグさ~ん、美味しいね~──
──そうだなぁ──
二頭は魔力を味わうのに夢中らしく、先ほどのやり取りも聞き流していたようだ。そのためシノブはグオ将軍の背を追いつつ、密かに頬を緩ませた。
グオ家の敷地は、大きく分けて館自体と奥庭、そして虎や狼の飼育場の三つが存在した。門は複数あり、館の手前に正門、飼育場にも通用門が設けられている。
館も一棟ではなく、表に近い側が迎賓用で奥が居住用である。そして奥庭は居住用の更に向こう、文字通り最奥部にあった。
ミリィによれば、この奥庭にある調合場で魔法薬を作っているらしい。つまりグオ家の秘中の秘、余人が立ち入り出来ぬ場だ。
「……貴方?」
グオ将軍の声を掛けたのは夫人のリーだ。人族の夫と違って彼女は虎の獣人で、頭上には虎耳があり背後からは尻尾の先が覗いていた。
そして今、縞模様の尻尾は微かに揺れている。一族以外には秘密の奥庭まで通されたシノブ達に疑問を感じたのだろう。
「問題ない。ユンレン様がお認めになった方々だ」
物問いたげな妻に、グオ将軍は大きく頷き返す。すると夫人の面から憂いが消え、側にいる子供達も笑みを浮かべる。
ちなみにシノブは前回訪問したとき、姿を消したヴェーグの背からグオ家の者達を眺めている。しかし一方的な観察でリー夫人達からすれば今が初対面、居住まいも正したままだ。
「シーユーの妻、リーと申します」
相手は商人風の姿だが、リーは夫の説明で常人ではないと悟ったらしい。彼女は同格以上の者に対する言葉を選び、深々と礼をする。
リーは虎の獣人だけあって大柄、それに将軍夫人に相応しい落ち着きを保っている。そのため媚びへつらったようには映らない。
それにグオ将軍も偉丈夫だから釣り合いも取れ、似合いの夫婦とシノブは感じる。リーは武術の修練でもしそうな無地の道着、将軍も軍から戻ったばかりで武官の装束だから尚更だ。
「長男の師迅です!」
「次男の師慎です。初めまして」
「め、美です……」
三人の子供が母に続く。子供は長男が母親ゆずりで虎の獣人、次男と末っ子の長女が人族だ。
こちらも両親に似て年齢の割に体格が良い。六歳の娘はともかく、九歳の次男ですらミリィより背が高いだろう。
ただし三人とも簡素な衣装で、大将軍や将軍を輩出する家柄とは思えない素朴さである。
多少暖かくなったが今は二月の半ば、それなのに男の子達は単衣らしき上下に頭巾を付けたのみ、女の子も長い髪を頭の両脇で纏めているが服自体は大して変わらない。
質素な服である理由を、シノブは察していた。
おそらくグオ家の者達は、これから使役獣に夕食を与えるのだろう。使役獣への餌には秘伝の薬を用いており、彼らが手ずから食べさせるのだ。
「史武と申します」
「妹の迷鈴です~」
「従者の阿麓です」
もっとも今は挨拶である。シノブは仮の名で名乗り、ミリィやアルバーノも同様にカンでの偽名を口にしていく。
「それでは史武殿、家伝の書をお見せいたそう」
グオ将軍は庭の一角にある蔵へと向かっていった。
防火のためか土蔵、扉は鉄製で窓はあるが今は扉窓を閉めている。扉には大きな南京錠、それに窓は小さく人が通り抜けるのは不可能だ。
随分と厳重だが当然の措置で、ここは魔法薬の調合所を兼ねており材料なども保管しているのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
グオ家で最も安全な場所は、この奥庭だという。
奥庭と館のある区画は高い塀で仕切られ、しかも間は大通りの幅に匹敵するほども空けられている。そして、この通路は何かを潜るような地下道で、しかも両端は鍵付きの鉄扉で塞がれていた。
この奥庭、実は使役獣の運動場の中にあるのだ。
通路が地下を抜けているのは運動場の下を通っているから。高さ三階以上に相当する塀を設けているのは虎や狼の侵入を防ぐため。居住区画や敷地外との仕切りも同じ高さ、仮に越えても猛獣達が闊歩している。
つまり屋外にも関わらず密談には最適な場所で、グオ将軍が説明の場に選んだのも当然である。
「我が一族は、元々操命術士でも武闘派であった……」
グオ将軍は秘文書をシノブに預けたが、読み進める手間を省こうと思ったらしく自家の成り立ちを語り始める。
グオ家が現在のナンカン皇帝家、孫一族に仕えたのは二百数十年前だという。
当時は荒禁の乱の最盛期、終結は何十年も先である。つまり操命術士や狂屍術士など禁術使いにとっては、我が世の春というべき時期だ。
それにも関わらずグオ家が術士以外に仕えたのは、大きな理由があった。
「その先代……今から三百年以上前、先祖に弟子入りを望む者が現れた。彼は魔力も多く操命術への適性もあり、先祖は上達次第で婿入りさせようと考えた。しかし……」
苦々しげに言葉を紡ぐグオ将軍の隣では、妻のリーが表情を曇らせた。しかし子供達は初耳らしく、興味を示してはいるが怪訝そうでもあった。
「弟子となった男は術を覚え、当時の跡取りとも親しくなった。そして当主や跡取りの後押しもあり、娘の一人と付き合い始めた……。だが男は皆伝に達しようというころ、跡取りを殺して姿を消したのだ!」
激しい怒りを覚えたのだろう、グオ将軍の顔は真っ赤に染まっていた。既に夕刻だから周囲は柔らかな朱に彩られているが、それらとは一線を画す憤激の発露である。
跡取り殺害と出奔の経緯には不明点も多いが、残された娘により大筋は明らかとなっていた。
弟子入りした男は狂屍術士で、自身の技の深みを増すため正体を隠してグオ家に接近した。しかし娘は怪しく感じ始め、兄である跡取りへと不安を明かす。
跡取りは正体を偽っての接近に憤慨して問い詰めたが、狂屍術士の男は先手を打っていた。なんと彼は奪命符を跡取りに仕掛けていたのだ。
父に伝えると跡取りが言い放ったとき、彼は床一杯に広がるほどの血を吐いて絶命した。そして狂屍術士は、同席していた娘には目もくれず去ったという。
「その男の名は、何と言うのでしょう?」
「大戮……そのころは売り出し中だが、後に『威戮大』という異名を得た狂屍術士だ。もちろん最初は偽名で接近したが、逃げるときに名乗ったと……」
シノブの予感は当たっていた。低く唸るような声音で将軍が告げた名は、シノブ達が捜し求めていたものと同じであった。
ダールーはカンからスワンナム地方を経由し、イーディア地方に渡ったらしい。
イーディア地方のアーディヴァ王国に現れた禁術使いはヴィルーダと名乗ったが、シノブは同一人物だと思っている。それはダールーが誇った異名がヴィルーダと似た響きだからである。
ヴィルーダは何度も他者の体を奪ったというから、グオ家の先祖が見た姿が生来のものとも限らない。むしろ正体を誤魔化すため、敢えて若者になったのではないか。
そんなことを考えつつ、シノブは先月の事件を脳裏に思い浮かべる。
「遥か西の話ですが、ダールーと思われる者が退治されました。巨大な蛇の式神を使い、多くの命を弄び、何度も他者の体を奪って生きた大悪人……ヴィルーダという男です」
「なんと……もし本当にダールーなら、我らが先祖も報われよう」
「ええ……」
シノブがイーディア地方での事件を明かすと、グオ将軍と妻のリーは思わずといった様子で呟いた。
長男のシーシュンや次男のシーシェンも大きく目を見開く。ただし流石に六歳のメイは理解しかねるのか、父母の顔を見上げるのみだ。
「式神の元となったのは無魔大蛇です~。ナンカンの南、スワンナム地方との境の大森林にはいるそうですが~?」
「確かに……史武殿、ヴィルーダとやらがダールーなら、グオ家から盗んだ術を使ったに違いない」
問うたミリィに、グオ将軍は静かに頷き返した。そして彼は、かつて先祖達も巨大な魔獣を使役したと明かす。
しかし今、グオ家では本物の魔獣を操る術を封じている。これはダールーが跡取りを殺した件が大きく影響していた。
かつてのグオ家の当主、跡継ぎを失った彼はダールーを弟子としたことを激しく悔いた。そして巨大すぎる力は不幸を呼ぶのみと、大魔獣の使役を捨てたという。
新たな後継者となった娘も父に賛同し、グオ家は操命術士の集まりからも抜けた。離脱を惜しむ者も多かったが、祖師の神操大仙の許しも得て彼らは一介の魔獣使いへと転ずる。
そして数十年後、グオ家はカン帝国の末裔であるスン一族に仕えた。このスン一族が現在のナンカン皇帝家、つまりグオ家はナンカンの建国を通して大乱を鎮める一端を担ったわけだ。
なお、現在のグオ家に操命術士との交流はない。
シェンツァオ大仙の一派はグオ家を除いて全員が南へと旅立った。おそらくスワンナム地方に行ったのだろうが、何の知らせもないという。
シノブは少々残念に思った。グオ家ならスワンナム地方の術士について多少なりとも知識があると期待していたのだ。
スワンナム地方の術士なら、オーマの木の対策も知っているのでは。あの極度の錯乱状態になる花粉に対抗する手段が見つかれば、もっと楽に調査できる。そう考えていたシノブだが、今回は空振りのようだ。
『お前達は世の為に獣を使っているのだな?』
『ボクはシャンジー、こちらはヴェーグ。『光の盟主』と共に歩む光翔虎……超越種の一つだ』
「こ、これは!?」
ヴェーグとシャンジーが前触れもなく姿を現すと、グオ将軍や家族達は激しく動じた。
大人達は流石に踏みとどまったが、年少の子供達などは思わずといった様子で後退ったほどである。だが、それも無理はなかろう。
二頭の光翔虎は事前にシノブに許可を求めたから、ミリィを含めて驚かない。アルバーノにとっては突然の出現だが、どうやら予想していたらしく彼も平然としていた。
しかしグオ家の者達からすれば神秘の光を放つ虎の出現、姿形は普段接する獣と同じだが放つ魔力や神々しくすら感じる気配は全く異なる。むしろ虎を良く知る者達だけに、言葉通りに単なる生き物を超越した存在だと確信しただろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「やはりシェンツァオ大仙の言葉、創世の秘伝説は本当だったのか……すると貴方様が『輪廻の賢者』でしょうか?」
「いえ、私は輪廻を語るほど多くを学んでいません。彼らは『光の盟主』と慕ってくれますが、まだ道に踏み出したばかりの存在です」
畏れを滲ませるグオ将軍にシノブは首を振り、更に彼らであればと本当の名を明かす。
ミリィやアルバーノも名乗るが、アマノ王国や向こうでの役割には触れなかった。そのためグオ将軍達も静かに聞くのみ、非常な遠方から来たと改めて感じただけのようだ。
「それより彼らに語ってくださいませんか。貴方達が虎や狼をどのように思っているか、皆さんの心をヴェーグ達に……」
シノブは両脇に控える光翔虎達へと顔を向ける。ヴェーグはグオ将軍の返答を、今か今かと待ち望んでいたのだ。
「はっ……ヴェーグ様、我らは虎や狼を家族と思っております。共に戦いはしますが、あくまで部下や戦友として……私達も刀槍を持って横に並び、相手に挑みます」
「戦いに向かぬ者には、ここの守護や皇帝家の護衛を務めてもらいます。その……この子達の友でもあるのですから……」
グオ将軍とリー夫人は、シノブが言外に匂わせたことを理解したようだ。
獣達を戦の道具として使い捨てていないか。虎や狼に命を奪わせ、術者は安寧に浸ってはいないか。
射抜くようなヴェーグの視線、彼の激しい憤り。それらの源がどこにあるか、二人は正しく察したに違いない。
「本当です! ユェンチーやシュンナンは私の友達なんです!」
「ら、ランニャンやリーニャンも!」
「兄や妹の言うとおり、みんな私達の家族なのです」
父母に勇気づけられたのだろう、子供達も口々に獣達への愛情を口にした。
合わせて百頭近くもの世話である。幾ら家業といえど、単なる義務では続かないだろう。親から子へ慈しみの心を継いできたから、毎日の仕事にも進んで取り組めるに違いない。
『そうか……ならば一旦は置こう。お前達、奪命符について他に知ることはないか? 実はスワンナム地方に邪術の使い手が現れたのだ』
『ダールーの弟子らしいんだ。術者は倒したけど、他にいるかもしれない』
まだ完全には心を許していないのか、ヴェーグは普段と異なる硬い声音で問いかける。そして彼の気持ちを思ったのか、シャンジーも常とは口調を変えている。
「我が家には『トラカブト』を用いると伝わっています。この辺りで附子と呼ばれる毒草に近いのですが、大きさや効果が桁違いで……。幸い魔獣の領域の奥にしか生えておらず、出回ることは滅多にありませんが」
グオ将軍の返答からすると、どうも多くの魔力を吸って変異種となったトリカブトのようだ。地球でも日中の双方でトリカブトを附子と呼ぶから、ほぼ間違いないだろう。
それにトリカブトは心臓に異常を引き起こし、最悪は心停止に至る。つまり毒性や症状にも通ずるものがあった。
「シノブ様、この『トラカブト』を探せば?」
「ああ、魔力波動から奪命符を感知できるかもしれない」
今まで無言だったアルバーノだが、僅かに興奮を滲ませつつ言葉を発する。もちろん受けるシノブも同様で、大きな期待を感じていた。
符の材料は他にもあるだろうし、加工もするに違いない。しかし毒として使うなら抽出や精製のみ、ならば『トラカブト』自体の波動を保っているのでは。シノブ達は、そう考えたのだ。
少量でも同じものがあれば、シノブにとっては充分に感知の手掛かりとなる。
それに魔法植物からの成分抽出はメリエンヌ学園の研究所の農業班が得意としており、ある程度の手順が判れば符と近い状態に出来るかもしれない。もし精製に成功したら、ますます感知精度が上がるだろう。
「シノブ殿……シーシュンを案内役にお使いください。こいつなら『トラカブト』を見分けられます」
グオ将軍は、残念ながら自身や父は軍務があり動けないと続けた。
しかし長男のシーシュンは基礎を仕込み終えているし、グオ家の魔法薬の材料も知っている。まだ調合は伝えていないが今回必要なのは魔法植物の知識だから問題ない。そう語りつつ、彼は長男の背を押した。
「シノブ様、アルバーノ様、先祖のためにも働きとうございます! どうか私を加えてください、ダールーの弟子に一矢報いる機会を逃したくないのです!」
シーシュンは跪き、虎の獣人に相応しい大柄な体を縮こまらせる。
確かにグオ家の者達からすれば、このまま見送ることなど出来ぬだろう。『トラカブト』なる植物を判別できるのは大きな魅力だし、先祖の無念をと言われてはシノブも頷かざるを得ない。
「シーシュン君、立って。……グオ将軍、ありがたくお預かりします」
「調査隊は私が率いますが、光翔虎の皆様も同道してくださいますからご安心を!」
シノブは少年に手を差し伸べ、アルバーノは覚えたばかりの抱拳礼と共に声を張り上げる。
対するグオ家の面々だが、一様に笑みを浮かべていた。
魔獣の領域の奥ともなれば命を懸けての大冒険だが、超越種が共に行くならシーシュンも無事に帰れるだろう。それにアルバーノの隙のない身ごなしは超一流の達人であるのは明らか、助けなど不要ではと思えるほどだ。
「グオ将軍、貴方達の友……虎や狼と会わせていただけないでしょうか?」
「ぜひとも。……リー、餌の用意はお前達に任せたぞ」
シノブが頼むとグオ将軍は大きく頷き返し、妻や子供達を置いて塀の一方に歩き出す。彼が向かっている側には使役獣の運動場に繋がる扉があるのだ。
「グゥ?」
「クゥ……」
鉄製の頑丈な扉を開けると、虎や狼が目の前にいた。どうやら彼らは餌を待っていたらしいが、シャンジーやヴェーグに恐れをなしたのか地に伏せていく。
──そんなに構えるなよ……この『放浪の虎』ヴェーグは、お前達の味方だぜ? ……って俺も少し前まで将軍さんを誤解していたんだがな──
──ヴェーグさんも意外に頑固だからね~。……ボクはシャンジーだよ~──
二頭の光翔虎が進み出ると、獣達は伏せの体勢を解く。普通の虎や狼は思念を理解できない筈だが、仕草などで言いたいことを察したらしい。
そしてシャンジーやヴェーグは、まるで昔からの仲間のように獣達と触れ合っていく。
──俺達は光翔虎って言うんだぜ? 少し違うが似たようなものだ、仲良くしてくれや!──
──ヴェーグさん、ついこの前は『飛ばない光翔虎なんて、ただの虎だ』って言っていたのに~。でも皆、ヴェーグさんは面白いし物知りで頼りになるんだよ~──
意思は伝わらないだろうに、ヴェーグとシャンジーは思念を使い続ける。もっとも虎や狼も優しい波動から大まかな意図は理解しているらしく、尻尾を振ったり擦り寄ったりと懐いていた。
どうやらヴェーグも分かってくれたようだ。いや、彼も途中から気付いていたに違いない。シノブは夕焼けの中で続く交流に顔を綻ばせる。
言葉を交わせぬ者達すら、こうやって共に歩める。ならば自分達にも出来る筈だ。シノブは湧き上がってくる思いと共に、二頭の光る虎と囲む獣達の触れ合いを見つめ続けた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年3月14日(水)17時の更新となります。