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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第25章 輪廻の賢者
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25.18 アルバーノ、ナンカンに発つ

 メグレンブルク伯爵アルバーノは、早速ナンカン行きの準備を始めた。彼はメグレンブルク解放記念日の翌日、つまり2月19日の午後に王都アマノシュタットに訪れると今までの経緯を確認していく。

 もっともアルバーノは既に概要を理解していた。何故(なぜ)なら彼はアマノ王国の情報局長その人で、しかも現地にいるのは局長代行のソニアだからである。

 そこでアルバーノはシノブに会うべく『白陽宮』の『大宮殿』に赴いた。


「アルバーノ、ちょうど良かった。大神官の願仁(ユンレン)殿だけど、明日戻るって……後は応接室で話すよ」


 シノブは立ち上がってアルバーノを迎え、更にミリィから通信筒で寄せられた最新情報を伝えた。

 ここは国王の執務室、詳しい状況を話すには不向きな場所だ。それ(ゆえ)シノブは、アルバーノを応接室に(いざな)う。


「それは好都合、では申し訳ありませんが御教授お願いします!」


 アルバーノは相好を崩すとシノブの示した方に向きを変える。

 随分ざっくばらんな(いら)えだが、シノブの側仕え達は慣れているから驚かない。主が堅苦しいことを好まないと、仕える者達は充分承知しているのだ。


「エンリオも」


「はっ!」


 シャルロットが声を掛けたのは、アルバーノの父エンリオだ。先日エンリオがシノブと共にナンカンへと赴いたからだろう。


 ちなみにアミィは今日も留守である。彼女は妹分のタミィと共に、メリエンヌ学園の研究所で奪命の符を調べているのだ。

 仮に奪命符が完全な状態なら、すぐにアミィ達は解析を終えただろう。しかし自壊して内部の大半が判別不能となれば、如何(いか)に神々の眷属といえども構造の把握は難しい。


「そういえば父上もジェンイーに行かれたのでしたな」


「これでも陛下の親衛隊長だからな」


 父と子は笑みを交わしつつ主達に続いていく。一分の隙もない歩み、それも全くの無音のままで。

 猫の獣人は総じて身軽だが、二人は特に身ごなしに優れている。エンリオは七十過ぎでアルバーノは四十一歳だが、どちらも青年のように軽快な歩みだ。

 しかも親子共々若く見える方で、特にアルバーノは二十代後半としか思えない。


 名高い武人にして王国随一と言われる伊達男の姿は(まぶ)しいのか、シノブの少年従者には憧れめいた表情となった者も多い。それにシャルロットの側付き、侍女や女騎士も一部が溜め息を漏らす。


──やっぱりアルバーノは人気があるね。特にカンビーニ出身者には──


──ロセレッタ達ですか……親も勧めているようですから──


 シノブとシャルロットは密かに思念でやり取りする。流石に側仕え達の前で、彼ら自身を評するわけにもいかないだろう。


 ロセレッタとはシャルロットの側仕えで、カンビーニ王国の伯爵令嬢だ。そして同じくカンビーニの伯爵令嬢フランチェーラやシエラニア、合わせて三人が最も熱い視線をアルバーノに注いでいる。

 中でもロセレッタは別格で、背を向けているシノブすら気配で察するほどであった。


 三人がアルバーノを慕うのは、それぞれの親達が望んでいるからでもある。

 アルバーノもカンビーニ王国の生まれで、しかも彼は従士の子から伯爵に栄達した稀なる才能の持ち主だ。そのため彼女達の家は娘を嫁がせるに相応しいと考えている。

 それに三人の幼馴染み、カンビーニ公女マリエッタも学友達の後押しをしているらしい。表立っては動かないが、祝宴などでアルバーノと歓談する際には必ず友人達を伴うくらいだ。

 これは同じく護衛騎士仲間のエマも承知しているようで、やはり何かと便宜を図っている。実際に今も彼女はマリエッタと同様に、どこか気遣わしげな様子であった。


 実はアルバーノを慕う女性だが、他にもいるのだ。カンビーニ王国の女艦長、エルネッロ子爵令嬢ベティーチェである。こちらも父のディミエーノが熱心に後押ししており、しかも彼には二十年以上も前だが海軍に体験入隊したアルバーノを指導した縁がある。

 故国で名高い艦長ディミエーノの支援も、若き女騎士達の懸念の種らしい。そして彼女達の警戒がアルバーノに対する熱を更に高めたようでもある。


──でもアルバーノは、去年の秋にモカリーナと結婚したばかりだよ──


 シノブは思わずアルバーノ達の肩を持ってしまった。何しろ、つい先日モカリーナは子を宿したばかりなのだ。

 王族や貴族が一夫多妻といっても普通は立て続けに娶るのを避けるし、夫人が初の子を授かった直後であれば尚更だ。それにモカリーナは商家の出、親兄弟も一夫一妻である。


 今のところロセレッタ達の親も今日明日とは考えていないようだ。とはいえシノブとしては、モカリーナのためにも当分そっとしておきたい。

 シノブ自身、シャルロットと彼女が産んでくれた我が子リヒトへの愛で一杯であった。今は三人の時間を大切にしたいし、ミュリエルやセレスティーヌを家族として尊く思うものの先を急ぐつもりは全くない。

 つまりシノブは自身と重ねてしまったが(ゆえ)、つい言葉にしてしまったのだ。


──貴方の気持ちは分かりますが、私としては……やはり彼女達にも幸せを(つか)んでほしいですから──


 夫の戸惑いをシャルロットは察したらしい。しかし彼女は配下の将来も気になるようだ。


 シャルロットはメリエンヌ王国の伯爵家の生まれ、つまり育った環境や親から教わった事柄はロセレッタ達に近い。それに父にも二人の妻がおり、異母妹ミュリエルとも仲が良い。

 一方アルバーノは妻が初の子を宿したばかりで、他は養子として迎え入れた兄の子ソニアとミケリーノしかいない。つまりメグレンブルク伯爵家を栄えさせるには、早期の一族形成が必要である。

 それ(ゆえ)シャルロットは、出来れば第二夫人を迎えてほしいと考えるのだろう。国の繁栄と合わせ自身の弟子達も幸せを得るなら、尚更である。


 ただしシャルロットには、別の世界から来た夫への理解もあるようだ。そのため彼女は強く言わないし、表立っては弟子達の後押しもしないのだろう。


──これはアルバーノの問題でもあるからね──


 結局のところ、これに尽きる。そう思いつつ、シノブは応接室へと足を踏み入れた。

 今回のナンカン行きで、機会があればアルバーノと語らってみよう。シノブは生じた思いを妻には言わず、胸のうちに収めた。

 何しろアルバーノは二十以上も年長、親子ほども違う。その彼の婚姻に口出しするのは、幾ら国王と家臣でも気兼ねする件であった。


 ともかく今はナンカンに関する相談だ。

 初日はシノブも王都ジェンイーに赴き、大神官のユンレンに会う。奪命符についてはシノブも直接訊ねたいし、大神官に礼を尽くす意味でも訪問すべきである。

 シノブはシャルロットと並んでソファーに腰掛け、アルバーノへと顔を向ける。そして最後に入ったエンリオが、執務室との境の重厚な扉に鍵を掛けた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「お茶でも出そうか?」


 側仕えを入室させなかったから、シノブは自身で用意しようと腰を浮かした。

 侍従長のジェルヴェを伴えば良かったのだろうが、彼には残った者達を監督させている。そのためシノブは、わざわざ呼ばなくてもと思ったのだ。

 しかしシノブは、何もせずに座り直すことになる。


「いえ、私が。……アルバーノ、光栄に思うのだな」


「父上に淹れてもらうなんて、初めてですな」


 エンリオはシノブを制し、続いて自身の三男に低い声音(こわね)の一言を残して奥に進む。一方のアルバーノは肩を(すく)め、恐ろしそうに首を振った。

 もっとも老武人の顔は笑っているし、応じた側も冗談に乗っただけらしい。そのためシャルロットも口を挟まないし、シノブも顔を綻ばせたのみである。


 若き日のアルバーノは家を飛び出し傭兵になるなど奔放で、エンリオも口うるさく叱ったらしい。しかし今のアルバーノは伯爵で妻も得たから、かつてのような小言から解放されていた。


「どこから話そうか?」


「それでは周辺の状況からお願いします」


 シノブが話を向けると、アルバーノはカン以外からと返した。

 ナンカンにはソニアや彼女の弟ミケリーノがおり、情報局にも随時報告が入る。しかしスワンナム半島にはマリィと親世代の光翔虎達しかいないし、海を挟んで東のアコナ列島も諜報員を送っていない。

 そのためアルバーノは、関わりがありそうな場所の現状を把握してからと思ったようだ。


「ならスワンナム地方……エンナム王国から。といっても大きな動きはない……式神工場の調査は一段落したけど、今日は国王ヴィルマンと遠征団の司令官コンバオが今後を相談しただけのようだ」


「魔獣の海ですが、アケロ殿とローネ殿が海猪(うみいの)の式神を発見しました。隠し港の島の近く、幾つかの島に埋められていたそうです。念のため残りがないか探ると連絡がありました」


 シノブとシャルロットの言葉に、アルバーノは僅かだが表情を緩めた。

 幸か不幸か、エンナム王国は静かなままだ。遠征団を魔獣の海域に再派遣するにも、護衛の式神が一体もなければ厳しいのだろう。もちろん危険な領域を越えてアコナ列島に迫るなど、到底できはしない。


 そこでマリィ達も様子を見守るのみに(とど)めていた。

 王を含むエンナムの中枢は厳重に警戒しており、相談事も王城奥深くの密室で済ませている。どうやらシノブが短距離転移で侵入した対策らしい。

 こうなると姿を消して迫るのも難しい。ヴィルマンは相当な魔術師らしく、姿を消しても触れんばかりの至近だと魔力で気付く可能性が高いのだ。

 もっともエンナム王国は軍船を出さず、民に特別な(めい)を発することもない。王都アナムの警戒を強化するためか、軍が地方に使者を出したくらいである。


「陛下、戦王妃(せんおうひ)様、お茶でございます。……ほれアルバーノ、ありがたく飲め」


「言われずとも頂きますよ」


 随分と差のある父の言葉にも、アルバーノは笑顔を返す。そして彼はエンリオ手ずからの茶をゆっくりと味わい始めた。


「エンリオ、美味(おい)しく淹れているよ。

……それでアルバーノ、この使者が怪しいかもってマリィ達は見張っている。別の魔術師を呼んだり、あるいは何かを取り寄せたりね……だからヴァーグ達は一旦アナムを離れたよ」


 これにはシノブも期待していた。式神工場を仕切っていたハールヴァは(たお)れたが、彼が術を学んだ経緯は不明なままだからである。


 使者達の行き先にハールヴァの師匠や兄弟弟子がいれば、奪命符の謎解きに繋がるかもしれない。そこでマリィは自身が王都アナムの監視、ヴァーグを始めとする四頭の光翔虎が使者の追跡と割り振った。

 エンナム王国は南北に長い国で、王都から南が四百数十kmほど、北は更に二割ほどもある。使者の騎獣はゾウだから、最も遠方だと片道五日も掛かる。


「二、三日は動きがないと思うから、その間に符の対策が進めばね。俺の特訓……粘土から綿(わた)を転移で取り出すのも完成には遠いし、正直なところ時間があるのは助かるよ」


「昨日より充分に上達しましたよ」


 シノブが苦い顔をしたからだろう、シャルロットは弁護らしき言葉を口にした。

 心臓に埋め込まれた奪命符を短距離転移で取り出す練習を、シノブは既に百回以上も繰り返した。その甲斐あって粘土の塊の中に残る繊維も少なくなったし、引き寄せた綿(わた)の汚れも大幅に減った。

 ただし今のままだと、根を張り巡らせた奪命符を転移させたら周囲の筋組織を傷付けてしまうだろう。


 多少の傷なら取り出してから治癒魔術で修復できるが、これも状況次第だ。邪魔が入らないならともかく、そう都合の良い場合だけでもなかろう。

 やはり少しでも精度を上げ、アミィ達が解析を終えるときに備えるしかない。シノブは妻の励ましに感謝しつつも、甘えるわけにはいかないと心に刻む。


「……アコナ列島なんだけど、こちらは防衛体制が整った。それで交易商の呂尊(るぞん)がダイオ島まで行き、様子を探るって……元々ダイオ島やルゾン島に渡って稼ぐつもりだったからね」


 シノブは現状での出港を危ぶみつつ、ルゾン達の好きにさせるしかないとも感じていた。

 ルゾンが運んできた品は殆どが日持ちするから、アコナに長逗留しても構わない。しかしアコナ側が滞在費を持ってくれるからと、何もしないのも気詰まりだろう。


 ならばダイオ島まで出かけ、危険があれば引き返す。ダイオ島はエンナム王国に朝貢しているから、どのように反応するか探るだけでも意義がある。

 そうルゾンは主張し、一緒に航海してきたクマソ王家の跡取り刃矢人(はやと)も諸手を挙げて賛成した。それにアコナやヤマト王国の武人を中心に、守り手として加わる者も多く現れた。


「偵察自体は充分に意味がありますし、各地から集まった武人や魔術師、それにアコナの水中用木人もあります」


「私も同意見です。無茶さえしなければ良い結果に繋がるでしょう。そもそも彼らの住む地ですから、座して待つなど誇りが許さぬかと」


 シャルロットやエンリオに不安はないらしい。

 この程度の危険を恐れるようでは武人や船乗りなどやっていられない。おそらく二人は、このように考えているのだろう。

 シャルロットは物心付いたころから武術を叩き込まれ、領主や司令官に相応しく育てられた。エンリオも海洋国家カンビーニ王国で長年働いただけあり、武と海の双方を愛している。

 そのため二人はシノブ以上に、ルゾンやハヤトの気持ちが理解できるのだろう。


「アコナの海、いつか私も行ってみたいですね。……しかし今はカンでした」


 アルバーノもエンリオの子だけあり、冒険航海に理解を示したようだ。もしくは言葉通り遥か東の島々に惹かれたのか。

 少し遠い目をしたアルバーノだが気持ちの切り替えは早く、一瞬の後には真顔へと戻る。そして四人は、本題であるカンへの潜入に話を転じていった。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 翌朝、シノブはアルバーノ達と共にナンカンの都ジェンイーに赴いた。もちろんミリィの魔法の幌馬車を通ってだから、移動自体は一瞬である。

 魔法の幌馬車が置かれていたのは大神殿の賓客用別棟の前、待っていたのはミリィのみだ。彼女を支える者達、ソニアやミケリーノの姉弟やヴェーグやシャンジーなど五頭の光翔虎は情報収集の最中である。


 なおオルムル達もナンカンの調査に加わるが、明日からとした。今日は大神官との話や書物の調査が多くを占めるだろうし、それなら訓練に充てると子供達は答えたのだ。


「お待ちしておりました~! あれ~、フランチェーラさん達もですか~?」


 ミリィは笑顔でシノブを迎えたが、続いて現れた者達に目を丸くした。それに背後では虎の獣人に特有の縞模様の尻尾も大きく揺れる。


 まずアルバーノ、次は情報局の諜報員セデジオとミリテオ。三人とも白い上衣に裾を絞った緩い筒袴、革の胸甲というカンの武人風の衣装だから、東洋風の庭でも違和感はない。

 ()いているのは革の長靴(ちょうか)、頭に質素な頭巾、そこらで見かける傭兵や腕自慢と同様である。

 そのためミリィはアルバーノ達を見ても笑顔のままだった。しかし女騎士達が来たのは予想外だったらしく、彼女はシノブへと顔を向ける。


「今回フランチェーラ達は、アルバーノの配下として動く。もちろん最終的な統括者はミリィだから、思うように指示してくれ」


「よろしくお願いします!」


 シノブがミリィに応じると、フランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアの三人も揃って頭を下げる。しかも事前に練習したカン風の抱拳(ほうけん)れいという念の入れようだ。


 三人の衣装もナンカンの傭兵風、しかも男装である。変装の魔道具で容貌を変えて髪も短く見せているし、変声機能付きの高級版を使っているから声も一段低く聞こえる。

 そのため知らぬ者が目にしたら、本物の男性兵士だと思うだろう。


「ミリィ様、こいつらは新米諜報員……名は蘭豺(ランチャイ)楼雷(ロウレイ)仕嵐(シーラン)です。雑用でも何でも、遠慮なくお命じください」


 アルバーノが口にした名はシノブが考えたものだ。こちら風に漢字を用いたから、ジェンイーで名乗っても全く問題ない。


「あら~、これはアルバーノさんも大変ですね~」


 ミリィは事情を理解したらしい。彼女は少女の外見に似合わぬ、ニヤリと表現すべき笑みで応じる。


 アルバーノのナンカン派遣を知ったフランチェーラ達は、自身も配下に加えてほしいと願い出た。しかもマリエッタやエマまで嘆願したから、シノブも最後は認めるしかなかった。

 ちなみにマリエッタ達は仲間の支援をしたのみで、自身はシャルロットの警護があるからと残った。どちらもシャルロットと共にシノブ達を見送ったのだ。


「……ともかくユンレン殿に会いに行こう。アルバーノは一緒に来てくれ。残りは待機、まずは別棟でカンの館に慣れるんだ」


「はっ!」


 シノブが指示を出すと、アルバーノ達は一斉に動き出す。

 本職の諜報員であるセデジオとミリテオは、ここのところカンへの潜入に備えていたから多少は文化や風習を理解している。しかしフランチェーラ達は急遽(きゅうきょ)の参加だから、ここで少しでも学ぶしかない。

 そこで男装の三人はセデジオ達と共に別棟に入り、アルバーノはシノブやミリィと一緒に奥の院へと向かっていく。


「アルバーノさん達は、どんな名前ですか~?」


「私が阿麓(アールー)、セデジオが得爺(デーイェ)、ミリテオが密鉄(ミーテー)です」


 問うたミリィに、アルバーノは自分達の仮の名を教えていく。

 アルバーノとミリテオは音に近いもの、セデジオは老人らしい通り名にした。以前エンリオも炎老(エンラオ)としたように、カンでは年齢や性別、外見に(ちな)んだ渾名(あだな)が多いのだ。


 そんなことを話しているうちにシノブ達は奥の院、大神官ユンレンの住まいへと辿(たど)り着いた。

 前回シノブが訪問したのは十日前、それだけにも関わらず奥の院の庭園には春の息吹が強まっていた。もっとも、これはシノブが日本の生まれだから感じ取れたのだろう。


 ナンカンは地球なら中国南部、温帯に属している上に多くの場所では水も豊かだ。実際ジェンイー付近の植物や風景は、日本の南部に良く似ている。

 昼下がりの庭を彩るのは先日より華やかとなった紅白の梅、暖かな日を喜ぶような水仙や沈丁花(じんちょうげ)なども美しい。そして懐かしさを感じる草木は、シノブが知る日本の春の訪れと重なったのだ。

 やはり『白陽宮』にも、日本庭園を(こしら)えてみようか。冬は随分と寒いし長いが、根付く植物を探せば良い。今度アミィに訊ねてみようと思いつつ、シノブは(いおり)の扉を(くぐ)っていく。


「シノブ様、お久しゅうございます」


「急に押しかけ、申し訳ありません」


 ユンレンとシノブは互いに頭を下げた。

 たった十日しか過ぎていないし、訪問したいと事前にミリィが伝えている。しかし奥ゆかしさの滲む言葉の行き来は、大神官の暮らす場に似合っていた。

 もっとも儀礼を交わしたのは最初だけ、シノブ達が席に着くと同時にユンレンは語り出す。


「奪命符などを記した本は、こちらです」


 ユンレンは一冊の書物をシノブに渡す。かなり前に記されたのか表紙は幾らか焼けているし、書名の墨も色あせている。


「詳しくは御覧になっていただくとして、私から簡単に……」


 それなりに厚みがある本だから、掻い摘んでとユンレンは思ったのだろう。

 奪命符とは狂屍(きょうし)術士が編み出した技の一つだが、ユンレンが知る限り今のナンカンには伝わっていないという。もし現在まで伝承されているならホクカン、大河ジヤン川を挟んで北の国ではないかと大神官は語る。


「やはり狂屍(きょうし)術士が……」


「彼らも最初は符術士として世に尽くしたそうです。たとえば聖堂の御神像ですが、符術士が(みずか)らの魂を作業用の像に乗り移らせ、大岩を運んだとか……。それに岩と岩を繋いだのも、憑依の像を造る術の応用だと先代から聞きました」


 シノブの呟きに、ユンレンは必ずしも邪悪な者達ではなかったと返す。ただし相当過去のことで、三百数十年前に起きた荒禁(こうきん)の乱のころには邪術の集団として危険視されたという。


 やはり特別な力を持つだけに、符術士達は増長したのだろうか。シノブは過去のカンに思いを飛ばす。

 荒禁(こうきん)の乱は百数十年も続き、カン帝国が崩壊し複数の国に分かれる原因となった。およそ二百年前に治まったが、そのころには知識や文献も散逸し、一部は禁忌として封印された。


 きっと神々や眷属は、憑依の術を平和的に用いてほしかったのだろう。ユンレンが語ったような巨大建築、人々を大災害から守る手段、そのような事柄に。

 術を悪用する者達が蔓延(はびこ)ったから、今ではカンの表社会から消え去った。しかし憑依術自体は有用だから、その意味では惜しむべきことではある。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 ユンレンから渡された書籍は、奪命符の作り方にも少しだが触れていた。ただし珍しい魔法植物を使うとのみ記され、具体的な種類や名称は載っていない。

 もし魔法植物が特定できれば解析も進むだろうし、符の魔力波動も類推できるかもしれない。残念に感じたシノブだが、ユンレンは他に記録がありそうな場所を知っているという。

 それはナンカンでも有名な武人、(グオ)将軍の家である。


 グオ家は代々受け継いだ魔獣使いの技で虎や狼を使役し、戦に役立てている。つまり系統としては操命(そうめい)術士だが、ユンレンには充分な根拠があるようだ。

 しかし大神官はグオ将軍への紹介状を記したのみで、詳細を明かさなかった。それに先日シノブが来たときも、彼はグオ家の秘を自身の口で語りたくなかったようだ。

 おそらくユンレンは、中途半端な知識で惑わすのを恐れたのだろう。そう察したシノブは、丁重に礼を述べて(いおり)を辞去した。


「……というわけで、俺達はグオ将軍に会いに行くから」


史武(シーウー)様、私達もお供します!」


 シノブが概要を伝えると、ロセレッタが同行を志願した。ちなみにシーウーとはシノブが用いている偽名である。


「どうか私達にも!」


「邪魔はしませんので!」


 フランチェーラやシエラニアも随伴を願い出る。

 せっかく来たのだからと思うのも無理からぬことだ。しかし一瞬だがアルバーノを気にしたらしき三人の様子からすると、彼と一緒にいたい気持ちが強いのだと思われる。


「外で待つだけだよ?」


 シノブは自身とミリィ、アルバーノの三人で行くつもりだった。

 初対面の相手、それに紹介状を持ってはいるがナンカンでのシノブ達は単なる商人でしかない。大勢で押しかけたら門前払いされる恐れすらある。

 そこでシノブは、聞き込みに回っているソニア達への伝言がてらセデジオ達を残すつもりであった。


「それでも……」


「お前達、主に口答えするなど何事だ!」


 何かをロセレッタが言いかけるが、アルバーノが鋭い声で(さえぎ)った。しかも普段の優男めいた様子とは大違いの、斬りつけるような烈声である。


 ロセレッタ達は伯爵令嬢だから、常のアルバーノは相応の敬意を払っている。時々彼女達に武術の指導をするときも、貴婦人に対する柔らかな口調を崩さない。

 しかし今のアルバーノ、姿勢を正して声を張り上げた彼は新人兵士を(しご)く熟練教官そのものであった。


「いいか、お前達は兵士ではない! 港のフナムシだ! フナムシ風情が人間並みに文句を垂れるんじゃない!」


 更にアルバーノは仁王立ちのまま、シノブが見たこともない形相で罵詈雑言を並べていく。まさに鬼軍曹、こちらだと鬼士官というべき姿である。


「……セデジオ、これは?」


「カンビーニ海軍式の指導です。おそらく昔アルバーノ様が体験入隊したとき、指導教官から学んだのでしょう」


 密かに訊ねたシノブは、セデジオの返答で納得がいった。

 かつてアルバーノは体験入隊で、襲爵前のエルネッロ子爵ディミエーノと出会った。そして当時のディミエーノは今より更に血気盛んで、鬼士官ディムと恐れられた青年軍人だった。


 アルバーノは自国の軍人とならずに出奔し、メリエンヌ王国で傭兵として働いた。そしてベーリンゲン帝国との戦場は内陸だからフナムシなどという罵声は浴びせないし、シノブも聞いたことはない。

 やはりセデジオの言葉通り、アルバーノは二十数年前の体験を元にしたのだろう。


「口答えをするな! 上官の命令は絶対だ! 反抗する兵士など価値がない、戦場で散りたくなければ俺の命令に従え! いいな、フナムシ共!」


「は、はい、アールー様!」


 アルバーノの言葉は、とても貴族令嬢に聞かせるものではない。しかし女騎士達は、どこか憧れの滲む表情で彼に(いら)える。

 それは歴戦の英雄に対する憧憬なのか。あるいは男らしいと言えなくもない叱責に何かを感じたのか。シノブに分かるのは、女騎士達が正真正銘アルバーノの部下となったことのみだ。


「アールーではない! 上官殿と呼べ!」


「はい! 上官殿!」


 軍隊式の厳しさを発揮するアルバーノに、シノブは頼もしさを感じていた。

 これなら自分がアマノシュタットに戻ってからも、アルバーノは三人を上手くあしらうに違いない。懸念があるとすれば更に惹かれる契機となるくらいだが、この調子なら見事に躱すのでは。シノブは、そう感じたのだ。

 とはいえシノブは、少しばかりの疑問を感じていた。


──ミリィ、これも眷属の教えなのかな? 昔からあるようだし、君じゃないだろうけど──


──そうなのだと思います~。なんとなく聞き覚えありますし~──


 どうやらシノブの想像は当たっていたようで、ミリィは笑いの滲む思念で肯定した。

 おそらくカンビーニ王国の聖人ストレガーノ・ボルペ、あるいは同じく海洋国家のガルゴン王国の聖人ブルハーノ・ゾロ。このどちらかが地球の軍隊式指導を取り入れたらしい。


「それでは得爺(デーイェ)、このフナムシ共を立派な海兵に鍛え上げろ!」


「まだ私は爺ではありませんが……まあ、今は置いておきますか」


 アルバーノは後をセデジオに任せることにしたようだ。

 ユンレンによれば、そろそろグオ将軍が王宮から屋敷に戻るころらしい。有名な将軍であれば忙しい筈、まだ帰宅していなくても予定くらい確かめるべきだろう。


「……フナムシ共、儂に続け! まずは走り込みからだ!」


「はい、上官殿!」


 走り出すセデジオに、女騎士達は即座に続く。そして調子を合わせるためだろう、セデジオが軍歌らしきものを歌い始める。

 どうも正式な軍歌というより、兵士達の俗歌のようだ。騎士とはいえ女性が歌うにはどうかと首を傾げたシノブだが、不思議と似合っているようだと思い直す。


 快活な声が響く中、いつしかシノブは春に綻ぶ花のように柔らかな笑みを浮かべていた。そして同じく声に惹かれたのか、別棟の庭に光翔虎達が次々と姿を現した。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年3月10日(土)17時の更新となります。


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