25.17 メグレンブルク解放記念日
シノブとアミィがエンナム王国から戻ったとき、既にアマノシュタットは二十二時ごろだった。そこでシャルロットには全員の無事と式神工場の破壊を伝えたのみで、残りは翌朝に回した。
禁術使いハールヴァに触れたら、奪命の符での急死も説明することになる。そうなると長いし、かといって中途半端はシャルロットも嫌がるだろう。
シノブとしては妻の安眠を優先したかったし、彼女も遠方から戻ったのだから休むようにと勧めた。そもそもシノブ達の起床は通常五時半ごろで、普段なら既に就寝している時間であった。
そして翌日、創世暦1002年2月18日の朝。シノブは我が子リヒトの顔を少し眺めたのみで居室へと移る。しかも普段と違いリヒトは乳母達に任せ、育児部屋に残したままだ。
アムテリアの強い加護からだろう、リヒトは周囲の感情に敏感に反応する。しかも父母であるシノブとシャルロットに対しては特に鋭敏だ。
そこでシノブは陰惨な事柄を語る場から、我が子を離したのだ。
「……当分の間は大型の式神を造れない筈だ。ハールヴァは死んだし、あの工場では彼と作業用の式神だけで造っていたようだから」
「その間に奪命符の解析をします。発動条件を突き止めないと、聞き込みにも差し支えますし」
シノブとアミィは、エンナム王国での一部始終を語り終えた。
聞き手の二人、シャルロットとタミィは顔を曇らせる。どうやらアミィも妹分に詳しいことを伝えぬまま休んだらしい。
アマノシュタットは緯度が高いから日の出は一時間半近く先だが、国王夫妻の住まいだけあって灯りの魔道具で昼と変わらぬ明るさだ。しかし今、僅かに室内が翳ったようにシノブは感じていた。
卓上にはタミィが淹れた紅茶、ソファーには四人が向かい合わせに腰掛けている。これでリヒトがいれば常と全く変わらぬ朝だ。
しかし居室には強い驚きと深い悲しみが広がり、暫しの間だが沈黙が場を支配する。
「……符を取り除くのは難しいのですね?」
どんな返答か察しているらしく、シャルロットは厳しい表情であった。
もし対策があるなら、不要な憂いを避けようと合わせて語るに違いない。おそらくシャルロットは、そう考えたのだろう。そして彼女の予想は当たっていた。
「ああ。実は心臓の中に根を張っていてね……下手に取り除いたら作動する可能性がある」
「即効性の毒を出すようですが、根の側にも同じ機能があればシノブ様の短距離転移でも失敗するかもしれません」
シノブに続き、アミィが今までに分かっていることを並べていく。
監視対象の状態を把握するためか、奪命の符は目に見えないほど細い糸を無数に伸ばしていた。符自体は心臓壁の表面近くだが糸は奥まで入り込み、周囲に傷を付けずに転移させるのは非常に困難だ。
しかも符は命を奪った直後に自壊し、構造には不明点が多い。対象者の言葉だけで発動するのか、それとも心拍数やアドレナリンのような体内分泌物の増加まで測っているのか、あるいは魔力や魂の状態か。式神を使う術士だけに、命そのものを見張っている可能性も否定できない。
「せめて発する魔力が分かれば、対応の幅が広がります。そこで今日は、タミィと共にメリエンヌ学園の研究所に行きます」
「昨晩お帰りになる少し前、所長のミュレさんから連絡がありました! その、ナンカンの将軍が使っている魔獣用の薬は能力向上用で、心を操る効果はありません……」
アミィが研究所に触れたから、タミィは伝え忘れていたことを思い出したらしい。彼女は失敗したと感じたのか、頭上の狐耳を伏せ気味にしている。
「大丈夫ですよ。それに昨夜は忙しかったから仕方ありません」
「お陰でアミィも充分に休めただろう」
アミィは首を横に振り、シノブも火急の用事でもないからと応じた。
おそらくタミィは姉貴分を気遣い、ゆっくりさせるため先送りにしたのだろう。それはシノブならずとも感ずることで、シャルロットも優しい笑みを浮かべている。
「ありがとうございます! ともかく今日は大神官補佐の仕事をお休みして、アミィお姉さまと出かけますので!」
先ほどの萎れた様子とは一転し、タミィは弾む声で応じる。眷属とはいえ彼女は年少な方で、尊敬する姉貴分との外出に嬉しさを堪えきれないらしい。
「頼みましたよ。存在を明らかにする術があれば、手の打ちようもあるでしょう」
せいぜい六歳か七歳といった外見だから、シャルロットは愛らしく思ったようだ。タミィは彼女より遥かに年長だが、今の言葉は幼い者に対する励ましのようですらあった。
シノブも顔を綻ばせたが、対策には更なる一手が必要だと感じていた。
エンナム国王ヴィルマンと会ったとき、シノブは魔力波動を詳細に探ったが不審な物を発見できなかった。ただし認識阻害や魔力隠蔽の魔道具は存在するから、奪命符がないと考えるのは早計だ。
エンナム王国の式神工場も外部に漏れる魔力を結界で減少させていたし、シノブ達の使う透明化の魔道具も一定の魔力隠蔽をする。そして工場や人間でも誤魔化せるなら、米粒より小さな魔道具など隠し通すかもしれない。
小さな魔道具に実装するのは困難だろうが、かといって油断はできない。
しかし未知の魔法薬を一週間かそこらで解析する研究所なら。そう思ったとき、すべきことがあるとシノブは思い至った。
「……ナンカンの大神殿に手がかりがあるかも。ハールヴァはカンの狂屍術士、大戮を知っていた……カンの術なら大神殿の蔵書に何か載っている可能性はある」
昨晩の出来事をシノブは思い出していく。
ハールヴァはダールーの名を口にしかけたとき、命を落とした。したがって彼がダールーの弟子筋に当たる可能性は非常に高い。
ならば奪命符の調査は、カンでも行うべきだろう。
もちろん構造や製法までシノブは期待していないが、過去に同じような道具が使われた話など関連することくらい掴めると思った。おそらく閲覧を制限しているだろうが、ミリィを通して大神官に頼み込めば見せてくれる筈だ。
「はい、きっと解析の参考になります!」
「では早速ミリィさんに連絡します! 魔法薬の件も書きますね!」
アミィも大きな手掛かりになると感じたようだ。一方のタミィは紙を取り出し、伝言を記し始める。
ナンカンの王都ジェンイーの経度はエンナム王国の王都アナムと殆ど同じ、つまり研究所所長のミュレがタミィに知らせたのは向こうだと午前三時台だろう。そのため彼女は起床してからミリィに伝えようと思ったらしい。
「そろそろ朝の訓練を始めようか!」
「ええ、いざというときに備えます」
シノブは陰鬱な話を終わりにしようと思っただけだが、シャルロットは万一に備えて鍛錬をと応じる。流石は『ベルレアンの戦乙女』、あるいは戦王妃と言うべきか。
もっともシノブはシャルロットの凛々しい姿に惹かれたのだ。変わらず頼もしく美しい妻に顔を綻ばせ、シノブは共に立ち上がった。
◆ ◆ ◆ ◆
朝食後、アミィとタミィはメリエンヌ学園へと向かった。
アミィがシノブの側を離れるのは珍しいし、タミィも彼女の代理としてアマノ王国の神官を統べる身だから国外に出るのは稀だ。そのためシノブの側に仕える者達は、何かあったと察したようだ。
しかし国王や王妃が理由を示さないから、誰も訊ねはしない。普段のシノブ達なら聞かれるまでもなく教えるだけに、周囲も重要機密と受け取ったのだろう。
もっともシノブは、宰相のベランジェを始めとする閣僚達には概略を伝えた。研究所の所長であるミュレ子爵マルタンはアマノ王国の貴族で技術庁長官だから、何を頼んだかのみ明かしたのだ。
朝議を終えたシノブは、アマノ王国の西端メグレンブルク伯爵領へと向かう。シャルロットだけではなく、ミュリエルやセレスティーヌも連れて空の旅だ。
一年前、メリエンヌ王国はベーリンゲン帝国からメグレンブルク伯爵領を奪取した。まだアマノ王国建国の三ヶ月以上前、シノブがメリエンヌ王国フライユ伯爵、そして東方守護将軍として知られていた時期のことである。
そして去年のこの日、創世暦1001年2月18日。ベーリンゲン帝国メグレンブルク伯爵エックヌートはシノブに降伏し、領主の座を降りた。彼は家族共々神々の御紋で異神バアルから解き放たれ、人々を奴隷とした過去を悔いて自ら退いたのだ。
そこで現在の領主、アマノ王国メグレンブルク伯爵アルバーノは2月18日を自領の解放記念日と定めた。そのためシノブ達も祝うべく、岩竜の長老夫妻が運ぶアマノ号で西へと向かっていた。
「出来れば飛行船を使いたいけど、竜達でも片道三時間弱だからね」
「飽きてきましたか?」
シノブに応じたのは、魔法の家のキッチンに立つシャルロットだ。今の彼女はミュリエルやセレスティーヌと共に料理をしている。
昼食はメグレンブルクで出るが、空いている時間を料理の上達に充てたいとシャルロットとセレスティーヌが言い出した。そこでミュリエルが指導役となり、臨時の調理実習となったわけだ。
なお完成した料理は一部を試食してから魔法のカバンに仕舞い、明日の朝食に回される予定である。魔法のカバンの内部は状態変化がないから、一日近く経っても出来たてそのままで味わえるのだ。
「まあね、今日はリヒトも連れてきていないし……」
シノブはリビングのソファーに一人座っている。
魔法の家の内部は数度の拡張がされ、リビングも広間と称して良いほどだしキッチンも四人が並べる。しかし貴方に食べさせたいのだからと主張されては、シノブも引き下がるしかない。
加えてセレスティーヌは未熟で恥ずかしいと側仕え達を別室で待機させたから、何脚もソファーが置かれたリビングにいるのはシノブだけである。
「……それに、これも失敗続きだし」
シノブも座っているだけではない。先ほどから、ある訓練をしているのだ。
細かく解した綿を粘土の中に埋め込み、それを短距離転移で取り出す。要するに、奪命符を解除する練習だ。
綿に粘土が全く付いておらず、そして粘土の塊に繊維が残っていなければ大成功。とはいえ毛筋一つ残さず取り出すのは困難で、既に十回以上も試しているが成功例はない。
何しろ綿の繊維は髪の毛よりも数倍は細く、しかも糸として紡いだわけでもない。綿花から取り出した塊を多少崩した不定形なのだ。
これを粘土に埋め、転移能力に付随する空間把握で正確に形を認識した上で取り出す。そこまで出来れば奪命符から出た根にも対処できるだろうとシノブは考えたが、成功への道程は遠い。
「アミィ達が解析してくれるけど……くっ、またダメか……」
シノブは封じた壺の中から紙一枚を転移で抜き出せる。しかし紙の場合、他と密着していないし形も容易に把握できる。
それに対し繊維に付着した粘土を除外して取り出すのは段違いどころか、果たして成功するのかと思ってしまうくらい困難であった。
「それほど急がなくとも……今日は大丈夫のようですし」
ミュリエルはカウンターキッチン越しにシノブを慰める。彼女は指導する側だから、余所見をする余裕があるのだ。
幸い、今のところエンナム王国に動きはない。向こうは六時間近くも早く日が沈むから既に夕方、今日のところは式神工場の調査で終わるらしい。
シノブは魔術師ハールヴァの死をエンナム国王ヴィルマンに教えて去ったが、あくまで倒したと告げたのみだ。つまりヴィルマンとしては、本当かどうか確かめるところから始めるしかない。
式神工場にあった物は全て魔法のカバンに放り込んでおり、工場として機能しないことは行けば分かる。だがヴィルマンは念のためハールヴァを探すだろうし、実際にそうしていた。
「表に出ている者ではヴィルマンしか知らないんだろうな。少なくとも軍人に命令できるくらいだと……また失敗か」
シノブは再び挑戦するが、今度も粘土の中に繊維が残ってしまった。
式神製造を知る者は非常に少ないらしく、検分は国王であるヴィルマン自身が指揮した。その結果、今日の彼は日中の大半を地下工場のある軍施設で過ごすことになった。
マリィ達は尻尾を掴めないかと見張っていたが、生憎ヴィルマンは誰とも相談しない。式神関連は国王からハールヴァへの特命なのだろう。
ただしヴィルマンが命じたのみか、製造自体にも関与していたか判然としない。通信筒でシノブに送られてきた状況報告は、そう結んでいた。
「シノブ、気分転換に試食をしては?」
「そうですわ! そろそろ手を洗ってきてくださいまし!」
あまり根を詰めても成果が上がらないと思ったのだろう。シャルロットとセレスティーヌは訓練を切り上げたらと提案する。
実際、料理も殆ど終盤らしい。先ほどから作っていたオムレツやフライは出来上がったのか良い匂いがし始め、カウンターには野菜サラダやデザートも並んでいる。
もっとも試食用だから、どれも少しだけである。
「ああ、粘土塗れの手で食べるわけにはいかないからね」
シノブは素直に聞き入れ、訓練を中断する。
特訓は帰りにも出来るし、予想はしていたが一日や二日で完成に至るのは難しい。やはり腰を据えて取り掛かるしかない。そんなことを考えつつ、シノブは綿の山と粘土を片付けていった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は、メグレンブルク伯爵領の領都リーベルガウをパレードした。アマノ号は中央の軍本部に置き、岩竜の長老夫妻ヴルムとリントに乗せてもらっての行進だ。
「我らが陛下、万歳!」
「リーベルガウにようこそ!」
「伯爵閣下、奥方様、ご懐妊おめでとうございます!」
大通りは無数の人で埋まり、歓呼の声が空高く響き渡る。
最も多いのはシノブを称えるもの、続いて多いのはアルバーノとモカリーナの二人への祝福であった。ただし出産は半年以上先だから、モカリーナも夫と共にリントの上で手を振っている。
ちなみにシャルロット達への言葉だが、比較的多いのはシャルロットとミュリエルでセレスティーヌは若干少なかった。
シャルロットは王妃で名だたる武人、ミュリエルは他国だが国境を挟んで隣のフライユ伯爵領で縁深い。しかしセレスティーヌはメグレンブルクと関わることが少なかったのだ。
もっとも当人も承知済みで、気にしてはいないようだ。彼女は華やかな笑顔で手を振り、王家とメグレンブルク伯爵家の和を示している。
「一年前か……。シュメイを助けたのが俺の誕生日の翌日だから2月15日、ファーヴと会ったのが十日後だったな……」
シノブは歓呼に応えつつ、当時のことを思い浮かべる。そして二頭は今どうしているだろうかと思いを馳せた。
この日オルムル達は、朝早くから出かけていった。とはいえ外出は普段通りで、転移の神像で繋がっている親達の棲家か森猿スンウ達のカカザン島にいる筈だ。
「今日は来てくれると思っていましたわ」
「私もです」
「ですが、ファーヴは……」
少々寂しげなセレスティーヌとミュリエルに、シャルロットが声を掛ける。
ファーヴは一歳になったから、自身の授かった力を発現させるべく猛特訓をしているらしい。そのため子供達は殆ど全てを遠方で過ごし、アマノシュタットではリヒトの育児室で休むだけとなっていた。
そのためシャルロットは、ファーヴの意思を尊重しようと言いかけたようだ。
「いや、来てくれたよ! あの方向だと、ゴルンとイジェの棲家からだね! ……皆、炎竜ゴルン達が来たぞ!」
シノブは南西の方角を指差した。そちらから急接近してくる数多くの魔力を感じ取ったのだ。
他の者にも伝わるようにと、シノブは声を張り上げた。そのため後ろに続くアルバーノ達も、斜め前方の空を見上げる。
そして待つほどもなく、青空に十を大きく超える点が現れた。
「おお、炎竜様達だ!」
「岩竜様もいるぞ!」
「……オルムル様達だ!」
まず通りの建物の最上階にいた者達が気付き始める。少し遅れて下の階、更に地上へと竜達の名を呼ぶ者が増えていった。
ゴルンとイジェはシュメイと共にシノブ達が救出した。その二週間ほど後、ジルンを始めとする四頭の炎竜も帝国の虜囚から解放された。
おそらく竜達にとっても今日は記念日なのだろう。岩竜と炎竜が全て、そして子供達は他の種族もいるから二十を超える超越種がリーベルガウの空に集う。
まずは成体の巨竜。真っ赤な炎竜達と黒光りする岩竜達だ。
子供は光翔虎のフェイニーや嵐竜ラーカ、朱潜鳳ディアスも飛んでいる。飛翔が苦手な海竜リタンと玄王亀ケリスは、成体の竜達の背の上だ。
とはいえ空の主役は小さな岩竜と炎竜、まだ白いと言うべき薄い色の子供達であった。
『皆さん、お元気そうで何よりです!』
『僕も一歳を超えたんですよ!』
『立派に飛べるようになりました!』
『岩竜と炎竜では最年少ですけど、負けません!』
ほぼ純白の岩竜オルムルとファーヴ、薄赤の炎竜シュメイとフェルン。合わせて四頭が低空まで降りて声を響かせる。
一年前はオルムルも軍馬と大して変わらぬほど、シュメイとファーヴは幼児や赤子ほどの大きさで空を飛べず、フェルンに至っては生まれてすらいなかった。
それが今、オルムルは五割ほども大きくなり体重は倍以上、最も小さなフェルンですら全長3mを超えて当時のオルムルに並んだ。
もちろんオルムルですら親達に比べたら五分の一よりは大きいといった程度でしかなく、成体となるまで二百年近くかかる。しかし単なる子供ではないと自由自在な飛翔が示している。
低空に迫るときの稲妻のような速さ、横一直線に並んでの見事な連携、ピタリとシノブ達の上に付けて静止する重力制御。どれも日々の厳しい訓練の成果、親達と変わらぬ貫禄すら漂う飛びっぷりだ。
「は、速い! それにピタッと!」
「あんなに小さかったシュメイ様やファーヴ様が……」
「こりゃ、驚いた……」
リーベルガウの人々は、昔のことも良く覚えているようだ。
ジルン達が救出される間、シュメイやファーヴはオルムルと共にリーベルガウで待った。その後もシノブはリーベルガウに来ることが多く、館や軍本部で働く者は三頭を幾度となく目にしていた。
おそらくリーベルガウは、アマノシュタットを除けばアマノ王国で竜と最も縁深い都市だろう。
──皆、ありがとう──
──ここには色んな思い出がありますから!──
──それにアルバーノさんの住むところですし!──
シノブが思念で密かに礼を伝えると、オルムルとシュメイが応えを降らせる。
ここやシェロノワで、オルムルはシュメイとファーヴという年少者を守り育てた。そしてシュメイは囚われの身から解放してくれた一人、アルバーノに深い恩義を感じているらしい。
「素晴らしいですね。貴方がアルバーノを奴隷から解放し、アルバーノがシュメイを帝国から助けた。そして今、シュメイは神の加護を授かるほど立派になり、様々な役割を担うようになりました」
「ああ。戦いだけじゃなく、森猿達を導いて……」
シャルロットの呟きに、シノブは深い喜びを感じる。
超越種の子供達は、多くの人々を守るまでに成長した。特にオルムルは異神ヤムとの戦いでも鍵となったほどだ。続く者達も禁術使いとの対峙では不可欠の存在として活躍した。
きっとオルムル達が助けた人々の中にも、同じように将来何かを成し遂げて世を動かす者が出るだろう。子供達の純粋で大きな意思は、そうやって星の隅々まで広がっていくのだ。
「陛下に栄光あれ!」
「オルムル様達にも!」
一層の歓呼がシノブの耳に届く。
寿ぐ人々の声には、今までと別種の熱も宿っているようだ。特に半数以上を占める獣人達は、瞳を潤ませて手を千切れんばかりに振っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「お忙しいところ、申し訳ありません。ですがシノブ様にお願いして本当に良かった……これからも火の中水の中、遠い異国であろうが身命を賭して尽くします」
「ここは帝国打倒の始まりの地だからね」
祝宴の場、一礼するアルバーノにシノブは真顔を作りつつ言葉を返した。わざわざ異国がどうこうと言う辺り、アルバーノはカンかスワンナム地方に行きたいのだろうと思ったのだ。
アルバーノは情報局長だから、カンに潜入中のソニアやミケリーノのことも把握している。そして元々傭兵として気ままに過ごした彼が、異国での諜報に惹かれたとしても無理はない。
しかしモカリーナは心細くないだろうか。シノブはアルバーノの隣へと目を向ける。
「この人の願いを叶えていただけないでしょうか。あまり館に縛り付けると腐ってしまいそうですし……私も交易商ですから、旅に焦がれる気持ちは分かります」
「実際、潜入ではエウレア地方随一と自負しているがね。ミリィ様も褒めてくださった腕だぞ?」
妻の助け舟に気を良くしたのか、アルバーノは彼女に笑顔を向けた。もっとも彼に勝る者など、そうそういないのは確かである。
「シノブ様、ミリィ様ったら子や孫にも技を継がせなさいって仰ったんですよ。アルバーノ二世、アルバーノ三世を育てないといけないって……まだ初の子すら、ここだというのに」
モカリーナが自身の腹部に手を当てると、一同は声を立てて笑い出す。しかしシノブは和したものの、素直に受け取って良いか悩んでいた。
ミリィが二世や三世を勧めた理由に、シノブは疑問を抱かざるを得なかった。何故なら、故郷で有名なとある大怪盗の姿を思い浮かべてしまったからだ。
「モカリーナの許可も出ましたし、何か頼んでも良いのでは?」
シャルロットもアルバーノを出動させてはと言い出した。モカリーナが本心から夫の活躍を望んでいると感じたのだろう。
「確かに向こうは人手が足りない。カンで危険なのはホクカンらしいが、ナンカンもエンナム王国の一つ北だから調べたいことが沢山ある」
シノブは声を抑えつつ言葉を紡ぐ。
国王と領主の会話とあって、周囲は慎み深く距離を取っていた。それに密談に協力しようと思ったのだろう、ミュリエルとセレスティーヌは側の者に声を掛けて庭園の散策へと誘う。
そのため大丈夫だとは思うが、カンやスワンナム地方のことは一般には伏せている。そこでシノブは具体的な言葉を避けていた。
「ナンカンを通過して伝わったでしょうからなぁ」
曖昧な内容でも、アルバーノは何のことか察していた。マリィから知らせが入ったか、ミリィとソニアを経由してか、何れにしてもエンナムで厄介な術が使われたと承知しているようだ。
カンで禁術使いが潜んでいるのは、どうやらホクカンらしい。しかし今のところミリィはホクカン調査に殆ど手を着けていないという。
これはアルバーノが指摘した通り、緊張高まるエンナム王国の件があるからだ。
シノブが頼むまでもなく、ミリィはナンカンの大神殿の書籍を調べようとしていた。エンナム王国の謎に迫れるかもしれないと、彼女も期待したのだ。
しかし折悪しく大神官は近くの神殿を巡っている最中で、帰還は最短でも明日だという。そして禁術関連は大神官の許可なくしては閲覧できない書物が殆どらしい。
『シノブさん、僕も行きたいです。ダメですか?』
『カンに例の木はないと聞きましたが……』
更なる志願者はファーヴとシュメイであった。実は超越種の子供達も、祝宴に出席していたのだ。
親世代達はパレードのみで引き上げたが、子供達はメグレンブルク伯爵家の館に残った。一年前に仲間がいた場所に、後から加わった子が興味を示したからである。
普段は上空を通っても館の中まで入ることはなく、この機会に見学しようと思ったらしい。
ただし超越種は料理されたものを食べないから、こうやってシノブの側にいたり人々との話に加わったりである。オルムル達は人間の子供くらいの大きさになって、好きに過ごしている。
「……ナンカンでミリィと一緒なら良いよ。ホクカンは不明点が多いから許可できない……そっちは俺がいるときに行こう」
『ありがとうございます!』
条件付きだがシノブが譲歩すると、オルムル達を含め喜びを示す。
スワンナム地方にはシュメイが『例の木』としたオーマの木がある。この花粉を吸うと極度の錯乱状態になるが超越種でも子供だと対抗できないらしく、エンナム王国には眷属と成体の超越種しか派遣していない。
しかしオーマの木は熱帯から亜熱帯でのみ育つ植物で、北のカンでは自生できない。それ故ソニア達も調査に加わっており、ならば自分もとオルムル達が思うのも当然だろう。
ちなみにナンカンの王都ジェンイーとであれば、往復は容易であった。ジェンイーの大神殿にはミリィ達が逗留中で、彼女の魔法の幌馬車を経由すれば日帰りすら可能である。
それもあるから、まずはナンカンでミリィと共に行動が妥当なところだ。
「シュメイ殿と組んで潜入調査……感慨深いですなあ。何しろ抱っこ出来るほど小さかったですから」
『今度は私がアルバーノさんを運びますよ?』
懐かしげなアルバーノに、シュメイが冗談らしき言葉で応じた。
およそ一年前の救出で、シュメイは僅かな間だがアルバーノに抱えられた。まだ生後一ヶ月少々で空を飛べず、身を守る手段すらなかったからだ。
しかし今のシュメイは本来の大きさに戻れば全長4mほど、数人を乗せての飛行すら容易である。
「シュメイ、アルバーノを頼むよ」
「ええ、彼にはモカリーナとお腹の子……そして大勢の領民が待っていますから」
せっかくの祝宴だから、深刻な話はここまでとシノブは切り替える。するとシャルロットも軽口めいた口調でシノブに続いた。
『任せてください! そして悪い魔道具を外す方法を見つけてきます!』
『アマノ王国の人達みたいに、笑顔で暮らせる場所を守るためにも!』
シュメイとファーヴの宣言に、シノブは大きく頷き返した。
ここにいる獣人達は『隷属の首輪』で自由を奪われた。一方エンナムの奪命符は常時の拘束こそしないが、致命的な発言を封じるという意味では似通っている。
どれだけ多くに仕掛けられているか分からないが、禁術使い達に命を握られた人がいるのは確かだろう。それらを超越種の子供達やアルバーノは、許し難く感じたに違いない。
もちろんシノブも放っておくつもりはなかった。
「アミィ達も頑張っているし、例の木も含め近いうちに対策できるだろう。そのためにも皆で頑張って調べよう……俺も取り出すための特訓に励むよ」
エンナム王国で起きたことには眉を顰めるしかないが、それでもシノブは別の明るさを見出していた。
こうやって多くの者と手を取り合い、それぞれが出来ることをする。それがあるべき姿だと、シノブは思っていたのだ。
一年前のこの日、神々の御紋でエックヌート達を解き放った。しかし今度は自分達が力を合わせた結果で、禁忌の魔道具に打ち勝ってみせる。
シノブの静かな、そして熱の篭もった宣言に囲む者達は強い賛意で応じていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年3月7日(水)17時の更新となります。




