25.15 エンナムの謎 前編
これは創世暦1002年2月17日、シノブ達がウピンデ国に行った日のことだ。
アマノ王国より遥か東、スワンナム地方のエンナム王国。マリィと超越種達は、この日も謎多き国の中枢を調べていた。
エンナム王国の暮らし自体は、他のスワンナム半島の国々と大差ない。
半島は北緯30度近くから赤道の少々南まで、亜熱帯から熱帯で多くは密林に覆われている。そのため植物の成長は早く、切り開いて農地とすれば少しの手間で大豊作となるのが常だった。
海も豊か、魔獣の海域を除けば恐れるのは嵐くらい。漁師達は陸に負けじと、日々豊かな幸を持ち帰る。
加えてエンナム王国は半島の東で一番の強国、商業でも他を圧していた。北に航海するとカンの南部、南には同じスワンナム地方の国と交易の要所なのだ。それに少し東のダイオ島は属国というべき状態で、ここもエンナムの商圏である。
したがってエンナムの民の多くは、憂いなど無縁とばかりに日々を楽しんでいる。
ただし他より多い富を守るため、軍は精強で統治体制も強固そのものだ。しかも上下の隔たりが大きく、王都アナムの富裕層でも支配階級と会える者など稀であった。
──手詰まりですわね……国王ヴィルマンと魔術師ハールヴァの会話も聞けぬままですし──
王都アナムから少々離れた森の中、マリィは鳥の姿で思念を発した。
マリィを囲んでいるのは光翔虎のヴァーグ達、そして今は密談の最中だ。わざわざ彼らに発声の術を使わせる意味はない。
そこでマリィは金鵄族の本来の姿、青い鷹に戻った。今の彼女は倒木の上、四頭の光翔虎は普通の虎ほどの大きさで手前に集っている。
──窓もない密室とは……どうにかして一緒に入るべきだったか──
──魔力に敏感な相手です、難しいでしょう──
応じたのはヴァーグと番のリャンフだ。
マリィとヴァーグがエンナムの宮殿に再び潜入したときの様子は、残りの光翔虎達にも伝えている。そのためリャンフは露見を避けるには仕方ないと、夫を慰める。
扉が開閉する僅かな間に忍び込むなど、よほど小さくないと難しい。しかしマリィに大きさを変える術はない。
光翔虎にはアムテリアから授かった腕輪があり、大量の魔力を注げば小鳥程度にもなれる。しかし触れるほどの至近で飛翔すれば相手は魔力で感付くだろう。
国有数の魔術師なら充分にあり得るし、王族だからかヴィルマンも劣らぬ魔力を持っている。それに二人が潜った扉は背丈より少々高いだけで幅も狭く、ぶつかる危険すらあった。
──ヴァーグの兄貴、これからを考えよう──
──ええ。それに次の機会もあるかと──
こちらはフォーグとファンフ、イーディア地方の残る一組だ。『放浪の虎』ことヴェーグの両親である。
歳はヴァーグとリャンフの番が双方とも六百数十歳、フォーグが六百歳前後でファンフが五百数十歳だ。そのため四頭とも慎重で、数日前を振り返ったヴァーグも静かに頷き返す。
──そうですね……無理は禁物です──
マリィも素直に同意する。
神々の眷属として長い時を過ごしたマリィだが、実はヴァーグ達の方が年齢は上であった。アミィも含め、シノブの側にいる眷属達は五百歳を下回るのだ。
確かにマリィには神々から教わった知識があり、眷属として磨いた心がある。しかし老練な超越種であれば、知識はともかく精神の強さは比肩する。
──ともかくアナムに何かあるのは間違いありません。それにハールヴァが単なる軍人ではなく、魔術……それも禁術に類する技を使っているのも間違いないでしょう。あの船団の秘密は、全て彼が握っているようですから──
マリィは状況の整理をと思ったらしい。それはヴァーグ達も感じていたようで、四頭の光翔虎は静かに頷き返す。
東を目指した遠征団の指揮官はコンバオという武人だが、こちらは海将として優れてはいるものの魔術は使えないという。実際コンバオに関する逸話は、武勇や船乗りとしての技量を称えるものばかりだ。
それに対しハールヴァは軍に所属しているものの、謎めいたところが多い。ただ彼が魔術師であるのは確かなようで、街の者も優れた術士だと噂している。
ちなみに王都アコナでは、コンバオやハールヴァが東に遠征したこと自体は知られていた。そして多くの者は、魔獣の海域からの生還をコンバオの艦隊指揮とハールヴァの術の双方によると受け取っている。
──ヴィン殿達の調査では、魔獣そのものを使役しているか式神に変えて操っているか……だったな。人の子が獣を飼うのは神々もお許しになったこと、しかし命を弄んだのであれば許せん──
──ええ。鍛えたり良い餌を与えて大きく育てたり……それらは自然なことです。しかし心を操る、あるいは生き物と呼べぬ存在に変える……これは見逃せません──
ヴァーグとリャンフは、強い憤りを表す。
しかし、それも無理はない。ヴァーグ達の第一子、ドゥングは長く禁術使いヴィルーダに囚われ、魔力の供給源とされた。そしてヴィルーダは吸い上げた力を自身や代々のアーディヴァ王に用い、陰から国を支配したのだ。
歴代のアーディヴァ王は死した後も当代を縛り付ける枷とされ、当代はヴィルーダの操り人形と化した。それをドゥングは親達に余すことなく伝えている。
そのためヴァーグ達どころか第二子で娘のヴァティーも激しく憤慨し、彼女から聞いた『放浪の虎』ヴェーグも怒り狂った。彼を始めとする若手の光翔虎達が、熱心にミリィを手伝うのも当然である。
──式神だとすれば、やはり地中に隠しているのでは?──
──嵐竜殿や海竜殿に発見できないのは、それ故かもしれませんね──
フォーグの挙げた疑念は、薄々他も感じていたようだ。番のファンフのみならず、他も賛意を示す。
嵐竜は空中、海竜は水中を活動領域としている。もちろん彼らも穴くらい掘れるが、岩竜や玄王亀のように居ながらにして広範囲を探るなど不可能だ。
◆ ◆ ◆ ◆
嵐竜のヴィンとマナス、海竜のレヴィとイアス、この二組の夫婦は今もエンナム王国の東の海を調べている。しかしアコナ列島の漁師が見た使役獣らしき存在は特定できないままである。
仮に海猪そのものを使役獣にしているなら、先日ヴィン達が見つけた隠し港の島以外に棲んでいるだけかもしれない。海猪は問題の島の付近に多く群れており、そのどれかが使役獣の集団という可能性もある。
普通の魔獣と使役獣の区別など、首輪でも着けていなければ難しい。そのため本物の海猪という可能性も捨てきれない。
しかし使役獣を長期間放置しておくなど、果たして可能だろうか。飼い主がいなければ、餌の多いところに行くと考えるのが自然だ。
その点、式神であれは何年経とうが問題ない。岩や金属、あるいは木材などを元にした式神は休眠状態に出来るからだ。
休眠中の式神は魔力を発しないから、地中深くに埋めれば嵐竜や海竜が見つけるのは難しかろう。それに隠し港の島の発見から一週間弱、そろそろ調査範囲や方法を考え直すべきだ。
──その辺り、はっきりさせましょう。玄王亀か岩竜、あるいは朱潜鳳の誰かに頼めないか、シノブ様にお伺いします。あまり長引くと、アコナ列島も大変でしょうから──
マリィの思念には憂いが滲んでいた。
アコナ列島には多くの者が支援に赴き、大掛かりな防衛網が敷かれている。近場のヤマト王国は自身の守りも兼ねて、またエウレア地方やアスレア地方のエルフも同族の支援にと立ち上がったのだ。
今のところ交流が進むなど喜ばしい影響が多いが、とはいえ支援者と受け入れ側の双方にとって負担には違いない。
──後は禁術使いか否かですね……これは例の手段で調べましょう──
マリィは虎の獣人へと姿を変える。そして彼女は魔法の幌馬車のカードを取り出した。
鷹の姿のとき、マリィ達は透明化や色を変える足環を着け、そこに通信筒を下げている。ではカードはというと、更に小さく変じて足環に張り付くようになっていた。
他の道具類は魔法の幌馬車に入れておけば良いから、マリィ達は身一つで飛び回ることが出来るのだ。
──実は少々興味があったのだ──
──兄貴もか──
ヴァーグとフォーグは楽しげな思念を交わしつつ、場所を空ける。それに双方の番も同様だ。
一方のマリィは魔法の幌馬車を出し、中へと入る。そして代わりに顔を出したのは人間そっくりの木人、それも青年男性であった。
マリィが憑依した木人は、人族を模していた。焼けた肌に整った顔立ち、そしてエンナム王国風の衣装を着ている。
エンナム王国は北で接するカンの影響もあったらしく、上流階級の衣装はカン北部の服に似ている。しかしマリィの木人が着ているのは町民用で、他のスワンナム地方の国々とも共通する巻きスカート風の衣装だ。
上は長袖のシャツ、下は緩やかな長ズボンを穿いて更に布を巻いている。巻く布は裕福な者ほど長く大商人などは足首まであるが、この木人は膝下くらいだから中流といったところか。
足元はサンダル風の甲が見える靴、そして頭には小さな帽子を乗せている。服や帽子の色はベージュや茶の地味な系統で、中流でも少し下を意識したようだ。
「皆さんもどうぞ」
──私が体を守る役として残りましょう──
マリィが誘うと雌のファンフが守護役に名乗りを上げ、他の三頭が馬車へと入っていく。
木人に憑依している間、本来の体は動けない。そこで誰かが守り、残りが調査に回ることになる。
今の木人は数十kmほど離れても憑依を継続できるから、このままファンフは森にいても良いし魔法の幌馬車を運んで付いてきても良い。
「やはり面白い」
「頂いた腕輪で小さくなれるとはいえ、元の姿では使えない物もあるからな」
「これは男性でしたね……若者ですから、このままの口調で良いでしょうか?」
ヴァーグとフォーグが三十過ぎくらいの労働者風、リャンフがマリィと同じ若い男である。
この三体は虎の獣人だが、衣装自体はマリィのものと基本は同じだ。虎の獣人は獣耳が小さいから帽子もマリィ同様に背の低い筒状、ただし腰の後ろに黒い縞のある尻尾が覗いており種族は判別できる。
「リャンフさんは大丈夫です。ヴァーグさん達も普段はそのままで良いですが、役人などの前では丁寧な言葉にしてください。それと名前ですが……皆さんはそのままにしましょう。知っている人もいませんし、こちらにもありそうな響きですから」
マリィはテキパキと指示を出す。
国王ヴィルマンに司令官のコンバオ、魔術師ハールヴァと、確かにエンナム辺りの名はヴァーグ達に近かった。そしてイーディア地方の光翔虎を知る者など、スワンナム地方にはいないだろう。
「マリィ殿は?」
「……マーリグにします。姓はアマノ王国とシノブ様から拝借してアマノブ、つまりアマノブ・マーリグですね」
問うたヴァーグに、マリィは少し考えてから応じた。
スワンナム地方の姓名は東洋風で、姓が先である。国王ヴィルマンも正式にはエンナム・ヴィルマンだ。
更にマリィは、ヴァーグ達にも同じ姓を使うようにと勧める。どうやら四人兄弟として動くことにしたらしい。
──それでは街に運びましょう──
「お願いします。その間にシノブ様や同僚達に連絡しますね」
ファンフが乗車を促すと、マリィの木人は馬車へと歩み出す。もちろん残り三体も同様だ。
ここから王都アナムまで歩くと、常人なら二時間以上は掛かる。もちろんマリィ達なら木人であっても桁違いの速度で走れるが、目立つことは避けるべきだろう。
そしてマリィは、移動中を書き物に充てるようだ。この辺り、効率を好む彼女らしい選択である。
「息子達のように禁術使いを成敗するのも一興だな」
「ミリィ殿に色々教えていただいたとか。確か『五人揃って白虎隊』……でしたか?」
「ああ。『白浪五人衆』というのもあるそうだ」
続く三体の言葉に、マリィの宿った木人の顔が引き攣る。しかし前を向いたままだから、光翔虎達は気付かなかったらしい。
どうやらマリィは、移動中に詳しく話すことにしたようだ。彼女は無言のまま馬車の中に消え、他も雑談しながら後を追う。
──では出発します──
四体の木人が馬車に乗ると、ファンフは元の大きさに戻って浮遊した。そして彼女は魔法の幌馬車の上に移り、馬車と共に上昇していく。
もちろんファンフは姿消しを使っており、空飛ぶ巨大な虎と運ばれていく幌馬車を目にする者はいない。ただ、上昇に連れて木々の葉が少々揺れたのみである。
◆ ◆ ◆ ◆
まずマリィ達は、聞き込みより街巡りに重点を置いた。
これまではマリィだけが姿を現し、ヴァーグ達は姿を消して同行するのみだった。そこで人間としての会話に慣れる時間を設けたのだ。
光翔虎には密かに人間観察をする者が多く、ヴァーグ達も時折はイーディア地方の人々を眺めていた。そしてスワンナム地方は彼らの故郷と同緯度帯だから人間の暮らしも似ており、改めて教わらなくとも何をしているかくらい充分に理解できる。
とはいえ人を演じるには、多少の習熟が必要だ。そこでは田舎から出てきた四人兄弟が王都アナム見物を楽しむという設定で、マリィ達は半日を過ごす。
もっとも聞き込みに適した場所は調べていた。そして夜、マリィ達は目を付けた酒場に足を運ぶ。
ここは港近く、それも軍施設の至近である。この軍施設は軍人かつ魔術師のハールヴァの職場で、多くの時間を過ごしているという。
どうもハールヴァは遠征の計画を練ったり必要なものを用意したり、司令官コンバオの補佐めいた位置付けでもあるらしい。しかしマリィ達は、補佐官としての姿を偽装と睨んでいた。
式神にしろ使役獣にしろ船団の守り手たる何かをハールヴァが操り、ここで準備や管理をしている。マリィ達は、そう考えたのだ。
「それではフォーグ兄さん、お店に入りましょう」
「ああ、マーリグ。ちょうど喉が渇いたしな」
二十代前半の人族の男が、兄らしき三十過ぎの虎の獣人と共に酒場に訪れる。何の変哲もない光景だが、実際には神々の眷属マリィと光翔虎フォーグが憑依した木人である。
ヴァーグとリャンフの番は、同様に近くの酒場に赴いた。少しでも多くの情報を得ようと分かれたのだ。
そして残る一頭、ファンフは魔法の幌馬車と共に上空に控えている。もっと遠方からでも憑依は可能だが、何らかの理由で本当の体を使いたくなるかもしれないからだ。
「いらっしゃい! お二人さんですね!?」
「ええ、まずはヤシ酒を……それと、お勧め料理を適当に」
威勢よく声を張り上げた娘に、マリィの木人は笑顔で応じる。
酒場といっても夜の店ではなく、港湾労働者や船乗りが使う食堂に近い場所だ。この娘も料理を運ぶついでに愛嬌を振りまく程度、それに店主の愛娘に不埒なことをしたら追い払われるに違いない。
「は~い、ヤシ酒は壺にしますね! 父さ~ん、ピリ辛エビの炒めご飯、大盛り二人前!!」
「あいよ! ピリエビ炒飯、大二つ!!」
適当にと頼んだからだろう、娘は良客と判断したらしい。彼女は愛想良い笑顔に続き、ちゃっかり壺に大盛りと付け加えた。
もっとも多すぎるなら何か言うだろうし、現にマリィ達は動ぜず席に歩んでいく。そこで父も調理に取り掛かるべく、両手持ちの大きな丸鍋を火に掛ける。
「壺酒とは豪勢だね?」
「せっかくの王都だから景気良くいこうとね」
「うむ……そうだ、王都について教えてくれんか? 酒を奢るぞ?」
相席の男が羨ましげな顔で話しかけると、マリィとフォーグは待っていたとばかりに話を持ちかけた。マリィ達は田舎者の振りをして、店員や客に訊ねるつもりだったのだ。
「おお、何でも聞いてくれ! 俺は生粋のアナムっ子、この港なら波の数まで知っているぜ!」
「そいつは大袈裟だが、俺達は生まれたときからアナムの港で遊んでいる。もちろん今も仕事は港、俺は船大工で、こいつは荷運びさ」
向かいの男も御馳走に預かろうと考えたらしい。それに自分の方が頼りになると言いたいのか、彼は船大工という部分を強調していた。
どちらも日焼けした逞しい体の持ち主だ。ちなみに荷運びが虎の獣人、船大工は人族である。
「荷運びって! 俺の親父の店は軍にも運んでいるぞ!」
「大店の下請けじゃないか。それに俺だって今は軍の……おっと口が滑ったな」
仕事自慢をする男達だが、奢りに預かろうという辺り程度が知れている。
とはいえマリィ達からすると、取っ掛かりとしては申し分ない相手である。末端にしろ軍への納品に関わっている男、口外できない船でも担当しているらしき男。どちらも手掛かりを与えてくれそうだ。
「ヤシ酒の壺です!」
「早速で悪いけど、もう一つお願いできるかな? こちらのお二人さんと意気投合してね」
娘が持ってきた壺は、片手で持てる程度だ。おそらく容量は一升徳利ほどで、マリィは四人分に不足だと思ったらしい。
ちなみに木人は飲食したものを腹に溜めるだけで、酒を飲んでも憑依した者が酔うことはない。つまりマリィやフォーグは幾ら飲もうが平気、荷運びと船大工の口が軽くなるだけである。
「ありがとうございます! すぐ持ってきますね!」
「頼むぞ。……ところで軍の仕事なら、景気も良いのだろう? 俺達でも働けるだろうか?」
大喜びの娘を見送ると、フォーグは探りを入れ始める。とはいえ船大工になるのは難しいだろうから、彼は荷運びへと顔を向けていた。
この荷運びは大店の下請けらしいし、父が店を構えているなら人を雇うこともある筈だ。まだエンナム王国には詳しくないフォーグだが、六百年ほども生きているだけあり人間の社会も概要は把握しているようだ。
「おお、食料くらいなら親父の店にも回ってくる。流石に魔法の石までは……いや、最近は手が足りんから付き合いが長いところにも声を掛けるとか……だが、運べば大体は判るぞ!」
荷運びは食料や雑貨、それに武具でも兵士が使う程度なら運んだことがあるそうだ。しかし魔力蓄積結晶などは、大店自体か下請けでも老舗のみが選ばれるという。
機密の品は厳重に梱包されているし、そもそも持っていく先が貼ってあるだけだ。もっとも長年の勘で、重さなどから大よそは推測できると男は豪語する。
「俺の方も、ここのところ面倒な代物が多いんだ。これを本当に船に使うのかって品がなぁ……」
既に酒を飲み始めているから、船大工も上機嫌で語り出す。それに荷運びへの対抗意識が働いたのか、少しだけ秘密を漏らす気になったらしい。
この船大工や仲間は、用途不明な部品の細工まで受け持っているそうだ。しかも図面通りに加工するだけで、全体像は想像も付かないという。
もしかすると、この船大工は魔術師ハールヴァが使う何かの部品を作っているのでは。たとえば式神として動かす依り代、つまり木人のようなものだ。
そこでマリィ達は、遠回りにだが彼の職場がどこにあるか訊ねていく。
「ここには沢山の造船所がありますね。流石は王都の港です」
「お、おう。アンタ、若いのに迫力あるねぇ……」
マリィの言葉に、船大工が表情を改めるような内容は含まれていない。しかし彼女の気配が、それまでと違うのも事実であった。
単なる憑依とは違い、式神は多かれ少なかれ魂の改変を伴う。
そして多くの場合、式神となった魂は輪廻の輪へと戻れず消滅するしかない。式神は魔道具の一種でもあり、既に命とは言い難いものに変じているからだ。
たとえ目に見えないほど細かな生き物であっても、来世では人に生まれ変わるかもしれないし逆もある。つまりマリィ達からすれば、等しく冥神の手に戻すべき掛け替えのない存在であった。
「ありがとうございます。後学のため、私も造船を見学したいのですが」
「ああ。俺の職場なら、いつでも案内するよ」
「俺でも良いぞ。ここから遠くないんだ、店を出たら海の側に……」
もちろんマリィは命の神秘に触れはしない。しかし相席の二人も何かを感じ取ったのか、問われるままに語っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
マリィ達は酒場で聞いた情報を元に調査を進めた。
まず船大工の職場に行き、部品が何か確かめる。幸い夜だから職人達も不在、それに姿消しや透明化の魔道具が使えるから侵入も容易だ。
そして加工中の部品から、やはり式神だろうと判断する。侵入した先で作っていたのは上腕部らしき部分のみだったが、海猪の姿を念頭に置いていれば理解できるものだったのだ。
船大工が中途半端な柱だと語ったように、部品の長さは大人の背丈くらいであった。中央部が太く両端が細い独特な形で、しかも端には関節部分を繋げるらしき細工が施されている。
多少形状は違うが、これと同じものをマリィは見知っていた。それは巨大木人の腕の一部である。
メリエンヌ学園の研究所には、組み立て前の部品が予備として保管されている。それに伊予の島のユノモリでも、女王ヒミコことトヨハナの案内で見学したときに同様のものを目にした。
それ故マリィにとって真実に迫るのは、さほど難しいことではなかったのだ。
念のためマリィ達は近隣の造船所も回ったが、同様に殆どで海猪の像となる部品を作っていた。
随分と機密保持に力を入れたらしく、それぞれの造船所が担当するのは僅かな部分のみだ。複数種類を扱う場合でも、違う箇所ばかりで全体の姿など想像のしようもない。
出荷待ちの箱に記された納品場所は全て例の軍施設、魔術師ハールヴァの職場だった。そこまで確かめたマリィは、シノブに再び連絡を取ることにした。
式神の破棄やハールヴァの拘束など、エンナム王国への介入は避けられないだろう。ならば国王にしてアマノ同盟の盟主であるシノブの意向を確かめるのは、至極当然なことだ。
「……マリィからの連絡です」
アマノシュタットの『白陽宮』、その奥にある『小宮殿』でアミィが通信筒の蓋を開ける。そして彼女は遥か東からの知らせだと口にした。
エンナム王国とアマノシュタットの時差は六時間近く、シノブ達は夕食の最中だ。しかも先ほどウピンデ国から戻ったばかりだから客を招く予定もなく、家族のみとの食事である。
「地下探索の件かな? そうだ、アケロとローネが協力してくれるって、まだ伝えていなかった……」
「エンナム王国は日付が変わるころですからね。深夜と遠慮したのが仇となりましたか」
頭を掻いたシノブに、シャルロットが微笑みを向ける。
席に付いているのはアマノ王家の面々にアミィとタミィ、そしてイーディア地方から帰還したホリィのみだ。そのためシノブ達は、一般には存在すら明かしていない国について遠慮なく触れる。
玄王亀の長老夫妻アケロとローネには先ほどシノブが会いに行き、遥か東への調査協力を打診した。幸いアケロ達は快諾してくれ、スワンナム地方が朝を迎えたら連絡するつもりであった。
しかしマリィ達が起きているなら、これからアケロ達に転移してもらっても良いだろう。アケロ達の棲家はアマノシュタットより更に西だから、まだ休む時間ではない。
「いえ、調査に進展がありました。やはりシノブ様が危惧されたように、エンナム王国では式神を作っています。今のところ動物型の巨大像の部品を確認したのみですが、おそらく間違いないかと」
アミィの言葉に、シノブは表情を引き締める。もちろんシャルロット達も同様で、今や食事を続けている者はいない。
「俺が行こう。それにアケロ達にもお願いする」
「私も行きます!」
「私も。……先ほどお伝えした通り、アーディヴァ王国も落ち着きましたから」
シノブが出立を宣言すると、アミィとホリィが間を置かずに続く。
アーディヴァ王国で禁術使いのヴィルーダを倒してから、一ヶ月少々が過ぎた。そのため国内のみならず、周囲との関係も大きく改善された。
ヴィルーダの暗躍で、アーディヴァ王国は侵略を企む危険な国家となった。しかし王は正道に戻り、周囲の三国も今までとは違うと認めて和解へと漕ぎつけた。
そこでホリィは、週に一度や半月に一度など一定間隔で赴く程度にする。スワンナム地方やカンではマリィやミリィが忙しくしており、そちらの手伝いに移ろうと語ったばかりなのだ。
「そうか……シャルロット、済まないが留守を頼む」
「ええ。私達がオーマの木の花粉を吸えば、正気を失うでしょうから」
立ち上がったシノブに、シャルロットは静かな笑みで応じる。
スワンナム地方をマリィと超越種のみが担当しているのは、この懸念があるからだ。ミュリエルやセレスティーヌも承知済みで、頷くのみである。
オーマの花粉を吸えば、常人なら一瞬で錯乱状態に陥る。これはマリエッタとエマのように充分な修行を積んだ戦士も同様で、親衛隊長のエンリオですら抵抗できなかった。
それどころか調査の結果、耐え切れるのはシノブや眷属に成体の超越種のみと判った。したがってシャルロット達どころか、幼くとも超越種のオルムル達も連れてはいけない。
「カンなら安心できるが、スワンナム地方はね……。オーマの木は熱帯以外だと育たないみたいだから」
シノブがソニアやミケリーノをカンに送り込んだのは、この点を考慮したからだ。
カンに類似の植物があっても、悪影響は極めて僅かだ。それは南半球のアウスト大陸で、既に確かめたことでもある。
先日ソニア達が一時帰還したときに詳しく聞いたが、事実カンにはアウスト大陸のマホマホの草と同程度の魔法植物しかないという。これはアウスト大陸では家畜にも与える、有り触れた品である。
「シノブ様、ステキなお土産を探しましょう! 誕生日のお返しです!」
「向こうの服や食べ物など、いかがでしょう!?」
アミィとタミィが陽気な声を張り上げる。おそらく彼女達は、しんみりした出立を嫌ったのだろう。
「お願いします! この前のカン服も面白かったですし、スワンナム地方の衣装にも興味があります!」
「ええ! 素敵な服を……でも、料理にも惹かれますわね」
ミュリエルは手を打ち合わせ、セレスティーヌも華やかに顔を綻ばす。しかし食事中ということもあってか、後者は遥か東方の食べ物も味わってみたいと言い出した。
「服と料理か……。アオザイっぽいもの……この前ミリィが着ていたチャイナ服に似た衣装はあるそうだね。食べ物は辛いのが多いとか……」
「あれだけ甘いチョコを贈ったのに、そんな仕打ちをされたら貴方の愛情を疑ってしまいます。私達の好みにあった服と料理、そして無事なお帰りを所望します。特に最後の一つだけは、絶対に……」
冗談めかしたシノブに、シャルロットも悪戯っぽい笑みを返す。すると集った者達は、楽しげな表情と声で和す。
もちろんシノブはシャルロット達の望みを受け入れる。そして必ず叶えると、見送る者に強い抱擁で示していった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年2月28日(水)17時の更新となります。