25.14 未来への旅立ち
二十歳を迎えた日の夜、シノブはシャルロットとアミィを連れてアマノシュタットを離れた。岩竜の子ファーヴが北極圏の聖地に着いたからだ。
ファーヴは翌2月15日で一歳、そこで彼は独り立ちの試練に挑んだ。それは3000km近くの連続飛翔、岩竜と炎竜の島までの無着陸飛行である。
ただし厳密に言うと、ファーヴは既に成し遂げている。一ヶ月少々前に炎竜シュメイが一歳になったとき、彼も前倒しで無着陸飛行を達成したのだ。
もちろんファーヴは今回も成功し、巣立ちに相応しいと認められた。そこでシノブ達三人は、祝いに駆けつける。
とはいえ移動は一瞬、岩竜の長老夫妻が運ぶアマノ号、その上の魔法の家への転移である。
まず『小宮殿』の庭に出した魔法の馬車、その隠し部屋に掛けた転移の絵画の前に立つ。そして魔法の家へと念じるだけで、シノブ達三人は極夜の世界に到着した。
「待っていたの?」
魔法の家のリビングに出たシノブは、大きな笑みを浮かべた。オルムル、シュメイ、フェイニー、ケリスの四頭が横一列に並んでいたのだ。
アミィによると、オルムル達はシノブの誕生プレゼントとしてチョコレートを用意したそうだ。とはいえ驚かせるつもりかもしれないし、先に触れるのは避けるべきだろう。
『シノブさん、お誕生日おめでとうございます!』
『私達も贈り物を用意しました!』
『驚くと思いますよ~!』
『これです!』
岩竜オルムルと炎竜シュメイは羽を広げて宙に舞い上がり、光翔虎のフェイニーは跳ねるように体を揺らして浮かび上がる。そして同じく浮遊した玄王亀のケリスが声を響かせると、彼女達の前に真っ赤な包みが現れた。
どうやらフェイニーが姿消しの応用で隠していたらしい。四つの箱は彼女の近くから飛び出したから、間違いないだろう。
シャルロット達のプレゼントと同様に、包み布を上に纏めてからリボンで縛っている。そのため、まるで真紅の蕾が四つ浮いているようだ。
『ファーヴが待っているから、開けちゃいますね!』
オルムルは魔力でリボンを掴んで解いたらしく、誰も触っていないのに包装の布が広がっていく。もちろんシュメイ達も続いたから、四つの大輪の薔薇が宙に誕生する。
「綺麗だ……」
「ええ……」
「セリュジエールの薔薇のようですね……」
思わず漏れたシノブの呟きに、シャルロットやアミィも陶然とした様子で応じる。
ベルレアン伯爵領で暮らしていたとき、日々愛でた薔薇庭園。シノブの第二の故郷の象徴。そしてシャルロットに愛を誓った場所。シノブは過ぎし日のことを思い浮かべていた。
もっとも過去に浸っていたのは、僅かな間である。早く披露したいだろう、オルムル達は間を置かずに箱の蓋を開けたのだ。
『私達に似せたチョコレートです!』
相当な自信作らしく、シュメイの声も弾んでいる。もっとも彼女が自慢したくなるのも無理はない。
縦横30cmほどの箱には、彼女達を象ったチョコレートが整然と並んでいる。しかも全て違う形らしい。
見上げるような愛らしい像、睡眠中らしい丸まった像、それに飛翔を模したらしき羽を広げた像。まるで生きているような出来栄えは、単なる型抜きでは絶対に成し得ない。
おそらくアミィやタミィと同様に、魔力で形を整えた筈だ。
『そっくりでしょ~!』
フェイニーのチョコレートは光翔虎ばかりだ。とはいえデフォルメしたようで丸っこく、どこか猫に似て愛嬌がある。
しかも招き猫のように片手を上げたものや、香箱座りをしたものまである。もしかするとヤマト王国に長期滞在した従兄弟、シャンジーから教わったのであろうか。
『アミィさんに教わりました!』
ケリスの箱も同様で、玄王亀に似せたチョコレートが並んでいた。
頭や手足を出していたり、引っ込めていたり。それに子亀を載せたり、地中から出るところを表したのか上半身だけ突き出したり、様々に工夫を凝らしている。
「ありがとう。どれも良く出来ているね……うん、美味しいよ」
少し前に五粒も食べたシノブだが、ありがたくいただく。幸い一粒ずつの大きさは先ほどと同程度、まだ食べすぎには程遠い。
『秘密の特訓をした甲斐がありました!』
『はい、オルムルお姉さま!』
『チョコを捏ねるのは面白かったです~!』
『また作りますね!』
喜びのあまりだろう、オルムル達は宙で舞っていた。
最近オルムル達は自身の訓練のみならず、カカザン島の森猿スンウ達に人と生きる術を教えてもいる。そのため日中の殆どは不在だが、合間でチョコレート作りの練習をしていたようだ。
アマノシュタットにいればシノブには魔力で分かるから、カカザン島にでも練習の場を拵えたのだろうか。赤道に近い島だが、玄王亀のケリスや朱潜鳳のディアスがいるから地中でも問題ない。
シノブは食べながら、そんなことを考えていた。
「残りは魔法のカバンに仕舞っておきますね!」
「それが良いでしょう……どうしたのです、オルムル?」
片付け始めたアミィに、シャルロットは頷き返した。しかし彼女は何かが気になったらしく、オルムルへと向き直る。
『実はファーヴ達も作ったのですが……』
『魔力冷蔵庫に仕舞ってあります……とりあえずお見せしますね』
何とも言い難い様子のオルムルとシュメイに、シノブは少々嫌な予感がした。しかし今食べたチョコレートは味も良かったので、首を傾げてしまう。
『張り切りすぎだと思うんですよね~』
『これです……食べきれませんよね?』
フェイニーとケリスが取り出したものは、やはり超越種の子を模していた。
ただし、大きさが違う。新たに出た五つのチョコレートは、どれも大玉のメロンほどもあったのだ。
「ああ……体を壊すだろうね」
これは挑戦するまでもない。シノブは僅かに身震いした後、真顔で首を横に振る。
その様子がおかしかったのか、シャルロットとアミィが声を立てて笑い出す。そして楽しげな声が響く中、五つの巨大チョコレートは再び魔力冷蔵庫に戻された。
◆ ◆ ◆ ◆
岩竜と炎竜の島には、二つの聖地が存在する。もちろん岩竜の聖地と炎竜の聖地である。
この聖地は先祖を祀る墓所でもあり、シノブも一度ずつしか入ったことはない。最初は去年の八月、オルムルが一歳になるとき岩竜の聖地へ。次に先月、同じく炎竜シュメイが初めての誕生日を迎えるときに炎竜の聖地へ。この二回だけである。
ちなみにシャルロットだが、シュメイの誕生日から加わった。これは彼女が思念を使えるようになったからだ。
聖地での儀式では思念のみを用いる。今も竜達が用いているのは声なき声のみ、聖地の洞窟は墓所に相応しい静けさに満ちていた。
──ファーヴよ、前に──
──はい、長老さま!──
岩竜の長老ヴルムが呼びかけると、ファーヴが感激も顕わな応えと共に歩み出す。
ファーヴが向かっていく先には、四つの竜の石像がある。全長4mにまで成長した彼の優に五倍以上、ヴルムを始めとする成竜に比べても幾らか大きい。
これが第一世代の岩竜、創世の時点で出現した四頭の眠る場所だ。
シノブは先ほど参拝した、四つの立像に目を向けた。
超越種は二百歳で成体となり、更に八百年ほどを生きる。今は創世から千年少々、もし第一世代がオルムル達のように卵から生まれたら生き残りがいたかもしれない。
しかし神々は第一世代の超越種を全て成体として創った。そのため彼らは全員、二百年ほど前に没したという。
偉大なる四頭は新たな命に生まれ変わったのか、あるいは祖霊として子孫達を見守っているのか。長き時を生きた超越種なら、眷属として神々を支えているかもしれない。
何れにしても八百年も世に尽くしたのだから、きっと幸多き日々を送っているだろう。
そんなことをシノブが考えているうちに、ファーヴは石像の前に着いていた。そしてヴルムと番のリントが左右に並ぶ。
──明日、新たなる岩竜が巣立つ。その名はファーヴ……釼竜ヘッグと錬竜ニーズの息子だ──
厳かなヴルムの思念に、シノブは第一世代の竜達を見たような気がした。
長老夫妻ヴルムとリントは第二世代、どちらも八百五十年ほどを生きていた。つまり百五十年ほど後、ここに彼らの像も加わる。
しかしヴルム達が寿命を全うしたのであれば、悲しむべきことではない。彼らは岩竜の長として生き抜き、多くの子や孫に囲まれて輪廻の輪に戻るのだから。
成体に近くなったオルムルやファーヴ、そして続く子ら。人との共存が始まった今なら、これまで以上に多くの子を成せるだろう。
今は八頭しかいない岩竜だが、そのときには倍にだってなるに違いない。
いや、自分が見守り彼らを繁栄に導くのだ。これまでの恩返しとして、少しでも役に立たねば。シノブは囲む者達へと心を広げていく。
先ほど異名で呼ばれたファーヴの両親。二頭は頼もしくなった息子を見つめ、歓喜も顕わな波動は太陽に比するほどだ。
オルムルの両親、ガンドとヨルムも劣らぬ喜びを示している。彼らにとってファーヴは義理の息子となる存在、オルムルと共に歩む者だからである。
もちろんオルムル達も嬉しげだ。年長は歓迎、年少は羨望、しかし溢れんばかりの祝意は共通している。
シャルロットとアミィも温かな波動を発している。シノブ達のところにファーヴが来たのは僅か生後十日、誇張でなく母としての感激なのだろう。まるで幼子を抱いているときのような優しい力が、シノブの両脇に生じていた。
きっと自分の願いは叶う。シノブは光り輝く未来へと心を飛ばす。
──ファーヴよ、誓いの言葉を──
ヴルムの思念に、シノブは現実へと戻る。どうやら未来へと思いを馳せていたのは須臾の時、ヴルムが一区切り入れた間だけだったらしい。
──はい……私、ファーヴは超越種の正道を歩み、この世界を守り育てます。
父さま、母さま、長老さま達……偉大なる先達の皆さま……一日も早く追いつき、育んでくださった恩返しをします。そして『光の盟主』シノブさまや眷属の皆さまのように世界中の全てを……生まれ来る命を守ります。まだ今は微力ですが身命を賭して幸せに溢れた世を築き、そして支えます!──
ファーヴの宣誓には、守りの言葉が散りばめられていた。
かつてファーヴは、多くの者に守られた。両親や成竜達、シノブやアミィ、そして僅か数ヶ月先に生まれたオルムル達。彼が生後十日のヨチヨチ歩きのころ、オルムルは既に空すら飛んでいたのだ。
それ故ファーヴは、誰かを守れるようになりたいと熱望したのだろう。そして今、彼の望みは現実のものになりつつある。
既にファーヴはオルムルと殆ど変わらぬ大きさ、力も年長の超越種を除けば大抵の者に勝る。束になって攻められたら危うくもなるだろうが、多くの場合は彼が制すに違いない。
その強大な力を守るためにというファーヴに、シノブは限りない喜びを抱く。初めて会ったとき腕の中に抱えた幼竜が立派に成長した姿、その一部は自分が注いだ愛情からと思えたのだ。
これも輪廻の一つだろう。
シノブ達がファーヴを育み、ファーヴが新たな者を育む。種族は違っても、思いは受け継がれていく。命が続く限り、どこまでも永遠に。
そしてファーヴの継いだ心には、第一世代の岩竜達も宿っている。そうやって命は未来への旅を続けていくのだ。
千年の歴史を持つ場にいるためか、シノブは悠久の時の一端を掴んだようにすら感じていた。
──その意気や良し。それでは名を贈ろう。そなたの誓い、守りに相応しい名……我ら岩竜の守護者、大地の神テッラ様からの祝福だ──
──ありがとうございます!──
ヴルムの言葉が終わらぬうちに、ファーヴが天にも昇らんばかりの喜びを示す。
長老達は神託を授かることがあるようだ。岩竜オルムルの光竜は母なる女神アムテリア、炎竜シュメイの賢竜は知恵の神サジェールが授けたものらしい。
したがってヴルムが触れたテッラからの祝福も、事実そのものに違いない。
──鎧竜ファーヴ。『光の盟主』を支え、全てを守る不壊の鎧……それが、お前だ。この名に恥じぬよう、一層の精進をするのだ──
──はい、長老さま!──
ヴルムの授けた名を、ファーヴは先ほどに勝る感激で受け取った。そして新たな名を得た若き竜は、高々と吼える。
もちろん囲む竜達も和す。まずは長老や親世代の六頭の岩竜、そして血こそ繋がらないがファーヴの兄弟姉妹である子供達と咆哮が広がっていく。
既に一歳を過ぎて神々の祝福を得た子供達は、自身が授かった光でも祝っていた。岩竜オルムルは陽光にも似た白、炎竜シュメイは真紅、嵐竜ラーカは風の神でもあるサジェールの青、海竜リタンは海の女神デューネの紺碧、光翔虎フェイニーは森の女神アルフールの緑だ。
一歳未満の幼子達は、代わりに仕草でと思ったらしい。朱潜鳳ディアスは羽ばたき宙に舞い、炎竜フェルンも続く。それに玄王亀のケリスも浮かび上がり、体を左右に振っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日ファーヴは聖地の島に自身の棲家を造り、周辺の海で狩りをして過ごした。これは独りで生活できると示す儀式である。
棲家は形式的なものに過ぎない。今は全ての岩竜や炎竜が、エウレア地方で暮らしているからだ。
岩竜と炎竜は交代で当番を決め、聖地の洞窟や島にある仲間達の棲家を見回っている。極寒の島の高山に寄り付く者はいないが、たまには吹雪が吹き込むこともあり定期的な点検は必要らしい。
狩りも数々の技を会得したファーヴからすれば、己の腕を示す晴れ舞台でしかない。彼は早々と規定の量を獲り、後は仲間達と北極圏の大自然を満喫した。
シノブ達も家造りや狩りを見に行ったが、要所に留めた。今は二月半ばで北半球は最も寒い時期、しかも北極圏は極夜で日が昇らないから長時間の滞在には不向きなのだ。
代わりにファーヴは、エウレア地方に戻ったら暖かい場所に行こうと提案した。そこでシノブは更に二日後、2月17日に家族と南へ出かけようと決める。
現在アマノ王国は、アスレア地方の南方海上にファルケ島という飛び地を持っている。ここは北緯31度を下回るから、冬でも随分と暖かい。
それに森猿スンウ達の暮らす土地、カカザン島も更に南だ。ここはシノブ達以外に知る者はいないから、保養には持ってこいである。
カンやスワンナム地方に動きはない。
まずミリィが担当するカンだが、ナンカンの大神殿が後ろ盾となったから随分と調査が捗っていた。少なくとも主要都市に狂屍術士、魂を弄ぶ禁術使いがいないのは確からしい。
ただしナンカンの軍には魔獣使い、向こうで操命術士と呼ばれる者達がいる。彼らは使役獣を大切にしているが、戦争に使うくらいだから慎重に調査すべきだろう。
マリィはスワンナム地方で、エンナム王国を見張り続けている。どうもエンナム王国は、何らかの手段で戦力増強してからアコナ列島に再遠征するつもりらしい。
しかし肝心の手段が掴めないままだ。遠征した軍船は港に戻ったまま、他も領海内を巡視している程度だという。それに彼らが飼っているという魔獣、海猪の居所も不明である。
つまりカンとスワンナム地方の双方とも良く言えば平穏、悪く言えば進展なしだ。
遠方は待ち、国内は誕生日から三日過ぎて一段落。これなら半日の外出くらいと思ったシノブだが、思わぬところから知らせが舞いこむ。
「ババザマニ殿……ムビオやエマの祖父が危篤……」
「サフィ、急いだ方が良いのですか?」
早朝訓練の直後、シノブとシャルロットはウピンデ国出身の二人に呼び止められた。といってもムビオとエマではない。
内密に話がと切り出したのはキグムとサフィという夫婦だ。夫のキグムがムビオと同じシノブの親衛隊員、妻のサフィがエマと同じシャルロットの護衛騎士である。
ただしムビオ達がエクドゥ支族、キグム達がヤマンジャ支族と出身は異なる。
「はい、普通の手段では間に合わないかと」
「そうか……。しかしババロコ殿は……」
サフィの返答に、シノブは顔を曇らせる。
ババロコとはムビオとエマの父、つまりババザマニの息子だ。しかもババロコはウピンデ国の大族長で、通信筒も渡している。
先ほど稽古をしたとき、ムビオやエマは普段通りであった。おそらくババロコは子供達に伝えていないのだろう。
「どうもババロコ殿が口止めしているらしく……」
「エマにババザマニ殿も婚約をお喜びだろうと聞いてみたのですが、笑顔で頷くばかりでして……」
キグムとサフィは、自国の駐アマノ王国大使ババスカリに聞いたそうだ。サフィはババスカリの娘、キグムは甥なのだ。
ババスカリはヤマンジャ支族の族長で、今は支族を代理に任せてアマノ王国に常駐している。そして彼はババザマニの容体が悪化したにも関わらずムビオやエマが帰国しないのを不審に思い、キグム達に探ってくれと頼んだという。
「通信筒や転移を私用に使わない……そういうことか」
「無闇に使うのは望ましくありませんが……」
シノブとシャルロットは、顔を見合わせた。
ババロコは大族長だからこそ、公私の区別を重んじたのだろう。先代族長の危篤だから公用にも出来るが、家族に甘いと非難する者も出るかもしれない。
確かに正しい態度だが、ババザマニが余命幾ばくもないなら孫達と会わせてやりたい。そう思ったとき、シノブは天啓というべき閃きを得た。
「そうだ! 今日は南で寛ぐつもりだった!」
「ええ! 私達がウピンデ国訪問を望み、エマ達が護衛を務める……これなら問題ありません!」
シノブとシャルロットは笑顔で頷きあう。そして状況を理解したのだろう、キグム達も顔を綻ばせた。
ババロコが住むクシニドは北緯17度少々、正真正銘の南国だ。もちろんババザマニが伏せっている側で遊ぶわけにいかないから、ファーヴには次の機会を設けて詫びる。
ともかくシノブ達が出かければ、親衛隊員や護衛騎士が随伴するのは自然なこと。たまたまクシニドに寄り、そしてババロコやババザマニを訪問する。結果的に見舞いになったとして、何の問題があろうか。
「エンリオに伝えて! 随伴もウピンデ国出身を優先!」
「はっ!」
シノブの声に弾かれたように、キグムが走り出す。そしてサフィも同じように護衛騎士の詰め所へと駆けていった。
外出自体は親衛隊を含め通達済みだ。しかし随員を選びなおすなら隊長のエンリオに伝えねばなるまい。
「アミィ、まだカルロス殿はいらっしゃったよね?」
「はい、エマさんが婚約者となったので可能な限り滞在期間を延ばした筈です」
シノブは少し離れたところで控えていたアミィを呼び寄せる。ガルゴン王国の王太子カルロスは、三日前にエマと婚約したのだ。
どうやらババザマニは孫の婚約者と会えそうだ。彼らは既に知遇を得ているが半年以上も前のこと、まだ異国の要人同士としてである。
少々お節介の焼きすぎかもしれないが、キグム達から聞いたのも何かの縁だろう。そんなことを考えつつ、シノブは急ぎ足で『小宮殿』へと入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
まずシノブとアミィが転移の神像を使ってウピンデ国の南の砂漠に先乗りし、魔法の馬車で他を呼び寄せる。そしてオルムル達にシノブ号で運んでもらった。
オルムル達もクシニドを知っており、出発から三十分弱で到着だ。
「若貴子様……ご配慮、申し訳なく……」
「ババロコ殿、たまたま行き先がウピンデ国だったのですよ。ここなら暖かいし湖もある……保養に最適だと思い、寄らせていただいたのです」
平伏するババロコに、シノブは表向きの理由で応じる。
一方アミィは巫女の長エンギに寄っていく。エンギは巫女であり、治癒術士でもあるのだ。
重篤となった大元は、二十年近く前の大砂サソリの毒だった。原因不明なまま主達を近寄らせるわけにはいかないと、先にムビオが父から聞き取ったのだ。
毒にやられたのは配下の戦士を庇ったため、つまり名誉の負傷だ。しかし代償は大きく一週間近くも生死の境を彷徨ったという。
それでも一時期は現役の戦士として働けるほどに回復したが、数年前の病で内臓の機能が激しく低下したという。昨夏シノブ達が訪れたときアミィの調合した薬で持ち直したが、やはり長年の病で既に限界を迎えていたのだろう。
「ババザマニ殿、ガルゴン王国のカルロスです。お分かりになりますか? エマ殿はお任せください」
「どうか……たのむ……」
手を取るカルロスに、ババザマニは途切れ途切れに応じる。
既にババロコは、父にエマの婚約を伝えていた。ババロコは通信筒を持っているし長距離用の魔力無線もあるから、3000km以上離れたアマノシュタットの出来事も伝わっているのだ。
「お爺様、カルロス様は強い人。それに他の奥さんも優しい方。だから……だから大丈夫……」
エマは涙を流しつつも、後ろを振り返る。カルロスの背後には、彼の二人の妃も座っているのだ。
ウピンデ国も族長や戦士長などは一夫多妻、現にババロコにも三人の妻がいる。そしてウピンデ国の風習に則れば、面会可能な病なら妻達も連れていくのが普通である。
そこでシノブもシャルロットだけではなく、ミュリエルとセレスティーヌを連れている。
もっともシノブ達は後方、手前は家族達だ。
ババロコの弟妹、そしてそれぞれの子供達。ムビオやエマにも弟妹がいるから、少なく見積もっても二十人以上が囲んでいる。
「爺様、俺も少しは強くなったよ。それにカミリも……」
「はい……」
ムビオの言葉に、妻のカミリが頷く。カミリもエマやサフィと同じくシャルロット付きなのだ。
少しとは随分と謙遜しているが、長々と自慢する状況でもなかろう。ババザマニの魔力量は常人の十分の一以下、通常の手段で助かると思えない。
おそらく地球なら多臓器不全と呼ぶべき状況なのだろう。下手に治そうとすると、治癒で活性化した影響でどれかが致命的な状況に陥るかもしれない。
残念ながらシノブが思いつくのは、毎日膨大な魔力を注ぎ続けるか治癒の杖など神具に頼るか、その程度であった。
「まんぞく……だ……」
──シノブさん、アミィさん、治せないのですか!?──
ババザマニの呟きに重なる、オルムルの悲痛な思念。しかし超越種の子を除くと、理解できるのは僅かな者だけだ。
人間では、まずシノブとアミィ、シャルロットの三人だ。それに巫女の長エンギも僅かに振り向いた。
エンギは神託を授かる極めて高位の巫女だから、思念を感じ取れるのだろう。
「アミィ様の御知恵を借り申したが、この婆も含めウピンデ国の治癒術では治らぬ病じゃ。そもそもババザマニがここまで持ったのも別して強い体だから……常人なら大砂サソリの毒で死んでおる。幸い全ての子や孫が揃うた……それに若貴子様やガルゴン王国の跡取り殿も来てくださった……」
これも天命、大往生だとエンギは語っていく。
ババロコを含め、ウピンデ国の者達は静かに聞き入るのみだ。それにシャルロットやカルロスなど、エウレア地方から来た人々も同様である。
おそらくエンギは、オルムルに応えたのだろう。千年を生きる超越種と違い、人間の命は儚いもの。長命なエルフも平均寿命は二百五十歳ほど、他の三種族なら六十歳前後ではないだろうか。
魔力の多い者は比較的長く生きるし、現にエンギも八十を超えている。しかしババザマニのように様々な器官が極度に衰えては、手の施しようがない。
──私がアルフール様の癒しの力を使います~!──
──私も光竜の力を!──
──デューネ様の水の浄化は!?──
──サジェール様、どうか御知恵をお授けください!──
光翔虎のフェイニーが森の癒しをと言い出すと、岩竜オルムル、海竜リタン、炎竜シュメイと続く。
嵐竜ラーカもサジェールの祝福を授かっているが、空気を操る術は治療に使えないと思ったのだろう。彼は悔しげに押し黙るのみだ。
──テッラ様、僕に守りの力を! お願いします!!──
ついにはファーヴまで祈り始める。
テッラは大地と金属の神だから、ファーヴが授かる筈の加護は治癒ではないと思われる。しかし知りつつも目の前の老人に救いをと願ってしまう気持ちは、シノブにも痛いほど理解できた。
──アミィ、どうにもならないんだね?──
──はい。毎日シノブ様や私が治療し続けて何とか一年……それに治癒の杖も万能ではありません──
シノブが問うとアミィは静かに、そして躊躇うことなく断言した。
治癒の杖は状態異常を元に戻す神具だ。たとえば異形と化した者は本来の姿に戻るが、決して若返りはしない。
ババザマニの場合、大砂サソリの毒を受けた時点で寿命が縮まっていた。むしろ彼の強靭な体力と精神が、今この時まで生き長らえさせた。
もし毒を受けた直後であったら、自分にも治療できたのだが。アミィは残念そうに結ぶ。
しかし時の逆回しなど、世界の掟に反している。そして永遠不変を誇った神ですら致命の傷を得れば消え去ると、シノブは異神達との戦いで知った。
──皆……ババザマニさんを輪廻の輪に送り出そう。きっと彼は、この人生ですべきことを全て成し遂げたんだ。少し休むだけ……新たな場で生まれるために戻るだけだよ──
──ええ……エクドゥ支族を次代へと渡し、息子のババロコ殿は大族長となってウピンデ国を統べている……それに、これだけ多くの子と孫に看取られるなど本当に幸せだと思います──
シノブに続き、シャルロットがオルムル達に語りかける。超越種からすれば短い生だが、人としては最良に近いのだと。
先ほどまでの叫びが嘘のように、オルムル達は静まった。おそらくシノブ達の思いを、幾らかは理解してくれたのだろう。
「我らの……金色の野に……往くぞ」
最期の輝きなのだろう。ババザマニの一言は静まり返った広間の隅々まで届いた。
金色の野とは、ここウピンデ国の草原を意味する。
ババザマニが目にしているのは、ウピンデ国となる前のウピンデムガ、若き日の思い出か。それとも生まれ変わって立つ、未来のウピンデ国か。
もちろんシノブに分かる筈もない。ただ良き来世をと祈るのみである。
──テッラ様! ババザマニさんが行く金色の野を守ってください! いえ、僕も皆と守ります!!──
──そうだ、ファーヴ。この地を……この星を俺達が守ろう。新たに生まれ来る命のために──
ファーヴの新たな祈りは、シノブの心に深く響いた。シノブ自身の祈りとも強く重なっていたのだ。
オルムル達も去り往く命の安寧を願う。思念など聞こえぬエマ達も続く。そして集った者達の祈りが最高潮に達したとき、一つの魂が冥神の眷属に抱かれ旅立った。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年2月24日(土)17時の更新となります。