25.13 赤く染まる誕生日 後編
シノブの誕生日は国内行事に収まらず、各国からの賓客も祝いに駆けつけた。近隣の国からは統治者自身や跡継ぎなど、遠方は大使が殆どだが中には王族や大臣を使者としたところもある。
集った国の数は十八、アマノ王国は侯爵や伯爵も接待役として加わったから晩餐の出席者は七十名を超えた。そのため会場となったヴルムの間は、実に多彩かつ賑やかであった。
ヴルムの間には七つの丸テーブルが据えられ、それぞれ十人から十二人が着いている。テーブルは中央に一つ、そして囲むように六つだ。
中央のテーブルにはシノブ達アマノ王家と二組の客、同じように他の六卓もアマノ王国の者と客達という組み合わせである。ちなみに昼食とは異なり立食形式ではないから、出席者は自身の席で歓談している。
「実に壮観ですね。エウレア地方とアスレア地方の全ての国、それに南のアフレア大陸からはウピンデ国、遥か東からはヤマト王国の大使も参られた」
「去年の今ごろは、まだ私達すらお会いしていませんでしたね」
カンビーニ王国の王太子シルヴェリオに、ガルゴン王国の王太子カルロスが相槌を打つ。シノブ達と同席しているのは、この二人と妻や婚約者であった。
シルヴェリオの左右には、妃のアルビーナに婚約者のオツヴァとティレディアが腰掛けている。同じようにカルロスは妃のエフィナとビアンカ、そして先ほど婚約を承諾したウピンデ国のエマである。
これにシノブ、シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌを加えた十二人でテーブルを囲んでいる。なおアミィはベランジェ達と別のテーブル、同様にタミィもシメオンと同じ卓だ。
「そうですね……」
シノブは頷き返し、更に視線を脇へと動かした。するとアミィがいるテーブル、宰相ベランジェが夫人達と共に饗応している姿が目に入る。
貴族筆頭のベランジェが引き受けただけあり、相手は王族級である。カルロスの妹エディオラ、シルヴェリオの姪マリエッタ、メリエンヌ王国の王太子テオドールと妻達、元王族であったアルマン共和国の伯爵ロドリアムと妻、そして妹アデレシアだ。
もっともベランジェからすればテオドールは甥、マリエッタもカンビーニ王国公女だがシャルロットの側仕えである。それに客は十代や二十代ばかり、話も弾んでいるようで何れも笑みを浮かべている。
「テオドール殿下とアデレシア様……もしや?」
カンビーニ王太子妃アルビーナは、シノブの視線の先を追ったらしい。ベランジェ達のテーブルは彼女の正面に位置しているから、自然に目に入ったと言うべきか。
テオドールの右隣は第一妃のソレンヌ、更に向こうがアデレシアである。そしてソレンヌはアデレシアと語らっているが、そこにはテオドールも加わっているようだ。
「そうかもしれませんね」
「良い縁組みだと思いますわ。お兄様は去年シャンタルさんを娶ったばかりですから、何年か先だと思いますが」
まだ決まっていないから、シノブは曖昧な言葉に留めた。しかしセレスティーヌは、兄一家の内情にも触れる。
テオドールはソレンヌに続き、昨年八月にシュラール公爵の娘シャンタルを妃に迎えた。愛を育てるため一般には立て続けの結婚を控えるし、アデレシアは数日後に十五歳になるが今は未成年だから確かに時間は置くだろう。
しかし海を挟んだ隣にも関わらず昨年まで疎遠だった二国だけに、良縁として進める可能性は高そうだ。
「アルマン一族は、今のメリエンヌ王国に当たる地から移住したとか。この辺りで過去を水に流すのも良いのでは?」
「エレビア王国もキルーシ王国を長く敵視しましたが、弟が縁を繋いでくれました」
シルヴェリオが過去に触れると、婚約者のオツヴァが自国の歴史に重ねた。
アルマン共和国の前身、アルマン王国の建国は創世暦450年だ。そしてアルマン王家となった一族は創世暦300年代に海を越えたという。
どうもアルマン一族は大陸を追い出されたらしいが、六百年以上も昔のことだ。そろそろ新たな時代をというのは、もっともな意見である。
オツヴァの弟リョマノフとキルーシ王国の王女ヴァサーナのように、二国の和解の象徴となるかもしれない。実際エウレア地方の各国は、アスレア地方の例に倣おうとしている節がある。
今までエウレア地方の国々では、王族が他国に嫁ぐ例は皆無に近かった。これは神々に祝福された血筋の拡散を恐れたからという。
しかしシノブの出現で大きく事情が変わった。シノブはアマノ王国の王だが、妃や婚約者はメリエンヌ王国の貴族や王族だ。そこでカンビーニ王国やガルゴン王国も遅れてはならじと、アマノ王家との縁組みを望んでいる。
更にシルヴェリオやカルロスは東域探検船団としてアスレア地方に渡り、向こうの王家が婚姻で結びついていると知った。そのため彼らは、新たな血を迎える方向に傾いたのだろう。
「ええ。ああやって大陸の東西ですら協力し合う時代なのですから」
シノブは先ほどと反対側、タミィのいる場所を見つめる。そちらはシルヴェリオ達の斜め後ろ、顔を動かしたときに視界を過ったのだ。
タミィの隣は内務卿シメオン、他にアマノ王国からはブジェミスル伯爵マンフレートと夫人である。シメオンの妻ミレーユは出産予定日まで半月少々だから遠慮したのだ。
客はヤマト王国、デルフィナ共和国、アゼルフ共和国、カンビーニ王国の大使達だ。もっともカンビーニ王国大使のロマニーノは近々アマノ王国に移籍予定、しかも隣の婚約者ソニアはアマノ王国の情報局長代行でもあり、新たな立場での参加と言えなくもない。
「アコナ列島ですね」
「それで……」
カルロスの言葉に、妃のエフィナは得心がいったように頷く。
ヤマト王国はアコナ列島の北、そこで大陸のエンナム王国からの船を防ぐべく援軍を出した。そしてデルフィナ共和国とアゼルフ共和国も、同じエルフのアコナの人々を助けるべく動いた。
残るカンビーニ王国にはアコナ列島との接点がないが、ロマニーノとソニアがアマノ王国としての立場なら納得がいく。
「向こうの様子をお聞きしてよろしいでしょうか?」
まだ十歳のティレディアは、好奇心を抑えきれなかったようだ。カンビーニ王国は海洋国家で彼女の住む都市テポルツィアも港町だから、島国のアコナに惹かれたのかもしれない。
「東の海や船など、知りとうございます」
「少しだけ聞いていますが、暖かくて良いところだそうです」
カルロスの第二妃ビアンカが差し障りのない範囲でと言葉を添えると、エマが会話に加わる。ビアンカは虎の獣人でエマは獅子の獣人だから、気が合うのかもしれない。
ちなみにカルロスと第一妃のエフィナは人族だが、ガルゴン王国では人族と獣人族の婚姻は一般的だ。現国王や先王も双方から娶っており、種族の問題でエマが困ることはないだろう。
もっともエマがカルロスに嫁ぐのは先のこと、彼女がアマノ王国での修行を終えてからである。どうやら最低でも二年や三年は、今のまま学ぶつもりらしい。
「シノブさま、お願いします!」
「折角ですから」
ミュリエルやシャルロットも賛成らしい。それにセレスティーヌも瞳を輝かせている。
これでは話さないわけにもいかないだろう。そこでシノブは、通信筒で寄せられた事柄を頭の中で整理していく。
◆ ◆ ◆ ◆
アコナ列島は沖縄に相当する場所だから、二月半ばでも相当に暖かい。今は時化気味だが、ここアコナ本島は晴れており人々の服も薄物が殆どだ。
もっとも海岸に集まった人々は暑さや海からの風など気にしておらず、同じ方向を見つめるのみだ。
「おお、これは凄い!」
「あっという間に石が!」
眩い光が降り注ぐ砂浜に、興奮も顕わな歓声が響く。
アコナのエルフ達が見つめている先にいるのは、木人『素航狗』だ。しかし動きは先日シノブ達が見たときとは段違い、おそらく三倍は速いだろう。
『素航狗』は石材の積み替えをしていた。右に積み上げた山から取った四角い岩を、左に移しているのだ。
岩山の高さは『素航狗』と同程度、つまり大人の三倍ほど。これを目にも留まらぬ速さで石を摘み、隣へと置いていく。
まるで分身したかのような素早さだが、ピラミッド状の山は崩れないし岩も無傷なままだ。『素航狗』の腕の先にあるのは銛代わりの爪だから、よほど正確に操らないと不可能に違いない。
「伊予の島の木人術は、本当に凄いのじゃ!」
「ふふふ……特製の魔力漆を関節に塗ったからの。それに魔法回路にも手を加えた……アゼルフの鋼人の回路を参考にしたのじゃ」
アコナ女王の有喜耶子に、豊花が自慢げに語る。もっとも木人を改良したのは女王ヒミコたるトヨハナではなく、伊予の島から連れてきた木人製造技師達だ。
「終わったのじゃ! 時間はどれほどかの!?」
「四十五秒ほどでございます」
振り向いたウキヤコに、家臣の一人が静かに答える。
山は六段で積んだ岩は九十個ほど、つまり一秒間に二個移動させたことになる。これには改めて驚いたのだろう、どよめきが周囲に広がっていく。
「す、凄いのじゃ~! しかも既に十体も!」
「ウキヤコ殿……戦いは数なのじゃ。これからもドンドン改良するのじゃ!」
まだ七歳ということもあり、ウキヤコは跳び上がっての大喜びだ。とはいえトヨハナも手放しの賞賛に大満足だったらしく、普段の威厳が嘘のように笑み崩れていた。
ちなみにトヨハナは百歳少々だが、エルフの成長は遅いから他種族なら三十過ぎといった辺りである。そのため二人は母と子のようにも映り、なかなかに微笑ましい。
「こちらにも嬉しい知らせがありますよ! 先ほど蒸気船の一つがヨナ島に着きました!」
港から歩いてきたのはデルフィナ共和国のエルフ、木人術の使い手でもあるファリオスだ。彼の後ろには、妹のメリーナもいる。
アマノ王国海軍の軍艦は、二日前に魔法のカバンに詰められてアコナ本島に到着した。もちろん同時に乗組員も魔法の馬車で呼んでおり、ただちに西の島々へと赴いた。
そして今しがた最西端のヨナ島にも到着し、蒸気船に搭載されている魔力無線で連絡が入ったのだ。
「おお、ファリオス殿! これで一安心なのじゃ!」
ウキヤコは遥か西から来た同族へと駆け寄り、その手を取った。ファリオスの外見は二十歳くらいだから、少々歳が離れた兄妹のようでもある。
もっとも姿から受ける印象は随分と違う。ウキヤコは黒髪に濃い肌だが、ファリオスはプラチナブロンドに碧眼で肌の色も薄いからだ。
「さっそくアゼルフ共和国の方々が、移送鳥符で偵察に回ってくださいました。何かあれば即座に知らせが入るでしょう」
ファリオスは西の海へと顔を向ける。もちろん目に入るのは海岸近く、西から押し寄せる大波のみだ。
ここアコナの都シュイはヨナ島から300kmほどもあり、何か起きても耳に入るのは数日後だった。しかし魔力無線で島々を結んで移送鳥符が各島の周囲を見張れば、段違いの短時間で対応できる。
それに各島に渡った船は、それぞれ伊予の島の巨大木人を曳航していった。したがって人口数百人ほどの島でも、ある程度は持ちこたえるだろう。
もっとも今のところ島々は平穏そのもの、魔獣の海域から船が現れることもない。
エンナム王国の遠征軍、コンバオという司令官が率いた船団は自国の港に戻ったままだ。それにアコナとの間の魔獣の海域にも、隠れ潜む船はないらしい。
海竜と嵐竜で合計四頭が調べたが、前線基地らしき島は一つだけだった。残る70kmほどは一気に突っ切るようである。
「ですが油断は出来ません。相手の船は魔獣か何かが守っているのですから」
メリーナは兄と違って慎重だった。あるいは兄が言わなかったことにも、一応は触れておくべきと思ったのだろうか。
エンナム王国の軍船は、海猪らしき巨大な使役獣を連れているようだ。そのため魔獣の海域に何日も留まれるのだろう。
竜達が発見した港は、船が入れる巨大な洞窟の中にあった。これを人間の手だけで作ったら何年も掛かる筈だが、どうも今回の遠征で掘ったらしい。
それに巨大魔獣がいる海を調べつつ進むなど、エウレア地方の高性能な船でも成した者はいない。
「しかし心配しすぎも良くないじゃろう」
「ええ。この海戦用『素航狗』は、とても頼もしそうです。朱漆も美しいですし、それに頭の衝角のお陰か前より力強く映ります」
トヨハナとファリオス達はキルーシ王国防衛戦で顔を合わせている。そのためだろう、ファリオスは女王相手にしては砕けた調子で応じていた。
ただし眼前の木人が強さを増したと感じたのはファリオスのみではないようだ。周囲の者達も、彼の言葉に大きく頷く。
関節に使った塗料には、水の抵抗を減らす効果もあった。そのため全身を赤く再塗装された木人は、陽光を眩しいほどに跳ね返している。
天に向かって真っ直ぐ伸びる角も、元の漁業用から戦うために生まれ変わったと主張しているようだ。この剣のように鋭い角は、ファリオスが触れたように敵を突き刺し斬り裂くための武装である。
角の長さは人間の使う大剣くらい、つまり1mを優に超えている。この角なら船底に穴を開けるのも容易だし、海生魔獣なら振り回すだけでも斬れるだろう。
「あの角はドワーフの鍛冶師の傑作……それこそ鉄でも斬り裂くじゃろうて。とはいえ物騒な話はここまで、後は西からの客人を饗応するのじゃ!」
「そうじゃ! ファリオス殿、メリーナ殿、どこに行きたいかの?」
何故か仕切るトヨハナだが、ウキヤコは気にせず和す。年齢差もあるのだろうが、随分と懐いたようだ。
「それでは、こちらの海を案内していただけますか?」
「ええ、せっかくですから浜歩きでも」
ファリオスとメリーナは、森ではなく海を所望した。
西のエルフは今まで海に出なかったが、近年は蒸気船の乗組員として航海する者すらいる。そして二人は他国で研究生活をするくらいだから開明的、そのためアコナが誇る海に親しもうと思ったらしい。
「それでは出発じゃ! 先日シノブ殿達も、アコナの星砂をとても気に入ったのじゃ!」
ウキヤコの掛け声で、トヨハナを含む四人は星砂の浜へと歩き出す。その様子は家族のように親しげで、とても洋の東西から集ったばかりとは思えなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……我らが出る幕はなさそうですね」
「軍艦を出す準備はしています。もし何かあれば声を掛けてください」
シルヴェリオやカルロスはシノブの話に大きな興味を示したが、どうも増援すべきかが主たる関心事だったようだ。そのためだろう、二人はアコナの防衛状況や新装備について更に問いを重ねていく。
「星砂とは、どのようなものでしょう?」
「実は、ここに……」
「私も持ってきました。どうぞ、エフィナ様、ビアンカ様」
カルロスの妃エフィナの問いに、ミュリエルとエマが小さなガラス瓶を取り出した。
ミュリエルは賢いから、アコナの話が出ると予想していたのだろう。一方のエマは、ウピンデ国の仲間に見せたいと言っていたからか。
ともかく女性陣の興味はアコナの自然や産物へと移り、そうなるとシノブ達の物騒な話題を控える。今日は誕生記念の式典だから、シルヴェリオやカルロスも支援の申し出までに留めたようだ。
他も殆どは和やかな談笑で、実務に触れる者は少ない。アスレア地方からの使者を始め初顔合わせも多いし、まずは軽い話題から入ったのだろう。
ちなみに催し物好きのベランジェだが、今日は大人しい。彼は昼間の大会で新たな競技を幾つも披露したから、それで満足したのだと思われる。
実際のところ出会ったばかりの者に必要なのは語らいで、派手な見世物ではない。それを理解しているのだろう、ベランジェが晩餐で行ったのは記念の写真撮影と録音くらいであった。
そして晩餐の後、シノブは家族と共に『小宮殿』へと戻っていく。
時刻は二十時近く、まだ寝るような時間ではないし用事もある。そこでシノブ達は居室へと集まった。
「……これで一段落だね。皆が祝ってくれるのは嬉しいけど、ちょっと大変だなぁ」
「国王ですから仕方ありませんね。ですが、もう少し付き合ってください」
シノブの冗談半分の言葉に、シャルロットも柔らかな笑みで応じた。続いてシャルロットはアミィへと顔を向け、更に他も倣う。
居室にいるのは七人だ。まずソファーの一方にシノブ、膝の上のリヒト、右隣にシャルロット、反対側にミュリエルとセレスティーヌである。
反対側にはアミィとタミィのみ、随分と人数は釣りあわない。しかし、この七人が集まるときは殆どの場合こうなる。
「あ~! あ~!」
なんと乳児のリヒトもアミィを見つめていた。
おそらくは両親を含め、全てが顔を動かしたからだろう。しかし魔法のカバンを見つめているところからすると、何が起きるかリヒトは察しているのかもしれない。
「それではシャルロット様から……」
「ありがとう、アミィ」
歩み寄ったアミィが取り出した四角い包みを、シャルロットは受け取った。
包みはアマノ王国の紋章が刺繍された赤い薄布で、それを上で同じく紋章入りの濃い赤のリボンで縛っていた。こちらにも紙はあるが、包装だと布を使うのが一般的なのだ。
それはともかくシャルロットは大切そうに胸に抱いてから、シノブへと向き直る。
「シノブ、私からの贈り物です」
シャルロットが差し出す包みは、シノブに既視感を覚えさせるものだった。
赤い包装にリボン、微かに漂う独特な匂い。それは地球であれば多くの人が知っており、シノブも何度となく目にした品である。
おそらく最初は母の千穂から。そして後は妹の絵美や彼女の友人達、それに同級生から貰ったこともあった。
ただし極めて最近まで、この星には存在しない品だ。それに今でも入手できる者は非常に稀だろう。
「チョコレートだね?」
「はい。カカオは手に入りますし、今日……2月14日はそういう日だと教えてくれましたから」
シノブの言葉を、シャルロットは僅かに頬を染めながら肯定する。自身の誕生日がバレンタインデーと呼ばれていることを含め、以前シノブが教えたのだ。
カカオを入手したのは八ヶ月ほど前、更に神域で得たもので流通させるほどの量はない。その後リムノ島でカカオの木を見つけ、昨年末から安定供給が可能となった。
そのためシノブは、もしかして今年の誕生日にという期待はあった。とはいえ実際に妻からプレゼントされると、予想したときと比べ物にならない喜びが広がっていく。
「ありがたくいただくよ……だめだよ、リヒト! これは早すぎるって!」
「ぶ~」
シノブが包みを受け取ると、膝の上でリヒトが手を伸ばした。そのためシノブは慌てて手を上げ、届かないところに移す。
発育の早いリヒトだが、まだ生後百日ほどだから離乳食すら与えていない。もちろんチョコレートなど論外である。
「私が預かりましょう」
「それじゃ頼むよ」
シャルロットの言葉に甘え、シノブは我が子を妻の腕の中へと移す。
続いて包みを開けようと思ったが、視線を感じて顔を横に動かす。そこには包みを手にした二人、待ち遠しそうな様子のミュリエルとセレスティーヌがいた。
どうやら開封は全て受け取ってからが良さそうだ。シャルロットも同意見らしく、彼女はリヒトをあやしながら微かに頷く。
「ではミュリエル」
「はい! シノブさま!」
ミュリエルのプレゼントも大きさ自体は変わらず、縦横が30cm四方の包みだった。ただし包む布とリボンは薄いピンクだから見分けは付く。
「ありがとう。……セレスティーヌも用意してくれたんだね」
「は、はい……恥ずかしいですが、どうぞ!」
顔を向けたシノブに、濃い赤の包みにも勝るほど赤面したセレスティーヌが応える。彼女は料理の経験が最も少ないから、自信がないのも無理はないだろう。
「ありがとう……アミィも?」
「はい。シノブ様、お誕生日おめでとうございます」
アミィのプレゼントは、これまでの三つに比べると少し小振りであった。遠慮深い彼女のことだから、シャルロット達より控えめにしたのだろう。
「私もあります!」
「アミィ、タミィ、ありがとう」
更にタミィも包みを差し出す。こちらは妹分ということもあってか、更に小さな包みである。
ちなみにシャルロットの贈り物を含め、どうやら中身は多数の粒が入っているらしい。これなら一度に食べなくても良さそうだと、シノブは内心で胸を撫で下ろす。
◆ ◆ ◆ ◆
「それじゃ、開けるよ。……色んな形のものがあるね」
シノブは受け取った順に包みを開けていく。つまり最初はシャルロットからのプレゼントである。
厚紙の箱の中には、同じく厚紙で作った仕切りがある。そしてチョコレートは、皿状になるように折り目を付けた紙の上に置かれ、整然と並んでいる。
これはシノブが地球から持ち帰った菓子の箱、つまり両親が持たせた土産を参考にしたものだ。まだ厚紙の製造は始まったばかりで、実は箱自体が貴重品である。
「一粒ずつ召し上がってください」
「ああ、そうするよ」
シャルロットが勧めるように、シノブは一個ずついただくことにした。
一箱に四十粒ほど入っているから、全て食べるわけにはいかない。それに魔法のカバンの内部は時間の経過がないから、仕舞っておけば良いだけだ。
「ホワイトチョコもあるんだね……それにナッツやクルミを乗せたり。……うん、とても美味しいよ」
シノブの賞賛に、シャルロットが笑みを増す。
多くの型を使ったらしく、形はハート型に星型など様々だ。それに色も白に薄茶、濃い茶色と複数あり、味も異なるらしい。
シノブが手に取ったのは濃い色のチョコレートで、上に小さくカットしたクルミを乗せている。味は見た目通りビターだが、コーヒーも好きなシノブにとっては程よい味だ。
「ミュリエルのも色々あるね……クッキーもあるし。……この瓶みたいなのは?」
「それはお酒入りのチョコボンボンです! あっ、私は飲んでいませんから!」
もしやと思ったシノブだが予感は当たっていた。料理が得意なミュリエルだけあり、手の込んだ品も用意していたのだ。
それではと瓶型チョコレートを摘んでみるが、程よいブランデー味にシノブは驚く。
「セレスティーヌも上手に出来ているよ」
「アミィさん達に手伝ってもらったのです……来年は自分だけで作りますわ!」
他と遜色ないと思ったシノブだが、セレスティーヌの言葉に思わず微笑んでしまう。
きっと彼女なら、宣言通り来年は自身のみで成し遂げるに違いない。シノブはチョコレートを口に含みつつ、大きく頷いてみせる。
「アミィとタミィは動物か……これは二人みたいだね」
シノブはアミィとタミィのチョコレートを一つずつ手に取った。どちらにも狐に似た形の粒があったが、アミィのものの方が少し大きかったのだ。
双方とも薄茶と白を上手く組み合わせており、置物として通用しそうな出来である。
「私達は魔術が得意ですから、少し使いました」
「形を整えたり繋いだり、慣れたら皆さんも出来ると思います」
二人の説明にシノブは納得する。
土魔術や水魔術には固体や液体の形を整えるものもあるし、もちろん溶かしたり固めたりも出来る。それらを駆使すれば、手に取ったチョコレートのような精巧な細工も充分に可能だろう。
「ぶ~」
「リヒト、駄目だってば……」
ふくれっ面のリヒトが手を伸ばすが、シノブは渡さず自身の口に放り込む。
先ほど早すぎるとイメージで伝えてはみたが、リヒトには理解できなかったらしい。実際に目にしたものや感情などであれば驚くほど的確な反応を示すが、乳児に食育は難解すぎたようだ。
「本当にありがとう。残りも明日から一つずついただくよ。これ以上は食べすぎだからね」
五粒を食べ終わったシノブは、改めてシャルロット達に感謝の意を伝える。
幾らチョコレートの製法を確立しても、それらを習得して独自の工夫を加えるまでには長い時間が必要だ。忙しいのは彼女達も同じ、しかも期間は二ヶ月足らずである。
その苦労に感謝しつつ、じっくり味わいたい。魔法のカバンで保存できるのだから、焦る必要など全くないのだ。
「いえ、実はシノブ……」
「シノブ様、オルムル達の分もあります!」
シャルロットは笑いを堪えて口篭もり、一方のアミィは満面の笑みで声を張り上げた。
確かにオルムル達はシノブ達のすることに興味を示すし、人間そっくりの木人に憑依して町を巡ったことすらある。しかし超越種は料理などしないし、そもそも彼らが好むのは大量の魔力を含むものだけだ。
そのためシノブは、思わずアミィを見つめてしまう。
「アミィ、オルムル達ってチョコを食べるの?」
シノブが知る限りだと、オルムル達が食べるのは魔獣だけだ。それも魔力が充分に残っているうち、つまり煮たり焼いたりもしない。
目の前のチョコレートの魔力は、普通の食べ物に混じっている程度の薄さだ。そのためシノブは、一体どこが気に入ったのかと思ってしまう。
「いいえ、もちろんシノブ様のために作ったんですよ! あっ大丈夫です、味見はしました!」
やはり超越種はチョコレートを食べないようで、すぐさまアミィは否定する。しかし味は彼女の保証つきだから、今食べたものと遜色ない出来なのだろう。
溶かして固めるだけなら魔術で充分に可能だし、分量や時間を守れば元となるチョコレートも作れる筈だ。したがって、ある意味ではオルムル達に向いているのかもしれない。
「シノブ様、オルムルさんからの連絡です! もうすぐアマノ号が岩竜と炎竜の聖地に着くそうです!」
タミィは通信筒から紙片を取り出し、読み上げる。確かに、そろそろ北極圏の島に到着してもおかしくない時間だ。
明日は岩竜ファーヴが一歳となる日、そのためオルムル達も含め故郷の島に向かっている。
引率は親世代の岩竜と炎竜、もちろんファーヴの両親もいる。そして岩竜の長老夫妻がアマノ号を運んでおり、シノブ達の訪問に備えて魔法の家も設置済みである。
「それでは出かけるか……しかし、何個チョコがあるのかな? オルムルにシュメイ、フェイニーにケリスなら四個か……鼻血が出そうだね」
「シノブ、可愛い子供達からの贈り物です。しっかり味わってください」
シノブが立ち上がると、シャルロットも続く。
果たして何個のチョコレートが待っているのだろうか。幸い治癒魔術を使えるし、まさか周囲を赤く染めるようなことはないだろう。
もっとも既にシノブの顔は真っ赤である。そのためだろう、囲む女性達は何れも楽しげな笑い声を響かせていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年2月21日(水)17時の更新となります。