25.12 赤く染まる誕生日 前編
創世暦1002年2月14日、二十歳の誕生日を迎えたシノブは多忙な一日を送っていた。
シノブはアマノ王国の王だが、メリエンヌ王国のフライユ伯爵でもある。そのため生誕記念式典が二箇所、アマノ王国の王都アマノシュタットとフライユ伯爵領の領都シェロノワの双方で行われたからだ。
今のシノブは大半をアマノシュタットで暮らし、ミュリエルの祖母アルメルがフライユ伯爵代行を務めている。とはいえ伯爵だから節目には赴くし、なるべく差を付けないようにしている。
そこでシノブは、前日からシェロノワに出かけた。ただし今回はフライユ伯爵家としてでシャルロットやセレスティーヌは同行していないし、アマノシュタットでも準備があるから供もアミィを除きフライユ伯爵領出身者のみにした。
移動に用いたのはシノブ号、普段はオルムル達が運ぶ全長20mほどの船である。
シノブ号は通常の磐船に比べると半分程度の大きさ、鉄板を張っていないから重さは一割少々だ。今回は時間優先、それに搭乗人数も少ないから最適である。
何しろアマノシュタットとシェロノワの間は800kmほどもある。そこで朱潜鳳のフォルスが運び手に名乗りを上げた。彼らの飛翔は超越種でも最速を誇り、急げば時速400kmにも達するのだ。
「シノブ様、アミィ様、お越しくださり大変嬉しゅうございました。ミュリエル……着実な成長、嬉しく思いますが更に励むように。……フォルス様、お手数お掛けします」
アルメルは眼前の三人から、背後の巨鳥へと顔を向ける。
朱潜鳳は鶴のように足が長く、成体だと体高は20m近い。しかしアルメルは少し上を向いただけで済んだ。
今のフォルスは巣に蹲るように胴を大地に着け、更に長い首を曲げて人間達の近くまで寄せているのだ。
『いえいえ、気軽に呼んでください!』
フォルスは嬉しげに声を張り上げ、頭を大きく擡げる。
ちなみに番のラコスはアスレア地方の大砂漠で留守番、息子のディアスは岩竜ファーヴの一歳を祝うべく他の子と共に北極圏の島に向かっている最中だ。
岩竜や炎竜の聖地は非常に遠く、エウレア地方の北端からでも3000km近い。そのため出発は誕生日の前日、つまり今日である。
玄王亀のケリスも同行するから岩竜の長老夫妻がアマノ号を運び、後からシノブ達も行けるように魔法の家も置いた。そしてファーヴの両親を始め岩竜と炎竜の親世代も集い、子供達と共に故郷を目指している。
「フォルス、ありがとう。……アルメル殿、慌ただしくて申し訳ありません」
あまり待たせてもと思ったシノブは、別れへと移る。
昨夜シノブとミュリエルはアルメル達と語らい、今朝は館で主だった者と祝ってから街をパレードした。とはいえ睡眠時間を除くと滞在は十時間かそこら、シノブは体が二つあったらと思ってしまう。
「いえ、とても嬉しゅうございました。それにミュリエルの誕生日は、ゆっくりしていただけますし」
アルメルは柔らかな笑みと言葉で応じる。
3月3日、ミュリエルは十一歳になる。もちろんアマノ王国でも王族の誕生日として祝うが、彼女は将来のフライユ伯爵夫人だからシェロノワでの式典に多くの時間を割く。
昨年は一月終わりごろに開催した『大武会』も、今年はミュリエルの誕生日へと移した。更にアマテール地方こと北の高地を始めとする各地からの産物紹介、メリエンヌ学園の研究所で生まれた新製品の展示なども行われる。
したがって当日は今回と逆に朝のみアマノ王国、残りの大半をフライユ伯爵領で過ごす予定である。
「私も楽しみです!」
ミュリエルはシノブよりも頻繁にフライユ伯爵領に訪れており、祖母と週に一度か二度は会っている。しかし一人シェロノワで過ごすアルメルを案じているのだろう、昨晩も遅くまで語らっていた。
「ええ。……シノブ様、向こうでもお待ちですから」
アルメルも孫の思いは重々承知している筈だ。しかしシノブ達は、十三時までにアマノシュタットに着かないといけない。
このままでは別れ難さが募るだけと思ったのだろう、アルメルは返答を待たずに後ろへと下がる。
「そうですね、そろそろ十一時です」
アミィが言うように、予定の時間までに戻るなら発たねばなるまい。向こうでは午餐会、つまり昼食会が開かれるのだ。
「ロベール殿、ジェレミー殿」
アルメルが声を掛けると、隣にエドガール子爵ロベールとラシュレー子爵ジェレミーが並ぶ。
ロベールはベルレアン伯爵コルネーユの従兄弟、ジェレミーは先代ベルレアン伯爵アンリの懐刀だった男だ。どちらもフライユ伯爵領に来たのはガルック平原の戦いから、まだ一年と数ヶ月しか経っていない。
しかし三人が並ぶ姿は十倍もの歳月を共に過ごしたかのように自然だ。そのためシノブは、思わず顔を綻ばせる。
「我らが主、フライユ伯爵シノブ様と婚約者ミュリエル様のご出立!」
「一同、敬礼!」
まずロベールが厳めしい外見に相応しい朗々たる声を響かせ、更にジェレミーが号令で続く。そして二人と同時に、フライユ伯爵家の家臣達が一斉に動く。
家令のヴィル・ルジェールなど館で働く男は手を胸に当てての礼だ。内政官の男性も同様、一年前とは違って立派な長官に育った者達がヴィルの右脇で同じ仕草をしている。
反対の左は武人達、かつて『大武会』で頭角を現したバンヌ・バストルやファルージュ・ルビウスなど若さ溢れる者達が右手を額の上に翳す。
女性達はドレスの裾を摘んでの礼だ。アルメルを支える婦人達、ミュリエルの側仕えだが幼く親元に留まっている少女達が衣擦れの音と共に動く。
「ありがとう。皆も健やかに」
「答礼! ……乗船開始!」
シノブの一言に、従者のロジェ・ルジェールが少年らしい澄んだ声で続く。ロジェはヴィルの息子だが、十歳を超えておりアマノシュタットで側仕えの一人として働いているのだ。
『それでは皆さん、御機嫌よう!』
シノブ号に乗り込む人々の脇では、立ち上がったフォルスが羽を大きく広げている。ただし飛ぶためではなく、彼らの礼に相当する仕草なのだ。
もっともシノブが知る朱潜鳳は、今のところフォルス達の一家のみだ。
フォルスやラコスによると、南のアフレア大陸やカンの西には同族がいるらしい。しかし彼らにも神々が砂漠の維持を命じたようで、滅多に縄張りを離れないという。
◆ ◆ ◆ ◆
アマノシュタットに向かう間、シノブはアミィやミュリエルと共に舳先近くの甲板から空や地上を眺めていた。
今日は快晴だし、フォルスの魔力障壁があるから寒さとは無縁だ。そのため三人のみならず、全ての者が空からの風景を楽しんでいた。
「皆さん喜んでくださいましたね! とっても嬉しかったです!」
「ああ。本当にね」
華やぎも明らかなミュリエルに、シノブは微笑ましさを覚えた。
ミュリエルは自分との時間にも喜んでいるのだろう。シノブは自惚れではなく、そう感じていた。
普段と違いシャルロットやセレスティーヌは不在、ここでは自分だけ。すぐ側のアミィに後方の側付き達と実際には大勢だが、彼女にとっては二人きりと呼ぶべき状況なのだろう。
その証拠に銀髪の少女の視線は、風景よりもシノブへと注がれていた。
半月ほどしたらミュリエルは十一歳だ。そして今回の訪問では多くの者達が来るべき日に触れ、更に四年後の成人が待ち遠しいと添えた。
これらの祝福はミュリエルの心に強く響いたらしい。おそらくシャルロットとセレスティーヌが既に成人しているからだろう。
王族や貴族は一夫多妻が殆どだ。そのため夫は妻達に平等に接し、妻達も調和を旨とするように教えられて育つ。
しかしミュリエルは、まず成人として同じ場に立ってからだ。そこで彼女は心の距離だけでも縮めねばと意識しているようだ。
「そういえば、何か準備してくれているようだけど? 俺の好きな食べ物かな?」
シノブはミュリエルに向き直る。空や雪原も見ごたえがあるが、それより彼女の思いに応えるべきと思ったのだ。
数日前からシャルロットやセレスティーヌを含め、誕生プレゼントを用意しているらしい。どうもアミィが指導しているらしく料理か何かだとシノブは思ったが、当日の楽しみにと問わぬままにした。
おそらく家族が揃ってから渡す筈、ならば今は明かさないだろう。しかしヒントくらいは貰えるかもと、シノブは期待する。
「どうでしょう? でもアミィさんから、普通は嬉しいものだと聞きました!」
ミュリエルは年齢相応の可愛らしい笑みを浮かべる。
緑の瞳は蒼穹にも負けないほど煌めき、澄んだ声音は溢れんばかりの慕情を示すように高らかだ。しかし双方とも思わせ振りで、彼女が謎かけめいたやり取りを喜んでいるのは間違いない。
「ミュリエルがくれるなら、なんだって嬉しいけどな」
シノブは冗談交じりの言葉と共に、考え込むように顎に手を添えた。もちろん本気で悩んでいるのではなく、おどけてみせただけだ。
やはりミュリエルは、自分のことを良く見ているようだ。こちらの意図したものが、たわいない語らいや交流だと彼女は察している。シノブは今更ながら、眼前の少女の賢さに感嘆した。
もっとも今は共に微笑むべきだろう。そこでシノブは賞賛の言葉を飲み込み、代わりに推測を挙げることにした。
「ミュリエルは和食も作れるし……それに魔法のカバンに入れたら……」
「確かにアミィさんに教えていただきましたが、そこまで手伝ってもらってはいませんよ?」
敢えて核心に迫らないシノブを、ミュリエルは面白そうに見つめている。明かすのはシャルロット達と一緒にと思っているのだろう、彼女も贈り物自体に触れはしない。
『贈り物……我々は宝石ですね』
朱潜鳳フォルスの声は、彼がいる上ではなくアミィの近くで発していた。発声の術は魔力障壁の振動で音を作り出すから、充分な魔力があれば術者から離れた場所で発動できるのだ。
おそらくフォルスは、シノブとミュリエルの邪魔をしてはと思ったのだろう。
「棲家で見せていただいた品々ですね。とても綺麗でした」
『朱潜鳳は、立派な棲家と集めた宝石の量や質が重要でして。ですがラコスの父は、もっと立派な石を持っていたそうで……』
褒めたアミィに、フォルスは謙遜めいた言葉を返す。
ラコスはカンの西の砂漠、地球ならゴビ砂漠に当たる場所の出身だ。ここはアスレア地方の大砂漠より更に広いから、より多くの宝石が採れるのかもしれない。
「シノブ様もカンに行きましたし、近いうちに訪問したいですね。探している禁術使いはいないでしょうけど……」
『ラコスは我々の砂漠より遥かに過酷だと言っていました。魔術を使えば住めるでしょうが、好んで寄りはしないかと』
アミィとフォルスの語らいは、カンの砂漠へと移っていく。
シノブがフォルス達と出会ったとき、ラコスは遥か東の出身だと明かした。そのときのシノブはアスレア地方の東を知らなかったが、後に得た情報と照らし合わせるとカンの西の砂漠で間違いないようだ。
ちなみにラコスだが、フォルスと番になってからは故郷に帰ったことはないという。
真紅の巨鳥が空を飛べば目立って仕方ないから、遠方に行くときは空間を歪めて地中を進む。しかし地中での速度は半分程度、フォルス達の棲家からラコスの故郷までは3000km以上あり往復だけで一日を優に超える。
『今なら皆さんのいる地は普通に飛べますし、知らない場所も頂いた透明化の魔道具で大丈夫です。それに転移の神像をお借りしても良いですし……私達は『光の盟主』と違って注目されませんからね』
「ぜひ使ってください。シノブ様も公式行事以外なら、神具や神像での転移をお使いになります」
フォルスは番の故郷に行ってみたいようだ。アミィも察したのか、魔道具の使用を勧める。
『そうします。見せびらかすのは良くありませんが、折角の道具ですし』
「ええ」
派手好きにすら思えるフォルスだが、超越種だけあって押さえるべきところは押さえていた。彼の深慮を感じ取ったのだろう、アミィも大きく顔を綻ばせる。
シノブは正常な技術の発展を妨げないようにと、公用では転移をなるべく使わないことにした。しかし私用は別で、普段ミュリエルがシェロノワに行くときも魔法の馬車や魔法の家である。
重力魔術での飛翔や連続短距離転移も同様で、シノブのみが使える技は個人として動くときに限っている。シノブは個人に頼った国造りを嫌ったし、周囲も賛成したからだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブは会話を楽しむのみに留め、贈り物を先に知るような野暮は避けた。もちろんミュリエルも同様で、貴重な時間を満喫する。
そのためだろう二時間の旅は瞬く間に終わり、気付いたときにはアマノシュタットの中央『白陽宮』に着いていた。
午餐会は賓客達との語らいの場でもある。そこで立食形式とし、アマノ同盟どころか友好国からも含めて様々な衣装の人々が行き交う。
もちろんアマノ王国の者も多数おり、王族だけではなく三侯爵に七伯爵が揃っている。
「スキュタール王国のパムダルと申します。今回のお招き、真にありがたく……」
先日騒乱があったばかりのスキュタール王国からも、新王カイヴァルの従兄弟パムダルが来た。アスレア地方から戻るイヴァールが、巡った各国の使者を自身の飛行船に乗せたのだ。
「ご丁寧な挨拶、痛み入ります。どうぞ、こちらへ……」
遠来の客の接待を引き受けた一人は、内務卿のシメオンだった。彼はパムダルと共にエウレア地方の要人達を巡っていく。
同様に一旦帰国したナタリオ、つまり東域探検船団の司令官にしてイーゼンデック伯爵は、タジース王国の外務大臣夫妻を連れている。タジース王国はナタリオが寄港した国だから、自分が紹介すべきと思ったのだろう。
アスレア地方の国々も、近々全てがアマノ同盟に加わる。東域探検船団がアスレア地方西端のエレビア王国に到達してから五ヶ月少々、驚くべき急激な変化である。
もっとも当人達は自然なことと受け止めているようだ。何しろ半数ほどはキルーシ王国防衛戦で結束した仲、残る殆ども規模は異なるがアマノ同盟の助力で国難を脱した。
その過程でアスレア地方の統治者達は西方の密な交流と発展を知り、乗り遅れてはと強く感じたらしい。特に最初に接したエレビア王国は、既にエウレア地方との縁組みまで目前にしていた。
「シルヴェリオ殿、オツヴァ殿、おめでとうございます」
「凛々しい御婦人ぶり、羨ましいですわ」
「本当に」
ガルゴン王国の王太子カルロスは、旧知の仲であるカンビーニ王国の王太子シルヴェリオと隣の女性を祝福した。そしてカルロスの妃達が後に続く。
来月シルヴェリオは、エレビア王国の王女オツヴァを第二妃として娶る。
今まで駐アマノ王国大使だったオツヴァだが、これは彼女の婚姻先を探すための方便だ。既に副使が後任となり、今日の彼女は王女として出席している。
「ありがとうございます」
「オツヴァと申します」
少しばかり照れくさそうなシルヴェリオに続き、同じく頬を染めたオツヴァが名乗る。
オツヴァはキリリとした風貌で、実際に女武芸者として相当な域に達している。しかし今日は自国のドレスを着けて髪も綺麗に流し、声音も淑やかに感じるほど抑えている。
虎の獣人らしく大柄なオツヴァだが、シルヴェリオも獅子の獣人で立派な体格だから釣り合いが良い。それに並ぶ女性達も高身長である。
「良い方をお迎えできて嬉しいですわ」
「私も見習いとうございます」
まずは第一妃のアルビーナ、続いたのは婚約者のティレディアだ。双方とも獅子の獣人でアルビーナの背はオツヴァと同じくらい、まだ十歳のティレディアすら150cmを超えている。
「次はエレビア王国への旅でしたね? あれから五ヶ月……懐かしいですね」
カルロスもシルヴェリオやナタリオと共に東域探検船団としてエレビア王国に渡っている。そのときを思い出したのだろう、彼は感慨深げな様子で目を細める。
「ええ、本当に。あれからどうなったか、帰ったら余さずお伝えしますよ」
シノブの生誕記念式典が終われば、シルヴェリオ達はアマノスハーフェンから東に船を出す。
往復は一ヶ月以上だが、海洋王国の跡継ぎだけに自国の艦隊をぜひとも披露したいようだ。今もシルヴェリオは、覇気溢れる笑みを浮かべている。
「叔父上、妾にも土産を頼むのじゃ!」
「……もちろんだよ」
寄ってきたマリエッタに、シルヴェリオは僅かに遅れて返答する。彼が先に目にしたのは、姪ではなく隣にいる女性だったのだ。
相手はウピンデ国の大族長ババロコの娘、漆黒の獅子の獣人エマである。
シルヴェリオの妻や婚約者も、エマに興味深げな視線を向けている。実はエマとカルロスが、決闘をするからだ。
エマは午前中、カルロスや夫人達と会見した。ババロコがエマにカルロスへの嫁入りを勧めたからだ。
もっともウピンデ国だと最終的な意思決定は嫁ぐ女性自身、ババロコは夫の候補として推薦したに過ぎない。そして女戦士なら相手との決闘を望む例が殆どで、エマからすれば自然な流れではある。
しかしエウレア地方だと男女の決闘など非常に稀、近年の有名どころだとシャルロットくらいだ。多くは男が娘の父に挑む形、そのためシルヴェリオ達が関心を示すのも無理からぬことであった。
「カルロス殿、陛下にお許しいただきました。決闘は十七時から、後は会見でお伝えした通りです」
先ほどエマは、シノブに決闘の許可を求めた。
シノブはシェロノワから戻ったばかりだが、こうなると聞いていたし会見の結果をシャルロットから通信筒で伝えられてもいた。そのため反対せず、エマの望むままにしたのだ。
「ありがとう」
カルロスは短く応じたのみ、他の者も割り込みはしない。そのため周囲の喧騒が嘘のような沈黙が、この場を支配する。
何しろ今回の決闘は実戦と代わらぬ形式、刃を落とした武器ではない。しかも手足の傷程度なら続行、急所は寸止めだが下手をすれば命に関わる。これはウピンデ族の仕来りに倣ったからだが、血を流さずに済むかすら疑問である。
カルロスは達人と呼ぶに相応しいが、エマも一廉の武人に成長した。幾らカルロスの力量が上でも、傷付けぬままの勝利は難しかろう。
「兄上、無茶しないで」
「エディオラ……」
沈黙を破ったのはカルロスの妹、ガルゴン王国の王女エディオラである。もっとも今の彼女はメリエンヌ学園の研究所に居を定め、こういった式典に出てくるのも珍しい。
そのためだろうか、カルロスは妹に視線を向けたまま黙り込む。
◆ ◆ ◆ ◆
午餐会の後は武道大会や魔術競技会の表彰、次いで高位に昇格した者の発表が行われた。これは原則としてアマノ王国のみの参加だ。
各種の大会は前日までに終了し、目的は国中の要人が集まる場での顕彰やお披露目である。東域探検船団のナタリオや先日帰国したばかりのイヴァールなど、伯爵達でも常に国内にいるとは限らないから国王の誕生日に合わせたわけだ。
次は屋外、先日シノブが広めた冬季競技の観戦である。もっともスキージャンプやフィギュアスケートなど難易度が高いものは練習中で試技のみ、スピード系も前日までに予選を済ませている。
そのためシノブ達は予定通り、十七時までに『白陽宮』へと戻る。
「それではガルゴン王国の王太子カルロス殿とウピンデ国の女戦士エマ殿の決闘を行う! 両者、前へ!」
決闘を仕切るのはシノブだ。
何しろ片方は王太子、もう片方も大族長の娘だ。こうなると審判として望ましいのは更に上、アマノ王国なら国王シノブとなる。
場所は『小宮殿』の修練場、観客も相当に位の高い者か関係者に絞った。アマノ王国なら伯爵まで、他はマリエッタや彼女の学友のように縁のある者達のみだ。
「おう!」
カルロスは三十二歳、普段は王太子に相応しく落ち着き溢れる人物だ。しかし今の彼は、荒ぶる雷鳴のような大音声を響かせる。
右手に持つはガルゴン王国特有の大槍、片手持ちにも関わらずシノブ達が使う槍より何割か長く太い。おそらく長さは4m近いし全て鋼だから並の男では持つだけで精一杯だ。
左の盾も肩口から膝下まである巨大なもの。もちろん金属製で、しかも下は尖っているものの上端は肩幅ほどもある。
これに本来は全身甲冑を着けるが、今日は相手と合わせたらしく軍服のみだ。
「はい!」
エマも鋭い声で応え、前へと進み出る。
こちらは右手に7mを優に超える長槍、ただし柄の径は並程度だ。カルロスと同じく穂先から石突まで鋼鉄、おそらく重さも同等だろう。
左は木の葉状の身長ほどもある盾。ウピンデ国だと木と革だが、エマが持つのはアマノ王国で誂えた総鉄造りである。そしてこちらも軍服のみだから、両者の防御力に差はない。
「準備はよろしいか!?」
双方の槍を足した倍くらいの距離で向き合う二人に、シノブは最後の確認をする。そして二人は敵手を見つめたまま、静かに頷き返す。
空気は今にも弾けそうに張り詰め、見守るシャルロット達すら戦場のような鋭い気を放っている。誇張ではなく、針一つ落としても聞こえる静けさが場を満たす。
「始め!」
シノブは開始の合図と同時に、大きく後ろに跳び退いた。
この二人くらい身体強化を極めれば、今の距離でも一挙動で相手に達する。したがってシノブが側にいたら邪魔となるだけだ。
「うらぁ!」
「む!」
大きく飛び込んだのはエマ、そして彼女が突き出す穂先をカルロスは手にした盾で払う。しかも滑るように流して距離を詰めるまでが一連の動作、槍の長さが倍近くでも全く苦にしていない。
「らぁ!」
しかしエマは動ぜず、槍の柄でカルロスの盾を押し返す。すると巨大な鉄球同士がぶつかったような音と共に、ガルゴン王太子の動きが止まる。
「あれは!?」
「横の『大跳槍』じゃ!」
驚愕の叫びを上げたのはガルゴン王国の駐アマノ王国大使フェルテオ、叫び返したのはカンビーニ王国の公女マリエッタだ。
ベルレアン流槍術には『大跳槍』という穂先や柄で相手を跳ね上げる技がある。これをエマは側面への動きに変え、防御として用いたわけだ。
長槍は懐に入られたら不利、そこでエマは『大跳槍』を磨いて備えとした。そして彼女の修行は見事に結実し、ガルゴン流宗家跡継ぎの進撃を封じ込めた。
しかも片手で振るう槍、それも端近くを握ったのみだ。瞬間的な魔力集中と強化が可能とする、まさに絶技というべき冴えである。
「らああ!!」
相手の動きが止まった瞬間、エマは退ると再び槍を繰り出した。しかも今度は連撃で、カルロスも前に出る隙を見出せないらしい。
「まさか……」
「傷付けないよう、カルロス殿は加減しているようです」
「王太子らしい勝利を、とお考えなのでしょう」
オツヴァに隣のシルヴェリオが応じる。他もシャルロットなど稀なる高みに達した者達は、カルロスが攻めあぐねる理由を見抜いたようだ。
決闘に勝ったとしても、半分以下の歳のエマに傷を負わすなど次期国王に相応しいだろうか。南方航路開発に熱心なガルゴン王国をウピンデ国は歓迎しているが、辛勝では侮る者も出るに違いない。
当分は修行を継続できるとあり、エマも自身を打ち負かすなら文句ないと宣言した。しかし彼女の言葉は、己の心を動かす勝利ならと取れなくもない。
「むっ!」
「大盾が飛んだ!?」
重さの滲むカルロスの声と同時に、左腕で保持する盾が離れる。続いて信じられないように叫んだのは元同国人のナタリオだ。
ガルゴン王国の盾は握り手の他に肘近くにも太い革の固定具があり、手を離しただけで取り落とすことはない。
しかしカルロスが槍を払おうとしたときエマは穂先を引き、盾は振った勢いのまま横に大きく流れてしまう。そして戻すのは間に合わないと思ったのか、カルロスは握り手を離したらしい。
そのため大盾は遠方に飛び去り、ガルゴン王太子の武器は右手の豪槍のみとなる。
「勝てる! ……え!?」
「ぐっ! うおおっ!」
双方とも、二度ずつ声を響かせる。エマは歓喜から驚き、カルロスは苦鳴から雄叫びだ。
まずエマは勝負を決めようと槍を突き出した。対するカルロスは躱すも左の前腕部を貫かれる。ここまでが最初に交わした叫び、そして周囲のどよめきが重なる。
しかし闘いは新たな局面を迎える。カルロスは左腕に刺さった槍に構わず、そのまま距離を詰めたのだ。
「殿下の硬化術だ!」
「それで槍が抜けんのか!」
喜びを顕わにしたのは大使フェルテオ、愕然といった絶叫は公女マリエッタ。観客達は、先ほどと全く逆の様相を示す。
エマは刺した直後に引いたが、穂の広がった部分が妨げとなり抜けないようだ。そしてカルロスは自身の間合いに入るため、槍の柄が動く程度に硬化度を抑えているらしい。
そのためカルロスが進むと槍が突き抜け、後ろを鮮血で染めていく。しかし彼の突進は衰えることなく、右手の槍でエマの盾を払いのけ更に首元に穂先を突きつける。
まるで瞬きするほどの間、エマも槍を離して距離を取ろうとしたが間に合わない。
「勝負あり、カルロス殿!」
シノブが叫ぶと、轟く歓声が沸き起こる。そして一瞬の後、人々は勝るとも劣らぬ拍手で戦士達を称え始めた。
「無茶しないでと言ったのに」
「しかしエディオラ、エマ殿を傷付けるわけにもいかないだろう?」
進み出たのは王女エディオラ、対するカルロスは非難されると承知していたようで平静な声で応じる。
しかもカルロスは話しながら、無事な右手でエマの槍を抜き取ってすらいた。勝利への道筋は偶然ではなく、彼の思い描いた通りだったらしい。
仮に手で掴もうとしたら、エマは瞬時に槍を引いただろう。そこで敢えて隙を作って貫かれ、攻撃を封じ込んだのだ。
「エディオラ様、治癒魔術をお願いします」
「橈骨と尺骨の間を綺麗に抜けている。放っておいても半年くらいで完治するかも」
治癒をと頼むエマにエディオラは頷き、傷を調べる。しかし彼女は兄の腕を取りはしたものの、診断を下したのみだ。
「……怒っているのか?」
恐る恐るといった調子で、カルロスは十歳下の妹に問う。エディオラは感情を殆ど顔に出さないから、彼も今まで気付かなかったらしい。
「兄上、この傷は妻となる方からの贈り物。記念として残すべき」
「し、心配させて済まん……」
「お願いします。エマの旦那様になる人、治してください」
ツンと顔を背けるエディオラにカルロスは頭を下げ、エマも倣う。どうやらエマはカルロスの技量と勇気を認め、先々嫁ぐ相手としたらしい。
三人のやり取りに、シノブは思わず声を立てて笑ってしまう。そして笑い声は観客達にも伝播していく。
そのためだろう、ついにエディオラも顔を和らげる。そして彼女は、少々強張った表情で立ち尽くす兄に治癒魔術を行使し始めた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年2月17日(土)17時の更新となります。