25.11 高まる緊張の中で
「雪中の謎の幌馬車を抜けると南国だった……」
「お前、詩人の才能あるんじゃないか? しかし暑いな……」
魔法の幌馬車から現れたヤマト王国の武人達は、初夏のようなアコナ本島の空気や眩しい陽光に声を上げる。
武人達が驚くのも当然だ。この日は創世暦1002年2月11日、ヤマト王国の都では薄く雪が積もっていたほどである。
「後ろが詰まっています~!」
「失礼しました! お前達、さっさと進め!」
幌馬車の中からミリィが促すと、健琉の家臣が声を張り上げる。彼は伊久沙、交易商の呂尊やクマソ王子の刃矢人と共にアコナに先乗りした一人である。
ヤマト王国の大王である威利彦は王太子タケルの報告を聞き、アコナ支援を決定した。しかしヤマトの都から今いる場所まで1100km以上もある。
そこで幌馬車の隠し部屋にある転移の絵画を使い、支援者達をアコナ列島に移動させる。ヤマトの都にはマリィの魔法の幌馬車があり、ミリィと共に転移させているのだ。
「ヤマト大王領のイクサ殿?」
「貴方達が伊予の島の技師ですね。初めまして」
別の幌馬車から現れた濃い肌色のエルフが、イクサへと寄っていく。こちらも和服に似た前合わせの衣装、ユノモリから来た木人製造技師の代表者だ。
こちらはホリィの魔法の幌馬車からで、仲間の褐色エルフ達が続々と降りてくる。
「アミィ様から伺った通り、良いところだな」
「ああ。海は専門外だが、あの豊かな森を見れば……」
ここはアコナの都シュイの海岸、背後の街の向こうには緑溢れる森林が広がっている。そのため技師達はアコナにも森を愛する人々がいると感じたらしく、何れも顔を綻ばせている。
更に巨大木人の操縦者達が降りてくる。幌馬車には木人など入らないから、まずは人間のみが先乗りだ。
「ホリィ様、これで全員です!」
「では幌馬車を仕舞います。木人を呼び寄せますね」
ホリィは自身の魔法の幌馬車をカードに変え、更に用意していた紙片を通信筒に放り込んだ。
伊予の島の王都ユノモリにはアミィがおり、魔法の家にある転移の絵画で人々を移動させた。しかし魔法の家に巨大木人は入らないから、魔法のカバンに詰めて送り込む。
ただし大人の八倍から十倍もある巨大木人を、人々の側で出すわけにはいかない。そこでホリィは砂浜へと走っていく。
既にユノモリでは木人の収容を終えている。そのため待つほどもなくホリィの手には魔法のカバンが現れ、白い砂浜に何十もの『若狗』や数体の『衛留金狗』などが並んでいく。
「ど、どうやって!?」
「考えるな。あの方々は神々の使者なんだ」
アコナのエルフ達から、大きなどよめきが上がる。十歳を超えたかどうかという少女が巨大木人を取り出す光景は、事前に説明されても目にすれば驚愕するしかないだろう。
魔法のカバンの容量は無限と思えるほど、そして地に置くまでは重量軽減が施される。しかしホリィ達は詳しく語らなかったし、そもそも神具の仕組みなど説明不可能である。
つまり応じた男のように神々の技とするしかなく、多くの者は彼に倣った。もっとも最初から神秘の現象は理解の外とした者達もいる。
「あれが伊予の巨大木人! そうじゃな、豊花殿!?」
「そうじゃ! そしてあれこそが『衛留狗威院』、代々のヒミコが継いだ伊予の誇りじゃ!」
瞳を輝かせるのはアコナの女王、まだ七歳の有喜耶子。隣で胸を張るのは成人女性のエルフ、伊予の島の女王ヒミコことトヨハナ。年齢は九十歳以上も違うが、妹と姉のように似た二人だ。
実際二人には血縁関係があるのかもしれない。
四百八十年ほど前、アコナ列島のエルフが大嵐で流され伊予の島に漂着した。彼らの子孫はユノモリに住み着いたから、その一人がトヨハナの先祖の可能性はある。
そのためかトヨハナは、当面アコナに残って支援するとまで言い出した。
「ウキヤコ殿なら動かせるじゃろう! 早速試すのじゃ!」
「絶対成功させるのじゃ~!」
手を引くトヨハナにウキヤコは頷き返し、二人は並んで砂浜へと駆けていく。そして木人の操縦者達も後に続き、それぞれ憑依をし始める。
『これが……まるで妾そのものじゃ!』
『そうじゃろう! これが伊予の木人術じゃ!』
立ち上がった二体の『衛留狗威院』は、それぞれ操縦者を手の平に乗せている。
ウキヤコが乗り移った方は、動作を確かめているらしい。畳一枚ほどもある片手に自身の体を乗せたまま、残った手を眼前で握ったり開いたり、更に順に指を立てるなど忙しない。
もう一体の『衛留狗威院』は、自慢げに胸を張っている。豪語するだけあって、その姿は先ほどのトヨハナ自身と変わらぬ自然さだ。
──人間そっくりですね~。ホリィ、これこそ伊予の憑依のメカニズム、です~──
魔法の幌馬車から出てきたミリィが、思念で同僚に呼びかける。どうやらヤマトの都からの転移が終わったようだ。
──メカって……口に出さないようにね──
ホリィは呆れ半分といった様子で微かに首を振る。
この世界の言語は日本語で統一されているが、アムテリア達は文明の度合いに合わせたらしく新しい言葉を省いた。それは西洋風のエウレア地方でも同じで、なるべく外来語を避けたようだ。
しかし他者に聞こえないならと思ったのか、ホリィは強く言わずに済ませた。
──筑紫の島は?──
代わりにホリィは残る輸送について訊ねる。
筑紫の島の王都ヒムカにはタミィがいる。ヤマト大王領に続き、クマソ王の家臣をアコナに運ぶのだ。
──集合が終わっていないようです~。あとマリィはナニワの港に向かいました~──
ミリィは港に向かっていく巨大木人に顔を向けていた。
マリィがヤマト王国の軍船を魔法のカバンに詰め、それを呼び寄せる。そして大王領とクマソ王領の武人達は船に乗り込み、更に巨大木人を曳航して他の島々に輸送する。
北のドワーフ達は武器や防具を用意した。彼らは暑いところや海が苦手だから、自慢の技を振るった品々を提供したのだ。
「ホリィ様、港に向かってよろしいでしょうか?」
「ええ、行きましょう。ミリィ、後はお願い」
問うたイクサにホリィは頷き返し、続いて同僚に顔を向ける。
ヤマト王国の都からナニワの町まで50kmほど、金鵄族の飛翔なら十分も掛からない。急ぐほどではないが、そろそろ港に向かった方が良いのは確かであった。
「任せてください~。ヤマト王国大集合、次はクマソの獣人さん達です~!」
ミリィは無邪気な笑顔と共に手を振り返す。しかし外見は少女でも彼女は眷属、その姿は空から照らす太陽のように輝いていた。
◆ ◆ ◆ ◆
同じころ、合わせて四頭の海竜と嵐竜がアコナ列島とスワンナム半島の間に向かっていた。この海域に出没する謎の船団や使役獣を発見するためだ。
──好みの嵐だな──
──ええ、良い力に満ちています──
嵐竜ラーカの両親ヴィンとマナスが、雲の上で心地良さげな思念を交わす。
眼下は船を出せないほどの荒天で、ヴィン達も激しい風に晒されている。しかし強い風から魔力を得る彼らにとっては、ご馳走の中を進んでいるようなものだ。
実際ヴィン達は大きく口を開け、東洋の龍に酷似した長い体を嬉しげに揺らしている。
──しかしヴァキとサーラに子が出来るとは……嬉しいことではあるが──
──ここは私達の通り道にも近いですし、レヴィ殿やイアス殿もいらっしゃいますから大丈夫でしょう──
困りつつも喜んでいるらしきヴィンに、マナスも同じように複雑な波動で応じる。
この日の明け方、嵐竜サーラは卵を産んだ。そのため孵化までの一ヶ月ほど、ヴァキも含め棲家から離れられない。
ヴァキ達がいる島は彼らの縄張りの中、アウスト大陸北東の洋上だ。ここアコナ列島の西からだと7000km以上、応援を頼むなど論外である。
幸いヴィン達は、この辺りに詳しい。二頭の縄張りはルゾン王国の南方からヤマト王国、地球ならフィリピンの南から日本にかけてだ。
──我らが嵐竜代表として頑張らなくてはな──
──この大風では海に出る者もいないでしょうけど……少々長引きそうですし──
意気込むヴィンには生憎だが、マナスの指摘は正しかった。西は厚い雲が続いており、ダイオ島どころか更に向こうのスワンナム半島まで覆っている。
この辺りはスワンナム半島が一旦細くなっており東西は350kmを切るし、全体に標高が低い半島だから更に西の海で生まれた雲も減じないまま流れてくる。どうも今の嵐もスワンナム半島の向こうで発生したらしく、西側は延々と雲の絨毯が続くのみだ。
東は少々向こうで晴れに変じているが、アコナ列島の西端ヨナ島などは幾らもしないうちに雨が降り出すと思われる。
もっともアコナの人々からすれば、まさに天佑と呼ぶべき嵐である。上手くすれば、謎の船団が現れる前に防衛網を敷けるからだ。
雲の下の海原は大波が荒れ狂い、その高さは帆柱の天辺に勝るほどだ。この天候で出港する者はいないし、洋上の船も帆を畳んで錨を降ろすだろう。
少なくとも二日は続く嵐だ。もちろんアコナ列島に到達すれば歓迎ばかりも出来ないが、今この瞬間に関しては別である。
──海の中はどうだろう? ……レヴィ殿、イアス殿、海猪は見つかっただろうか?──
──この辺りにはおらぬ──
──おそらく島にでも避難しているのでしょう──
ヴィンが呼びかけると、ほぼ真下から二つの思念が返ってくる。どうやら海竜リタンの両親達は比較的浅い場所にいるらしく、海中にしては強い波動だ。
海猪という魔獣は哺乳類で、しかも立派な四肢を備えている。そのため彼らは嵐のとき、適当な島でやり過ごす。
もっとも長い爪が歩くときに邪魔となるから、海の側から離れない。海猪は地上だと鈍重で、人より大きい動物がいる陸地を嫌うからだ。
──すると、空から探せるのでしょうか?──
──海に口を開けた洞窟を好みますし、掘りやすいところに隠れ家を造ることも多いようです──
マナスは陸上なら自分達の担当と思ったらしいが、イアスの説明通りなら難しい。もっとも野生の海猪と違い、今回は使役獣だから少々異なる。
──人の子が寄る島なら港があるだろう。もし洞窟の隠し港でも、入り口くらい我らでも発見できる──
使役獣が隠れる場なら人工物も存在するという、ヴィンの主張には充分な説得力があった。
それに海猪の件を別にしても、前線基地を造った可能性は高い。今のような暴風雨から逃れる場所が必要だからだ。
──やはり我ら海竜が海の中、ヴィン殿とマナス殿に海上と陸を調べてもらうべき。……しかしマートとティアまで卵を得るとは──
途中からレヴィの思念は、先ほどの嵐竜達のように喜び半分驚き半分となっていた。
実は北太平洋にも別の海竜の番がいるのだが、どういう偶然か彼らも先月末ごろに子供に恵まれた。棲家が遠方なのも同様で、こちらは地球ならハワイ辺りである。
もっとも竜達にとって子育ては何より優先すべきことだし、海竜リタンや嵐竜ラーカに歳の近い同族はいないから尚更だ。それに四頭もの竜がいるのだから、充分に数は足りている。
この付近の魔獣の海域は幅100km以下だ。北には延々と続きヤマト王国の北端すら超えるが、謎の船団が出た場所はヨナ島から大して離れていない。
おそらく南北400kmほどを調べれば充分で、しかも竜達なら一日で数度は往復できる。よほど巧妙に隠していない限り、この四頭なら今日中に拠点を発見する筈だ。
──子らの明るい未来のためにも、早く見つけましょう──
──ええ。『光の盟主』の懸念……輪廻を乱す者達が関わっているかもしれませんから──
決意の滲むマナスの思念に、海中からイアスが同じくらいの真摯さで続く。
シノブが最悪の想定として竜達に語ったのは、式神化した魔獣についてだ。アスレア地方で狂屍術士のダージャオ達は大岩アナグマを式神としたが、同じように海猪の式神なら一層やっかいな相手となる。
式神は呼吸が不要だから島に上がらなくても良い。島に留めておく場合も地中かもしれないし、巡った海域に沈めている可能性すらある。
そして休眠中の式神は魔力を発しないから、埋めていれば彼らでも見逃すだろう。
──やはり、子供達は伴えんな──
──ああ。もし『光の盟主』の……いや、一刻も早く解決すれば良いだけ。この星に満ちる命、そして生まれ来る命の安寧のために──
ヴィンとレヴィが交わした言葉には微かな恐れが宿っていた。そして四頭の竜は内心の焦燥を振り払うように速度を上げていった。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日の昼前、スワンナム半島に戻ったマリィは光翔虎のヴァーグと共に空を飛んでいた。向かうはエンナム王国の王都アナム、この日も雨が降っているから雲の上の飛翔である。
──ヴァーグさん、ずっと手伝ってもらって済みません──
金鵄族本来の青い鷹の姿ということもあり、マリィは思念でヴァーグへと語りかける。
ヴァーグは一月の下旬から半月以上もスワンナム地方の調査をしていた。初めは地理を把握するための下調べ、そして大よそを理解したらイーディア地方に渡った禁術使いヴィルーダの足取りを追った。更にアコナ列島を狙っているらしきエンナム王国の調査まで加わった。
これではマリィが気にするのも無理はない。しかしヴァーグを始めとするイーディア地方の光翔虎には、助力を惜しまぬ理由があった。
──息子を助けていただいた恩を思えば、僅かなこと。それに少し早いがヴァティーも手が離れ、棲家を長く空けても問題ない──
ヴァーグはアーディヴァ王国に囚われていたドゥングの父だ。
二百年近く行方不明だった息子の発見と、ヴィルーダの禁術からの解放。ヴァーグ達が何を置いても報いねばと思うのも当然であった。
娘のヴァティーは成体になるまで五十年ほどあるが、他の若手と一緒にカンでミリィを手伝っている。そのためヴァーグの番リャンフも殆ど常駐、別の一組も娘に留守番を任せて大半はスワンナム半島に留まっていた。
ただし、それだけの労力を費やしてもスワンナム地方に潜んでいる魔獣使い、カンで操命術士と呼ぶ者達の行方は分からぬままだ。
これはスワンナム地方の大半が大森林で、人の住む地より魔獣の森の方が圧倒的に広いからである。
──ありがとうございます。でも今回の調査で手掛かりを掴み、一気に解決といきたいですわね──
マリィは意気込みも顕わに前方を見つめていた。
謎の船団に魔獣使いか類する者が乗っているのは確実らしい。使役の対象は明らかに魔獣と呼べる大物、ここから真実に迫れる可能性は大いにある。
スワンナム地方にも普通の動物を使う者達、つまり自称魔獣使いはいる。しかし彼らは禁術使いの系統ではなく、せいぜい魔力の多い餌を用いる程度だった。
つまり今までマリィ達が発見した者達は、海猪を従えることなど出来ない。しかも昨日、海を調査している四頭の竜は真実に一歩迫っていた。
──ヴィン殿からの知らせだと、エンナムという国が関わっているのは間違いないだろう。何しろ港のある島は、王都アナムから真っ直ぐ東なのだ──
ヴァーグは昨日遅くに入った知らせを口にする。
スワンナム半島から100km少々、魔獣の海域に入ってすぐの島で嵐竜ヴィンが隠し港を発見した。それも巨大な何かが掘ったらしき洞窟の中である。
エンナム地方の軍船なら最低でも十隻やそこらは着けられる広さ、そして綺麗に整形された岸壁。入り口からの通路にも巨大な爪で削った痕が無数に残り、何者かの手が入っているのは確実だ。
残念ながら船はなく、人や魔獣もいなかった。しかし置いてあった備蓄品、衣類などを見る限りスワンナム地方の人間らしい。
ナンカンとの国境から500km近く離れており、エンナム王国かダイオ島から渡った筈だ。しかし事実上の属国たるダイオ島より、朝貢先のエンナム王国を調べるのが先だろう。
──はい。……そろそろ王都アナムです、姿を消しましょう──
──うむ──
マリィは透明化の魔道具、ヴァーグは種族特有の姿消しを使う。
続いてヴァーグは、アムテリアから授かった腕輪の力で普通の虎くらいの大きさとなった。そして一羽と一頭は、どこかイーディア地方に似た都市へと一直線に降下していく。
目指すは王都アナムの中央、豊かな水を活かした広い堀で囲まれたエンナムの宮殿だ。白い大理石の壁とタマネギのように上が尖った屋根は周囲と同じくイーディア地方風、たとえばアーディヴァ王国の宮殿や大神殿を思わせる。
既にマリィ達はスワンナム地方の主要な都市は空から確認済み、王宮なども概要を把握していた。それに風通しを良くするためか一部の窓が大きく開け放たれ、謁見の間へと忍び込むのは容易だった。
「上首尾、まずは褒めてつかわす」
「ははっ! 恐悦至極!」
運の良いことに国王が玉座に着いている。そして手前に伏しているのは武人達のようだ。
エンナムの王ヴィルマンは人族の中年男性、武人達に匹敵するほど体格が良い。何らかの武術を修めているのだろう、姿勢は良いし袖から覗いている拳も岩のように硬そうだ。
国王の体の大半は金地の緩やかな衣装の中、裾も長いから足先しか出ていない。しかしアコナ本島より南だけあって衣装は薄絹らしく、目を凝らすと手前の男達にも劣らぬ太い腕や力強い肩だと分かる。
「出立から三週間ほど、予定通りだな。しかも向こうに抜けたと聞いたぞ?」
「はい。最後を除いて殆どは晴天、順調そのものでした」
ヴィルマンが水を向けると、最前列の二人のみが顔を上げる。それに対し後ろは直答するほど地位が高くないようで、先ほどと同様に伏せたままだ。
国王の前だからか、武人達は帯刀していない。
スワンナム地方の武器は湾刀と槍が主流だ。現に玉座の左右に並ぶ衛兵達は手にした槍に加え、小振りで鉈のように幅広い曲刀を佩いている。
しかし武器を携帯しているのは衛兵のみ、他は宮殿に相応しい華麗な衣装だが寸鉄一つ帯びていないようだ。どうやらエンナム王国は相当に用心深い国らしい。
もっともマリィやヴァーグは居並ぶ男女に注意を払っていない。双方とも国王と武人達の言葉に耳を澄ませるのみである。
「コンバオ、向こうで何を見た?」
「海を泳ぐ巨大人形を。どうやら憑依術の使い手が領海を守っているようです」
国王の問いは核心へと繋がる一言だった。手前の豹の獣人、広間でも一際大きな男の返答にマリィやヴェーグは素早く視線を交わす。
それにエンナムの者達、褐色の肌を持つ男女も一斉にどよめいた。
「憑依術……魔術師達が……」
「ヤマトの船乗りは、魔術を航海に使っているのか?」
エンナムの廷臣達は憑依術を知っていた。実際に目にしたかは別として、概念程度は充分に把握しているようだ。
その一方で誤解もあった。まさか相手が単なる漁師で、木人『素航狗』が漁業用だとは思わなかったらしい。
魔獣の海域に船を寄せるのは危険だから、ヨナ島の漁師達は木人を向かわせて大物を狙う。そのため西から現れた船団は、まず木人を相手にしたのだろう。
そして漁師達によれば自分達の船を沈めたのは海猪だけ、つまり船同士は接近していない。したがってコンバオ達は、相手が漁船だと気付かなかったようだ。
「ハールヴァ、どう思う?」
ヴィルマンは手前のもう一人、人族の男に顔を向ける。こちらは肌の色こそ濃いが細身で、海の男という雰囲気はない。
「カンでいう狂屍術士かもしれませぬ。少なくとも巨大人形の大きさは、大人の三倍ほどもあったようです……直接は目にしておりませんが」
ハールヴァという男は魔術師らしい。少なくとも国王のヴィルマンと並ぶ魔力を秘めているのは確かだ。
おそらくハールヴァは魔獣使い、カンなら操命術士と呼ばれる存在なのだろう。
「ふむ……まずは往復の成功を喜ぼう。粘って全滅しては対策の立てようもない、無事に情報を持ち帰るのが最高の成果だ。下がってよい……続きは明日聞く、今日は航海の疲れを癒すのだ」
ヴィルマンは国王に相応しい冷静さも持ち合わせているようだ。それに人心掌握にも長けているらしく、続いて侍従が褒美らしき袋を大きな盆に載せて運んでいく。
そこまで見届けたマリィは、ヴァーグに外を示す。まずはここまでで充分、明日コンバオ達が詳細を語るとき再訪すれば良いと判断したらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
それから少し後のアマノシュタット、といってもエンナム王国の王都アナムとは五時間半ほどの時差があるから多くは目覚めて間もない時間帯。お茶の準備をしていたアミィは、通信筒を取り出した。
「シノブ様、マリィです。……タミィ、後を頼みます」
「はい、アミィお姉さま!」
アミィは茶の用意を妹分に任せた。そして彼女はキッチンから居室へと移り、ソファーに腰掛けたシノブに紙片を渡す。
「シノブ、異変でしょうか?」
「いや、吉報だよ。謎の船団はエンナム王国で間違いないらしい」
シャルロットは隣だがリヒトを抱いているから、シノブはマリィからの知らせを読み上げていく。
エンナム王国の王宮への潜入、そこで聞いた事柄。そしてマリィとヴァーグの推測。つまりエンナムの船団が魔獣の海域を越えてアコナに迫り、『素航狗』や漁船を軍事用と勘違いして引き返したことだ。
「すると今は……いえ、他の船団がいるかも……」
父と祖父が叩き込んだ教えは、今でもシャルロットの根幹を成しているようだ。彼女は先ほどまでの慈母の表情から一変し、凛々しくも美しい司令官の顔となる。
「そうだね。コンバオという男が一番乗りらしいが、後続の船団がいるかもしれない。ただ悪天候だから何日か猶予はあるよ……それに魔獣の海域に船が入ったらヴィン達が教えてくれる」
シノブは妻へと笑みを向ける。妻や母の彼女と同じくらい、光り輝く戦乙女の姿も愛しているからだ。
血を流すためではなく、流さないように心を砕く。それは我が子や庇護すべき者への慈しみと同じ、守護者の一面である。シノブはシャルロットと歩む日々で、母性の発露には様々な姿があると理解していた。
「今日はアマノ王国の軍艦を送り込みますから、通信網も整います!」
「エルフの皆さんも張り切っています! 選抜は大変でした!」
朝に相応しくと思ったのか、アミィとタミィは明るい声を張り上げる。
アマノスハーフェンにはエウレア地方とアスレア地方の双方からエルフが集まった。そして彼らは蒸気船と共にアコナに渡る時を今や遅しと待っている。
エウレア地方はデルフィナ共和国出身のメリーナやファリオス、そして家族や縁者などメリエンヌ学園の研究所で働く者達。更に研究所からは、留学中のヤマト王国のエルフも加わった。
アスレア地方からも多数が名乗りを上げ、その中にはアゼルフ共和国のクロンドラやルヴィニアなど長や長老もいる。憑依術は精神や魔力の強さが重要だから、必ずしも若くなくて良いのだ。
このように西のエルフ達は、東の同胞の支援に総力を挙げた。そのため選抜者も巨大木人の操縦者や製造技師、それに魔力無線や対人用魔道具の技師など様々だ。
「シノブはどうするのです?」
「まずは明後日の誕生記念式典、それからファーヴの誕生日だ。どちらも今更すっぽかせない……それに単なる国と国の戦いなら、ここまでだと思う」
シャルロットに対し、シノブは出来るだけ隠し事をしたくない。
リヒトを宿している間は衝撃的な事柄を耳に入れまいとしたし、あまりに残酷な出来事なら今も和らげる。しかしアコナへの対応については伏せる必要を感じず、シノブは率直に思いを打ち明ける。
マリィの記した通りなら、魔獣使いの関与は殆ど確実らしい。しかし肝心の魔獣は見つかっておらず、そこを確かめてからでも遅くはないだろう。エンナムの船団が自国に引き上げた今、調べる時間は充分にあるからだ。
命を捻じ曲げたり輪廻の定めに背いたりする者がいるなら、自分が対処すべき。しかし何から何まで手を出して本当の幸せはないと、シノブは考える。
「信じて待つよ。皆、頑張っているんだから」
「父上やお爺様も、それが領主や司令官に必要な資質だと、何度も仰っていました。もっとも貴方と出会ったころの私は、本当の意味を理解できていませんでしたが……」
シノブに微笑みを返したシャルロットだが、己の過去を振り返って気恥ずかしくも思ったらしい。彼女は抜けるように白い面を赤く染める。
「俺も同じだよ。今も分かった振りをしているだけ……何年後かの俺達なら、そう笑うかもしれない。でも、それで良いのさ。
……俺は明後日でようやく二十歳、君は昨年末に十九歳になったばかり。リヒトが生まれてからだって、日々新しい発見だらけだよ。ねえ、リヒト?」
シノブは隣に手を伸ばし、愛息リヒトの頬を撫でた。
自身の子を妻と育てる。とても幸せで楽しく、そして口にした通り気付きに満ちた日々である。親となって初めて感じること、それは確かに自分達を成長させているとシノブは感じていた。
「と~! ま~!」
どうやらリヒトはシノブとシャルロットを呼んでいるらしい。しかしシノブは、ほろ苦い笑みと共に頭を掻いてしまう。
『と』は『とうさま』からで、リヒトほど早くはないが他の子も口にする。しかし『ま』はシノブが思わず口にした『ママ』から、つまり本来エウレア地方に存在しない言葉であった。
口にしたのは数回だが、魔力波動に感情を乗せて送るとリヒトには『ママ』と聞こえるらしい。
日本で母を示す幼児語は『ママ』が一般的、もちろんシノブも幼いころは使った。そのため思いをそのまま伝えると『かあさま』にならないのだろう。
「シノブ様! リヒトは賢いから、そのうち別の呼び方も覚えますよ!」
「それに可愛いです!」
「このままでも私は構いませんが……シノブも、こう呼んだのですから」
アミィとタミィの言葉には頷いたシノブだが、妻の一言に思わず顔を赤くしてしまう。
今のシノブは金髪碧眼でシャルロットやリヒトも同じだから、リヒトを見て自分の幼いころを思い浮かべたことは殆どない。しかしシャルロットは、夫が生まれた直後を我が子に重ねているようだ。
かつてない恥ずかしさと同時に、シノブは深い感慨も覚えていた。
最愛の女性が我が子に自分の過去を見た。それは自分が次代に命を繋いだ証ではないだろうか。そのため思わず笑みを浮かべてしまうくらい、シノブの心に響いたのだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年2月14日(水)17時の更新となります。




