05.11 冷徹なる次官 後編
シノブとイヴァールは、領政庁のシメオンの執務室で部屋の主と語り合っていた。
シメオンからは領内について学んだ後、時間が余れば雑談を楽しむことが多かった。シノブにとっては、シメオンとイヴァールは、こちらでの数少ない男友達でもある。彼は、この時間を結構楽しみにしていた。
「ところで俺の将来はともかくとして、シメオンはどうするんだ? このまま内務長官になるの?」
シノブは、シメオンにからかわれた仕返しというわけではないが、彼の将来について聞いてみた。
「まだ父も元気ですしね。祖父も健在ですし、当分は内政官を続けるつもりです」
シメオンの父、ビューレル子爵は40代半ばである。彼はベルレアン伯爵コルネーユ・ド・セリュジエの従兄弟にあたり、伯爵領内の都市セヴランの代官を務めている。
シメオンの話によると、先代子爵は60代半ばで、息子の政務を補佐しているらしい。先代伯爵もそうだが、この国の貴族達は、60歳から70歳くらいで継嗣に爵位を譲るという。
「それは良かった。シメオンが近くにいると心強いよ」
シノブは、シメオンが当面は領都セリュジエールにいてくれそうだと安心した。
「貴方のおかげで継嗣問題にも片がつきましたしね。もちろん、シャルロット様とカトリーヌ様の御子のどちらが継ぐかという問題はありますが、もう子爵家の出る幕はありませんし」
長年、継嗣問題に頭を悩ませてきたシメオンは、安堵した様子である。あまり感情を表さない彼も、シノブとイヴァールしかいないせいか、明らかにホッとした表情をしていた。
「なら、シメオン殿も結婚相手を探さんといかんな!」
そんなシメオンを見て、イヴァールは結婚相手を見つけろと大声で言った。
「イヴァール殿も独身でしょうに……でも、シャルロット様の婚約が発表されれば、私も相手を探すことになるでしょう。子爵家を次代に繋げる必要がありますから」
シメオンは若干不服そうな口調でイヴァールも未婚だと指摘したが、シャルロットの婚約が発表されたら結婚相手を探すと答えた。
「シメオン……」
シノブは、シメオンが本当はシャルロットのことを好きだったのではないかと思った。
彼は、シャルロットが意に沿わない相手と結婚するのを嫌っていた。本当なら彼自身がシャルロットを幸せにしたかったのかもしれない。
しかし彼自身の武技が、彼女の理想とする先代伯爵に遠く及ばないがゆえに、その身を引いたのではないか。シノブはそう思ったが、口には出せなかった。
「どうしたのですか、シノブ殿? 私だって結婚相手くらい探せば見つかりますよ。
貴方のように劇的な恋愛はできないかもしれませんがね」
シノブの困惑したような表情を見て、シメオンはその顔に笑みを浮かべた。
そして、冗談めいた口調で言葉を返す。
「そんなことじゃなくて……今までだってシャルロットを陰から支えていたんだろ? だから……」
シノブは、シメオンが無愛想な態度で人と接していたのは、敢えて人を近づけないための方策ではないかと思った。
シメオンは、最初はマクシムをシャルロットにと考えていたらしい。
だが、シャルロットに勝てないマクシムが徐々に歪んでいくのを見て、態度を変えたようだ。近年の彼はことあるごとにマクシムを非難していたという。
それらの行動は、自分の評価を高めずにマクシムを牽制するシメオンの苦肉の策ではないかと、シノブは考えたのだ。
シノブは、己の内心を隠し続けてきたであろうシメオンの心中を思い、絶句した。
「我々には伯爵家を支えていく義務があります。普段は伯爵家から様々な恩恵を受けているのですからね。
そして、人には能力に応じて演ずべき役割があるのです。それを忘れて道を踏み外した男もいましたが」
言葉を失ったシノブに、シメオンは以前も口にした自説を淡々と述べる。そして、道を誤った自身の又従兄弟について仄めかした。
「……そのために自分の感情を押し殺して生きていくのか? そんな生き方で辛くはないのか?」
シノブは、伯爵家に殉ずるというシメオンの覚悟に、圧倒されたような気がした。
彼も、シャルロットを支えて生きると誓ったときから、領民や家臣を抱えることの意味は漠然と考えていた。だが、実際にその立場で二十数年間を生きてきたシメオンの姿から、彼の想像以上の重みを感じたのだ。
シノブは、聞く必要の無いことを問うた気がしていたが、それでも己の口から出る言葉を止めることができなかった。
「貴方が光なら私は影。それでいいのですよ。
それに、貴方だってシャルロット様を支えるため、伯爵家という面倒な場所に足を踏み入れたのでしょう?
最初から檻の中にいる私と違って、自分から束縛される立場を選んだ貴方のほうが、大変な決断をしたと思いますが」
シメオンは、達観したような透明な笑顔をシノブに見せた。
シノブはその笑顔を見て、彼が先達としての心得を説いているように感じた。
「どちらにしても完全に自由に振舞える人間など、どこにもいません。なまじ身分があればあるほどね。
イヴァール殿だって、大族長の息子という立場ゆえに不自由な思いをしたことがあるでしょう?」
シメオンは一瞬見せた笑顔を引っ込めると、皮肉げな表情を作ってイヴァールへと顔を向ける。
どうも、結婚の話題を振られた仕返しのつもりらしい。
「俺に回ってくるとはな……まあ、重荷であったことは事実だな」
イヴァールは表情も変えずに低い声で答えた。
彼はあまり多くは語らないが、セランネ村での姿を見て、大族長の息子として苦労したらしいとシノブも察していた。
「結局のところ、幸せとは己に相応しい居場所を見つけることなのでは?
そういう意味では、シノブ殿のおかげで私はとても幸せですよ」
シメオンは再びシノブに顔を向け微笑んだ。
「そうか……それじゃ、シメオンがもっと幸せになれるように頑張らないとな」
シノブも、笑顔を作ってシメオンに言葉を返す。
今まで自分を押し殺してきたシメオンに同情するよりは、これから彼が自然に生きることができるように心を砕くべきだとシノブは悟った。それが、伯爵家の一員となる自分の使命なのだろうと思ったのだ。
「ありがとうございます。そのためには片付けるべき課題もありますが」
シノブの思いが伝わったのか、シメオンは頭を下げ礼を言った。
だが、顔を上げた彼は少し眉を顰め、課題が残っていると口にする。
「課題とはなんだ?」
シメオンの言葉に、イヴァールが不審そうな顔をした。
「そういえばイヴァール殿はまだご存知ではありませんでしたね。貴方が来る一月以上前に、シャルロット様の命が狙われたのです」
シメオンは、マクシムが関与していたシャルロット暗殺未遂事件について、イヴァールに説明した。
「ふむ。それがさっき言っていた『道を踏み外した男』か。それで、その後はどうなっているのだ?」
一族の、それも女性を手にかけようとしたマクシムの所業に、イヴァールは憤りを隠せないようだ。彼は唸るような低い声で、事件後の経緯をシメオンに問い質す。
「先代様が王都で調べていらっしゃいますが、正直なところ行き詰っているようです」
シメオンは、先代伯爵アンリ・ド・セリュジエが調査しているとイヴァールに伝えた。
マクシムの自白によれば、彼は王都で作った借金を盾に謎の人物から暗殺への関与を迫られたという。しかし黒幕の足取りはいまだ不明で、現時点では実在すら定かではなかった。
「なんだ。手がかりはないのか?」
イヴァールは憤然とした様子を隠さずシメオンへとさらに問いかける。
「マクシムに金を貸した商人達を辿ったら、全てフライユ伯爵領の人間に行き着いたことぐらいですね。しかし、あそこは近年、魔道具製造業で潤っています。余った金を王都で運用するのは当然かもしれません」
シメオンが言うには、マクシムに金を貸した商人はフライユ伯爵領の人間か、その出資を受けた者らしい。だが、彼の言うとおり、魔道具製造業で景気の良い商人達が王都で金貸しをしているだけかもしれない。
シノブには、フライユ伯爵やその領地の人間を疑うべきかどうか判断がつかなかった。
「じゃあ、フライユ伯爵は関係していないのかな。シメオンはどう思ってるの?」
判断に迷ったシノブは、シメオンの見解を聞いてみる。
「これだけでは何ともいえませんが、可能性はあります。
ミュリエル様を当主にしたかったのかもしれません。それに、私は以前からフライユ伯爵領の魔道具製造業が急激に成長してきたことを、不思議に思っていたのですよ」
シメオンは、シノブ達に意外なことを言う。
「どういうこと?」
魔道具製造業の隆盛と暗殺にどんな関係があるのだろうか。不思議に思ったシノブは重ねてシメオンの意見を聞いてみる。
「フライユ伯爵がベーリンゲン帝国から得た魔道具技術で自領の産業を発展させた。一見、納得がいく説明ですが、不審な点があります。
確かに、フライユ伯爵領は我が国の中では昔から魔道具製造が盛んな地域です。帝国との長きに渡る戦いで、彼らの技術が流入しているのは事実でしょう」
シメオンが言うとおり、フライユ伯爵領は古くから魔道具製造に長けた土地柄だったらしい。
「なら、おかしなことはないだろう」
イヴァールは、彼の意図がわからないらしく首を捻っていた。
「ですが、フライユ伯爵領と他地域の魔道具製造技術には、今までさほどの差はありませんでした。せいぜい、一部の魔道具が他領より性能が良いといった程度ですね。
一方、帝国とは何百年も前から衝突しています。そして帝国は昔から高度な製造技術を持っていました。今ほどではないですがね。
今までも帝国の技術流出はあったでしょう。では、何故この10年ほどで急激に技術が向上するのでしょうか?」
シメオンは、フライユ伯爵が急に魔道具製造業を発展させたことが疑わしいという。
「それは、フライユ伯爵やその部下が優れていたからでは?」
言われてみればシノブも不思議な気がしたが、ベルレアン伯爵第二夫人ブリジットの実家でもあるフライユ伯爵家を疑いたくなかったので、シメオンに反論してみる。
「その可能性もあります。ですが、断片的な技術を手に入れても、ここまで早く潤うものなのか。
私は、フライユ伯爵領の成功の陰には何かあると思っています」
シノブの反論にもシメオンは動ずることなく自身の意見を繰り返す。
「ブリジット様達を疑っているのか!?」
ブリジットやミュリエルが疑われているのかと思ったシノブは、自然と声を荒げていた。
「いえ。ブリジット様が輿入れされたのは、フライユ伯爵領の魔道具製造業が急発展する前のことです。それに、婚姻は先代フライユ伯爵が是非にと進めたものでした。
魔道具製造業は当代のフライユ伯爵クレメン・ド・シェロン殿の力で発展させたものですし、嫁がれた後にブリジット様は実家と遣り取りをしていないと聞いています。
あの方は賢明ですからね。第二夫人として輿入れした以上、実家と関わりを持つのは望ましくないと悟っているのでしょう。ですからフライユ伯爵家の思惑がどうあれ、ブリジット様は関与していないと思います」
シメオンは平静な口調で、ブリジットが嫁いだ経緯などをシノブに説明する。
「それじゃ、フライユ伯爵が黒幕なのか?」
彼の声に、シノブも落ち着きを取り戻した。
シノブはフライユ伯爵が単独で動いているのかと思った。ブリジットには悪いが、それならまだミュリエルも悲しまないだろうとシノブは考える。
「それはわかりません。魔道具製造業の発展とマクシムの事件には、何の関係もないのかもしれません。
フライユ伯爵領に黒幕がいたとして、自領の商人達ばかりから貸し付けるのか、という疑問もあります。
それにフライユ伯爵の近辺に黒幕が潜んでいたとしても、伯爵自体は踊らされているだけかもしれません」
性急に結論を急ぐシノブに、シメオンは幾つかの可能性や疑問点を並べてみせる。
「なるほどな。その伯爵は単なる隠れ蓑かもしれない。そう言いたいのだな」
イヴァールは、顎の髭に手をやりながら思案げな様子でシメオンに問うた。
「まだ、フライユ伯爵が関与していると決まったものでもありませんよ。
シノブ殿。貴方は、セレスティーヌ様の成人式典に出席することになるでしょう。
私は貴方の王都行きに期待しているのですよ」
シメオンは、一段と引き締めた表情でシノブの顔を見る。
「俺の?」
シメオンの意図がわからず、シノブは思わず彼の顔を見つめた。
「ええ。貴方とアミィ殿なら、先代様が調べきれないことでも何かわかるのでは、と思っています。
時間が経てば経つほど真相は闇の中に沈んでしまうでしょう。今度の王都行きが、黒幕を調べる最後の機会かもしれません」
シメオンはシノブとアミィの魔術に期待しているようだ。
彼の言うとおり、幻影魔術を使って姿を消せるアミィや、常人の想像もつかない魔術を駆使するシノブであれば、何らかの手がかりを掴めるかもしれない。
「確かにそうだね」
最後の機会というシメオンの言葉に、シノブは深く頷いた。既に事件から二ヶ月以上が経過している。これ以上時間をおけば、調査を継続しても新たな情報を得るのは難しいだろう。
「私も同行する予定です。黒幕の調査にはぜひ加えてください。
私だって、我が親族を踊らせた相手に復讐する機会を逃したくはありませんからね」
シメオンは、今まで見せたことのない冷たい笑いをその顔に浮かべた。
「ふむ。シメオン殿が言うと凄みがあるな」
肝の太いイヴァールも、シメオンの氷のような微笑には感ずるところがあったようだ。思わず唸り声を上げていた。
「当然でしょう。伯爵家のため、シャルロット様のため、我が親族の無念を晴らすため。貴族とはそういうものです。
シノブ殿とシャルロット様の結婚に一点の曇りも無いよう、始末をつけてみせますよ」
シメオンの冷たさの中に激しさを秘めた言葉に、シノブも思わず深く頷いた。
彼がこの世界に来て最初に関わった事件はまだ終わっていない。処刑されたマクシムやその部下、シノブが倒した傭兵達の為にも、後ろに潜んでいる者を引きずり出す。
シノブは、新たな決意をその心のうちで静かに誓った。
お読みいただき、ありがとうございます。




