25.09 アコナの女王
アコナ列島は地球の沖縄列島に相当する場所で、筑紫の島の南に連なる弧状の島々だ。住んでいるのはヤマト王国の伊予の島にもいる褐色エルフ、そのためか統治者が女王という点も共通していた。
ただしアコナ列島の面積は伊予の島の十分の一にも満たず、暮らしは随分と異なる。アコナのエルフは森だけではなく、海も活用しているのだ。
今までシノブ達が知るエルフと違い、アコナの人々は船を自在に操った。日々の糧を漁で得て、島々を船で渡って交流し、常夏のアコナ列島を慈しみ愛でつつ共に歩んでいる。
アコナ列島の人口は三万人少々、他の地方まで赴く者も皆無に近い。
そのためヤマト王国では知る者すら少ないが、大陸を目指す者にとっては極めて重要な地であった。ごく少数だが呂尊のような交易商が、アコナ列島を経由して台湾に相当するダイオ島へと渡るのだ。
ダイオ島はスワンナム地方の一部で、その西は大陸のエンナム王国だ。このエンナム王国は領海の通行を制限しているが交易には熱心で、ダイオ島にはスワンナム地方だけではなくカンの品も入ってくる。
「昔から商人達は、一攫千金を夢見て南の海に乗り出したそうです。もちろん航海を得意とする、ほんの一部だけですが」
アコナの概要を語ったのは、ヤマト王国の王太子である大和健琉だ。場所は魔法の家のリビングである。
今シノブ達はアコナ本島への転移、つまりクマソ王子の刃矢人の呼び寄せを待っている。
ハヤトの知らせを受けたシノブは、間を置かずにタケルや伊予の島の女王ヒミコこと美魔豊花に伝えた。幸い二人も都合がつき、シノブの夕方は遥か東への訪問となった。
シノブ達はアマノシュタットからヤマト王国の都、更に伊予の島のユノモリへと転移し、タケルやトヨハナと合流した。したがってリビングの中は常と異なり、大勢の人々で埋まっている。
まず王子リヒトを除くアマノ王家の四人とアミィ、それに護衛の騎士達だ。タケルも同様で自身の四人の婚約者を連れているし、トヨハナも昨年末に結婚した名彦を伴っている。
これはハヤトの文に夫婦同伴が望ましいとあったからだ。どうもアコナでは、独身だと縁談が持ちかけられるらしい。
家臣への申し込みなら主の一存で断れるが、当主は相応の理由がないと失礼に当たるという。他種族に嫁ぎたい者がいるか疑問だが、騒動の種は出来るだけ避けるべきだろう。
「妾も聞いたことがあるのじゃ。先日も話したが、伊予の島にもアコナから流れ着いた者がおっての。随分と昔じゃが……」
「およそ四百八十年前、四代前のヒミコ様の治世です」
トヨハナの言葉を、隣に腰掛けたナヒコが補足する。
エルフの成長速度は十歳まで他種族と変わらないが、そこから大幅に緩やかになり四年で一歳分となる。そして三十歳で成人、平均的な者でも二百五十年ほどを生きる。
そのため女王の在位も長く、一代が百年から百五十年ほどだ。トヨハナやナヒコも三十前後といった若々しさだが、実際には百歳を少々超えている。
「筑紫の島の一件のような魔苦異大蛇を操る術も大陸由来、つまりアコナを渡ってきたのでしょう。おそらくシノブ様が教えてくださった、カンの操命術士でしょうが……」
王太子となる前の事件を想起したらしく、タケルは苦い顔をしていた。
通常10mほどの魔獣を数倍に育て上げ、自在に操る術士が大挙して入国したら。あれは代官一族が協力した特殊な例だが、再び同じようなことを目論む者が現れるかもしれない。
それらを考えれば、タケル達がアコナ列島や大陸を知ろうと決めたのも当然だろう。
「スワンナム地方は密林だらけ、ああいう術は重宝しそうだね」
「マリィも無魔大蛇……こちらで言う魔苦異大蛇が多いと言っていました。もちろん大きさは並程度ですが」
シノブが肩を竦めると、アミィが複雑な表情で応じる。
無魔大蛇は、自身の魔力を抑えて潜み隠れる。そのため眷属であっても、運が悪いと不意打ちを食らうそうだ。
もちろん眷属の敵ではないが、いちいち相手するのは面倒だろう。調査を手伝う光翔虎達であれば餌とするかもしれないが、マリィにとっては厄介事でしかない。
「アコナにもいるかな?」
「我が槍が通じるか……楽しみじゃの」
シノブ達の後ろで囁きを交わしたのは、ウピンデ国出身のエマとカンビーニ王国の公女マリエッタである。それにマリエッタの三人の学友も興味津々といった表情だ。
この五人はアフレア大陸で無魔大蛇の群れと戦ったが、それらは並の大きさだった。そのため五倍以上もの大物の鱗を貫けるか、実地で試してみたいのだろう。
「今回は会見のみですよ」
「あれは禁術使いの育てた……準備が整ったようだ」
シャルロットと同じく後ろを振り返ったシノブだが、雑談を中止して胸元で震える通信筒を取り出す。
予想通り紙片にはハヤトの名が記されていた。魔法の家を呼び寄せて良いかという問い合わせだ。
「それでは常夏の島に行こう」
シノブは用意していた文を通信筒に入れ、筑紫の島の跡取りたる熊の獣人の若者を思い浮かべる。すると二呼吸ほどの後、魔法の家はユノモリの白鷺宮から消え去った。
◆ ◆ ◆ ◆
北緯26度という低緯度だけあり、アコナ本島は夜にも関わらず暖かい。海からの湿った空気は、先ほどまでのユノモリと比べても10℃近く上だろう。
それに満天の星が迎えてくれたから、シノブ達の顔は自然と綻ぶ。
「二十二時を回っている筈ですが……」
「はい。でも気温は15℃近いです」
ミュリエルの呟きに、アミィが小声で応じる。二人は出迎えの人々に遠慮して声を潜めたようだ。
魔法の家の前には、大勢のエルフ達が並んでいた。彼らが持つ灯りの魔道具で真昼のような明るさだから、周囲も容易に把握できる。
広い庭を囲むのは堅固な岩の城壁、門の上には東洋風の瓦屋根。そして集う人々の衣装は古代の日本や中国の官服を思わせる。
アコナの都シュイの奥殿はヤマト王国とカンの双方に似ているが、どちらとも違う場所だった。
進み出たシノブは、自身が知る者達を探す。
ハヤトは正面だから既に目に入っている。残る面々、ルゾンや共に航海したタケルの家臣達は奥に並んでいた。船旅で日焼けした以外、先日シノブが目にしたままの姿である。
そして無事を確かめたシノブは、喜びと共に代表者たるハヤトへと向かう。
「ご足労いただき申し訳ありません。しかも夜遅くに……」
「伝えた通り午後は休暇だから大丈夫だよ。それで、こちらが?」
大きな体を縮めるようにして出迎えたハヤトに、シノブは微笑みで応じる。今のアマノシュタットは夕方の早い時間だから、シノブ達に深夜という意識はないのだ。
とはいえタケルやトヨハナ達の住む場所だと、アコナ本島よりも僅かだが遅い時間だ。そこで手早く用件を済ませるべく、シノブはハヤトの隣に顔を向けた。
「如何にも妾がアコナ女王の有喜耶子じゃ! シノブ殿、突然の招きに応じてくださったこと、本当に感謝しておるのじゃ!」
ウキヤコと名乗った少女はペコリとシノブに頭を下げる。
外見からするとアコナの女王は十歳未満、それも二つか三つは下回るようだ。背丈はアマノシュタットに残したタミィ、アミィの妹分と同じくらいである。
とはいえ名乗った通り女王に相応しい装いで、艶やかな黒髪の上には見事な金細工の額冠もある。それに暖色系統の衣装には金銀の刺繍も施されているし、用いた薄絹も最上級らしく頭上の星々にも負けないほどだ。
「タケルは私の友人ですから」
シノブは堅苦しい物言いを避けることにした。どうもアコナでは形式張った儀礼は不要らしいと感じたからだ。
ウキヤコの女王らしからぬ仕草も、周囲の家臣達が咎めることはなかった。それに今も彼らは穏やかな笑みを浮かべている。
国家規模が小さいからか、それとも暖かな地が生み出した文化なのか。何れにしてもアコナという場所は、肩肘張らずに過ごせる土地らしい。
「こちらが妻と婚約者達です。隣が妻のシャルロットで……」
それはともかくシノブはシャルロット達を紹介していく。ウキヤコは幼いが他から申し込まれるかもしれないと、妻達という部分は特に強調したシノブである。
今回は素性を隠す必要はないからシノブ達の姿は普段のまま、つまり女性陣はエウレア地方のドレスだ。そのためアコナの女性は、シャルロット達の衣装を熱心に見つめている。
シャルロットは彼女の好みの華やかな青、ミュリエルも同じく好きな薄緑のドレスだ。そして薄桃のセレスティーヌの衣装も含めて袖は肘近くまで、首周りも広く空けた涼しげな品である。
これらはアコナどころかカンやスワンナム地方でも目にしない衣装だから、注目の的となるのも無理からぬことだ。
「ヤマト王国の王太子、タケルです。彼女は……」
タケルも自身と合わせて四人の婚約者を挙げていく。
こちらは狐の獣人の立花とエルフの桃花が巫女姿だ。長い袖や裾は暑そうだが、夏用の薄衣だからさほどでもないという。それは武者姫の刃矢女や鍛冶姫の夜刀美も同じで、簡素な衣装は夜風にそよいでいる。
ここまではニコニコと聞き入るだけのウキヤコだったが、次は少々様子が違った。
「妾は伊予の島の女王ヒミコ、ミマ・トヨハナじゃ。同じエルフとして……」
「トヨハナ殿! お会いしたかったのじゃ!」
トヨハナの威厳に満ちた名乗りは、跳びついたウキヤコによって遮られた。
良く似た褐色の肌だから、歳の離れた姉妹のようではある。しかし仮にも女王同士がこれで良いのかと、シノブは疑問を抱く。
もっともアコナのエルフ達、重臣らしき一同は微笑むのみだ。
「その……ウキヤコ殿は両親を亡くされて……」
「なるほど……」
「それでは甘えるのも……」
ハヤトの囁きに、シノブとシャルロットは眉を顰める。
伊予の島のヒミコと同様に、アコナの女王も世襲ではなく特別に強い力を備えた巫女が継ぐという。そのためシノブは幼いウキヤコを見ても、親達は健在だろうと誤解した。
しかしウキヤコは少し前に父母を亡くしており、まだ心の傷が癒えていないらしい。しかも女王としての祭祀も学んでいる最中で、これ以上の負担をと周囲も気遣っているそうだ。
もっともハヤトの文には詳しい背景まで記されていなかったし、そもそもウキヤコが何歳かも教わっていなかった。そのため別の誤解をした者も現れる。
「済まぬ……ウキヤコ殿。もしや成長を止める秘薬を……」
トヨハナは自身も服用した秘薬を思い浮かべたらしい。
あの仙桃から作った薬を飲んでいたころのトヨハナは、確かに今のウキヤコと大して変わらぬ外見だった。そしてトヨハナは秘薬により他者と違う時間を生きるのを嫌ったから、失礼とは思いつつも訊ねずにいられなかったのだろう。
トヨハナの隣ではナヒコも憂いを滲ませ、タケルの後ろからモモハナも注視している。二人も昨年までの苦しみを思い出したようだ。
「成長……なんのことじゃ? 妾も早くトヨハナ殿のように女王らしくなりたいのじゃ! それで、こちらの殿方のように良い男を迎えて……そうじゃ、お名前を伺っていなかったの!」
「これは失礼しました。私はナヒコ、ご推察の通りトヨハナの夫です」
見上げるウキヤコの澄んだ瞳に、ナヒコは心配無用と理解したのだろう。彼は小さな女王に視線を合わせるように、腰を屈めて自己紹介をした。
◆ ◆ ◆ ◆
挨拶の後、シノブ達は奥殿の大広間に通された。
板張りの広間には、人数分の円座が置かれている。ちなみに男性は胡坐で女性は正座だが、シャルロット達は横座りにさせてもらった。
広間には数えきれないほどの灯りの魔道具があり、まるで真昼のように明るい。それに今は使っていないが冷房の魔道具もあるという。流石は大魔力を持つエルフ、他より遥かに快適な暮らしを実現しているのだ。
もっともエルフの優れた魔道具技術でも解決できない問題はあった。それは西の大陸からと思われる侵入者である。
「どうも、私達がルゾン島に渡ったのが発端らしいのです」
交易商人のルゾンは、肩身が狭そうな様子で語っていく。
今まで大陸の船がアコナ列島に現れたことはなかった。これはアコナ列島が魔獣の海域に囲まれ、簡単には到達できないからだ。
ルゾンを始めとするヤマト王国の船乗り達が越えるのは、航路を充分に知り尽くしているから。そして彼らは航路を秘匿し、商売敵になりかねない大陸の者に伝えなかった。
何しろヤマト王国人であるルゾンですら、単なる水手として潜り込み牛馬のように鞭打たれる苦難を経て知った秘密だ。しかもルゾンが国内に広めたいと思っても、同業者の報復を恐れて出来ないままというほどである。
ただし大陸側も、ヤマト王国の商人がダイオ島に現れるだけなら文句はなかったらしい。
ダイオ島からすればルゾン達は良い商売相手、それにヤマト王国の品々はエンナム王国に高く売れる。エンナム王国からしてもダイオ島を通すのみなら、自分達が更に利を乗せて売れば良いだけだ。
「しかし我々が直接ルゾン島に行くなら、ダイオ島やエンナム王国の儲けは激減します。今まではアコナ列島からダイオ島、そしてエンナム王国を経てルゾン島という経路のみでしたから……」
ルゾンの言葉通りダイオ島やエンナム王国近辺は魔獣の海域が多く、大きく迂回するしかない。
ダイオ島とエンナム王国の間に障害はないが、少し南には大陸まで迫る魔獣の海域がある。そのためダイオ島からルゾン島に行くには、一旦エンナム王国に上陸して南側の海岸で改めて船に乗るしかなかった。
随分と不便だが、エンナム王国からすれば交易路を牛耳れるから好都合だ。一方のダイオ島は独立こそしているがエンナム王国に比べると二十分の一ほどの国土で、事実上の属国に甘んじている。
そのためダイオ島も含め、エンナム王国経由の交易を変えようとはしなかった。
「アコナ列島から直接ルゾン島に渡れるのは、彼らの思惑に反します。そこでエンナム王国が航路潰しに動いたとか」
「そうなのじゃ。実は西からの船に襲われたという漁師がの……。それでハヤト殿やルゾン殿に渡航を控えてもらったのじゃ」
苦々しげなハヤトの後を、ウキヤコが申し訳なさそうに引き取る。
もっともアコナのエルフ達が留めなくとも、ルゾンは渡航を断念したに違いない。ダイオ島に渡っても交易に応じないだろうし、捕らえられる危険すらあるからだ。
武人のハヤトは一戦くらいと思ったのだろう、正体を確かめられないかと提案したそうだ。しかしルゾンの船には幾つかの弩があるのみだ。
シノブが視線を向けると、ルゾンは微かに首を振る。やはり彼の船では、とても本物の軍船には対抗できないのだろう。
「確かアコナ列島の西端とダイオ島の間の魔獣の海域は、100km近いとか?」
シノブは核心へと踏み込む。
ダイオ島との間にある魔獣の海域は、そう簡単に越えられるものではない。それに海や船の問題だけなら、シノブ達を呼ぶことにはならなかった筈だ。
「はい。細いところでも70kmや80kmはあるでしょう……例の航路でも20kmほどは危険を承知で突っ切ります。しかしダイオやエンナムの船団が現れたのは、航路のある南とは反対から出たそうで……」
「西からの侵入者達は、ヨナ島の北から現れました」
言い淀んだルゾンに代わり、ウキヤコの隣の女性が話を続ける。彼女は女王の後見人、舞津葉という老齢のエルフだ。
アコナのエルフ達は他の地方に渡らないが、それでもヤマト王国の船乗り達が向かう先は知っていた。ここは彼らの海だから当然である。
ちなみにアコナだと漁や狩猟は男性の仕事で、マイツハは侵入者達を見ていない。そこで彼女は、ヨナ島から漁師の長を招いていた。
「ヨナ島の真利化音と申します」
漁師にしては細身の老エルフは、マイツハと同じくらいの歳だろう。真っ赤に焼けた肌には深い皺が幾つも刻まれている。
「あまり強そうじゃないね」
「海の男にしてはのう……」
シノブの後ろで、エマとマリエッタが訝しげに囁く。もっとも他にも同じことを考えた者は多かったようで、ざわめきの中に二人の言葉は紛れていた。
──魔力は多いな──
──魔術で漁をするのでしょうか──
──ありそうですね──
シノブの思念に、シャルロットとアミィが同じく声を使わずに応じる。
マリカネという老人の魔力は、ここにいるエルフ達の中でも平均以上であった。平均といっても奥殿に入れる者達だから相当に上位、それに並ぶ者なら何らかの魔術を使う方が自然だろう。
「一週間ほど前のことです。私達はヨナ島の北西、魔獣の海域の側まで行きました。ご存知かと思いますが、魔獣の海域に寄るほど大物が獲れるのです」
魔獣と魔獣以外の区別は曖昧だ。並外れて大きく、人間にとって危険な生き物を魔獣と呼んでいるだけの場合も多い。
つまり大きな獲物を狙うなら、マリカネが語った通り魔獣の海域の側が一番なのだ。
「もっとも危険ですから、生身では寄りません。私達には水陸両用の木人、『素航狗』がありますので」
「『素航狗』をお見せするのじゃ!」
マリカネが一息入れると、ウキヤコが声を張り上げる。どうも事前に段取りをしていたようで、待つほどもなく庭に木人が登場した。
◆ ◆ ◆ ◆
「頭がありません……」
「あの爪で魚を獲るのでしょうか?」
ミュリエルとセレスティーヌは、縁側まで進み出たまま固まっている。
アマノ王国にも木人や鋼人はあるが、人間に近い形状ばかりだ。それに対し『素航狗』は、異形と表現したくなる姿をしていた。
背丈が大人の三倍くらいの木人に、首らしきものは見当たらない。水中の抵抗を減らすためか頭は胴体と一体化している。肩の上には少しばかりの盛り上がりがある程度だから、ミュリエルには頭をもがれたように映ったようだ。
手は銛代わりだろう、長く伸びた鉄製の爪が生えているだけだ。腕や脚は一見すると普通だが、蛇腹のような独特の構造で少々不気味でもある。
色は薄青だから海中に紛れるには良さそうだ。それに木人や鋼人に呼吸は不要だから、深みから迫るなど色々できそうである。
──これも例の美留花さんかな?──
──はい……たぶん、そうだと──
──ミリィの先輩という眷属ですか──
シノブが問うと、アミィは恥ずかしげに応じる。そしてシャルロットは、どこか微笑んでいるような思念を発した。
伊予の島のエルフが造った巨大木人は、創世期のミルハナの教えを元にしているという。
これらは全て『狗』の文字が入っているし、『若狗』という木人は同様の単眼だった。したがってアコナの木人にもミルハナが関わっていると思って良いだろう。
ただし向こうの方が随分と大きく、最も小型の『若狗』でも大人の八倍ほどはあった。この『素航狗』は漁業用で向こうは軍用だから単純に比較できないが、技術の差が大きいのかもしれない。
「ふむ。改良の余地が多いようじゃな……妾達の技を用いれば、三倍は強くなるじゃろう」
目にしただけで性能を読み取ったらしいトヨハナだが、あまり気に入らなかったようだ。
トヨハナの巨大木人『衛留狗威院』は、神託の巫女のみに許された特別製だ。そのため彼女の基準は、別して厳しくなったのだろう。
もっともトヨハナの率直な評を耳にしても、アコナのエルフ達は怒らない。
「流石トヨハナ殿じゃ! お呼びして良かったのじゃ~!」
「まことに……」
ウキヤコは諸手を挙げて喜び、老年のマイツハやマリカネすら大きく顔を綻ばせている。
今まで魔獣の海域があったから碌な備えをせずに済んだが、越えてくる船が現れた。そのためアコナのエルフ達は、ハヤトから聞いた伊予の島の技に大きな期待を寄せていたのだ。
「……あの木人でも勝てない相手など、そうはいないと思いますが」
「仰せの通りかと。少なくとも三十人力は出せそうですし、あの爪なら木造船くらい軽々と貫くでしょう。海中から攻撃すれば、簡単に沈められるかと」
首を傾げたシノブに、ナヒコが同意する。
ナヒコは伊予の島の将軍だから、トヨハナと同じくらい木人に詳しい。その彼が言うのだから、ヤマト王国の船なら『素航狗』で充分なのだろう。
エウレア地方の軍艦も同様で、磐船のように全体を鋼鉄の装甲で覆っていない限り対抗できない。
つまりエンナム王国やダイオ島の軍艦は鉄甲船なのだろうか。そんなことを考えつつ、シノブはウキヤコ達の答えを待つ。
「肝心のことをお伝えしていなかったのじゃ! マリカネ、説明するのじゃ!」
「はい、ウキヤコ様。……西からの船団は、それぞれの船が何頭もの魔獣を連れていたのです。どうも海猪のようですが、この『素航狗』より大きゅうございました」
女王に促された老漁師は、予想外のことを語り出す。
海猪とはスワンナム地方の海に多い魔獣だが、陸に上がることも出来るそうだ。もっとも生息するのは魔獣の海域のみで、それ以外の場所に出没するのは極めて稀だという。
海に出て百九十年ほどのマリカネですら、つい先日までは片手で数えるほどしか目にしたことはないという。それも魔獣の海域に限界まで寄ったとき、極めて至近での話だ。
「海猪の爪は別して鋭く、これより大きいなら互角以上でしょう。それに潜りも得意ですから、安易に手は出せないかと」
側近の老女マイツハは、大広間の奥に飾ってある少し曲がった槍状のものを示す。彼女によれは、それは何百年も前に献上された海猪の爪だという。
「これが……」
「ミュリエルさんの背ほど……恐ろしい魔獣ですわね」
確かにセレスティーヌが言うように、飾られた爪の長さは絶句した少女の背丈と大して変わらない。そして『素航狗』の爪より、少なくとも二割以上は長かった。
「海中に逃げられたら戦えんのう……」
「マリエッタ様、残念でしたね」
無念そうな公女を、最年長の学友フランチェーラが慰める。
潜りが得意なら、船上から狙うのは難しいだろう。しかしマリエッタ達は憑依の術を使えないから、仮に改良版の木人が完成しても出番はない。
そのためエマも含む五人は、どこか期待外れといった顔をしていた。
「シノブ殿、ここは妾とナヒコに任せてくれんかの?」
巨大木人なら自分達の専門分野だとトヨハナが名乗りを上げ、更にナヒコも大きく頷き賛意を示す。
トヨハナ達が適任なのは事実だし、アコナの者達は同族でもある。それに西からの船団がアコナ列島を押さえたら次はヤマト王国だから、決して他人事ではない。
謎の船団は魔獣の海域の近くに出没するのみで、沈められた船もかなり西に寄ったものだけという。しかし今は近場を調べているだけで、そのうちアコナ列島への上陸を試みるかもしれない。
そして上陸を許したら、人口の少ないアコナが圧倒的に不利だ。ここアコナ本島はともかく、ヨナ島のような小島など一日もしないうちに占領されてしまうだろう。
「分かりました。こちらでも調査を進めますが、木人の改良はお願いします」
シノブはアコナの出来事への介入を決意した。
相手に魔獣使い、つまりカンでいう操命術士がいるのは間違いない。そして海の魔獣を使う一派なら、カカザン島に森猿スンウ達の先祖を連れていった者と繋がっているかもしれない。
もちろんアコナ列島やヤマト王国を守るのは、ここに住む人達だ。その思いからだろう、シノブは自然とタケルやハヤトを見つめていた。
「シノブ様、私も働きます」
「私もです!」
若き王太子タケルと熊の獣人の巨漢ハヤトは、シノブの視線の意味するところを悟ったようで声も高らかに応じる。そしてタケルを囲む少女達も、口々に賛意を示す。
「そうなると、もう少し掛かりそうだね」
「はい。一旦は戻りますが、何度も往復させていただくのも申し訳ありませんし……」
シノブの確認に、タケルは済まなげな顔となった。それにハヤトやトヨハナ達も同様だ。
最も近い筑紫の島でも、魔獣の海域を迂回するから片道一週間は掛かる。そのため魔法の家などシノブ達の助けがなければ、一致団結も不可能だ。
「構わないよ。向こうだと夕食まで随分あるからね。そうだな……暫く海岸でも散歩しようか。灯りの魔道具があれば、充分楽しめそうだし」
「それは良いですね」
「はい、シノブさま! 異国の浜辺を散策するのも素敵です!」
「早速参りましょう! 善は急げですわ!」
冗談めかしたシノブの言葉に、すかさずシャルロット達が続く。そして彼女達の後ろでは、マリエッタやエマなども興味津々といった様子で顔を輝かせていた。
「シノブ様……ありがとうなのじゃ」
「ウキヤコ殿は賢いのう」
お辞儀をしたウキヤコの頭を、トヨハナが優しく撫でる。
シノブが散歩すると告げたのは、ここの人々を尊重しているから。自分のことは自分で、それで無理なら最初は身近な隣人と。そこに気付くウキヤコは、幼くとも心は一人前の女王に違いない。
集った人々は、小さな女王に明るい未来を感じたのだろう。シノブのみならず、全ての顔は晴れやかに微笑む。
しかしシノブのみは、笑っているだけで済まなかった。
「シノブ殿、妾が大きくなったら……」
「私には三人もおります」
駆け寄ったウキヤコの囁きを、シノブは素早く遮った。相手に恥を掻かせる前に、断りを入れようと思ったのだ。
「分かっておる……じゃが御子息ならどうじゃろう? 妾は七歳じゃから成人は二十三年後、ちょうど良いと思うのじゃ。その……父様と呼ばせてくれんかの?」
「残念ですが婚約者の受け付けはリヒトが大きくなってから……ですが友人でしたら今すぐでも歓迎しますよ?」
悪戯っぽい笑みのウキヤコに、シノブは同じく冗談めかした様子で返す。
側にいるシャルロット達にしか聞こえなかっただろう、密やかな会話。もちろん南国の夜風に消えていくのみの戯れだ。
果たして風が運んだ言葉は、遥か未来で我が子も耳にするのか。今のシノブには、知る由もないことであった。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年2月7日(水)17時の更新となります。