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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第25章 輪廻の賢者
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25.08 吾子なでて笑む

 ナンカンのジェンイーとアマノシュタットの時差は六時間近くもある。そのためシノブ達が『白陽宮』に戻ったときは朝食前、シャルロット達が早朝訓練を終えた直後であった。

 そこでシノブとアミィは食事を共にしようと『陽だまりの間』に足を向け、エンリオは後を引き継ぐべく親衛隊の詰め所を目指す。


「お帰りなさいませ!」


「無事のお戻り、安堵しました」


 『小宮殿』に入ったシノブ達を、普段と少々異なる挨拶が迎える。

 三人は転移に使った魔法の家でカン服から普段の服に戻しており、従者や侍女は彼らが大陸の東端から帰還したと気付かない筈だ。ただしシノブ達が朝一番の稽古に顔を出さなかったから、どこか遠くに行ったと察したのだろう。


「ありがとう……そうだ、ネルンヘルム。レナンにミケリーノは元気だと伝えてくれるかな?」


「はい、分かりました!」


 シノブが声を掛けると、少年従者は走り出す。

 ミケリーノの潜入先を知っているのはシノブの従者でも一人だけ、筆頭のレナンのみである。とはいえ同僚達で不在を知らぬ者はなく、ネルンヘルムも聞きたそうな顔をしていた。

 そこでシノブはレナンへの連絡がてら、ミケリーノが無事だと伝えたわけだ。


「さあ、ディラルアスやヴァルヴィンも食事に行きましょう」


「はい、ヴィクトールさん!」


「シノブ様、失礼します!」


 少年従者だと比較的年長で十三歳のヴィクトールが促すと、半分にも満たない歳の幼子達が続いていく。

 シノブの側付きには行儀見習いというべき子も珍しくないが、中でも旧帝国出身者の子弟には年少者が多かった。これは伯爵領など離れた地に赴任した者達が、せめて子供を接点に縁を深めたいと願ったからだ。

 要するに一種の保険で人身御供でもあるが、このように少し上の先輩従者も多数いるから当人達は楽しげに過ごしている。今もディラルアス達は兄を慕う弟のように追いかけており、シノブは思わず頬を緩めた。


「リゼットさん。シャルロット様達は、もう?」


「はい、全員お揃いです。それとホリィさんもお戻りです」


 アミィに答えたのはシャルロット付きの侍女リゼット、つまりレナンの姉である。

 シノブは朝食くらい家族のみでと決めたから、侍女や従者は別の場で食事する。そのため住み込みや早番の多くは、今ごろ彼らのための食堂に向かっている筈だ。

 アマノ王家は乳児のリヒトを除いても四人おり、住み込みの側仕えだけでも四十名近い。したがって『小宮殿』の裏手には、専用の厨房を備えた大食堂が置かれている。


「ありがとうございます」


「いえ、それでは後ほど」


 アミィの礼にリゼットは短く応じると、裏手に繋がる通路へと向かっていった。リゼットも住み込みだから、大食堂で食事をするのだ。

 レナンやリゼットはボドワン男爵家として屋敷を持っているが『小宮殿』にも部屋があり、殆ど住み込み状態で詰めていた。男爵家といっても当主は十四歳のレナンで他はリゼットのみだから、二人は屋敷の管理を使用人達に任せたわけだ。


 それに対し既婚者は、日勤であれば自宅で朝食を済ませて出仕するのが普通である。たとえばシャルロット付きの筆頭侍女アンナだが、今ごろは夫のヘリベルトと住むハーゲン子爵邸から『白陽宮』に向かっている最中だろう。

 もっとも従者や侍女には未成年者が多く、護衛騎士を除くと既婚者はアンナのみだ。しかもアンナは先月結婚したばかりで、まだ通いとなってから半月少々でしかない。


 アマノ王国は建国から八ヶ月を過ぎたばかりの若い国で、それを象徴するかのように宮殿の最奥は少年少女達が集う場であった。

 もちろん全てが若者ではなく、護衛騎士や宮殿の維持管理担当だと年輩者も多い。侍従長のジェルヴェは五十代、彼の妻で侍女長のロジーヌも四十代後半だ。それに先ほど別れたエンリオなど、とうに七十を過ぎている。

 とはいえアマノ王家は数日後に二十歳(はたち)を迎えるシノブが最年長、そうなると従者や侍女に同年代から下が揃うのも自然なことだろう。


「ホリィは骨休めかな?」


「そうだと思います」


 急ぎなら通信筒で知らせるだろうと思ったシノブに、アミィも微笑みつつ応じる。

 ホリィが担当しているイーディア地方は平穏だし、向こうに送り込んだ情報局員達も問題なく各地を巡っていた。それにイーディア地方の光翔虎達もホリィ達を支えてくれる、まさに万全の体勢なのだ。

 そのためシノブは足を速めたものの土産話を楽しみにしただけ、続くアミィも同じらしく応じた声は普段通りであった。


──ナンカンではヴィルーダらしき禁術使いの情報も(つか)めたし、ちょうど良かったかも──


 朝の忙しい時間だから行き交う人も多く、シノブは思念での会話に切り替えた。自分達が住まう場とはいえ、歩きながら話すことでもないと声に出すのを避けたのだ。


 ナンカンの都ジェンイーで大神官の願仁(ユンレン)が語った中には、イーディア地方で悪事を働いたヴィルーダかもしれぬ術士の逸話も含まれていた。それは荒禁(こうきん)の乱のころの狂屍(きょうし)術士、大戮(ダールー)に関する伝承だ。

 ダールーは動物霊による符術を得意とし、その威力を高めようと操命(そうめい)術士にも師事したという。そして彼は『威戮(ウェルー)(ダー)』と称されるだけの術士になったが、他流への傾倒を師匠の神角(シェンジャオ)大仙が(とが)め破門したという。

 これを聞いたとき、シノブはウェルーダーがヴィルーダに変じたのではと考えた。己の技量を示す異名だから、強く(こだわ)るのも当然と思ったわけだ。


──はい、通信筒で伝える手間が省けました。それにマリィへの連絡はホリィに任せても良いでしょう──


 アミィは同僚の一人、マリィの名を挙げた。

 マリィがスワンナム地方を調べているのは、ヴィルーダが通ったからでもある。カンからスワンナム地方を通過してイーディア地方、地球なら東アジアを発ち東南アジアを抜けてインドという経路だ。

 既にヴィルーダは倒したが、間で禁術を広めた可能性は残っている。そのため神の眷属たるアミィ達は、通過地点も含め全ての解明を目指していた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 『陽だまりの間』に着いたシノブとアミィは、早速ジェンイーでのことを語っていく。ただし食事中だけに、まずは要点のみに絞った簡単なものだ。

 ジェンイーの様子、周囲の村々、そして大神殿で知った禁術使いの歴史。それらに聞き入るのは五人の女性達だ。


 シャルロットは東方の風習を面白く感じたようだが、一方で三国の争いで疲弊する農村の様子に眉を(ひそ)めていた。ミュリエルやセレスティーヌも同様で、都の豊かな商人と働き手を軍に取られて苦しむ農民の差に顔を曇らせる。

 シャルロット達と違い、ホリィやタミィに表情の変化は少ない。二人は神々の眷属としての長い生で同様のことを幾度も目にしたのか、人々が自身で乗り越えるべき試練だと捉えているようだ。


「……ユンレン殿が助けてくれるから、随分と楽になった。幾ら光翔虎がいるとはいえ、何の当てもなしに端から調べるのは大変だからね」


「あ~! ぶ~!」


 シノブが微笑むと、膝の上でリヒトが嬉しげな声を上げた。シノブが入室すると同時に、リヒトは自身を抱くようにねだったのだ。


 どうもリヒトは、起きたとき不在だった父が戻ったのが嬉しいらしい。リヒトはオルムル達のように魔力を欲しがりはしないが、今のように側にいたがるのだ。

 共に暮らすオルムル達の交わす思念が感知能力を磨いた結果、リヒトは魔力波動で相手を区別できるようになった。そして彼は特に父親の波動を好んでおり、ぐずっているときもシノブが近くに来れば機嫌を直すという。


 リヒトは自身の感情を魔力波動に乗せるから、シノブには我が子の無垢な想いが伝わってくる。そこでシノブは応えるべく、幼子の柔らかな肌をそっと撫でる。


「そうだね。効率が悪いのは『ぶ~』だ。『ぶ~』作戦だよ」


「ぶ~、ぶ~!」


 シノブがリヒトの発した音を繰り返すと、大喜びで更に連発する。

 魔力波動で感じた通りなら、リヒトは成長につれて出せるようになった新たな音を楽しんでいるだけらしい。つまりシノブの語りかけは発育を促そうとしたに過ぎないが、まるで会話のようなやり取りだけに見る者を惹きつけるようだ。


「少々(うらや)ましくなりますね」


 食事を終えたシャルロットが、隣へと顔を向ける。どうやら冗談らしいが、じっと見つめるところからすると気にしてはいるのだろう。

 リヒトはシャルロットに抱かれるのも同じくらい好むが、普通の乳児なら父より母を優先するだろう。そのため彼女が少々寂しく感じても、無理からぬことではある。


「甘やかせるのも、幼いうちだけだしね。それにリヒトといると、忙しい日々を忘れるんだ……『つかの間の安らぎ求め膝に乗せ 家族と共に吾子(あこ)なでて笑む』……とかね。ほら、シャルロットも」


 妻の思いを察したシノブは、共に我が子を撫でるように促す。

 ただし家族とはいえ他の者がいる場だと、シャルロットは露骨な気遣いを好まない。そこでシノブは軽口と短歌もどきに包んで妻を(いざな)った。


「まあ……それでは一緒に」


 一瞬驚いたように目を見張ったシャルロットだが、続いて顔を大きく綻ばせた。そして彼女は椅子を寄せ、リヒトに手を伸ばす。

 ここにいる者は度々日本について聞いているから、五七五七七の連なりが詩の一種だと承知している。それ(ゆえ)シャルロットは単なる誘い文句と流さず、夫が忍ばせた思いにも気付いたようだ。


「加わって良いですか?」


「私も……」


 セレスティーヌとミュリエルも席から立ち上がる。

 二人も含め、既に全員が食事を済ませている。シノブとアミィはジェンイーでも食べたから軽くに(とど)めたし、ホリィやタミィも含め大食漢はいなかった。

 実年齢はともかくアミィやホリィの外見は十歳を僅かに超えたかどうか、タミィに至っては七歳ほどだから当然ではある。


「お茶はどうなさいますか?」


「タミィ、ナンカンの茶葉があります」


 妹分が茶筒に手を伸ばすと、アミィは魔法のカバンから袋を取り出した。

 ジェンイーで飲んだのは烏龍茶のような味だった。そしてシャルロット達も魔法のお茶やヤマト王国から仕入れた品で東洋風にも慣れているから、土産に良かろうと買ってきたわけだ。


「それは飲んでみたいですね」


「では、少々お待ちください!」


「一緒に淹れましょう」


 シャルロットが頷くと、タミィは茶の準備を始める。そしてアミィも席を立ち、ナンカンで教わった淹れ方を伝えていく。


「ヴィルーダはスワンナム地方の人に似た容貌ですから、あの地で誰かを憑依の対象にした筈です。出来れば明らかにしたいですね」


 一方ホリィは、先ほどシノブ達から教わったことを紙に書き記していた。彼女は早速マリィに(ふみ)を送るようだ。


「ユンレン殿の蔵書でダールーの外見が判ったのは幸運だった。ただ、スワンナム地方に入る前に乗り換えていたら……」


 シノブはリヒトをシャルロットに預け、ホリィの側へと寄っていく。

 他者の肉体を乗っ取って生き長らえた男など、思い返すだけでも不愉快だ。幾ら自分が魔力制御の修練を重ねたとはいえ、多少は滲むものがあるだろう。

 そこでシノブは、鋭い感覚を備える我が子から離れたのだ。


「そこはミリィの追跡調査に期待します。ツリ目に細面、そして他より頭一つは背が高いという特徴もありますから。それにカンを離れた時期も約二百四十年前と絞れましたし……」


 ホリィが呟いたように、ダールーが破門された時期は明らかだった。これは狂屍(きょうし)術士の大元締めシェンジャオ大仙が追放を(おおやけ)にしたからである。

 禁術使い達は強い師弟関係で結ばれているし、長く一大勢力として君臨しただけあり組織立ってもいるようだ。そして二百四十年前だと荒禁(こうきん)の乱も半ばを過ぎており、カンの表社会で狂屍(きょうし)術士を受け入れる場所など存在しない。

 そのため破門されたダールーは、他の地方を目指すしかなかったのだろう。


 ユンレンが持つ文書の記述は破門状に付記された特徴を元にしているから、普通なら足取りを追うのは容易い。しかし憑依の術を極めたダールーなら、他者や木人などに魂を移せば誤魔化せる。

 そのため発見への決め手としては弱いが、ダールーが危険な術を残した可能性を考えると放置するわけにもいかない。


「シノブ、今はカンのお茶を楽しみましょう」


「ああ、そうだね」


 共に茶を味わおうと誘うシャルロットに、シノブは大きく頷き返す。

 遥か東の地で楽しんだ香気は、きっと今も落ち着きを与えてくれるだろう。何しろ微笑む愛妻に目に入れても痛くないほど可愛らしい我が子、そして同じくらい大切な家族達がいるのだから。

 そしてシノブの思いは現実となる。澄んだ光が差し込む朝に相応しい、華やいだ空気が『陽だまりの間』を満たしたのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 アマノ王国は平穏無事、そのため朝議と午前中の政務は何事もなく終わる。そして午後だが、この日のシノブは仕事から解放された。

 ここアマノシュタットとナンカンのジェンイーには六時間近い時差があり、シノブは既に長時間を起きていた。ジェンイーに行く前に催眠の魔術で強制的に眠りに就いたとはいえ、それは半日以上も前だから周囲が案じたのだ。


 神たるアムテリアの血族だからであろう、シノブは疲労を感じていなかった。それに神の眷属であるアミィも同様で、こちらも普段と全く変わらないという。

 実際のところ今のシノブなら、僅かな仮眠を取る程度で数日を働き続けることも可能だ。しかし建国当初とは違って充分に余裕があるのに、そこまで張り切る必要もないだろう。

 そこでシノブは勧められた通りに午後を寛ぐことにした。ちょうど見たい場所があったから、そこで午後を過ごそうとシノブは足を運ぶ。


 ちなみにホリィはタミィと一緒に大神殿に赴いた。そしてミュリエルとセレスティーヌは、それぞれ商務と外務の(おさ)として会合に出ている。

 そのためシノブと共に臨時休暇を楽しむのは、アミィとシャルロットのみである。


「かなり利用者が増えたね。『白陽保育園』の名に相応しくなってきたよ」


「ええ。嬉しいことです」


 シノブとシャルロットは窓越しに隣室を覗いていた。

 こちらの部屋と隔てるのは大きなガラス窓、その向こうでは三十人弱の幼児が積み木や人形で遊んでいる。その反対側は大宮殿の裏に広がる庭だが、雪深い時期だから保育士達も子供を外に出さない。

 何しろ昼を少々過ぎた今でも、気温は5℃を下回っている。実際よほど暖かい日を別にすると、窓越しの日光浴くらいが妥当に違いない。


「現在は一歳から五歳までの二十八人を預かっています」


「休憩時間に会えますから、侍女達にも大変好評です」


 案内役を買って出たのはアングベール子爵夫妻、つまり侍従長のジェルヴェと侍女長のロジーヌだ。

 ちなみに二人の孫のミシェルは既に七歳だから保育の対象外、それどころかミュリエルの侍女見習いの一人として商務省で働いている。もちろん出来ることなど少ないから、先輩から学ぶのが主な目的であるが。

 とはいえミシェルくらいの歳で見習いとなるのは僅かで、主との絆を育てるために選ばれた者のみだ。多くは十歳前後まで学んでから、しかも希望者の多い宮殿ではなく省庁や軍に配属される可能性も高い。


 ただし親達は『白陽保育園』で学べば我が子も宮殿で働けるかもしれないと、殆どが二つ返事で預けたという。何故(なぜ)なら『白陽保育園』では乳児保育も始めており、そこには王子のリヒトもいるからだ。

 来年になればリヒトは幼児保育に移り、そうなれば先々王子の学友に抜擢されるかもしれない。そこまで上手くいかなくても、顔を覚えてもらえば何かの役に立つこともあるだろう。


「あちらはヴァローラさんのお子さんでは?」


「確かに似ているな……」


 アミィが見つめる先にいる男の子は、確かにシノブの記憶にあるカンビーニ王国出身の王宮侍女と似ていた。種族も猫の獣人と同じだから、ほぼ間違いないだろう。

 男の子は周りの子と共に、積み木を高々と積み上げている。どうも『大宮殿』を模しているらしく、積み木の山はシノブの見覚えのある形だ。

 そこには宰相ベランジェが養子とした男の子と女の子、ロジオンとカテリーナもいる。旧帝国の皇太子の遺児である二人は、かつて奴隷とされた獣人族の子と仲良く遊んでいたのだ。


「シノブ……」


「ああ……俺達の望んだ姿が、ここにある」


 声を震わせるシャルロットに、シノブも感動を抑えつつ頷き返す。

 一年前、今は無きベーリンゲン帝国と戦ったときは想像すら出来なかった光景。それはシノブの心を大きく揺り動かした。


 あのころ帝国人の七割を占める獣人族は、全て『隷属の首輪』で奴隷とされていた。

 しかし奴隷制度は過去のものとなり、獣人族も人族と変わらぬ地位を得た。王や貴族はいるものの、こうやって宮殿内でも等しく育まれている。

 それはシノブ達にとって、何よりも嬉しいことであった。


「ホリィ達にも伝えます」


 ここにはいない同僚達にも、アミィは自身の感じた喜びを味わってほしいのだろう。確かに彼女達なら、アミィと同じく至福の笑みを浮かべるに違いない。


「そろそろリヒト達のところに行こうか!」


「はい。保育士達も気付いたようですし、何かあったら困ります」


 湿っぽくなった空気を払うように、シノブは声を張り上げる。するとシャルロットも冗談めいた物言いで続く。


 もっとも保育士達が気にしているのは事実だし、国王と王妃が見つめていたら働きにくいだろう。そう思ったシノブ達は窓の側を離れる。

 リヒト達がいるのは別の部屋だが、そちらは外から覗けないようになっている。これは王子がいるからではなく、授乳をするためだ。


「それでは先に行きますね」


「ああ、頼むよ」


 小走りに駆けていくアミィを、シノブはシャルロット達と共に見送った。

 見学などに備え、乳児保育の部屋の奥には授乳室も設けられている。しかし普段はその場で乳を与えるというから、アミィを先触れとしたわけだ。


「リヒトと共にいるのは、まだ乳母の子供のみだったね?」


「いえ、実は今日から……」


「やあ、シノブ君もここかね!」


 シノブの問いにジェルヴェが応じかけたが、陽気な声が掻き消した。もちろん、このように気軽な呼びかけをするのはアマノ王国広しと言えどもただ一人、宰相のベランジェだけである。


「義伯父上、するとレフィーヌも?」


「ああ! もう八ヶ月近いからね!」


 シノブの想像通り、ベランジェは昨年六月に生まれた末娘も『白陽保育園』に預けていた。

 ベランジェには二人の夫人がいるが、どちらも国政に(たずさ)わっていた。第一夫人のアンジェが外務卿補佐、第二夫人でレフィーヌの母のレナエルが文化庁の長官代理である。

 そのため日中の育児は乳母任せ、ならば『白陽保育園』にとベランジェは考えたという。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「おお、レフィーヌ! 会いたかったよ!」


「と~!」


 ベランジェが両手を広げて迫ると、レフィーヌは父親と分かったらしく可愛らしい声で応じる。しかし、そこからはシノブの予想と違った。


「どうして逃げるのかね!?」


「伯父上、嫌われているのでは?」


 絶叫するベランジェに、シャルロットは吹き出しそうな顔で駄目押しの一言を送る。父の大声が苦手なのか、レフィーヌは奥の方にハイハイしていったのだ。

 人見知りが始まる時期ではあるが、これは父親として(つら)かろう。思わず同情してしまったシノブである。


 もっとも女性陣からすると、大袈裟な言動のベランジェが避けられるのは極めて自然なことらしい。ロジーヌやアミィは表情を消しているが、彼の味方ではないとシノブにも理解できる。

 ただし今のベランジェに、背後を気にする余裕などないだろう。彼を責め立てる者は、他にいたからだ。


「宰相閣下……お声が大きゅうございます」


 (たしな)めたのはリヒト付きの乳母の一人、アネルダであった。それに他の乳母達もベランジェに冷たい視線を向けていた。

 そして同時に、あちこちで赤子達が泣き始める。まず奥の揺り籠の中、そして手前のレフィーヌと同じか少し大きな乳児達。それに釣られたのか奥に去ったレフィーヌまで泣き始めた。


「あらあら……私も手伝いましょう。シノブ様とシャルロット様は、リヒト様のところに」


「べろべろば~、ほ~ら大丈夫ですよ~」


 ロジーヌは手前の赤子を抱き上げる。それにジェルヴェも同じく手近な子をあやし始めた。

 リヒトの乳母もそうだがレフィーヌ付きも三交代制だから、一部は奥の仮眠室にいるらしく乳児達の方が多い。中にはキョトンとしたままの子もいるが、殆どが泣き出したから手が足りないのだ。


「わ、私も……」


 ベランジェは珍しくオロオロしていた。常の悪戯好きで自信に溢れた姿、四十半ばを超えた大貴族の風格は完全に失せている。

 毎日接しているレフィーヌは慣れており、嫌がることはあっても泣きはしないのだろう。そのためベランジェは、このような騒ぎなど予想すらしていなかったようだ。


「ベランジェ様は、そのままで。……レフィーヌちゃん、悪いお父様ですね~。後でお母様達に叱ってもらいましょうね~」


 アミィはレフィーヌを抱えつつ非難めいたことを口にする。

 ベランジェの奔放な行いの多くは良い方向に働くが、時と場合を弁えてほしいこともある。そしてアミィは、彼に自省を促す機会を逃さなかったらしい。


「リヒト……あれ、泣いていないね」


「あ~! うあ~!」


「次代の王に相応しい大物振りです」


 シノブが寄ると、リヒトは顔を綻ばせて手を伸ばす。そしてシャルロットは珍しく、親の欲目が滲む言葉を我が子に贈った。

 ただしシャルロットと同意見の者は多かったようで、アネルダ達も賞賛が顕わな視線をシノブが(いだ)く小さな王子に注いでいる。


「シノブ君……」


「義伯父上、我が子に会うと嬉しくなる気持ちは良く分かります」


 肩を落としたベランジェに、シノブはリヒトを抱えたまま寄っていく。

 シノブもリヒトを溺愛している自覚があるから、ベランジェの気持ちは痛いほど理解できる。もし魔力波動での交流がなければ、同じように泣かれたかもしれないから尚更だ。

 出来ればベランジェに、いつもの元気を。そんなシノブの心をリヒトは感じ取ったようである


「ぶ~」


「リヒト……もしかして私を慰めてくれたのかね?」


 リヒトはベランジェに手を伸ばし、彼の肩を触っていた。見ようによってはポンポンと叩いているようで、確かに励ましているらしき仕草ではある。


「それは分かりませんが、リヒトは義伯父上を好きらしいですよ。それにレフィーヌも驚きさえしなければ大丈夫でしょう。きっと、お母さんと同じくらいお父さんも好きだと思います」


「ま~! ま~!」


 シノブが奥に向き直ると、リヒトはシャルロットに向けて呼びかけるような声を発した。そしてリヒトの声が呼び水となったのか、あれほど響いていた泣き声がピタリと収まる。


「シャルロット、リヒトが呼んでいるよ」


「ええ。リヒト……愛しい子……」


 シノブが渡した我が子を、シャルロットは大切そうに腕の中に抱え込んだ。

 見上げるリヒトに頬ずりをする様子は、戦王妃(せんおうひ)と謳われる凛々しい姿とは別人のようだ。しかしシノブは、これも彼女の一面であり、むしろ本来の姿だと知っている。


「ベランジェ様、どうぞ」


「と~」


「う、うん……」


 隣ではアミィがレフィーヌを差し出す。するとベランジェは、普段の彼とは似ても似つかぬ恐る恐ると表現したくなる慎重さで娘を受け取る。

 これで一段落と思ったシノブは、最後の仕上げに朝方の短歌を披露することにした。内容は下手の横好きといった程度だが、笑いは生まれると思ったのだ。


「義伯父上、今朝作ったヤマト(うた)ですが……『つかの間の安らぎ求め膝に乗せ 家族と共に吾子(あこ)なでて笑む』……赤子には撫でたり微笑んだりする程度が……」


 ヤマト王国では短歌のような形式の歌を、実際にヤマト(うた)と呼んでいる。そのためシノブは遥か東の国の風習に倣ったと紹介した。

 そして突飛なことをしなければと続けようとしたシノブだが、懐に収めた通信筒が震えたので思わず言葉を途切れさせてしまう。


「通信筒かね?」


「ええ……奇遇と言うべきか、ヤマト王国の刃矢人(はやと)殿ですね」


 胸に手を当てたからだろう、ベランジェは何があったか察していた。そして頷いたシノブは、早速中の紙片を広げて送り主の名を読み上げた。


 筑紫(つくし)の島の跡取りハヤトは、交易商の呂尊(るぞん)と共にアコナ列島にいる筈だ。一体どうしたのだろうかと、シノブは少々怪訝に思いつつ読み進めていく。


「これは……アコナに来てほしいと」


 見てもらった方が早いと、シノブはシャルロットやベランジェが読めるように紙片を掲げる。

 急いではいないが、可能であれば王太子の健琉(たける)伊予(いよ)の島の女王ヒミコを連れてきてもらえないだろうか。シノブの都合がつかなければ、二人だけでも良い。もしくは女王ヒミコ、つまりエルフの豊花(とよはな)だけでも良いからお願いする。

 理由はアコナのエルフ達に足止めされたから、そしてタケルやトヨハナに会いたいと望んだのもアコナ側。そのように(ふみ)は結んでいる。

 よほど慌てて書いたらしく、少々字が乱れている。それに最初は打診のみと思ったのか、いつどのように行くべきかも記していない。

 もっともシノブ達の都合もあるから、時期は任せるとしか書けないだろう。ハヤトには魔法の家の呼び寄せを権限停止状態で付与しており行くのは簡単だが、シノブを含め体が空くかという問題がある。


「……どうするかね?」


「タケルやトヨハナ殿の都合次第ですね。午後は休みをいただきましたから、私は今日でも大丈夫ですが」


 興味津々なベランジェに、シノブは肩を(すく)めつつ言葉を返す。

 アマノシュタットとヤマト王国の時差は七時間ほど、つまり向こうは二十時を幾らか回っている。そのため一時間程度ならタケル達も融通してくれるかもしれないが、何日もとなると難しいだろう。

 ただしシノブは、可能ならアコナ列島に行ってみたかった。沖縄に相当する場所だから、機会さえあればと思っていたのだ。

 そしてシノブの思いは、顔にも表れていたようである。


「ふむ……ヤマト(うた)なら、こうかな? 『つかの間の安らぎの中、知らせ受け 開いてみればアコナ出て笑む』……どうだね、シノブ君?」


「当たらずとも遠からずといったところです」


 やはりベランジェは聡明な人物のようだ。時として羽目を外すが道化を演じるからで、本質は柔軟さを備えた才人だとシノブは感じ入る。

 そしてシャルロット達も同じことを思ったのだろう、先ほどまでとは違う笑みをアマノ王国が誇る宰相、奇人の貴人として有名な男性に向けていた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2018年2月3日(土)17時の更新となります。


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