25.03 カンビーニの娘達
アルストーネ公爵フィオリーナは無事に出産し、彼女の第三子にして次男のストレーオとアマノ王国の王子リヒトの友誼の儀も滞りなく終わった。
そこでシノブ達は昼過ぎからアルストーネの港などを巡り、夕方には公爵邸に戻って豪勢な晩餐で歓待されと楽しくも平穏な一日を過ごす。
この観光旅行とも呼べる半日を盛り上げたのは、フィオリーナの娘マリエッタであった。
実はマリエッタの父ティアーノも同行を申し出たが、こちらは祝いの客の接待で忙しい。そのため彼女は長子としてアマノ王家を持て成す大役をこなしたわけだ。
もっともマリエッタはシャルロットの側近中の側近で、その意味では日々の務めと変わらない。それは公女を支える三人のカンビーニ貴族令嬢も同様で、一行は親しげに語らいつつ気の向くままにデレスト島最大の都市や良港を満喫した。
「マリエッタ様、お疲れ様でした」
「なんの、とても楽しかったのじゃ!」
労うフランチェーラに振り返って応じたのは、零れんばかりの笑みを浮かべたマリエッタだ。
弾むように先を歩んでいたマリエッタは声と同時にクルリと反転し、薄い長衣の裾と自身の尻尾を翻す。まるで舞うような、そして虎の獣人の身軽さを誇るかのような身ごなしは、同時に彼女が心から今日を遊び倒したと示すようで微笑ましくもある。
「空は快晴、波も穏やか。それに驚くべき釣果……確かに良き一日でした」
「リヒト様まで伴って大丈夫かと思いましたが、船でも上機嫌でしたね」
ロセレッタとシエラニアは舟遊びに触れる。シノブ達はアルストーネ公爵家が用意した帆船で近海に乗り出し、釣りを楽しんだのだ。
このときシノブが魔力感知で魚群を探り、短時間にも関わらずオオサバなどを何十匹も釣り上げた。フランチェーラを含む三人の伯爵令嬢も接待半分で加わったが、シャルロット達に教えながらの片手間でも一人が五匹やそこらは得ている。
そのためだろう、マリエッタ達に続いて入室する二人も闊達な歩みと声だ。ここがマリエッタの私室ということもあるだろうが、彼女達は常より遥かに華やいでいる。
「きっとリヒト殿は凄い王様になる。先々が楽しみ……それにストレーオ君も」
最後に部屋に入ったのは、遥か南のアフレア大陸で生まれた少女エマだった。彼女もマリエッタの友人として、就寝までを一緒に過ごそうと招かれていた。
ちなみにエマの他にもウピンデ国出身者の随員はいるし、その中には女性も多い。しかし他は既婚者ばかりで、夫と共に割り当てられた部屋に下がっている。
「確かにリヒト殿は別格なのじゃ! 共に学べばストレーオにも良い影響があるじゃろう!」
マリエッタは二人目の弟をアマノ王国で鍛えたいようだ。自身がシャルロットの側仕えとして過ごす日々で大きく成長しているから、同じようにと思うのだろう。
もっともマリエッタの夢想は、ほぼ確実な未来図でもあった。そもそもストレーオの誕生と合わせてリヒトを招き、父ティアーノが先祖伝来の聖句で二人の友誼を願ったくらいだ。赤子のうちはともかく、遅くとも十歳までにはアマノ王国かメリエンヌ学園で共に暮らすだろう。
「ええ、ティアーノ様の寿ぎの通り、競い合って成長なさるに違いありません。……ところでマリエッタ様、お茶などは如何しましょう?」
フランチェーラはソファーに腰を降ろさず、続きの間へと歩んでいく。
多くの貴人の住む場所と同様にマリエッタの私室には簡素なキッチンが併設され、茶道具に加えて菓子や果物くらいは置かれている。マリエッタ達の帰還は久しぶりだが、それらは住み暮らしていたときと同様に準備されている筈だ。
そしてアルストーネで長く学友として侍っただけあり、フランチェーラ達は公爵家の諸々を熟知していた。
「いや、少々晩餐で食べ過ぎた……もちろん皆は好きにして良いぞ?」
「なら私はもらう。フランチェーラさん、何があるの?」
マリエッタはソファーで腹に手を当てつつ応じるが、エマはキッチンへと向かっていく。
マリエッタより年長で背も高いからか、エマの食欲は旺盛であった。ただし激しい武術の修練からか、それとも体質なのか彼女はスラリとした体型を保っている。
「夜に食べると太るとか……」
「ええ、シノブ様も仰っていたわ」
ロセレッタはエマと同じく獅子の獣人、シエラニアはマリエッタやフランチェーラと同じ虎の獣人だ。しかし二人は夜食を躊躇ったらしく、顔を見合わせる。
実は隣室に消えたエマが、肉はないのかとフランチェーラに問うたのだ。キッチンには魔道具の冷蔵庫が置かれており、それなら肉や魚も入っているかもと南方出身の漆黒少女は期待したらしい。
ここカンビーニ王国は獣人族が多いこともあり魔術師の少ない国だが、それでも公爵の館ともなれば輸入した魔道具で他国の王族や上級貴族と変わらぬ生活を送っている。
現にフィオリーナの出産でも多くの治癒術師が活躍し、魔術を駆使した治療を施した。そのため彼女は昼に分娩したばかりというのに、晩餐の場に顔を出したくらいである。
そして流石は獅子の獣人というべきか、フィオリーナは早くもステーキなどを口にした。したがってエマが肉を所望するのも、種族特性の表れかもしれない。
「果物を切り分けました」
「ウピンデムガの『デカメロン』……こっちで育てたのかもしれないけど」
フランチェーラは茶器、エマは細かく切って大皿に盛ったメロンを持ってくる。
ウピンデムガとはウピンデ国が領土とする草原で、そこには『デカメロン』を含む多くの魔法植物が存在する。しかし2000km以上離れたアフレア大陸から運んでくるのは大変だから、エマが考えたようにカンビーニ王国で栽培した品であろう。
既にウピンデムガとの交流が始まってから七ヶ月以上、その間には植物の苗や種も数え切れないほど行き来した。そしてカンビーニ王国はエウレア地方で最南端に位置するから、条件の良いところならアフレア大陸の植物を露地植えに出来る。
もちろん二月の今はメロンの収穫時期ではないから、カンビーニ産なら温室で育てたものであろう。昨年七月シノブがアルストーネに温泉を掘った後、フィオリーナは排熱を利用した植物園を造り上げ、そこで多くの魔法植物を育てていた。
これは新たな特産物を生み出すためだが一部は公爵家の食卓に上がっており、このメロンも植物園の成果という可能性は高い。
「せっかく用意してくれたのじゃ。少しだけでもいただくかの……」
「それが良い。シャルロット様やフィオリーナ様みたいに、メロンのような胸になると思う」
興味を惹かれたらしきマリエッタに、エマは冗談らしき言葉で応じた。
口数が少なく真面目一本槍なエマも、友人達との語らいは別らしい。それを示すかのように彼女の言葉を耳にした四人も笑声を上げはしたものの、意外そうな様子はなかった。
◆ ◆ ◆ ◆
十七歳のフランチェーラを筆頭に、ロセレッタ、シエラニア、エマ、マリエッタと五人は一歳違いで並んでいる。このように年頃で更に全員が未婚の乙女だからか、自然と恋愛絡みの話に向かう。
とはいえカンビーニの四人は公女に伯爵令嬢でエマもウピンデ国の大族長の娘だから、自身の感情だけで将来を決めるわけにはいかない。そのためだろう、五人の言葉にも親や家といった単語が多く含まれていた。
「そろそろフランチェーラは十八じゃろ? リブレツィア伯爵は急いておらぬか?」
「まだ数年は猶予をいただけそうです。ベティーチェ殿のように二十歳で独身、しかし海軍で活躍という方もおりますし……。ただ、最近はアルバーノ様の他に候補はおらぬかと……」
話を向けたマリエッタに、フランチェーラは肩を竦めてみせる。外では公爵家に上がった学友としての態度を崩さないが、内々では姉貴分と妹分といった距離感のようだ。
それはともかく、カンビーニ王国では女流武人として名を上げてから結婚という例も珍しくない。もちろん男性に劣らぬ武力を持つ者だけだが、この世界には身体強化という体格の不利を埋める技があるから適性さえあれば女軍人を目指す者も多かった。
特に代々武王が立った国だけあり、この地では女性でも力を尊ぶ風潮が強いし貴族であれば誇りもする。それにマリエッタの学友達のように飛び抜けた腕なら女性王族の側にも上がれるから、親達も才能のある娘には武術を念入りに仕込む。
「それはベティーチェ殿がアルバーノ様に嫁ぎそうだから?」
「やっぱり三人目までは望まないでしょうし、当然ですよね」
ロセレッタとシエラニアは興味も顕わな顔を年長の同僚に向けた。もっとも、これは別の意味も大きいに違いない。
周囲はフランチェーラを加えた三人が、アルバーノを慕っていると噂している。そして少なくとも彼女達がアルバーノを憎からず思っているのは事実で、こういった場で挙がる男性の筆頭が彼であった。
アマノ王国のメグレンブルク伯爵となったアルバーノだが生まれ育ちはカンビーニ王国、しかも妻に迎えたのも同郷のモカリーナである。それなら自身の娘もと期待するカンビーニ貴族当主は、三人の父を含め多かった。
ただしエルネッロ子爵令嬢ベティーチェの急浮上で、少しばかり風向きが変わりつつあるようだ。
「ええ……父にはアルノー様なら、と答えたわ。でも、あの方は二人目すらお望みではないようだし……私ならアデージュ様とも上手くやれると思うけど」
思わせぶりに片目を瞑った様子からすると、フランチェーラは父を煙に巻いたのかもしれない。
ゴドヴィング伯爵アルノーは、アルバーノと並ぶ戦闘能力の持ち主だ。ここにいる五人が束になってかかっても、彼なら軽々とあしらうに違いない。
しかしアルノーが第二夫人を望んでいないのはアマノ王国だと有名で、実際に宴などでも元傭兵のアデージュが軍服姿で目を光らせて他の女性を寄せ付けない。ここにいる女武人であればアデージュも武術談義に花を咲かせるものの、あくまで若手への指導といった様子である。
ちなみにアルバーノは四十一歳でアルノーは一つ下と随分年長だが、フランチェーラ達にとって問題とならないようである。ただし、これは彼女達が変わっているわけではない。
「アルノー様……確かにあの方なら、強い子を授けてくれそうだものね」
「あの疾風の剣技……巻き起こした風だけで倒されたとき、思わず結婚を申し込みそうになりました! ……アデージュ様がいたから何とか堪えましたが……」
「その気持ち、分かる。あれほど強い男なんて、そうはいない。もちろんシノブ様は遥か上だけど」
ロセレッタは共感を示し、シエラニアは自身の体験に触れ、エマが重々しい口調と共に頷く。無言のままのマリエッタも金の瞳を輝かせ、話に惹かれているのが明らかだ。
このように貴族、特に獣人族の女性にとって強さとは極めて重要な要素である。
ただし魔力量や得意な属性は遺伝するし、個人差も激しい。何しろ極めて優れた武人であれば常人の数十倍の力を発揮するし、魔術師であっても桁違いの術を行使する。
したがって我が子に王族や貴族に相応しい才能をと願えば、相手の力量や家系を無視できない。
「貴女達はどうなの? 二人も家から催促されていると見たけど?」
フランチェーラはロセレッタ達の番だと言わんばかりの表情だ。それに彼女はフォークの先をメロンへと向け、後は二人の話とデザートを楽しむと態度で示す。
「は、はい……私も色々と。ですがアルバーノ様を諦めきれませんし、父も各国の伯爵家ではアルバーノ様やアルノー様が別格だと……」
ロセレッタは大柄な体を小さくし、顔を真っ赤にしていた。
武術に邁進する女性達だけあって最年少のマリエッタですら身長170cmに届こうとし、他は既に超えている。その中でもロセレッタは群を抜いて高身長で、もはや180cmに近かった。
しかし恥じらうロセレッタの姿は、獅子の獣人らしく勇猛果敢な普段の彼女とは別人のようだ。
「ナタリオ殿にはアリーチェ殿に続く婚約者がおるし、侯爵家を加えてもアマノ王国ならマティアス殿くらいか。しかし四人目も授かる上に、元がメリエンヌ王家の側近じゃからな……」
マリエッタの呟きに、フランチェーラ達は緩やかな頷きで賛意を表す。
金獅子騎士隊隊長としてメリエンヌ王家を守っていたマティアスが、敢えて他国に便宜を図ることもない。これはマリエッタならずとも察していたようだ。
そもそもマティアスは先妻を亡くしてからアリエルを娶るまで独身で通したほど、更に子供は足りている。しかもアマノ王国の侯爵家は領地を持たないから、無理に一族を増やさずとも良い。
ちなみにイヴァールも武人で伯爵だが、彼には妻がいる上に一夫一妻のヴォーリ連合国出身、しかもドワーフと他種族の婚姻は皆無に近い。そのため自然と対象から除外されていた。
「私の父は魔術師系や子爵でも良いと言い始めました……もちろんアマノ王国に限った話ですが。
確かに魔力の多い相手なら武術の適性は私が補えます。そして何人か産めば、一人くらい当たるでしょう」
飾らぬ口調で表情も変えず、シエラニアは言葉を結ぶ。随分な内容だが、彼女は傾聴すべき意見と受け止めているらしい。
「なるほど……武人がいる家系なら、良いとこ取りも狙えそうじゃな。これは面白い話を聞いた、ではそろそろ……」
「マリエッタは、どうするの?」
就寝をと言いかけたらしきマリエッタに、エマが問い掛ける。するとフランチェーラ達も少しばかり表情を引き締めた。
やはり学友としてはマリエッタの将来が気にかかるのだろう。もちろん同じ若い女性としての興味もあるだろうが、それは多くて一割か二割といった程度のようだ。
「妾もシノブ殿を諦められぬよ。建国王『銀獅子レオン』の末裔として、戦の神の聖句で寿がれた者として、妾が授かる輪廻の子には最良の血を……な」
マリエッタの声音に動揺はなかった。自身から触れはしないが、問われて避けるような彼女ではないのだ。
囲む四人も静かに頷き返す。
困難だから、望み薄だからと逃げるようなら、たとえ学友でも他国まで付き従いはしないだろう。エマは友人のみだが彼女も武人としてマリエッタに一目置いているらしく、流石は我が戦友と言わんばかりの顔だ。
「それが良い。頑張って」
「うむ……ところでエマはどうするのじゃ?」
短いが心の篭もった激励に、マリエッタは厳粛な面持ちで応じた。しかし途中からは一転し、年齢相応の好奇心を表に出す。
「父様が縁談を進めているらしい。エウレア地方の人みたいだけど」
「そ、それは初耳じゃ!」
「詳しく伺っても!?」
「エマさん!」
「聞きたいです!」
いつも通り淡々としたエマの応えだが、内容は予想外なものだった。少なくともマリエッタ達にとっては寝耳に水、衝撃の告白だったらしい。
乙女達の歓声は部屋の外に響くと思うほど、そして賑やかな会話が更に続く。どうやら彼女達の就寝は、まだまだ先になるようだ。
◆ ◆ ◆ ◆
翌日シノブ達は都市アルストーネを旅立ち、カンビーニ王国の中心たる王都カンビーノに向かう。ただし中心とは王の座す場としてで、地理的には西の端である。
アルストーネのあるデレスト島から幅70kmほどの海峡を渡り、更にカンビーニ半島に入ったら大半を占めるセントロ大森林を横断して反対側の海岸に抜けるのだ。もちろん陸路ではなく岩竜の長老夫妻ヴルムとリントが運ぶアマノ号での、空の旅である。
「マリエッタ……どうしたのですか? もしや気分が悪いのでは?」
シャルロットは船縁に寄り、愛弟子の顔を覗きこむ。先ほどからマリエッタは眼下に広がる巨大な森を見下ろしたままだったのだ。
初めのうちシャルロットは、稀なる大密林に心を奪われていると思っていたらしい。何しろセントロ大森林の奥は巨大な魔獣の領域で、その中心には光翔虎のバージとパーフが棲家を構えているほどである。
通常の飛行船は森を迂回して街道沿いの航路を進むし、竜達が運ぶ磐船も普段はバージ達に敬意を払って避ける。今回アマノ号が森の上を突っ切るのは途中でオルムル達を拾うためで、普段なら長老達といえど一直線の横断などしない。
「え……ま、まさか! いつも通り元気一杯、この通りなのじゃ! えい! たあ!」
振り向いたマリエッタは脇へと跳び離れ、更に拳を突き出して拳法の型のような動作を始める。『猛虎光覇弾』に『獅子王双破』と、どちらもカンビーニ流拳術の代表的な技である。
近くにいたフランチェーラやエマ達は静かに場を空ける。甲板には三連装の大型弩砲が並んでいるから、そのままだと演武の邪魔になると思ったようだ。
「……そうですか。確かに普段通りの切れですね」
僅かに間を置いたシャルロットだが、結局は柔らかな笑みと共に頷いた。そして彼女は愛息リヒトを抱くシノブの側へと戻っていく。
どうやらシャルロットはマリエッタが何かを抱えていると察したようだ。しかし愛弟子といえど明かさぬものを無理に聞かずともと、出かけた言葉を呑んだらしい。
──寝不足かと思ったけど、違ったのかな?──
──ええ。久しぶりの実家に友との時間……私もそう思いましたが、もっと別の理由があるようです──
──フィオリーナ様から何か言われたのでは?──
シノブの思念に、シャルロットとアミィが同じく声なき言葉を返す。そして三人は表面上無言のままマリエッタの演武を見つめ続けた。
他にも甲板に出ていた者達、シノブの親衛隊長エンリオや彼の孫であるソニアとミケリーノなども遠巻きに囲む。それにエンリオの部下や従者や侍女でも武術を習っている者などを中心に、見学者は増える一方だ。
シャルロットが評したように、マリエッタの技は常と変わらぬ鋭さや速さを保っている。そのため甲板に出た全てが、公女の繰り出す技の数々に見惚れていた。
「本当にお預けして良かった! 僅か十三歳とは思えぬ上達振りです!」
「マリエッタが努力したからです」
浮き立つ声と共に寄ってきたティアーノに、シノブは礼など無用と微笑んだ。
今日のアマノ号にはアルストーネ準公爵ティアーノと彼の供も乗っていた。ティアーノは無事に我が子が生まれたと、義父である国王レオン二十一世に報告するのだ。
ちなみにフィオリーナも同行したがったが、新たな息子ストレーオと共に留守番だ。彼女は治癒魔術で出産前の健康を取り戻したが昨日生まれたばかりの赤子を伴うのは無理があるし、かといって置いていくのも好ましくない。
それに行きは竜が運ぶアマノ号だからともかく、帰りは飛行船だから天候次第では激しく揺さぶられるだろう。最近は出来るだけ神像での転移を避けているから、国王に孫の顔を見せるのは首が据わってからとなったわけだ。
──御両親ではないようですね──
──確かに……少なくともティアーノ殿は無関係でしょう──
アミィとシャルロットは思念でのやり取りを続けていた。
表面上はシャルロットがシノブから我が子を受け取り、アミィが赤子に『勇者の握り遊具』を渡しただけ。つまり会話を続けるシノブに代わり、二人がリヒトの世話を引き受けたようにしか思えぬ光景だ。
しかし今もシャルロットとアミィは、ティアーノの観察を続けている。
シノブも二人と同意見、マリエッタの悩みは別の何かだと判断していた。
何しろティアーノの背後では、娘と良く似た虎縞の尻尾が上機嫌に揺れている。流石に前から見えるほど大きな動きではないが、魔力感知に優れたシノブは手に取るように分かる。
ティアーノがシノブの感知能力を考慮して目の届かぬところでも演技している可能性はあるが、それは深読みのしすぎで娘の成長を喜ぶ姿としか思えない。
「……本当にシノブ陛下は謙虚なお方ですね。そこまで謙遜なさらずとも」
「いいえ……そうだ、まだカンビーノまで少々あります。マリエッタの修行の成果、更に見ていただきましょう」
ティアーノの賞賛に照れたのもあるが、シノブはマリエッタとの組み手を披露することにした。
都市アルストーネから王都カンビーノまで直線距離でも500kmほどだから竜が普通に飛んでも三時間、バージ達の棲家を越えていないから残り一時間以上は確実だ。一泊の礼をしたかったところだし、手合わせをすればマリエッタの悩みも掴めるかもしれない。
そんな思いと共にシノブは歩んでいく。
「せっかくだからティアーノ殿に良いところを見ていただこう。無手の勝負、アマノ号の上の全てを使って……これでどうかな?」
「し、シノブ様……お願いするのじゃ!」
シノブの提案に、マリエッタは一瞬だけ戸惑いを浮かべる。頭上の虎耳が僅かに震え、更に魔力の揺れもシノブは感じ取る。
しかし迷いは刹那の間だったらしく、マリエッタは普段の稽古と同じく深々と頭を下げた。
◆ ◆ ◆ ◆
全ての武術は戦いの神ポヴォールが授けたという。そのため流派を超えて共通する技も多く、『猛虎光覇弾』などはヤマト王国にも存在する。
そしてカンビーニ王国では、剣闘と同じくらい素手の格闘も流行っていた。これはカンビーニ王国がイタリアに相当する場所で、神々がコロッセオなどを含む古代ローマ風文化を授けたからだ。
もっとも神々は奴隷を禁忌としたから、闘技場は己の技を誇る戦士達の晴れの場となった。しかも『銀獅子レオン』は剣や槍に加え徒手格闘も得意で、現在も全てが等しく重視されている。
ただし場所ごとに好みは異なり、メリエンヌ王国のように無手の技は武器を失ったときの備えとされ補助的な位置付けの地も多い。
しかしシノブはポヴォールから無手の技を含め直接教わった。そのためシノブは非常に広範な技を会得しており、それをマリエッタにも伝えていた。
「あれは!?」
中空を見上げるティアーノは、目を丸くしている。
双胴船型のアマノ号の右船体からシノブ、左船体からマリエッタが跳躍し、間の10mはある空間で激突した。それ自体は一定以上の武人なら可能なことだが、交わした攻防にティアーノの知らぬ技があったらしい。
「ヤマト王国に伝わる『熊山靠』という技です」
シャルロットは腕の中のリヒトをあやしつつ、解説をしていく。
まず双方は矢より速く進みつつ左半身から右半身へと翻転し、右掌底を繰り出す。しかし互いに空いた左手で流して間合いを詰め、肩から背を用いた体当たりに転じたのだ。
初手は『猛虎光覇弾』でカンビーニ流拳術に含まれるが、次手は伝わっていなかった。そのためティアーノは自身の知らぬ技を娘がと驚いたわけだ。
「あ~! あ~!」
「凄いですよね……」
「ここは空の上ですが……」
嬉しげに遊具を振り回すリヒト、呆然とした態で呟くミュリエル、同じく呆けたような表情のセレスティーヌ。居並ぶ半分ほどは後の二人と似た顔で、少々斜め上を見上げたまま固まっている。
シノブとマリエッタは、双胴船の上を所狭しと跳び回りながら組み手を続けている。甲板から宙、大型弩砲の上から再び空にと、先ほどの攻防と同様に二つの船体の間だろうが関係なしだ。
今は使っていないがシノブは重力魔術で飛翔できるから、マリエッタが落ちても容易に救助できる。しかし分かっていても彼女のように平然と闘えるだろうか。
幾度目かの攻防も眼下に大森林が広がる宙で、二人は『千手拳』という秒間百打を大幅に上回る連撃を繰り出しつつ飛び違った。
アマノ号は高度500mを超えており、もし大地に激突したら硬化術の達人でも無事では済まないどころか命を落とすに違いない。それを思えば万一は助けがあると知っても足が竦むのでは。
殆どの者の顔には、明鏡止水の域に至った公女への尊敬の念が滲んでいる。
しかし均衡は、とある少女の声により破られた。それはアフレア大陸から来た漆黒の若き女戦士エマの応援だ。
「マリエッタ、頑張って! 夢を叶えるために!」
どうもエマの叫びは、マリエッタの集中を乱したらしい。
夢というのが理由なのか、それとも声を発した者が原因なのか、シノブには分からないが確かに受けに揺らぎが生じた。その結果マリエッタは体勢を崩し、運が悪いことに下へと弾かれる。
「マリエッタ!」
反射的に手を差し伸べようとしたシノブだが、先ほどから感じていた魔力を思い出して譲ることにした。組み手の最中に気を取られるなど言語道断、少しは肝を冷やしてもらおうと思ったからでもある。
「シノブ陛下!?」
「どうして!?」
『油断はダメですよ~』
悲鳴の直後、対照的に暢気な声が大空に広がっていく。そしてマリエッタを光り輝く虎が受け止めた。声の主は光翔虎の得意技である姿消しを使って潜んでいたのだ。
「フェイニー様!?」
「それにオルムル様達も!」
船縁に駆け寄り下を覗きこんだ者達は、一転して歓喜の表情となる。彼らの視線の先には超越種の子達が輪を作り、その中央にマリエッタを乗せたフェイニーが浮いていたのだ。
『実体を見せずに忍び寄るのが光翔虎の真骨頂、です~!』
『マリエッタさん、貴女らしくないですよ』
『邪魔をしてはいけないと思ったので、透明化の魔道具を使ったまま近寄ったのです』
自慢げなフェイニーに、苦言を呈したくなったらしいオルムル、更に姿を消していた理由を律儀にも明かすシュメイと応えは様々だ。それに残る子供達も口々に帰還の挨拶をしたり、森での狩りを語ったりと喧しい。
そのため飛翔で寄ったシノブとマリエッタの交わした言葉を聞いたのは、公女を背に乗せるフェイニーくらいではないだろうか。
「全く……俺に技を仕込んだ方なら『この馬鹿弟子が!』って大喝するところだ」
「それは、もしや……」
シノブは暈した表現に留めたが、マリエッタには誰のことか理解したようだ。
神々との交流をシノブは家族にしか語っていないが、マリエッタほど近くにいれば察しもする。そのため彼女は、シノブを鍛えた相手がカンビーニ王国の奉ずる戦の神だと悟ったのだろう。
「シノブ様……あの……」
「エマは知っているんだね? なら良いんだ……だけど本当に困ったときには教えてほしいな」
口篭もるマリエッタに、至近を飛翔しながらシノブは微笑みかける。
マリエッタの悩みが何か、幾つか思い当たるものはある。しかしエマ達に明かしているなら、それで良いとシノブは思ったのだ。
支えてくれる友達がいるなら、まずは共に当たれば良い。マリエッタの問題であれ、エマの問題であれ、最初は彼女達自身が挑むべきことだ。
もちろん師匠の一人として見守るが、何から何まで手出しする気はない。仮に自身が関係することであったとしても、まずは彼女達が乗り越えるべきだから。
シノブの心は伝わったのだろう。船上へと戻るマリエッタの顔は、普段の明るさを取り戻していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年1月17日(水)17時の更新となります。