25.02 父母の愛、子らの友誼
シノブ達の空の旅は順調で、予定通り昼前に都市アルストーネへと到着した。そして今、一同はアルストーネ公爵の館のサロンにいる。
既に岩竜の長老夫妻ヴルムとリントは物見遊山とばかりに近隣の海へと出かけ、二頭に運んでもらったアマノ号もアミィが持つ魔法のカバンの中である。
「母上……まだかのぉ……」
「心配しなくても大丈夫さ。君やテレンツィオのときも長かった……だがフィオリーナも君達も健康そのもの、今回だって同じだよ。さあ、座って」
うろうろと歩き回るマリエッタに、父のアルストーネ準公爵ティアーノが笑いかける。
まだアルストーネ公爵フィオリーナは、分娩の最中だった。そのためシノブを始めとする一同は、サロンで待つしかない。
「は、はぃ……」
普段の元気が嘘のような小声と共に、マリエッタは父が座るソファーへと向かう。父に諭されたのが恥ずかしかったのか、公女の肩は落ち気味で後ろでは縞模様の尻尾が垂れている。
「マリエッタさん、私を呼びに来ないのですから問題ありませんよ」
「そうじゃった……」
アミィが声を掛けると、マリエッタは決まり悪げな笑みを浮かべた。
都市アルストーネの人々も、アミィが奇跡と呼ぶべき多くの治療を成したと承知している。したがって何かあれば彼女に頼むというのは非常に説得力がある言葉だ。
ここにアミィがいることこそ、母が順調である証。それをマリエッタも理解したのだろう、常の落ち着きが戻り表情にも余裕が生まれる。
「マリエッタ。知っての通り、私もリヒトが生まれたときはソワソワしたよ。それに近しい者しかいないんだ、別に良いじゃないか……ねえ、リヒト」
「あ~、あぅあ~」
シノブは膝の上のリヒトをあやしつつ、言葉を紡ぐ。するとリヒトは握っていた玩具、戦の神ポヴォールから授かった『勇者の握り遊具』を振り上げながら応じる。
広々としたサロンには豪奢な長椅子が三つあり、その中央をシノブ達が使っている。ミリィはカンに戻ったから、シノブと並んでいるのはシャルロット、ミュリエル、セレスティーヌ、アミィの四人、そしてシノブの腕の中に愛息リヒトである。
右脇はアルストーネ公爵家だが、ティアーノとマリエッタのみで少々寂しい。マリエッタの弟テレンツィオはメリエンヌ学園に留学中で、赤子が生まれてから短期の休みを取るそうだ。
その代わりではないが、反対側には四人の若い女性が腰掛けている。カンビーニ王国時代からのマリエッタ達の学友が三人と、アマノ王国で知り合ったウピンデ国出身のエマである。
おそらくティアーノは、マリエッタが動揺を隠せないと思ったのだろう。普段なら室内に置く侍女や従者を下げ、娘の素顔を知る者達だけとしたのだ。
「やはりシノブ陛下も……実は私も妻の初産、つまりマリエッタが生まれたときは狼狽したものです」
ほろ苦い笑みを浮かべたティアーノは、照れを表すように自身の虎耳の近くに手を当てる。彼はマリエッタと同じ虎の獣人なのだ。
「分かります。夫なんて待つだけですからね」
「アヴニールとエスポワールのときも……では?」
シノブの澄ました様子が面白かったのだろう、シャルロットが笑いを堪えつつ訊ねる。
実際シャルロットとミュリエルの弟達が誕生したときも、シノブは平静でいられなかった。どちらのときもマリエッタと同じく今か今かと待ちわびたものである。
シャルロットは夫と共にアヴニールの誕生を待ったし、リヒトの出産が近くて行けなかったエスポワールのときはミュリエル達から聞いた。これらは我が子どころか義弟の誕生だから、シャルロットがマリエッタ以上の狼狽だと指摘するのも無理はない。
「確かにね。だからマリエッタ、気にしなくて良いんだよ」
「シノブ様……ありがとうなのじゃ」
微笑むシノブに、マリエッタは真っ赤な顔で応じた。彼女は恥ずかしさと嬉しさが半々といった様子だが、しょげていた先ほどとは別人のような明るさを取り戻している。
「やっぱりマリエッタさんには笑顔が一番ですわ!」
「はい!」
セレスティーヌとミュリエルは微笑みを交わす。それに友の気持ちが上向いたからだろう、左脇のソファーに腰掛ける四人の少女も顔を綻ばせる。
女性達の輝く表情と華やぐ声がサロンに広がったからだろう、空気すら先刻より煌めいているようである。
「やはりお預けして良かった……腕前と同じくらい、心の広さや深さも増したようです。うろうろしているときは背が高くなっただけかと思いましたが……そうだ! 君達、お腹が空いただろう?」
「そうじゃ、妾に合わせなくとも良いのじゃぞ!」
しみじみとした声音のティアーノだったが、途中で娘の学友へと視線を向けた。するとマリエッタも、友人達に食事を促す。
「いえ、マリエッタ様こそ……」
「シノブ様、マリエッタ様は朝食を抜いたままなのです」
「お気持ちは分かりますが、軽いものでも……」
フランチェーラ、ロセレッタ、シエラニアの三人は逆にマリエッタに食事を勧める。
食べ物も喉を通らぬマリエッタに、三人は付き合ったらしい。そして友が食べぬのに自分達だけがと、今も自身よりマリエッタを案じている。
「マリエッタ、食べなきゃダメ。私が頼んでくるから、少しだけでも口にして」
アフレア大陸生まれの漆黒の少女エマが、静かに立ち上がった。そして彼女はマリエッタの答えを待たずに扉へと向かっていく。
エマはシノブ達と共に来たから、マリエッタが食事を抜いていたとは知らなかったのだ。
今回はアルストーネ公爵家で一泊し、更にカンビーニ王家が待つ王都カンビーノへと向かう。そのためエマだけではなく多くの側付きをシノブ達は伴っていた。
主だった者を挙げると、まずシノブの親衛隊長エンリオ、その孫のソニアとミケリーノ、更にエマの兄のムビオなどだ。つまりカンビーニ王国や更に南方のアフレア大陸から来た者達を中心に選抜している。
北で大半を雪に覆われたアマノ王国とは違い、ここデレスト島や次に向かうカンビーニ半島は冬でも温暖で降雪など稀である。窓の外も二月上旬というのに緑が濃く、これぞ南国といった暖かさでシノブ達も薄物に変えた。
そういった場所だけに、シノブは南方出身者に一時の憩いをと考えたのだ。
「良い娘ですね……。そうです、ウピンデ国といえばベティーチェが戻ってきますよ。あのエルネッロ子爵の娘です」
「ああ……」
ティアーノの言葉に、シノブは曖昧な応えを返す。
カンビーニ王国の女艦長ベティーチェが南方航路の維持管理に加わっているのはシノブも知っているし、それどころか彼女と会ってすらいる。最初はアマノ王国での宴、次はアフレア大陸でエマ達と出会ったときだ。
そのため充分記憶しているのだが、自国の重臣メグレンブルク伯爵アルバーノと懇意と噂の女性だけに返答に悩んだのだ。加えてフランチェーラ達三人もアルバーノを慕っているらしいから、迂闊なことは言えない。
ここで自分がベティーチェの帰還を歓迎すれば、フランチェーラ達が誤解するのでは。そんな思いがシノブの頭を過り、口を重くしたわけだ。
◆ ◆ ◆ ◆
主賓たるシノブが黙ったからだろう、暫しの静寂が訪れる。しかし数拍分の間の後、無音の場に真っ向から切り込んだ者が現れる。
「メグレンブルク伯爵に嫁がれるのでしょうか?」
単刀直入に問うたのは、獅子の獣人の娘ロセレッタだった。
ロセレッタは武術でも力押しを得意とするが、性格も直情的なところが目立つ。現に今も、青い瞳で真っ直ぐにティアーノを見つめている。
ロセレッタ達三人は何れもデレスト島の伯爵家の娘だ。フランチェーラのリブレツィア伯爵家、ロセレッタのカプテルボ伯爵家、シエラニアのルソラーペ伯爵家、この三家をアルストーネ公爵家が率いる形でデレスト島は統治されている。
そのため他には聞けぬ微妙なことでも、この四家の間であれば口に出せるらしい。実際三人はマリエッタの学友として長く暮らしていたから、フィオリーナやティアーノは主であり師匠であり、親代わりでもあるらしい。
「それは先方のお考え次第だよ。ただフィオリーナは、ベティーチェをアマノ王国などの東航路に回そうと考えているようだね」
ティアーノの言葉に、並んで座る三人娘の表情が僅かに動く。ただし予想済みなのか、その程度では影響が少ないと思ったのか、声を出すまでには至らない。
メグレンブルク伯爵領は、アマノ王国で海から最も遠い領地だ。自国の海岸から1000km以上、西の隣国メリエンヌ王国に出たら半分以下だが500kmを超える。
したがってベティーチェが単に艦長として働くだけなら、アルバーノと会う機会は稀だろう。
とはいえフィオリーナは新たに得る子を誕生直後にリヒトに会わせたいと望むくらい、同様にカンビーニ王家も昨年末に生まれたミリアーナとリヒトの対面を心待ちにしている。アルバーノに限ったことではないが、アマノ王国の王族や貴族との縁組みを念頭に置いているのは誰の目からも明らかである。
マリエッタを含む四人をシノブ達に預けたのも同じであり、今回も単なる配置換えと考える者はいないようだ。
「もしや、シルヴェリオ殿とオツヴァ殿の件で?」
ふいにシノブの頭に浮かんだのは、カンビーニ王国の王太子とアスレア地方のエレビア王国の王女だった。この二人は、来月の中旬に結婚するのだ。
シルヴェリオにはアルビーナという第一妃がおり長男ジュスティーノと長女ミリアーナを得ているが、まだ第二妃はいなかった。そこでエレビア王国は、自国に近く海洋国家でもあるカンビーニ王国に狙いを定めたらしい。
「ええ、その通りです」
ティアーノは顔を綻ばせ、大きく頷き返した。
カンビーニ王国も東域との交易強化を進めていたから、玄関口たるエレビア王国と手を組むべきという意見が大勢を占めたそうだ。アマノ王家はリヒトが生まれたばかり、それなら今は一つ向こうのエレビア王国の王女をとなったわけだ。
「ご成婚となれば……いえ、その前にエレビア王国を訪問されるのでしょうね」
「アルビーナ様もご一緒でしょうし、女性艦長の方が好都合ですね」
「男性だけの船というのは、やはり気詰まりですわ」
シノブの両脇から、安堵したような声が上がる。
シャルロットも弟子達の乙女心を察しているようで、先ほどは言葉に迷ったらしい。しかしシルヴェリオとオツヴァの件は公表もされているし、少なくとも弟子達の恋とは関係ない。
ミュリエルとセレスティーヌは船旅に触れたが、これも当たり障りのない話題というのが大きいようだ。
一方シノブ達の左側には、何となく安心したような顔が並んでいた。その様子からすると、やはり彼女達はアルバーノを慕い続けているように思える。
残るマリエッタはとシノブが視線を動かしたとき、サロンの扉が音を立てる。どうやら戻ってきたエマがノックをしたらしい。
「マリエッタ、食事を持ってきた。さあ食べて」
やはり入室を告げたのはエマであった。彼女は大きなワゴンを押し、ゆっくり中へと進んでいく。
ワゴンは三段に分かれており、そこにはパンや飲み物、それに果物を切り分けたものなどが並んでいる。どうやらマリエッタだけではなく、人数分の軽食があるようだ。
既に昼近いから、エマはシノブ達にも食事を用意せねばと思ったのだろう。
「ありがとうなのじゃ!」
「手伝います!」
マリエッタが席を立ち、更にフランチェーラが続く。何やら沈んだ様子だったマリエッタも、友人の好意を無駄にしてはならないと、気分を切り替えたらしい。
マリエッタが浮かない様子だったのは、他人事とはいえ縁談に話が及んだからだろうか。並べられていく料理を見るともなしに見つつ、シノブは思いを巡らせていく。
シノブもカンビーニ王国が自分とマリエッタの結婚を望んでいるのは理解しているが、こればかりは遠慮したかった。側近や武術の弟子としてのマリエッタを好ましく思うものの、結婚や恋愛とは無縁な感情だったのだ。
一方のマリエッタだが普段は武術の修行に邁進し、シノブやシャルロットにも師匠に対する敬意のみを示す。とはいえ実家に戻り親族や知人の縁談を聞けば、我が身はと思いもするだろう。
今やマリエッタは、シャルロットのみならずシノブの愛弟子でもある。そのため彼女の将来を気に掛けはするが、この件ばかりは容易に触れるわけにもいかない。
エウレア地方の慣習からすると、修行の方便とはいえ名目上は主君のシノブが相応しい男性を紹介するという手もある。しかし地球で生まれ育ったシノブだけに、まだ十三歳のマリエッタにという意識が先に立ってしまう。
本人が結婚を望むならともかく、早く片付けと言わんばかりの縁組みなど論外というのがシノブの偽らざる気持ちである。
考え込むシノブを、ティアーノが興味深げに見つめている。
やはりティアーノとしては、娘をシノブに嫁がせたいのか。あるいは脈がないなら早めに別の者をと探っているのか。それともカンビーニ王国の柱石として、同盟盟主の観察をしているだけなのか。
武術や魔術で磨きぬいたシノブの感覚は、沈思黙考の最中であっても注がれる視線を捉えている。だがティアーノが問い掛けることもなく、そのまま軽食を摘むことになった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は食事し、リヒトには隣室で乳母が授乳をする。そして食器も片付きリヒトが戻りと、小一時間ほどが過ぎる。
しかし状況に変化はなく、シノブ達は待機を続けるのみだ。そのため再び焦れた者が現れる。
「ま~だ~う~ま~れ~ん~、のじゃ!」
「あ~あ~う~あ~え~ん~、あ~!」
不満げなマリエッタが大声を上げると、何故かリヒトが真似をする。しかも彼は右手の『勇者の握り遊具』も振り、自身の声に合わせて耳に心地よい音まで響かせる。
発育の早いリヒトだが、ここまで明確に言葉を真似たのは初めてだ。そのためシノブのみならず、シャルロット達も目を見張る。
「し、シノブ陛下! リヒト殿下は、もう言葉を!?」
「いえ、単に繰り返しただけだと……」
驚愕を顕わにするティアーノに、シノブは首を振ってみせる。
リヒトは感情を魔力波動に乗せるから、シノブは大よその意図を掴んでいる。そして自分が察した通りなら、膝の上の我が子はマリエッタの声をなぞっただけだ。
おそらく一音ずつ伸ばしたから真似しやすく、やってみようと思ったのだろう。
「そ、それでも凄いのじゃ……」
「うん、凄い。流石は若貴子様のお子様……」
呆然とするマリエッタに、目を丸くしたエマが続く。エマも激しく驚いたようで、最近は使わなくなったシノブの別称を口にしていた。
この若貴子というのは、この星を預かる女神アムテリアが神託でウピンデ国の巫女の長エンギに伝えたものだ。つまりシノブが神に連なる者と示す尊称だけに、エマも普段は控えている。
もっともウピンデ国では今でもシノブを若貴子と呼んでいるらしく、我を忘れたエマが口に出してしまうのも無理はない。
「これは……マリエッタ、お側に侍るのも大変だね?」
「そ、それは、どういう……」
父の意味深な視線を、マリエッタはどう受け取ったのか。彼女は頬を染めたまま口篭もる。
もっともマリエッタのみならず彼女の学友達も顔を赤くし、シャルロット達も顔色は変えぬものの視線を発言者へと向けている。どうやら大半の者がティアーノの言葉を深読みしたようだ。
「マリエッタ、このまま待っていても詰まらない。私が一手授けよう……庭に出なさい」
「わ、分かったのじゃ!」
どうやらティアーノは武技の伝授をするつもりらしい。そう悟ったらしくマリエッタの表情は引き締まり、弾かれたように立ち上がる。
そしてシノブ達も含め、一同は館の脇にある修練場へと移動した。幸い天気も良いので、シノブはリヒトを抱いたまま連れていく。
ティアーノが授けるのは剣の技なのか、彼が携えているのは佩いた小剣のみだ。一方のマリエッタも同様だから、剣の手合わせでもするのだろうかとシノブは想像する。
「その小剣で私の腕に斬りつけなさい」
「父上、もしかして王家の秘技を授けてくださるので!?」
袖を捲り上げて右腕を出したティアーノに、マリエッタは歓喜の滲む声で問い返す。どうやらティアーノが教えるのは、硬化魔術の一種のようだ。
硬化の術を極めれば、文字通り刀槍不入となる。シノブも使えるし他にもイヴァールなど名手は多いが、一方で練度の差が激しい技でもある。
それこそシノブやイヴァールは全力で突き込んだ槍でも通さないが、棒で打たれる衝撃を堪える程度も珍しくはない。というより多くの者が使える硬化術は、むしろ後者なのだ。
しかし剣で斬れというくらいだから、ティアーノは超一流の域に達しているに違いない。
「ああ、義父上に教えていただいた技だ」
ティアーノはカンビーニ王家に婿入りした側、妻のフィオリーナが現国王レオン二十一世の娘である。しかし建国王『銀獅子レオン』を始め代々の王が娘婿となる男性に自身の技を伝授したように、ティアーノも義理の父に鍛えられたわけだ。
「……いくぞ! カンビーニ王家秘術、鋼勝甲!!」
ティアーノが絶叫すると、彼の魔力が激しく蠢いた。そして一瞬の後、シノブはティアーノの腕が魔力の鎧を纏ったと感じ取る。
──光翔虎から……なんだろうね──
──おそらくは──
──代々の王には光翔虎の名が伝わっていたようですからね──
邪魔してはいけないと思ったシノブは、思念で密かに語りかけた。するとシャルロットとアミィも同じように、声なき声で応えを返す。
「さあ来い!」
「はい!」
よほど信頼しているのだろう、マリエッタは自分に斬りかかれというティアーノに躊躇いもなく全力の一撃を繰り出す。
大上段からの振り下ろしは、シノブも使うフライユ流大剣術の『神雷』であった。剣は多少短くとも、今のマリエッタなら得物に合わせるなど造作もない。
そしてシノブが伝えた通りの神速の縦一文字が、ティアーノの右腕に襲いかかる。人間どころか同じ太さの鉄棒すら両断する絶技だが、マリエッタは緩めることなく剣を奔らせていく。
「あっ!」
「弾いた!」
「流石ティアーノ様!」
「掴めたかも……」
剣と剣をぶつけたような鋭い音に、カンビーニ王国出身の三人の叫びとエマの微かな声が続く。
どうやら四人は見取り稽古に勤しんでいたらしい。早速彼女達は、自身の腕に魔力を集めて硬化の術を試している。
シノブの見たところ、エマ達の硬化はティアーノと比べるべくもないものだ。しかし彼女達が前回の稽古より進歩しているのも事実で、それぞれ何がしかの収穫はあったらしい。
「ありがとうございました!」
「ああ、充分に練習するように。少なくとも、いきなり剣で斬らせちゃ駄目だよ」
一礼するマリエッタに、ティアーノは近寄って頭を撫でる。
娘の頭に置いたのは右手で、腕には毛筋一つの傷もない。やはりティアーノの硬化術は、鋼鉄を遥かに勝る硬度を実現しているようだ。
「見事な技でした……ところで、何故伝授を思い立たれたのでしょう?」
「少々娘の後押しをしようと思いまして。娘が目指す頂は、まだまだ遥か高みにあるようですから」
問うたシノブにティアーノは爽やかな笑みを返すと、更にシノブとシャルロットを見比べるように視線を動かした。
対するシノブは自身の顔が熱くなったと感じていた。ティアーノが自分の胸中も充分に察していると理解したのだ。
動機が親の愛情なのか、はたまたカンビーニ王国の要人としての意思なのか、シノブには分からない。ただ一つ確かなのは、自身も真摯に応じなくてはということだ。
もちろん気持ちに変化はないが、断るときも心を尽くさねば。そうシノブが決意したとき、ティアーノが更に口を開く。
「まだ娘は道半ばです。決戦のときは何年も先でしょうから、じっくりお待ちください」
「それは……」
ニヤリと言うのが相応しい相手の笑みに、何と答えるべきかとシノブは思い悩んだ。しかし意外なところから助けがやってくる。
「皆様、こちらでしたか! 無事に出産が終わりました! 母子共に健康、男の子でございます!」
駆けてきた侍女の言葉に、シノブ達は喜びの声を上げる。そして一同は足早に館の中へと戻っていった。
◆ ◆ ◆ ◆
フィオリーナが身支度を終え、シノブを含む一同は彼女の居室へと通される。すると、そこには寝椅子に横たわる女公爵と、虎の獣人の赤子が待っていた。
フィオリーナと長男のテレンツィオは獅子の獣人だから、これでアルストーネ公爵家は獅子の獣人が二人に虎の獣人が三人となったわけだ。
「そんなことがのう……ティアーノよ、そなたの一押しは妾にも効いたようじゃ」
「というと?」
何やら納得したらしきフィオリーナに、ティアーノは小首を傾げつつ問いかける。どうやら彼は妻の言葉が示すものを掴みかねたらしい。
「いやの、そなたの声……それともマリエッタじゃろうか。ともかく聞きなれた声が響いたかと思うと、ストレーオが飛び出したのじゃ。今まで苦しんでいたのが嘘のようになぁ」
クツクツと笑うフィオリーナは、隣の揺り籠で眠るストレーオと命名された男の子に顔を向けた。そして彼女の伝えたいことを理解したシノブ達も、思わず笑みを浮かべる。
ティアーノやマリエッタの魔力波動が、フィオリーナに伝わって分娩を促した。ありそうなことだが、シノブは単なる魔力による事象としたくなかった。
やはりシノブとしては、夫や娘の心がフィオリーナを励ましたと思いたかったのだ。
「そうか……。ストレーオ……君の誕生を助けたなら、とても嬉しいよ」
「やはり、そなたじゃろうな。ほれ、ストレーオの顔……幼いときに見たそなたの祖父、先々代リブレツィア伯爵によう似とる」
ティアーノとフィオリーナの語らいに、シノブは無言のまま耳を傾ける。
輪廻の輪に戻った先祖が我が子となって帰ってくる。この言い伝えを、二人は考慮すべきものだと受け取っているらしい。
果たして赤子の顔から老人との類似を見出せるのか。それとも父母だけに分かる感覚なのか。シノブは隣のシャルロット、そして自身が抱く我が子へと目を向ける。
「あ~、あ~!」
シノブに続きシャルロットまで見つめたからか、リヒトは高らかに声を上げ更に手にした『勇者の握り遊具』を振り上げる。するとシノブの聞きなれた、鈴のように心地よい音が室内に広がっていく。
「おお、そうじゃった! リヒト殿とストレーオの対面を!」
「そうじゃ! 我が弟とリヒト殿の友誼を!」
フィオリーナが声を上げると、今まで揺り籠を覗き込んでいたマリエッタが場所を譲り、こちらに来てほしいと言うように手を広げる。
「それでは僭越ながら、私ティアーノが寿ぎを。
……『新たな輪廻の仲間を我ら先達が喜びと共に迎えん。そして新たな輪廻の子には絆の友を……願わくば二人が命の限り勇者を目指して競い合い、至誠を尽くし戦友として助け合い、再び闇に抱かれる日まで炎のように熱く鋼のように硬き友誼で結ばれんことを』……シノブ陛下、お願いします」
ティアーノの言葉は、カンビーニ王国に伝わる祝詞なのだろう。あるいはカンビーニの王族のみが継いできたものだろうか。いずれにしてもシノブが初めて耳にする言葉であった。
勇ましさ溢れる内容は、獅子王の国に相応しい。輪廻に触れる祝いや葬送は他国にも例があるが、随所に戦いを感じさせる辺り、流石は戦の神ポヴォールを奉じる国と言うべきだろう。
『銀獅子レオン』に試練を課したのはポヴォールだというから、本当に戦の神が授けた聖句でも不思議ではない。
「リヒト……ストレーオ君に挨拶しよう」
シノブは囁きながら、二人が手を握る様をイメージして我が子に送る。
あまり突飛なことをさせると問題になるかもしれないが、既に人払いを済ませておりサロンにいた者達にフィオリーナとストレーオを加えただけだ。この面子なら他に漏れることもないと、シノブはリヒトを揺り籠の脇に近づけていく。
「あ~! あ~!」
既にティアーノがシノブ達のいる側の囲いを下げているから、リヒトを新生児に寄せるのも容易だった。しかしリヒトは眠る赤子の手を握らず、胴の少し上で自身の遊具を振り始める。
「何か、呼びかけているような……」
「あっ、ストレーオが起きたのじゃ!」
シャルロットの呟きを、嬉しげなマリエッタの声が掻き消した。鈴に似た音が耳に届いたのか、新生児はパッチリと目を開けて家族とそっくりの金の瞳を顕わにしたのだ。
「まあ、とても可愛いらしいですわ!」
「本当です! あっ、遊具に手を伸ばして……」
セレスティーヌは華やぐ声で感動を表し、ミュリエルは新たな命が掲げた手を指し示す。
ポヴォールが授けた『勇者の握り遊具』は彼の色である真紅を基本としているから、ストレーオは燃え盛る炎を掴もうとしているように映る。
まるで文明の象徴たる火を得ようとする、創世の一幕を象徴するかのような姿。そのためだろう、誰もが息を呑んで赤子の小さな手を見つめていた。
「リヒト殿が……ストレーオに握らせてくれたのかの?」
「分かりませんが、友誼は成ったと思います」
感激のあまりか揺れる声のフィオリーナに、シノブは深い感慨を覚えつつ応じていく。
リヒトとストレーオ、二人の赤子は共に『勇者の握り遊具』を握っていた。リヒトが柄、その先の玉をストレーオである。
そしてシノブが語り終えた瞬間、赤い炎のような輝きが室内に広がっていく。
──シノブ、この光は──
──ああ、ポヴォールの兄上だ──
──ストレーオ君を祝福してくださったようです──
シャルロットの疑問を、シノブとアミィが解き明かす。真紅の波動は戦の神ポヴォールの息吹、新生児への贈り物だったのだ。
「リヒトに良い友人をありがとうございます」
「なんの、こちらこそ」
喜びも顕わなシノブに、フィオリーナは莞爾とした笑みで応じる。その様子は『銀獅子女公』と呼ばれる女傑であり、一人の愛情深き母の姿でもあった。
きっとリヒトはストレーオ達と競って伸びていくのだろう。マリエッタ達のように支え合い、励まし合いながら。
誰も一人だけでは成長できないし、ティアーノの寿ぎのように周囲と切磋琢磨してこそ前に進んでいける。そしてカンビーニ王族が赤子のうちから相応しい友をと望むのは、それをポヴォールから教わったからに違いない。
もっと我が子に友人を。これから生まれ来る命との出会いを。シノブは祝詞にあった新たな輪廻の子が一人でも多く現れるよう、心の底から願っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年1月13日(土)17時の更新となります。




