25.01 廻る命
創世暦1002年2月7日の朝、シノブ達は空路でカンビーニ王国の都市アルストーネへと向かっていた。現在シノブ達は、岩竜の長老夫妻ヴルムとリントが運ぶアマノ号に乗っている。
この日の朝早く、アルストーネの主にして女公爵のフィオリーナが産気付いたと知らせがあった。
アルストーネ公爵フィオリーナとは、娘のマリエッタをシャルロットの側近として預かっている縁もある。そんなこともあって昨夏アマノ王家がアルストーネを訪問したときも、全員が赴いたほどだ。
しかし今回の訪問理由は、親密さだけではない。
「リヒト~、もうすぐお友達と会えるよ~」
「あ~、う~!」
アマノ号の上に置かれた魔法の家のリビングで、シノブは愛息リヒトを抱き上げる。するとリヒトは青い瞳を輝かせ、可愛らしくも大きな声で応じる。
訪問の目的の一つは、フィオリーナが産む子とリヒトの対面である。もちろんシャルロット達もいるが、ある意味ではリヒトが主役なのだ。
まだリヒトは生後三ヶ月を過ぎたばかり、しかも相手は誕生間もないから双方とも記憶にすら残らないだろう。しかしカンビーニ王国側は、そう捉えていないらしい。
もし女の子ならリヒトの婚約者候補、男の子なら友人。それに男の子であれば、アマノ王家が娘を得たら妻に迎えることも可能である。
しかも候補は他にもいる。昨年末、カンビーニ王太子シルヴェリオはミリアーナという娘を得た。そこでアルストーネの次は王都カンビーノに向かい、リヒトとミリアーナを対面させる予定になっている。
「ミリアーナ様のお誕生日はシャルお姉さまの二日後……生後四十日くらいですわね」
「婚約は先ですが、もしかしたら将来はリヒトに嫁ぐかもしれませんね」
小首を傾げたセレスティーヌに、ミュリエルが微笑みと共に応じる。
シノブの妻や婚約者はメリエンヌ王国出身で埋まったから、カンビーニ王国やガルゴン王国は次世代の妃を逃したくないらしい。そして年齢の釣り合う娘が生まれたカンビーニ王国は、早速リヒトに会う機会をとアマノ王家に申し入れた。
とはいえ今のミリアーナに旅をさせるのは可哀想、そこでシノブ達が訪問することになったわけだ。
「まだ早いと思うけどね。成人する十五歳までとは言わないけど、せめて十歳まで待ってほしいな」
「そのくらいなら大丈夫でしょう」
シノブがリヒトを抱いたまま歩むと、シャルロットも続く。もちろんミュリエルやセレスティーヌも追うから、現在アマノ王家を構成する五人の全てがリビング正面の窓際に集まった。
先ほどまでアマノ号の前方には雪で覆われた山脈があったが、今は緑豊かな大森林へと変じている。どうやらアマノ王国を抜け、南の隣国デルフィナ共和国に入ったらしい。
竜達が運ぶ磐船は飛行船と違い、悪天候や高高度でも問題ない。そのため今回はアマノシュタットから都市アルストーネまで一直線に向かっている。
「デルフィナ共和国に入ったか……」
シノブは窓の外に広がる緑を見つめながら、リヒトの将来に思いを馳せる。
生まれたときから婚約者まで取り沙汰されるなど、現代日本の一般家庭で生まれたシノブには縁のない世界だった。しかしリヒトは、そういう事柄を当たり前として育っていく。
現にシャルロット達は理不尽と感じていないようだ。彼女達は愛情豊かな女性だが同時に貴族や王族として生きてきたから、無意識のうちにでも自制するのかもしれない。
リヒトや続く子供達も同じように自分を律し、定められた相手と歩んでいくのだろう。シノブは腕の中の我が子に済まなく思いつつも、より良い道を見出せなかった。
王子や王女としての務めを果たさず勝手気ままに過ごすなら、王族から外れてもらうことになる。とはいえ自身の子と縁を切るなど、到底できはしない。
しかもリヒトには母なる女神アムテリアが強い加護を授けている。もし彼が王位に就かなくても、好き放題にさせるなど不可能だ。
我が子を束縛する心苦しさを感じたシノブだが、ふと目に入った煌めきに顔を綻ばせる。
「リヒト、海だよ! あれはエメール海だね!」
シノブの視線の先、アマノ号が向かう西南の地平線は森の緑から海の青へと変わっていた。まだ遥か遠方だが、デルフィナ共和国とカンビーニ王国の間に広がる海が見えてきたのだ。
ただし今は青い線が目に入った程度だから、リヒトには海だと分からないだろう。そこでシノブは海のイメージを思い浮かべる。
リヒトは魔力波動で感情を表すし、逆にシノブ達の思念で察しもする。そして今シノブがやったように情景を想像しつつ思念を発すると、リヒトは何らかの感覚として受け取るらしい。
「う~!」
「ああ、海だ!」
上機嫌になったリヒトに、シノブは大きく頷き返す。
アマノ王国の飛び地の一つに、アスレア地方の南に浮かぶファルケ島がある。そしてリヒトはファルケ島で海に浸かったことがあるから、どのようなものか知っているのだ。
「リヒト、良かったですね。……向こうはアマノシュタットより暖かいでしょうし、天気が良ければ港に行ってみましょう。マリエッタ達も案内したいと言っていましたから」
シャルロットは我が子へと笑みを向けた後、先乗りさせた弟子達に触れた。
カンビーニ王国出身の四人、公女マリエッタと彼女の学友である三人の伯爵令嬢は三日前に飛行船で里帰りさせている。マリエッタ達は修行中の身でと遠慮したが、こんなときくらいはとシャルロットが先行を命じたのだ。
「それは良いね。アルストーネでは一泊させてもらうから、そのくらいの時間はありそうだ」
「ええ、リヒトのためにも海に行きましょう!」
「きっと喜びます!」
シノブが賛意を示すと、セレスティーヌとミュリエルが華やいだ声を上げる。リヒトはシノブとシャルロットの子だが、彼女達二人にとっても愛すべき存在なのだ。
アムテリアを始めとする神々は一夫多妻を認めたから、王や貴族などには複数の妻を持つ者が多い。そして神々が愛と融和を尊んだためだろう、同じ家に生まれた子なら実子だろうが他の女性が産んだ子だろうが等しく扱うべきとされている。
そのためシノブの婚約者であるミュリエルやセレスティーヌも、シャルロットと同じようにリヒトの世話をするし愛情を示す。
「あ~、あ~!」
無邪気な喜びを顕わにする我が子を、シノブは顔を綻ばせつつ見つめる。
きっと先々、リヒトも同じような会話を交わすのだろう。ここでの自然な愛を育み、それを新たな世代へと注いでいくのだ。シノブは朝に相応しい清々しい心持ちで、家族の交流を楽しんだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「ラーメン六丁、出来たアルね~!」
シノブ達の背後から、少々間延びしてはいるが景気の良い声が響く。もちろん、このような口調と言葉遣いをするのは、悪戯好きの金鵄族ミリィしかいない。
そのためシノブは驚きもせずに振り向くが、シャルロット達は気になることがあるようで三人とも怪訝そうな表情をしている。
「ラーメン……とは?」
「六丁?」
「アル?」
シャルロット、セレスティーヌ、ミュリエルは聞き慣れぬ言葉に興味を覚えたらしい。
ミリィはアミィと朝食の準備をしていたし、運んでいるお盆の上には食器があり中にはスープが入っている。そのため三人とも、ラーメンが食べ物だということは理解している筈だ。
しかしどんな品か分からないだろうし、『丁』という数え方や『アル』という助詞も初めてに違いない。ここエウレア地方は西洋風の文化でラーメンは存在しないし、アムテリアは言葉を標準的な日本語で統一したからだ。
「ラーメンはパスタのように麺を使った食べ物です。『丁』は日本で一部の食べ物を数えるときに使いますが、俗な表現ですので……。それと『アル』は中国……こちらではカンに相当する国の出身者が日本語を覚えたときに生じたようですが、やはり一般的ではありません」
同僚に続いてキッチンから現れたアミィは、シャルロット達の疑問に答えていく。こちらもミリィと同じで三つのラーメンどんぶりを乗せており、ゆっくりと歩きながらの返答だ。
「ラーメン作っチャイナ~。食べチャイナ~。美味しいアルよ~」
一方ミリィは説明など任せたと言わんばかりの澄まし顔で、ダイニングのテーブルへと向かっていた。しかも怪しげな歌を口ずさんでいる上に、服はチャイナドレスという凝りようだ。
「ミリィ……『アル』なんて創作でしか聞かないよ。でもラーメンはカンにもあるんだって?」
「はいアル~。これカンで覚えたカンタン麺ね~。作るの簡単アルよ~」
シノブが笑いを堪えつつ問うと、ミリィは相変わらずの似非中国人口調で応じる。
先月の中頃から後半にかけ、ミリィはカンやその南のスワンナム地方の調査に加わった。そのため彼女は向こうの食べ物や風習についても随分詳しくなったらしい。
今後シノブ達はカン発祥の禁術使いを探すし、向こうへの潜入も視野に入れている。そこで実際にカンの食文化に親しんでおこうと、代表的なカン料理をシノブは頼んだ。
今は侍女や従者も下げており、見慣れぬ料理を食しても問題ない。それに都市アルストーネに着くまで数時間もあるから、食後も含めカンについて学ぶ時間にしたのだ。
「ミリィ……そのくらいにしなさい。アムテリア様にお伝えしますよ?」
「そ、それは勘弁してください~!」
アミィの冷たい宣告に、ミリィは本気だと悟ったらしい。
地球を知る者ばかりなら、アミィも同僚の冗談をある程度は見逃す。しかし限度はあり、行き過ぎると釘を刺すのだ。
「さて、食事にしようか。……リヒト~、少し待っていてね~」
シノブはリヒトを『天空の揺り籠』に寝かせる。今回は泊まりの旅だから、神々からリヒトへの贈り物も持ってきたのだ。
魔法の家のリビングにはアムテリアが贈った揺り籠だけではなく、ベビーメリーや子供用湯船など様々なものが置かれている。
「うぅ~」
眠くなったようで、リヒトの応じる声は曖昧だ。魔法の家という普段と違う場所に興奮し、少しばかり疲れたのだろう。
リヒトはアマノ号に何度も乗っているが、大抵はシノブの連続転移などで移動時間を短縮している。しかし今回は公式の訪問だけあり移動手段や経路が記録されるから、他が使えぬ技を避けようとシノブは考えた。
飛行船や蒸気船は日に日に便利になり魔力無線の交信可能距離も伸びているが、これは神々が授けた転移の神像から人の開発した物への移行を推し進めているからだ。それらの推進者である自分が公の移動に転移を使うのは、たとえ自身の能力とはいえ望ましくないとシノブは考えた。
そのためアマノ号はアマノシュタットから都市アルストーネまでの全てを普通に飛行するし、しかも既に出発して二時間近い。これではリヒトが疲労を覚えても無理もないだろう。
「さて、これで良し……ところでミリィ、その格好はカンのもの? それとも地球の衣装を再現したの?」
「はい~、カンのものです~。カン服にはヤマト王国の着物に似たのもありますが、これは北部を中心に女性の衣装として広く使われています~」
テーブルへと向かうシノブに、ミリィは服を示しつつ語り出す。
今ミリィが着ているのは袖なしで裾が長いワンピースだが、カンの北部では寒すぎるから半袖や長袖もあるし今は冬だから長袖で生地も厚い。ちなみに男性用も含めて地球の旗袍、つまり満洲服に酷似している。
一方カンの南部では漢服に似たものが中心だというから、地方ごとの差が大きいようだ。
「脇から素足が覗いて……動きやすそうですが、しかし……」
「は、恥ずかしいです……」
「私も、この衣装は……」
同行するときを思ったのか、シャルロット達が頬を染める。ミリィのチャイナドレスは、腰と表現して良い位置まで両脇にスリットが入っていたのだ。
シャルロットは活動的な衣装だと認めたようだが、それでも着たくはないらしい。そしてミュリエルとセレスティーヌは、明らかに引いていた。どうやらエウレア地方の女性達に、チャイナドレスは不評らしい。
「あ~! これは酒場の店員や踊り子の衣装ですよ~。普通は腿から下だけ開けますし、ズボンを穿く人も多いです~」
ミリィは両手を大きく振りつつ弁明する。
ちなみに地球のチャイナ服にスリットがある理由だが、元々は騎乗のためだったという。しかしミリィが触れない辺り、カンの女性は乗馬をしないのかもしれない。
「なるほどね。それじゃ伸びるといけないから……『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
続きは後で聞くことにして、シノブは食事のときの祈りの言葉を唱える。そしてシャルロット達が和し、ミリィがカンで習い覚えてきたラーメンを食べ始める。
ちなみにシャルロット達もシノブとの生活で箸を使えるようになったから、ラーメンだろうが困ることはない。彼女達は日本人と比べても遜色ない箸捌きで麺を摘んでいる。
「食べ慣れた味だね……やはり日本で情報収集したのかな?」
カンで学んだというラーメンだが、シノブには日本の醤油ラーメンとしか思えぬ味であった。鶏ガラらしき出汁、それにチャーシューやメンマなどが乗っている辺りも良く似ている。
アムテリア達が日本由来の神だからか、ヤマト王国以外でも日本風のものは多い。
創世の時代に神々は、それぞれの地に相応しい文化を授けたという。これは気候や栽培できる作物の違いがあるから当然だが、独自の解釈も相当に加わったようでもある。
アムテリア達に限らず神々は地球に置いた神域を通して観察するのみで、現地に赴くことは無いらしい。これは世界全体を預かる上位の神が、地球に戻るのを禁じているからだ。
要するにアムテリア達は日本を通して地球を眺めるしかないわけで、味など細かな部分まで掴めないこともあるのだろう。
「さあ……私からは何とも」
「右に同じです~」
アミィとミリィは、曖昧な笑みを浮かべていた。やはり神々の眷属としては触れ難いことらしい。
二人の困惑を感じ取ったシノブは、食事に集中することにした。馴染みの味だが美味しいのは間違いないし、それが今後も味わえるなら文句などないと思ったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
アスレア地方の問題が解決して以来、ホリィ、マリィ、ミリィの三人は再び東の調査に戻った。ただしホリィはイーディア地方に関わることが多かったから引き続き彼の地を担当し、マリィがスワンナム地方、ミリィがカンという分担だ。
もっとも三人は協力して調べているし、金鵄族は全力飛行なら時速1000kmを出せるから行き来も多いという。
「禁術使いのダージャオ達がいたというナンカンの都ジェンイーに行きました~。でも今は普通な感じでしたね~。どうもジェンイーから追い出されたか、潜んでいるようです~」
デザートの杏仁豆腐を突きながら、ミリィは口を尖らせた。
一月の終わりから二月の頭にかけ、ミリィ達三人はアスレア地方でシノブ達の支援をしてくれた。そして彼女達の助力もあって東西メーリャの騒動は解決し、スキュタール王国にも正統後継者のカイヴァルが戻り国王として立った。
それ故シノブは文化の一端を掴めば充分な進展だと思っているし、こうやって乗り込むための予習が出来れば満足というのが偽らざるところである。
とはいえ禁術使いを一刻も早く捕らえねばと、神の使徒達が気合を入れるのも理解できる。輪廻の輪という命の根本を覆そうとする相手など、神々を助けて命を導いた者達にとって最も憂うべき存在だとシノブも分かってはいるのだ。
「ジェンイーにはヴェーグ達も行っているんだよね?」
シノブは先月知り合った光翔虎の名を挙げた。
ヴェーグは二百二十歳ほどと成体としては若手だが過去にカンにも行ったことがあり、しかも問題のジェンイーも通っていた。それに彼は人間観察が趣味だけあり、単に通過しただけではなく一年ほどカンの人々を眺めて暮らしたという。
何しろヴェーグはシノブ達と会う前に、人間の文字を独学で覚えて文章すら読めるほどになったくらいだ。それもあって彼はミリィの補佐役に立候補し、更に若手の数頭が同じく調査に加わっている。
「はい~、とても助かっています~。ですから潜んでいるにしても、ごく少数ではないかと~」
「それで北に行ったのですか?」
頷くミリィに、シャルロットが興味深げな声音で訊ねる。どうやらシャルロットは、カンの北部風だというミリィの格好に意味を見出したらしい。
服に関しては、シノブも気になっていた。
ミリィ達がアムテリアから授かった腕輪で自在に変身できるとはいえ、知らない姿にはなれない。つまりミリィがホクカンと呼ばれる一帯に足を運んだと考えて良いだろう。
もちろんナンカンで絵でも見て覚えたかもしれないが、高速で飛翔できるミリィなら実際に行った可能性も高い。シノブは、そう感じていたのだ。
「その通りです~。ホクカンの都ローヤンにも行きました~」
ミリィ達の調べでは、ダージャオ達と同じ系統の禁術使い狂屍術士には北に渡った者が相当数いるらしい。もちろん正確な行き先は不明だが、ナンカンと北で接しているのはホクカンのみだから少なくとも同国を通過している筈である。
「それとですね~、南には魔獣使い……向こうでは操命術士って呼ばれる魔術師達が行ったそうです~。もしかすると、スンウさん達の先祖を使った人達かもしれませんよ~」
ミリィの触れたスンウとは、森猿の王だ。
シノブがカカザン島と名付けたアウスト大陸の北に浮かぶ孤島には、スンウを始めとする千頭ほどの巨大な猿が住んでいる。しかし彼らは自然にカカザン島に棲んだのではなく、三百年少々前に魔獣使いの一団が連れて来たらしい。
「たぶんスワンナム地方に行ったんだろうけど……」
おそらくは森猿の中でも賢い者達を集めて何世代も磨いたのだろうが、そのような難事を成し遂げる者達の行方をシノブは知りたかった。
スンウ達は『アマノ式伝達法』を覚えたほどで、非常に高い知能を持っている。今もオルムル達が教え導いているが、先日は人間に混じって作業をこなしたくらいだ。
もし今も同じことを可能とする者達がいて、しかも私利私欲で魔獣を操ろうとしたら。シノブは己の想像に不吉な予感を覚え、口に出すのを躊躇った。
「森林ばかりですから、光翔虎の皆さんにお願いしました~。イーディア地方の親世代です~」
「それなら安心ですね」
お碗を差し出して杏仁豆腐のお代わりを要求するミリィに、アミィは咎めることなく応じた。
同僚が報酬に相応しい働きをしたと、アミィは思ったのだろう。よそって返したのは大盛りで、ミリィは満面の笑みと共に受け取る。
「シノブさま、オルムルさん達には……」
「伝えるけど、調査に加わるのは駄目だ。魔獣使いの作り出したオーマの木は、超越種でも幼体なら効くみたいだからね」
心配げな表情のミュリエルを安心させようと、シノブは微笑みで応じる。
オーマの木とは、カカザン島にあった凶暴化する花粉を放つ植物だ。幸い花が出来るのは数百年に一度で、しかも花芽の成長も遅くて一ヶ月以上必要だ。そのためカカザン島の木は少数を残して伐採し、残りをスンウ達が見張ることにした。
しかし予め魔獣使いがオーマの木から花粉を集めていたら、まだ一歳前後のオルムル達だと危ない。親世代から指摘されたことだけに、シノブも危険を冒すつもりはなかった。
「オルムルさん達は賢いですから、分かってくれますわ」
セレスティーヌはシノブが念を押せば大丈夫と思ったのだろう。表情を和らげた彼女は、自身のティーカップへと手を伸ばす。
「通信筒で送っておきます!」
「ところでシノブ様~、こちらでは何かありましたか~?」
紙とペンを取り出すアミィを横目に、ミリィが問いを発する。もっとも暢気な眷属の興味は残りの杏仁豆腐にも向けられているらしく、テーブルの中央近くに置かれた大きなボウルから三杯目を取ろうとしている。
「おめでたい話ならあるよ。玄王亀のターサが卵を産んだ。孵化は一ヶ月後だから、ケリスも三月にはお姉さんになれるって大喜びだ」
シノブはミリィが再びカンに渡ってからのことを教える。
先ほどミリィは魔法の家にある転移の絵画を経由してカンから戻ったが、朝食前だったこともあり情報交換をしないままだった。これが普通のメニューなら話す余裕もあっただろうが、アミィもラーメンを作るのは初めてで色々訊ねていたからシノブ達も口を挟まなかったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
新たな命の誕生は、とても喜ばしいことだ。シノブもリヒトを得て以来、ますます感じている。
我が子だけではない。シャルロットとミュリエルの弟達、アヴニールとエスポワールに会いに行ったとき。リヒトが乳兄弟たる乳母の子達と並んで休むとき。そして来月には出産するアリエルやミレーユを見舞ったとき。同じく産み月が近いイヴァールの妻ティニヤやアルノーの妻アデージュの話を聞いたとき。
リヒトの友となる子が生まれる日だからか、シノブは常にも増して生命の神秘に思いを巡らす。
そしてシノブの心は輪廻の輪へと向かっていく。
この世界の神々は輪廻転生が存在すると語っているし、実際にシノブも何度か冥界へと戻る魂に触れた。この星の命は闇の神ニュテスに抱かれて清められ新たな生へと向かうし、それは人間だけに限ったことではない。
しかし禁術使い、カンの狂屍術士などに囚われた魂はどうなるのか。ニュテスはシノブに幻夢の術を授けたとき、恐るべきことを語っていた。
魂を縛るだけならともかく、エネルギーとして使ったり複数の霊を統合したりすると、元に戻らない場合がある。つまり禁術使いが使う術次第では、魂が消滅して輪廻の輪に戻れなくなるそうだ。
もしかすると、今この瞬間にも永遠の死を迎える魂がいるかもしれない。それを防ぐためにも、禁術に魅了された者達を倒すのだ。席から立ったシノブは固く拳を握ったまま、守るべき幼子へと足を進める。
「……シノブ?」
「命は廻る……遠く離れていった魂も、こうやって俺達のところに帰ってくる」
追ってきたシャルロットに、シノブは前を向いたまま応えた。めでたい日に似合わない顔を妻や家族に見せたくないから、シノブは振り返らずに歩んでいく。
「俺達は新たな命を歓迎し、育て、導き、後を託して休む。そして休んだ俺達は新たな生を得て、全ての命で織り成す輪は途切れることなく前へと進む……進ませなくちゃいけないんだ」
今の自分は輪を回し動かす側だ。シノブだけではなく独り立ちした命の全てが、この星の輪を明日へと運んでいる。
これから我が子を一人前に育て、共に動かす仲間として迎え、いつかは背負われる側に戻り、そして旅立って冥神に癒され眠る。
それでも心配はいらない。次の世代、その次と新たな命が代わってくれるから。神に抱かれ新たな活力を得た魂が、ここに戻ってくるから。
自分は神々と共に星を育む者になるかもしれない。しかし常のままなら絆で結ばれた者達と輪廻の旅を続けていく筈で、その在り方も強く心に刻まれていた。
それ故強い怒りを覚える。新しい仲間が来なかったら、どうなるのか。禁術使いが増え、輪廻の輪を食い千切ったら。想像を絶する力を得た一人の異能者が、何億何兆の魂を吸い上げたら。
幻夢の術を得たとき宇宙空間から見た星は、多くの命に溢れていた。しかし無数と思えた命は有限で、道を誤れば不毛の星にもなる。それは限りある資源を浪費する地球で育ったシノブだからこそ、感じ取った姿かもしれない。
「命を勝手に……そんなことは絶対にさせない!」
ついにシノブは、声を荒げてしまった。我が子の近く、そして家族の全てが寄り添うくらい側にいるのにも関わらず。
眼前にはリヒトの安らかな寝息、背後にはシャルロット達の息遣い。それらに囲まれているのに、いや、囲まれているからこそ。全ての命を等しく支える世界の掟を守りたいと、シノブは痛感した。
今生は来世に備えての試練。それなら理不尽と思える最期でも、充分に意味がある。しかし命を弄ぶ輩に消し去られるなど、まさに死んでも死にきれない。
「う……」
「大丈夫ですよ、お父様は何があっても貴方を守ると誓ったのです。ほらリヒト、お父様をご覧なさい」
目覚めたリヒトを、シャルロットが抱き上げた。
あやしつつ振り向く愛妻は、まるで星を統べる女神のような無限の慈愛を湛えている。そのためだろう、シノブの心は静まり顔にも笑みが戻る。
「あっ、リヒトが笑いました!」
「もうシノブ様の心を感じ取ったのですね!」
ミュリエルは声に安堵を滲ませ、セレスティーヌは驚嘆を乗せた。二人の顔も華やかに綻び、先刻までの張り詰めた空気など嘘のように消えている。
「シノブ様~! ちゃんと新たな命は宿ります~! おめでたです~!」
「はい! たった今、アルバーノさんから知らせが入りました! モカリーナさんが身篭ったそうです、たぶん秋ごろの出産かと!」
ミリィは両手を挙げて跳ね回り、アミィは紙片を手に駆け寄ってくる。外からの眩しい光にも負けない、輝かしい笑顔で神々の眷属は新たな命を祝福している。
「そうか……」
紙片を受け取ったシノブは、新たな命に思いを巡らせる。
輪廻転生があるからだろう、この星には新たな子を先祖の生まれ変わりとする俗説がある。神々に聞いたことはないからシノブも真偽は分からないが、親子が似る理屈として広く信じられているらしい。
もしかするとアルバーノやモカリーナの祖父母なのだろうか。あるいは血縁ではなく、アルバーノの戦友など深い縁のある人物か。神ならぬ身で分かる筈もないが、どこか惹かれる夢想にシノブは浸る。
「アルバーノに似た色男か、それともモカリーナのような大商人か……」
「絶世の美女でリヒトを惑わすかもしれませんよ?」
「メグレンブルク伯爵そっくりの色男なら、アマノ王家の娘が危ないですわ!」
「大商人になれる子なら、財務卿に如何でしょう?」
シノブが勝手な予想をしたからだろう。シャルロット、セレスティーヌ、ミュリエルの順で性別すら不明な子の将来を並べていく。
「あ~! あ~!」
「そうだね、楽しいお友達が一番だ! でも、オルムルみたいな羽はないと思うよ!」
リヒトが魔力波動に乗せたのは、元気が良さそうな幼子の姿だ。ただし超越種の子といる期間が長いせいか、送られてきたイメージには岩竜のような羽があった。
羽はともかく、我が子の予想が最も近いのではないだろうか。アルバーノとモカリーナの子なら活力に溢れているに違いない。
シノブの言葉に、シャルロット達は笑みを零しつつ頷いた。
晴れ渡る空を進む船の上、勝るほどに輝く幼き我が子がいる。そして向かう先には、今まさに生まれ出でる命が待っている。
子供達の行く手を危うくする禁術を、未来を覆いかねない暗雲を消し去ろう。シノブは東から南天へと移りゆく日輪に、口に出さぬまま誓いを立てた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2018年1月10日(水)17時の更新となります。
以下、前回以降の関係作品更新状況です。
・異聞録 第49話
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。




