24.30 王太子と競馬 前編
アスレア地方の東端は北から東メーリャ王国、スキュタール王国、ズヴァーク王国、タジース王国と続いている。しかし東メーリャ王国とスキュタール王国の間にはファミル大山脈が聳えて往来を阻み、北の一つと南の三つは様々な点で異なっていた。
北のドワーフは鍛冶が得意、南の人族と獣人族は馬術が自慢。スキュタール王国を始めとする南側は、騎馬民族国家なのだ。
ただし騎馬民族の三国といっても気候の差があり、暮らし振りも大きく違う。
スキュタール王国の王都スクラガンは北緯44度ほどで標高も高く、それに対しタジース王国の王都タジクチクは北緯33度少々で海に近い。そのため激しい降雪に見舞われるスクラガンからすれば、一月や二月でも氷点下すら珍しいタジクチクなど冬と感じないだろう。
その暖かなタジクチクの街中を、乗馬の一団が進んでいる。二月に入ったばかりだが服も比較的軽装、スキュタール王国のように毛皮の防寒具を纏いはしない。もちろん跨る相手も長毛のドワーフ馬ではなく、すらりとした姿の普通の馬だ。
「温暖で過ごしやすそうですね」
馬上で笑みを浮かべた若者は、アマノ王国のイーゼンデック伯爵ナタリオである。
ナタリオはエウレア地方では南のガルゴン王国の生まれ、しかも寒さに弱いとされる虎の獣人だ。しかし彼にとってタジクチクは快適らしく、他と同じタジース王国製の長袖長ズボンを着けている。
タジース王国は綿花の栽培が盛んで、街の者も多くは厚手の丈夫な綿生地を選んでいる。青く染めたズボンや同じ素材の上着は、もしシノブが見たらジーンズやデニムジャケットを連想するだろう。
ナタリオ達も街の者に合わせたから、乗馬姿は西部劇のガンマンのようでもあった。彼らが下げているのはアスレア地方風の湾刀だが、革製の剣帯や首に巻いたスカーフも北アメリカの一時代を飾った早撃ち自慢達を思わせる。
このようなカウボーイめいた姿だから、街の者達も二日前に歓迎したアマノ同盟からの使者だと気付かないらしい。伯爵であり東域探検船団の司令官でもあるナタリオだが十七歳と若く、今の好奇心で瞳を輝かせる姿が年齢相応だからであろう。
「私も南方の生まれだから助かります」
応じたのは同じく虎の獣人の青年、アルバン王国の王太子カルターンだ。彼はアマノ同盟と隣国の仲立ちをするため、東域探検船団に加わりタジクチクへと訪れたのだ。
カルターンはナタリオより年長だが二十三歳と若手、それに彼も下級戦士の装いで注意を惹くこともない。問題があるとすれば気品が滲む口調だが、幸い馬達の蹄の音に紛れている。
仲間を装った護衛だけで十名を超えるし、少し後方には別の集団に扮した者達もいる。それに大通りだけあって向かい側からも騎馬や馬車が頻繁に来るから、語る内容まで周囲に届かないようだ。
「どこの戦士だ?」
「王都じゃなさそうだが、腕は良さそうだな」
「顔も良いですね~」
道を歩む者達は目で追うが、異国の要人達と気付いた様子はない。交わされる内容も乗馬姿や容貌の評くらいである。
そのため馬上の面々も、周囲を気にすることなく会話を続けていく。
「ここタジクチクは南からの海風で温暖、スクラガンのように雪に埋もれませんから!」
高い声を響かせたのは豹の獣人の少女、タジース王国の外務大臣の娘シェイーラだ。
ナタリオ達が到着した日は歓迎の式典、翌日も会談や祝宴で空き時間など存在しなかった。しかし今日は時間があり、こうやってシェイーラ達の案内で街に出たわけだ。
シェイーラも他と同様の衣装で違いは長く伸ばした髪のみ、そのため街の者達も重臣の子だと気付かない。もっとも、これは彼女の極めて自然な騎乗姿も大いに関係しているだろう。
シェイーラは十三歳と未成年だが、騎馬民族だけあり乗馬の腕は確かである。彼女は他に劣らぬ巨馬を平気な顔で乗りこなし、堂々たる手綱捌きは戦士と言われても頷けるほどだ。
「向こうは長毛のドワーフ馬でしたね」
「私はドワーフ馬を見たことがありませんが、シェイーラ殿は如何でしょう?」
ナタリオは寒いスキュタール王国を思ったのか、僅かに眉を顰めた。しかし隣のカルターンは対照的に興味を顕わにする。
カルターンは今回が初めての外遊、しかもアルバン王国はタジース王国と同じくアスレア地方の南岸沿いで多くの場所は暖かい。そのため彼は、まだ見ぬ北の風物に強い関心を抱いたのだろう。
「私もありません。一つ北のズヴァーク王国も普通の馬ですし……でも機会があればドワーフ馬にも乗ってみたいです!」
意気込むシェイーラは、豹の獣人に特有の金に黒い斑の入った髪を揺らす。そして彼女は隣を進む一方、ナタリオへと顔を向けた。
アマノ王国にはドワーフがいるし、彼らが使うのはドワーフ馬だ。そのためシェイーラは、ナタリオから違いを聞けると思ったようだ。
「これだけの腕なら大丈夫でしょう」
ナタリオはシェイーラが乗っている馬、更に他へと視線を動かしていく。
何れも見惚れるほどの巨大な軍馬だ。それらを手足のように御すのだから胴の太いドワーフ馬でも問題ないと、ナタリオは判断したらしい。
「では一緒に行っても!?」
「それとこれは話が別です」
金の瞳を輝かせるシェイーラに、ナタリオは柔らかな笑みで応じた。
シェイーラはエウレア地方やアマノ王国に執心らしく、事あるごとに訪問したいと表明した。王都の案内を買って出たのも、頼み込む機会を逃したくないからだと思われる。
もっともシェイーラにも理屈はある。アスレア地方の例に倣いタジース王国も女性が表に出ることは少なく、父や兄に比べて顔が売れていないというものだ。
今のシェイーラはカウボーイハットのように広いつばの帽子を被っているし、化粧で肌の色も濃くしてはいる。しかし外務大臣自身や跡継ぎの長男なら、この程度では誤魔化せないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
ナタリオ達は軽く街を周った後、衣服や食料に雑貨など様々な店を訪れた。
これはナタリオが父から学んだことの一つであった。彼の父はガルゴン王国の外交官で長く駐メリエンヌ王国大使を務めており、折に触れ息子に手ほどきをしたのだ。
かつてナタリオが領事としてフライユ伯爵領の領都シェロノワに赴任したとき、身分を伏せて街に出たのも父の教えに従ってのことである。
一年少々前、まだアマノ王国が存在せずシノブがフライユ伯爵となって間もない日。ナタリオはカンビーニ王国のアリーチェ、後に妻となる女性とシェロノワを散策した。
当時は領事同士としての交流だが、思わぬ成り行きでシノブ達とも親密さを増し、アリーチェとの距離も縮まった。そのためナタリオにとっては大切な記憶の一つとなったのだろう。
「初めての異国……メリエンヌ王国の王都メリエや私自身の最初の任地シェロノワでも、こうやって見識を深めたものです」
再び馬上の人となったナタリオは、少しばかり頬を染めていた。やはり彼は、領地に残した妻を思い浮かべているようだ。
アスレア地方の南岸の航路開発は殆ど終わり、多くの船がエウレア地方と頻繁に行き来している。それにアルバン王国までは飛行船も巡るようになった。
そのためナタリオも数度の帰国をしているし、領地に戻った際はアリーチェとの時間をとても大切にしている。それは彼が店で手に入れた品にも現れていた。
「衣装をお求めになったのも勉強の一環なのですね?」
シェイーラはナタリオの僅かに後ろに積まれた荷物を見つめていた。そこにはアリーチェや彼女が宿した子への土産物が入っているのだ。
アリーチェの懐妊は十日ほど前に明らかになったばかり、出産予定日は秋だから半年以上も先だ。しかしナタリオは早くも父親としての準備を始めていた。
初の子だから仕方ないが、周りが微笑ましく思うのも無理からぬことだ。現にシェイーラだけではなく、カルターンの顔も大きく綻んでいる。
「私も息子に買いました。それに妻やフィールア殿にも」
カルターンは助け舟を出そうと思ったようだ。彼は背後の荷物、国にいる妻子や婚約者となったタジース王国の王女に贈る品々を指し示す。
タジース王国の王女フィールアは十歳と年少だが、アルバン王国と縁を繋ぐべく王太子カルターンへの嫁入りが決まった。昔はともかく今の両国は平和そのもの、そのため前々から話自体はあったのだ。
現在のアスレア地方は殆どの国がアマノ同盟への参加を表明しているし、既に密な交流を始めている。そこでタジース王国は一歩先を進む隣国を通し、遅れを取り戻そうと考えたわけだ。
ちなみにカルターンには息子がいるが、まだ二歳だから縁組みの対象とならなかった。タジース王国は急ぎたいし、夫が年長であるべきという社会通念もあるからだ。
このように国と国の都合で決まった相手、しかも成人は十五歳だからフィールアは結婚までの五年以上を自国で暮らす。しかしカルターンは将来に備え、今から愛情を育もうとしているようだ。
もちろん結納と言うべき品、国から運んできた宝物はある。とはいえ手ずから選んだものには別の意味があると、カルターンは承知しているのだろう。
「それは大切ですね……」
ナタリオは大きな感銘を受けたようだ。実は彼も婚約者への贈り物を手に入れていたのだ。
親同士が決めたこともあり相手のロカレナは六歳と幼いが、将来を約したのにアリーチェと差をつけるのも良くないだろう。そのためナタリオは彼女のために子供服を購入したが、どうも周囲は妹への品と勘違いしたらしい。
「私も素敵な贈り物をしてくださる殿方とお会いしたいです」
「きっと良い出会いがありますよ。西はエウレア地方、東も航路さえ見つかれば様々な国と交流できる筈ですから」
夢見るような表情となったシェイーラに、ナタリオはタジース王国の将来性を語る。
今のタジース王国はアスレア地方の東端で、そこから先はファミル大山脈と魔獣の海域で塞がれ向こう側のイーディア地方とは行き来できない。しかしアスレア地方の融和が成ったら、シノブは海竜に頼んで海路を設けるつもりだ。
タジース王国に近い辺り、イーディア地方の北西部はシノブ達も調査済みである。
中でもアーディヴァ王国とは神王の事件で王達とも知遇を得たし、それどころか彼の国の再建にはホリィ達も関わったから熟知している。またアーディヴァ王国は周辺三国との関係改善に乗り出しており、シノブ達も情報収集すべく諜報員を派遣したが問題なさそうだ。
そのため『海竜の航路』さえ完成すれば、この四つは良い交易先になるという予想が大勢を占めている。
そのときタジース王国はイーディア地方への窓口となり、莫大な富を得るだろう。向こうには香辛料を始めとする魅力的な品々があるし、それらを求める船がタジース王国の沿岸を行き交うのは確実だからである。
そこまで詳しくナタリオは触れなかったが既に概要を伝えているから、シェイーラやカルターンも深々と頷く。
「アルバン王国からタジース王国、そして東の国々……」
「西と東、どちらも魅力的ですね」
双方とも豊かな未来を思ったのだろう、カルターンとシェイーラは良く似た笑みを浮かべていた。
数え切れないほどの船が、自国の港を訪れる。古くからある帆船に昨年生まれた蒸気船、更に誕生したばかりの機帆船も。
また蒸気船や機帆船を持つのは、一部の国の海軍や東域探検船団のような合同艦隊だけだ。しかし近いうちには商船や客船としても広まるだろうし、そうなれば風待ちもせずに済むから必要な日数も減ずるだろう。
「でも蒸気機関車や蒸気自動車というのが広まったら、タジースの馬は売れなくなるかも……」
「大丈夫ですよ、全てが入れ替わるのは何十年も先です。それに蒸気機関車は線路の上だけ、蒸気自動車も整った道しか走れません」
不安げな表情となったシェイーラに、ナタリオは首を振ってみせる。
数の問題もあるし、大型の蒸気機関は製造費も桁違いだ。それに馬は不整地でも進めるし、この世界の軍馬は身体強化のお陰で何倍もの馬力を備えている。
そのため今後も馬が必要だとナタリオは語っていく。
実際のところ蒸気機関車の速度は普通の馬車と同等、蒸気自動車なら荷馬車と変わらない。しかも後者はエウレア地方でも王族や一部の上級貴族が手に入れたばかりで、とびきり高価な趣味の域に留まっていた。
「そうあってくれると助かります……彼らのためにも」
シェイーラは行く手へと顔を向ける。そこには大歓声を上げる人々と、熱い声に押されるように疾駆する競走馬達がいた。
◆ ◆ ◆ ◆
ナタリオ達が馬場を訪れたのは、単なる興味本位からではない。最近タジクチクで話題の新人騎手が、スキュタール王国の王太子カイヴァルに似ているらしいのだ。
「新人騎手のカーヴァム。人族で三十半ば、黒髪に黒い髭……」
「条件に当て嵌まりますね……タジクチクに現れたのが昨秋というのも」
ナタリオの囁きに、カルターンが同じく小声で応じた。そして二人は、再び馬場へと顔を向ける。
先頭は見事な黒馬で、騎手も同じ色の髪と髭を靡かせている。そして遠目に見る限りでは、三十歳を幾らか超えているのは間違いなさそうだ。
スキュタール王国も騎馬民族国家、向こうで一般的なのはドワーフ馬だが名手なら関係なく乗りこなすだろう。しかもカイヴァルは王太子だから、乗馬が苦手なわけはない。
もっとも新人騎手カーヴァムのような流れ者は、とある事情で意外に多かった。
「やはりカーヴァムの初出走は十月の中旬でした。彼もテュラークの戦を避けた者の一人です」
シェイーラが護衛の戦士と戻ってくる。二人は馬場の管理者を訪ね、新人騎手の経歴を確かめたのだ。
昨年十月の半ばテュラーク王国は西隣のキルーシ王国と戦ったが、直前に脱出してタジース王国を目指した者は多数いた。そしてタジース王国に難民達の素性を確かめる術など存在せず、簡単な確認のみで入国させた。
テュラーク王国が滅んでズヴァーク王国となったとき難民の一部は帰国したが、結構な数がタジース王国に残った。平和が戻ったと確信できない、新体制では居場所がないと判断した、タジース王国を気に入ったなど理由は様々だが半数ほどは新たな地を選んだのだ。
「直接カーヴァムに訊いてみましょう」
「あれだけの腕……少なくとも騎馬戦士だったのは間違いないかと」
ナタリオに応じるカルターンの声は、地鳴りのような響きに掻き消される。圧倒的な脚で後続を引き離した黒馬がゴールインし、その背に跨るカーヴァムが高々と腕を突き上げたのだ。
「一着はカーヴァムのタジファロス、二着はナリークのケルーギヴ! どうだ、俺の予想通りだろう!?」
「ああ、あんたのお陰で大儲けだ!」
「これは次も期待できるな!」
「タジース杯、取りました~!」
予想屋と思われる男が自慢げに声を張り上げると、客らしき者達が彼を称える。
タジース王国だと競馬は王や太守が開催する興行で、馬場の管理や賭けの主催も役人達の仕事だ。しかし民間の目利きが予想で儲けている例は多く、よほど悪質な者以外は役人達も咎めない。
この男は随分と優秀なのだろう。ドワーフもかくやといった蓬髪に長い髭で顔が殆ど見えない怪しげな風体にも関わらず、大勢が彼に群がっている。
「随分と繁盛していますね」
ナタリオは演台の上で叫ぶ男を横目に歩んでいく。これからナタリオ達は、新人騎手のカーヴァムに会うのだ。
「少々みっともないですが……」
シェイーラは頬を染めていた。演台といっても手で運べる程度の箱だが、それでも他より頭二つは上で振り乱される黒い髪や汚れた上着が目に入る。
予想屋がいるのは彼女も承知のことだから、おそらく見た目が気になったのだろう。
タジース王国は温暖な国だから、髪や髭も伸ばし放題という者は少ない。
しかし予想屋などには験担ぎで切らない者もいるらしい。それに目立つためだろう、他にも奇抜な格好をした者は多かった。
「あの手の者には良くあることかと。ガルゴン王国でも馬比べや船比べで目にしました」
ナタリオは故郷の例を挙げ、更に気にしないでと示すように笑みを返す。
ちなみにアマノ王国だが、まだ予想屋が出るほどではない。建国からようやく七ヶ月、その前は異神バアルが潜むベーリンゲン帝国で庶民が楽しめる催しなど存在しなかったからだ。
「そうですね。しかし黒髪の人族は三分の一ほどもいるようです。こうなるとカーヴァム以外も怪しく思えてきました」
カルターンは周囲を見回すように顔を動かした。
北から逃れた者には王太子カイヴァルの条件に当てはまる者が多数いるが、その一部は騎手などとして働いているらしい。現に新たに出走した中にも、黒い髪と髭の持ち主が数人いる。
王太子だからといって、一着にならなくとも良い。むしろ正体を隠すなら、中程度の騎手の方が好都合ではないか。おそらくカルターンは、そう考えたのだろう。
ナタリオは二日前、金鵄族のミリィからスキュタール王国でのことを聞いた。そして彼はタジース王国にも協力を要請し、昨日カイヴァル捜索に関して布告してもらったが現在まで誰も名乗り出ない。
カイヴァルはタジース王国に入っていないのか、あるいは昨日の今日だから様子見しているのか。それとも通り抜けてアルバン王国にでも向かったか。
仮にタジース王国内であれば、最も人口が多い王都に潜む可能性は高い。カイヴァルは妻と二人の子を連れている筈で、自身を含めて四人を養うなら稼げる場所を選ぶだろう。
そう話していたナタリオ達だが、思った以上に北からの難民が多かった。
「順に当たっていきましょう……さて、ここですね?」
「はい、ここがカーヴァムの天幕です」
問うたナタリオに、先を進む戦士が小さな天幕を指し示した。
タジース王国の競馬では馬主と騎手に直接の関係はなく、乗り手は開催担当の役人が決めるし報酬も彼らが払う。そして不正を避けるため、騎手一人ごとに一つの天幕が割り当てられていた。
したがってカーヴァムの天幕にいるのは彼だけか、開催側が派遣した世話係くらいだろう。
そのような場に入れるのは、シェイーラが外務大臣の娘で国賓たるナタリオ達を伴っているからだ。馬場担当の役人や戦士達にも事情は伝えられており、彼らは静かに場所を譲るのみである。
そして馬場の役人に続き、ナタリオ、カルターン、シェイーラの三人が天幕へと入る。既に人払いをしたようで、中にいるのはカーヴァムだけだ。
◆ ◆ ◆ ◆
カーヴァムは立ち上がり、入った四人を迎える。椅子は彼が座っていた一脚のみだから、そのまま五人は言葉を交わすことになる。
「先ほど伝えた通り、この方々の問いに答えるのだ」
お忍びのナタリオ達に配慮したのだろう、馬場の役人は招き入れた者達の素性を口にしなかった。しかし役人は伴った三人に強い敬意を示しているから、カーヴァムも何か感じたらしく表情を引き締める。
カーヴァムという騎手は、やはり戦士としての教育を受けているようだ。筋肉の付き方は刀や槍を日常的に手にした者だと明らかで、椅子に立て掛けた刀も粗末な鞘だが柄革の変色具合からすると相当に振るったものらしい。
それに役人の意味深な言葉や見知らぬ来客にも慌てない辺り、とても単なる難民とは思えない。
「……何なりと」
「それでは……貴方はどこから来たのでしょう? 乗馬の腕に加え、武術も相当な域ですね? それだけの技、いったいどこで学んだのですか?」
諾意を示したカーヴァムに、ナタリオは問いを並べていく。
ナタリオも相手が戦士だと確信したらしく、見つめる瞳には射抜くような鋭さが宿っている。それにカルターンやシェイーラも相手を探っているのだろう、無言のままだが頭上の獣耳が時折細かく動く。
「それは……」
「カーヴァム、答えぬか!」
瞳を揺らすだけのカーヴァムに、案内の役人は苛立ったらしい。男は真っ赤な顔で騎手を睨みつけ、強い不満が滲む怒声を響かせる。
「あまり……」
「下がって!」
おそらくカルターンは、あまり脅さずともと言いかけたのだろう。しかし彼の忠告はナタリオに遮られ、途切れたままとなる。
何とカーヴァムは後ろの湾刀を手に取り、抜き放ったのだ。
「うわっ!?」
「失礼!」
「きゃあっ!」
役人が腰を抜かしたようにへたり込む中、カルターンはシェイーラを庇いながら大きく退く。そして逆に一歩踏み出したナタリオが、自身の刀で迫り来る刃を弾き飛ばす。
もちろん瞬きする間の出来事で、常人に見て取れるのは役人が崩れ落ちる様子のみだろう。
「カーヴァム殿?」
「くっ……」
低い声と共に得物を突きつけるナタリオに、カーヴァムは一声漏らしたのみで動きを止める。
既に刀はカーヴァムの手に無く、少し後方に突き立っている。そのため観念したのだろう、彼は跪いて頭を下げた。
「理由次第では不問としましょう……私の問いも悪かったようですから。私達はスキュタール王国の王太子カイヴァル殿下を探しているのです。そして貴方は殿下と似た特徴をお持ちだ」
「私はガラーム・ベフジャン、テュラークのベフジャン支族の一人です」
切っ先を向けたままのナタリオに、新人騎手のカーヴァムは自身の正体を明かした。それを聞いたナタリオやカルターンの顔に納得めいた色が浮かぶ。
テュラークのベフジャン支族とは、シノブと対峙した将軍バラーム・ベフジャンの一族だ。
キルーシ王国とテュラーク王国の間に長城を築いた直後、シノブはバラームが率いる軍を天地の鳴動で追い払った。そのためシノブとは戦わないままアルバーノ達との対決で没した、ベフジャン支族の黒狼と呼ばれた男である。
加えてベフジャン支族自体も、殆どがバラームに従った。そのため新たに誕生したズヴァーク王国にはガラームも居づらいだろうと、ナタリオ達は受け取ったようだ。
「いつ脱出したのですか?」
「九月の終わりごろ……アマノ同盟の盟主が国境でバラーム殿の軍を壊走させたときです。あんな恐ろしい相手に勝てるわけがありません」
カルターンが問うと、ガラームは国を捨てた経緯を語り出した。
バラームの軍はシノブから逃げようと総崩れになり、離脱は容易だった。そしてガラームは真っ直ぐに家族達のところに向かい、妻子と共に東南のタジース王国を目指した。
西はキルーシ王国で、そこには人とは思えぬ相手がいる。そして近づく冬を考えると、暖かなタジース王国を目指すべき。ガラームは特技の馬術を最大限に活かし、混乱する自国を駆け抜けたのだ。
幸いガラームの妻も乗馬は達者、それに子供達は幼いから相乗りも容易だった。そのため彼らは一週間程度でタジース王国に入ったという。
「ズヴァーク王国だとベフジャン支族やテュラーク支族の地位は低いでしょう。それに私は遠縁ですが、一応はバラーム殿の親族でもある……戻って処罰されるくらいなら、このままタジース王国で騎手として生計を立てようかと……」
ほとぼりも冷めたと思ったが、素性を探るような問いに追っ手が現れたと逆上してしまった。そのようにガラームは結ぶ。
「カイヴァル殿下の件だと思わなかったのですか? 告知は充分にした筈ですが?」
「昨日の午後、騎手達の区画にも通達しました!」
シェイーラに応じたのは馬場の役人である。
タジース王国だと騎手や家族は一箇所に集められており、そこは馬場の役人の管轄だ。これは予想屋などの接触を防ぐためだが、代わりに役人達が不自由のないように諸々の手配をしているのだ。
「実は私達の子が昨日から熱を出しまして……今は下がりましたが、今朝方まで私と妻は看病に追われており……」
ガラームは消え入りそうな声で、告知を見逃した事情を明かす。
もしかするとガラームが短絡的な行動に出たのは、寝不足が判断力を狂わせたからだろうか。ナタリオ達は幾分かの同情を抱いたらしく、何れも表情を和らげる。
「ナタリオ殿?」
「……暫く彼を、私預かりとさせてもらえないでしょうか?」
意向を訊ねたカルターンに、ナタリオはガラームを自分の監視下に置きたいと応じた。
ガラームはベフジャン支族の一員だが、昨年秋の戦に殆ど関わっていない。そのため仮にズヴァーク王国に戻したとしても微罪で済むだろう。
しかしナタリオには、更なる意図があった。
「ガラーム殿、私はアマノ王国のイーゼンデック伯爵ナタリオ、東域探検船団の司令官でもあります。貴方や家族が帰国するにせよ、このままタジース王国に留まるにせよ、私が庇護しましょう。それに同じような者がいれば、その人達も。
ですからカイヴァル殿下の捜索に協力してもらえませんか? どうも殿下は、貴方達と同時期に出国したらしいのです」
ズヴァーク王国には伝えるがカイヴァル捜索を手伝うなら最大限の支援をすると、ナタリオは提案する。
もし同じ時期にタジース王国に入ったなら、彼らの話からカイヴァルの行き先が浮かび上がるかもしれない。それにタジクチクで捜索するにしても、元テュラーク王国人の素性が明らかになれば候補を大きく絞り込める。
「お言葉、感謝いたします」
ガラームは騎士の誓いのように、片膝を突いたまま深々と頭を下げた。
斬りかかったのだから、処刑されても文句は言えない。しかし不問に付し、更に故郷とも取り成してくれると言うのだ。不安定な立場のガラームからすれば、渡りに船と言うべき誘いだろう。
「ナタリオ様のお手並み、しかと拝見しました! これがエウレア地方流の外交術ですね!」
「確かに」
心から感嘆したらしいシェイーラに、カルターンが頷きで応じた。双方とも収まるべきところに収まったと感じたようで、朗らかな笑みを浮かべている。
「これは外交術などと呼べません。ですが我が主、シノブ陛下の心に叶うとは思います」
照れたような顔のナタリオだが、その一方で誇らしげでもあった。
なるべく血を流すことなく、融和の道を探る。ナタリオはシノブが理想とするものを、そのように解釈しているのだろう。
「カイヴァル殿下、早く出てきてほしいですね~。とっとと出んか~、です~」
唐突に響いた少女の声。それは天幕の入り口近くからであった。そのためナタリオ達は弾かれたように振り向き、ガラームも思わずといった様子で顔を上げる。
そこには虎の獣人に変じたミリィがいた。彼女もデニムに似た素材の上下だから、ナタリオ達の妹のようでもある。
「ミリィ様……もしや?」
「優秀な予想屋さん、大当たりでした~」
期待の滲むナタリオの問い掛けに、ミリィは当たり馬券を掲げてみせた。そのためガラームや役人は狐につままれたような顔となる。
「予想屋とは!」
「カイヴァル殿ですね!?」
「あの小汚い人が!?」
しかし付き合いの長いナタリオは即座に真意を察し、ある程度は眷属達の逸話を聞いたカルターンやシェイーラが続く。
「ちょっとしたキッカけですが、気付いたときはアリマ~って感じでしたね~」
残念ながらミリィの駄洒落に応じた者はいなかった。
しかしミリィは満面の笑みを浮かべている。何故ならナタリオ達は、天幕を揺るがすようなどよめきを返してくれたからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年12月20日(水)17時の更新となります。