24.29 飛翔と愛の軌跡
スキュタール王国から戻った翌日。いつも通り早朝訓練を終えたシノブ達は、食事をすべく『陽だまりの間』へと向かう。
湯浴みで身を清めたから気分も爽快、シノブはシャルロットとアミィと語らいつつ家族との場に急ぐ。ミュリエルとセレスティーヌの朝食前は学びの時間で、シノブ達と違って汗を拭うこともないから大抵は先に着いているからだ。
「おまたせ」
訓練前に挨拶を交わしたから、シノブは短い言葉のみで済ます。ここは『白陽宮』の最奥で家族だけの場所、飾る必要はないから続くシャルロット達も似たようなものである。
「やっぱりシノブさまでした!」
「流石はリヒトですわね!」
「あう~、あ~、あ~!」
振り向いた二人、ミュリエルとセレスティーヌは喜びも顕わな表情となった。そしてセレスティーヌの腕の中で、リヒトも可愛らしい声を上げる。
どうやらリヒトは、扉を開ける前から魔力波動で気付いていたようだ。既にミュリエル達も重々承知しているが、それでも驚きは失せないのだろう。
最近のリヒトは、こうやってシノブ達と朝食の時間を共にしていた。もっともリヒトは生後三ヶ月弱で離乳食すら当分先、あくまでも一緒にいるだけだ。
シノブ達には務めがあるから、側にいる時間は限られている。そこで食事の間だけでもと考えたのだが、リヒトも家族と一緒が嬉しいらしく朝の習慣として定着した。
もちろん赤子を抱えて食べるわけにはいかないから、『陽だまりの間』にはベビーベッドが運び込まれている。アムテリアからの贈り物『天空の揺り籠』は移動も容易だから、乳母達がリヒトと共に移すのだ。
「シノブ様、さあどうぞ」
「悪かった……でも、外は寒いんだよ」
差し出すセレスティーヌから、シノブは愛息を受け取った。
一月末だけあって気温は氷点下、乳児には辛い時期である。しかし暖かい時間帯には外気浴をするからだろう、リヒトも一緒に行きたがるのだ。
このごろのリヒトは短時間だけ乳母達に抱えられて見学するが、それだけでは満足できないらしい。
「今日は普段に増して、お外に行きたがりました。お布団に入れてもダメで……」
ミュリエルは背後の『天空の揺り籠』へと顔を向ける。
揺り籠の中に敷かれているのは、闇の神ニュテスから授かった『安眠の羽根布団』だ。この布団は気持ちを落ち着けたり夜は就寝を促したりと多様な効能を備えているが、この日のリヒトには通じなかったという。
「ここのところ外出が多いからでは? 昨日の朝はシャルロット様も不在でしたし」
「そうか……」
アミィの指摘に、シノブは頬を染めた。それに隣ではシャルロットも恥ずかしげな顔をしている。
昨日は多くの時間をアスレア地方で過ごし、リヒトと朝を共にしなかった。早朝からシノブとアミィはスキュタール王国の王都スクラガン、シャルロットも彼の国と西メーリャ王国の国境である。
幾らリヒトが通常より遥かに発育が良くても、禁術使いや他国の情勢など理解できるわけもない。おそらく彼は置いていかれて機嫌を悪くしたのだろうが、シノブ達に出来るのは一緒にいる時間を増やすくらいだ。
「お食事の準備が出来ました! 今日は東メーリャの醤油と味噌を使っています!」
タミィが侍女達と共に入室してくる。ワゴンに乗っているのはご飯と味噌汁を中心とした献立のようだから、味噌は後者に用いたのだろう。
朝食は家族だけとしているから、配膳を終えると侍女達は下がっていく。ちなみに乳母達は隣室で食事、リヒトの世話が必要なときのみ呼ぶ。
「味噌は中国にもあるんだよ。だからカンに存在し、そこから東メーリャに入ったんだろうな……さて、いただこうか」
シノブは家族に地球のことを伝えているから、シャルロット達が理解に困ることはない。そのためだろう、彼女達の注意を惹き付けたのは別のことだった。
「シノブ、リヒトを抱いたまま食べるのですか?」
「離れてくれないんだよね……」
「う~、う~!」
首を傾げたシャルロットにシノブは応えつつ、『天空の揺り籠』に足を運んでみせる。するとリヒトは明らかに不機嫌そうな声を上げた。
「お碗は……魔力で掴むのですか?」
「お行儀悪いですわよ?」
興味深げなミュリエルに、からかいの色が強いセレスティーヌと少々異なる。しかし二人は父子の交流だと理解してくれたようだし、残るシャルロット達も笑みを浮かべている。
一方のシノブは膝に乗せたリヒトを左手で支え、右手で箸を手にする。リヒトは早くも首が据わりつつあるが、シノブは念のため魔力障壁を左腕の外側に広げていく。
「リヒト……これは悪い食べ方だからね」
「あう~!」
シノブが魔力で茶碗を浮かせると、リヒトは上機嫌な声で応じる。
リヒトは感知だけではなく思念めいたもので感情表現するくらいで、魔力の操作にも開眼している。もちろん現在の魔力量では物を動かせないだろうが、この調子なら早晩実現しそうだ。
そう思ったシノブは念のために注意したが、興味を掻き立ててしまっただけかもしれない。
「フライユで作った米も美味しいね。それに東メーリャの味噌も日本やヤマト王国と少し違うけど、これはこれで良いかもな……タミィ、ありがとう」
今日のご飯はシノブが治める場所の一つ、メリエンヌ王国のフライユ伯爵領の米だった。昨年春に手に入れたガルゴン王国の高地向けの稲を植え、秋に家族と共に収穫した品である。
シノブが知る日本の米だと、あきたこまちに似た粘りがあるモチモチした食感だ。旨味や甘味も充分にあるし、自身で育てたこともあってシノブは非常に気に入っている。
そして東メーリャ王国の味噌だが、意外なことに日本のものに近かった。カン由来ということもあってシノブは醤のようなものを想像していたが、原料は大豆で赤味噌系のようである。
味噌自体は独特のコクがあったが、だしを上手く使ったのか上品な味に纏まっている。おそらくタミィが神々の眷属としての暮らしで磨いた技なのだろう。
「ありがとうございます! テッラ様やポヴォール様が、このお味噌をお好きでして!」
「タミィの腕も上がっていますよ」
頭上の狐耳を震わせて喜ぶタミィに、姉貴分のアミィが更なる賞賛を贈る。
神々や眷属は食事をしなくても良いが、嗜好として楽しんでいるそうだ。そして日本由来の神だけあって和食を出す機会は多く、自然と上達するらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
東メーリャ王国の醤油や味噌を入手したのは、スキュタールの鉱夫募集団に騙された村人達を故郷に送り届けたときであった。
西メーリャ王国と違って賄賂を受け取ったのは村長達のみで、真相の解明も早かった。それに少年王イボルフは迅速な解決をと厳命したから、村人は昨夕に帰還できたのだ。
アマノ王国に避難したメーリャのドワーフ達は東西共に元の生活に戻り、玄王亀のシューナも棲家であるメリャド山に引き上げた。二つの国が真の融和へと至るまで様々なことがあるだろうが、向こうにはイヴァール達もいるしシノブは心配していない。
「東西の仲を引き裂いたのは、やはり禁術使いの?」
外交担当だけあって、セレスティーヌはメーリャの二国にも強い興味を覚えているようだ。もっとも昨日は概要を伝えた程度だから、セレスティーヌだけではなくミュリエルも負けず劣らずの関心を示している。
「そのようだね。ガシェク殿やイボルフ殿も、随分と憤慨していたよ」
「ダージャオ達がガシェク殿に手を出さなかったのは、殆ど国交がなかったからのようです。西メーリャとスキュタールは何かあっても国境で会談する程度、それも国境砦の長同士とか」
シノブが簡単に済ませたからか、シャルロットが補った。
スキュタール王国と近づきすぎても東を刺激する。西メーリャ王国の国王ガシェクは、そう語っていた。確かに下手な接近は、唯一の交易相手を奪われると東メーリャ王国が誤解しかねない。
それに西メーリャ王国はキルーシ王国への輸出で充分に儲けているから、騒動の元となりかねない相手を避けたらしい。
「スキュタール王国の方々に伺いましたが、宰相ジャハーグとなったダージャオは西メーリャ王国への敵対心を煽ったようです。西メーリャが邪魔しなければ、東メーリャから安く仕入れられる、と」
アミィはスキュタール王国が乗っ取られていった経緯に触れる。
禁術使いのダージャオが王族のジャハーグと入れ替わったのが二十一年前、それから五年後に国王フシャールも鋼人にされ、この時点でスキュタール王国はダージャオ達の思うままとなったのだ。
ダージャオ達の目的は、禁術の更なる追求だったらしい。それには貴重な素材が大量に必要で、露見を避けるためにも権力を握るのが手っ取り早いと考えたようだ。
「挙句の果てには東メーリャの王まで操り人形にしたから、ますます加速していった。でも、それらは終わったこと……今後は貿易先も増えるから大丈夫だよ」
「私達が醤油と味噌を大量に買い付けますからね」
シノブが雰囲気を変えようとしたのを察したからだろう、シャルロットが冗談めいた言葉を口にした。
実際のところ東西メーリャの主力商品は硬化術に向いた独特の鋼で、他に需要があるとしたらドワーフ馬だろう。もっともアマノ王国では徐々に和風料理が広まっており、案外シャルロットの見立て通りになるかもしれないが。
国王や王家が好むから、米は人気商品となりつつあった。宮殿で振る舞われた料理を貴族や官職にある者が自家で再現し、それを使用人達が真似てという具合である。
まだ麦より高いから高級料理の一種という扱いだが、ご飯が出る店も増えていた。主にシノブが伝えたカレーと合わせてかリゾットのようにしてだが、ご飯のみも通の食べ方として認知されてきたようだ。
しかし醤油や味噌は今のところヤマト王国から輸入するしかなく、一般には伝わっていない。ヤマト王国からはメリエンヌ学園に留学者がいる程度だからである。
ヤマト王国との行き来は転移のみ、留学生達の帰省は季節ごとだ。そのため醤油や味噌は合わせて運ぶ分しかない。
ちなみにシノブはアムテリアから醤油や味噌が無限に出てくる容器を授かったが、食品製造や流通への影響を考えて王家で密かに使うのみにした。したがって醤油は魚醤などで代用、味噌は今まで相当する品がなかった。
「もちろん買うけどね……でも俺達だけなら貿易には影響しないよ」
実のところシノブも期待していたから、素直に笑みを返す。
東メーリャ王国からであれば陸路や海路で輸送可能だし、流行るなら職人を招いて国内生産を目指しても良い。もしかするとリヒトが物心つくころにはアマノ王国でも一般的になっているかもしれないと、シノブは夢想する。
「四月までにはアスレア地方との大地下道も完成しますし、そうなれば大量輸送も可能ですわね」
「大砂漠を越えるのは飛行船ですから、海路が良いのでは?」
セレスティーヌとミュリエルは、エウレア地方とアスレア地方の交易経路を語らい始める。外務卿代行と商務卿代行の二人だけあり、交わす言葉は熱が篭もっている。
アマノ王国はエウレア地方の東端だが、アスレア地方との境にはオスター大山脈という踏破不可能な高山が聳えており現状だと南に迂回するしかない。しかし大山脈の東の遊牧民や砂漠の民は自治領としてアマノ王国の一員となるから、このままでは不便極まりない。
そこで玄王亀のクルーマとパーラが大山脈を貫くトンネルを掘っており、これが三月中には完成する。
とはいえミュリエルが指摘するように、砂漠越えは飛行船だから大荷物を運ぶのには向いていない。量次第だが、南の海路も充分にありそうだ。
「先々の食事は、そのときになってから考えよう。当面の分は充分に確保したし」
「では朝議に向かいましょう……リヒト、今日は早く帰りますからね」
「あ~、あぅ~」
シノブは箸を置き、シャルロットも席を立って我が子を抱き上げる。リヒトは母の胸で顔を綻ばせるが、また置いていかれると知って少々寂しそうだ。
「お友達も待っていますよ」
「きっと楽しいですわよ」
ミュリエルはリヒトの頭を撫で、セレスティーヌは小さな手に指を伸ばす。
最近のリヒトは、日中を乳母達の子と共に過ごしていた。まだ寝返りや頭を多少持ち上げる程度でハイハイすら出来ないが、それでも大人に囲まれているだけよりは良いかと思ってのことだ。
もう少しして動けるようになれば更に多くの中に移すし、王宮では『白陽保育園』という保育制度の試験運用も行っていた。今のところ託児所といった程度だが、王となるだろうリヒトに数多くの触れ合いや経験をとシノブは願っている。
「さあ、一緒に行こう」
「あ~!」
シノブは沢山の子供がいるイメージを思い浮かべ、思念に乗せた。するとリヒトは、天に輝く日輪もかくやという素晴らしい笑みを返してくれた。
◆ ◆ ◆ ◆
朝議で昨日のことを報告し、意見を交わす。幸い国内や同盟内は平穏で、一時間弱の会合の大半を占めたのはアスレア地方についてだった。
まずはスキュタール王国に留まったままの軍務卿マティアスの代わりをどうするか。これは責任者をアスレア地方北部訪問団の副団長アレクベールに変え、補佐として若手の将軍ディルクを派遣することとなった。
一国の軍を預かるマティアスが他国に駐留するなど高圧的に映るのではないか、ならば元々訪問団で外交責任者のアレクベールが良いだろう。そしてアレクベールは子爵だから、軍からは男爵のディルクが適任。そんな意見が大勢を占めたのだ。
次にスキュタール王国の王太子カイヴァルの捜索だが、改めてアスレア地方に置いた大使館や東域探検船団に情報提供を促す。
どうも昨年八月末から九月の間に、カイヴァルはスキュタール王国から南に抜けたらしい。しかし行く手にあるのは戦へと傾きつつあったテュラーク王国で、しかも直後に滅びて十二月にはズヴァーク王国に生まれ変わった。
そのときカイヴァルが混乱を避け、更に先のタジース王国へと逃れた可能性は否定できない。したがって昨日タジース王国に到着した東域探検船団、司令官のナタリオにも調査を依頼済みだ。
「ナタリオ君からは?」
「今のところ何も……まだ昼を過ぎたばかりですよ?」
期待の表情で見つめるベランジェに、シノブは曖昧な笑みで応じた。
とうに朝議や午前中の執務は終わり、今は馬車で王都アマノシュタットの大通りを進んでいるところだ。主な乗客は他にアマノ王家の全員とアミィである。そう、実はリヒトも一緒なのだ。
「詰まんないね~。リヒトもそう思うだろ~?」
「う~?」
ベランジェが宰相という要職に似合わぬ口調で話しかけると、リヒトが自身を抱く大伯父を何ともいえぬ表情で見つめ返す。
ベランジェはシャルロットの伯父だから、彼はリヒトにとっても近しい親族である。そのためかベランジェは、リヒトを自分の子のように可愛がっていた。
ベランジェは四人の実子と二人の養子を持つ身で、しかも末娘のレフィーヌは生後七ヶ月だから抱き方も堂に入っている。したがってシノブ達も、彼の思うままにさせていた。
「昨日の午後着いたばかりです。今日も王宮内で式典、街に出るのは明日からでしょう」
シャルロットは呆れたような顔を向けていた。ただしこれらは朝議でも出た話題だから、ミュリエルやセレスティーヌも笑いを堪えている。
それに同行している乳母達は失礼がないようにと思ったのだろう、必死で真顔を作っているらしい。
「お母さんは真面目だね~。リヒトもそう思うだろ~?」
「うぅ……」
重ねてベランジェが問うと、リヒトは目を瞑ってしまう。
乗っているのは魔法の馬車だから振動は皆無、そのため揺れが眠気を誘うことはない。おそらくリヒトは、大伯父の相手に疲れたのだろう。
「義伯父上、私が」
「ああ。……しかしリヒトも重くなったね。順調で何よりだ……レフィーヌと遊ばせる日が楽しみだよ」
シノブが手を差し出すと、ベランジェは素直にリヒトを預けた。そしてアマノ王国の名物宰相は、言葉通り嬉しげな様子で幼子の頭をそっと撫でる。
ベランジェの第二夫人レナエル、つまりレフィーヌの母も出産後は働いている。そのため彼は、末娘も王宮の『白陽保育園』に入れるつもりらしい。
既にベランジェが養子としたベーリンゲン帝国の皇太子の子供達、四歳の男の子ロジオンと三歳の女の子カテリーナも先行して通っている。宰相の執務室は『白陽宮』にあるから、朝夕にベランジェ自らが送り迎えしているのだ。
一歳未満の保育は近日中に対象を拡大し、王宮勤務者なら原則として生後半年から受け入れる。そうなったら彼は末娘を抱いて出勤するのだろうか。
実際にはレフィーヌ担当の乳母も連れてくる筈だから、彼女達かもしれない。しかしシノブは彼ならばと微笑む。
「遊ぶ……これから向かう場も沢山の子供が集うと良いですね」
シノブは窓の外に顔を向ける。すると白い雪を被った屋根と、通りの脇に並ぶ雪だるまのような像が目に入る。
アマノ王国は寒冷で冬は降雪も多く、一月の末ともなれば毎日のように雪掻きをする。少量であれば側溝から下水に落とすが、今日のように多ければ大人も子供も総出の大仕事だ。
ここのような大通りだと守護隊も加わってだが、もちろん住民達への割り当てもある。そのため少年少女の力作が、あちこちに誕生していた。
ちなみに通りを歩む人々は、シノブ達の通行を全く気に掛けない。魔法の馬車に備わる機能で、外装を官用の標準的なものに変えているからだ。
シノブは人々が整列し手を振るような光景より日常を知りたいと願い、ベランジェも道中くらい気楽にしたらと勧めた結果である。
「ああ、しっかり仕上げたよ。でも、最後の一つは君に確かめてもらった方が良いな」
ベランジェもシノブと同じ方向を見つめている。そこには白い滑り台があり、十人ほどの子供が順番に楽しんでいた。
大通りの建物は幅も広く、端から扉までを使っているから最も高い場所はシノブの背を上回るほどだ。おそらく大人も協力したのだろうが、子供達は歓声を響かせながら結構な速度で下っていく。
「そうですわね……ともかくシノブ様の誕生日に間に合って良かったですわ」
「冬の新たな楽しみですね」
リヒトが眠ったからだろう、セレスティーヌとミュリエルは声を落としていた。ただし抑えた声でも熱っぽさは充分に感じられ、二人が来るべき日を待ち望んでいるのは誰の目にも明らかであった。
二週間後の2月14日、シノブは二十歳になる。神々は成人年齢を十五歳としており二十という数字に特別な意味はないが、一国の王の生まれた日を祝うのだから簡素に済むわけがない。
パレードに祝宴、新人採用も兼ねた武術大会、それにシノブが紹介したスポーツで冬向けのものは同じく大会を開く。これから向かう設備も、その一環として準備されたものだ。
◆ ◆ ◆ ◆
「おおっ、本当に飛んだ!」
「流石は陛下!」
見渡す限り真っ白に染まった場に、どよめきが広がっていく。彼らは全て斜め上方、その先で宙を滑るシノブを見つめていた。
ただしシノブは重力魔術を使ってはいない。今は普通の人間でも習得可能な方法、スキージャンプで大空の住人となったのだ。
シノブは普段の軍服の上から雪魔狼の革で作った純白の防寒具を着込み、頭にも同色のヘルメットを被っている。スキー板は目立つように赤く塗ったから、白と赤が青い空に映える。
「着陸成功だ!」
「我らが陛下! 『光の盟主』シノブ様!」
初めて見る光景に、人々は興奮の歓声を上げ続ける。
この世界にもスキーやスケートは存在したが、あくまでも実用品としての範疇である。そこでシノブはスキージャンプやフィギュアスケートを紹介したのだ。
アマノ王国の半分以上、特に北部や標高がある場所は冬になれば氷点下も普通で雪も多い。そのため冬季競技を広めたら面白いとシノブは考えた。
それが今から四ヶ月前、つまり昨年九月の終わりごろだ。
これをベランジェは大層喜び、早速スケート場とスキー場、そしてジャンプ用の設備を整えた。しかし前の二つはともかく最後の一つは難物で、完成まで長い時間が必要だった。
スケート場は平らな場所があれば良いし、この時期なら池や湖で問題ない。それにスキー場も適当な斜面を選ぶだけ、こちらも山がちなアマノ王国なら苦労しない。
しかしスキージャンプは精密な計算を元に斜面を整える必要があるし、そもそも飛べるだけの技術が必要である。
幸いシノブにはアミィという強い味方がいるから、適切な斜面の長さや傾きに曲率は難なく知れた。彼女にはシノブのスマホから引き継いだ地球の知識と計算能力があるからだ。
しかしジャンプに適するように雪を固めたり凍らせたりと試行錯誤が必要な部分も多く、それらはシノブが身をもって試験していた。
「流石はシノブ君だ! リヒト、お父さんは凄いね!」
「あ~! あう~!」
ベランジェは再びリヒトを抱いていた。
見物客の多くと同様にベランジェは毛皮の外套を着け、更に革の手袋に毛糸の帽子という姿である。一方リヒトはシャルロットを始めとする王家の女性達が編んだ衣装で固め、出ているのは顔だけで更に毛皮のおくるみという重装備だ。
ちなみにリヒトだが、この地方では幼いうちから少しずつ寒さに慣らすようで周囲も外出に反対しなかった。もっとも後ろの魔法の馬車に入れば寒さを逃れられるし、更にリヒトは準備が整うまで中で乳母達に抱かれていた。
「シノブだから短期間で習得できますが……」
「いざとなったら重力魔術で飛翔すれば良いですからね」
シャルロットとアミィは斜面を下ってくるシノブに見惚れつつも、ほろ苦いと表現すべき笑みを浮かべていた。
シノブにスキージャンプの経験などなく、試験を始めたころは着地に失敗しそうになったこともある。今飛んだのは地球で言うならミディアムヒルに相当するものだが、初めは脇のスモールヒル程度の斜面でも練習したのだ。
身体強化で反応速度を高めれば体感時間を何十倍にも出来るから体勢の立て直しも容易だが、最悪の場合は重力魔術で逃れるつもりだから出来る芸当ではあった。
「でも素晴らしいですわ! これはアマノ王国に相応しい競技です!」
「本当です! 長い冬の間を楽しめますし、少しくらい暖かくなっても魔術で雪や氷を用意できると思います!」
セレスティーヌは手を叩いて賞賛し、ミュリエルも彼女に倣う。流石に二人とも挑戦しようとは言わないが、いつかは自分もと考えたのか一心にシノブを見つめている。
「冷蔵の魔道具があるくらいだから、上手く使えば出来るだろうね」
ヘルメットを脱いだシノブは、周囲の歓声に応えてからミュリエルに応じる。彼女が叫んだときは至近まで迫っており、なんとか耳に届いたのだ。
アマノ王国の冬くらい寒ければ、雪質を整える程度なら大した魔力を使わなくて済むかもしれない。王都の近辺でも可能だから、多少南でも山ならスキーやスケートを楽しめる筈である。
そしてジャンプ場の落成式に集った人の喜びようからすると、全国的な人気競技となる可能性も高いだろう。軍人であれば実用的な意味もあるし、度胸試しとしても流行りそうだとシノブは想像を巡らせていく。
「シノブ君! こっちのスケート場も頼むよ! 例の踊るスケートも見せてくれ!」
「それじゃ……リヒト、少し中で待っていてね」
ベランジェの催促を受け、シノブはスケートリンクに向かうことにした。次はフィギュアスケートを披露するのだ。
そしてシノブは、愛息の赤く染まっている頬をチョンと突く。
「う~!」
中に入るのが嫌なのか、それとも頬に冷たさを感じたのか、リヒトは不満げな声を上げた。それを目にした一同は、銀世界に朗らかな笑いを響かせる。
準備といっても大したことはない。スキーウェアとした防寒具を脱ぎ、軍服姿に戻ってスケート靴を履くだけだ。
ただしスケートリンクは多少離れた場所にあるから、魔法の馬車を移動させて横付けにする。どうも乳母達は長時間の外気は早いと思ったようで、リヒトは車窓からの見学となったのだ。
「アミィ、音楽を頼むよ。メリエの曲で頼む」
「はい! シノブ様!」
シノブの短い言葉でも、アミィには充分に通じたようだ。彼女は拡声の魔術を使い、指定した曲を再現していく。
このウィンナ・ワルツの名曲に似た調べは、シノブが最初に習ったダンスの伴奏だ。場所はメリエンヌ王国の王都メリエ、時期は一年二ヶ月ほど前でシノブが子爵となったばかりのことである。
「あのときの……」
「ええ、シノブが最初に覚えた踊りです」
セレスティーヌとシャルロットは当時のことを思い浮かべたようだ。二人はリンクの中央へと滑るシノブだけではなく、過去も重ねているような遠い目をしていた。
「セレスティーヌにシャルロット……そして室外ではアミィ君とも踊ったそうだよ」
「一昨年のセレスティーヌお姉さまの誕生日ですね! 私も見せてもらいました!」
ベランジェは当時のことを語るが、ミュリエルの返答に笑みを深くした。
アミィは目にした光景を幻影の術で再現できるし、このように音だけというのも可能だ。そして彼女がミュリエルだけを仲間外れにしておくわけがないと、ベランジェは理解したのだろう。
「跳んだ!」
「どれだけ回った!?」
「十回半だ!」
シノブが滑り始めると、観衆達は再び大歓声を響かせる。彼らもスケートでのジャンプを目にしたことがあるかもしれないが、流石に一度の跳躍で何回転もするなど想像したこともないのだろう。
ただし恐るべきは身体強化で、シノブのアクセルジャンプが十回転半だと見抜いた者が複数いた。跳ぶシノブも強化しているから回転速度は地球の競技者を遥かに超えているが、こちらの軍人達であれば見切れる程度だったのだ。
ゆったりとした曲に乗り、シノブはトウループやループ、サルコウにフリップ、そしてルッツと一通りの技を示した。そしてスピンなどを交えつつ複雑な軌跡を描き、横長の競技場をシャルロット達の側からすると左から右へと移っていく。
「あれは……」
「シノブさま……」
「まあ!」
シャルロット、ミュリエル、セレスティーヌとアマノ王家の女性達が揃って歓声を上げる。
感激の声を響かせる前、三人は揃って顔を動かしていた。まずは滑り終えて一礼するシノブ。それから左手へ。最後はシノブへと視線を戻し、真っ赤に頬を染めつつ。緩やかな動きと共に顔が綻び、華やぐところまで一緒であった。
「どうしたのだね?」
怪訝そうなベランジェに答える者はいない。今や誰でも分かるほど上気している三人も、そして意味ありげな笑みを浮かべているアミィも、もちろん戻ってくるシノブも。
シノブはスケートシューズの軌跡で『I love you』と記した。しかし、この星の人々に神々が授けた言語は日本語で、そこにアルファベットは含まれていなかったからだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年12月16日(土)17時の更新となります。




