24.26 幻夢の術
異空間の七色の空の下、果てしなく広がる大地。草原の中を、人族の少女に変じたホリィが駆けてくる。
ホリィは可愛らしい作りの短杖を握っている。もちろん彼女が携えているのは神々が造りし神具、治癒の杖だ。
そしてホリィの上空には、光翔虎のシャンジーが一体の鋼人を咥えたまま飛んでいる。ただし彼が運んでいる鋼人は人間そっくりの外装だから、知らない者が見たら小山のように大きな虎が人を口にしているように思うだろう。
「シノブ様、こちらも無事に終わりました!」
──シノブの兄貴~! こいつもどうぞ~!──
走るホリィは声、飛ぶシャンジーは思念。どちらも朗らかに響かせつつの登場だ。
ホリィはシノブやアミィに先んじて、異空間に入っていた。超越種達が倒した鋼人や式神に宿っていた魂を、本来あるべき場所に送るためだ。
ホリィとシャンジーがいた場所には、無数の鋼や岩の残骸が散らばっている。
鉄は鋼人の成れの果て、岩は動物霊を封じた式神の抜け殻。禁術使いダージャオが作り出した死霊の軍団は敗れ去り、魂は邪術から解き放たれたのだ。
「もう魂はニュテス様の御許に!?」
「ええ、この鋼人に宿っている魂以外は全て!」
──こいつはカイヴァルって言っていました~。王太子だそうです~──
問うたアミィに、ホリィは笑顔で頷く。
シャンジーが運んでくる一体は、シノブが地下工場で出会った鋼人だ。ただし催眠の術で眠らされており、身じろぎ一つしない。
『シノブさ~ん!』
『皆、輪廻の輪に戻りました!』
『これで大丈夫ですね!』
大役を果たしたからだろう、子供達も誇らしげだ。光翔虎のフェイニー、玄王亀のケリス、そして朱潜鳳のディアスと外見は全く異なるが、発声の術の高らかな響きは共通している。
それに後ろの年長者達も、何となく胸を張っているようにシノブは感じた。普段と変わらぬ筈の悠然とした飛翔や浮遊だが、どこか満足感らしきものが滲んでいたのだ。
「お疲れ様……やっぱり他の鋼人は式神化していたの?」
「はい。残念ですが、人間としての精神を保っているのは彼だけです」
シノブの問いに、ホリィは顔を曇らせつつ応じた。
大人の十倍程度から人間と変わらぬ大きさまで、王都スクラガンの地下には多様な鋼人がいた。巨大なものは戦闘用、小さなものは組み立て用らしい。
このうち巨大鋼人は多くの魂を融合させている筈で、元の人格を保ってはいないだろう。しかし小さなものなら生きていたときの心を維持しているのではと、シノブは最初のうち思っていた。
しかし地下を巡っているうちに、シノブは後者も式神に変じていると察した。魔力波動の違いから、魂の変容を感じ取ったのだ。
「作業用の鋼人は人を演じなくて良い……そのため式神に作り変えたのですね」
「ええ……。この一体は王太子だから、元のままにしたのでしょう。ただ、本人か分かりませんが」
悲しげなアミィ、同じく憂いに満ちた表情のホリィ。双方とも口を噤むと、シャンジーが降ろしたものへと目を向けた。
二人の視線の先にあるのは、もちろんカイヴァルを名乗っていた鋼人だ。
『兄貴~、コイツは本人なの~? それとも別人~?』
鋼人を降ろしたシャンジーは、普通の虎くらいの大きさに変じてシノブの隣に移った。ちなみにフェイニーは猫ほどに変じて彼の背の上、同じくディアスとケリスも小さくなって並んでいる。
「王太子じゃない……フシャール王とは魔力波動が違いすぎる。父と子なら、もっと似ているよ」
シノブの前には人間そっくりの像が三つ並んでいる。全て魂を宿したままだが、催眠の術を掛けているから動かぬままだ。
そしてシノブが見つめているのは、元からあった二体の一つだ。それはスキュタール王国の国王フシャールを模した鋼人である。
「この宰相ジャハーグは、カンから来た禁術使いのダージャオでした。こちらのフシャール王は、本人だそうです」
アミィがシノブの言葉を補う。先に異空間に入ったシャンジー達は、ダージャオが語った内容を知らないからだ。
ダージャオの言葉通りなら、国王フシャールは本人の魂を鋼人に移したのみだ。それに式神に作り変えておらず、彼の魔力波動は生前のままか極めて似通っているだろう。
しかし禁術使いのダージャオは遥か東のカンの出身で、スキュタールの王族ではない。本物の宰相ジャハーグはフシャールの甥だが、ダージャオは赤の他人だから魔力波動が異なる。
カイヴァルの像に宿っているのが本人なら、フシャールの魔力波動と何らかの共通点がある筈だ。しかしシノブが感じた通りなら、こちらも血縁関係などないらしい。
『流石は兄貴! するってぇと、こいつは禁術使いの弟子か何かで?』
『製造所の監督をしていたくらいだから、やっぱり邪術を学んでいるのでしょうね……』
問いを発したのは、光翔虎のヴェーグとヴァティーだ。シャンジー同様に場所を取ると思ったらしく、どちらも彼と同じくらいに変じている。
他も同様で、合わせて二十頭近い超越種達は本来の十分の一ほどとなってシノブの周囲に集っていた。
『やはり大神アムテリア様のお血筋……』
『ああ……』
魔力感知能力に優れた超越種でも、シノブのように性別や血縁関係を見抜くほどではない。そのため残る者達も、感嘆を示していた。
「その辺りは、これから確かめるよ。実はニュテスの兄上から、幻夢の術を習ったんだ」
賞賛に照れたシノブは、頭を掻きつつ応じる。
昨夜シノブは、闇を司る神ニュテスと会った。神々の御紋ではなく、ヤマト王国の神域に行って直接言葉を交わしたのだ。
昨日スクラガンを探ったとき、地底に広がる結界の中に多数の鋼人や式神があると判明した。それも複数の魂を使っただろう巨大鋼人を筆頭に、千を超える大軍である。
これだけ多くの魂を輪廻の輪に戻すなら、先に伝えておこう。そう考えたシノブが神々の御紋による語らいで触れたところ、神域に来るようにとニュテスが返したのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブが住むアマノシュタットと、神域のあるヤマト王国は七時間もの時差がある。そのためシノブにとっては深夜の訪問だが、イソミヤの神域では地平線から朝日が覗いていた。
照らす曙光は、薄く積もった雪を朱に染める。冬の涼やかな空気は、神気溢れるイソミヤを更に清める。そんな光と風の祝福する場に、命の根源たる存在が待っていた。
「シノブ、こうやって会うのは久しぶりですね」
「たまには親孝行をすべきでは?」
雪原に佇んでいたのは、この惑星の最高神たる女神アムテリアと、その長子とされる男神ニュテスであった。光の女神と闇の神が、シノブを迎えてくれたのだ。
光り輝く金髪に白い長衣のアムテリアと、黒髪に漆黒の服のニュテスは対照的である。
ニュテスも長髪で、しかも彼は背こそあるものの中性的な外見だ。そのため明暗の違いが、更に際立つのかもしれない。
もっとも今シノブの頭にあるのは、ニュテスの忠告めいた言葉であった。
「申し訳ありません……」
「良いのですよ。ニュテスの冗談ですから」
頭を下げようとするシノブを、アムテリアは抱擁で留めた。
一方のニュテスは、母なる女神の後ろで意味ありげな笑みを浮かべている。どうやら彼は、母親孝行をしたつもりらしい。
シノブは殆ど毎日、神々の御紋でアムテリア達と会話している。話題は日常のことで、シャルロットと共に我が子リヒトの成長を伝えたり自身が目にした事柄を紹介したり、他愛のないことばかりだ。
しかし会うのは暫く振り、それなら親子の触れ合いへと導こう。おそらくニュテスは、そんなことを考えたのだと思われる。
「……今度リヒトも連れてきます。日本と似たヤマト王国……リヒトにも知ってほしいですし」
今回の騒動が終わったら、我が子と共に再訪しよう。もちろんシャルロット達も連れて。シノブはイソミヤに転移したときの感動を、リヒトにも伝えたいと思ったのだ。
同じ冬の寒さや雪であっても、アマノシュタットとイソミヤは違う。そしてイソミヤで感じたものは、どこか自身の故郷と似ている。
リヒトは日本を知らないから、自分ほど心に響くこともないだろう。しかし折々に触れ、自身を形作ったものを我が子にも体験させたい。
それが母なる女神の喜びに繋がるなら尚更だと、シノブは思ったのだ。
「シノブ……嬉しいですよ」
光を司る女神は、一層の輝きと共に言葉を紡ぐ。まるで昇りつつある太陽のような薔薇色の光は、彼女の心の動きそのものなのだろう。
柔らかな光はシノブの心に染み入っていく。この慈しみを子供達に、そして世界中の全てに。遍く照らす存在故だろう、シノブは自然と万物に思いを馳せる。
しかし思考の広がりは、スクラガンで知った事柄にも達する。地下の結界の中、魂を縛られた者達に。
「ええ。彼らを救ってください……私達の代わりに」
アムテリアは再びシノブを抱き締めた。彼女は相手の考えを読み取れるから、シノブが胸中で誓ったことを承知しているのだ。
「はい」
シノブは読心術など使えないが、神々の願いは充分に理解しているつもりだ。そこで短い返答に、固い決意のみを乗せる。
この星に生きる者達の自立を、神々は望んでいる。創世の時代は自ら天地を整えて人々を指導したが、今は見守るのみで自然な流れに任せようとしている。
例外は異神など外からの侵入者に対してだが、それも神々は最低限の干渉に留めていた。シノブを導き助けたように、なるべく地上の者での解決を望んでいるのだ。
スキュタール王国で起きたことも、当然ながら神々は知っている筈である。しかし禁術使いとはいえ人には違いないから、広い目で見れば天地自然の一部でしかない。
とはいえ神々も歯がゆく感じていたのだろう。ニュテスが幻夢の術を授けてくれるのも、その表れだとシノブは感じていた。
「あまり遅くなってはいけませんね……向こうは夜ですから」
アムテリアは静かにシノブから身を離す。
シノブの思索が訪問の理由に及び、それを彼女は感じ取ったのだろう。どうやら心を読めるのも、決して良いことばかりでもないようだ。
「多少の夜更かしで明日に響くほど、子供ではありませんよ?」
シノブも久々の出会いだからと、誘いを向ける。往復は神像の転移で一瞬、ならば急がなくてもと思ったのだ。
もっとも術の習得に必要な時間次第ではある。そこでシノブは、教えてくれる筈のニュテスへと視線を動かす。
「私達の弟も、随分と立派になりましたね。……母上、暫く散策しましょう」
ニュテスは先頭に立ち、ゆっくりと雪原を歩き出す。そこでシノブは母なる女神の腕を取り、朝の空気を味わいつつ歩み始めた。
シノブはイソミヤの神域に何回か来ているから、ニュテスの向かう先が東の海岸らしいと察した。海を彩る朝日を眺めたいのだろうかと思いつつ、シノブは続いていく。
「シノブ……今の貴方なら幻夢の術は難しくありません。相手と波動を合わせて働きかけるだけ……他の者ならともかく、貴方は母上の血を受け継いでいますからね」
ニュテスは前を向いたまま、シノブに語りかける。いや、彼は既に教えへと入っていた。
朝の空気を心地よく震わせる声は、シノブの胸の内に延々と反響して残り続ける。それでいて闇の神が紡ぐ言葉は、明瞭に理解できる。初めて体験する奇妙な感覚に、シノブは縛られていく。
「これが世界です……命が溢れ、精一杯に生きた証を残し、次代へと繋ぐ……」
いつの間にか、シノブは星々が飾る宇宙を漂っていた。しかし同時にシノブは、眼下の惑星を明確に感じ取っている。
ニュテスの言葉通り、惑星には無数の命が存在した。それらは次々と生まれ出で、必死に生き抜き、そして生存競争に敗れ散っていく。
シノブは数え切れぬ命と重なり、瞬間だが思いを重ねる。ニュテスの術なのだろうが、あらゆる生き物とシノブは繋がっていた。
食物連鎖の底辺から頂点まで。彼らは全て異なり、全てが平等だ。
宇宙からの視点、おそらくは神々の目だからであろう。シノブは細かな生き物であれ、人間であれ、巨大で長命な超越種であれ、皆が必死に未来を目指していると実感した。
生を終えた命には、次の生が待っている。それが世界の掟なら、妨げてはならない。この世界が定めた輪廻から外し、好き勝手にする禁術使いを放置できない。シノブは誓いを新たにする。
「私の授業は終わりです」
どうやらニュテスの幻夢の術は、ほんの一瞬だったらしい。
シノブが今立っている場所は、宇宙空間に飛ばされたと思ったときと全く変わらない。周囲の風景から、そうシノブは察した。
それでいてシノブは、既に幻夢の術を理解していた。
おそらくだが、ニュテスはシノブの感覚に働きかけたのだろう。まるで長い間を掛けて学んだかのように、新たな技を会得していたのだ。
「さあ、ゆっくり散歩を楽しみましょう」
「ありがとうございます」
振り向き微笑むニュテスに、シノブは二重の意味で感謝を伝えた。
もちろん一つは、幻夢の術の教授である。そして残る一つは、命の本質に触れたことだ。
禁術使いとの対決にあたり、これほど必要なことはないだろう。命を歪める者には確固たる態度で臨むしかないと、ニュテスは後押ししてくれたのだ。
子供達の交流を、アムテリアは静謐な笑みで見守っている。
シノブとニュテス、そして世界に満ちる全ての存在。母なる女神は自身の象徴である朝日と同じく、今日も全ての命を慈しんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆
『馬鹿め! 私は狂屍の王ダージャオ様だ! 体など乗り換えれば良いだけのこと!』
七色に輝く空の下、草原の彼方で愚弄の叫びが響く。
鋼と岩の残骸が重なる中から立ち上がったのは、作業用の鋼人だ。大人と変わらぬ大きさの変哲もない一体だが、どうやら禁術使いの魂が宿ったらしく感情豊かな声音である。
ただし声と言葉で明らかなように、乗り移ったのは負の心だ。表情は動かぬ筈の作業用だが、顔は大悪人の嘲笑に並ぶほどの狂気を感じさせる。
得意満面なダージャオだが、彼は真実を知らない。ここがシノブの術の中だと。
本当のダージャオは催眠の術に掛かったままで、そこにシノブが幻夢の術を用いたのだ。
『ほう……シャオジャオもいたか! これは好都合……』
ダージャオの宿った鋼人が向いた先には、カイヴァルを模した鋼人が倒れていた。
その脇にはシノブとアミィもいるが、これも全て術が作り出した幻である。ただし術に掛かった者とシノブのみは、この偽りの空間に存在した。
シノブにダージャオ、そしてシャオジャオというらしき魂。更にシノブはスキュタール王国の国王フシャールの魂にも術を行使した。
しかしダージャオはフシャールに興味がないらしく、老王を模した像には目もくれない。
「何をする気だ!?」
「シノブ様、ご注意を!」
幻夢の術の中で、シノブは驚愕の表情を作って叫ぶ。続いてシノブは驚くアミィを思い浮かべ、幻像に反映させる。
シノブの術には限界があり、ニュテスのように無数の命は表現できない。異空間の天地や散らばる残骸などは思ったままに再現できるが、複数の命ある存在を自然に動かすのは別のようだ。
一方のダージャオ達だが、今はダージャオのみを覚醒状態としている。その状態からダージャオがどう出るか、シノブは見たいのだ。
そしてシノブの願いは、直後に叶えられる。
『急々如律令! 来い、シャオジャオ!』
ダージャオが宿った像は複数の印を素早く結び、最後に王太子カイヴァルそっくりの像を指し示す。すると倒れていた像の中から、靄のようなものが飛び出した。
これもダージャオが思い浮かべる光景で、現実ではない。ただしシャオジャオの魂が催眠状態では不都合が生じるから、シノブは彼の魂を覚醒状態とする。
『これは!? ……もしや老師ですか!?』
シャオジャオからすれば、突然別の鋼人に移されたように感じたのだろう。同じく作業用の一体は、慌ただしく顔を動かす。
しかしシャオジャオは隣に立っているのがダージャオの宿ったものだと察したらしく、疑問混じりの問いを発した。
「老師って!?」
『シャオジャオ、大鋼人変化だ! 魂剛練丹、屍霊鋼人!』
『はい! 魂剛練丹、屍霊鋼人!』
シノブは情報を得る機会と内心喜ぶが、ダージャオは再び印を結び絶叫するのみで応じはしない。もちろんシャオジャオも同様で、こちらも両手を動かし呪文を唱えるだけだ。
しかし僅かだが掴めたことはある。やはりカンの魔術は道術めいた様式らしい。
そしてダージャオの発言や呪文からすると、その中でも死霊術を得意とする術者なのは間違いないだろう。つまり地球での僵屍や赶屍術、もっと広く操魂術や還魂術といった辺りかもしれないが、中華風の死霊術が体系化されているのは間違いないようだ。
もっともシノブが想像を巡らせていたのは僅かな間のみだ。何故なら平原には、高さ50mを超える鋼人が、二体も出現したからだ。
「こ、これが大鋼人!? カンの死霊術は、こんなに凄いのか!?」
シノブはダージャオとシャオジャオが宿った金属像を見上げつつ、大袈裟に声を張り上げる。今度こそ何かを引き出そうと思ったからだが、幾らかは驚きもある。
これは夢の中のことで、ダージャオ達が思い浮かべた光景でしかない。
周辺から集まった無数の鋼人の残骸。巨体を支えるべく融合した数え切れぬほどの魂。完成した挂甲武人のような鋼の巨人像。どれもダージャオ達の想像による幻だ。
とはいえダージャオ達は現実でも同じことが出来る筈で、極めて恐るべき技には違いない。
『そうとも! 我らが祖師、シェンジャオ大仙の編み出した狂屍術だ!』
『愚か者共は荒禁の乱などと称し、我らを迫害しました。しかし我ら狂屍術士にとって、体など乗り換え可能な器に過ぎません! ある者は鋼の体を選び、ある者は他人の体を乗っ取り、こうやって逃げ延びたのです!』
ダージャオとシャオジャオは、シノブには対抗する術がないと思っているようだ。彼らは得意げな声音で語り続ける。
二人や師匠のシェンジャオがいたのは、カンでも南部のジェンイーという大都市。そして荒禁の乱とは禁術使いにより国が荒んで分裂の元にもなった大乱だから、何百年も前から生きているのは確かなようだ。
ちなみにダージャオ達がカンにいたのは五十年ほど前までらしい。既に荒禁の乱と呼ばれた時代から百数十年が過ぎたが再び取り締まりが厳しくなり、禁術使い達の一部はカンの外に逃れたのだ。
この他地域への逃亡は荒禁の乱の最中もあり、最も早い者は三百年以上前にカンを脱したし二百年ほど前までは度々あったという。
イーディア地方に渡ったヴィルーダや、カカザン島の森猿スンウ達を使役した魔獣使いも、荒禁の乱の間にカンを離れたようだ。後者がアウスト大陸に現れたのは三百年近く昔らしいから、最初期の脱出者に違いない。
ともかくジェンイーという都市に行ってみよう。それに光翔虎のヴェーグはカンにも滞在したから、彼にも聞いてみなくては。シノブは、それらを心に刻む。
「本当のカイヴァルはどうなったのか!? ジャハーグのように殺したのか!?」
シノブは残る疑問、王太子のカイヴァルについて訊ねた。
国王フシャールは魂こそ残っているが、体は既に失われている。そして宰相ジャハーグの魂は他の者と融合して巨大鋼人となり、肉体も墓の下だという。
つまりスキュタール王家を継ぐのはカイヴァル、もし没していたら彼の子供である。
カイヴァルには妻が一人、そして息子と娘が一人ずつだ。果たして王に値する人物かという懸念はあるにしても、まずは彼や妻子の行方を確かめるべきだろう。
『そんなことより自分の命を心配したらどうだ? 私達が足を踏み出したら、お前は終わりだぞ?』
『冥土の土産に教えてやりましょう……もっとも魂となっても私達に使役されるだけですが。カイヴァル達は逃げましたよ。おそらく、どこかで野垂れ死にしたでしょう』
ダージャオは嘲笑うのみだったが、シャオジャオは王太子一家の行方を口にした。ただし死んだと言う辺り、シノブが悔しがるところを見たかっただけかもしれない。
とはいえ全くの嘘偽りということもないだろう。シノブは王太子達を探し出しそうと決意する。
ここアスレア地方はアゼルフ共和国を除き全て王国だ。この国の次代も王制のままだろうし、そのときは血筋が重視される筈である。
それならカイヴァルや息子が平均以上の資質の持ち主であれば、彼らを王にした方が治まりやすい。もちろん他に適任な者がいれば別だが、やはりカイヴァル達の復帰が最有力の選択肢であった。
◆ ◆ ◆ ◆
他にも幾つかのことを聞いたシノブは、充分に目的を果たしたと感じた。そこでダージャオ達に、報いを受けてもらうことにする。
二人の犠牲になった人々の苦しみや嘆きが如何ほどのものであったか。シノブは身をもって味わってもらうつもりであった。
ここスクラガンだけでも使役された魂は千以上、カンのころも合わせたら万を超えるかもしれない。少しは因果応報という言葉の意味を知るべきだろう。
「良く判った……それでは礼をしよう」
シノブは静かな声で終幕を告げる。
相手は三十倍以上もある巨人達だが、ここは夢の世界だから声の大小は関係ない。現にダージャオ達には届いたようで、彼らが宿る巨像は首を傾げた。
『何をするというのだ?』
『そんなことより命乞いでもすべきでは?』
二人の禁術使いは嘲弄するが、それも僅かな間であった。何故なら彼らは、子供のように泣き叫び始めたからである。
『う、うわぁ! た、魂が食われる! 嫌だ、嫌だぁぁあああっ!』
『ひ、ひぃぃいい! 式神としたヤツらに! わ、わああっ! ああっ、私が無くなっていく!』
巨人達は転げ回って大地を揺るがし、絶叫は天を引き裂かんばかりである。
シノブは魂がバラバラになるイメージを送り込んだが、それは狂屍術士を名乗る二人にとって最も有効な攻撃だったようだ。おそらく彼らが日常的にしたこと、他者の魂を弄んだ過去が、シノブには想像も付かないほどの衝撃を生み出したのだろう。
『き、きえる……きえ、きえ、き……』
『わ、わた、わたし……ああ、あ……わた、わ、わ……』
どうもダージャオ達は精神に異常を来したようで、叫びは言葉と呼べないものに変わっていく。そして二体の巨像は、ついに動きを止めた。
「やりすぎたか? でも、兄上が結局は同じだって……」
ニュテスが別れ際に口にした言葉を、シノブは思い出していた。
魂を踏みにじる者には、自身がしたことを味わってもらう。多くは精神の死を迎えるが、壊れたら戻すだけだ。もちろん罪業の大きさによっては、何度でも。
来世も様々、行い次第であらゆる生き物になる。しかし生まれ変わりまでの間も天地の差がある。この星の冥界を預かる神は、そうシノブに語ったのだ。
それ故シノブに後悔はない。
ダージャオ達の心は壊れたが、式神となった者も辿った道だ。彼らは自身が玩具にした魂と、同じ体験をしただけである。
その思いからだろう、非道への激しい怒りがシノブの胸中を満たしていた。
「……皆のところに戻ろう」
シノブは幻夢の術を解く。すると周囲にはアミィとホリィ、そして超越種達が現れる。
もちろんこれはシノブの主観で、今までも彼らの輪の中にいた。しかしシノブは仲間の側に戻ったような気がして、大きな安らぎを得た。
『兄貴、何か判りましたか~?』
「ああ。この二人……ダージャオとシャオジャオは、カンのジェンイーという都市の出身だ。それに二人の師匠だっていう、シェンジャオ大仙という者も」
問うたシャンジーの頭を撫でつつ、シノブは語っていく。
シャンジーは嬉しげに喉を鳴らし、尻尾を揺らす。その普段と変わらぬ様子に、シノブは知らず知らずのうちに顔を綻ばせる。
「……カイヴァル殿は妻子と共に逃れたらしい。この国を落ち着かせるには、彼らを探し出さないと」
「ダージャオ達が倒されたと知れば、姿を現すかもしれませんね!」
一通り説明したシノブに、アミィが笑みを向ける。
少なくとも王太子一家は、ダージャオ達の魔の手に掛かっていない。もし彼らが無事なら、今後の混乱を回避できるに違いない。おそらくアミィは、そう思ったのだろう。
『ヴェーグさん、ジェンイーってところは?』
『通ったけど十数年前だしなぁ……こいつらは五十年以上前にカンを離れたんだろ?』
ヴァティーとヴェーグのやり取りを耳にし、シノブは顔を向ける。シノブもヴェーグがカンにいたのは比較的最近だと知ってはいたが、それでも通ったなら他にも知っていることがあるだろうと思ったのだ。
『今のジェンイーはナンカンって国の中心、都ってヤツですね。俺が見た限りでも、南の方では一番大きかったと』
「ありがとう、場所が判るだけでも大助かりだ。ここが片付いたら調べに行くから、そのときは頼むよ」
情報が少ないからだろう、ヴェーグは少々残念そうな物言いだった。しかしシノブが礼を伝えると、彼は嬉しげに吼える。
「それではシノブ様、急いでスクラガンに戻りましょう」
「西の国境では、シャルロット様やマティアスさん達が待っていますし」
「ああ、そうだね!」
アミィとホリィの言葉に、シノブは大きく頷いた。
実はシャルロットも、マティアス達と共に遠征軍に加わっていた。彼女はシノブに、自身の出来ることをしたいと願ったのだ。
マティアスは充分な戦力を率いているし、シャルロットも多くの側仕えを伴った。そのためシノブは大丈夫だと思っているが、スクラガンですべきことが終わったら急いで駆けつけるつもりであった。
早くシャルロットと会いたい。そこにはイヴァール達もいるし、力を合わせれば早期の解決も出来る。
シノブの言葉に、アミィとホリィは大きく頷く。そして超越種達は、高らかな咆哮を異空間の空に響かせた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年12月6日(水)17時の更新となります。