24.24 スキュタールの僭主
国王ザヴェフと第一王妃シュレカが、文字通りの傀儡だった。この衝撃的な出来事は東メーリャ王国の人々を大きく揺るがした。
天へと昇った二人の魂を、人々は大きな悲しみと共に見送った。そして来世へと向かう光球が消えたとき、彼らの多くは急ぎ確かめるべき件があると気付いたようだ。
「シノブ陛下、他に操り人形は……」
代表するように口を開いたのは重臣達の中でも年長の一人、白髪白髯の老人ロウデクであった。彼は外孫だが建国王の末裔ということもあり、他より格が高いらしい。
集った者達の視線はシノブへと動く。
王太子イボルフは凛々しい表情で応えを待つ。まだ彼は十歳だが、早くも面は王者に相応しい気品を漂わせている。
イボルフの異母妹エルヴァ、そして彼女の母である第二王妃のエメシェは再び顔を蒼白にしていた。更なる被害者がいるのかと、二人は慄いたのだろう。
廷臣達はシノブに注意を向けつつも、僅かに瞳が揺れている。隣に立つ者が禁術使いの手先かもと思えば、とても心穏やかとはいくまい。
「少なくとも、ここイボルフスクにはいません」
シノブの魔力感知能力は、距離と精度の双方とも他と桁違いだ。そのため彼は城にいながらにして、王都全域を確かめていた。
「おお……」
廷臣達は笑顔となり、安堵のどよめきが広がっていく。
どうやって王都の全てを探ったか、問う者はいない。ここにも昨年秋のテュラーク王国との戦いは伝わっており、そこにはシノブの人とは思えぬ逸話も含まれていたからだ。
全長200kmを超える長城を、たった一人で数時間のうちに築いた。天地を揺るがす技を振るい、単独で大軍を追い払った。そしてザヴェフ達の魂を救った件からも、シノブが常人ではないことは明白である。
おそらくは支える者達も含め、神々が使わした存在だろう。シノブや囲むアミィ達四人を、東のドワーフ達は畏敬も顕わに見つめていた。
無条件の信頼に、シノブは複雑な思いを抱く。しかし疑心暗鬼の混乱を避けるのが先と、面には出さず抑え込む。
「外見は人間そっくりですし、食事くらいなら誤魔化せます。ですが長く共に暮らせば……」
「たとえば怪我しても血は流れませんわ。ザヴェフ陛下は抜きん出た実力者ですから、怪我自体しなかったと思いますが」
アミィとマリィは、両断された鋼人へと目を向けた。
ザヴェフは他を圧する武力に加え、国王だから誤魔化せた。訓練であれ彼に手傷を負わせる者は皆無、仮にいても国王相手なら寸止めにするだろう。
食事も腹中に溜めて後で密かに処理すれば良い。もし従者や侍女が不審に思っても、国王が下がれと言ったら大人しく従うしかない。
シュレカは殆ど奥に篭もっていたし、やはり王族が命じれば側仕えも抗いはしない。しかし臣下達だと、他者を遠ざけて暮らすのは少々無理がある。
それらを聞き、東のドワーフ達の顔は僅かだが緩む。
「すると、残るは地方でしょうか?」
「ええ。スキュタールの鉱夫募集団の件もありますし、念のため太守や代官達を確かめるべきでしょう」
王太子イボルフの問いに、ホリィが頷き返した。
ここ王都イボルフスクは無事でも、他は判らない。それに村人達を騙して苦役へと誘った募集団の調査も必要だ。
既に西メーリャ王国の使節団から、鉱夫となった者の出身地は教わった。まずはそこに監察官を送り、合わせて太守達にも使者を出さねば。廷臣達は慌ただしく言葉を交わす。
「指先でもチクッと刺せば判ります~。ちょっとでも血が出たら本物ですよ~」
ミリィは指を立てると、反対の手で握ったままの鷲の嘴で突いた。
禁術使いの連絡役をしたという鳥の式神も、ザヴェフ達と同様に魂を輪廻の輪に返した。そのため彼女が握っているのは単なる抜け殻で、当然ながら動くこともない。
「ありがとうございます。……ロウデク殿、至急手配を」
冗談めいた助言故だろう、イボルフも一瞬だが笑みを浮かべた。しかし彼は王に相応しくと思ったようで、重臣ロウデクへと向き直ったときは真顔に戻っている。
「ははっ!」
早くもイボルフには国を統べる者としての風格が漂っている。そのためだろう、家臣の全てが少年王子に跪礼を返す。
「これからのことを話しましょう。相手に時間を与えるべきではありません」
良い頃合と見たシノブは、イボルフへと声を掛ける。
使役者と式神には霊的な繋がりが存在し、優れた術者なら失われたと気付くらしい。しかし頻繁に行き来していた伝令役が現れなければ遅かれ早かれ露見するから、シノブは式神に宿っていた魂も解放させた。
しかも既に西メーリャ王国はスキュタール王国との国境を封鎖したから、今回の件がなくとも対策くらい練っているだろう。
とはいえ悠長に構えている場合ではない。
ザヴェフによれば禁術使いに逃げ出す気はないようだが、東メーリャ王国まで敵に回ったと知れば考えを変えるかもしれない。
それに向こうの中枢にも、禁術使いが手を伸ばしていると考えるべきだ。過去は変えられないが、せめて更なる悲劇だけでも食い止めたい。
短い言葉の中に、シノブは自身の思いを篭めた。
「はい、お願いします」
イボルフも気になっていたのだろう、即座に頷き返した。そして彼は足早に、背後に聳える本丸へとシノブ達を誘う。
何しろイボルフは自身の両親を失ったのだ。元凶の禁術使いを捕らえねばという思いは、ここにいる誰よりも強いだろう。
「良い少年だな」
「ああ。親代わりとはいかぬが、俺達で支えよう」
静かに言葉を交わしたのは、同じドワーフのパヴァーリとイヴァールだ。それにマリーガ、リョマノフ、ヴァサーナも深い首肯で同意を示す。
マリーガからすればスキュタール王国は隣国、残る二人も同じアスレア地方の問題である。もしも自国で同じことが起きたらと、案ずるのは当然のことだ。
やはり誰の心にも焦燥があるのだろう、少年王子を追う者達も負けず劣らずの早足であった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達がいるイボルフスクから500kmほど南、雪に覆われた平野。その中央に築かれた都市が、スキュタール王国の王都スクラガンである。
熱風を生み出す西の大砂漠からスクラガンは遠く、北のファミル大山脈と南のロラサス山脈の間で標高もある。しかも北緯44度だから、一月も終わり近い今は日中の大半が氷点下であった。
ただし海から遠い内陸国で、降雪量はさほどでもない。積雪も馬の蹄が隠れる程度、街道を行くドワーフ馬も軽快な足取りだ。
そう、ここで一般的なのは東メーリャ王国原産のドワーフ馬達なのだ。
スキュタール王国は人族と獣人族の国だが、寒さに強い長毛のドワーフ馬の存在を知って導入した。現在は国内でもドワーフ馬を育てているが、昔からの伝統で東メーリャ王国のドワーフ馬が最上とされ輸入は続いている。
共通するのは馬だけではない。スキュタール王国の男は髭を長く伸ばした者が多いし、男女を問わず上着は毛皮ばかりだから背丈や体格を別にしたら東のドワーフ達と良く似ている。
このようにスキュタール王国と東メーリャ王国は暮らし振りも近く、ファミル大山脈に隔てられ直接の道はないが盛んに交易していた。
一方で西メーリャ王国は大砂漠の影響で暑く、ドワーフ馬ですら短毛に改良したくらいだ。住民も短髪で男でも髭を剃り、着ているものも薄手の布服ばかりである。
したがってスキュタール王国の人々は、関所を挟んで隣の西メーリャ王国より更に向こうの東メーリャ王国に共感を抱いているようだ。
とはいえ例外は存在する。ドワーフ達を騙した鉱夫募集団、鉱山で酷使した兵士達、そして彼らの背後に潜む黒幕である。
「……式神が倒された?」
王都スクラガンの中央、聳え立つ城。多くの魔道具で暖められた部屋で、中年の男が不審げな声を漏らした。
男は狼の獣人らしく、頭上には尖った耳がある。ただし鼻から下は髭で覆っているから、表情を窺うのは難しい。
身なりは上等、外衣は純白だから最高級の雪魔狼の毛皮だろう。それに太い金鎖の首飾りには、大粒の宝玉が幾つも並んでいる。
それだけ豪華な衣装を纏っているのも当然で、男はスキュタール王国の宰相であった。しかも名はジャハーグ・スキュタール、現国王の甥である。
しかし発した言葉は宰相に似合わぬものだ。
スキュタール王国に魔術師は少ないし、アスレア地方で符術を使うのはエルフくらいである。それにエルフは魂の使役を禁忌とし、自身の魂を符人形に移すのみだ。
つまり宰相の正体は、遥か東から来た禁術使いか後継者だろう。ただし禁術使いは人族で、西メーリャ王国を通過したのは三十年ほど前だ。それに対しジャハーグは獣人族で年齢も四十二歳だから、後者の可能性も大いにある。
「東メーリャでしょうか?」
「ザヴェフの鷲ですか?」
ほぼ同時に問いを発したのは、人族の男性二人である。
一人は相当に老齢で、髪と髭は雪のように白い。もう一人は双方とも黒々としており、おそらく年齢はジャハーグと大して変わらぬだろう。
どちらもジャハーグに負けぬ豪奢な衣装だが、それも当然で彼らは王と王太子であった。名は国王がフシャールで王太子がカイヴァル、もちろん双方とも家名はスキュタールだ。
この二人にも不自然な点がある。どうして王と王太子が宰相に敬語を使うのか。それに腰掛けている椅子も、ジャハーグのものが遥かに上等である。
そもそもフシャールは老齢で長く伏せり、カイヴァルも体調を崩して療養中の筈だ。しかし二人は見た限り健康そうで、表に出るくらい充分に可能だと思われる。
既に二人は宰相に支配されているのか。東メーリャ王国の王達のように、彼らも人間そっくりの鋼人に変じているのか。
充分に暖かな部屋にも関わらず漂う寒々しさが、決して妄想ではないと示しているようだ。
「ああ。ザヴェフに付けた鷲だ」
やはりジャハーグは、ザヴェフのところにいた鳥の式神の主だった。
目の届く場所ならともかく、遠方でも式神の異常を掴めるのは術者当人のみである。使役対象にするとき、術者は血などを通して霊的な繋がりを構築するのだ。
流石に何が起きたか知る術はないが、支配が解けたかどうかくらいは判るらしい。
ちなみにジャハーグはザヴェフ達と会ったとき名を明かさなかったし、スキュタール王国からは鳥の式神を介した連絡のみだ。そのためザヴェフは指示の内容から相手がスキュタール王国の者だと確信していたが、特定には至らなかった。
「……すると、あの二人も?」
「ですが……」
国王フシャールと王太子カイヴァルは、揃って声を曇らせる。双方とも多少は符術や式神についての知識があるようで、自分達にとって望ましくない事態と察したようだ。
「ザヴェフ達は憑依と束縛の術を用いたのみだから、どうなったか判らぬ。……式神に探らせよう」
ジャハーグは椅子から立ち上がり、部屋の隅に置かれていた鳥籠の扉を開ける。すると中から大きな黒い鷲が飛び出した。
「イボルフスクに行け……だが、ザヴェフがいなかったら即座に引き返すのだ」
腕に止まった鷲に、ジャハーグは低い声で語りかける。すると鷲は了解したと伝えるかのように、静かに頭を下げる。
そしてジャハーグが開け放った窓から、低く雲が垂れ込めた冬の空へと鷲が飛び出していく。鳴き声どころか羽ばたきの音すら立てず飛ぶ姿は、どこか不気味で禁忌の存在に相応しい。
もっとも外は身も凍る寒さだから、ジャハーグは送り出すと同時に窓を閉める。
「やはりアマノ同盟が……」
「もしや四日前の鉱山での脱走も?」
ジャハーグが席に戻ると、残る二人が口を開く。
西メーリャの使節団が先触れに持たせた東メーリャ国王宛の親書には、イヴァール達も連署した。そのためザヴェフはアマノ同盟なども来ると知っており、鳥の式神に持たせた文にも記した。
それにドワーフは魔術に詳しくない。そのためフシャールは、使節団に同行するアマノ同盟の誰かが見破ったと思ったのだろう。
一方のカイヴァルは、先ごろ王都に届いた鉱山での事件に触れた。光翔虎のヴェーグなど超越種の活躍によるドワーフ救出は、ようやく彼らの知るところとなったのだ。
これは不可解な事件をどう纏めるか、鉱山の責任者達が苦慮した結果であった。演劇めいた一幕に気を惹かれて逃げられたと言えないから、なるべく責任が及ばぬように頭を捻ったらしい。
カイヴァルが二つの事件を関係付けたのは、時期の一致もあるだろう。しかし魔術らしい技を使ったり突然姿を消したりといった辺りに、彼は繋がりを見出したのではないだろうか。
「幸い充分な鉄が確保できた……それに魔力蓄積結晶もな。カイヴァル、例の計画を急がせるのだ。アマノ同盟は侮れん……やはりお前を裏に専念させて良かった」
「分かりました、監督に専念します」
五歳も年長の従兄弟だが、ジャハーグは宰相でしかない。しかし王太子の筈のカイヴァルが、家臣のように深々と頭を下げる。
それはともかく、ジャハーグ達は前々からアマノ同盟に備えていたようだ。
イヴァール達のアスレア地方北部訪問団が西メーリャ王国に達したのは一週間前、アスレア地方に入ってからでも半月未満だ。しかし二人の口振りや交わした内容からすると、そんな短い準備期間でもないらしい。
大量の鉄鉱石を得て、それを精製し加工する日数。カイヴァルが療養中と発表されたのは年が変わる前。これらを考え合わせると、昨年秋のテュラーク王国の滅亡や更に前の東域探検船団の登場から動いた可能性もある。
「ようやくここまでにしたのだ……何としても……」
ジャハーグの低い声は陰々と響く。
怨念と言うべき強い負の波動を感じたからだろう、フシャールとカイヴァルは口を噤んだままだ。そのため密談の場には、今まで以上に重苦しい空気が広がるのみであった。
◆ ◆ ◆ ◆
スキュタール王国での一幕は知らぬシノブ達だが、向こうの中枢に禁術使いか末裔が潜り込んでいるのは予想済みだ。
時間を惜しんだシノブは、少年王子イボルフに関係者を集めようと持ちかけた。イボルフも自国のみで対処できる件ではないと了承し、東メーリャ王国の王都に更なる客が現れる。
最初に光翔虎のヴェーグ、続いて玄王亀のシューナとケリス、そして西メーリャ王国の国王ガシェクもやってくる。
ヴェーグを始めとする若手の光翔虎達は四日前からスキュタール王国に潜入し、今も山中を探っている。しかしシャンジーなどが通信筒を持っているから、魔法の馬車の呼び寄せ機能を使えば一瞬だ。
アマノシュタットにいるシューナとケリスも同様で、間を置かずにイボルフスクに姿を現す。
通信筒がないガシェクは、ホリィが呼びに行った。彼がいたのは都市ノヴゴスクだが、幸い近くに転移の神像を置いたメリャド山がある。そのため西メーリャ王国の主も三十分足らずで到着した。
「この魔力蓄積結晶です」
『……間違いありません。名水の源流で見たものと同じです』
『はい! 私にも分かります!』
アミィが手にした結晶に、シューナとケリスが顔を寄せたのは僅かな間だけだった。
岩の組成や含む魔力の判定など、玄王亀にとって日常茶飯事である。彼らは地中を進むとき、そうやって周囲を区別しているからだ。
「流石は玄王亀様……」
「ああ……」
広間には、興奮に満ちたどよめきが広がっていく。
第二王妃は幼い娘を連れて下がり、東の者で残ったのは王太子と重臣の他は高位の戦士くらいだ。しかし歴戦の男達も子供のように目を輝かせている。
メーリャ地方に鍛冶の技を授けたのはシューナの祖父プロトスだから、伝説の一端を目にした戦士達が感動するのも無理はない。
「鋼人にノヴゴスクの石が……やはり例の禁術使いか」
「私達は、どちらも邪術の使い手に……」
もっとも憂いを顕わにした者達もいる。それは東西の代表者、ガシェクとイボルフだ。
アミィが持つ魔力蓄積結晶は、ザヴェフを模した鋼人から取り出したものなのだ。
『するってえと、操り人形を作ったヤツがスキュタールに……町は後回しにしたからなぁ……』
「救出が最優先だよ」
悔しげなヴェーグにシノブは寄り、慰めようと白く輝く若虎の頭を撫でた。
救出を開始してから僅か四日、光翔虎達はスキュタール王国の鉱山を検めるので手一杯だった。シノブ達も次は中枢の調査をと考えてはいたが、人命に関わることだから鉱山を優先したのだ。
結局ドワーフがいた鉱山は発見済みの二つのみだったが、それは結果論でしかない。放置したが故に助かった筈の命を失っては、後悔してもしきれない。
「シノブ……これを作るためだけに結晶を集めたのだろうか?」
「伺った限りだと多すぎるような……それとも何百何千と?」
イヴァールに続き、リョマノフが憂いの滲む顔をシノブへと向けた。
ザヴェフの鋼人に使われた結晶は、せいぜい両手で掴める程度だろう。しかし名水の源流で採掘した量は最低でも千倍、もしかすると更に二桁ほど上回るかもしれない。
もし何千もの鋼人があれば、無敵の軍団が生まれるだろう。今回のように密かに入れ替わったり偵察用としたり、直接の戦力でなくても恐るべき脅威である。
二人とも勇猛果敢な戦士だが、一方で数の恐ろしさも熟知しているのだ。
「こうしてはおれん、国境を固めねば」
「ガシェク陛下、どうか我らも加えてくだされ! 陛下達の無念を晴らしたく!」
ガシェクは自国に鋼の軍団が押し寄せたらと考えたのだろう、思わずといった様子で声を漏らす。すると東メーリャ王国の重臣ロウデクが走り出て、跪いての懇願をする。
「お願いします。このまま座しているなど、父上と母上に顔向け出来ません」
「しかしイボルフ殿の騎下を……」
イボルフの願いを叶えてやりたいと、ガシェクも思案したらしい。しかし他国の軍勢を配下に加えるのを躊躇ったようで、彼は口篭もる。
仮にイボルフが出陣したらガシェクの指揮下に入ることになるが、東メーリャ王国の君主となる身だから後々の禍根になりかねない。
家臣団のみでも、西メーリャ王国が上に立って問題なく回るだろうか。反目し合っていた東西メーリャだけに、ガシェクが案ずるのも仕方なかろう。
しかしガシェクは、唐突に破顔する。どうやら彼は何かを思いついたようだ。
「シノブ殿! 名目だけでも構わぬ、お主が総大将となってくれぬか!?」
「それは妙案です! シノブ殿、どうかお願いします!」
ガシェクの提案は、イボルフとしても望むところだったようだ。それにロウデクなど、東メーリャ王国の廷臣達も顔を綻ばせる。
どうやらイボルフやロウデクも、東西だけで集うのは困難だと思い至ったようだ。しかし形だけでもアマノ同盟が上位に立つなら、戦士達も受け入れてくれると読んだらしい。
「分かりました。監督官を出しましょう」
シノブも仲立ちをすべきと思っていたから、これ幸いと頷き返す。
両国は和解へと漕ぎつけたが、荒ぶる戦士達の衝突くらいはあるだろう。普通なら任せておけば良いが、ここは慎重に行くべきだ。
幸いアマノ王国では、軍務卿のマティアスが精鋭を集めて演習を重ねている。後方の監督役では不満かもしれないが、まさかメーリャの戦士達を差し置いて先陣を切るわけにもいかないだろう。そのためシノブは、マティアス達に目付けを頼もうと思ったのだ。
「では早速、戦士達を西に……」
「いえ、輸送も受け持ちます」
急ぐイボルフを、シノブは微笑みで制した。シノブは東メーリャ王国が軍を出すと予想していたから、戦地まで運ぶくらいはと元から思っていたのだ。
ここから西メーリャ王国との国境まで400km近く、前線となる西メーリャ王国とスキュタール王国の国境まで更に同じくらいだ。おそらく通常なら十日ほど、急いでも半分程度は掛かる筈である。
しかし禁術使いが異変を察したら数日中にスキュタール王国が攻め込むかもしれないし、そうなれば東メーリャ王国軍は間に合わないだろう。
◆ ◆ ◆ ◆
「シノブ様、ガンドさん達が到着しました。先ほどの訓練場です」
「あそこなら磐船も出せるね。……皆さん、窓際へ。それとイボルフ殿、近くに馬場でもありませんか?」
アミィとシノブのやり取りに、イボルフ達は怪訝な表情となる。しかし数々の不思議を見せたシノブ達の言うことだからと、彼らは誘われるままに窓辺へと歩んでいった。
東メーリャの城は重厚な石造りだが、和風建築に似た部分もあり外には高欄付きの回廊を備えていた。つまり両開きの扉を出たら、四方を歩いて巡れるようになっている。
そこで廷臣達はシノブが進む南側の扉を開け放ち、一同を外に導く。
──ミリィ、ご苦労様! ガンド、ゴルン、北にある大きな空き地が軍の演習場だ! そっちに磐船を運んでくれ!──
一方シノブは、歩く間にイボルフやロウデクから聞き取った内容を思念に乗せた。シノブの位置からだとガンド達は見えないが、魔力波動で察したのだ。
──了解しました~!──
──念のために案内を付けてくれぬか?──
──うむ、我らがここに来るのは初めてだからな──
ミリィの弾むような思念に続き、成竜に相応しい風格を備えた応えが戻ってくる。
先ほどパヴァーリとザヴェフの鋼人が戦った場には、ミリィの魔法の幌馬車が置かれている。そして中からは濃い灰色と真紅の竜が一頭ずつ出てくる。灰色の方が岩竜オルムルの父ガンド、続くのは炎竜シュメイの父ゴルンである。
「大きくなったぞ!」
「それにあの鉄の船は!?」
回廊に出た廷臣達は、驚愕の叫びを上げていた。
馬車から現れたとき、竜達は大人と同程度の大きさだった。しかし彼らは全長20mもある巨竜に戻って宙を舞い、更にミリィが魔法のカバンから竜の倍はある鉄甲船を取り出した。
アスレア地方の者達でも既に竜や磐船を知るリョマノフやヴァサーナはともかく、話に聞いただけのガシェクやマリーガなども目を見張っている。
「どなたか案内役として乗っていただけませんか?」
「では私が!」
アミィが促すと、数人の戦士が高欄を乗り越えて飛び出した。ここは三階だから多少の強化を出来る者なら充分に可能だ。
「磐船には千人以上乗れますよ。それに馬も輸送できます」
「す、凄い!」
シノブの言葉に応じつつも、イボルフは磐船と上に陣取るガンドを見つめたままだ。
竜達は急げば時速200kmほどで飛翔できる。したがって仮に真っ直ぐ飛び抜けたなら、目的地まで三時間少々だ。
戦士達を集めて糧食なども積み込むから、出立は夕方近くになるかもしれない。しかし竜達は夜間飛行も苦にせず、日を跨がずに着くことも可能だろう。
「飛んだ!」
「また出たぞ!」
ガンドが飛び去ると、ミリィはゴルンのための磐船を取り出す。それに魔法の幌馬車からは、更に岩竜ヘッグと炎竜ジルンが姿を現した。
合わせて四頭の竜がいれば、装備や食料を積んでも四千人を輸送できる。戦士と同数のドワーフ馬を載せるなら千名程度だろうが、足りなければ複数回を運べば良い。
今後の連絡もあるから、長距離用の魔力無線の代替とすべく飛行船を要所に配置する。西メーリャ王国には王都ドロフスクと都市ノヴゴスク、そこから東メーリャ王国に入って国境に近い都市グルホスク、ここ王都イボルフスクの四箇所に置いたら両国の王都を結べるし他の国とも連絡できる。
大使館を置く日に備えて大型魔力無線も準備しているが、それまで飛行船の装置で凌いだらどうだろう。既にマリィは訪問団に伝えるべく動いたから、明日中には各地に飛行船を配置可能だ。
それらをシノブは、興奮覚めやらぬ東メーリャ王国の人々に提案する。
「そこまでしていただいて、良いのでしょうか?」
「これは東西メーリャのみの問題ではありません。魂を操る術など神々の定めに反すること……禁術使いを逃さぬよう、私も出ます」
見上げるイボルフに、シノブは自身も別の前線に赴くと伝えた。
禁術使いは国境に現れるかもしれないが、どこかに潜んだまま兵のみを動かすかもしれない。それ故シノブは、自身を含む少数で探すつもりだった。
国王ザヴェフや第一王妃シュレカの鋼人と同じなら、シノブは魔力波動で把握できる。それなら王都など潜んでいそうな場所を巡れば良い。
ただし、そこまでの感知能力を持つのはシノブのみだ。アミィを始めとする神々の眷属やガンドなど超越種でも、シノブのように都市全域を探れはしない。
「……お主には助けられてばかりだ」
自分達の手で解決できないのが悔しいのだろう、ガシェクは顔を大きく歪める。しかし彼も魔術に疎いドワーフ達では無理だと分かっているようで反対はしない。
「皆で助け合う、それが大切なことですよ」
アミィが無限の慈愛と共に言葉を紡ぐ。十歳ほどにしか見えぬ愛らしい姿の彼女だが、澄んだ表情や深みのある声音は神々の眷属だと悟らずにはいられぬほどだ。
『その通りです』
『私達も自分に出来ることをしました!』
『割れた月が甦ったぜ!』
奥から現れたのは玄王亀のシューナとケリス、そして光翔虎のヴェーグである。
更に三頭の上には、パヴァーリが両断した月輪斧が元の姿で浮かんでいる。今までシューナ達は、王家の秘宝を元に戻そうとしていたのだ。
「イボルフ殿、父の形見を受け取るのだ」
「はい!」
西の王に促され、東の王子が前に出る。
大人の背すら超える巨大な戦斧だから、十歳のイボルフは支えるのみで持てはしまい。そう思ったらしく、シューナ達は魔力を使い月輪斧を床に立てるように固定した。
しかし次の瞬間、人々は驚愕すべき光景を目にする。
「ガシェク殿、日輪斧を!!」
先祖から受け継いだ血が成したのか、イボルフは巨大な戦斧を持ち上げた。
まだ髭も生えぬ顔を真っ赤にし、抱え込むようにして、しかし揺らぐことなく。少年王子は漆黒の戦斧を天へと掲げる。
「お、おう!」
ガシェクは驚きつつも、少年王子の願いを叶えるべく対となる宝を抜き放つ。
西メーリャ王家に伝わる日輪斧は、名の通り白く輝く戦斧である。ただし形状は月輪斧と同一で、誰の目にも揃いの品であるのは明らかだ。
「我、東メーリャの王イボルフが誓う! この地に平和を! そして隣人と融和を!」
「我、西メーリャの王ガシェクも誓う! 兄弟の国、そして更なる仲間達と手を携えんと!」
二つの戦斧が合わさった瞬間、清冽な光が飛び散った。文字通り太陽と月が共に輝いたかのような、眩くも神々しい、玄妙な輝きである。
おそらくは、双方の先祖の祝福だろう。シノブは心に染み入る光の中に、喜びに沸き手を取り合うドワーフ達を幻視していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年11月29日(水)17時の更新となります。