05.09 故郷の味 後編
「この匂いは……」
魔法の家に入ったとたん、シノブは懐かしい香りに包まれた。そしてシノブは驚きのあまり、その場に立ち尽くしてしまう。
「どうしたのだ、シノブ?」
玄関に立ち尽くすシノブの姿に、イヴァールが怪訝そうな顔をした。
「ああ……日本の料理の匂いがしてね……」
シノブは、懐かしさのあまり思わず故国の名前を口にしていた。
「そういうことか。なんだか変わった匂いだな。チーズか何かか?」
伯爵や仲間達には、シノブの出身は『ニホン』という国だと伝えている。だから、イヴァールは故郷を思い出したのか、と納得したようだ。
彼の興味は、今まで嗅いだことのない匂いへと移っていた。
「これは、味噌汁だ……」
もはやシノブはイヴァールの言葉など聞いていない。
急いで靴を脱ぐと、リビングへと足早に移動していった。
「アミィ! 味噌汁なの!?」
シノブはリビングのドアを開けるなり、キッチンにいるアミィに向かって叫んだ。
「ええ。ご飯にはお味噌汁でしょう」
帰宅の挨拶も飛ばしてメニューを聞くシノブに、アミィは微笑んだ。
彼女はシノブが喜ぶ様子が嬉しいらしく、その狐耳は真っ直ぐ立ち、尻尾も大きく揺れている。
アミィの言うとおり、リビングには炊き上がったご飯の匂いもしている。
──アムテリア様が味噌も用意してくれたの?──
シノブはアミィの笑顔を見て少し落ち着いた。心の声で、彼女に味噌の出所を確認する。
──はい。お醤油とかもありますよ。どうもこちらでは手に入らないものをご用意くださったようです。
魔法のお茶と同じで、無くなることがありません──
彼女の答えは、シノブの予想通りだった。
魔法のお茶とは、無限にお茶が出てくる魔法の水筒のことだ。魔力回復の効果もあるが、シノブは専ら故郷の味を懐かしむのに使っている。味噌や醤油もそういった魔法の容器に入っているのだろう。
「……そうか。そういうことか……」
シノブは、心の中でアムテリアに感謝を捧げた。
どうやらアムテリアが追加するものには一定の法則があるらしい。
最初、アムテリアはシノブの持ち物を作り変えて魔道具として授けた。だから、光の魔道具のように性能を別にすればこちらで入手できるものもあった。
しかし、その後に授かった魔道具は自力で手配できないものが多い。シノブは、メリエンヌ王国やその近隣の国々に味噌や醤油は存在しないのだろう、と考えた。
「シノブ様、お喜びなのはわかりますが早くお入りください。イヴァールさんが後ろで困ってますよ」
料理を手伝っていた侍女のアンナがシノブに笑いかける。
彼女はシノブが心の声で会話しているとは知らないから、感動のあまり立ち尽くしていたと思ったのだろう。キッチンからアミィと一緒に優しく微笑んでいた。
「ごめん! さあ、入って!」
「懐かしい料理に驚いたのだ。仕方あるまい。……ところでアミィよ。俺の分もあるのか?」
シノブが慌てて室内に入り声をかけると、イヴァールは鷹揚に笑いながら続く。そしてイヴァールは、味噌汁に余分があるかを問うた。
「はい! お口に合うかわかりませんが、一応皆さんの分も用意しています。こちらの料理もアンナさんに作ってもらいましたが、どうしますか?」
アミィは、シノブや自分の分は和食風にするつもりらしいが、イヴァールの分については別に用意していたようだ。彼にメニューをどうするか質問した。
「シノブの故郷の料理を味わうのも良かろう。俺にもその『ミソシル』というものをくれ」
イヴァールはシノブの喜ぶ姿に、味噌汁に興味を示したらしい。
外見に似合わず優しい彼のことだから、シノブの故郷の味を共に口にしようと思ったのかもしれない。
「わかりました。念のため両方お出ししますね」
アミィは和食が口に合うか不安に思ったようで、イヴァールに両方用意すると答えた。
「おお! 今日は訓練場で頑張ったからな。いくらでも腹に入るぞ!」
軍人達と模擬戦をしたせいか上機嫌のイヴァールは、腹に手を当てて大笑いした。
「シノブ様にイヴァールさん。お風呂で手早く汗を流してきたらいかがでしょう?
準備は出来てますよ?」
アンナは、シノブへと風呂の準備が出来ていると伝えた。
どうやら、料理のほうはもう少々かかるらしい。彼女はキッチンで何かを切りながらシノブへと問いかける。
「ありがとう。それじゃ、訓練場の埃を払ってくるよ」
アンナが言うとおり、軍服もどきと鱗状鎧で食卓に着くことはなかろう。
シノブは彼女の言葉に頷くと、イヴァールと共に風呂場に向かった。
◆ ◆ ◆ ◆
「うわぁ……和食だよ……」
シノブは食卓に並ぶ料理を見て、目を丸くした。
そこにはご飯に味噌汁、カボチャの煮物に野菜の浅漬けのようなものまである。
そして純粋な和食の範疇から外れるが、豚肉の生姜焼きもある。味付けには醤油が使われているようなので、和風と言ってよいだろう。
「ええ、なるべく和食らしくしてみました」
アミィはシノブが喜ぶ様子を見て、満面に笑みを浮かべた。
おそらく、なるべく日本風の料理をと苦労したのだろう。アミィの顔はいつにも増して輝いている。
「お主の国の料理は『ワショク』というのか……。で、どれが『ミソシル』なのか?」
イヴァールは、シノブが思わず立ち止まるほどの料理、味噌汁が気になっているようだ。
「あっ、これですよ。で、この白いのがご飯です。お米を炊いたものです」
アミィはイヴァールに味噌汁とご飯を指し示す。
「アミィ、これって豆腐? それに油揚げも……」
なんと、味噌汁の具には小さく切った豆腐と油揚げ、それにカボチャが入っていた。
シノブは、一体どうやって豆腐や油揚げを作ったのか、不思議に思った。
「はい! お味噌汁の具はやっぱりお豆腐かなって。輸入した粗塩から、にがりを抽出したんですよ。さあ、温かいうちに召し上がってください!」
アミィは、自慢げにシノブに答える。彼女は早くシノブに食べてもらいたいようだ。
「ありがとう。アミィ」
アミィの言うとおり、折角の料理は冷めないうちにいただくべきだろう。そう思ったシノブは席に着く。
彼が着席するのを見て、イヴァールやアミィ、アンナも席に着いた。どうやらアンナは今日はここで食べていくようだ。
「それでは食事にしよう。『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
シノブは、正式な晩餐と同様にアムテリアへの祈りを捧げた。
さすがのアミィといえど、味噌や醤油がなければここまでの料理は作れないだろう。シノブは、それらを授けてくれたアムテリアに感謝を捧げたかったのだ。
「『全ての命を造りし大神アムテリア様に感謝を』」
シノブの言葉に、一同は唱和し祈りを捧げる。
こころなしか、アミィはいつもより長めに祈っているようだ。彼女としても、シノブの喜ぶ調味料を用意してくれたアムテリアに深く感謝したいのだろう。
「……そして俺のために料理してくれたアミィにも感謝を」
シノブは、長い祈りを捧げるアミィを見ながら、彼女への感謝の言葉を口にした。
「えっ、シノブ様!」
アミィは驚いてシノブの顔を見た。その目は大きく見開き、薄紫の瞳でシノブを見つめている。
「俺の本心だよ。ありがとう」
驚くアミィに、シノブは優しく笑いかけた。
確かに、アムテリアの用意した道具や調味料がなければこれだけの料理は作れなかっただろう。だが、それらを活かし和食を再現したのはアミィなのだ。シノブは、彼女への感謝を忘れるつもりはなかった。
「アミィよ! 主の労いはありがたく受け取るものだぞ!」
シノブを見つめたままのアミィに、イヴァールが陽気に笑いかける。
「そうですよ! お昼前からずっと頑張って作っていたじゃないですか!」
一緒に料理をしていたアンナは、隣に座るアミィに目を潤ませながら笑いかける。料理の様子を直接見ていただけあって、シノブ以上に彼女の苦労がわかっているのだろう。
「ありがとうございます……シノブ様……」
皆の祝福の言葉を受けたアミィは、その目から一筋の涙を流した。彼女は、そのまま俯いて肩を僅かに震わせている。
「ほら、アミィ。折角の料理だから早く食べよう。温かいうちに食べようといったのはアミィだろ?」
アミィを泣かせてしまったシノブは、頭を掻きながら彼女に笑いかける。
「はい……シノブ様……」
アミィはアンナが差し出すハンカチで涙を拭くと、シノブの言葉に頷いた。
◆ ◆ ◆ ◆
「えっと、油揚げはお豆腐から作るんですよ」
「なるほどね。まず粗塩からにがりを抽出して、それで豆乳を固めて豆腐が出来て……で、豆腐で油揚げが出来るのか」
アミィの心づくしの料理を味わいながら、シノブは彼女の説明に聞き入る。どうやってこれだけの料理を作ったのかが、気になったのだ。
アミィは魔術も駆使しながら、短い時間で色々な作業をこなしたようだ。
大豆は水に浸けてから水操作で圧力をかけ、短時間で水分を浸透させたという。水弾のときに水を球状に固定するのと同じ要領らしい。そして、にがりの抽出や豆腐の脱水には、魔術による抽出を行ったそうだ。
「水操作や抽出の魔術にも意外な使い道があるんだね」
シノブは、アミィの様々な工夫に感心した。
詳しく聞くと、アミィは粗塩から塩を抽出し、にがりと分離したらしい。水抽出や岩抽出はシノブも水弾や岩弾で頻繁に使っている。しかしシノブは、食べ物に使うなど考えたこともなかった。
「アミィさんのように色んな魔術を使って料理するのは、見たことがありませんよ。そもそも私達ではあんなに見事に使えないですし、仮に出来たとしても料理だけで魔力を使い切るわけにはいきません」
アンナは若干呆れたような表情で、シノブに驚きを伝える。
彼女の言うとおり、魔術が使える者でも使いどころは限られるようだ。シノブやアミィのように並外れた魔力を持っている者など、そうはいないからだ。
アンナも時間のある時にアミィから魔術を習っているが、魔力量の差には驚かされてばかりらしい。
「ところでアミィよ。このキャベツとカブの塩漬けも『ワショク』なのか?」
浅漬けの野菜はキャベツとカブだったようだ。イヴァールは浅漬けが気に入ったのか、しきりに口にしている。武術の鍛錬で汗をかいたから塩気が欲しいのかもしれない。
「ええ。浅漬けという料理です。本来ならキャベツより白菜とかがいいと思うんですが、なかったのでキャベツで代用しました」
アミィは、若干不満そうな顔をしながらイヴァールに答える。
「いや、キャベツも充分おいしいよ。粗塩で漬けたせいか、充分和風な感じになっているよ。少し醤油が利いているのかな?」
シノブは、不満げなアミィを慰める。味付けが和風なせいか、彼としては満足のいくものだった。
「はい! ワインビネガーにお砂糖とお醤油とか入れてポン酢風にしたのをちょっと加えてみました!」
シノブが細かいところまで気がついてくれたのが嬉しいようで、アミィは元気よく答える。
「うむ。塩気が利いていて美味いな。それに、この『ミソシル』も体が暖まるし、素朴で良いではないか。
セランネ村の赤カブ入りスープも絶品だが、これも中々だな」
イヴァールは自身の村の料理と比べながら、味噌汁を美味そうに飲んでいた。
彼は、セランネ村でしていたように、お椀を直接口元に運び、味噌汁を飲んでいる。さすがに箸は使えないが、そんなことはお構いなしに具ごと飲み干しているようだ。
「そうですね。『ミソ』というものは初めて見ましたが、スープに入れるものだとは思いませんでした。軍用に固形化したブイヨンがありますが、そういうものだったんですね」
意外なことに、アンナも味噌汁を美味しそうに味わっていた。彼女は伯爵家の侍女として様々な料理を知っているせいか、未知の味にも抵抗感は無いようだ。
もちろん、仲の良いアミィの苦心の作というのもあるのだろう。アンナはご飯と味噌汁を丁寧にスプーンで掬って、和食を堪能している。
ちなみにイヴァールやアンナは、シノブ達が箸を使うのを何度か見たことがある。そのため二人は、いまさら箸に驚くことはなかった。
「ご飯もおいしいな。アミィ、お代わりもらえる?」
シノブは久しぶりに食べるご飯に食が進み、なんと三杯目のお代わりをアミィに頼んでいた。
アミィが炊いてくれたご飯は、日本で食べたご飯と比べても遜色ないものだった。シノブはお米の種類に詳しくないが、実家で母親が好んで買っていたコシヒカリに似た、弾力のある炊き上がりで甘みのある味だ。
それに醤油の味がする生姜焼きや甘辛く煮たカボチャも、シノブの好みの味だった。大学の学食では大抵生姜焼き定食を食べていた彼は、まるで日本に戻ったような気がしていた。
こちらの世界に適応できるようにアムテリアから新たな体を授かったが、シノブの価値観は日本人のままだ。それ故シノブは味噌汁や浅漬けも含め、懐かしい味の数々を満喫していた。
「アミィ、俺には『ミソシル』のお代わりをくれ! もっと大きな入れ物で出してくれないか?」
よほど味噌汁が気に入ったのか、イヴァールは器の交換まで要求した。
「はい! わかりました。イヴァールさんにはどんぶりで出しますね。
シノブ様、よければこちらも召し上がってほしいのですが……」
アミィは、大きなお盆にイヴァール用にどんぶりによそった味噌汁と共に、何かを載せて持ってきた。
「えっ、これって稲荷寿司!?」
シノブは、お皿に積み上げられた黄金色の山を見て、思わず声を上げた。山盛りになっている俵型の包みはシノブが日本で食べた稲荷寿司に酷似しており、見間違えようがなかったのだ。
「はい。油揚げを作りましたので。酢飯のお酢はポン酢と同じで、ワインビネガーを基にお砂糖とお塩を足して作りました」
アミィが言うとおり、油揚げがあるのなら稲荷寿司を作ることはできるだろう。
やっぱり狐の獣人だけあって稲荷寿司が好きなのだろうかと、シノブは微笑ましく思った。
アミィはアムテリアの眷属であったときは天狐族という種族だと言っていた。元から狐と縁のある彼女が遠慮がちに稲荷寿司を差し出す様子を見て、シノブはやはり彼女の好物なのだろうと考えた。
「……ありがとう。俺も稲荷寿司は好きだよ。よく気がついたね」
大きな感謝と共に、シノブはアミィの頭を優しく撫でた。
シノブは今日、アミィと同じものを食べて喜びたかった。それが彼女の好きな食べ物であるなら、なおさら嬉しいような気がしたのだ。
「そうですか! 私も大好きです!」
シノブの微笑む姿を見たアミィは、パッと明るい笑顔になった。自身とシノブの好みが同じだったことに、彼女は非常に大きな喜びを感じたようだ。
「さあ、アミィも一緒に食べようよ! 今なら十個はいけるね!」
シノブも明るくアミィを催促する。彼女の好物であるなら、二人で一緒に食べたい。そう思ったシノブは、お盆を持つ彼女から稲荷寿司の盛られたお皿を受け取り、着席を促す。
「さすがにそれは食べすぎですよ。また作りますから、ほどほどにしておいてくださいね」
自分の席へと戻ったアミィは、呆れ混じりの笑みを浮かべながらシノブを窘める。
「そうだな。人族のお主はほどほどにしておくがよい。余れば俺が全部貰うから心配しなくて良いぞ」
本気か冗談かわからないがイヴァールは、残ったら自分が食べるとシノブに主張していた。
「残念ながら、稲荷寿司は冷めても美味いんだ。残れば明日食べるから心配無用だね」
シノブは慌てて、お皿を自分とアミィのほうに引き寄せる。その姿を見てイヴァールは目を丸くし、アミィとアンナは思わずといった様子で笑いを零していた。
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