24.18 旅立ちと出会い 後編
イヴァール達が東メーリャ王国に入ったころ、シノブは自身の執務室に隣接する一室にいた。宰相ベランジェと内務卿シメオンを招いての密談で、他に同席しているのはシャルロットにアミィ、侍従長のジェルヴェのみである。
密談といっても応接用の部屋に集まっただけで、調度は王宮に相応しい立派なものだ。中央に置かれたのは黒檀の大きなテーブル、囲むのは金銀の装飾も見事な最上級の雪魔狼の革を用いたソファーである。
その一つにシノブとシャルロットが並んで座り、向かい側にベランジェとシメオン、そしてアミィとジェルヴェが脇の一脚に腰掛けている。
「イヴァールさん達は無事に入国できました! それと先触れや案内も大丈夫です!」
アミィは手にした紙片から顔を上げ、シノブ達に笑顔を向ける。つい先ほど通信筒に、同僚のマリィからの知らせが届いたのだ。
マリィ達がいる東メーリャ王国の関所は十三時を少々回ったが、時差が二時間半ほどもある。そのため窓から入る陽光は、まだ幾らか東からだ。
「それは良かった。後は国王との会談だね」
「馬車で四日、急いで三日ですか……」
シノブとシャルロットは、卓上に広げた地図へ顔を向けた。
国境の関所から東メーリャ王国の王都イボルフスクまでは、350kmを超えている。案内役が便宜を図ってくれるだろうが、それでも一日で着ける距離ではない。
「東メーリャでは通信筒が頼りだねぇ……」
「魔力無線の改良を進めていますが、長距離用の送信機は大きくて重いですから」
残念そうなベランジェに、シメオンが微笑みつつ応じた。二人はシノブ達と別の意味で、遠さを感じたようだ。
アマノ同盟や友好国には魔力無線による通信網が整備され、今までとは比較にならない短時間で情報伝達できる。とはいえ幾度かの中継が必要だから通信筒のように瞬時ではないし、長距離用の装置は家ほども大きくイヴァール達は持っていない。
アスレア地方北部訪問団の本隊、西メーリャ王国の王都ドロフスクに逗留中の飛行船には大型の魔力無線装置がある。したがって飛行船からであればキルーシ王国を経て連絡できるが、イヴァール達は更に400kmほど東だ。
「大型軍艦なら充分に積めるし、実際ナタリオ達からは連絡が届いているけど」
シノブは東域探検船団、今朝アルバン王国の王都アールバを出港した者達に触れた。
アールバはドロフスクよりも東だが、既に大使館があり通信可能となっていた。このように同じアスレア地方でも東域探検船団が先行した南海岸沿いと、訪問団が着いたばかりのメーリャの二国では通信環境が大きく異なる。
現在ナタリオ達は洋上だが、旗艦の魔力無線は送信能力が高い。そのためアルバン王国に置かれた大使館や領事館で充分に受信できるのだ。
「今日の寄港地は一つ東のシルバードですが、順風なので予定通り到着するでしょう」
シャルロットが挙げた都市シルバードや、その先の寄港地である都市パスケントにも長距離用の魔力無線が置かれている。そして目的地のタジース王国の王都タジクチクはパスケントから450kmほどだから、ナタリオ達とは到着後も交信できる筈であった。
「あちらは連絡も容易だから安心だ! ナタリオ君の通信筒は奥さんが独占だね!」
ベランジェの冗談めいた言葉に、皆は顔を綻ばせる。実は最近、ナタリオの妻アリーチェが身篭ったと明らかになったのだ。
ナタリオはイーゼンデック伯爵だから本来なら領政に励むべきだが、今の彼は東域探検船団の司令官でもある。そこで彼は時々の帰国以外を通信筒で妻と連絡しつつ対処しているが、どうも最近は健康状態を案ずる文が多いらしい。
実際シノブとシャルロットが訪れたとき、アリーチェも心配しすぎだと零していた。しかしナタリオは初めて父となるから無理もないだろう。
「ともかく南は大丈夫だと思いますよ」
シノブは少々逸れた話を元に戻す。
タジース王国はアルバン王国と国交があるし、既に訪問を伝えてもいる。それにアルバン王国の王太子カルターンが同行したから面倒はないと思われる。
「騎馬民族なのは気になるけど、民族や風習で差別するのは馬鹿げているからねぇ」
「タジース王国は南で暖かい地で、ズヴァーク王国やスキュタール王国とは風土が異なるとか」
ベランジェも案じていないようだが、騎馬民族国家との騒動が連続したのは引っかかってもいるらしい。しかしシャルロットの指摘通り、タジース王国は他の二国と気候が違うためか穏やかな人が多いという。
したがって殆どの者は、タジース王国との関係作りに不安を抱いていなかった。
「……通信筒か」
「シノブ君に直接とは、誰かな?」
シノブが懐から通信筒を取り出すと、ベランジェは興味深げな表情となった。
統治者達も極秘の件以外は魔力無線を使うから、他国からの文は以前より少ない。それに眷属達は同僚のアミィに送ることが多いし、先ほどマリィが知らせを寄越したからイヴァールやリョマノフも無いだろう。
となるとシャンジーやオルムルなど超越種からか、あるいは同じく遠方のヤマト王国からか。ベランジェはシノブが読み上げるのを今か今かと待っているらしく、瞳は常以上に輝いている。
「筑紫の島の威佐雄殿です……呂尊助三郎がヒムカに現れました!」
「ほう! あのスワンナム地方に行った男かね!」
シノブが送り主の次に口にした名を聞いて、ベランジェは思わずといった様子で身を乗り出した。それにシャルロット達も彼ほどではないが、興味を示している。
ルゾン・スケサブロウについてシノブ達が聞いてから、既に十日近くが過ぎている。それなのに今まで会えなかったのは、ルゾンが南方への航海に出ていたからだ。
ただしルゾンはナニワの港を発ったばかりで、まだ筑紫の島にも達していなかった。そこでシノブはクマソ王のイサオに、ルゾンが寄港したら知らせてほしいと頼んでいた。
ルゾンは寄った港で交易の品を仕入れるそうで、寄港したら一泊はする。したがって珍しい話でも聞きたいとイサオが所望すれば、受け入れてくれるに違いない。
そして先ほど日没間際のヒムカの港に、ルゾンを乗せた商船が到着したという。
「ルゾンはイサオ殿の誘いを承諾しましたが、明日の朝には出港したいと。ヒムカの宮殿に行けば会えますが、今晩だけですね」
「う~ん。それはまた間が悪い……シメオン、行ってくるかね?」
シノブが今晩だけと言うと、ベランジェは残念極まりないといった表情になる。
アマノシュタットとヤマト王国の時差は七時間ほどで、今晩というのは今からを意味する。しかしベランジェは午後から予定が入っていた。
以前ベランジェは伊予の島のユノモリに行ったことがあり、そのときは温泉を堪能した。おそらく彼は、今回も上手くすればと思ったのだろう。
「遠慮します。妻も大きなお腹で動けないのを不満に思っていますので。私だけが外遊したと聞いたら、きっと怒るでしょう」
シメオンは本気か冗談か分からぬ応えを返した。
確かにミレーユは活発だから、夫だけが出かけるのを嫌うかもしれない。しかしシメオンの優しげな表情からすると、身重の妻の側にいたいだけのようでもある。
ミレーユの出産予定日は三月の頭ごろ、つまり一ヶ月と少々だ。そのため最近シメオンは、仕事が済むと真っ直ぐ帰宅することが殆どである。
この愛妻ぶりを知っているシノブは思わず顔を綻ばせ、シャルロット達も同じく笑みを浮かべている。
「それでは私達で行ってきます。お土産は温泉饅頭にでもしましょうか?」
「ああ、美味しそうなものを頼むよ!」
シノブの冗談に、ベランジェは真顔で頷いた。どうやら彼は相当に期待しているらしい。
ともかく、こうしてシノブとシャルロット、そしてアミィは急遽ヤマト王国へと赴くことになった。
◆ ◆ ◆ ◆
シノブ達は一旦ヤマト王国の都に行き、そこで王太子の健琉と合流した。タケルには魔法の家や魔法の馬車の呼び寄せ権限を停止状態で付与しており、制限を解除すれば良いだけだ。
そしてイサオも権限を持っているから、同じく呼び寄せで一行は筑紫の島へと移る。その後シノブ達はヤマト王国の衣装に着替えたが、合わせて一時間も掛かっていない。
やはり神具の能力は人知の及ぶところではなく、あまり気軽に使うべきではないと思ったシノブである。
もっとも人の力で東西を行き来できる日は見えており、時間を掛ければアマノ王国からヤマト王国まで旅する目算も立ちつつある。
東域探検船団はアスレア地方の東端のタジース王国まで迫り、イーディア地方は先行してホリィ達が探ってくれた。またイーディア地方は沿岸航海が可能で、内陸も一部を除けば普通に旅できる。そして更に東のスワンナム地方だが、地球より遥かに東西が狭いからイーディア地方と合わせて飛行船で飛び越えても良い。
そのためスワンナム地方に行ったというルゾンから学べたら、日数は別として行き来自体の障害はなくなる可能性は高い。
大陸横断への期待に胸を膨らませつつ、シノブはルゾンとの会見の場に向かう。ただしシノブの心は、もっと身近なことにも向いていた。
──シャルロット、とても似合っているよ──
──それは褒め言葉として受け取って良いのでしょうか?──
──本当に素敵です、シャルロット様!──
実はシノブだけではなくシャルロットとアミィも男物の着物を着ていた。
クマソ王家や直臣の家だと、女性が客と会うことは少ない。もちろん同格以上であれば顔も出すし会話にも加わるが、単なる商人の前に出ることはないという。
そこで今回はアミィやシャルロットも男装を選び、シノブを含め侍烏帽子のような小さな冠に直垂という姿となった。
そのため今のシャルロットは和装版男装の麗人と言うべき美しさで、シノブは凛とした中にも女性らしい柔らかさを宿した妻に見惚れていた。
──とてもお似合いですよ……私よりも背が高いですし──
イサオと並んで先を進むタケルが、思念を使って会話に混ざる。
タケルや彼の家臣達も同様の格好、というよりエウレア地方から来た三人はタケルの家臣に紛れている。タケルは思念を使えるから、知りたいことを代わりに訊ねてもらうことにしたのだ。
──ああ、シャルロットは男物でも綺麗だよ。それにタケルも大丈夫、とても凛々しくなったから──
シノブは背丈について触れなかった。タケルの身長は160cmを僅かに切り、シャルロットは逆に170cmを少々上回る。厳然たる事実だけに、下手な庇い立ては意味がない。
ヤマト王国の人は全般に小柄だが、タケルを含むヤマト大王家はその傾向が更に強い。一方でイサオのクマソ王家のように男は2m近い巨漢揃いという家系もあるから、各王家が受け継ぐ特質だと思われる。
もっとも今のタケルにとって、そんなことはどうでも良いだろう。身長は女顔と並ぶ、タケルの悩みの種なのだ。
──ありがとうございます──
幸い、既に会見の場の前だった。そのためタケルは短い思念を発したのみで、部屋に足を踏み入れる。
室内は謁見の間のように上座が一段高い。そして上座には三つの椅子が並べられ、端の一つにイサオの嫡男の刃矢人が腰掛けている。
反対の下座に一つ置かれた椅子には、若い人族の男性が座っている。つまり彼がルゾン・スケサブロウに違いない。
「おお、よく参られた! こちらがルゾン殿だ!」
ハヤトは立ち上がってタケルを歓迎するが、僅かにシノブ達へも礼をした。
シノブ達の顔立ちはヤマト王国人風に変えているが、元の面影は充分に残っている。それにタケルの従者に紛れると通信筒で伝えているから、彼は一目で察したようだ。
「ハヤト殿、お久しゅうございます。……ルゾンよ、いや堺屋と呼ぶべきかな?」
タケルはハヤトに応じ、イサオと共に隣に腰を降ろした。そして彼は更にルゾンへと声を掛ける。
ルゾンの生家はサカイ屋という商家で、本来はサカイヤ・スケサブロウという名であった。しかし彼はスワンナム地方のルゾン島への航海で大儲けし、ルゾンと呼ばれるようになったのだ。
「どちらでも問題ございませんが、屋号もルゾンにしましたので、よろしければそちらでお願いします」
ルゾンは色男と呼ぶべき美貌に、人好きのする笑みを浮かべた。
サカイ屋は宿屋を中心にしており、しかもスケサブロウは三男だった。そのため交易商となった彼は本家と間違われぬよう、有名になったルゾンを正式な屋号にしたという。
「ではルゾンと呼ぼう。今日は呼び止めて済まぬ」
タケルの口調は先ほどと変わらず、威厳に満ちている。ルゾンは大王領の民だから、相応の言葉遣いにしたようだ。
背後に立つシノブにタケルの顔は見えないが、王太子らしい様子に何故か微笑ましさを感じていた。もっともシャルロットやアミィも同感だったらしく、二人の顔にも僅かだが笑みが浮かんでいる。
「とんでもございません。殿下やクマソ王家のお二方に拝謁する機会をいただけたのです、今日は私の生涯で最も幸せな日でございます」
水夫のように日焼けしたルゾンだが、やはり本質は商人らしい。彼は立て板に水と言うべき流暢さと恐悦至極そのものの表情で、タケル達に応じる。
「私もそなたに会えて嬉しいぞ。実はだな、我がヤマト王国も外との交流に力を入れようと思っていてな。そのような折り、有名な交易商がいると知って話を聞きたくなったのだ」
「それで都から……神獣様のお力でしょうか?」
タケルは口調こそ厳めしいが、表情は穏やかで言葉通り南方交易に興味を抱いているのは明らかだ。そのためルゾンも多少内情に触れても怒りはしないと思ったらしく、どうやって都から来たのかを問うた。
何しろルゾンは十日も掛けてやってきたのだ。もし待ち構えていたのではなく短時間でやって来たとしたら、その方法を知りたくなるのも当然だろう。
「その通りだ」
「筑紫の島にもお出でになったことがあってな」
タケルとイサオは真実を伏せた。
神具に触れるより、超越種の助けを借りたとすべき。どうやら二人は、そう判断したらしい。
対するルゾンは不審に思わなかったようで、静かに頷いたのみだ。タケルのところに白く光る虎、つまりシャンジーが訪れるのは都や近隣だと周知の事実となっているからである。
「それよりルゾン殿、良ければ南の旅について教えてもらえぬか? もちろん褒美は充分に出すぞ、金銀でも良いし各地の港で優遇しても良い」
ハヤトは話を神獣から逸らそうとしたらしい。あるいは遠方から来たシノブ達を気遣ったのであろうか。
どちらにしても熊の獣人の王子は、その巨体に相応しい太い声音で話を促した。
「おお、それは願ってもないことです! 流石は国中の民草に称えられる大王家とクマソ王家です!」
褒美の詳細も決まっていないのに、ルゾンは大感激といった態で承諾する。
ただし、これは諸々を考え合わせてのことだろう。大王家や王家が多大な褒賞を確約しておいて値切ったと広まれば、権威失墜は免れない。そしてルゾンは、もし不当な結果となったら自身で噂をばらまく考えのようだ。わざわざ国中が、と持ち出すのだから評判通りの対応をしてくれという意味があるに違いない。
◆ ◆ ◆ ◆
水面下の駆け引きはともかく、ルゾンは誠実に応じるつもりのようだ。おそらく彼は、ここで大王家やクマソ王家と縁を繋げば、更なる発展が訪れると判断したのだろう。
ルゾンは魔獣の海域を可能な限り避けて航海しているそうだ。
ここ筑紫の島と南のアコナ列島、つまり地球でいう九州と沖縄列島の間には南北150kmにもなる魔獣の海域がある。ただし200kmほど東に行くと切れ目があり、魔獣を避けて渡れるそうだ。
「……大回りですから距離は五倍近くにもなりますが、命には変えられませんので」
ルゾンの表情は僅かに自慢げであった。
これを知らずに命懸けの航海をし、散る者も過去には多かったそうだ。しかし一部の船乗りのみで秘匿し、なかなか広まらなかったという。
「そなたはどうやって知ったのだ?」
「実は正体を偽り、水手に混じりまして……お陰でこのような勲章を得る羽目になりましたが」
イサオの問いに、ルゾンは袖を捲ってみせる。すると肩口近くには、何かで打たれたような痕が多数あった。
かつてルゾンは下級船員として南方行きの経路を知る船に潜り込んだ。そこでの扱いは酷く、船主が憂さ晴らしとして暴力を振るうのは日常茶飯事だったそうだ。
そのためルゾンは、経路を隠匿するつもりはないという。ただし下手に広めると古くからの船主や水夫の恨みを買うため、様子見をしていたそうだ。
──治してあげたいが……今は無理かな──
──そうですね。高度な治癒魔術を使える人は少ないですから──
──古傷ですから、並の治癒術士では無理でしょう──
シノブの思念に、アミィとシャルロットも残念そうに応じる。しかし気付く者はタケルくらいで、その間にもルゾンの語りは続いていく。
地球の台湾に相当するダイオ島や同じくルソン島に当たるルゾン島との間にも魔獣の海域はあるが、こちらも抜ける経路はあるという。ただし、この二つは完全な切れ目が見つかっておらず、一部は突っ切るしかないそうだ。
このうちダイオ島に行く経路を知る者は多いが、ルゾン島への道は他に知る者がないらしい。
「南への航路を発見したのは怪我の功名でして……ダイオ島に行くときに嵐で流されて入り込んだのです」
ルゾンによればダイオ島もスワンナム地方の一部だそうだ。そしてダイオ島は一応独立しているが、海を挟んで西のエンナム王国に朝貢しているという。
このエンナム王国は北大陸の国らしいが、他国の商人に厳しくヤマト王国から渡った者は少ないようだ。
「実はエンナム王国の南端にルゾン島への航路があり、そこで金を稼いでいるのです。スワンナム半島は大きく南に張り出しているのですが一部は岸まで魔獣の海域が迫り、半島の先に行くにはルゾン王国を伝って遠回りするのです」
そのため直接ルゾン島に行けば大儲けできるのだ、とルゾンは結んだ。
実際に超越種達の調査でも、この辺りは魔獣の海域で塞がれた場所が多いらしい。ならば陸はというと、スワンナム半島には巨大な魔獣の森が広がっており、やはり人の行き来を阻んでいるそうだ。
──カンについても確かめてくれ。エンナムからどうやって行くのか、行き来はあるのか、などを頼む──
「カンはどうなのだ? エンナム王国はカンと商っているのか?」
シノブの思念を受け、タケルは北についてを問う。
イーディア地方に現れた禁術使いヴィルーダは、スワンナム地方の出身なのか、それともカンから来たのか。確かめる手掛かりになるかもしれない。
「カンとの陸路は塞がれていますが、エンナムから海路で行き来できるそうです。ただし今のカンは物騒で、複数に分かれております。私が知るだけでもホクカン、ナンカン、セイカンがあり、奥には更に複数の国があるそうで」
カンについてはルゾンも詳しくないらしい。ただし昔は一つの国だったが大乱で分裂したのは間違いないようだ。そして大乱では多数の魔術師や魔獣使いが雇われ加担したが、どうも禁術使いというべき邪道の者達だったという。
「禁術使いで国が荒んだから、荒禁の乱というそうです。そのためカンでは暫く魔術師や魔獣使いは虐げられ、他所に逃げた者も多かったとか……。
スワンナム地方に流れた者も多いのですが、一部は反対の北や西に向かったと聞きました。もっともスワンナム地方に入った者の言葉が元ですから、本当かどうかは分かりません」
ルゾンは僅かに肩を竦めると、口を噤んだ。
荒禁の乱やカンの現状にはシノブも興味があった。どことなく三国時代や直前を思わせる内容だったからだ。
そして同時に、超越種達が巡っても魔獣使いや禁術使いの実態が謎に包まれていることにも納得がいった。もし忌むべき術を使う達が今もカンに潜んでいるなら、彼らは正体を隠しているのだ。これでは空から巡ったり姿を消して覗いたりする程度では突き止められない。
光翔虎のヴェーグはカンで魔獣使いを見たそうだが、年単位の滞在だから遭遇したのだろう。
「なるほど、とても興味深い内容だ。まず、港の利用料と荷揚げの税を二割減らそう。しかし我らの使節団を先導してくれるなら、全額を免除しても良いぞ?」
イサオはアコナ列島やダイオ島に使節を送る計画があると、ルゾンに明かした。既に準備は出来ているから待たせはしないし、もし請け負ってくれるなら今回の航海の費用は負担しようと彼は続ける。
「それは……しかし共に航海するなら、失礼ですが私の謎かけを解いていただけませんか?」
「無礼な!」
ルゾンの言葉に憤ったらしく、タケルの側近が叫ぶ。シノブも知る伊久沙という筆頭格の青年だ。
「いや、構わぬ。商いに身分など関係なく、知恵のある者が財を成す……ならば頭の出来を試すのは当然のこと」
「流石は王太子殿下。では……ある大きな壺に珍しい植物の実が入っております。壺の口は非常に狭いのですが、実が出来る前に枝が入ったのでしょう。しかし今では大きすぎて種を取り出すことすら出来ません。
さて、壺を壊さずに取り出すには、どうしたら良いでしょう?」
タケルが鷹揚に頷くと、ルゾンは奇妙な問題を出した。どうやら頓智の一種で実際のことではなさそうだが、状況自体は理解できる。
──シノブ、分かりますか?──
──ああ。入っているのは種だからね──
問うたシャルロットにシノブは思念を返す。しかし双方とも、思念の対象からタケルを除外している。
少々変わっているが、これも勝負には違いない。ならば第三者が口出しすべきではないだろう。
「簡単なことだ。壺を鉢にして種を育てればよい。いずれ実が生り、種も採れる」
「正解でございます」
タケルの答えはシノブが思いついたものと同じであった。そしてルゾンの頭にあったものとも一致していたようだ。
何故なら若くして有名な交易商となった男は、タケルに向かって深々と頭を下げたのだ。
こうしてヤマト王国の使節は南方に旅立つことになった。
ルゾンと共に南に行くのは、イサオが用意した船と船員達だ。そこにはタケルの家臣から数人と、更に次代のクマソ王であるハヤトや彼の側仕え達も乗り込む。
これを機会に、イサオはアコナ列島と本格的な交流を開始したいようだ。今までは安全な航路が存在せず命懸けの冒険とされていたが、確実に行き来できるなら別と考えたのだろう。
それらを見届けたシノブは、シャルロットやアミィと共にアマノシュタットへと戻った。幸いにもルゾンは出港までにカンやスワンナム地方について知っていることを書き出してくれると約束してくれたのだ。
もちろん書き上げたものはイサオが送ってくれるから、タケルも都へと戻る。都の大王やヤマト姫も停止状態で魔法の家や馬車の呼び寄せ権限を持っており、来たときと同様に帰ったのだ。
◆ ◆ ◆ ◆
そのころ東メーリャ王国に入ったイヴァール達は、とある昔話を聞いていた。語るは東メーリャ王国のドワーフ、案内役となった関所の守護隊長ナドフである。
「我らドワーフに魔術師は少ない。いても人族に比べると大した腕ではないしな」
関所から東に進んだ休憩地、街道脇の空き地にナドフは腰を降ろしている。既に二時間近くも進んだから、一休みをしているのだ。
西メーリャ王国の王女マリーガは、懇親を兼ねて何か話をと頼んだ。すると最初は歴史上の逸話が題材だったのだが、いつの間にか少々変わった方向に転じていった。
もっとも休憩のついでに親しくなるのが趣旨だから、別に伝説や噂でも構わない。マリーガやマリィは興味深そうに聞いているし、イヴァールやパヴァーリ、リョマノフやヴァサーナなども耳を傾けている。
「だから騙されたんだろう。何十年も前に、ふらりと現れた魔術師が並べた薬……体力が増すとか、寿命が延びるとか、そんな怪しげな品に」
ナドフの語りはドワーフらしい素朴なものだった。これは公式な場以外は普段通りにと、マリーガ達が勧めたからである。
「効かなかったのか?」
問いを発したのはイヴァールだ。彼は関所で使った戦斧の手入れをしながら、返答を待つ。
「いや、寿命はともかく力の薬はすぐに効果が出た。しかし幾らかすると怒りっぽくなったり逆に塞ぎ込んだり……それに本当か分からないが、体が倍に膨れ上がった者もいたとか。随分酷かったようで、結構な者が命を落としたそうだ」
「まあ……」
「初めから騙すつもりだったのでは?」
苦々しげな顔で続けるナドフに、マリーガは顔を曇らせる。それにヴァサーナのように最初から詐欺目的で売りつけたと考えた者も多いようで、多くは憤慨を顕わにしていた。
「その魔術師は、どこから来たんだ? 人族だとするとスキュタール王国か?」
リョマノフは魔術師の出自が気になったようだ。東西のメーリャは双方ともドワーフのみの国だから、他種族なら他所から来たのは確実だ。
「それだが、西ではなく東から現れたというのだ。それも国で一番の東の都市、ラドルスクよりも更に東の海岸に」
言い伝えが正しければ謎の魔術師は嵐で漂着したらしいと、ナドフは応じる。
アスレア地方の北海岸にあるのは大砂漠とメーリャの二国だけで、東メーリャ王国の東端近くなら大砂漠から1500kmは離れている。そのためナドフは東というのは眉唾だと思っているようだ。
ちなみに東端のファミル大山脈を越えたらシバレル地方やカンがあるが、アスレア地方では知る者がいないらしい。大北洋には巨大な海生魔獣が多く、行き来に成功した例はないようだ。
そのためナドフも、西から国境を密かに越えて陸路で紛れ込んだのだろうと結ぶ。
「その魔術師は、どうなったのですか?」
マリィは少女の姿に似合わぬ真顔となっていた。どうやら彼女は件の魔術師を遥か東から紛れ込んできた者ではないかと思ったらしい。
「それが、まんまと西の国境に逃れたというのだ」
「西メーリャでは聞きませんから、スキュタール王国に入ったのでしょうか?」
忌々しげに声量を増したナドフに続き、マリーガが問うともなしに呟いた。
ドワーフだけが住むメーリャ地方に人族がいれば目立つ筈だ。そうなると人族と獣人族の国、スキュタール王国に行った可能性は高い。
「もっと詳しく教えていただけないでしょうか?」
マリィはペンと紙片を取り出していた。彼女は謎の魔術師について、シノブやアミィに伝えることにしたようだ。
休憩中の雑談には不似合いだが、これがスキュタール王国の真実に迫る鍵となるかもしれない。そう感じたからだろう、マリィの瞳には獲物を見つけた鷹のような鋭い光が宿っていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年11月8日(水)17時の更新となります。
本作の設定集に、北大陸全域を含む広域地図とアスレア地方の東部地図の更新版を追加しました。
上記はシリーズ化しているので、目次のリンクからでも辿れます。