24.13 虎連合
ペヤネスクの太守ロスラフの館で語らった時間は僅かであった。それだけロスラフや西メーリャ王国の王女マリーガの驚きは大きかったのだ。
東メーリャ王国のドワーフ達がスキュタール王国に職を求めたこと自体は良い。しかし勧誘は偽りに満ち、真実を知れば逃げ出したくなるような内容だ。
これを知ってロスラフ達が無関心でいられるわけがない。今は違うが百年前までは同じ国、つまり同胞達が詐欺にあったと聞いたのだから激しく憤慨するのは当然である。
ドワーフの子供達や保護していた玄王亀シューナの証言も大きかった。シノブは大きな倉庫を借りて魔法の馬車を呼び寄せ、一時的にシューナ達を連れて来たのだ。
メーリャ地方に特別な鍛冶の技を授けたのはシューナの祖父プロトスで、今でも伝説として語り継がれている。それだけにシューナの言葉は重く受け止められ、更に証人たる子供達までいる。
こうなっては疑いを挟む者もなく、一刻も早く国王に伝えねばとなった。
ペヤネスクから王都ドロフスクは300km近くあるから、残りは移動中にでも聞けば充分だ。そう言ってロスラフやマリーガは、再びアスレア地方北部訪問団の飛行船に乗り込んだのだ。
今はシノブやアミィも含め、空路でドロフスクに向かっている最中である。
「その……シューナ様は、アマノシュタットという場所に戻られたのですね?」
「ええ、妻が魔法の馬車を呼び戻しました。子供達は落ち着いたばかりで、ゆっくりさせたいとシューナも言っていますから。ですがドロフスクに到着したら、また呼びますよ……ガシェク殿との会見もありますし」
遠慮がちに問うマリーガに、シノブは穏やかな笑みと共に応じた。
ガシェクとは西メーリャ王国の国王、つまりマリーガの父だ。ちなみにガシェクには三人の子供がおり、第一子が長男ドロフ、第二子が長女マリーガ、第三子が次女のルネヴァである。このうち末子のルネヴァは十四歳で未成年、そこでマリーガがアスレア地方北部訪問団を探りに来たという。
幸いマリーガが扮したマリュカ、つまりロスラフの長女は背格好が良く似ているし従姉妹同士だから容貌も大きく違わない。それにアスレア地方の高貴な女性が表に出ることは少なく、遠目なら充分に誤魔化せる。
実際にシノブも館で本物のマリュカと会ったが、確かに遠方から見たら間違えそうではあった。
「魔法の馬車……まるで夢のような……」
「初めて知ったとき、私も驚きましたよ」
「ええ、私もですわ」
思わずといった様子で呟いたロスラフに、リョマノフとヴァサーナが微笑む。
二人は昨年の秋、魔法の家や魔法の馬車を知った。そのとき抱いた驚愕を思い出したのだろう、双方共に返した言葉には強い共感が宿っている。
この飛行船も驚くべき代物だが、じっくりと説明されたら仕組みは理解できる。しかし魔法の馬車の呼び寄せは、どういう原理なのか全く想像できない。
創世期の神々の逸話には一瞬にして遠方に飛んだというものもあるが、後の世で同じことを成した者はいない。それがアスレア地方に住む者達の常識だった。
しかしシノブや彼の仲間は、魔法の家や魔法の馬車を用いて遠方への転移をする。この驚愕すべき事実は、ここ西メーリャ王国にも伝わっていたのだ。
「邪神と闘うために授かったものだからな」
話に加わったのはイヴァールだ。先ほどまで彼は旗艦の艦長ツェリオと相談していたが、終わったらしくシノブ達がいる操縦室奥のソファーへと歩んでくる。
──馬車はそうかもしれないけど、家は違うよね──
──普通にシノブ様が暮らす場所としてでしたね──
シノブとアミィは密かに思念を交わす。
転移に使ったりアマノ号の上に据えたりと、魔法の家を住居として使う機会は少ない。何日も暮らしたのはシノブがピエの森にいたころ、つまりシャルロットと出会う前のことである。
特に領主や国王となってからは長期の留守を避けているから、休憩や一泊に使う程度だ。
「ベーリンゲン帝国という国ですね?」
「ええ、私達が知るところの『南から来た男』が興した国です」
「あの『南から来た男』がエウレア地方に渡ったのも、邪神から教わった技でしたわね……」
眉を顰めたマリーガの問いに、リョマノフとヴァサーナが同じく強い嫌悪を滲ませつつ頷いた。
ベーリンゲン帝国の初代皇帝ヴラディズフは、アスレア地方だと『南から来た男』として知られている。この『南から来た男』とは現在のキルーシ王国を含む一帯に大乱を齎したから、同国の王女ヴァサーナが嫌うのも無理はない。
リョマノフのエレビア王家からしても、キルーシ地方は父祖の地だ。そもそもエレビア王家とキルーシ王家は先祖を同じくしており、しかも両家の遠祖は『南から来た男』を追い払った英雄とされている。
したがって『南から来た男』が奉じたバアル神は、二人にとって災厄の元凶と言うべき忌まわしき存在なのだろう。
「恐るべきことですね」
「全くですな」
マリーガやロスラフの受け止め方も大差はなかった。この世界の人々は、アムテリアと彼女を支える六柱のみを神としているからだ。
そのため神々の支援を受けたシノブは、アスレア地方でも特別な存在と受け止められているらしい。ロスラフ達の視線には、明らかな敬意が浮かんでいる。
他のペヤネスクのドワーフ達も同様である。今回ロスラフの家族達は領地に残り、随伴するのは護衛の家臣のみだから詳しい背景を知る者はいない筈だ。しかし彼らも多少はシノブの逸話を知っているらしく、何れも厳粛な面持ちを崩さない。
昨年秋のテュラーク王国との戦いで、シノブは国境線に200kmを超える長城を築いた。しかも独力で僅か数時間という、まさに驚天動地の出来事だ。
この前代未聞の出来事は、西メーリャ王国にも早くから伝わった。そして戦い終わって詳報が届き、更に交流が進むに連れてエウレア地方での事件も耳に入る。竜を始めとする超越種を友とし、独力で天空を駆け、建国に際しては最高神が祝福の言葉を授けるという、信じ難い事柄が。
◆ ◆ ◆ ◆
「異神は滅びましたからご安心を……ところでお二方、スキュタール王国について御存知のことがあれば教わりたいのですが?」
熱の篭もった視線を躱そうと、シノブは話題を逸らす。正確には元に戻したと言うべきか。
時間を惜しんだから、ペヤネスクでは細かいことを聞けなかった。飛行船でも王都ドロフスクまで三時間ほども掛かるのだ。
ペヤネスクを発ったのが昼前だから夕方までに到着できるし、前日ロスラフやマリーガは訪問団を王都に招くべきだと使者を出していた。しかし国王からの返事は届いておらず、勇み足と叱責される可能性もある。
もっともシューナという強い味方がいるから、あまり心配しなくても良さそうだ。シューナはメーリャ地方に鍛冶技術を授けたプロトスの孫だから盛大に歓迎されるだろうと、ロスラフ達は楽観的な予想をしているくらいだ。
「これは失礼しました。ご承知かもしれませんが、スキュタールのフシャール王は老齢でして……」
王女マリーガは軽く頭を下げると、隣国について語り出す。
西メーリャ王国の東には二国ある。北が同じドワーフの東メーリャ王国で、南が人族と獣人族のスキュタール王国だ。
ただし東メーリャ王国とスキュタール王国の間にはファミル大山脈が張り出しており、直接の行き来は不可能である。そのため両国は西メーリャ王国を経由するしかなく、必然的に風聞は伝わってくるのだ。
そしてマリーガの記憶が正しければ、スキュタール王国の現国王は六十七歳だそうだ。当然ながら一人で国を支えるのは厳しく、政務の多くを宰相が受け持っているという。
「宰相のジャハーグは王の甥、弟の長男で確か四十二歳です」
「傑物だと噂の人物ですな。しかも王太子のカイヴァル殿よりも力があるとか……」
一息ついたマリーガに代わり、ロスラフが口を開く。
国王には成人した長男がおり、しかも彼は三十七歳で妻どころか子供も複数いる。しかし先に政治の場に出たジャハーグが何かと牽制しているらしい。
これは王太子のする仕事ではない、あれは前例があるから動かせない、それは私共にお任せを。今はともかく若いうちだと五年の差は非常に大きく、王太子もジャハーグを押し退けるには至らなかった。
しかもジャハーグは宰相になる前に商務を担当し、東メーリャ王国との交易も握っていた。そのため彼は財力も相当にあるという。
「スキュタールは、南のテュラーク……現在のズヴァーク王国とは仲が悪いそうです」
非難めいたことを口にしたからか、マリーガの表情は翳っていた。それに小柄なドワーフの女性特有の高めの声も、胸中を表すように一段下がっている。
スキュタール王国が国境を接している今一つの国はズヴァーク王国、つまり昨年秋までのテュラーク王国だ。しかし西メーリャ王国はスキュタール王国と関係が薄く、反対側のことなど詳しくない。
大して知らぬのに悪し様に語るなど、という思いが憂いの原因だろうか。
「そうらしいですね。ヴァルコフ義兄上から聞きましたが、あの戦いのときテュラーク軍の相当数が対スキュタールに回っていたようで」
「同じ騎馬民族同士、仲良くすれば良いのに……もっとも私達も長く対立しましたが」
かつてのテュラーク王国について詳しいのは、直接戦ったリョマノフやヴァサーナである。特にリョマノフが義兄と呼んだヴァルコフ、つまりヴァサーナの兄は現在もズヴァーク王国を支援しているくらいだから相当深くまで知っている。
シノブもヴァルコフから聞いているが、テュラーク王国とスキュタール王国は互いを敵視していたようだ。どうも先祖は同じらしく文化も騎馬民族系と変わらないが、友好関係を結ぶには至らなかったらしい。
もっともヴァサーナが触れたようにキルーシ王国とエレビア王国が和解したのは最近で、しかもシノブ達の訪れがなければ現在も対立したままだった筈だ。
血縁関係や文化の類似があったからといって、手を携えるのは簡単なことではない。それを思ったのだろう、席に着いた者達は暫し沈黙する。
「話を戻すが……。ジャハーグという男は商業を押さえ、しかも東メーリャとの縁がある。こいつが黒幕ということか?」
「兄貴……そこまで単純な話なのか?」
イヴァールの簡潔極まりない要約に、パヴァーリは少々呆れたような顔となる。
しかし名前を出すのだから、全く無関係ということもないだろう。そう思いながら、シノブはロスラフやマリーガの言葉を待つ。
「直接関わっているか分かりません。ですが宰相の肝煎りで鉱山開発を進めていると聞いてはいます」
「ペヤネスクは西の端だから小耳に挟んだ程度だが、我が国にも宰相の名を出しての誘いはあった……しかし向こうは寒いからな」
マリーガとロスラフは、西メーリャ王国にも鉱夫の募集があったと明かす。しかしスキュタール王国とでは環境の差が大きく、話に乗る者はいなかったらしい。
大砂漠の影響で、アスレア地方の西部は非常に暑い。しかし東部、つまり東メーリャ王国やスキュタール王国は緯度相応だから、ここのように半袖と膝までの薄い布服では生活できない。
話を聞いている限りだと東メーリャ王国はヴォーリ連合国と同等、スキュタール王国もアマノ王国と近いか更に寒いようだ。つまり冬になれば極寒の世界、豪雪で覆われる土地である。
それに対し西メーリャ王国は南国と変わらぬ風土で、かなりの高地でなければ真冬でも雪など目にすることはない。それに国内にも鉱山での仕事は豊富にあるから、わざわざ住み慣れぬ地に移る者はいないだろう。
「それに噂でしかありませんが、フシャール王に続いてカイヴァル殿下まで体調を崩したとか……」
「これを宰相の陰謀ではという者もおるのだ」
憂いを増したマリーガが口を噤むと、ロスラフが後を引き取った。
老齢の国王フシャールが表に姿を現さないのは珍しくもないが、王太子のカイヴァルは四十前だから大事件である。それどころか暗殺したのでは、いや暗殺から逃れて姿を消したのではと不吉な言葉すら流れてくるそうだ。
「残念ながら、ドロフスクに入ってきたのはこの程度です。元々私達はキルーシ王国との関係を重視していますし、下手に動くと東メーリャを刺激しますから。ですが、あの子達の話を聞くと……」
言葉を途切れさせたマリーガは、泣きそうな顔をしていた。
シューナが連れて来た子供達から聞いた話。親達はスキュタール王国に連れていかれ、何とか逃れた子供達も山中の放浪で苦難を味わった。
隣国の子供だが、同じドワーフなのだ。王女として民を慈しむようにと育てられたマリーガにとって、非常に大きな衝撃だったに違いない。
「大丈夫ですよ。強い味方が動いていますから」
「シノブ殿、スキュタール王国に侵入するのは問題が大きいかと。ジャハーグ殿は口が達者だと聞いているのでな……」
シノブが手の者をスキュタール王国に送り込んだと思ったのだろう、ロスラフが難しい顔となる。
確かに今までの話が正しいなら、ジャハーグは随分と面倒な相手らしい。年下とはいえ王太子を抑えて国政を牛耳るくらいだから、相手の非を知れば徹底的に利用するだろう。
「確かに向こうに行った者はいますが、アマノ同盟からではありません。実は……」
シノブが語るにつれ、ロスラフやマリーガは目を丸くする。そして二人は、どういうわけだか少々複雑な笑みを浮かべた。
一方イヴァールやパヴァーリは期待を顕わにするのみ、リョマノフやヴァサーナなどは驚きつつも喜びを浮かべただけだ。どうやらシノブを良く知る者ほど、動揺が少ないらしい。
◆ ◆ ◆ ◆
同じころ、スキュタール王国の山中。雪深い道を、五人の男女が歩んでいる。
年齢は上が二十代だが、中には十歳になるやならずの子供もいるようだ。しっかりとした革服に毛皮のフード付きマントという姿だから種族は判りづらいが、マントの後ろが不自然に揺れるから尻尾があるらしい。つまり獣人族なのは間違いないだろう。
どうやら目的地は近いらしい。先頭の者は進む僅か先、集落を囲む丸太の防壁を目にして顔を綻ばせる。
「止まれ! お前達、ここに何の用だ!?」
五人を留めたのは革鎧を着た男達、つまり兵士の一団である。山奥の小村にしては厳重な警備体制で、全員が槍を握っている。
しかも口先だけの制止ではないらしく、既に兵士達は五人に穂先を向けていた。
ちなみに兵士達も獣人族らしい。こちらも分厚い革服や手袋を着けているし革製の兜を被っており、顕わになっているのは顔だけだ。しかし兜の上には獣耳を入れる膨らみがあるから、間違いないだろう。
一般に人族よりは獣人族の方が体力に優れているし、特に北方の熊や狼、狐の獣人は寒さにも強い。そのため彼らが多いのは納得がいくところではある。
「脅かして申し訳ない! ここで兵士を募集していると聞きましてね! 俺はヴェグール、こっちは家族! 全員、狼の獣人ですよ!」
「ヴェグールの妻、ヴァティアです」
「兄のフェイールだ」
「弟のシャンルです」
「妹のフェイアーです~」
フードを取った五人の頭上には、確かに狼耳があった。それに顔も良く似ているから、兄弟姉妹というのも頷ける。
しかし彼らは狼の獣人どころか人間ですらなかった。この五人組、実は木人に憑依した光翔虎達なのだ。
ヴェグールは『放浪の虎』ことイーディア地方で生まれた雄の光翔虎ヴェーグだ。彼が憑依している木人は二十歳前後の戦士といった外見で、長めの槍を手にし腰にも湾刀を佩いている。
ヴァティアは同じくイーディア地方から来た雌の光翔虎ヴァティーである。こちらも二十歳前といった若い顔の木人で装備は同じ、ただし女性だからか槍と刀は僅かに短めだ。
兄と口にしたのはフェイジー、弟がシャンジー、そして妹がフェイニーだ。フェイジーの木人は二十代後半で体格も僅かに大きめ、シャンジーのものは成人も近そうな少年、フェイニーが宿っているのは十歳くらいの少女を模している。
ちなみにフェイジーの番メイニーも、近くにいる。こちらは元のままで姿消しを使い、ヴェーグ達の体を預かっている。
これがシノブの語った『強い味方』である。
ヴェーグやヴァティーはアマノ同盟に属していないしシャンジー達も国籍など持っていないから、アマノ同盟が動いたと非難されることもないだろう。もっとも彼らの正体を見抜く者がいればの話だが。
ただし、これらの理屈は後付けにしか過ぎない。実はヴェーグがシューナの兄貴分として、自分も動くと主張したのだ。
ヴェーグは光翔虎でシューナは玄王亀と種族は違うが、偶然出会った二頭は意気投合して数ヶ月を共に過ごした。そして別れたのもヴェーグが更なる修行の地を目指したからで、彼らは今も強い絆で結ばれている。
しかもヴェーグはシューナと別れた後の放浪でスキュタール王国も巡っており、最近開発中の鉱山の噂まで聞き及んでいた。そのためシノブも自ら潜入調査をするというヴェーグに同意し、木人を貸し与えた。
もちろんヴェーグのみを送り込むわけにはいかないから、同じ光翔虎のシャンジーにも声を掛けた。光翔虎の力に不安はないが、人間に化けるなら人の暮らしに馴染んだ者を同行させるべきと考えたのだ。
そしてシャンジーは自身と年齢の近い者達に声を掛けた。どうも彼は親世代に呼びかけるのを遠慮したようで、光翔虎でも若手ばかりが集まることになったわけだ。
「身分証は?」
「もちろんあります! 私、生まれも育ちもスキュタール王国のカチュシケントで……」
警戒気味のまま手を差し出した兵士に、ヴェーグは羊皮紙を差し出す。そこまでは良いのだが、ヴェーグはヤマト王国で覚えた名乗りへと続けていった。
「ヴェグール兄さん……」
「おっとコイツはしくじった!」
袖を引いたのはシャンジーで、対するヴェーグは大袈裟な仕草で頭を叩く。
もちろん双方とも木人がすることで、動作も実に人間らしく自然である。もっとも演劇めいたヴェーグの振る舞いを自然とするならば、だが。
「カチュシケントとは随分遠くから来たな。東の端じゃないか」
「ええ、ここ北のイタヴァーシュからは離れていますね! でも『掘ってくるぞとイタヴァーシュ!』って宣伝文句に釣られまして……まあ、掘るのは鉱夫ですけど」
羊皮紙を返す兵士に、ヴェーグは冗談交じりで応じた。
ちなみに身分証はアミィが偽造したものだから、兵士達も不審には思わなかったようだ。もっとも彼らの注意はヴェーグの道化めいた言動に向けられており、書面に不備があっても気付かなかったかもしれない。
身分証といってもアスレア地方では印刷技術が発達しておらず、証となるのは出生地や通って来た土地を示す印章くらいである。したがって兵士が確認したのも麓の町の印だけで、他は碌に見ていない。
「面白いヤツだな……まあ良いか、麓に確認するまでは雑用だ。おい、こいつらを雑兵向けの宿舎に連れていけ!」
「ありがとうございます!」
兵士の言葉に、ヴェーグが宿った木人は僅かだが顔を顰めた。しかし彼は表情を隠すように大きく頭を下げる。
そしてヴェーグ達は、案内役に続いて防壁の中に入っていく。
◆ ◆ ◆ ◆
──ヴェーグさ~ん。確認って何をするんでしょうね~?──
──さあなぁ? でも、急いだ方が良さそうだ──
──元々時間を掛けるつもりはないがな──
シャンジーの思念に応じたのは、ヴェーグとフェイジーだ。木人に憑依したままでも思念は使えるから、彼らは案内役に続いて歩きつつ今後の相談をしていた。
──ドワーフさん達がいるのは、どの辺りでしょ~?──
──魔力は沢山あるけど、種族までは判らないわね──
──フェイニー、ヴァティーさん、もう少し高い方に別の集落があるわ。そっちは建物が低めだから……あっ、ドワーフの子供がいる! 当たりね!──
どうやらメイニーは、先行して山まで巡っているようだ。魔力波動の方向からすると山頂のある側、それも随分と登った辺りらしい。
メイニーによるとドワーフの子供達は、厳重に施錠された家に閉じ込められているらしい。つまりドワーフ達は、強制されて働いているのだ。
──良くやったな、メイニー! ……ヴェーグ、予定通りに?──
──ええ! 俺達が騒ぎを起こしている間に、アケロ殿やアノームさん達に救出してもらいます!──
フェイジーの確認を、ヴェーグは興奮も顕わに肯定した。
メイニーは玄王亀の長老夫妻アケロとローネ、そしてシューナの父のアノームも乗せている。彼らもヴェーグ達の体と同じく、腕輪の力で小さくなっているのだ。
玄王亀達は空間を歪曲させて地中を進むくらいだから、壁抜けなど簡単なことだ。それにメーリャのドワーフ達は玄王亀に特別な敬意を払っており、彼らが呼びかければ脱出に同意してくれるだろう。
問題はドワーフ達を安全な場所に避難させるまで、兵士達を引き付けておけるかだ。そこで光翔虎の一団が陽動を務め、その間に救出をする。
とはいえアマノ同盟に超越種が協力しているのは広く知られているから、元の姿で動くわけにはいかない。そこで彼らは木人に宿ることにしたわけだ。
「ちょっと兵士さん」
「何だ? ……うおっ!」
ヴェーグは前を進む兵士の肩を叩き、振り返ったところをいきなり殴り飛ばした。そして兵士の気絶を確認すると、仲間と共に集落の中心にある建物の上に飛び上がる。
中央にある建物は監督官などが使っているのか、他とは違い三階建てだった。そのため集落で最も高く、屋根の上からは辺りを一望できる。
山の上には少なくとも二つの集落があるらしい。一つはドワーフの子供達がいる場所だから、もう一つは大人達が暮らす場所だろうか。そして更に高い場所に、坑道の入り口らしきものが存在する。
もっともヴェーグがそれらに目を向けていたのは僅かな間だ。既にそれぞれに玄王亀達は向かっているからだ。
「まず注目を……それっ!」
ヴェーグの掛け声と同時に、爆発音が生じる。そして真っ赤な光が、空を一瞬だけ埋め尽くした。
「な、何だ!?」
「あっ、屋根の上に! ……虎の獣人!?」
驚愕する兵士達が見上げた先にいるのは、先ほどまでの五人の狼の獣人ではない。髪は金色の地に黒い縞、そして丸い耳の獣人である。つまり兵士達が叫んだ通り、虎の獣人であった。
実は変装の魔道具で狼の獣人に見せかけていただけで、木人は虎の獣人を模したものだったのだ。
ヴェーグは自身と似たところがある虎の獣人の姿を気に入った。しかし虎の獣人は寒さが苦手で、雪深い地に現れるのは不自然である。そこで彼は、潜入のときは狼の獣人に化けることにしたわけだ。
「天知る、地知る、我が知る……お前達の悪行、しかと見たぞ!」
「何者だ!?」
ヴェーグが朗々と宣言すると、彼が乗っている建物から出てきた男が叫び返す。司令官か何かだろう、叫んだ男は他より立派な革鎧を着けている。
「赤の虎戦士!」
ヴェーグが宿った木人は、名乗った通り赤い服であった。しかも彼は真っ赤な勇姿を誇示するかのように仁王立ちになり、更に両手を斜め上に広げてみせる。
すると空に赤い閃光が再び走り、雷のような音が続く。どうやらヴェーグは何らかの術で光や音を発したらしい。
「青の虎戦士!」
今度はフェイジーの木人だ。もちろん服は青色で、こちらも見得を切るかのような大仰なポーズと同時に青い光と爆音が生じる。
「黄の虎戦士!」
「桃の虎戦士!」
「緑の虎戦士!」
更にシャンジー、ヴァティー、フェイニーの順で続く。もちろん彼らも叫んだ通りの色である。
兵士達は驚愕の表情で名乗りを聞くのみだ。虎の獣人で虎戦士までは良いが、わざとらしいポーズと光や音には何の意味があるのだろうか。集まってくる兵士達は、何れも不思議そうな顔をしている。
「五人揃って……白虎隊!!」
ヴェーグ達が声を合わせて叫ぶと五色の輝きが同時に生まれて天を満たし、五つの音が合わさり地面すら揺れる。そのためだろうか、見上げる兵士達は呆然と言うべき様子で見上げるのみだ。
「白はいないぞ!」
しかし兵士の一人が叫ぶ。どうも彼は勢いに流されなかったらしい。
木人を操るのは光翔虎、本来の姿は白く輝く虎だ。しかし今は五色の衣装に身を包んでいるし、頭髪は普通の虎の獣人と同じで金色の地に黒の縞である。そのため兵士達からすれば、白い虎と言われても何のことか分からないだろう。
──やはり虎連者にしておけば──
──それは止めてくれとミリィ殿が言ったぞ──
──五虎将が良かったのでは~?──
ヴェーグの無念そうな独白に、フェイジーとシャンジーが平静な様子で応える。
どうやら元々の発案は悪戯好きの金鵄族だったらしい。そして彼女は神々からの叱責を回避するため、名前だけは無難なものにしたようだ。
──ヴェーグさん、もう充分に集まりましたよ?──
ヴァティーが指摘する通り、近くにいた兵士達は全て戻ってきたようだ。それに山にいる者達も、最低限の守りを残してはいるが大半は増援となるべく向かっているらしい。
閃光と爆音の術は、随分と派手だった。そのため攻撃魔術の使い手、それも大勢が攻めて来たと遠方の者達は思ったのだろう。
──オシオキの時間です~!──
フェイニーは黒光りする巨大なブーメランを取り出すと、無造作に宙に投じた。しかし風の術で操っているのかブーメランは見事な軌道を描き、地上にいる兵士達を追いかける。
「う、うわっ!」
「なんだ、これは!?」
不思議な軌跡を残すブーメランから、兵士達は逃げ惑う。しかし逃れた者達に待っているのは、同じくらい不可思議な攻撃だった。
「し、痺れる!」
「矢が向きを変えたぞ!」
地上に飛び降りたヴェーグ達は稲妻よりも速く散開し、兵士達を薙ぎ倒していく。
ヴェーグの操る鞭には麻痺の効果があったらしい。そしてフェイジーの弓は矢が追尾してくるという理不尽極まりないものだ。
シャンジーが振る杖やヴァティーが飛ばす手裏剣らしきものも、麻痺の効果があるようだ。これらはアゼルフ共和国のエルフ達が造った麻痺の魔道具で、自在に飛ばすのは光翔虎の風の術である。
──ヴェーグさん、こっちは終わったわ。無事救出完了よ──
「それじゃ、さらばだ! 白虎台風!!」
メイニーの思念を受け、ヴェーグが声を張り上げる。すると残りのシャンジー達も和し、直後に五つの竜巻が生まれた。
五つの突風は名前の通り台風並みの猛烈なもので、兵士達は伏してやり過ごすしかない。そして彼らが顔を上げたとき、そこには五人の虎戦士の姿はなかった。
「あ、あれは何だったんだ?」
「俺が知るか……」
想像を絶する出来事のためだろう、兵士達は暫し立ち尽くすのみだった。そして奇想天外すぎる一件を何と報告すべきか、責任者も途方に暮れた。
そのためだろう、この件がスキュタール王国の中枢に伝わるまで数日を要したという。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回は、2017年10月21日(土)17時の更新となります。