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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第24章 西と東の繋ぎ手達
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24.12 王女の真実 後編

 西の大砂漠からの熱風が吹き込む都市ペヤネスク。幾らドワーフ達が植林や地下水の利用で和らげようが、空を渡ってくる風自体は防げない。そのためペヤネスクは北緯49度近いにも関わらず、暑く空気が乾いた街だった。

 しかし今、ペヤネスクでは灼熱の大気を超える熱が生じていた。その中心はペヤネスクの太守ロスラフの館、正確には庭に(しつら)えられた素無男(すむお)の修練場である。


 広く空けられた場の真ん中には、立派な土俵が築かれている。その東に主のロスラフ、西に挑戦者であるイヴァールの弟パヴァーリが陣取り、更に行司役としてエレビア王国の第二王子リョマノフも上がっていく。

 先ほどまで朝稽古をしていたから、取組をする二人は簡素な白まわしで行司役のリョマノフも同様だ。それに土俵を取り巻くイヴァール達も、まわしのみで肌の殆ど(さら)している。

 これから闘う二人は溢れる力で全身を染めて炎と見紛わんばかり、囲む者達も両者の気迫で荒ぶったらしく照らす朝日もあって(あけ)に輝いている。

 男達だけではなく、女性達も高ぶりを顕わにしている。こちらは普段通りチュニックで身を包んでいるが、真っ赤に染めた頬や熱い視線からは男性に負けず劣らずの関心が明らかだ。特にロスラフの娘マリュカやリョマノフの婚約者ヴァサーナは、呼吸すら忘れたかのようである。


──凄い熱気だな──


──ドワーフは老若男女を問わず素無男(すむお)好きですし、理由が理由ですからね──


 離れた塀の上から観戦しているシノブですら、大気の熱を忘れてしまうほどだ。それに隣に腰掛けたアミィも、手に汗を握るようにしてロスラフとパヴァーリの一番を待っている。

 もっとも一同が息を呑むのも無理はない。これから始まる一番はパヴァーリがマリュカを妻とするための闘いで、更に様々な意味を持っているからだ。


 太守の娘の婚姻を懸けてというのも大事件だが、どうもマリュカは太守の一族どころか王族のようだ。現にペヤネスク側の力士達、特にロスラフの跡取りボルトフなどはパヴァーリが申し込んだとき明らかに動揺していた。

 仮に王族、つまり西メーリャ王国の王女などであればロスラフの一存で済みはしない。実力や経験はロスラフが上回るから順当に勝利する可能性は高いが、万一負けたら責任を取って太守を退(しりぞ)くことになるかもしれない。


 とはいえドワーフの求婚で男性が女性の保護者に力を示すのは一般的で、双方が武人や力自慢であれば今回のように素無男(すむお)などを選ぶのも良くある。

 しかもパヴァーリはアマノ王国の伯爵を務めるイヴァールの弟で、自身も男爵だ。西メーリャ王国だと伯爵に相当するのは太守だから、格としても釣り合う範囲である。

 したがってロスラフがマリュカを娘としている以上、素気無(すげな)く断るのは難しい。


──やはり本当のマリュカ殿は別にいるようだ。館の中からロスラフ殿や家族と似た魔力を感じる……若い女性だから、こちらが本物だろう──


 シノブは土俵の向こう側にある石造りの館へと目を向けた。

 ここにはロスラフと彼の二人の妻、そして長男のボルトフと次女のエシェナがいる。そしてシノブが館から感じた魔力波動は、明らかにロスラフ一家と似ていた。

 シノブは魔力波動から男女や種族を判別できるし、最近は年齢も大まかに分かるようになった。今までの経験からすると、館からの魔力は四歳のエシェナより遥かに上だが夫人達に比べると明らかに下だ。性別は異なるがボルトフと同じくらい、つまり十代後半の女性だと思われる。

 特に今は館にいる者の大半が庭に集まったから判別しやすい。訪問団の副団長アレクベールやエルフのルキアノスなども出てきたし、ペヤネスクの側も手の空いている者は見物しようと集まったのだ。


──流石です……私には居場所だけで、他は分かりません──


 アミィは思念に感嘆を滲ませていた。彼女もアムテリアの眷属だから地上の者より遥かに鋭敏な感覚を持っているが、性別などの区別は無理であった。

 もっとも広い庭を挟んだ向こう、しかも建物の中にいる者を魔力で察する者など、大魔術師や魔術に優れたエルフでも極めて稀である。したがって普通の人間からすればアミィの感知能力ですら、充分に羨望と驚嘆の対象であった。


──ところで今回も和素無男(にぎすむお)なのかな?──


 シノブは賞賛の視線に気恥ずかしさを感じ、話を()らした。

 アミィが幻影魔術を使っているから他が気付くことはなく、実質的には二人きりのようなものだ。しかし包み隠さぬ尊敬の念を向けられたら、親しい仲とはいえ照れもする。

 それにシノブは自身の能力を出自(ゆえ)、つまりアムテリアの血族だからと捉えていた。努力して磨きを掛けたのは事実だが、他者には手の届かない力である。

 正しく世のために役立てるべきだから今でも研鑽を怠らないが、それは特別な力を得た者の義務で称えられることではない。そのようにシノブは己を(いまし)めていた。


──奉納素無男(ずむお)とは違いますから、荒素無男(あらすむお)かもしれませんね──


 アミィは土俵へと顔を向け直した。

 二日前の大会は和素無男(にぎすむお)、日本の大相撲と同様に危険な技を排した闘いだった。しかし荒素無男(あらすむお)は制限がなく、(こぶし)での殴打、上体への蹴り、急所攻撃なども可能だ。

 今回は神々への奉納ではないし、全力を振り絞るなら禁じ手なしの方が相応しいようにも思う。とはいえ戦場の技をぶつけあったら命に関わることもある。

 そのためアミィも、どちらと確言することはなかった。しかしシノブの疑問は程なく晴れることになる。


「パヴァーリ殿、今回は荒素無男(あらすむお)とさせてもらう」


「もちろんだ!」


 ロスラフの提案に、パヴァーリは間を置かず同意した。

 命懸けの闘いになると予想していたらしく、パヴァーリの(おもて)に揺らぎはない。そして挑戦者たる若者の覚悟を感じたのだろう、ロスラフは我が子を見るような柔らかな笑みを浮かべた。


 ロスラフは四十一歳だが、隆々たる肉体は今こそが全盛期だと告げるような生気を放っている。堂々と立つ姿からは、衰えを知らぬ力を積み重ねた経験が裏打ちする円熟の境地だと感じずにはいられない。

 対するパヴァーリは十八歳、生まれてからの年数でも半分以下だ。ましてや武人として歩んだ歳月は、ロスラフの足元にも及ばない。

 とはいえパヴァーリも十一連勝を成した実力者、備えた筋肉は僅かに薄いものの放つ闘気の圧力は敵手と並んでいる。若さ(ゆえ)の荒さは否めないにしても、勝負にならないほどの差はない。


 これは語り継がれるに相応しい闘いが繰り広げられる。集った者達は(いず)れも期待に瞳を輝かせ、大一番の始まりを今や遅しと待っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「はっきよい!」


 行司役のリョマノフが叫ぶと同時に、両者が動いた。そして若き王子が『のこった』と続けるより早く、最初の攻防が交わされる。


「かち上げからの(こぶし)! 『テッラの鉄槌』か!」


「硬化対策だ! パヴァーリ、考えたな!」


 感心の声は、主にパヴァーリの同僚であるアスレア地方北部訪問団の側から上がっていた。

 どうやらパヴァーリは、ロスラフの息子ボルトフとの一番で学んだことを活かしたらしい。相手は強力な硬化術を使ったボルトフの父だから、更に勝る技を使うだろう。まともに受けたらボルトフのときのように大怪我は必至、あのときは力を振り絞って勝ったが今度も同じとは限らない。

 そこでパヴァーリは素直に合わせず、肘を使った一撃と続く横殴りの拳打で応じたのだ。


 両者の仕切りは通常通り、両手を土俵に突いてだった。ここからロスラフは低い体勢のまま、まわしを取りにいく。

 しかしパヴァーリは強烈な右のかち上げで相手の体を起こし、更に相手の頭部を横から打ち抜いた。そのためロスラフの突進は留められ、彼は大きく飛び下がったのだ。

 かち上げはともかく、続く一撃は和素無男(にぎすむお)なら反則だ。しかし今回は荒素無男(あらすむお)だから、張り手ではなく拳打でも許される。

 しかも掌底を使う張り手より(こぶし)の方が、少しだけだが先に届く。そのためパヴァーリは後者を選択したに違いない。


「良く磨かれた技だな……イヴァール殿の仕込みか?」


「ああ……残念だが、今の俺は兄貴やロスラフ殿ほど硬化に熟達していないからな!」


 土俵際近くから問うロスラフに、パヴァーリは激突した中央近くから応じた。そして若き力士は語り終えると、矢のような速さで熟練の年長者へと突き進んでいく。


「あれは猛虎(もうこ)光覇弾(こうはだん)か!?」


「ああ、そして獅子王(ししおう)双破(そうは)だ!」


 ペヤネスクの者達が、矢継ぎ早に繰り出されるパヴァーリの技に驚愕の声を上げる。

 どうもパヴァーリは、真正面からの組み合いを避けたらしい。まず彼は半身(はんみ)での掌底突き、更に横に飛んで躱したロスラフを追っての諸手突きと目まぐるしく動くが、まわしを取りにはいかない。

 パヴァーリの技は奉納素無男(ずむお)での正攻法とは違い、空手や拳法のように軽やかな攻撃の連続だ。かつてヤマト王国で王太子の大和(やまと)健琉(たける)も用いた、飛燕の(ごと)く飛び交う変幻自在の攻めである。


「組み合うと不利だからでしょうか?」


「おそらくは……硬化も同じだと思います」


 隣り合って座る若い女性達、マリュカとヴァサーナが(ささや)き合う。ただし双方とも視線は土俵の上に向けたまま、激闘を追いつつである。


 ヴァサーナは王女ながらに刀術を中心に各種の技を学んだ女武芸者、それにマリュカも素無男(すむお)などドワーフの武術には充分な知識があるようだ。そのため二人の推測は、真実を突いていた。

 ロスラフや彼の息子ボルトフが得意とする硬化を併用した頭突きは、素無男(すむお)だと非常に有用な技だ。おそらく彼らの攻撃は巨木であろうが容易に()し折るだろうし、まともに食らったら大抵の生き物は致命傷となるだろう。

 これはメーリャ地方のドワーフが得意とする硬化術があってのことで、一朝(いっちょう)一夕(いっせき)には真似できない。


 もちろんイヴァールは別格で、彼は奉納素無男(ずむお)でロスラフを真っ向から打ち破った。しかしイヴァールはパヴァーリより八つも年長で、その分だけ長く修行を積み重ねたし踏み越えてきた戦場も比較にならない。

 そのためパヴァーリは硬化を一部だけ、つまり肘や(こぶし)に限定した。ロスラフ達のように頭から胸にかけての広範囲を固めるのではなく、攻撃に用いる一点だけに集中したわけだ。

 これはロスラフの突進を封じるには充分で、彼も安易な組み付きを避けたらしい。もちろん彼も逃げるだけではなく最初のような突撃を幾度も試みるが、パヴァーリは(いず)れも俊敏に避ける。


 何しろロスラフは森林大猪の首を()し折る膂力(りょりょく)の持ち主だ。自身より遥かに大きい魔獣の突進を受け止め、太い猪首だろうが砕く。そんな相手に正面から組まれたら、敗北は確実である。

 そのためパヴァーリは、組まずに隙を狙う戦法に出たのだろう。


「父さま、もうちょっとなのに!」


(かす)ってはいますが……」


 幼いエシェナは率直に不満を顕わにするが、彼女の母は隣のヴァサーナを気にしたのか言葉を濁した。

 ロスラフの突撃は稲妻のように速く、パヴァーリも完全には躱せなかった。正確には次の一手に繋げるため、回避を最低限に留めていると言うべきか。

 いずれにしてもパヴァーリの肌には、擦ったような赤い跡が数え切れないほど浮かんでいた。しかも一部は激しい打撲なのか、赤黒く染まっている。

 これはパヴァーリが硬化を(こぶし)などに集中しているからだ。彼は防御に魔力を回すより、攻撃への特化を選んでいる。

 それに対しロスラフは、攻防の双方に満遍なく硬化を使っており目に付く変化はない。もちろん激しい闘いで全身を真っ赤にしているが、それは高度な身体強化や魔力の連続使用によるものだ。


「ロスラフ様には効いていない!」


「ああ、硬化で(しの)げている!」


 大きく安堵したからだろう、ペヤネスクの者達は勢いを取り戻す。

 端から眺める限りロスラフは全くの無傷だが、パヴァーリは少しずつ負傷の跡が増えている。今のところ行動に影響するほどではなさそうだが、このまま続けばパヴァーリのダメージは溜まっていく一方だ。

 したがってロスラフが勝利を(つか)むと、彼らは考えたに違いない。


「ここからだな……パヴァーリよ」


 土俵脇で、イヴァールが一人静かに呟く。

 取組が始まったときと同様に、イヴァールは腕組みをしたまま見つめるのみだ。しかし彼には何か別のものも見えているのだろう、他の者とは違う深さと力強さが濃い瞳には宿っていた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 練り上げた力の差か、それとも越えてきた修羅場の数か。闘う二人には大きな違いが生じていた。ロスラフとパヴァーリの双方とも赤く染まっているが、彩りの元は全く異なるのだ。

 熟練の闘士を飾るのは闘いでの上気、動きそのものと駆使する強化や硬化により体内を勢い良く巡る血液。つまりロスラフにとっての力の源、勝利を引き寄せる吉兆だ。

 それに対し若者を覆うのは、苦闘の象徴としか思えない。裂けた傷から滲み出た血に、受け損ねた攻撃で腫れ上がった肌。上体や頭部どころか、蹴りで脚にも擦過や打撲の印が生まれている。骨や筋肉には影響ないようだが、外見の酷さが一層パヴァーリを劣勢だと思わせる。


「ここまで持ち込んだのは驚嘆する……しかし、そろそろ終わりにするぞ!」


「ぐっ!」


 ロスラフの突進をパヴァーリは躱したが、かすっていたらしく血飛沫(ちしぶき)が舞う。どうやら腫れ上がって出来た(こぶ)が裂けたようだ。

 パヴァーリも守りに徹すれば回避できたかもしれない。しかし彼は交差するように(こぶし)を突き出していた。

 つまり双方とも相手の攻撃を受けてはいた。しかしロスラフは文字通り鉄壁の防御で相殺し、パヴァーリのみが新たな傷を増やしたわけだ。


「まだ動けるか! ならば!」


「がっ! ぐおっ!」


 更にロスラフは二撃三撃と続け、その(たび)に血が飛び散る。今までの攻防でパヴァーリの体表近くには多くの内出血が生じており、そこから先刻と同様に流血したのだ。

 これらも避けるだけなら何とかなっただろうが、それでは勝機を(つか)めない。そのためパヴァーリは拳打や肘撃を繰り出すが、(いず)れもロスラフの術を打ち破るほどではなかったようだ。


「随分と血を流していますわ」


「ええ、このままでは……」


 ヴァサーナの心配げな声に、マリュカは大きく表情を曇らせつつ頷いた。

 失血死するほどではなくとも、かなり多くの血が流れている。裂けた傷には、太い血管に達したものもあるのだろうか。

 いずれにせよパヴァーリの動きは徐々に鈍くなり、このままだと直撃を食らうのも遠くはなさそうだ。


「しぶといな……だが!」


「うっ!」


 ロスラフの頭突きがパヴァーリの頭を(かす)め、大量の血が宙に舞う。

 どうやらパヴァーリは目元付近を切ったらしい。それに良く見ると、髭からも血が(したた)っている。おそらく口元か口内が裂けたのだろう。


 流血はパヴァーリの右目を完全に塞ぐ。しかし手で拭えば、その隙を狙われるだろう。

 そのためか、パヴァーリは流れる血をそのままにしていた。いや、もしかすると彼は肩より上に手を動かせないのかもしれない。

 赤く染まった肌で分かりづらいが、彼の右肩は反対側と比べて幾らか膨れているようでもある。それに足元も少々怪しい。やはり失血の影響が出てきたのだろうか。


「パヴァーリ殿、この闘いに意味はありません! 私は……」


「そこまで!」


 マリュカは何かを言いかけたが、パヴァーリが鋭い叫びで(さえぎ)った。そして彼は敵手を(にら)みつけたまま、言葉を紡いでいく。

 するとロスラフも興味を示したのか、攻撃の手を休めて僅かに下がる。


「俺も一人前のドワーフの戦士……相手が受けてくれるのに、退()くわけにはいかん。……たとえ(たお)れようが……全力を振り絞るまで」


 やはり口の中を切っていたようで、パヴァーリの語りは何度か途切れる。しかし言葉自体は明瞭で、低い声は静まり返った庭の隅々まで届いていく。


「それにマリュカ殿、まだ俺には……勝機がある!」


 パヴァーリは強烈な飛び込みと共に(こぶし)を打ち出す。そして更に速度を上げつつ踏み込んで肘打ち、避けた相手を追うように肩口での体当たりと続けていった。

 もちろんロスラフは素直に受けない。彼は素早く足を動かして避け、更に反撃を加える。強烈な頭突きは若者の肌に新たな打撲を刻み、(つか)みかかる腕は鋭さのあまり肌を裂く。


「うっ! ぐおっ!」


 長く続いた攻防の後、何とロスラフが苦鳴(くめい)を上げ始める。どうも今までとは違い、若者の連撃が(こた)えているようだ。

 パヴァーリの攻撃は当初の素早さを取り戻している。しかし、それだけでは彼の攻勢の理由としては薄いだろう。


──パヴァーリの布石が効いてきたか……間に合わないかと思ったけど──


──はい。ロスラフさんの硬化術は、明らかに綻びが出ています。残る魔力が少ないですから──


 安堵の滲むシノブの思念に、アミィが同じようにホッとしたような様子で応じた。

 シノブが見るところ、二人の本来の魔力量に大きな差はない。しかしロスラフは身体強化に加えて広範囲の硬化までしていたから消費が大きく、相手より先に魔力を使い切ろうとしていた。おそらく勝負を決めに動いたのも、消耗が理由だろう。

 パヴァーリも身体強化は同等以上に駆使したが、硬化の範囲は限定的だ。しかも『アマノ式魔力操作法』で磨いた彼は魔力の行使を瞬間に留めたから、一回の攻防で使った量は相手の半分を下回っている。


 とはいえロスラフも太守を務めるくらいだから、ドワーフにしては有数の魔力を誇っている。したがって彼の消耗を誘うには長く耐えるしかなく、しかも自身の力を残しておくには防御に使う魔力を抑える必要があった。

 そのためパヴァーリは守りに使う硬化は最低限とし、全身を派手な傷で彩ることになったのだ。


──もっとも一部は受け損なったけど──


──はい。特に右肩は酷く痛めたようですね……骨折や脱臼はしていないようですが──


 シノブとアミィが触れたように、パヴァーリが満身創痍であるのは事実であった。

 イヴァールが授けた策を、パヴァーリは見事に実行してみせた。しかし相手は百戦錬磨の武人だから、全てを浅い怪我だけで(しの)ぐとまではいかなかったのだ。

 ただし、ここまで来ればパヴァーリの勝利は揺らがないだろう。そのためシノブ達は、落ち着いたまま決着の時を待つ。


「ま、まさか!」


「ロスラフ様をもろ差しに!」


 ペヤネスクのドワーフ達は、驚愕の叫びを上げていた。

 この一番で初めて、パヴァーリとロスラフは組み合った。しかもパヴァーリがロスラフの両まわしを取る形である。

 幾らロスラフが魔獣を捻り倒すほどの怪力を誇るといっても、それは充分な魔力で身体強化してのことだ。つまり魔力切れや近い状態で可能な技ではない。

 そして今、ロスラフの魔力は殆ど残っていなかった。対するパヴァーリは隠していた力を振り絞り、一直線にロスラフを押し出していく。

 そう、パヴァーリは奇手から王道に切り替えたのだ。


「パヴァーリ山~!」


 行司役のリョマノフが、若きドワーフの勝利を宣言する。ついにロスラフが土俵を割ったのだ。

 そして土俵を囲む者達が、一斉に声を上げる。生じた声や発した者の表情は様々だ。


「パヴァーリ、良くやったな!」


「これでお前も結婚か!」


 パヴァーリの同僚、訪問団のドワーフ達は笑顔で祝福を贈っている。彼らはマリュカに秘密があると知らないから、似合いの夫婦が誕生すると思っているのだろう。


「親父……しかしパヴァーリ殿は見事だったな」


「はい……」


 ロスラフの息子ボルトフや、彼の周囲にいる太守の家臣団は複雑な表情だ。

 苦さは今後の難事を思ったからだろう。ここにいるマリュカが王族などであれば、王家に何と申し開きをすれば良いのかと案ずるのは当然だ。

 しかし一方で、実力や経験で勝るロスラフを降したパヴァーリへの賞賛もあるようだ。ボルトフ達は僅かな後に拍手を始める。


「パヴァーリ殿、手当てを!」


「ええ、こちらにどうぞ!」


 エルフのルキアノスが土俵際に寄り、副団長のアレクベールも周囲を空けさせる。

 パヴァーリは失血が多いらしいから、早めに手当てしておくべきだろう。それにロスラフの突進を何度も受け止めたから、体内に思わぬ傷を負っているかもしれない。


「パヴァーリ、良くやったな。素晴らしい闘いだったぞ」


「兄貴……」


 大きく顔を綻ばせたイヴァールが手を差し伸べると、パヴァーリは感極まったと表現すべき声を漏らした。そして彼は兄の手を借りて土俵を降り、治療を受けるべくルキアノスへと寄っていく。

 しかしパヴァーリは、一旦歩みを留めた。何故(なぜ)ならロスラフとマリュカが近づいてきたからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「パヴァーリ殿、イヴァール殿……。済まぬが今回の勝負、無かったことにしてもらえないだろうか。実は……」


「伯父様、私から話します。パヴァーリ殿、私の本当の名はマリーガ・ガシェク・メーリャと申します。つまり私は西メーリャ国王ガシェクの娘、王女マリーガなのです」


 ロスラフは謝罪をすべく(ひざまず)こうとする。しかし彼を抑えて今までマリュカと名乗っていた女性が歩を進め、代わりに膝を折る。

 やはり太守の娘は仮の姿、真実は王女マリーガだったのだ。


「お立ちになってください」


「ああ、別に謝ることではない。初めて出会う国同士、慎重になるのは当然のこと」


 パヴァーリは躊躇(ためら)いながらのようだが手を差し伸べ、イヴァールは大きな笑みを浮かべつつ深々と頷いてみせる。

 二人や訪問団の中枢からすれば正体は予想済みだから驚くことでもない。それに王女が膝を屈したままというのは問題だから、早々に手打ちとすべきだろう。

 そもそも結婚を申し込んだのは、マリュカと名乗る人物の正体を探るためである。つまり策を講じたのはイヴァール達で、結果が出たからには長々と引き摺りたくない話であった。


「やはりマリーガ殿下だったのですね。それではロスラフ殿に申し込むのは筋違いというもの……」


「ええ、ですから王都でお願いします」


 パヴァーリは立ち上がらせたマリーガの手を離そうとした。しかしマリーガは更に強く握り締めたから、結果として彼女はパヴァーリと寄り添うような形となる。


 もっとも今のパヴァーリにとって手や立ち位置など、どうでも良いことだろう。

 ロスラフの保護下でなければ勝負は無効、したがって求婚は無かったことに、とパヴァーリは言いたかったようだ。しかし、どうも彼の希望通りにはいかないらしい。


「王都……で……とは?」


「父と再戦してください、ということです。ちなみに父はロスラフ殿よりも強いですが、たぶん何とかなるでしょう」


 (ほう)けたような表情のパヴァーリに、マリーガは澄まし顔で応じる。やはりマリーガは、パヴァーリに惹かれているようだ。


「パヴァーリ様、頑張ってくださいね!」


「ああ、応援するよ!」


「うむ。勝負を望まれたら断るわけにはいかん」


 ヴァサーナとリョマノフは祝福し、イヴァールも笑いを(こら)えつつといった様子で続く。それに周囲も応援の言葉を送り始めた。

 訪問団は純粋な声援、ペヤネスクの者達もロスラフの責は問われないと思ったのか明るい声で。(いず)れも朝日の下に相応しい曇りのない笑みを浮かべている。

 しかし一人だけ、表情が優れぬままの者がいた。それは太守のロスラフだ。


「……許してくれるのか?」


 どうもロスラフは、神聖な勝負を汚したことに負い目を感じているようだ。

 結果的に両者は無事に土俵を降りたが、禁じ手のない荒素無男(あらすむお)なら死に至ることも充分にあり得る。つまり生死を懸けた決闘を必要もないのにさせたわけだ。

 王女に関する真実は、王都まで行けば自然と判ることだ。したがってロスラフには勝負を保留して引き伸ばす手もあった。しかし遅延策を選ばなかったのは、彼の(おご)(ゆえ)だろう。

 その反省が、ロスラフに言わずもがなの発言をさせたのだと思われる。


「当たり前だ……それにな、隠していたのはお主達だけではない。ほら、あそこを見ろ」


 イヴァールは笑みを深めながら、庭の一角を指し示す。すると彼が指を向けた先に人族の青年と狐の獣人の少女が出現した。

 もちろん青年はシノブ、少女はアミィである。


「あの男が我が親友のシノブ、アマノ王国の王にして我らが同盟の盟主だ。隣にいるのが第一の従者アミィ……アマノ王国の大神官でもあるな。どちらも聞いたことくらいあるだろう?」


 どうやらイヴァールは、これで貸し借りなしと言いたいようだ。そのためだろう、彼は普段とは異なる役者のような大仰な仕草でシノブ達を紹介していく。


「突然で済まないが、お主達と相談したいことがあるのだ」


「初めまして、アマノ王国の国王シノブ・ド・アマノです。実は東のメリャド山で、捨て置けない事件がありまして」


「玄王亀とも関係することです」


 真面目な表情と口調になったイヴァールに、シノブとアミィが続く。

 流石に大勢のいる場所で、東メーリャ王国の子供達の保護やスキュタール王国の不正な鉱夫募集を語れない。そのためシノブ達が口にしたのは、ほんの触りだけであった。

 しかしロスラフやマリーガは出された場所や名前で重大事だと悟ったようで、双方とも真摯な顔となる。


「なるほど……では、場所を変えましょう」


「ええ、まだお伝えしたいことが沢山ありますから」


 館へと(いざな)うロスラフに、シノブは大きく頷いた。

 玄王亀のシューナや光翔虎のヴェーグとも会わせたいし、直接語ってもらうべきだろう。それに保護した子供達の先行きも相談したい。すべきことは、山のようにある。

 しかしシノブは先々に大きな光明を見出してもいた。それは国や文化の違いを越えて手を取り合う二人を目にしたからだ。


「パヴァーリ様、怪我は痛みませんか?」


「ええ、ルキアノス殿が治療してくださいましたから。と、ところで殿下、私のことは……」


 マリーガはパヴァーリの側を離れない。それに彼女はパヴァーリの敬称を『殿』から『様』にしていた。

 その意味にパヴァーリも気が付いたらしく元に戻してくれと頼み込むが、王女は微笑むだけで受け入れない。西メーリャ王国の女性は髭の長い男性を嫌うそうだが、シノブが見る限りマリーガの顔には相手への好意が浮かぶのみである。


「東には色々問題があるようですが、きっと上手く行きますよ。あの二人のように」


 シノブの言葉に、ロスラフは静かに頷いた。それに囲む者達も太守に続く。

 遠く西のエウレア地方に住むドワーフの男性が、大砂漠を越えて更に東のアスレア地方で生まれたドワーフの女性と手を取り合った。ならば隣国と分かり合う(すべ)はある筈だ。

 シノブは己の信じた道を実現すべく、新たに縁を結んだ人々との語らいを始めていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年10月18日(水)17時の更新となります。


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