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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第24章 西と東の繋ぎ手達
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24.05 ドワーフと街 前編

 イヴァールが率いるアスレア地方北部訪問団は、予定通り日暮れ前に西メーリャ王国の都市ペヤネスクに着いた。

 ただし都市ペヤネスクは北緯50度近いから、まだ十六時半を過ぎたばかりだ。そのため四隻の飛行船が降りた牧場には、多くの牧童やドワーフ馬がいた。

 牧場は垣根で幾つかの区画に区切られており、その中の一つを借り切って着陸場としたのだ。


 ペヤネスクは大砂漠から80km程度と、あまり離れていない。しかし南にロラサス山脈の西端があり、そこを水源とする比較的大きな川が近くを流れているから草木も豊富にある。それに地下水も豊富で、飲料水には事欠かない。

 逆に言えば、そのような恵まれた場所だから都市が築かれたのだろう。


「聞いた通り、こちらのドワーフ馬は毛が短いのだな」


 飛行船から降りたイヴァールは、垣根の向こうにいる動物達に目を向けていた。

 脚が短く胴が太いのはイヴァール達が良く知るドワーフ馬と同じだが、こちらは長毛ではない。毛の長さは普通の馬と同じくらいで(たてがみ)も存在しないから、随分と印象が異なる。

 イヴァールの故郷ヴォーリ連合国は寒冷な土地で、アマノ王国も彼が預かるバーレンベルク伯爵領などは似た気候だ。そのためドワーフ馬も、寒さに適した長毛種だけである。

 しかし西メーリャ王国は大砂漠からの熱風で暑いから、毛の長さは指で(つま)めるかどうかといった程度だ。


「苦労して短毛種を作り出したのだ」


「父様の言う通り、毛の短いものを何代も交配したそうです」


 ここ西メーリャの歴史について語るのはドワーフの中年男性と若い女性、ペヤネスクの太守ロスラフと娘のマリュカである。

 西メーリャ王国が東メーリャ王国と分かれたのは、百年ほど前のことだ。しかし前身のメーリャ王国や更に前の時代から、この地にドワーフ達は住んでいた。

 そこで創世の時代から今まで、彼らは暑さに適応すべく様々な工夫を重ねてきた。


 元々アスレア地方のドワーフ馬は、現在の東メーリャ王国に相当する一帯だけに生息していた。そちらは大砂漠から遠く、緯度相応の気候なのだ。

 そのため西メーリャのドワーフは、最初のうち乗用や運搬用の家畜を持たなかった。ドワーフ達は背が低いから普通の馬や牛は扱い難いし、かといって長毛のドワーフ馬は暑さに弱いからだ。

 そこで西メーリャのドワーフ達は、長い時間を掛けて品種改良を成し遂げた。今イヴァール達が目にしている短毛種は、毛が短いだけではなく汗腺が多く発汗で体温を下げやすいという。


「ふむ……」


「流石に人間は同じようにいかぬがな。だから我らは、この通りだ」


 感心したらしきイヴァールに、ロスラフは顎を撫でつつ笑いかけた。

 ロスラフの顎は髭の剃り跡が青々としていた。彼が言うように、西メーリャ王国のドワーフは生来の多い髭を短く整えるか剃るかして、髪も普通に刈り揃えている。

 ロスラフの場合、髪を短髪にして鼻の下に僅かだが髭を残している。びっしりという表現が相応しい密集具合や黒々とした濃さからすると、イヴァールなどヴォーリ連合国のドワーフと同じで毛が多く太い体質なのだろう。

 他の西メーリャの男性も同様で、硬そうだが豊かな髪の持ち主ばかりだ。髭は残している部分が少ないし肌が浅黒いから遠目だと判別し難いが、やはりロスラフと同じで濃いのだろう。


「暑くて(たま)らないので、女性も長く伸ばしません」


 マリュカは自身の髪に手を当ててみせた。彼女は濃い茶色の髪を、肩に掛かるくらいに短くしている。

 流石に女性は男性ほど髪の毛が太くないし当然ながら髭もないが、やはり随分と豊からしい。女性の同行者は他にロスラフの夫人達のみだが、こちらもマリュカのように髪を短くしていた。


「そういえば、この辺りは緑が多いお陰か少し涼しいようですね」


 訪問団の一員、ルキアノスが周囲を見回す。森で暮らすエルフだからであろう、彼は大きく顔を綻ばせている。

 牧場の草は青々としているし、周囲の木々も背が高く葉も多い。飛行船が通ってきた場所は乾いた荒野が続いていたが、大違いである。

 そして多くの植物が気温を抑えているのか、ロスラフ達を乗せたキルーシ王国との国境より気温が数℃は低いようだ。少なくとも向こうのように30℃を超えてはいないだろう。


「植物の力もあるが、地下水を上手く回しているのだ。地中からの水は冷たいからな」


 ロスラフは歩きながら、ルキアノスに応じる。一行の行く手には、ドワーフ馬による馬車が十台ほど並んでいる。どれも無蓋だが、太守の一団に相応しく精緻な飾りが施された上等そうな品だ。


 訪問団のうち半数ほどは牧場に残り、飛行船の整備などをする。それに念のための警護担当も置くから、ペヤネスクに入るのは幹部を中心とした数十名である。

 主だった者は副団長のテリエ子爵アレクベール、旗艦の艦長である虎の獣人ツェリオ、イヴァールの弟パヴァーリなどだ。それに猫の獣人の諜報員、セデジオやミリテオもペヤネスク入りとなっていた。

 もちろんエレビア王国の王子リョマノフやキルーシ王国の王女ヴァサーナ、そして二人の従者や侍女も一緒だ。迎えに来たロスラフ達も含めたら、おそらく百名近いだろう。


「流石はドワーフの皆様、とても素晴らしい工夫ですわ」


「全くです。だからこれだけの都市が築けるのですね」


 華やかに微笑むヴァサーナに、リョマノフが感心も顕わに続く。婚約者らしく寄り添い歩く二人だが、ロスラフの言葉を聞き流してはいなかったのだ。

 しかし、それも当然ではある。都市ペヤネスクから先に進めるか、それはロスラフの判断次第であった。


 西メーリャ王国はキルーシ王国と国交があるが、アマノ同盟とは今回の接触が初めてだ。

 アマノ同盟、特にイヴァール達エウレア地方のドワーフは、他の地方の同族とも活発な交流を望んでいる。しかし西メーリャ側が同じように喜んで国を開くか、それは分からない。

 アマノ同盟や構成する国々の概要は、先行してキルーシ王国が派遣した使者がロスラフに伝えた。そしてロスラフは王に伺いを立て、イヴァール達をペヤネスクまで招いた。

 しかし招いたのはロスラフが直接会って判断するためで、これからが本番なのだ。西メーリャ王国が何らかの利点を見出さなければ、ここで終わりということもあり得る。


 もちろん太守が会談するのだから、西メーリャ王国側も強い関心を示している筈だ。

 既にアマノ同盟はアスレア地方の四つの国と交流を始め、昨年末に新たに誕生したズヴァーク王国とも接点がある。それらはキルーシ王国の使者も伝えているから、西メーリャ王国としても無視するつもりはないだろう。

 とはいえ髭の件や結婚制度の違いなど、文化的な差も大きい。したがって西メーリャ王国が、どのくらい門戸を開くつもりか不透明な部分もあった。

 そこで訪問団のみならず、リョマノフ達もロスラフの動向に多大なる注意を払っているようだ。エレビア王国やキルーシ王国はアマノ同盟に助けられたから、これが恩返しの一端になればと考えているからである。


 実際、道程は平坦とは言い難いらしい。訪問団やリョマノフ達は、まもなくそれを思い知ることになる。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 馬車の一団は石造りの巨大な城壁を(くぐ)り、都市ペヤネスクへと入っていく。そして分厚い城壁の下を抜けた先には、大勢の人が溢れていた。

 大通りの両脇は、無数のドワーフ達で埋まっていたのだ。どうやら彼らは、イヴァール達を見物しに来たらしい。


「お母さん、あれ東メーリャの奴ら!?」


「髭モジャが攻めてきたの!?」


「しっ! あれはアマノ同盟ってところから来たのよ! 髭はみっともないけど東じゃなくて、大砂漠の西からよ!」


 イヴァールが乗った馬車の近くでは、手を引いて見上げる子供達に母親らしき女性が注意をしている。

 ロスラフ達は事前にアマノ同盟の訪れを布告していたようだが、それでも子供などには幾らかの誤解があるらしい。それに充分に理解している筈の大人も、西メーリャの常識や慣習に反する姿を目にすると偏見めいたものが出てしまうようだ。


「イヴァール殿、申し訳ない」


「いや、この程度で済むのはロスラフ殿の統治が優れているからだ」


 恐縮気味のロスラフに、イヴァールは鷹揚に(いら)えた。とはいえイヴァールも多少は気にしたのか、眉根は僅かに寄せられていた。


 様子が変わったのはイヴァールだけではない。

 弟のパヴァーリを始め訪問団のドワーフ達は、固く(こぶし)を握り締めている。それにアレクベールなどドワーフ以外も、表情を曇らせていた。

 諜報員のセデジオとミリテオは手の動きで『アマノ式伝達法』を表現し、密かなやり取りをしている。どうやら彼らは、街への潜入も必要だと判断したらしい。セデジオ達は猫の獣人だから体格の違うドワーフに化けるのは不可能だが、透明化の魔道具で姿を消して情報収集するつもりのようだ。


「その……最近、東メーリャとの間が……」


 マリュカは弁明が必要だと思ったらしい。彼女は隣国について語り出した。

 西メーリャ王国と東メーリャ王国は分裂したくらいだから関係良好とは言い難いが、戦をするほどではなかった。しかし十年前から、衝突寸前といった事態が増えてきたという。


「緊張が高まったのは、どのような原因なのでしょうか?」


 副団長のアレクベールが問いを発した。彼はアマノ王国では外務省の副長官だから、こういった話であれば自身の出番だと思ったのだろう。


「実はドロフ……王太子のドロフ殿下が原因なのです。正確には、殿下の名前なのですが」


 一旦は口篭もったマリュカは、意外なことを挙げた。

 ドロフというのは初代国王、つまり分裂する前のメーリャ王国の王太子と同じ名であった。しかも現在の第四代国王ガシェクまで、その名を使った王はいない。

 そのため東メーリャ王国は、隣国が再統一を目論んだと疑ったそうだ。


「対抗心なのだろう、向こうも王太子に初代の名を付けてな……」


 ロスラフも娘と同様に、苦い顔となっていた。

 東メーリャ王国の初代国王は、イボルフという名だ。彼はメーリャ王国の第二王子、つまり西メーリャの建国王の弟である。

 この名を東メーリャ王国が十年前に生まれた王太子に付けたから、西メーリャ側も警戒し始めた。そして警戒は疑心へと繋がり、疑心は(いさか)いを生んだ。


「単なる隊商を間者かと疑い、護衛の戦士を尖兵かと誤解する……愚かしいことです。しかも些細なことが発端ですから……恥ずかしいので他国には出来るだけ伏せていますが」


 やりきれなさそうに、マリュカは首を振った。

 マリュカによれば、現国王のガシェクが長男に初代の名を与えたのは中興の祖になってくれという期待だけだったそうだ。一部には東メーリャの反応を気にする者もいたが、まさか国王が息子に与えた名を変えるわけにもいかないだろう。

 それに建国王への尊敬から、殆どは諸手を挙げて賛成したという。


「隊商は行き来しているのだな?」


「うむ。東メーリャの街道は我が国のみと繋がっている。そこを塞いだら、戦は避けられんよ」


 問うたイヴァールに、ロスラフは大きく頷き返した。

 東メーリャ王国の南には、スキュタール王国が存在する。しかし両国の間には踏破不可能な高山帯が横たわっており、一旦は西メーリャ王国に抜けるしかない。

 そのため西メーリャ王国が国境封鎖に出たら、ロスラフが言うように戦争へと進むだろう。


 ただし何もしなくても、街道の存在自体が火種の元ではあった。

 東メーリャ王国からすれば、西メーリャ王国の西部を奪取したらスキュタール王国への道が開ける。自由で関税がない交通は、彼らにとって喉から手が出るほど欲しいものに違いない。


「名前の件も、戦争を始めるための言いがかりではという意見もあるのです」


「あくまで噂でしかないが……それより我らの友好を示そう」


 不満げなままのマリュカとは違い、ロスラフは現状をどうにかすべきと考えたらしい。確かにペヤネスクのドワーフ達の誤解を解かないことには、訪問団との協議も上手くいかないだろう。


「皆の者! こちらのイヴァール殿は、(うで)素無男(ずむお)で儂を倒した勇者だ! それにアマノ同盟のドワーフ達は、空飛ぶ船を作る職人達だ!」


「アマノ同盟から来たイヴァールだ! お主達と手を(たずさ)え栄えたい!」


 ロスラフはイヴァールの腕を取ると高々と掲げ、反対の手を振ってみせる。もちろんイヴァールも、同じように手を振り、自分達が友好の使者だと示す。


「とてもお優しく、心根も素晴らしい方々です!」


「きっと良き交流が出来るでしょう!」


 ロスラフの二人の妻も、左右に立って微笑みを浮かべる。そしてマリュカや太守の長男ボルトフも、怖れることはないと態度で表す。

 そのためだろう、ペヤネスクの住民達も多くは表情を明るくする。そして彼らは、ようやく訪問団に歓迎の言葉を送り始めた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 都市ペヤネスクは高緯度帯にあるから、冬場だと日が短い。しかし西メーリャ王国には優れた灯りの魔道具があり、日没後でも数時間は活動できる。

 高効率なのは、灯りの魔道具だけではない。抽出や浄化、創水や着火なども同様で、メーリャの二国はアスレア地方でも魔道具の使用率が高いらしい。

 もしかするとマリュカが飛行船に興味を示すのも、そういった技術の発達からなのかもしれない。


「この『スズシイネ』という植物を使ったクッションも、素晴らしいですね!」


「熱を魔力に変えて蓄積するのだ。魔力が溜まった蓄積装置は外して魔道具に回せるぞ」


「こちらにも『スズシイネ』を紹介したいところですが、暑くても陽光が弱いから育つかどうか……」


 微笑むマリュカに、イヴァールとルキアノスが応じる。

 ここはペヤネスクの太守ロスラフの館で、今は晩餐の最中だ。そして一同は、訪問団が持ってきた『スズシイネ』を使った敷物を椅子の上に置いている。

 そのためマリュカは、常にはない涼しさに顔を綻ばせているわけだ。


 それはともかく、マリュカは飛行船に乗ったときと同じくイヴァールの側を離れない。イヴァールを気に入ったのか、訪問団の団長である彼が諸々に詳しいと思うのか、しきりに彼女は語りかける。


「テーブルや椅子が低くて申し訳ない」


「いえ、問題ありませんよ」


 ロスラフは副団長のアレクベールへと気遣うような視線を向けた。

 背の低いドワーフだから、食卓と椅子の双方とも低めである。そのためドワーフ以外の三種族は、足を前に伸ばしていた。


「ここは天井も高いですから大丈夫ですよ」


「街の建物だとギリギリかもしれぬが……ともかく良かった」


 こちらはリョマノフと太守の長男ボルトフだ。どちらも十七歳と同い年だから、話しやすいのだろう。


 ドワーフは他種族より頭一つほども低身長だ。その分だけ彼らの建物は天井が低く、通常の民家ならドワーフ以外が手を上げたら当たってしまうだろう。

 ましてやリョマノフのように背が高ければ、頭が(かす)るかもしれない。


「エシェナちゃん、どうしたの?」


 ヴァサーナが声を掛けたのは太守の次女エシェナ、四歳の少女だ。どうやらヴァサーナは、自身も太守の家族と親しくなろうと思ったようだ。

 長女のマリュカはイヴァール、長男のボルトフはリョマノフと語り合っている。ならば自分は次女のエシェナと、ヴァサーナは考えたのだろう。


「……あのオジサン達、髭が怖いの」


 子供は正直と言うべきか、エシェナは西メーリャ王国にいない長い髭の男達への(おび)えを口にした。幼いエシェナはペヤネスクに残っていたから、先ほどイヴァール達と会ったばかりなのだ。


「エシェナちゃん……」


 これにはヴァサーナも何と答えるべきか迷ったらしい。彼女は少女の名前を発したのみで、声を途切れさせる。


「エシェナ、イヴァール殿達は優しいお方だぞ?」


「それにとても強いのですよ」


「あの名勝負、貴女にも見せたかったわ」


 ロスラフと彼の二人の妻は、エシェナに諭すような言葉を掛ける。しかし少女の顔は曇ったままだ。


「エシェナ、アマノ同盟のドワーフは髭を伸ばすのが当たり前なのだ」


「ボルトフの言う通り……そうです、明日はイヴァール殿達と親睦会を開きます! エシェナも素無男(すむお)は大好きでしたね?」


 見かねたのか、ボルトフとマリュカも加わる。すると興味を示したようで、エシェナはマリュカへと顔を向けた。

 訪問団のドワーフは、ペヤネスクの同族達と親睦を深めるため素無男(すむお)をすることになっていた。力や勇気を(たっと)ぶ彼らだけに、分かりあうには技を競うのが一番となったのだ。

 もちろん女性は素無男(すむお)を取らないが、大抵の者は見物を好む。そしてエシェナも幼いが例に漏れず、素無男(すむお)好きであった。


「お……お姉さま、あのオジサン達も素無男(すむお)をするの?」


「そうですよ。髭は長くても、イヴァール殿達もドワーフなのです。それとエシェナ、オジサンは失礼です。イヴァール殿は、まだ二十六歳と伺いました。私やボルトフと八つ……いえ、九つしか違いません」


 表情を緩めたエシェナに、マリュカは大きく頷き返した。

 マリュカとボルトフは同じ年の生まれだが、同腹ではなく母が違う。それに性別も違うからか、二人はあまり似ていなかった。

 ちなみにエシェナはボルトフと母が同じで、そのためか面立ちにも共通点が散見される。


「い、イヴァールさま……すみません」


「良いのだ……髭があると老けて見えるのは仕方ない。前にも同じようなことがあった」


 謝る少女に、イヴァールは鷹揚に頷き返した。

 実際シノブは最初イヴァールを四十代だと思ったし、ミュリエルも同様に間違えた。したがってエシェナが誤解するのも当然だと、イヴァールは続けていく。


 イヴァールの穏やかな語りかけが功を奏したのだろう、エシェナは笑顔となる。そして集った者達も大きく顔を綻ばせた。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 晩餐は終わり、イヴァールを始めとする訪問団は宿舎とされた別棟に移った。そして主だった者達は意見を交わすため一室に集まり、テーブルを囲む。

 ドワーフが多いこともあり、卓上には酒杯が並べられている。例外は唯一の未成年ヴァサーナで、彼女の前には果実のジュースが置かれている。


「イヴァール殿、大変なことになりましたね?」


「……マリュカ殿のことか?」


 悪戯っぽい表情のリョマノフとは対照的に、イヴァールは苦い顔をしていた。

 マリュカが何を目的としているのか明らかではないが、彼女がイヴァールに多大な関心を(いだ)いているのは間違いないだろう。それが新たな技術への興味だけなら良いが、万一にも男女としての好意なら面倒なことになる。

 イヴァール達エウレア地方のドワーフは全て一夫一妻だが、メーリャの二国は王族や太守の一族であれば複数の妻を持つ。もちろんイヴァールは自分が既婚者だと伝えているが、こちらでは結婚を断る理由にはならない。


「……イヴァール殿。あのマリュカ殿ですが、本当に太守の娘なのでしょうか?」


「私も少々疑問に感じておりました。マリュカ殿と太守達の間に、違和感を覚えまして……」


 諜報員のセデジオとミリテオの言葉に、多くの者は顔色を変えた。ただし副団長のアレクベールやエルフのルキアノスは、何か感付いていたのか微かに頷く。


「グルーチ砦で(うで)素無男(ずむお)を始める前、マリュカ殿がロスラフ殿に呼びかけたときのことです。娘からの声援なのに、ロスラフ殿は何故(なぜ)(ども)りました」


「あのとき太守は『お……おお! マリュカよ』と言いました。それに続いてマリュカ殿は『父様、期待しています!』と……娘が父に『期待しています』と言うでしょうか?」


 セデジオが指摘すると、ミリテオは声色(こわいろ)を真似つつ補足する。そのためだろう、イヴァール達も納得がいったらしい。


「言われてみると、不審な点があったな……」


 イヴァールは腕を組み、目を(つぶ)る。どうやら彼は、出会ったときからのことを思い出しているらしい。


「ロスラフ殿の『お前は儂の娘なのだぞ?』というのも、叱責以外の意味がありそうですわね」


 ヴァサーナが触れたのは、勝負の後のことである。

 イヴァールが髭を剃ったら男振りが上がると、マリュカは口にした。それに対しロスラフは、ヴァサーナが挙げた牽制めいた言葉を返したのだ。

 娘なのに口を挟むなと叱ったのではなく、今は娘だからそれらしく振る舞ってくれと願ったのか。確かに思い返すと、そういう(ふう)にも受け取れる。


「顔も微妙に違うしね……似ていない兄弟姉妹もいるにはいるが。都市に入る間や晩餐の会話は何かあったかな……」


 リョマノフは首を捻っていた。

 ロスラフの三人の子供のうち、マリュカだけ顔立ちが多少違う。赤の他人というほどの差はないから今までリョマノフも問題視しなかったようだが、どうやら怪しく感じてきたらしい。

 エレビア王国の若き王子も、イヴァールと同様に先刻までを思い起こしているようだ。彼は腕組みをすると、視線を宙に向ける。


「親戚の娘を養女にした……そういうことではないでしょうか?」


 パヴァーリは遠慮がちに口を挟んだ。彼は兄のイヴァールを補佐すべく男爵になったが、それだけに普段は余計な口出しを控えているらしい。


「ロスラフ殿に昔からマリュカという娘がいるのは事実ですわ。もし養女なら、幼いうちに迎え入れたのかもしれませんわね。ですが……」


 マリュカは既に成人済みだ。もし早くから養女にしたなら、娘なのだと注意することがあるだろうか。ヴァサーナが疑問を感じたのは、そこに違いない。


 とはいえヴァサーナは、半信半疑のようだ。

 ヴァサーナはキルーシ王国の王女だから、隣国である西メーリャ王国についても詳しかった。特にペヤネスクはキルーシ王国に最も近い都市だから、尚更である。

 もっとも今までロスラフ達と会ったことはなく、ヴァサーナにも断言するほどの根拠はないらしい。


「先ほどマリュカ殿は、イヴァール殿との年齢差を間違えましたね……つまり彼女は十七歳ではなく、十八歳なのでは?」


「ヴァサーナ殿下。ロスラフ殿の縁者で十八歳の女性と言えば、確か……」


 ルキアノスの指摘に、アレクベールは顔を曇らせた。

 どうやらアレクベールには思い当たる人物がいるらしい。彼は副団長で更に外交官だから、メーリャの二国の貴人達に関しても一定の知識を仕入れているのだ。


「ま、まさか! 王女のマリーガ様ですか!?」


 ヴァサーナが叫ぶと、一同は思わずといった様子で大きくどよめいた。

 ロスラフの妹は王家に嫁ぎ、娘を得ている。それが王女のマリーガで、しかも彼女は十八歳であった。

 マリーガはロスラフの姪、つまりボルトフやエシェナからすれば従姉妹である。それなら兄弟姉妹ほどではないが、ある程度は似るだろう。


「兄貴、どうする? 太守の娘でも断りづらいのに、王女となったら……」


 パヴァーリの声は、僅かだが(かす)れていた。よほど心配しているのだろう、彼は周囲など目に入らないかのように真っ直ぐイヴァールを見つめている。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「……パヴァーリ。明日の素無男(すむお)に、お前も出るのだ」


 瞑目(めいもく)のまま沈黙していたイヴァールは、(おもむろ)に目を見開く。そして彼は、明日の親睦会で行われる素無男(すむお)大会に触れる。


「は!? 俺が素無男(すむお)を取って何の役に……まさか兄貴!?」


 一見関係なさそうな発言に、パヴァーリは思わずといった様子で問い返した。しかし彼は、程なく兄の真意を察したらしい。


「そうだ。お前は独身だから、妻を得ても問題ない。十八歳だから少し早いがマリーガ殿なら同い年、マリュカ殿だとしたら一つ上……まあ、釣り合うだろう」


 何とイヴァールは弟に押し付けることにしたようだ。それに気が付いた一同は、一人を除いて失笑めいた表情となる。


「そ、そんな! 俺は男爵でしかないし、それも兄貴を支えるためだぞ!」


 例外の一人、パヴァーリが立ち上がって叫んだ。

 エウレア地方のドワーフ男性の例に漏れず、パヴァーリも長い髪と顔中を覆う髭の持ち主だ。そのため表情は分かり難いが、声だけでも激しく驚愕しているのは明らかだ。


「俺も一年前は単なる戦士だ。お前も精進すれば、領主になれるだけの功績を上げるだろう。……この機会に、俺の弟から抜け出してみたらどうだ?」


 どうもイヴァールは、弟が成長する契機になると考えたらしい。もちろん自身の難を避ける意味もあるのだろうが、真の意味でパヴァーリに独り立ちしてほしいという気持ちも大きいようだ。


「確かに……。パヴァーリ殿、私はお会いして半年少々ですが、そのときよりも遥かに技量が上がったと思いますよ」


「そうですよ! マリュカ殿のことはともかくとして、明日の素無男(すむお)大会を制覇して名を揚げましょう!」


 セデジオとミリテオはアマノ王国が誕生する少し前にイヴァール達と会った。そのためパヴァーリが以前より大きく上達していると、彼らは知っているのだ。


「パヴァーリ殿、応援するよ! 俺と一緒にメーリャのドワーフ達と闘おう!」


「リョマノフ殿下……。分かりました! 俺もアハマス族エルッキの息子、パヴァーリだ!」


 十七歳の獅子の獣人が差し出す手を、十八歳のドワーフが固く握った。そして二人は大きな喜びに満ちた笑みを交わす。


 己を試す場があり、まだ見ぬ競争相手と出会える。それが若者達を歓喜へと導いた。更に若いヴァサーナは強く共感したようで勢いよく頷き、年長者は温かい笑みを浮かべる。


「その意気だ……全力を尽くすのだぞ」


 イヴァールは莞爾(かんじ)と微笑む。弟が新たな一歩を踏み出そうとしていることに、彼は深い満足を得たようだ。

 しかし、そんなイヴァールに(ささや)きかけた者がいる。


「イヴァール殿、上手く誤魔化しましたね」


「何のことか?」


 副団長のアレクベールの言葉に、イヴァールは素知らぬ調子で応じる。外務を司るアレクベールだけに、イヴァールが自身の望む方向に誘導したのを見逃す筈もなかったのだ。

 それにルキアノスも、よく見ると笑いを(こら)えているらしい。彼は長命のエルフで更に初老に入っているから、既に二百歳に近い。それだけ生きたら、三十前のイヴァールやアレクベールなど孫のようなものだろう。

 もっとも若い二人は、そんな一幕に気付かなかったようだ。


「さあ、明日に備えて早く寝よう!」


「はい、殿下!」


 リョマノフとパヴァーリは握った手を解き、肩を並べて歩き出す。まだ相談事は続くのだが、高ぶる気持ちが忘れさせてしまったようだ。

 しかし幸いにして水を差すような無粋者はおらず、二人はそのままの調子で室外へと進んでいく。


「そうだ。只管(ひたすら)に前を向いて歩んでいけ」


 意気揚々と部屋を出る若者達を、イヴァールは酒杯を掲げながら見守っていた。そして彼は二人の姿が消えると皆に向き直り、明日への語らいに戻っていった。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年9月23日(土)17時の更新となります。


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