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女神に誘われ異世界へ  作者: 新垣すぎ太(sugi)
第24章 西と東の繋ぎ手達
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24.04 それぞれの訪問 後編

 キルーシ王国のグルーチ砦の近く、随分と日も傾いた西メーリャ王国との国境の荒野。今、そこで二人のドワーフが競おうとしていた。

 片方はアマノ王国のバーレンベルク伯爵イヴァール、アスレア地方北部訪問団の団長だ。もう片方は西メーリャ王国の要人、都市ペヤネスクの太守ロスラフである。

 強さや勇気を重んじるドワーフらしいと言うべきか、ロスラフがイヴァールに腕比べを申し込んだのだ。


 そして意気込む二人のドワーフの側に、審判役を買って出た獅子の獣人の若者が立つ。もちろん彼はエレビア王国の王子リョマノフである。


「やはりドワーフの伝統武術、素無男(すむお)で競うのですか!?」


 リョマノフは金色の瞳を輝かせつつ、問いを発する。武勇に優れた彼だけに、どのような勝負が行われるのか気になるようだ。

 もしかするとリョマノフが審判を名乗り出たのは、特等席で勝負を見たかったのかもしれない。そう思ってしまう興味津々というべき表情である。


 ここのところリョマノフは、イヴァールから素無男(すむお)を教わっていた。西メーリャ王国に行けば素無男(すむお)で競うこともあるだろうと、彼は取り組んだのだ。

 今回は自身が闘わないものの、真剣勝負を間近で観戦できる。したがってリョマノフが興奮気味となるのも無理はないだろう。


素無男(すむお)なら着替えないといけませんね……」


 若き王子とは対照的に、眉を(ひそ)めた者がいた。それは訪問団の副団長、テリエ子爵アレクベールだ。


 素無男(すむお)は地球の相撲と同様に、まわし姿で行う闘技である。しかし普段のドワーフは、まわしを締めているわけではない。

 イヴァールやロスラフが身に着けているのは、ごく普通の布服だ。ここは大砂漠に近く極めて暑いから、訪問団のドワーフ達も常の革服ではなく西メーリャのドワーフ達と同じような格好をしていた。

 しかしイヴァール達が本気で競うなら、布服や革服では耐え切れないだろう。したがって素無男(すむお)なら、まわしは必須である。


 とはいえ日程の面から考えると、余計な時間を掛けたくない。今日の目的地である都市ペヤネスクまでは飛行船でも一時間ほど必要で、日暮れまでに着けるか少々微妙なのだ。

 そのため飛行船から降りた者達、訪問団の幹部やキルーシ王国の王女ヴァサーナも僅かに顔を曇らせた。


「いや、今回は(うで)素無男(ずむお)にする。素無男(すむお)はペヤネスクに着いてから……それで良いか?」


「おお、構わんぞ」


 ロスラフの問い掛けに、イヴァールは無造作に頷いた。そして二人は(にら)み合ったまま、互いに不敵な笑みを浮かべる。


 イヴァールが長い髪と髭でロスラフが短髪と鼻の下のみの髭だが、どことなく似た雰囲気の二人だ。年齢は二十六歳のイヴァールに対し四十歳前後のロスラフと大きく違うが、鍛え上げた肉体や武人らしい太い声が酷似している。

 そのため視線で火花を散らす二人は、まるで鏡写しのようですらあった。


「父様、頑張ってください!」


 高まる雰囲気に押されたかのように、西メーリャ王国のドワーフ達から一人の若い女性が進み出た。掛けた言葉からすると、彼女は太守の娘なのだろう。


 ペヤネスクから迎えにきた一団には、ロスラフの二人の妻と子供達も含まれていた。声援を送った女性の左右には夫人らしき女性達、そしてロスラフに似た風貌の青年もいる。

 青年は十代後半、ロスラフに呼びかけた女性も同じくらいの歳だろうか。二人ともロスラフの子供なら、男女の双子か母が違うのかもしれない。


 ちなみに西メーリャ王国や隣国の東メーリャ王国のドワーフは、イヴァール達と同様の浅黒い肌に黒か濃い茶色の髪だ。そのためロスラフの家族達のうち、女性陣はエウレア地方の同族と大差ない外見である。

 しかし男性は髭が短いか全て剃っている上に短髪で、訪問団のドワーフ達とは見た目が大きく異なる。体格自体は双方とも同じで太い胴に短めの足、そして全身を覆う筋肉と共通しているが顔を見れば属する陣営は一目瞭然である。


「お……おお! マリュカよ、西メーリャの名を(はずかし)めぬよう闘うぞ!」


 どういうわけだか、ロスラフは僅かに表情を変えた。もっとも動揺らしきものは一瞬で、すぐに彼は太守に相応しい威厳を取り戻す。


 ただし一部の者は、太守の変化に気付いていた。訪問団ではアレクベールやヴァサーナなどは怪訝そうな表情となり、グルーチ砦の司令官フテポルクも微かに首を傾げる。


「ええ! 父様、期待しています! ……司令官殿、どこか良い場所はありませんか? これくらいの広さの石の台があると良いのですが」


 マリュカと呼ばれた若い女性は、ロスラフからフテポルクへと向き直る。そして彼女は両手を広げ、一辺が1m少々の正方形を描いた。


「そうですな……」


「私が作りましょう」


 フテポルクが眉根を寄せると、初老のエルフが進み出た。彼は訪問団のエルフの(まと)め役を務めるルキアノスだ。


「この岩が良さそうですね。まずは形を整えて……硬化も掛けておきましょう」


 近くにあった白っぽい大岩にルキアノスが手を置くと、見る見るうちに削られていく。

 ルキアノスはアレクサ族の(おさ)エイレーネの夫だけあって、極めて大きな魔力の持ち主である。彼は魔道具職人だが魔術師としての腕も相当なもので、常日頃から魔術を細工などに用いているのだ。

 そのため僅かな間で、大理石らしき岩による立方体が完成する。


「おお……」


「これがエルフの魔力か……」


 西メーリャ王国のドワーフやグルーチ砦の兵士達は、驚愕の表情で見守るのみだ。

 アスレア地方にもエルフはいるが、彼らの国であるアゼルフ共和国はグルーチ砦から遥か南だ。それにアゼルフ共和国が国を開いたのは昨年秋のことだから、ここにエルフを見た者がいなくても当然である。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「準備は?」


「おお!」


「こちらも問題ない!」


 リョマノフが声を掛けると、イヴァールとロスラフが大声で(いら)えた。

 二人のドワーフは両足を大きく開いて立ち、ルキアノスが作った白い立方体を両側から挟んでいる。右腕は肘を台上に置いてガッシリと手を握り合い、盛り上がる筋肉が弾けそうなほどだ。それに岩の側面に当てた左手も相当の力を篭めているらしく、赤味が随分と増し浮いた血管が見て取れる。


 闘いを目前にした二人を、周囲の者達は息を潜めたまま見つめている。

 イヴァールの後ろには弟のパヴァーリ、リョマノフの婚約者ヴァサーナ、訪問団の副団長アレクベール、台の製作者ルキアノスなどが立つ。向かい合うロスラフの側も、同じくマリュカなど家族達が横一列に並ぶ。ただし(いず)れも口を(つぐ)み、勝負の開始を待つだけだ。

 訪問団もドワーフ達を中心に殆どの者が飛行船から降りてきたし、グルーチ砦からも多くがやってきた。そのためロスラフの従者も含めると二百名以上が囲んでいる筈だが、まるで無人の荒野のように風が吹きぬける音のみが響く。


「それでは……始め!」


「むん!」


「うおおっ!」


 リョマノフが手を振り下ろすと、向かい合ったドワーフ達は鬼のような形相で烈声を発した。そして同時に彼らの肉体か台か分からないが、ギシリと何かが(きし)むような音が生じる。

 盛り上がる筋肉で、イヴァールとロスラフの体は先ほどより一回り膨れ上がっていた。双方とも半袖と膝より少し下までのチュニックだから、真っ赤に染まった腕や脚が明らかである。


「行け! 兄貴!」


「イヴァール様!」


 パヴァーリとヴァサーナは、声を張り上げてイヴァールを応援していた。

 最近のパヴァーリは、公的な場だとアマノ王国の貴族として丁寧な口調を心掛けている。それにヴァサーナも武術好きとはいえ、こういったときは王女らしく(しと)やかに振る舞う。

 しかしパヴァーリは十代後半、ヴァサーナも十五歳まで半年という若さだ。そのため二人は、思わず声が出てしまったらしい。

 もっとも反対側も似たようなものである。


「親父、負けるな!」


「頑張って!」


 (こぶし)を振り上げ声援を送っているのはロスラフに似た顔の若者、太守の長男ボルトフだ。その隣ではマリュカも劣らぬ大声で続く。

 流石に夫人達は平静な様子を崩さないが、こちらも食い入るように夫の背を見つめている。


「そこだ! 『鉄腕』イヴァール!」


「ロスラフ様! ロスラフ様!」


 もちろん周囲も負けてはいない。今や荒野は天まで届くような響きと、地震と錯覚するほどの振動で満ちていた。


「そんな髭野郎に負けないでください!」


 西メーリャ王国のドワーフは長い髭を嫌うから、思わずだろうが暴言めいたものまで飛び出す。しかし今は全員が両雄の勝負に注目しており、(とが)める者はいない。

 しかし訪問団では副団長のアレクベールなど、興奮に飲まれていない数名が僅かに表情を曇らせた。おそらく彼らは、友好関係を築くまでの困難を思ったのだろう。


「それは硬化か?」


「ああ……儂らの……得意……技だ」


 イヴァールの静かな問い掛けに、ロスラフは途切れ途切れの言葉で応じる。

 どうやらイヴァールは、まだ本気には遠いようだ。表情は顔を覆う髭で読み取れないが、普段通りの声から察するに相当の余力を残していると思われる。おそらく彼は相手の能力を量ろうとしているのだろう。

 対するロスラフだが、こちらは全力を振り絞っているらしい。荒い呼吸の合間から絞り出すような声は、彼が必死の思いで力を篭めていると示している。


「流石はイヴァール!」


「ま、まさか……」


 二人の違いを訪問団のドワーフやロスラフの従者達は感じ取ったようだ。一方は歓喜に沸き、他方は愕然(がくぜん)といった(てい)になる。


 太守ロスラフは、ペヤネスクのドワーフで随一の豪腕らしい。そのため西メーリャ王国のドワーフ達は、彼の苦戦を信じられないようだ。

 しかし目の前の光景は、イヴァールが圧倒的に優勢だと証明していた。彼は汗一つ掻かぬまま、腕を左に傾けていく。

 先ほどまでと変わらず、イヴァールに勝負を急ぐ様子はない。おそらく彼は、いつでも勝利できるのだろうがロスラフの更なる技を見たいようだ。


「くっ……。我らドワーフ……テッラの(いと)し子……」


 ロスラフはドワーフに伝わる聖句を唱え始めた。先刻と同様に絞り出すような調子で更に(ささや)くような小声だが、不思議と明瞭に響き渡る。

 そしてロスラフの体が、真紅と見紛うほどに赤く染まる。


「ふむ、倍は超えたか……」


 どうやらイヴァールは、顔を綻ばせたらしい。彼の長い髭が大きく揺れる。

 硬化により、ロスラフの体は(はがね)の強さを得たのだろう。とはいえ腕の太さくらいの鉄棒など、イヴァールは容易に捻じ曲げる。

 実際に腕の傾く速度は幾らか落ちたものの、()まりはしなかった。


「だが、硬化なら俺も使えるぞ!」


「なっ!」


 一気に攻勢に出たイヴァールは、ロスラフの手の甲を台に叩き付けた。呆気(あっけ)ないと言いたくなるほどの幕切れである。

 あまりに大きな力が働いたからだろう、ロスラフの右腕は落雷のような轟音と共に岩の台座にめり込んでいた。そして硬化の術まで掛けた岩に、無数の亀裂が走っていく。


「イヴァール殿の勝ち!」


「イヴァール! 『鉄腕』イヴァール! 我らの誇り!」


「兄貴、やったな!」


 リョマノフが勝利を宣言すると訪問団のドワーフ達は大歓声を上げ、満面の笑みを浮かべたパヴァーリが兄へと駆け寄った。

 そしてヴァサーナ達も、盛大な拍手と共にイヴァールを賞賛する。


「そんな……」


「負けは負けだ! 異国の仲間よ! 素晴らしい闘いだった!」


 一方の西メーリャ王国の側は、これ以上ないほどに意気消沈した。しかし彼らは憤慨することはなく、イヴァールを称え始める。


「結局、割れてしまいましたか……かなりの魔力を使ったのですが」


 エルフのルキアノスは、ほろ苦い笑みを浮かべていた。彼が作った岩の台座は、跡形もないほど粉々に砕け散っていたのだ。


「大丈夫か?」


 腕を捻られた体勢で支えを失ったから、ロスラフは大きく揺らいでいた。しかしイヴァールは素早く右手を元に戻し、更に空いた左手をロスラフの肩に添える。

 岩を粉砕するほどの衝撃でも、イヴァールは平然としている。岩盤に叩き付けた手を含め、毛筋ほどの傷も存在しない。


「ああ、済まぬ。……皆の者よ! イヴァール殿は素晴らしい戦士だ! 喜んで我らのペヤネスクに招こうぞ!」


 助け起こされたロスラフは、大きな笑みを浮かべた。彼も強力な硬化をしていたから、怪我や異常はないようだ。

 そしてロスラフはイヴァールの腕を高々と掲げ、招待客として遇すると宣言する。


 異なる風習の西メーリャ王国だが、どうやら無事に入国できるようだ。

 そう思ったのだろう、訪問団の者達は大きく顔を綻ばせる。しかし、とある人物の行動が彼らの表情を固まらせる。


「イヴァール殿、見事な勝利でした! でも、その髭には感心しません……剃ったら男振りが上がると思いますけど?」


「済まんが応じるわけにはいかぬ。……これは我らの誇りであり、心の拠りどころでもあるのだ」


 髭を剃れと要求したマリュカに、イヴァールは首を振りつつ(いら)えた。するとマリュカは不満げに眉を(ひそ)める。


 これに訪問団の面々は、大いに驚いたようだ。彼らは戸惑いを顔に浮かべ、ひそひそと(ささや)きを交わす者すらいる。

 一般にドワーフの集団は父権社会だから、父親の権威は非常に高い。そのため父であり更に太守でもあるロスラフの言葉を(くつがえ)すなど、かなりの異常事態である。

 ドワーフでも女性は特に小柄だから、マリュカは他の種族なら十歳弱といった背格好である。しかし彼女は十代後半らしいから立派な成人で、子供の戯れ言で許されはしない。

 そのため訪問団の多くはロスラフが強く叱責すると思ったのだろう、彼に視線を向けていた。


「お……お転婆娘が失礼した。……マリュカ、お前は儂の娘なのだぞ?」


「あ……その……」


 ロスラフは注意したが、随分と柔らかいものだった。それにマリュカも失敗したと思ったようだが、恐縮したというほどでもない。

 二人の様子に訪問団の一部、特にドワーフ達が意外そうな表情となる。


「俺は気にしていない。それより、良ければ出発したいのだが?」


「そうであった。……では儂らは先にペヤネスクに行く。お前達は予定通り、明日戻ってくるのだ」


 取り成そうと思ったのか声を掛けたイヴァールに、ロスラフは大きく頷き返した。

 そしてロスラフは、自身の家族と僅かな家臣のみを呼び寄せる。飛行船の乗員には限りがあるから、残りは来たときと同様に街道を旅して戻るのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



「イヴァール殿、これは何ですか?」


「……高度計だ。高くなると空気が薄くなる……だから高さを測る(すべ)となるのだ」


 意外と言うべきか、飛行船に乗船したマリュカはイヴァールと共に行動した。正確には、マリュカが飛行船の仕組みをイヴァールに問うたのだ。


 どうもマリュカは物作りが好きらしい。彼女は操縦室にある諸々について、矢継ぎ早に質問をしていた。

 ドワーフに職人は多く、この飛行船も彼らの作品だ。魔道具としての部分は魔道具職人の担当だし、蒸気機関も熱を発生させる部分は火属性の魔道具だから、それも合作ではある。しかし他はドワーフの職人達の成果なのだ。


「なるほど……確かに高山は息が苦しくなるそうですね……。そういえば山のように高いところなのに、息も普通ですし寒くもないですね?」


 どうやらマリュカは、どのように同族達の技が使われているか興味があるようだ。それにドワーフだと女性の職人は織機(おりき)など彼女達が日常使うものを作るくらいだが、マリュカは更に広い範囲を学んでいるらしい。


「中の空気は地上と同じ濃さを保っている。それに部屋を暖める機構があるのだ……蒸気機関の余熱を使っている。逆に『スズシイネ』というものを使った冷やす装置もあるが、そちらは殆ど使わんな。

ところでマリュカ殿、先ほども言ったが詳しいことは技師の方が……」


「いえ、イヴァール殿から聞きたいのです」


 イヴァールは乗船している技師に説明役を任せようとしたが、マリュカは断る。

 実は先ほどもイヴァールは同じことを言ったが、マリュカは彼から教わりたいと主張した。そのためイヴァールは交代できないまま今に至る。

 長い髭には嫌悪を示したマリュカだが、どうもイヴァール自身を嫌っているのではないようだ。


 ちなみにロスラフや他の家族は、マリュカを(とど)めようとはしない。彼らは副団長のアレクベールなどから、飛行船や旅のことなどを聞くのみである。


「これは案外……」


「そうですわね……」


 リョマノフとヴァサーナは操縦室の中をロスラフ達と巡りながらも、密かに(ささや)き合う。

 二人だけではなく操縦室にいる多くの者達は、マリュカがイヴァールに(まと)わり付くのを好意からだと思ったようだ。それはロスラフ達も同じらしく、彼らは僅かに笑みすら浮かべていた。


「パヴァーリ殿、そちらのドワーフは一夫一妻だったね?」


「はい、そうです。アマノ王国の貴族は一夫多妻ですが、私達は元々ヴォーリ連合国のドワーフですので」


 リョマノフの質問に、パヴァーリは困惑気味の表情で応じた。流石に彼はイヴァールの弟だけあって、他の者ほど気楽に受け取れないようだ。


 西メーリャ王国や東メーリャ王国だと、王族や太守の一族などは一夫多妻だ。それにヤマト王国のドワーフ達、陸奥(みちのく)の国でも高い身分の者達は同じである。これは親から子に地位を渡していくため、血が絶えるのを怖れたためらしい。

 しかしイヴァール達の故国、ヴォーリ連合国は違う。こちらは血縁に関係なく実力のある者が(おさ)となる制度だから、直系に(こだわ)らないのだと思われる。

 そしてイヴァールは、既に妻を娶っていた。バーレンベルク伯爵領では、彼の妻ティニヤが身篭った子と共に待っているのだ。


「ですがパヴァーリ様。ロスラフ様が友好の証に娘を、と仰ったらどうなさいます?」


「そ、それは……」


 ヴァサーナは悪戯っぽい笑みを浮かべているから、本気ではなさそうだ。しかしパヴァーリにとっては冗談事で済まされないらしく、ますます彼は顔を曇らせる。


 イヴァールはアマノ王国の伯爵で、パヴァーリも兄の補佐として男爵に任じられた。そのためアマノ王国の法に倣い複数の妻を娶ることは可能だが、彼らは長年の風習を変えるつもりはないようだ。

 しかしロスラフの考え次第で、イヴァールは窮地に立たされるかもしれない。今まで西メーリャ王国との問題で重視されていたのは髭についてだったが、結婚制度の違いも無視できないようだ。


「……まずは陛下にもお知らせします」


「それが良いだろうね。まあ、パヴァーリ殿が両国の絆となる手もあるけど……」


 通信筒を使ってシノブに連絡すると、パヴァーリは応じる。するとリョマノフは一旦真顔で頷いたが、すぐに婚約者と似た笑みを浮かべる。

 そして若き王子は、パヴァーリが西メーリャ王国の女性を娶れば良いと続けた。確かにパヴァーリは独身だから、彼ならば角が立たない。


 もっとも、この案にも問題があるようだ。何故(なぜ)ならパヴァーリは、真っ赤な顔になると(うつむ)いてしまったからだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆



 『白陽宮』へと向かう馬車の中で、シノブは通信筒から紙片を取り出す。

 アリエルやミレーユと語らったシノブ達は、住まいへと戻る最中である。シノブの隣にはリヒトを抱いたシャルロット、向かいにはアミィが腰掛けている。更に後ろの席には従者や侍女がいるが、合わせても車内にいるのは十名に満たない。


 普段とは違う環境で疲れたのだろう、リヒトは良く眠っている。そのため緩やかに進む馬車の中は、同じくらい静かで和やかな空気で満ちている。


「……これは予想外だな」


 シノブはパヴァーリが記した(ふみ)を読み上げる。

 するとシャルロットやアミィの顔は、驚きから微笑みへと変わっていく。それに後ろで控える者達も同様に顔を綻ばせる。

 パヴァーリの手紙は簡潔に(まと)められていたが、それでも飛行船の中の様子や彼の困惑は充分に伝わるものだった。したがってシノブ達はイヴァールに悪いとは思いつつも、おかしさを(こら)え切れなかったのだ。


 もっとも、これはイヴァールを深く信頼しているからでもある。

 イヴァールなら女性に言い寄られても揺らがないと、シノブは信じている。それはシャルロット達も同じようで、事態を理解しつつも深刻には捉えていないようだ。


「済みませんが、もしかしたらとは思っていました。イヴァール殿と縁を結びたいと思う者が現れても、不思議ではないと……」


 真顔となったシャルロットは、可能性としては頭にあったと口にした。

 王族や貴族が縁を結びたがるなど、シャルロットにとっては幼少から肌身で感じていることだろう。そしてエウレア地方のドワーフでも第一に挙げられるほどの人物であれば、黙っていても縁談が舞い込むとも彼女は考えていたようだ。


「一夫多妻の国なら、既婚者でも関係ないですからね」


 アミィの言葉には、シノブも頷かざるを得なかった。自身の経験に照らし合わせても、面倒なことになりそうな気がしたからだ。


「パヴァーリに乗り換えては……くれないかな?」


 シノブは願望めいた言葉を口にするが、難しいとも感じていた。

 イヴァールが断った場合、西メーリャ王国はどう動くか。別の誰かで良いとするには、イヴァールの実力が傑出しすぎている。

 アマノ王国の法に反することもないから、イヴァールの心を動かせば問題ない。そのようにメーリャの者達が考えるのは当然だろうし、自然ですらあった。


「実力のみなら……ですね。八歳も離れていますから、将来はともかく現状だとイヴァール殿との差は明らかです」


「パヴァーリさんも随分と腕を上げましたけど……やっぱり……」


 シャルロットとアミィも、今はイヴァールが遥かに上だと考えているようだ。

 パヴァーリの努力や成長は明らかだが、絶対的な武力では兄に(かな)わない。それに人物としての器や胆力も、まだまだイヴァールが上だろう。


「ですが、好きという感情は、それほど単純ではありません」


「そうですね! パヴァーリさんに似合いの女性が現れるかも!」


 シャルロットの指摘に、アミィは大きく頷く。二人はパヴァーリに恋する女性の登場を期待しているのだろう、どこか楽しげな表情になった。


 まだ及ばぬとはいえ、兄弟だけあってパヴァーリも将来有望な若者だ。それにドワーフの女性も、力を(たっと)ぶ者ばかりでもないだろう。

 したがって二人の望みが(かな)う可能性も、充分にある。


「そうなってくれると良いけどね……。でも、このマリュカという人は太守の娘なんだよな……こうなると王女がイヴァールに……」


 シノブは途中で言葉を飲み込んだ。仮に王族が縁組を望んだら、簡単には断れないだろう。

 西メーリャ王国には、王女がいるそうだ。ちょうどマリュカと同じくらい、つまり十代後半だから年頃である。

 今回と同じようにイヴァールが国王か王子と勝負し、そして意気投合したら。考えれば考えるほど、ありそうな気がするシノブであった。


「先のことは、それくらいにしておきましょう」


「ああ。イヴァールなら上手くやってくれる……たぶんね」


 案ずるなというシャルロットに、シノブは微笑みを返す。そしてシノブはシャルロットの腕の中、我が子リヒトの寝顔へと視線を転ずる。


 あどけない顔で眠るリヒトは、シノブに安らぎと同時に将来への希望を与えてくれる。

 今日会ったアリエルやミレーユは、一ヶ月半ほどで出産する。しかも殆ど同時期にイヴァールの子やアルノーの子も生まれる筈だ。

 間もなくリヒトを含めた五人は集い、更にシノブの義弟であるアヴニールやエスポワールも加わる。アマノ王国には次々と新たな命が誕生するしリヒトより上の子供達もいるから、輪は更に広がるだろう。

 そして子供達の側には、それぞれの家族の笑顔があるべきだ。


「リヒトが新しい仲間と会う日も、すぐそこだ。それまでにイヴァールも帰ってきてほしいな」


 シノブはイヴァールがいる方角、東へと顔を向けた。

 馬車の窓から見えるのは、もちろん見慣れたアマノシュタットの風景だ。しかしシノブは、アスレア地方の大砂漠や更に向こうへと思いを巡らせる。


「ええ。お父さんと会えないのは寂しいですから」


「シノブ様、何かあったら出かけますか?」


 シャルロットとアミィも、シノブと同じ側を向く。おそらく二人もイヴァールの無事な帰りを願っているのだろう、どことなく感傷的に聞こえる声音(こわね)となっていた。


「……そうするかな。アケロ達は国交樹立まで表に出ないようだから、一緒に裏から支援するのもアリかもね。もちろん、手を貸すべきことが起きたらだけど」


 暫し考えたシノブだが、万一のときは助けに行きたいと素直に答えた。この二人に隠し事などする気はないし、その必要もないからだ。


 アスレア地方北部訪問団には、玄王亀の長老夫妻アケロとローネなど超越種達も同行している。しかし彼らは、人間同士の交流であれば人間に任せる方針であった。

 アケロ達は若手の玄王亀シューナを探すため訪問団に同行したが、人間達の関係樹立が済むまで待つという。同じ超越種が背後にいるならともかく、そうでなければ一方の味方をするのは不公平だとアケロは語った。超越種が姿を現して力を示せば、交渉にも大きく影響するからだ。


 それはシノブ自身についても言えることだ。異神とも戦った存在が現れたら、やはり事態を左右するだろう。だが、それでは東西のドワーフが真の友好関係を築いたとは言い難い。

 ただし様子を見に行くだけ、そして彼らが悩んだとき密かに助言するだけなら、許される範囲では。シノブは、そう思ったのだ。


「でしたら、情報局にお願いしておきますね!」


 アミィは自身の通信筒を取り出した。

 訪問団にはセデジオやミリテオなどの諜報員もおり、彼らは定期的に上と連絡をする。そのためアマノシュタットからでも、仔細に見守ることは充分に可能なのだ。


「ああ、頼むよ」


 シノブは再び東へと視線を向けた。

 もう少ししたら、イヴァール達は最初の都市ペヤネスクに着くだろう。今日は歓待を受けたら休むだろうから、本格的に動くのは明日以降だ。

 明日から、何が起きるのか。シノブは期待に顔を輝かせつつ、窓外(そうがい)の風景を眺め続けた。


 お読みいただき、ありがとうございます。

 次回は、2017年9月20日(水)17時の更新となります。


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